北杜市郷土資料館の企画展「動物の神様」(生き物達が伝えた峰々と自然への畏敬の記憶)

北杜市郷土資料館の企画展「動物の神様」(生き物達が伝えた峰々と自然への畏敬の記憶)

日本全国には公立の博物館や資料館、郷土館と言われる施設が普く所在していますが、そのいずれもが順調に運営されている訳ではなく、中には存続の危機に立たされている施設も少なからずあるとのお話が漏れ聞こえてくるようになって久しくなります。

国内有数の観光地である八ヶ岳山麓。その中でも比較的有名なスポットのひとつ、長坂にある清春芸術村の向かい側にある、北杜市郷土資料館。実に8つの町村が合併してできた北杜市内に点在していた前述の施設群を集約した施設の中でも、文教活動の中核を担う施設。最近になって、意欲的なテーマを掲げた展示を送り出すようになってきました。

今回は、ちょっと「流行」のテーマを全面に押し出した企画展。開催2週目に入った週末に訪れてみましたが、果たしてどのような内容となっているでしょうか。

通常の展示内容については、以前ご紹介しておりますので、今回は企画展に集中して。

ブラタモリですっかり有名になってしまった、ニシムラ精密地形模型さんによる、秩父山塊、八ヶ岳、南アルプスの大パノラマが楽しめる立体模型図。このパノラマの中で営まれた人々の姿を追って、いざ企画展示スペースへ。

北杜市郷土資料館の企画展示スペース入口です。

美しいフローリングの床が印象的な展示スペース。じっくり拝見させて頂きました。

入口のご挨拶です。

展示は4つのテーマに分かれています。

展示資料数は78点(期間中の入れ替えあり)と、決して多くありませんが、今回の企画展に合わせて、県内外の他施設、各種団体から少なくない資料を借りての展示となっています(一部の展示物は照明を落として、今回の為に特別に運び込まれたと思われる展示ケースでの展示となっています。撮影禁止の表記は出ておりませんが、展示物保護の観点からもフラッシュ使用は控えましょう)。

第一部は「山と暮らす」

八ヶ岳、南アルプス、秩父山塊と言う三つの山並みに囲まれた北杜市地域。地域それぞれで山仕事に携わる人々が抱く、山への想いが「山の神」への信仰と言う形で残されています。

現在も甲斐駒の麓に残る、横手駒ヶ岳神社の手力男神の札と版木。長きに渡ってこのような形で信仰の証を与えていた事が判ります。

第二部は「お犬様信仰」

今回のメインの展示となるでしょうか。

秩父、甲信地域に残る「送り犬」の伝承。その伝承を実在として示す、狼信仰の姿を紹介していきます。また、今回は山梨県立博物館の収蔵品から特別に狼信仰に関わりのある掛け軸、狼陣羽織が縦置きの展示ケースに収められて展示されています。9月中旬までの展示との事ですので、ご興味のある方は是非。

ご覧になられる皆様にとって一番の注目はやはり「護符」なのでしょうか。

こちらのように、各地の「オオカミの護符」が並べられています。

秩父、三峯神社から提供を受けた、古文書の展示も行われています。

古文書が得意な方であれば、興味深く読む事が出来るはずです(私も少し読んでみました)。

今回の展示で、最大の見せ場となるのでしょうか。

地元、北杜市高根町の赤羽根・六ッ根地区で配布の続いている護符「オイヌサンの札」。現在は印刷されたものになっているようですが、展示されているのは、地区が管理・保存している実際に刷られた大山祇神御神犬の札とその版木。

北杜市地域に残る狼信仰の特徴として、秩父山塊を通じて繋がる三峯神社の影響を強く受ける一方、第一部の展示を受ける形で、山の神の眷族としての一面を残しているという興味深い説を述べられています。

第三部は「馬の神様」

小淵沢町で毎年夏(今年は来週の土曜日、7/27です)に行われるホースショーでもお馴染みのように、八ヶ岳南麓は馬と深い繋がりのある地域。平安時代ないしはそれ以前から「牧」として、馬の飼育に携わってきた古い歴史を有する場所です。

郷土資料館の収蔵品としても多く残されている馬具、農耕具からも判りますように、この地では馬と人は正に一心同体、お互い支え合う大切な仲間でもありました。

そんな歴史が実は明治の養蚕と深い結び付きがあるという点を紹介するのが、今回の展示のポイント。

北杜市白州町の横手駒ヶ岳神社に残る、養蚕守護のお札と版木。その関係は是非、解説ボードをお読みいただければと思います。

常設展示室に掲げられる、北杜市内の馬を祀る神社、観音信仰の解説パネル。

ボードの記載では自然消滅してしまったと書かれていますが、八ヶ岳山麓地域では今も2月の「初午」を祝うしきたりが一部で続いています(個人や地域だけでなく、企業、団体でも初午の際にお札やお祓いを受けたりします)。

現在は牛の札のみ配る風習が残っていますが、馬を飼っていた頃にはこのような御札や絵馬、馬の形をした御幣(馬幣帛)が配られていました。

考古資料館1階のスペースにビルトインされた復元古民家。土間と続きになっている厩の柱にも、ちゃんと絵馬が掛けられています。

そして、馬への愛情すら感じる、とても素敵な石像。

馬頭観音は数々観てきましたが、とても珍しい狛犬のように並べられた、北杜市須玉の養福寺にある馬五輪観音堂に収められる馬頭観音像と、文亀元年の武田信虎の愛馬に由来を持つという、安永10年と記載がある由来書き(写真に収めて自宅で必死に読んでいます…)。

そして最後の第四部は「神聖視された蛇」

再生を司るとされる縄文の蛇文様から、山を背に負う土地における水の守り神としての蛇信仰が今も神楽として残る、白州地域の伝承を紹介していきます。

蛇信仰と言う事で、諏訪市博物館に収蔵されている「諏訪大明神画詞」も、こちらで展示されています。

現在も横手駒ヶ岳神社の神楽で用いられる装束。山梨県の釜無川流域、南アルプスを挟んで西側の南信地域の山里には、今も神楽を舞う伝統が色濃く残っています(知人にも毎年、地域の神楽を舞っている人が居ます)。

山を背負い、厳しい環境の中で生きてきた人々が培ってきた、自然への畏敬の念を伝えてくれるものとしての生き物。自らの生活を支えてくれる生き物への愛情から生まれる想い。それらを神として祀って来た地域の先人たちが残してきた想いを今に伝える展示。

記帳をちらっと拝見すると、県外からもお越しの方がいらっしゃったようですが、週末の昼下がりに数時間展示を独り占めできてしまうと言う贅沢、もとい大変残念な状態。

ロケーションにも恵まれ、綺麗に整備された施設と充実した展示内容(ちょっと狙い過ぎの部分も)を擁していますが、なかなか難しい地方のミュージアム展示。

ちなみに、今回冊子形態の図録の用意はないとの事でしたが、前回の「北杜に汽笛が響いた日」も有料の図録がありましたので、今回も会期の後半になると、ひょっこり出てくるかもしれません。入手出来た方は羨ましいかも…(会期終わってもどうせすぐに買いに行けるでしょという突っ込みは無しで)。

北杜市郷土資料館の企画展「動物の神様」

会期は10/27(日)まで。

会期中の10/6(日)には帝京大学で動物考古学を専攻される植月学先生による講演会「御坂のニホンオオカミ頭骨と甲斐周辺の狼信仰」が開催されます。

また、地元に住まわれている方向けとなりますが、9/29(日)には秩父三峯神社の見学ツアー、会期末の10/26(土)には市内の馬の史跡巡りが行われる予定になっています。

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リニューアル1周年を前に、上越市立水族博物「うみがたり」へ(過去の記憶と未来のアミューズメントを繋ぐ場所)2019.6.15

リニューアル1周年を前に、上越市立水族博物「うみがたり」へ(過去の記憶と未来のアミューズメントを繋ぐ場所)2019.6.15

天候が目まぐるしく変わる梅雨の6月。

昨晩から雨が降り続く八ヶ岳南麓を離れて、北へ向かいます。

上越市立水族博物館全景途中、激しい雨と強い風にハンドルを取られながら高速道路を走り続ける事、3時間。雨が上がり、少し暑さすら感じられる日本海を望む浜辺に建つ、2018年に3回目となる新築での改装成った、上越市立水族博物館。近年の美術館のようなコンクリートの打ち放しとガラス張りを組み合わせたモダンな外観。「うみがたり」との愛称が付けられています。

こちらが以前の水族館外観。90年代に増築されていますが、如何にも昭和の雰囲気を漂わせるレトロな佇まい。現在は解体されて駐車場となっています。

2年前の閉館の際に訪れて以来、改めて訪問しようと決めていたのですが、リニューアルから丁度1年を経て、漸く訪れる事が出来ました。

上層階から下へ向かって動線を引く、近年の博物館などでも多く用いられるレイアウトコンセプトを採用するため、エスカレーターで登る最上階の3階がエントランスになります。エントランス前に広がる、日本海を同一視線の延長で望むテラス。この水面自体がメインの大水槽の水面そのものとなっています。

では、館内を少しご案内。各所の案内表示(サインシステム)にはこのようにペンギンのデザインが採用されています。

先ほどの日本海テラスの下に廻り込むと、メインの大水槽を横から眺める事になります。スロープで下りながら水面近くに群有する魚の群れから徐々に底に住む魚、水中トンネルへと、水深を下げながら眺めていく事になります(反対側に下段から眺めている方が映っていますね)。

下段側に廻り込むと、このように水中から水面を眺めるような形になります。

従来あった大水槽の様に全面アクリル張りというスタイルではなく、コンクリートの海底を囲う様に組まれた要所の壁にアクリルの大きな覗き窓を取り付けて水槽として構成していくスタイル。水槽の容積は大きいですが、このように分割することでアクリル面の面積(=コスト)を抑えているようです。

日本海を1/10000スケールに表現することを狙った、水槽のコンセプトを示す解説板。休日で多くの見学客の方が訪れていましたが、薄暗い通路に黒地の解説板という事もあり、読まれている方は意外と少ないようです。

洞窟をイメージした水槽上端の窪みには狙った通りなのでしょうか、サメたちが住みついているようです。

メンテナンス用の意図もあるのでしょうか、大水槽を支える天井にはこんなカッティングも。

以前の大水槽。バブル期に構想された事もあるかと思いますが、当時国内で最も厚さのある巨大な一枚物のアクリル板を用いた正面と、エスカレーターで上下できる2層構造というパノラマ感を優先した水柱スタイルの巨大水槽。飼育されている魚達は変わらなくても、水槽から伝わるイメージは大きく変わりました(ちなみに熱帯魚水槽を思わせるアクアブルーとイエローの水中照明色は、指定管理者制度が導入された最末期に変更されたものです)。

ペンギンのオブジェに誘われて、暗い水族館部分を抜けていきます。

スロープを降りて明るいテラスに戻ると、3面のデジタルサイネージがお出迎えしてくれます。

本館のもう一つのテーマである、世界最多の飼育数を誇る、マゼランペンギンの展示スペース、冒頭で彼らの故郷であるアルゼンチンにおける保護活動の様子が紹介されます。全面ガラス張りのテラス、豪雪地帯に立地する水族館らしく、屋内からでも楽しめるよう、冬季の見学者への配慮が伺えます(窓の下には空調が仕込まれているようです)。

テラスの外は彼らの故郷、パタゴニアの海岸を模した景観展示を採用しており、プールへ上り下りが出来る岩山や産卵のための巣となる穴倉が多数用意されています。

砂山の上でのんびりと寛ぐマゼランペンギンの夫婦。解説の方によると、つがいの絆は長く続くそうです。

時折、順路に当たるウッドデッキの上を、プールから上がって巣に戻るペンギン達が歩いていきます(縦横無尽に横断するのを防ぐため、後になってプランターを置いたようです)

時にはこんな風に、見学者の前を横切るシーンも観られます。生態展示の中に人が迷い込むシーンを作り出す、そんな試行錯誤の一端です。

群れとなってプールの上で泳ぐマゼランペンギン達。

以前のマゼランペンギンの展示スペースを建屋の屋上から撮影した物ですが、意外な事に、展示スペースは殆ど変らず、オープンスペースだったプールの水面に至ってはむしろ狭くなっている印象すら与えます。

テラスの壁に掲示された、この場所を象徴する解説。1993年から始まった(旧)上越市立水族博物館におけるコロニー形成を狙った多頭飼育によるマゼランペンギンの飼育実績と現地・パタゴニアとの連携を示す解説パネル。

100羽を超えた繁殖を達成し、すみだ水族館をはじめ各地の水族館に送り込まれ、その後も近親交配を防ぐために全国の水族館と相互に移動されるマゼランペンギンたちの母体となった旧水族館における飼育成果。大きな実績を有するその飼育の経緯や現在の保護活動の様子はデジタルサイネージを使ってリピートで流されていますが、こちらも余り足を止める方はいない様子。そして世界最多を誇る一方で、意外なほど狭い展示スペース(バックヤードがどの程度のスペースなのかは判りかねますが)。

じつは、この展示エリア、施設所有者である上越市でも指定管理者である八景島でもない、地元有力土建会社社長の私費による全額寄付で整備された、本館の付帯施設(テラスにその故の記載がされています)。旧水族館の実績を繋ぐ姿は少し不思議な形で次へと紡がれたようです。

そのような意味で少し不思議な感触を受けながら1階に降りると、迷路のような通路の先に置かれた、ちょっと寂しい生態と保護活動への寄与を紹介する展示ケースたち。

展示ケースへ通じる通路を折れ曲がると、ペンギンたちのプールを水中から眺める事が出来る、やや狭い回廊になっています。

水中をスムーズに上下にホバリングするマゼランペンギン(後ろ足で浮力のバランスを取っています)。

面積方向では狭くなった印象を受けますが、建屋2階分の深さが取られたため、彼らの泳ぐ姿から新たな発見が生まれる、新しいマゼランペンギンの展示スペース

群泳でのシーンを水中側から眺められるのはこの水族館の大きなポイント。

多数の飼育実績に裏打ちされた多頭飼育によるコロニー内の多様性を魅せる生態展示と、断面構成のレイアウトによって、これまで以上に彼らの様々な姿を見る事が出来るようです。

此処までで一周ですが、以前の展示と見比べながら、ちょっと悩みながらもう一周してみます。

(ご注意:一度1階まで下ってしまうと、エントランスまで戻らない限り、上の階に上るためには中央のエレベーターを利用する以外手段がないようです。1階エレベーター前は渋滞状態)。

イルカショーが始まる時間となったので、再びオーシャンビューとなる3階へ。敷地外とはいえ、視線の向こうに横たわる電線と電柱がとても残念。

ショーの開始直前、遊び道具であるブイを放すように担当飼育員の方が何度もゼスチャーを送っているのですがなかなか放してくれず、餌は使わず何とか引き剥がそうと奮闘する事数分、満員立ち見で膨れ上がったスタンドの皆様からも笑い声が聞こえてきていましたが…これも演技だったのかも。

ショーが終わった後。こちらのプールも大水槽同様に2層構造になっていて、2階のフロアーから水中が眺められるようになっています(降雪時の展示やショーにも対応するためのようです)。何故か目をつぶって仰向けになって泳いでいる事の多い2頭。

撮影しているとこちらに気が付いて、目を見開いて様子を伺ってくることもありました。

ショーの内容はご覧頂いて、という感じかと思います(入館料にはマリンショーの観覧料も含まれています。マリンショーは本館の運営母体である八景島で20年以上前に観て以来かも)。ただ近年の議論にかなり敏感になっているのでしょうか、パフォーマンスを優先するより、人とコミュニケーションを取れる彼らの知性の素晴らしさを訴え、ラストの演技では飼育員の方と一緒に水中で演技を行う事で、一緒に楽しんでいる、彼らは人のパートナーと成り得るというイメージを観客の方に持ってもらいたいというメッセージを感じる内容でした。

大水槽へ下るスロープの通路反対側の壁には小さな水槽が幾つも埋め込まれています。汽車窓形式の水槽は以前の水族館のイメージをそのまま伝える、日本海と日本の魚達を紹介する水槽群。トップバッターでメバルたちが出迎えてくれるのですが、どうしても視線の正面にある大水槽の揺れる水面と水中を往く群泳する魚達の姿の方へ行ってしまうようで、工夫を凝らした水槽にも足を止めてくれる方が少ないようです。

壁側の小さな水槽には、日本海を往く魚達として新たなテーマに加えられたアユやサケといった降海性を持つ魚達の稚魚も展示されていました(こちらはサケの稚魚、常時展示とはいかない筈ですが)。

以前の汽車窓水槽の姿。円柱レイアウトがそのまま大水槽を囲む通路の壁側にお引越ししたような感じです。

こういう渋い擬態展示、とても小さな水槽なのですが、結構好きです。

所謂「タコツボ」そのまんま。

多数ある小さな水槽のメンテナンスは大変だろうなと思いますが、開館からまだ1年足らずにも拘わらず、多数の水槽で縁の黒塗り塗装が剥がれ、所によっては漏水箇所から塩が吹き出すなど、ちょっと気になる施設状態です。

そして、以前は数少ない生態展示を見せてくれていたニッコウイワナの水槽。スペースは少し小さくなったようですが、淡水コーナーのメインとして水流を与えた形での展示が継続されていたのは嬉しかったです。

以前のニッコウイワナの水槽。水流に向かって泳ぐ習性がよく判る展示でした。

1階のピロティ前にある企画展示スペースには、現在話題となっている海洋ゴミ、マイクロプラスチックに関する啓蒙展示も行われていました(記者の方が取材に入っていたようです)。

やはり海を臨む事が大きな楽しみなのでしょうか。

県外ナンバー、特に長野、松本ナンバー(中には諏訪ナンバーも)が多くみられる駐車場を後にして、午後になって眩しい日射しが差し込んできた梅雨晴れの日本海。

吹き続ける強い潮風を受けつつ、波立つコバルトブルーの海の眩しさに暫し魅入りながら。

これまでの旧水族館が培ってきた飼育、繁殖活動の先に、最新の機能的な展示メソッドを与えて新たなアミューズメント施設として生まれ変わった、新・上越市立水族博物館「うみがたり」。

展示メソッドが進むほどに解説や説明へ意識を繋ぎ止めるのが難しくなるのかな等と考えつつ、水塊を強くイメージさせる暗い大水槽を巡るスロープの先に対を成す、日差し溢れる眩しいテラスのソファーで寛ぐ見学者の方々と、その向こうで寛ぐマゼランペンギン達の姿に色々と想いを重ねながら。

 

15年の時を経て再びライチョウの展示を開始した大町山岳博物館へ(2019.3.17)

15年の時を経て再びライチョウの展示を開始した大町山岳博物館へ(2019.3.17)

今月の15日から全国5箇所の施設で開始された、人工孵化、飼育のライチョウ公開。

これまで動物園で観る事が出来なかった高山に住むライチョウの姿を一目見ようと多くの方がこの週末に動物園を訪れたようですが、その中で少し異なった雰囲気での公開を迎えた施設があります。

昼前になって時折吹雪き始めた、大町市にある市立大町山岳博物館

今回公開を迎えた施設の中で、唯一2004年まで長期に渡る低地での繁殖活動を実施していた場所。2015年から開始された域外保全活動に於いて、環境省の支援の元で再び繁殖活動を再開、実に15年振りの再公開を迎えました。

雪雲の下に沈む大町の市街地を望む、博物館3階の展望デッキより。

お天気が良ければ、北アルプスの大パノラマが楽しめる格好の場所(写真撮影用にレンズを外に向けられる小窓が付いています)なのですが、残念ながら今日は雪雲の中。

そして、シーズンオフのこの時期ですと数台の車がぱらぱらと止まっているだけの筈の駐車場が…実は建屋の裏側まで満杯に。吹雪の中、スタッフの方が誘導に走り回るという驚きの光景を目にする事になりました。

今日は、今回の公開再開を記念して開催された特別講演を聴講にやってきました。

講師は本邦初(ご本人談)のライチョウ研究で学位を取得した小林篤氏。ライチョウ研究の第一人者、中村浩志先生と共に研究されている方で、昨年刊行された「ライチョウを絶滅から守る! 」(しなのき書房)の共著者でもあります。

他の施設と大町山岳博物館が大きく異なる点、それは地元北アルプスの自然を象徴する鳥であり、前述のように過去にも長く(20年以上)に渡ってこの場所を拠点としてライチョウの低地における飼育に挑戦していたというベースを市民の皆様が共有されている事です。

今回の講演会もその中核を担う山岳博物館の会員組織(山博友の会)の皆様が会場運営に当たり、聴講する側も県が活動を展開するライチョウサポーターズの皆様等、熱心な方々が多く集まられたようです(参加者の年齢層が広く、何より女性の方が多いのに驚きました)。

地元報道各社の取材が入り、定員80名が満席となる盛況の中で行われた講演。内容自体は前述の著作を読まれた方であれば御承知の内容が殆どかと思いますが、南アルプスで行われているゲージ保護の動画が紹介(雛たちが殆ど人手を介さずに連なって自らゲージに戻っていく)されると、会場から一斉に歓声が上がっていました。

ライチョウの生態とこれまでの活動の推移を示した後で、直近の保護活動、人工繁殖に極めて大きな示唆を与えることになる、親の盲腸糞から腸内細菌を雛が取り入れている事を確認した最新の報告まで、丁寧な解説がなされていきましたが、今回の講演会で少し驚いたのが、講演後の質疑における演者の方が述べる率直な見解の数々。

質問される方も流石に良くご存知のようで、スライドには用意されない最直近の話題、しかも当事者としては微妙な問題が含まれる内容だと思うのですが、自らの見解としてはっきりと述べて下さったのは、とても好感が持てるところでした。

  • 中央アルプスで発見された個体は北アルプスに生息する群である事は把握できているが、実際にどこから飛来したかはわかっていない(多分乗鞍岳だろうと)
  • 中央アルプスへの移植については今後の検討に委ねられる(中村先生は実施したいと考えている)。現行の活動は5年計画で本年度で終了する事になっている
  • 火打山でのイネ科植物の除去については、当該群の生息数が極めて少なく、標高が低いという特殊な場所故の施策であり、火打山以外で実施する予定はない
  • ライチョウの生息群全てが絶滅に瀕している訳ではない。北アルプスの群は比較的安定ているが、特にゲージ保護を行っている南アルプスの群は減少が著しく、このままであれば絶滅する可能性がある
  • 南アルプスの群が減少している理由はゲージ保護を採用した理由である捕食者の影響もあるが、高山植物の減少、特にシカの食害が著しい。但し、全ての高山植物が激減している訳ではなく、巷間に伝えられるような話は登山道沿いなど限定的(それほどでもないと。サルのライチョウ捕食写真の件を含めて、少々センセーショナルに扱われているというニュアンスを演者の方から感じました)。もう一つはより大きな話なので、と
  • (山小屋周辺での捕食者を捕える罠の設置を認めるなど)国立公園は石一つ葉一枚動かさないという環境省のスタンスは徐々に変わりつつある
  • 腸内細菌のうち、有用な菌の分離、精製が出来ないか研究を続けている(宮野典夫前館長だったと思いますが、博物館側からの補足として、飼育個体でも雛の段階で親鳥の糞を食させる検討をしていると)。これが出来ないと、飼育個体を自然に放鳥した時に自然の食性に対応できなくなる恐れがある(朱鷺とは違う)。こちらの研究は今後にご期待くださいとの力強い発言も

館内の2階にある、この博物館が長年手掛けてきたライチョウ飼育、研究の経緯を辿るコーナーに新たに設けられた、現在のフィールドで保護、研究活動の全般を紹介するボード。今回ご紹介されていた内容が解説されています。

今回公開が始まったライチョウは、博物館の裏側にある付属園で飼育されています(こちらの付属園への入場は無料、館内の展示を見学する場合は入場料が必要です)。

雪が舞う中、付属園のスバールバルライチョウ舎の前で、講演会参加者の皆さんに説明する大町山岳博物館の館長さん。

ちょっとおネムのスバールバルライチョウ。

別のタイミングで撮影した1枚。ライチョウ飼育の事前検証の為に飼育を開始したこちらのスバールバルライチョウですが、ライチョウと見比べて違いが判るでしょうか。

そして、以前は飼育員さんの作業用プレハブ小屋が建っていた場所に、こんな立派な展示用飼育舎が建ってしまいました(驚)。奥の大きな建屋が、展示用の飼育舎です。

見学入口にはこのように域外保全活動の取り組みを示す解説板が用意されています。

この奥が展示場所なのですが…えーっと、他の展示施設の写真などを拝見していると、共通する展示場所のセンスには発注主様の…(以下自主規制)。

窓の向こうに雪が降る中、沢山の見学者に見つめられて落ち着かないのでしょうか、時にゆったりとポーズをとってくれるスバールバルライチョウに対して、右へ左へと忙しく動き回る、1羽だけ展示される事になった人工孵化から飼育されているライチョウの雌。

彼女の前途に、再び北アルプスの峰々を優雅に歩くライチョウ達の姿が見られる日が来る事を願って。

今回の人工孵化個体の公開は、環境省の主導日本動物園水族館協会との協定に基づき5箇所の施設で同時に実施されています。

大町山岳博物館での展示は、当面の間は毎日11時から15時までです。

もし機会があれば、お近くの施設で是非ご覧頂き、四季を通じて姿を変えていく愛らしい姿とその向こうにある彼女たちが生活する生息環境にも、少し思いを巡らせて頂ければと。

彼らが住まう南アルプスの麓より、今年の繁殖も成功を願って。

長野県立歴史館「自然を見つめた 田淵行男展」(終の棲家、信州・安曇野で見つめたもう一つの姿を)2019.1.4

長野県立歴史館「自然を見つめた 田淵行男展」(終の棲家、信州・安曇野で見つめたもう一つの姿を)2019.1.4

安曇野のナチュラリストと呼ばれた田淵行男氏は、日本における山岳写真の第一人者であり、昆虫、特に高山蝶の研究でも知られる人物です。

没後30年を迎える今年、終の棲家があった豊科(現:安曇野市)に建てられた田淵行男記念館の全面的な協力により、彼の足跡をたどる展覧会が長野県立歴史館で開催されています。美術館ではなくなぜ歴史館で開催される事になったのか、図録の冒頭に笹本館長が綴られた経緯を是非お読みいただきたいと思いますが、彼の足跡から第二の故郷ともいえる信州、安曇野の地で想い描き、写し、描き残していった作品たちに着目した展示を目指しています。

エントランスにまだ雪が残る、屋代にある長野県立歴史館。約73000点にも及ぶ氏の残した写真、絵画、資料は、小さな田淵行男記念館ではとても紹介しきれない分量ですが、より大きな展示スペースを持つ当館における展示でも、前述のとおりその全容のうち信州、安曇野に関係する僅かな作品、資料およそ80点ばかり(写真機材等を含めると100点程)が紹介されるに過ぎません。それでも2005年に東京都写真美術館で開催された生誕100年記念以来の規模となるであろう展示。まだお正月休みが残っている方も多い金曜日の午後に訪問させて頂きましたが、会場には途切れることなく来館者が訪れていました。

来館された皆様がまず注目される氏の出世作「冬の浅間 黒斑山の中腹より」からスタートする展示順路。この作品が太平洋戦争開戦一年前の昭和15年(1940年)に撮影されたと聞くと驚かれるかもしれません。

冬の浅間らしい足元に広がる筋を描く雪渓と礫のリアリティ、遠くに湧き上がる噴煙の手に届きそうなほどの立体感を同時に収め込む驚異的な描写。当時の写真機、レンズ、フィルム解像度を考えると驚嘆に値する描写力は、氏の作品に通底する写実を越えた実体感を映し込んでいく姿勢に繋がっていくようです。

来場者に強烈なインパクトを与える山岳写真で始まるエントランス。このまま氏の代表作である山岳写真が続く様に思えますが、著名な山岳写真作品の中から今回展示されるのは冒頭の僅か2枚だけ。この後は本展が歴史館で開催される意義を問う「安曇野を見つめる」をテーマにした展示が続いていきます。

一つ目には氏の代表作である蝶の写真と絵画。本展では保存コンディション維持の関係で公開される機会が極めて限られるカラーによる蝶の精密写真と主に不透明水彩を用いた氏の絵筆による10倍以上の拡大という大きなサイズの蝶の絵画がそれぞれ10点以上展示されています。高山蝶に限らず、安曇野の野を飛び交った蝶たちを精密に映し込み描いていく氏の作品たち。絵画をベースとした図鑑が一般的であった当時としても驚異的なち密さと正確さを兼ね備えた(写蝶と呼んだ作品たち、それでも氏はその絵を写実とは言わず抽象的であると述べています)蝶の絵画。デジタル全盛の現在、細密さとリアリティを競い合う標本写真と比較すると確かにディテールも発色も甘いですが、それらの突き放すほどの実体感を強く印象付けるモノクロ、そして登場初期のカラー標本写真。博物学を修め、科学的であることを何よりも重んじた氏の作品に対するリアリティには圧倒されるばかりですがそれだけではありません。透徹な眼差しを向ける中で、その姿や色合い、飛び交う姿からユニークなあだ名を付けたり、山に向かえば、その山の形に似た大きな石を気に入った物が手に入るまで探し続け、歩き続ける。手作りの写真集で用いられる切り貼りや凝ったデザインのフォント、商業作品でも装丁や構成、構図、レイアウト、添えられる文面や紙質(自らの遍歴を綴る文章にまで当時絵を描くために使っていた用紙の名称を書き記すほど)にまで徹底的に自らの主義を貫き拘る。氏のユーモアと入れ込んだテーマに対する何処までも貫かれる真摯さが伝わってくる作品たち。展示内容も氏の作品を印象付ける細密に描かれた絵画や写真が続きますが、実は展示されている中で一番気に入ったのは、パンフレットや図録の裏表紙にも採用されている、モノクロフィルムで撮影された上高地のミヤマシロチョウ。精密な標本写真と比べると明らかに緩い映りなのですが、フォーカスが落とされた羽の燐と地面との相対で生み出す光線感や蝶が生み出す陰、フォルムの捉え方が何とも言えない味わいを出しています。

二つ目には本展の中核をなす安曇野、信州の山里を収めた写真たち。主に2015年に刊行された「田淵行男が愛した安曇野-田淵行男作品集」に収められた作品のプリントが展示されていますが、現在の風景との比較や、なぜ風景が変わってしまったのかと言う理由をしっかりと提示する点は、古代から近代まで全ての時代に渡ったテーマを扱う歴史館という施設、学芸員の方々の面目躍如。氏の作品の中では顧みられる事が決して多くない路傍の石仏を捉えた作品や北アルプスをバックにレンゲ畑を収めた写真など、精細な描写と繊細な構図設計の中に、氏のかの地への愛おしさを感じさせる作品が並んでいます。雪を戴く北アルプスの姿は変わらないかもしれませんが、緩やかな時の流れが感じられる今は失われてしまった安曇野の田園風景を人と自然が織りなす人工美として美しく切り取る氏の作品たちと、その変化にしっかりと目を向けて欲しいと願う企画者の想い。展示室内で足を止める事、度々でした。

そして、本展の白眉と言うべき雪形が結んだ民俗学者、向山雅重氏との交流を扱った展示。この展示主体が歴史館であることを象徴する様なテーマ設定と展示内容ですが、私が括目したのは実は向山雅重氏が綴った、氏が記念講演で語った内容の速記メモにある写真に対する姿勢。


美しなくてはいかん

美しい物を見つけ出す、その美しさをどう表現するか(抜粋)


写実だけではない、作品を作り上げていく過程における、氏の強い矜持に打たれる言葉の数々が綴られています。

実はこのメモの続きにはもっと苛烈な言葉が綴られているのですが…是非本展で実物をご覧頂ければと。

山岳写真家、昆虫、高山蝶の研究者、ナチュラリストという一般的に捉えられる氏のイメージでは語り切れない側面を、安曇野と言う地を軸にして歴史館という別のスコープを通じて見せてくれる今回の展示。

展示全作品の写真が収められた図録。

お値段は少し高いのですが、長野県立歴史館の図録は県立博物館に相応しい美しい装丁と目を見張る高品位な写真印刷品質を有しており、保存版としても極めて価値のある一冊。特に今回の図録では氏の作品にとって命でもある細密さを限りなく引き出すことを目指したと思われる、展示されるのプリント以上に精細なモノクロ作品の印刷化を達成しており(少々やり過ぎな程)、会場で観て、気に入った作品のディテールの隅々までをご自宅で心行くまで堪能する事が出来ると思います(個人的には日本の里山の新緑を箱庭を思わせる構図の中に全て納め込んでしまったようなNo24が一番のお気に入りです。クリアーでち密な絵作りだけではない、画面全体に張りつめたまだ少し冷たい山里の凛とした空気すら感じさせる作品。何時かこのような写真が撮れるようになりたいと願いつつ)。

歴史館の正面から望む、うっすらと雪を戴く黒姫山。常に山と人の営みが眼前で交わる信州の風景。田淵行男が残したもう一つの姿を想いながら。

来週日曜日(1/6)には日曜美術館で田淵行男氏が紹介される事になっていますが、この機会に多彩な側面を持つ氏の作品を多くの方に知って頂き、見て頂けると嬉しいです。

平成30年度 長野県立歴史館冬季展

自然を見つめた 田淵行男展

2018年12月15日(土)~2019年2月17日(日)

今回の展示作品の大多数を収蔵する旧豊科町(現:安曇野市)の田淵行男記念館では、連動企画展示を実施中です。氏の山岳写真にご興味を持たれた方は是非訪れてみてください。

諏訪市博物館の特別展「日本最古!?諏訪で発見された300年前の押し葉・押し花」と講演会(科学と実学の端緒を示す貴重な発見へ)

諏訪市博物館の特別展「日本最古!?諏訪で発見された300年前の押し葉・押し花」と講演会(科学と実学の端緒を示す貴重な発見へ)

先月、国立科学博物館で公開された、諏訪市在住の方が所蔵されていた江戸時代中期の押し葉・押し花の展示。NHKの全国ニュースでも報道されていたように、現時点で国内最古の年代が確定できる押し葉・押し花と認知されているようです。

国立科学博物館との共同研究という形で発表された今回の発見。先行展示となった東京から所有者が在住する諏訪へ戻され、今回寄託を受けることになった諏訪市博物館での凱旋展示が始まりました。

駐車場に掲示された案内看板。エントランスに向かう通路の両脇にも幟が立ち並び、今回の展示に向けられた博物館の意欲が伺えます。

講演会が始まる20分ほど前に到着したのですが、何時もは閑散としている駐車場が満車になろうかという程の入り具合。連休とはいえ、ちょっと驚きながら館内へ。

展示は1週間前から始まっていたのですが、本日(9/22)は今回の収蔵と分析を指揮し展示の監修も行った、国立科学博物館の鈴木一義先生の講演会を聴講する為に訪れました。

三連休初日の土曜の午後、地元マスコミの取材も入り、ロビーには人が溢れ定員50名に対して急遽増席を行う程の盛況となった講演会。登壇者のプロフィールが館長から紹介されると、一瞬、きょとんとされている聴講者の方が多かったようです。

歴史学か自然科学の研究者が紹介されるのかと構えていると、所縁として語られるのはお隣の下諏訪町にある儀象堂(現:しもすわ今昔館おいでや)の中庭に据えられた巨大な水運儀象台の復元プロジェクト。江戸時代の学問や技術史にご興味のある方でしたら「からくり人形」復元でも知られる、近世、近代の技術史研究者の方です。

冒頭の国立科学博物館が調査協力を行うまでの経緯と今回の収蔵に当たっての史料の分析、保存処置に関する説明。虫食いも殆ど無く、実際に展示を見ても驚くほど鮮やかな墨跡が残る点は、諏訪と言う冷涼で乾燥した土地で江戸時代から蔵の中に保存されいた事が長期の保存に繋がったと紹介されています。その一方で今回発見された史料から僅かに遅れる享保9年の記録が残る京極家に伝えられた物が既にあり、今回の発見が諏訪という土地だからという地元贔屓的な視点はあまり持たない方が良さそうです(展示に添えられて掲示されていた内容と寄託者のお知り合いの方々がおしゃべりしている内容を聞いていると、30年前に蔵から出して色紙にテープで張って額装にして、ご自身の経営する会社で飾っていたとの事。保存措置から発表まで約1年を掛ける事になったのも、一部の史料の出自が不明確となったのも、その際の処置にあるような…)。

今回の発見。前述のように江戸時代の植物標本(プロジェクトチームで同定を担当した植物学担当の方によると、採集部分が標本の要件を具えていないので「西洋科学」的には標本とは見做せないため、あくまでも押し葉・押し花だと)は数多存在し、今回の発見より更に古いと見做される標本例の話も多数持ち込まれるそうですが、決定的に異なる点を指摘しています。それは

「採集年と採集場所、採集者が史料に付され、その記録の確証が取れている点」

科学にとって記録が為されているという事が如何に大事かというお話を起点に、中華圏における本草学を受容して日本で発展した本草学とその後の蘭学の受容、幕末以降の近代科学技術への驚くほどの順応性を見せた際の、日本の本草学先駆性を西洋科学との時間軸的な対比から説き起こしていきます。

曰く、リンネの分類法が発表された時代と、今回の発見はほぼ同年代であり、その後の将軍徳川吉宗による国内物産振興政策に基づく本草学の発展と蘭学の受容があったからこそ、シーボルトが来日した際に、当時の儒学をベースにした素養の上に築かれた蘭学の知識を持った学者たちには、既に彼の学識を充分に受け止める素地が出来上がっていたと指摘します。日本の科学技術が明治以降の文明開化によって西洋からもたらされたという視点に対して真っ向から異議を唱える見解。既に記録収集の作法を身に着けていた日本の本草学が蘭学を受容した先で科学への橋渡し役となった宇田川榕菴に繋がるのか。蘭学者の系譜を綴る線表の解説を聞いていると、その発端に今回の発見が繋がるのかが今後の大きな研究課題となりそうです。

そしてもう一つのお話、日本人がこれらの採集をどのような想いを以て行っていたか。色や形への命名法を比較しながら、「物の名前」で分類を行おうとする日本人と「分類する記号としての名称」を行う西洋の手法、その延長にある細密に分類していくことを基盤とする科学と、実際に作られた物、技法や手法への視点を重視する本草学の先に花開いた日本のオリジナリティとの違いを、実学という言葉を使って技術者の立場から見つめていきます。パトロンとしての王侯貴族の好奇心を満たすための科学と、領民に安寧を与える事を学者たちに求めた歴代将軍や大名の、領土的野心を放棄した先で代を継いで自らの領地をより良くしていくという意義の先に見る実学と言う視点には疑問を挟まない訳でもない(氏は徳川家の関連団体で評議員を務めているそうです)ですが、氏の研究テーマとしての日本の技術史と言う意味では(逆説的には基礎科学、原理や法則軽視という意味でも)とても良く理解できる講演内容。

展示会場は撮禁、発表直後の速報段階での今回の公開となったため、図録等の準備もまだの状況でしたが、渋江隼之丞や藩主である諏訪忠虎の動きと史料が対比できるように配慮された、国立科学博物館の協力による同定作業の結果をまとめたシートが配られています。

展示内容は、今回発見された史料(前述の状態から洗浄、復元処置を受けた後に、収蔵庫に収めやすいようにでしょうか、セットごとに書付と組み合わせでボードに留め具で嵌められて収容された押し葉・押し花)を中心に、採集者である渋江隼之丞の出自やその後に新知取立てとなった際の石高、藩内での職制を示す史料(これらが他家の史料から読み解ける点が、実に諏訪における史料保存が良い証拠)。更には、今回の講演者である鈴木一義先生の影響を多分に受けたと思える、江戸時代の本草関連書籍の展示(貝原益軒の大和本草?だったと思いますが、一組み揃いで中央に一段高く飾られていたのは如何にもといった感じで、特に印象的でした)。明治期以降の霧ヶ峰における植物採集の記録など、本草から植物学へと言うテーマを強く印象付ける展示内容になっています。

講演会の後に会場から出ていかれる方々のおしゃべりに耳を傾けていると、多く参加されていたご年配の女性の方を始め、明らかにこの講演会を目当てにされていた植物や自然環境、郷土史にご興味のある方には肩透かしだったのかな、と思わせる反応も(私はヨーロッパを含む近世技術史も大好きですので、とても楽しかったです)。

確かに植物学的な知見や歴史的背景といった点では明らかにベクトルの異なるお話でしたし、日本史や地域史としての視点で採集や発見の経緯を聞きたかった方にとっては物足りなさも感じた内容だったかもしれません。しかしながら、発見から漸く速報としての展示に漕ぎ着けたばかりの今回の特別展。現在の環境では情報のスピードを競うのは研究成果や博物館の展示も全く同じで、まずは史料の保存状態を万全にして日本最古との学術的なお墨付きを与え、その貴重な記録が江戸時代中期と言う、西洋に伍して極めて早い段階で築かれたという事実を定義づける事の周知を第一とした今回の展示。

深く長い歴史を積み重ねてきた諏訪の地。旧家が多く残り、厳しい寒さの一方で恵まれた保存環境にあるこの地で、今回に続く新たな発見はまだまだ続くはず。今回の発見成果を歴史や科学の一端として語るにはまだまだ時間が必要な事でしょう。

更なる研究の先にどんな事実が見いだされるのか。諏訪の地に戻ってきたその史料たちが更なる知見を与えてくれるように、大切に保管される環境と多くの方々に周知される機会が得られたことをまずは喜びながら。

諏訪市博物館の特別展「日本最古!?300年前の諏訪で発見された押し葉・押し花」10/14までです。

 

地域の記憶と想いを繋ぐ場所から日本のシルクロードへと繋がる記録達を(北杜市郷土資料館と企画展「北杜に汽笛が響いた日」)2018.8.19

地域の記憶と想いを繋ぐ場所から日本のシルクロードへと繋がる記録達を(北杜市郷土資料館と企画展「北杜に汽笛が響いた日」)2018.8.19

毎朝、その日に合わせた内容で所蔵する資料の紹介をSNSで発信されている、国立公文書館さん。ある日、こんな内容の投稿をされていました。

すぐ近くにある施設で開催中の企画展の紹介を添えた所蔵史料の紹介。近隣に住んでいてもこれらの企画展の開催情報は広報(観れる方は限られる)以外で全く告知される事は無く、ローカルニュースででも扱われない限り、実はこんな形でしか知る由が無いという非常に情けない状況ではあるのです。

各施設に訪れると、ロビーにそれこそ溢れ出しそうなくらいに並べてあるフライヤーと称される、各展示施設が発行している開催告知が掲載されているパンフレット。実際にこれらのパンフレットを手に出来るのは、公共施設やごく一部の観光案内所に限られるため、多くは一般の地元民や観光客の方には全く知られる事が無いままに開催されて閉幕してしまうであろうという悲しい現実を、今回も再び見せつけられることになりました。

実に8つの町村が合併してできた北杜市。旧町村が収蔵していた文化財、史料再編成のために集約された資料館の一つが、旧長坂町の清春芸術村の向かい側に建てられたこの北杜市郷土資料館。旧大泉村の谷戸城跡に建てられた考古資料館とペアで運営されています(北杜市のHPは悪夢のような非階層パラレル分岐構造をしているので直リンクで)。

綺麗で立派な建物ですが、写真の左手に少し映っている低層部はバスケットコートを有する体育館、本館のスペース約半分も市民向けの貸フロアと、やや実が備わらない嫌いもありますが、北杜市の学術課も設置される、市民教育の中核施設として位置付けられています。

エントランスを進むと、この館のメインテーマを伝える、長坂町から八ヶ岳を望む、東山魁夷の第10回帝展入選作である「山国の秋(試作)」複製画が出迎えてくれます(本番作は逸失、実物は兵庫県立兵庫高校武陽会所蔵)。

本館1階部分に押し込まれるように作られた、山国の秋に描かれた民家を完全に再現したセット。

馬屋を取り込んだ土間から座敷に直接上がる事も出来ますし、備え付けられた調度品は資料館が収蔵した当時の物。建物自体は全くのフェイクですが、座敷に囲炉裏、馬屋や竃まで(絵馬や秋葉様の札が添えられているのはとても嬉しい)細部に至る丁寧な作り込みがされており、本館のテーマの一つである、昭和初期の生活環境を伝える教育資料として、とても良い出来だと思います。

前述のように1階は主に市民向けの貸しスペースで、展示のメインは民家のセットを望みながら階段を上がった2階。

3つの展示フロアからなる展示室のうち、2部屋が常設展示。入口側の「通史の杜」と題されたスペースは旧石器時代から前述の町村合併までの地域の歴史を時代とポイントを絞って紹介しています。

考古資料館の展示内容と重複しないように配慮がされていますが、やはり重複の感も否めないのは事実。一応、金生遺跡を軸に縄文から古代までの考古学的な解説と、谷戸城を軸とした中世、近世初頭までの解説は考古資料館、地域の外縁部と近世以降はこちらという役割分担が為されているようです。

本館のメインテーマとなる、地域における生活の記録を残す点で印象的な二つの国指定重要文化財の紹介と添えられた屋根の修理道具。厳しい気候と、近世における殆どの期間、甲斐一国は天領であったため、今に至る博徒風儀の荒っぽい気風が培われた一方、天領故の税率の低さから豪農が成長する余地が大きかったことの一端を、現存の建築物から垣間見る事が出来ます。

何枚かある展示パネルの中で、非常に興味深い解説が述べられている部分。

養蚕が盛んになる前、切妻造りの家作は麦藁、入母屋造りの家作は茅掛けという、自然環境と作物が家作と密接に関わってきたことを示す解説です。また、稲藁葺きが甲府等の低湿地に限られる点も、甲州に於いて稲作を中心とした農業生産性は非常に低かったことを暗示させます。

もうひとつの展示室は「産業の杜」と題された、近現代をテーマにした展示(当日は展示スペースの一部が鉄道模型を置くために避けられていましたが)。主に農耕関係の解説が中心となりますが、実際に使われた道具をじっくりと眺める事が出来ます。標高1000mに至るまで水田の開墾を進めようとした、先人たちの稲作に対する執念の軌跡も綴られています。

現在は梨北米というブランドを打ち立てるまでに稲作が普及しましたが、やはり峡北は馬の里。平安時代まで遡る馬と人の歩みが近代に至ってどのように変化したのかを解説していきます。

とても珍しい「馬の鼻ネジリ」と称される、馬の鼻に差し込んで捻り上げると馬が大人しくなるという、獣医(当地では伯楽と呼ばれた)が使っていた道具も展示されています。

高根町の鎧堂観音で初午(この行事、構内に祠を構える地元の施設や工場などは今でも行うのです)の際に売り出された、馬屋に貼る御札。東西で向きの違う絵柄が用意されてるとの事。今でも牛の御札は頂けるそうです。

そして、この資料館が本邦唯一であろう展示内容がこちらの「国産ホップ・かいこがね」開発の歴史と峡北におけるホップ生産から一旦の終焉までの歴史を辿る展示。

キリンビールからの委託生産により、昭和20年代の末まで、全国屈指の生産高を誇ったホップ。その中から生み出された突然変異種を系統選抜した「かいこがね」は東北地方に生産拠点を移しながら、現在でも国産ホップとして作り続けられている事が紹介されています。なお、展示ボードでは平成6年(1994年)に県内でのホップ生産が終了したと書かれていますが、図録にあるように、その後2011年に地ビール向けとしての生産を再開、自ら醸造まで手掛ける事を目指した就農者も誕生したことは、今年の春に全国放映された番組でも紹介されている通りです。

二つの常設展示室に挟まれた形になる企画展示室。

今回のメインである企画展「北杜に汽笛が響いた日」の会場です。

ゆったりとしたスペースに展示された史料。期間中入れ替えながら1点ずつ貸与展示される国立公文書館収蔵の貴重な史料を含めて目録では全164点の展示とありますが、うち約60点は直接の関連性が薄い鉄道模型や鉄道趣味者のコレクション(廊下側に展示)で、実際の史料としては100点弱の展示。ここで本館と本企画展の立ち位置を明瞭に示すのが、大多数の展示史料の所蔵が地元の個人に委ねられているという点です。

地方ではまだまだ多く残る、近代に至り名士と呼ばれた地元の有力者、名望家の子孫の方々が継承されてきた古文書、史料を地域の歴史を伝える一環として広く公開することも命題とする、本資料館の存在意義を存分に示す企画展示であると思えました。

今回の展示のテーマとなる、日野春から小淵沢までの鉄道ルートと周囲の交通路の3Dマップ(地理院地図+陰影図+赤色立体地図の合成で作成)展示のメインは、今年開業100周年を迎えた、本館の所在する長坂駅が何故、中央線開通時に設置された日野春、小淵沢両駅に遅れて開設されたのかを、中央線敷設の背景から説き起こしていく事。地元の請願書面や、開業前の測量図。新たに開拓された長坂駅近辺への入植に関する書面や開業に関する祝辞、祝電。地元有力者が残した書面などが豊富に展示されています。

中央線のルート選定自体に、当時の輸出産業の原動力であった蚕糸の一大拠点である諏訪と横浜への積み出しにおける集積地であった八王子を結ぶことを強く求められていた点はよく知られている事かと思います。

日本のシルクロードと言うべき、横浜から内陸の製糸工場へと向かう鉄道網。その中でも最大の物量を誇った諏訪の製糸を支える養蚕、繭の集積は全国から行われましたが、至近であった伊那谷や峡北からも鉄道を通じて集積を行っていた事が知られています。

旺盛な繭の需要に応えるために沿線農家の開発にも意を注いだ諏訪の製糸業者たち。釜無川沿いを通る旧来の甲州街道から、花水坂を通って七里岩台地の上を走る信州往還、その後の中央線への荷受け地として成立した日野春。江戸時代から続く番所が林立する国境の集落、信州往還の継宿として成立していた小淵沢からの集荷だけに飽き足らず、その中間に位置する長坂への信号場開設に便乗しての駅設置に資金面(地元清春村に次ぐ出資率)でも多くの援助を与えた事が史料からも把握されてきます。

展示室の中央に飾られた、Nゲージのジオラマとして組まれた長坂駅と、駅開設と共に拓かれた長坂の街並み(奥側が小淵沢方向、傾斜を下る手前側が日野春方向)。

現在はスイッチバックが解消されて、ジオラマの手前に走る本線上にホームが設けられていますが、現在でも保線基地として残存している引き上げ線の跡と現在は商店街に転じた、鉄路から離れて台地の縁に切り拓かれた街並みが明瞭に判ります。

 

同じ場所を地理院地図を利用した3D地図で。

勾配を嫌う鉄路は今でも人家の少ない丘陵の低い場所を縫うように伸び、駅が開かれた後に成立した集落は鉄路より高い尾根筋、旧来の集落や田畑は更に鉄路から離れた尾根の外側に広がっている事が判るかと思います。

主な出資者であった清春村(本館の所在地、手前下側の博物館マークが本館の向かいにある清春白樺美術館)の集落は大深沢川の深い谷筋の西側に広がっており、駅からはかなり遠くに位置していました。

鉄路から離れた村々と諏訪地方の製糸業者からの出資、請願によって開設された長坂駅。大正7年と言うやや遅れたその成立において、旧来の集落に鉄路を引き込む訳ではなく、むしろ現在でも住居がまばらな中央線沿線の開拓、その拠点としての人工的に拓かれた開拓地、人工集落としての長坂の姿が映し出されていきます。

今でも市の中核が何処にあるのか判らないと評される峡北、北杜市ですが、その遠因が長坂駅の開設の経緯からも見て取れるようです。市の中心に位置し、高速のインターと各県道、広域農道が交差する峡北の交通の要衝である長坂ですが、市政の中心は七里岩の東端、塩川沿いの須玉にあり、観光の拠点は小海線の起点で特急も多く停車し、高速のインターを併せ持つ北端の小淵沢。域内でも唯一、商店街と称せる規模の街路を持つ、纏まった居住地域が存在する長坂の成立が、旧来の村落の成立とは乖離した、駅の開設と不可分の存在であったことを改めて教えてくれます。

更に、長坂駅が養蚕の為に作られた事を雄弁に示す、駅と共に開設された、小淵沢と長坂の繭取引所の存在。取引所に集まる人々の便を満たすために商店が集積され、繭だけではなく、農村の女性たちを職工として諏訪方面に送り出す為にも大いに活用された事を示す、自宅に届けられた製糸工場が仕立てた臨時列車への乗車を指示する案内等も展示されています。

周囲を歩いても、養蚕の名残など全く分からなくなっていますが、歴史を辿ると、峡北の発展もまた養蚕と深く結びついていた事を知る事となった今回の企画展。

発掘史料に特化した考古資料館に対して、むしろ産業館としての側面で地域の産業や歴史に寄り添い、掘り起こしていく位置付けを明瞭に見せてくれた考古資料館と今回の企画展。

外部の者にとっても非常に興味深い展示内容。しかしながら、タイアップイベントなどが日曜日を中心に組まれているとはいえ、お盆休み中の土曜日の午後にも拘らず、約2時間程の見学中に入館された方は、私のほかに地元の老人の方1名のみという、大変残念な状況。広報活動についてはHP編成の悲惨さを含めて改めて懸念を抱きますし、添えられる展示解説の文章表現には首を捻る点も散見されますが、地元に徹した、地元の記憶を伝え繋げていく施設から更に発信できる拠点として活用されていく事を願わずにはいられません。

蔵と鏝絵への想いを伝える、高原の小さな宝箱(原村郷土館「まてのくら」)

蔵と鏝絵への想いを伝える、高原の小さな宝箱(原村郷土館「まてのくら」)

標高が1000mを越える場所も多いここ、八ヶ岳山麓でも気温が30℃を越えた連休初日。

外に出掛けたくなくなるような暑さですが、今日はちょっとお出かけです。

連休を利用したクラフト市の開催で、周囲の細い道にまで路駐の車が溢れ出している八ヶ岳自然文化園横をすり抜けて、散々迷いながら別荘地帯をウロウロしていると、目の前に美しく整備された海鼠壁の土蔵が見えてきました。

土蔵の前に積み上げられた藁。この地域独特の、少し地面から持ち上げられた積み方が蒲の穂みたいでちょっと可愛らしいです。

正面に廻り込みます。

トタンぶきの古民家と土蔵が並ぶ、原村郷土館です。

昨年から改修が行われていたこちらの土蔵、今日から新たに郷土館の展示施設「まてのくら」としてリニューアルオープンになりました。

午前中に行われていたお披露目式の余韻が残る、花が飾られた土蔵の入口。郷土館の母屋になる古民家の縁側では、式典とイベントが終わって、ちょっとまったり気分で寛ぐ地元の奥様方が話に花を咲かせています。

今回新たに設けられた解説板。元々は村役場の書庫であった事が記されています。改装前の姿はパンフレットに掲載されていますが、元は役場の建物らしく、腰回りが黒羽目の地味な土蔵。これまで収蔵庫として使われてきましたが、今回、建物外観を含めて、村がテーマとして掲げた「鏝絵」を紹介する施設として生まれ変わりました。

そのような経緯なので、解説板自体も土蔵の壁の下地構築方法である「木舞」の技法を用いて作られています。ちょっとしたアイデアが嬉しいですね。

蔵の入口です。

頭を垂れる稲穂の鏝絵に、構えの上には米俵の鏝絵が乗せられた可愛らしい意匠。

入口の左右はタイル張りとなって、元の意匠とは大分変わっていますが、原村で土蔵が増えてきたのは実は養蚕の繁栄により富が蓄えられてきた明治以降。現在でも細々とですが新築もあるという土蔵の、移り変わっていく意匠を取り入れたと理解してよいかと思います。

北側の壁です。水切りには沢山の実を付ける葡萄が鏝絵で描かれています。この意匠には葡萄が名産であった甲州、信州の面影が見て取れます。

丑鼻の鏝絵は可愛らしい宝尽くし。顔が向こうを向いてしまっていますが、巾着には可愛らしい鼠が添えられています。

蔵の裏側です。美しい海鼠壁と、鏝絵で描かれた、豊穣と子宝を願う竹と雀の可愛らしい意匠。

蔵の南側です。

こちらも縁起の良い布袋様と大黒様が舞い踊る丑鼻の鏝絵。ご覧頂ければ判りますように、伝統的な手法とモチーフを用いながらも、スタイルを墨守するのではなく現代的にアレンジして装飾されている点が大きな特徴。廃れてしまった過去の文化財の修復ではなく、今を生きる技法としての伝承を願っている事が判る、今回の外観改修です。

内部に関しては、撮影禁止札もなく、展示品も撮影しようかとも思ったのですが、今回は入口から覗いた部分だけ(地元ボランティアの方が母屋の方にいらっしゃるのですが、学芸員の方は常設開館となる、山の上にある八ヶ岳美術館の方にいらっしゃるようです)。

1階は、土蔵の作り方から始まって、鏝絵の紹介や技法、地元の職人さんを顕彰する記録が展示される、ミニ博物館になっています。2階は地元の家庭から提供された古い生活道具の収蔵庫。キャプションシートは付けられていますが、ちょっと雑多に集められた感もある、村の人々にとっての宝物たち。

外は夏の眩しい陽射しですが、壁に掛けられた振り子時計が緩やかに時を告げる標高1200mの蔵の中は、ひんやりとしてノスタルジックな空気に包まれています。

折角なので、他の施設もちょっと覗かせて頂きます。

こちらが母屋。移築した古民家をそのまま展示場所とした郷土館の本館です。

移築直前の姿である昭和30年代の生活空間をそのまま残す、懐かしい土間の風景。高い天井と開け放たれた開放的な空間は、外の暑さを忘れるほどの涼やかな風が吹き抜けていきます。

土間から一段掘り下げられた馬屋。

当時の農耕器具がずらりと並べられています。民俗学にご興味のある方には堪らない展示だと思いますが…私のつたない知見では全く歯が立たずです(情けない)。

座敷の方にも上がれるようなのですが、機織りの体験が出来る施設となっており、ボランティアの方が地元の皆様と談笑されていらっしゃったので、撮影は此処まで(欄間、ちょっと見てみたかったかも)。

母屋の外には藁打ち小屋。

物語などでは農閑期の夜更けに土間で人が藁を打っている様子が描かれますが、昭和30年代をテーマにしたこの場所ではちょっと異なります。既に藁打ちも人力ではなく水力やモーターなどで動力化されており、母屋とは別棟に藁打ち機が設けられていた例がある事を教えられます。

母屋に隣接して設けられた展示室。中央に置かれた機織用具を取り囲むように、養蚕道具がずらりと並べられています。いずれも明治から戦後期にかけて実際に使われていた物。当時の養蚕による繁栄が、豪勢な蔵の建築と鏝絵が広がるきっかけとなっていました。今や産業としての意義は失われ、技能伝承や種の保存のために僅かに維持されているに過ぎない当地の養蚕。涼しい高原の風が吹く薄暗い部屋の中に、往年の繁栄を伝える貴重な資料が眠る場所です。

桜の木に囲まれた、原村郷土館「まてのくら」。

少し賑やかになる夏の高原リゾートの中で、7月から9月の僅かな日数しか公開されていない穴場中の穴場ですが、ひっそりと、着実な「まて」として、その姿を未来へと伝えていく事を願って。

解説パンフレットです。今回、新しく右側のパンフレットが作成されたようですが、郷土館開設までの様子も収められた左側のパンフレットの内容も味わい深いです。

【原村郷土館と併設の「まてのくら」】

開館期間 : 7月から8月の月曜日以外の毎日(海の日は開館、翌日の火曜日が休館)、9月の土曜日曜祝日(開館日は毎年若干の変更があるようです)

開館時間 : 9:00から17:00(入館は16:30まで)

入館料 : 母屋共々無料(母屋の方で開催される機織り体験等も無料ですが、織り上げた布をお持ち帰りの際には実費が必要となります)

敷地内や建物外観は通年で見学可能です。

満開の枝垂桜に囲まれる原村「まてのくら」(2019.5.5)開館期間外ですが、敷地内には自由に立ち入る事が出来ます。

原村郷土館の場所のご案内(別荘地の奥まった場所にあり、案内看板はありますが、小さくて判りにくいです)。

麓側の八ヶ岳エコーラインからは、「上里」の交差点を上がって、「もみの湯」を過ぎた次の交差点を左に入って200m程。

山側の鉢巻道路からは、八ヶ岳美術館(郷土館の本館扱い、阿久遺跡で出土した縄文土器や発掘史料などはこちらで展示されています)前の交差点を下って、「もみの湯」より一本上の交差点を右に入って200m程。八ヶ岳自然文化園や八ヶ岳農業実践大学校方面からも同様に、自然文化園下の道を抜けてから、同じ道を下ります。

駐車スペースが限られていますので、改装中の樅の木荘の駐車場に車を置いて、徒歩で山側に道を50m登って「交差点の反対側」に案内看板が見えた場所を左に曲がり、200m程歩いても到着出来ます。(駐車場にある案内看板は、立ち位置と地図の方向が正反対に書かれている酷い代物だったりします)。