諏訪市博物館の特別展「日本最古!?諏訪で発見された300年前の押し葉・押し花」と講演会(科学と実学の端緒を示す貴重な発見へ)

諏訪市博物館の特別展「日本最古!?諏訪で発見された300年前の押し葉・押し花」と講演会(科学と実学の端緒を示す貴重な発見へ)

先月、国立科学博物館で公開された、諏訪市在住の方が所蔵されていた江戸時代中期の押し葉・押し花の展示。NHKの全国ニュースでも報道されていたように、現時点で国内最古の年代が確定できる押し葉・押し花と認知されているようです。

国立科学博物館との共同研究という形で発表された今回の発見。先行展示となった東京から所有者が在住する諏訪へ戻され、今回寄託を受けることになった諏訪市博物館での凱旋展示が始まりました。

駐車場に掲示された案内看板。エントランスに向かう通路の両脇にも幟が立ち並び、今回の展示に向けられた博物館の意欲が伺えます。

講演会が始まる20分ほど前に到着したのですが、何時もは閑散としている駐車場が満車になろうかという程の入り具合。連休とはいえ、ちょっと驚きながら館内へ。

展示は1週間前から始まっていたのですが、本日(9/22)は今回の収蔵と分析を指揮し展示の監修も行った、国立科学博物館の鈴木一義先生の講演会を聴講する為に訪れました。

三連休初日の土曜の午後、地元マスコミの取材も入り、ロビーには人が溢れ定員50名に対して急遽増席を行う程の盛況となった講演会。登壇者のプロフィールが館長から紹介されると、一瞬、きょとんとされている聴講者の方が多かったようです。

歴史学か自然科学の研究者が紹介されるのかと構えていると、所縁として語られるのはお隣の下諏訪町にある儀象堂(現:しもすわ今昔館おいでや)の中庭に据えられた巨大な水運儀象台の復元プロジェクト。江戸時代の学問や技術史にご興味のある方でしたら「からくり人形」復元でも知られる、近世、近代の技術史研究者の方です。

冒頭の国立科学博物館が調査協力を行うまでの経緯と今回の収蔵に当たっての史料の分析、保存処置に関する説明。虫食いも殆ど無く、実際に展示を見ても驚くほど鮮やかな墨跡が残る点は、諏訪と言う冷涼で乾燥した土地で江戸時代から蔵の中に保存されいた事が長期の保存に繋がったと紹介されています。その一方で今回発見された史料から僅かに遅れる享保9年の記録が残る京極家に伝えられた物が既にあり、今回の発見が諏訪という土地だからという地元贔屓的な視点はあまり持たない方が良さそうです(展示に添えられて掲示されていた内容と寄託者のお知り合いの方々がおしゃべりしている内容を聞いていると、30年前に蔵から出して色紙にテープで張って額装にして、ご自身の経営する会社で飾っていたとの事。保存措置から発表まで約1年を掛ける事になったのも、一部の史料の出自が不明確となったのも、その際の処置にあるような…)。

今回の発見。前述のように江戸時代の植物標本(プロジェクトチームで同定を担当した植物学担当の方によると、採集部分が標本の要件を具えていないので「西洋科学」的には標本とは見做せないため、あくまでも押し葉・押し花だと)は数多存在し、今回の発見より更に古いと見做される標本例の話も多数持ち込まれるそうですが、決定的に異なる点を指摘しています。それは

「採集年と採集場所、採集者が史料に付され、その記録の確証が取れている点」

科学にとって記録が為されているという事が如何に大事かというお話を起点に、中華圏における本草学を受容して日本で発展した本草学とその後の蘭学の受容、幕末以降の近代科学技術への驚くほどの順応性を見せた際の、日本の本草学先駆性を西洋科学との時間軸的な対比から説き起こしていきます。

曰く、リンネの分類法が発表された時代と、今回の発見はほぼ同年代であり、その後の将軍徳川吉宗による国内物産振興政策に基づく本草学の発展と蘭学の受容があったからこそ、シーボルトが来日した際に、当時の儒学をベースにした素養の上に築かれた蘭学の知識を持った学者たちには、既に彼の学識を充分に受け止める素地が出来上がっていたと指摘します。日本の科学技術が明治以降の文明開化によって西洋からもたらされたという視点に対して真っ向から異議を唱える見解。既に記録収集の作法を身に着けていた日本の本草学が蘭学を受容した先で科学への橋渡し役となった宇田川榕菴に繋がるのか。蘭学者の系譜を綴る線表の解説を聞いていると、その発端に今回の発見が繋がるのかが今後の大きな研究課題となりそうです。

そしてもう一つのお話、日本人がこれらの採集をどのような想いを以て行っていたか。色や形への命名法を比較しながら、「物の名前」で分類を行おうとする日本人と「分類する記号としての名称」を行う西洋の手法、その延長にある細密に分類していくことを基盤とする科学と、実際に作られた物、技法や手法への視点を重視する本草学の先に花開いた日本のオリジナリティとの違いを、実学という言葉を使って技術者の立場から見つめていきます。パトロンとしての王侯貴族の好奇心を満たすための科学と、領民に安寧を与える事を学者たちに求めた歴代将軍や大名の、領土的野心を放棄した先で代を継いで自らの領地をより良くしていくという意義の先に見る実学と言う視点には疑問を挟まない訳でもない(氏は徳川家の関連団体で評議員を務めているそうです)ですが、氏の研究テーマとしての日本の技術史と言う意味では(逆説的には基礎科学、原理や法則軽視という意味でも)とても良く理解できる講演内容。

展示会場は撮禁、発表直後の速報段階での今回の公開となったため、図録等の準備もまだの状況でしたが、渋江隼之丞や藩主である諏訪忠虎の動きと史料が対比できるように配慮された、国立科学博物館の協力による同定作業の結果をまとめたシートが配られています。

展示内容は、今回発見された史料(前述の状態から洗浄、復元処置を受けた後に、収蔵庫に収めやすいようにでしょうか、セットごとに書付と組み合わせでボードに留め具で嵌められて収容された押し葉・押し花)を中心に、採集者である渋江隼之丞の出自やその後に新知取立てとなった際の石高、藩内での職制を示す史料(これらが他家の史料から読み解ける点が、実に諏訪における史料保存が良い証拠)。更には、今回の講演者である鈴木一義先生の影響を多分に受けたと思える、江戸時代の本草関連書籍の展示(貝原益軒の大和本草?だったと思いますが、一組み揃いで中央に一段高く飾られていたのは如何にもといった感じで、特に印象的でした)。明治期以降の霧ヶ峰における植物採集の記録など、本草から植物学へと言うテーマを強く印象付ける展示内容になっています。

講演会の後に会場から出ていかれる方々のおしゃべりに耳を傾けていると、多く参加されていたご年配の女性の方を始め、明らかにこの講演会を目当てにされていた植物や自然環境、郷土史にご興味のある方には肩透かしだったのかな、と思わせる反応も(私はヨーロッパを含む近世技術史も大好きですので、とても楽しかったです)。

確かに植物学的な知見や歴史的背景といった点では明らかにベクトルの異なるお話でしたし、日本史や地域史としての視点で採集や発見の経緯を聞きたかった方にとっては物足りなさも感じた内容だったかもしれません。しかしながら、発見から漸く速報としての展示に漕ぎ着けたばかりの今回の特別展。現在の環境では情報のスピードを競うのは研究成果や博物館の展示も全く同じで、まずは史料の保存状態を万全にして日本最古との学術的なお墨付きを与え、その貴重な記録が江戸時代中期と言う、西洋に伍して極めて早い段階で築かれたという事実を定義づける事の周知を第一とした今回の展示。

深く長い歴史を積み重ねてきた諏訪の地。旧家が多く残り、厳しい寒さの一方で恵まれた保存環境にあるこの地で、今回に続く新たな発見はまだまだ続くはず。今回の発見成果を歴史や科学の一端として語るにはまだまだ時間が必要な事でしょう。

更なる研究の先にどんな事実が見いだされるのか。諏訪の地に戻ってきたその史料たちが更なる知見を与えてくれるように、大切に保管される環境と多くの方々に周知される機会が得られたことをまずは喜びながら。

諏訪市博物館の特別展「日本最古!?300年前の諏訪で発見された押し葉・押し花」10/14までです。

 

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地域の記憶と想いを繋ぐ場所から日本のシルクロードへと繋がる記録達を(北杜市郷土資料館と企画展「北杜に汽笛が響いた日」)2018.8.19

地域の記憶と想いを繋ぐ場所から日本のシルクロードへと繋がる記録達を(北杜市郷土資料館と企画展「北杜に汽笛が響いた日」)2018.8.19

毎朝、その日に合わせた内容で所蔵する資料の紹介をSNSで発信されている、国立公文書館さん。ある日、こんな内容の投稿をされていました。

すぐ近くにある施設で開催中の企画展の紹介を添えた所蔵史料の紹介。近隣に住んでいてもこれらの企画展の開催情報は広報(観れる方は限られる)以外で全く告知される事は無く、ローカルニュースででも扱われない限り、実はこんな形でしか知る由が無いという非常に情けない状況ではあるのです。

各施設に訪れると、ロビーにそれこそ溢れ出しそうなくらいに並べてあるフライヤーと称される、各展示施設が発行している開催告知が掲載されているパンフレット。実際にこれらのパンフレットを手に出来るのは、公共施設やごく一部の観光案内所に限られるため、多くは一般の地元民や観光客の方には全く知られる事が無いままに開催されて閉幕してしまうであろうという悲しい現実を、今回も再び見せつけられることになりました。

実に8つの町村が合併してできた北杜市。旧町村が収蔵していた文化財、史料再編成のために集約された資料館の一つが、旧長坂町の清春芸術村の向かい側に建てられたこの北杜市郷土資料館。旧大泉村の谷戸城跡に建てられた考古資料館とペアで運営されています(北杜市のHPは悪夢のような非階層パラレル分岐構造をしているので直リンクで)。

綺麗で立派な建物ですが、写真の左手に少し映っている低層部はバスケットコートを有する体育館、本館のスペース約半分も市民向けの貸フロアと、やや実が備わらない嫌いもありますが、北杜市の学術課も設置される、市民教育の中核施設として位置付けられています。

エントランスを進むと、この館のメインテーマを伝える、長坂町から八ヶ岳を望む、東山魁夷の第10回帝展入選作である「山国の秋(試作)」複製画が出迎えてくれます(本番作は逸失、実物は兵庫県立兵庫高校武陽会所蔵)。

本館1階部分に押し込まれるように作られた、山国の秋に描かれた民家を完全に再現したセット。

馬屋を取り込んだ土間から座敷に直接上がる事も出来ますし、備え付けられた調度品は資料館が収蔵した当時の物。建物自体は全くのフェイクですが、座敷に囲炉裏、馬屋や竃まで(絵馬や秋葉様の札が添えられているのはとても嬉しい)細部に至る丁寧な作り込みがされており、本館のテーマの一つである、昭和初期の生活環境を伝える教育資料として、とても良い出来だと思います。

前述のように1階は主に市民向けの貸しスペースで、展示のメインは民家のセットを望みながら階段を上がった2階。

3つの展示フロアからなる展示室のうち、2部屋が常設展示。入口側の「通史の杜」と題されたスペースは旧石器時代から前述の町村合併までの地域の歴史を時代とポイントを絞って紹介しています。

考古資料館の展示内容と重複しないように配慮がされていますが、やはり重複の感も否めないのは事実。一応、金生遺跡を軸に縄文から古代までの考古学的な解説と、谷戸城を軸とした中世、近世初頭までの解説は考古資料館、地域の外縁部と近世以降はこちらという役割分担が為されているようです。

本館のメインテーマとなる、地域における生活の記録を残す点で印象的な二つの国指定重要文化財の紹介と添えられた屋根の修理道具。厳しい気候と、近世における殆どの期間、甲斐一国は天領であったため、今に至る博徒風儀の荒っぽい気風が培われた一方、天領故の税率の低さから豪農が成長する余地が大きかったことの一端を、現存の建築物から垣間見る事が出来ます。

何枚かある展示パネルの中で、非常に興味深い解説が述べられている部分。

養蚕が盛んになる前、切妻造りの家作は麦藁、入母屋造りの家作は茅掛けという、自然環境と作物が家作と密接に関わってきたことを示す解説です。また、稲藁葺きが甲府等の低湿地に限られる点も、甲州に於いて稲作を中心とした農業生産性は非常に低かったことを暗示させます。

もうひとつの展示室は「産業の杜」と題された、近現代をテーマにした展示(当日は展示スペースの一部が鉄道模型を置くために避けられていましたが)。主に農耕関係の解説が中心となりますが、実際に使われた道具をじっくりと眺める事が出来ます。標高1000mに至るまで水田の開墾を進めようとした、先人たちの稲作に対する執念の軌跡も綴られています。

現在は梨北米というブランドを打ち立てるまでに稲作が普及しましたが、やはり峡北は馬の里。平安時代まで遡る馬と人の歩みが近代に至ってどのように変化したのかを解説していきます。

とても珍しい「馬の鼻ネジリ」と称される、馬の鼻に差し込んで捻り上げると馬が大人しくなるという、獣医(当地では伯楽と呼ばれた)が使っていた道具も展示されています。

高根町の鎧堂観音で初午(この行事、構内に祠を構える地元の施設や工場などは今でも行うのです)の際に売り出された、馬屋に貼る御札。東西で向きの違う絵柄が用意されてるとの事。今でも牛の御札は頂けるそうです。

そして、この資料館が本邦唯一であろう展示内容がこちらの「国産ホップ・かいこがね」開発の歴史と峡北におけるホップ生産から一旦の終焉までの歴史を辿る展示。

キリンビールからの委託生産により、昭和20年代の末まで、全国屈指の生産高を誇ったホップ。その中から生み出された突然変異種を系統選抜した「かいこがね」は東北地方に生産拠点を移しながら、現在でも国産ホップとして作り続けられている事が紹介されています。なお、展示ボードでは平成6年(1994年)に県内でのホップ生産が終了したと書かれていますが、図録にあるように、その後2011年に地ビール向けとしての生産を再開、自ら醸造まで手掛ける事を目指した就農者も誕生したことは、今年の春に全国放映された番組でも紹介されている通りです。

二つの常設展示室に挟まれた形になる企画展示室。

今回のメインである企画展「北杜に汽笛が響いた日」の会場です。

ゆったりとしたスペースに展示された史料。期間中入れ替えながら1点ずつ貸与展示される国立公文書館収蔵の貴重な史料を含めて目録では全164点の展示とありますが、うち約60点は直接の関連性が薄い鉄道模型や鉄道趣味者のコレクション(廊下側に展示)で、実際の史料としては100点弱の展示。ここで本館と本企画展の立ち位置を明瞭に示すのが、大多数の展示史料の所蔵が地元の個人に委ねられているという点です。

地方ではまだまだ多く残る、近代に至り名士と呼ばれた地元の有力者、名望家の子孫の方々が継承されてきた古文書、史料を地域の歴史を伝える一環として広く公開することも命題とする、本資料館の存在意義を存分に示す企画展示であると思えました。

今回の展示のテーマとなる、日野春から小淵沢までの鉄道ルートと周囲の交通路の3Dマップ(地理院地図+陰影図+赤色立体地図の合成で作成)展示のメインは、今年開業100周年を迎えた、本館の所在する長坂駅が何故、中央線開通時に設置された日野春、小淵沢両駅に遅れて開設されたのかを、中央線敷設の背景から説き起こしていく事。地元の請願書面や、開業前の測量図。新たに開拓された長坂駅近辺への入植に関する書面や開業に関する祝辞、祝電。地元有力者が残した書面などが豊富に展示されています。

中央線のルート選定自体に、当時の輸出産業の原動力であった蚕糸の一大拠点である諏訪と横浜への積み出しにおける集積地であった八王子を結ぶことを強く求められていた点はよく知られている事かと思います。

日本のシルクロードと言うべき、横浜から内陸の製糸工場へと向かう鉄道網。その中でも最大の物量を誇った諏訪の製糸を支える養蚕、繭の集積は全国から行われましたが、至近であった伊那谷や峡北からも鉄道を通じて集積を行っていた事が知られています。

旺盛な繭の需要に応えるために沿線農家の開発にも意を注いだ諏訪の製糸業者たち。釜無川沿いを通る旧来の甲州街道から、花水坂を通って七里岩台地の上を走る信州往還、その後の中央線への荷受け地として成立した日野春。江戸時代から続く番所が林立する国境の集落、信州往還の継宿として成立していた小淵沢からの集荷だけに飽き足らず、その中間に位置する長坂への信号場開設に便乗しての駅設置に資金面(地元清春村に次ぐ出資率)でも多くの援助を与えた事が史料からも把握されてきます。

展示室の中央に飾られた、Nゲージのジオラマとして組まれた長坂駅と、駅開設と共に拓かれた長坂の街並み(奥側が小淵沢方向、傾斜を下る手前側が日野春方向)。

現在はスイッチバックが解消されて、ジオラマの手前に走る本線上にホームが設けられていますが、現在でも保線基地として残存している引き上げ線の跡と現在は商店街に転じた、鉄路から離れて台地の縁に切り拓かれた街並みが明瞭に判ります。

 

同じ場所を地理院地図を利用した3D地図で。

勾配を嫌う鉄路は今でも人家の少ない丘陵の低い場所を縫うように伸び、駅が開かれた後に成立した集落は鉄路より高い尾根筋、旧来の集落や田畑は更に鉄路から離れた尾根の外側に広がっている事が判るかと思います。

主な出資者であった清春村(本館の所在地、手前下側の博物館マークが本館の向かいにある清春白樺美術館)の集落は大深沢川の深い谷筋の西側に広がっており、駅からはかなり遠くに位置していました。

鉄路から離れた村々と諏訪地方の製糸業者からの出資、請願によって開設された長坂駅。大正7年と言うやや遅れたその成立において、旧来の集落に鉄路を引き込む訳ではなく、むしろ現在でも住居がまばらな中央線沿線の開拓、その拠点としての人工的に拓かれた開拓地、人工集落としての長坂の姿が映し出されていきます。

今でも市の中核が何処にあるのか判らないと評される峡北、北杜市ですが、その遠因が長坂駅の開設の経緯からも見て取れるようです。市の中心に位置し、高速のインターと各県道、広域農道が交差する峡北の交通の要衝である長坂ですが、市政の中心は七里岩の東端、塩川沿いの須玉にあり、観光の拠点は小海線の起点で特急も多く停車し、高速のインターを併せ持つ北端の小淵沢。域内でも唯一、商店街と称せる規模の街路を持つ、纏まった居住地域が存在する長坂の成立が、旧来の村落の成立とは乖離した、駅の開設と不可分の存在であったことを改めて教えてくれます。

更に、長坂駅が養蚕の為に作られた事を雄弁に示す、駅と共に開設された、小淵沢と長坂の繭取引所の存在。取引所に集まる人々の便を満たすために商店が集積され、繭だけではなく、農村の女性たちを職工として諏訪方面に送り出す為にも大いに活用された事を示す、自宅に届けられた製糸工場が仕立てた臨時列車への乗車を指示する案内等も展示されています。

周囲を歩いても、養蚕の名残など全く分からなくなっていますが、歴史を辿ると、峡北の発展もまた養蚕と深く結びついていた事を知る事となった今回の企画展。

発掘史料に特化した考古資料館に対して、むしろ産業館としての側面で地域の産業や歴史に寄り添い、掘り起こしていく位置付けを明瞭に見せてくれた考古資料館と今回の企画展。

外部の者にとっても非常に興味深い展示内容。しかしながら、タイアップイベントなどが日曜日を中心に組まれているとはいえ、お盆休み中の土曜日の午後にも拘らず、約2時間程の見学中に入館された方は、私のほかに地元の老人の方1名のみという、大変残念な状況。広報活動についてはHP編成の悲惨さを含めて改めて懸念を抱きますし、添えられる展示解説の文章表現には首を捻る点も散見されますが、地元に徹した、地元の記憶を伝え繋げていく施設から更に発信できる拠点として活用されていく事を願わずにはいられません。

蔵と鏝絵への想いを伝える、高原の小さな宝箱(原村郷土館「まてのくら」)

蔵と鏝絵への想いを伝える、高原の小さな宝箱(原村郷土館「まてのくら」)

標高が1000mを越える場所も多いここ、八ヶ岳山麓でも気温が30℃を越えた連休初日。

外に出掛けたくなくなるような暑さですが、今日はちょっとお出かけです。

連休を利用したクラフト市の開催で、周囲の細い道にまで路駐の車が溢れ出している八ヶ岳自然文化園横をすり抜けて、散々迷いながら別荘地帯をウロウロしていると、目の前に美しく整備された海鼠壁の土蔵が見えてきました。

土蔵の前に積み上げられた藁。この地域独特の、少し地面から持ち上げられた積み方が蒲の穂みたいでちょっと可愛らしいです。

正面に廻り込みます。

トタンぶきの古民家と土蔵が並ぶ、原村郷土館です。

昨年から改修が行われていたこちらの土蔵、今日から新たに郷土館の展示施設「まてのくら」としてリニューアルオープンになりました。

午前中に行われていたお披露目式の余韻が残る、花が飾られた土蔵の入口。郷土館の母屋になる古民家の縁側では、式典とイベントが終わって、ちょっとまったり気分で寛ぐ地元の奥様方が話に花を咲かせています。

今回新たに設けられた解説板。元々は村役場の書庫であった事が記されています。改装前の姿はパンフレットに掲載されていますが、元は役場の建物らしく、腰回りが黒羽目の地味な土蔵。これまで収蔵庫として使われてきましたが、今回、建物外観を含めて、村がテーマとして掲げた「鏝絵」を紹介する施設として生まれ変わりました。

そのような経緯なので、解説板自体も土蔵の壁の下地構築方法である「木舞」の技法を用いて作られています。ちょっとしたアイデアが嬉しいですね。

蔵の入口です。

頭を垂れる稲穂の鏝絵に、構えの上には米俵の鏝絵が乗せられた可愛らしい意匠。

入口の左右はタイル張りとなって、元の意匠とは大分変わっていますが、原村で土蔵が増えてきたのは実は養蚕の繁栄により富が蓄えられてきた明治以降。現在でも細々とですが新築もあるという土蔵の、移り変わっていく意匠を取り入れたと理解してよいかと思います。

北側の壁です。水切りには沢山の実を付ける葡萄が鏝絵で描かれています。この意匠には葡萄が名産であった甲州、信州の面影が見て取れます。

丑鼻の鏝絵は可愛らしい宝尽くし。顔が向こうを向いてしまっていますが、巾着には可愛らしい鼠が添えられています。

蔵の裏側です。美しい海鼠壁と、鏝絵で描かれた、豊穣と子宝を願う竹と雀の可愛らしい意匠。

蔵の南側です。

こちらも縁起の良い布袋様と大黒様が舞い踊る丑鼻の鏝絵。ご覧頂ければ判りますように、伝統的な手法とモチーフを用いながらも、スタイルを墨守するのではなく現代的にアレンジして装飾されている点が大きな特徴。廃れてしまった過去の文化財の修復ではなく、今を生きる技法としての伝承を願っている事が判る、今回の外観改修です。

内部に関しては、撮影禁止札もなく、展示品も撮影しようかとも思ったのですが、今回は入口から覗いた部分だけ(地元ボランティアの方が母屋の方にいらっしゃるのですが、学芸員の方は常設開館となる、山の上にある八ヶ岳美術館の方にいらっしゃるようです)。

1階は、土蔵の作り方から始まって、鏝絵の紹介や技法、地元の職人さんを顕彰する記録が展示される、ミニ博物館になっています。2階は地元の家庭から提供された古い生活道具の収蔵庫。キャプションシートは付けられていますが、ちょっと雑多に集められた感もある、村の人々にとっての宝物たち。

外は夏の眩しい陽射しですが、壁に掛けられた振り子時計が緩やかに時を告げる標高1200mの蔵の中は、ひんやりとしてノスタルジックな空気に包まれています。

折角なので、他の施設もちょっと覗かせて頂きます。

こちらが母屋。移築した古民家をそのまま展示場所とした郷土館の本館です。

移築直前の姿である昭和30年代の生活空間をそのまま残す、懐かしい土間の風景。高い天井と開け放たれた開放的な空間は、外の暑さを忘れるほどの涼やかな風が吹き抜けていきます。

土間から一段掘り下げられた馬屋。

当時の農耕器具がずらりと並べられています。民俗学にご興味のある方には堪らない展示だと思いますが…私のつたない知見では全く歯が立たずです(情けない)。

座敷の方にも上がれるようなのですが、機織りの体験が出来る施設となっており、ボランティアの方が地元の皆様と談笑されていらっしゃったので、撮影は此処まで(欄間、ちょっと見てみたかったかも)。

母屋の外には藁打ち小屋。

物語などでは農閑期の夜更けに土間で人が藁を打っている様子が描かれますが、昭和30年代をテーマにしたこの場所ではちょっと異なります。既に藁打ちも人力ではなく水力やモーターなどで動力化されており、母屋とは別棟に藁打ち機が設けられていた例がある事を教えられます。

母屋に隣接して設けられた展示室。中央に置かれた機織用具を取り囲むように、養蚕道具がずらりと並べられています。いずれも明治から戦後期にかけて実際に使われていた物。当時の養蚕による繁栄が、豪勢な蔵の建築と鏝絵が広がるきっかけとなっていました。今や産業としての意義は失われ、技能伝承や種の保存のために僅かに維持されているに過ぎない当地の養蚕。涼しい高原の風が吹く薄暗い部屋の中に、往年の繁栄を伝える貴重な資料が眠る場所です。

桜の木に囲まれた、原村郷土館「まてのくら」。

少し賑やかになる夏の高原リゾートの中で、7月から9月の僅かな日数しか公開されていない穴場中の穴場ですが、ひっそりと、着実な「まて」として、その姿を未来へと伝えていく事を願って。

解説パンフレットです。今回、新しく右側のパンフレットが作成されたようですが、郷土館開設までの様子も収められた左側のパンフレットの内容も味わい深いです。

【原村郷土館と併設の「まてのくら」】

開館期間 : 7月から8月の月曜日以外の毎日(海の日は開館、翌日の火曜日が休館)、9月の土曜日曜祝日(開館日は毎年若干の変更があるようです)

開館時間 : 9:00から17:00(入館は16:30まで)

入館料 : 母屋共々無料(母屋の方で開催される機織り体験等も無料ですが、織り上げた布をお持ち帰りの際には実費が必要となります)

敷地内や建物外観は通年で見学可能です。

原村郷土館の場所のご案内(別荘地の奥まった場所にあり、案内看板はありますが、小さくて判りにくいです)。

麓側の八ヶ岳エコーラインからは、「上里」の交差点を上がって、「もみの湯」を過ぎた次の交差点を左に入って200m程。

山側の鉢巻道路からは、八ヶ岳美術館(郷土館の本館扱い、阿久遺跡で出土した縄文土器や発掘史料などはこちらで展示されています)前の交差点を下って、「もみの湯」より一本上の交差点を右に入って200m程。八ヶ岳自然文化園や八ヶ岳農業実践大学校方面からも同様に、自然文化園下の道を抜けてから、同じ道を下ります。

駐車スペースが限られていますので、改装中の樅の木荘の駐車場に車を置いて、徒歩で山側に道を50m登って「交差点の反対側」に案内看板が見えた場所を左に曲がり、200m程歩いても到着出来ます。(駐車場にある案内看板は、立ち位置と地図の方向が正反対に書かれている酷い代物だったりします)。

長野県立歴史館の企画展「君は河童を見たか! -水辺の出会い-」とオープニング講演会「妖物の誕生」(2018.6.16)

長野県立歴史館の企画展「君は河童を見たか! -水辺の出会い-」とオープニング講演会「妖物の誕生」(2018.6.16)

2016年に信州大学副学長から転じた、中世史に関する多くの著作を有する笹本正治氏が館長を務める長野県立歴史館

就任以降、県内各地の博物館、美術館を巡っての講演を始め、今年からは信州学をテーマにして、歴史館の職員を執筆陣にした書籍シリーズの刊行を始めるなど、積極的な活動を繰り広げられていますが、この夏、それらの活動の決定版とも言うべき企画展を仕掛ける事になったようです。

長野電鉄屋代線廃線の時以来で訪れた屋代。

実は初めての訪問となる、森将軍塚古墳の麓に位置する、長野県立歴史館です。

本館内の展示内容は建物のサイズ通りで(右側は体育館のような大屋根で柱のないプレーンな展示エリア)スケールは大きいのですが、その内容は各時代ごとに設けられた撮影セットのような摸擬建築物の展示に、添えられるケース内の展示物もその殆どが模造や複製品(但し、富士見町の札沢遺跡から出土した動物装飾付釣手土器は長野県宝としてこちらに実物が展示されています…)と、実際の出土物、史料だけが有する無言の説得力を前面に掲げた博物館や考古館が増えてきた中ではちょっと寂しい内容。故にこの場所が「歴史館」である理由を暗示させる展示内容でもあるのですが、今回の企画展は果たして如何でしょうか。

通常展示とは別扱いとなる今回の企画展「君は河童を見たか! -水辺の出会い-」。残念ながら著作権の関係で、全ての展示物の撮影が禁止となっていました(歴史館の常設展示は撮影OKです)。

何でかなぁと思って、配布されていた展示物一覧の所蔵先を見れば一目瞭然。当館の収蔵品は半数にも満たず、更にその殆どが「河童」との直接的な関係が薄い、奈良時代までの出土物にほぼ限られる事が判ります。

館長自らが講演会の冒頭で指摘するように、この企画展、妖怪や文芸としての河童だけをテーマにするのではなく、人と水辺の関わり合いをテーマとして歴史的な背景を学んでもらおうという企画意図に立ったもの。その中で、最も身近な存在である「河童」にテーマを仮託した(その結果、多様な展示物を各所から掻き集める結果に、芥川龍之介の作品などは山梨県立文学館の所蔵なので…嗚呼)と捉えられるかと思います。縄文土器の蛙状の文様から、本展のメインキャラクターを担う、松代の銅鑵子、そして文学の中に生きる芥川龍之介の河童とそのインスピレーションを与えた上高地。水辺に生きる人々の触れ合い方、畏敬から絵画としての親しみへと変化する中で、その想いを重ねる存在としての河童を見出していきます。

水を治める為の祈りを捧げる物から、妖怪としての河童の登場、そして南信に伝わる、河童からの恩返しとして製法を伝えられたとされる痛風薬としての加減湯。水を恐れ、御し、使いこなした先に親しみながらも、なおも畏敬の念を持ち続け、時に自らをその姿に仮託する様をじっくりと見せてくれる展示内容です。

そして、企画展のオープニングとして催された、笹本館長の信州大学での一年先輩という、関西学院大学の西山克教授による講演(開演前の紹介で、今回の企画担当の方の出身大学と西山先生の所属大学で妙なスクラム話が盛り上がるという小ネタ付き。笹本館長、ネタ振り過ぎです)。実は前述の展示内容同様に、今回のテーマを妖怪としての河童だと捉えて掛かるとちょっと拍子外れな講演内容になってしまったかもしれません。

定員220席に対して、7割以上の入りとなった講演会。年齢層がかなり高めな中で明らかにそちら系にご興味を持たれてお越しになられた方も散見されましたが、1時間半に渡る講演内容の過半は、河童とは少し離れた「百鬼夜行図」の読み解きから「妖物」が生み出された背景を探っていくというテーマ。最近、中世史の研究で非常に活発な絵図からの解釈を織り込んだ研究の一端を紹介される内容には期待外れだった方もいらっしゃったかもしれません。もっとも、民俗学ベースの妖怪、怪異系のお話があまり得意でない私にとっては、大陸由来の白話から説き起こしていく今回の内容には大満足。むしろ、絵解きの神髄でもある、其処に付された比喩から制作者を読み解いていく西山先生の解説は目から鱗で、そこで真珠庵から一休宗純に繋ぎこむのか!と思わず膝を打ってしまいました(判っている方はほくそえんでいらっしゃったようですが、前フリがまた憎いです)。

その上で、如何にも民衆の伝承の中から生まれたように見える河童の「名付け」自体も、大陸からの白話に由来する物語に当てはめられて、逆にその名を付けられた(カワタロウからカワ・ワッパ)。子供の姿で描かれるようになったのも、童(本来は髷を結ばない状態)の字面から逆にイメージされたものだとの認識を示していきます。

民俗学的な素朴なイメージで捉えようとすると完全に足元を掬われる、知識人層の機知を含ませたイメージの延長にあったとする妖怪(妖物)自体が、当時の激しい飢饉に対する施餓鬼としてのイメージに、痛烈な諷刺を重ねた先に生み出された物であることを暗示させる講演内容。

歴史館と言う多面的な歴史の捉え方を念頭に置く施設が送り出すテーマに相応しい、ここから広がっていくテーマの起点として「河童」を採り上げた企画の面白さ。そして、文献史学と美術史(図像学)の交点を絶妙に織り交ぜた、実に興味深いお話を聞かせて頂いた西山先生の講演に大満足だった一日。

長野県立歴史館の企画展では毎回、このような形で豪華な図録が制作されます(今回はずっしりと重たいグラビア用紙を用いたA4版オールカラーで100ページ。撮禁でしたが、図録で大満足。ここでも笹本館長、売り込みに躍起でした)。

左右の二冊はどうしても欲しかった、国立博物館と上野動物園を生み出した、飯田出身で博物学者の祖、田中芳男の企画展の図録と、観光地図というジャンルを成立させた、鳥瞰図絵師、吉田初三郎をサブテーマに扱ったパノラマ図と観光地絵図の企画展の図録。どちらも二度と出てこないと思われる貴重な図録なのです)。

じっくり企画展を眺めて、タップリお話も聴けて、只今、お家に帰ってゆっくり図録で楽しんでおります。

列島の要衝たるこの場所で過去から未来へと時を刻み繋げて(諏訪湖時の科学館儀象堂と下諏訪町埋蔵文化財センターは「しもすわ今昔館おもいでや」へ)

列島の要衝たるこの場所で過去から未来へと時を刻み繋げて(諏訪湖時の科学館儀象堂と下諏訪町埋蔵文化財センターは「しもすわ今昔館おもいでや」へ)

縄文文化の故郷とも呼ばれる八ヶ岳西麓。

エリア内の各自治体には、それぞれに工夫を凝らした考古館が整備されていますが、これまで独立した施設を有しなかった下諏訪町にも新たな考古博物館「下諏訪町埋蔵文化財センター」が昨年開設されました。

ところが、開館から僅か1年後のこの春、敷地を共有する、下諏訪町の名所でもある時計の組み立てが体験できる博物館「諏訪湖時の科学館儀象堂」が、下諏訪町の観光情報発信拠点として改装される事になり、三つの施設を統合して新たに「しもすわ今昔館 おいでや」として再出発、傘下の二つの体験型施設としてリニューアルを受けることになりました。

  • 諏訪湖時の科学館儀象堂 から「 時計工房 儀象堂」
  • 下諏訪町埋蔵文化財センター から「星ヶ塔ミュージアム 矢の根や」

リニューアルを迎えた4月14日、無料開放となった両施設を訪ねてみました(普段から辺りをウロウロしているくせに、無料に事付けてのこのこ見学に来る小悪人を、どうかお許しください…)。

ここ数年で綺麗に街路が整備された大社参道と平行に伸びる、一本左側に入った細い路地の中にある時計台が目印。エントランスには足湯が用意されています。

中庭には諏訪湖時の科学館時代からのシンボル、古代中国で実際に作られたとされている水車を動力にした天球儀と時計が一つのからくりに収まっている巨大な水運儀象台。中に入って実際に水車と歯車が動いている様子を見る事も出来ますし、毎正時にはスタッフの方(セイコーエプソンOBの方でしょうか)による、動作についての解説を聞く事が出来ます。

儀象堂の方は、組み立て工房が2階から1階に移されてウィンドウ越しに眺める事が出来るようになり、博物館としての位置付けから体験施設としての位置付けがより強くなったためでしょうか、展示内容にはあまり変更がないようですので、ここでは割愛させて頂き、裏側に廻ってみる事にします。

なお、此処ではIEEEマイルストーンに認定された、世界初のクォーツ式腕時計であるセイコークオーツアストロンSQ35の実物を始め、歴代の諏訪精工舎、セイコーエプソンが手掛けた時計たちも見る事が出来ます。

以前には設けられていた塀が完全に撤去されて、儀象堂と一体の施設となった、星ヶ塔ミュージアム 矢の根や。黒曜石をイメージした建物外観はそのままですが、表の看板は新たに架け替えられたようです。

儀象堂と一体運営になった影響でしょうか、受け付けはあるもののカーテンが掛けられ完全無人運用となった館内(20席ある地下シアターで上映される下諏訪町の歴史を紹介する、岩波映画社制作のPV(12分)もオートリピートに)。

な・の・で…。

係の者へお申し出ください書かれているミニ解説書が買えないじゃないですか!!!

まぁ、このパターンは観光案内所と管理を統合した開田高原の木曽馬資料館でも同じだったので今更驚きませんが、せっかくの無料開放の日で多くの見学者の方がお越しになっているのに、これは残念でなりません(やっぱり鷹山に行かないとダメなのかなぁ)。

気を取り直して…小さなエントランスの床には下諏訪を中心に置いた衛星写真の上に、このミュージアムのテーマでもある霧ヶ峰から産出された黒曜石が何処まで広がっていたのかを示す、発掘場所のプロットが示されています。

縄文文化、いえ当時の日本の中心がこの地であったことを雄弁に示す、実にシンボリックな地図です。

エントランスに並ぶ、星ヶ塔の解説。現在の名前で呼ばれる前から「星糞峠」とまで呼ばれた、黒曜石を豊富に産出する霧ヶ峰山麓。現在も土壌改質剤となるパーライト(その場所を称してビーナスライトとも)鉱山が稼働しています。

他の考古博物館であれば、大事そうに飾られるであろう黒曜石の原石。

でも、ここは今も鉱山のお膝元。ごっそりと黒曜石の原石が山盛りで飾られています。

下諏訪町における考古学の歩みを綴った年表。地味な展示ではありますが、町にとっては国指定史跡となり、このミュージアムを整備するきっかけとなった大切な足取の記録。

そして、このミュージアム最大の見せ物である、黒曜石鉱脈と縄文人たちが採鉱した跡をそのまま体感できるジオラマ。横には、剥ぎ取り標本もありますが、採掘跡どころか選鉱して捨てた黒曜石スラグの跡だというのですから、驚きです。

2階に上る階段からもジオラマを俯瞰で眺める事が出来ます。建物1階分を掘り進んで黒曜石の鉱脈を掘り当てた跡と考えられているこの遺跡。当時の非力な道具でここまで掘り進める熱意を実感できる展示です。

2階に上がると遺跡からの発掘物の紹介コーナーへと誘われます。

流石にこの地で発掘、加工までされていた訳ですから、豊富な黒曜石の発掘物とその時間軸の長さに圧倒されます。

そして、このミュージアムのビューポイント。実は、裏手には青塚古墳と言う、長野県内では珍しく、諏訪地域では唯一と言われている、確実に中央の影響を受けていたと見做せる前方後円墳。その石室をテラスから直接眺める事が出来るという、アイデア賞の展示。実は、入館する前に古墳の周囲を掃除中だった地元役員の方に事前に教えて頂いていたのでした(ありがとうございます)。こんな展示、古墳ファンじゃなくてもちょっと盛り上がりますよね。

古墳を望むベランダの反対側は、星ヶ搭遺跡以外の発掘物を紹介するコーナー。

平安時代までの町内からの発掘物が展示されています。

本館のお宝ともいえる展示物。有名な亀ヶ岡式の土器が遥か中部高地のこの場所から発掘されたという事実、この地が縄文時代には既に日本中と繋がっていた事を雄弁に示す証拠です。

そして本館で最も印象的な展示は館内の一番隅にあります。

多くの書籍で語られるように、縄文時代と弥生時代を分かつものは稲作と、青銅器の導入。

しかしながら、黒曜石を豊富に産出するこの場所では、弥生時代中期になっても黒曜石による道具を大量に使用していた事を示す発掘成果が残されています。

弥生時代に入ると八ヶ岳を中心にした中部高地は忽然と無人の広野に戻ってしまったかのような印象を完全に払しょくするこの発掘物たち。

その先には、これら展示物の背後に今も姿を残す古墳の埋葬者達やそれを支えた人々、更にはその発祥すらいまだ解明できない、諏訪の神々を祀る人々が、日本中、更には北東アジア全般に繋がりながら営々とこの地に住み続けていた事を、発掘物たちが教えてくれます。

今回の改修で、観光案内施設の一アトラクションに堕ちてしまったかのような印象もありますが、その溢れるばかりの発掘物が語りかけてくる無言の言葉は些かも変わりはない筈。

歴史と人が交わり合う、縄文の中心地から諏訪信仰の中核へ。諏訪湖を眼前に控え、四方の峠を越えて街道が交わる一大ジャンクションは今、世界の精密機械工業を牽引する場所へ。列島の要衝に位置し続けてきた下諏訪町の歴史を、時計の針の刻へと委ねて、未来へと繋げるこの場所。

綺麗に整備された展示環境を得て、新たに多くの方々の目に触れられるようになった貴重な発掘成果が、より深い歴史理解に繋がる事を願って。

 

ちょっと寄り道(小諸市動物園のフンボルトペンギンたち)2018.3.3

ちょっと寄り道(小諸市動物園のフンボルトペンギンたち)2018.3.3

寒さが緩んだ週末。

八ヶ岳ブルーの野辺山(SIGMA 30mm F2.8 DN Art)

午後からお天気がちょっと不安定になりましたが、春を思わせる暖かさに釣られて、所用の序にいつもとちょっと違う場所で寄り道を。

小諸の懐古園です。

扁額を見てちょっと驚いたのが、徳川家達(徳川慶喜の隠居後に御三卿の田安家から徳川宗家を継いだ)の筆によるもの。本丸にはあの勝海舟の揮毫による懐古園開園の経緯を綴った石碑も建っており、譜代大名である牧野家、そして上田合戦の故地として、徳川家と深い関係があった事を偲ばせます。

今も残る天守台の石垣(登る事は出来なくなっています)。天守に代わるように伸びる、枝振りの良い松が印象的です(ここだけ15mm)。

天守台を廻り込むと、その特徴的な穴城とも呼ばれる天然の要害となっている断崖(の下には、ヤクシカが飼われているのですが…)を渡る吊り橋の向こうに小さな動物園が見えてきます。

籾蔵の跡を整備して作られたと云われる、長野県で最古の動物園、小諸市動物園です。

如何にも地方の小さな公立動物園と言った風情が漂う園内ですが、それでも暖かな週末の午後、ぽつりぽつりと入園者の方が見受けられました。

来園者の少ない冬の動物園、ちょっと撮影の練習をさせて頂きました。

大きなパプラスチックパッドの中に窮屈そうに体を丸めて、でも気持ち良さそうに眠っていたヤギ。午後の陽射しを受けて、暖かそうです。

小さなプールを棲家としているマゼランペンギン。

いずれの檻も金網のメッシュが細かいので(ペンギンの檻はそれでも一番荒いくらいです)余り上手く撮影できないのですが、金網越しに鋭い目つきを見せてくれました。

マットの上で気持ち良さそうにお昼寝中。普段は立っているシーンが多いので、ちょっと珍しいかもしれません(トリミング済み)。

丁度、午後のペンギンパレード、もぐもぐタイムと称する、餌やりショーが始まりました。この時間だけは檻の中から出されたペンギンたちが、飼育員さんの誘導で園内を何回か往復します。

パレード中にこちらにカメラ目線をくれたフンボルトペンギン。

何往復目かで、綺麗に並びで歩いてくれました(トリミング済み)。

プールの前に戻ると、飼育員さんとリクエストをした来園者の方が直接餌を与え始めます。餌のキャッチの仕方や食べ方などを飼育員さんが丁寧に説明していきます。

一羽だけ離れてキャッチする、ちゃっかり者。

プールに戻ると、今度は距離を取って餌を投げ込みます。

空中でキャッチした後、奪い合いとなってしまった2羽。

相手に奪われてしまって、次のチャンスを待つ。奥のもう一羽もスタンバイ状態に。後ろの1羽はもうお腹いっぱいなのでしょうか、興味が無いようです。

餌を与えている最中も巣箱から動こうとしない雌。

今は繁殖シーズンに入っているとの事で、自分の巣を守ろうと、なかなか動こうとしないようです。

タイミングばっちりで、3羽同時にキャッチ(この後、小競り合いに)。よーく見ると、実はもう一羽お魚にくらいつくペンギンが隠れていたりします(全部で5羽です)。

決して恵まれた飼育環境とは言えないかもしれませんが、丁寧な解説に務める飼育員さんと、アットホームな雰囲気に溢れる来園者さんとの距離感が素敵な小さな動物園。

餌で釣っていると揶揄されるかもしれませんが、このシーンを撮影している時に感じた、その餌を目の前にしても、なんと一羽毎に豊かな個性があるのだろうと感じながら。

なお、もう一方の人気者、正面入り口前の特等席に陣取る川上犬の「さくら」ちゃんは、頂いた資料にあるように、飼育員さん以外にはまったく興味を示さないようで、振り向いてももらえず仕舞い…。

ちょっとした寄り道がてらのワンシーンとして。

 

 

 

 

八ヶ岳の麓に「生きる」を子供たちに伝え続けて(自然写真家、西村豊さんの個展「八ヶ岳 生きもの ものがたり」)2017.7.9

八ヶ岳の麓に「生きる」を子供たちに伝え続けて(自然写真家、西村豊さんの個展「八ヶ岳 生きもの ものがたり」)2017.7.9

八ヶ岳の山麓にはいろいろな生き物が生息していますが、中でも人気があるのは清里に国内唯一の専門博物館もあり、冬季になるとその愛らしい冬眠中の寝姿がTVで放映される事が風物詩となっている、ヤマネ。このヤマネ人気の火付け役でもあり、その保護活動にも長年に渡って携わってきた方が、同じ八ヶ岳西麓の富士見町に在住されている写真家(ご本人は自然写真家と称されています)、西村豊さんです。

40年にならんとする写真家としての活動の中で、これまで多くの写真集や絵本の刊行、幾度かの展覧会も催されてきましたが、今回、その集大成となる個展が開催されています。

清里へのメインストリート、国道141号線から脇道に入って、高原野菜を栽培する畑を抜けた先の深い森の中に忽然と現れる、コンクリートの地肌を生かしたモダンな美術館。国内でも数少ない、芸術写真を専門に扱い、保管することを目的としたアーカイブとしての役割も持つ、清里フォトアートミュージアムです。

今回の大規模個展「八ヶ岳 生きもの ものがたり」。本ミュージアムで現在稼働中の展示スペース2室すべてと、一部の廊下までもを利用した大規模なもの。展示セクション数24、総展示作品数200点以上と云う、氏にとってもその制作活動の集大成といえる展示内容になっています。

美術館ですので、もちろん内部は撮影禁止。エントランスに設けられたキッズコーナーで遊ばれているお子さんたちを横に、展示室に入っていきます(以下の内容はプレスリリース、パンフレットも参考に綴らせて頂きます、著作の書影はAmazonにリンクしています)。

展示の順番はテーマごとに並べられていますが、ほぼ氏の制作年度を追うような形になっています(著作の刊行に合わせて制作されているため)。展示内容は順路順に以下のようになっています

第一展示室

  • ホンドギツネの子ども
  • きつねかあさん
  • 商品の詳細
    • 氏の出世作。現在の作品と比べると明らかに素朴で、距離感も遠く、撮影技術にも限界が感じられますが、それ以上に近年の作品と比べて深い愛情を感じてしまうのは、ちょっとした贔屓でしょうか
  • ニホンヤマネの「ヤマネさん」
  • 商品の詳細
    • 氏の代表作たちが一堂に揃います。数々の絵本や写真集、現在ではネットでも数多く流れている、ヤマネファンの方なら必見の作品たちを、大画面の美術作品として眺められる数少ないチャンス。氏の撮影コメントもしっかりと読みたいところ
  • 「赤ちゃんヤマネ、お山にかえる」
  • 商品の詳細
    • 氏のもう一つの側面でもある、ヤマネの保護活動。その記録写真の一部が公開されています。生後僅かな状態で保護された子どもや、人工飼育の様子など貴重な写真の数々が公開されています

インターセクション、廊下

  • 「しぶがき」
  • 商品の詳細
    • 最近では多く採り上げられるようになった、圧倒的な数の干し柿を軒下に吊るすシーンの写真。その先鞭をつけたのも氏の作品群です。今回はそのうちの何枚かをインターセクションとして展示されています。写真を表現する際のテーマの一つとなる色合いと陰影。暖かなそのグラデーションと光の微妙なバランスを描き出すための試行錯誤の成果は、印画紙で焼いた本制作ではより一層明確に浮かび上がってきます。初冬の光と実りの嬉しさを実感させる軒先の向こうに続く透明なオレンジ、実に魅力的です

第二展示室

  • 「ニホンリス」
  • 商品の詳細
  • 「よつごのこりす」
  • 商品の詳細
    • 近年、氏が精力的に撮影を進めているニホンリス。前回、富士見高原ミュージアムで展示された作品群たちを含めてその後4冊の絵本となったシリーズ作品のうち、絵本に掲載されなかった分を含めて、数多くの作品が展示されています。現行作品故の配慮でしょうか、これらの展示は写真サイズもやや小さく、フィニッシュも美術館用の本制作とはちょっと異なっているように思えます(第一展示室の作品の多くは額装ですが、こちらはボード貼り)。俊敏な動作を押さえたり、実物も展示されているオニグルミを時間を掛けて丹念に歯で削っていく際に飛ばす切り屑すらも捉えるスピード感のある作品たちはデジタル撮影(前回の展示の際には、EOS5D+300mm f2.8にテレコン2段で撮影されている事を、不幸にも落下してしまった機材と共に展示、紹介されていました。修理不可となった際にカウントされていたシャッター数は実に10万ショット以上、膨大な労力の先に作品が造られている事を実感します)に切り替わっており、極めてシャープで、ダイナミックレンジを一杯に使った、ハイライトは明るく、コントラストはやや浅めという、華やかで今時の仕上がりになっています
  • 「あしあと(混合展示、展示室外にも)」
  • 商品の詳細
    • 作品としては異なりますが、地元の小学生たちと共に富士見の山野に入って、動物たちの活動の息吹を感じてもらうという活動のワンシーンを含めて、冬の野生動物たちがどんな活動をしているのか、足跡から見出してみませんかというテーマ。雪に足を取られてお腹をバフンと、雪に埋めてしまったキツネの足跡、同じような跡を見た事があるので、思わず笑ってしまいました
  • 「ニホンジカ」
  • キツネの「ごんちゃん」
  • 商品の詳細
    • このふたつの作品群は、書籍としては未発表になります。如何にも地元でスナップ的に撮影された作品たちですが、それ故に、同じ地で生活する身としては、現実感を以て見つめてしまいます(シカが大群衆で山から下り、用心深いキツネでも、夜になれば道を駆け抜ける姿は日常ですから)。時に、あっけなく野生が目前で繰り広げられるのが八ヶ岳山麓、その現実もしっかりと見据えています
  • 「ごだっ子の田んぼ」
  • 商品の詳細
    • 野生動物、小さな生き物たちを扱った作品が多い氏にとって、珍しい作品ではありますが、前述のように地元の小学生との深い繋がり合いを持って活動を続けています。その活動の一端を収めた絵本作品から、印象的な数点の写真が展示されています。諏訪の皆様なら馴染み深い冬季の田圃リンク、星空の下に広がる青々とした透明な圃場は良く知る場所ですが、厳冬の夜にはこんな景色があったのかと、改めて見つめ直させられます。日常を深く、愛情を持って見つめる事の大切さ

氏の代表作でもあり、当館の収蔵品(前述のように、当館は国内外の作品性の高い写真を末永く保存することも設立の趣旨としており、同じく自然写真で著名な宮崎学氏の作品や、鉄道写真家の広田尚敬氏の作品も当館のアーカイブとして収蔵されています)ともなっているヤマネの写真や、近年精力的に撮影を続け、絵本を刊行されたニホンリス、そして出世作となった「ホンドギツネ」など、絵本作家としての作品も多数展示されていますが、実際の印画紙で焼いた状態で眺めるのは絵本とは全く違う世界。その撮影条件の厳しさ故に、焼き付けサイズは決して大きくはありませんが、本館やLCVが所蔵する作品の中には大伸ばしで圧倒される写真もあります。

全ての漢字にルビが打たれ、語りかけ、興味を持って貰えるように疑問形で綴られる解説文。お子さんでも見やすいようにと、少し低めに並べられた写真たちの展示スタイルは、実に本展示がお子さんとそのご家族に向けた、氏の活動スタンスをそのまま展示スタイルにも反映されているかのようです。

賑やかにおしゃべりしながらの観覧が続く、モダンで芸術性の高い美術館で催される写真展とはちょっと異なる雰囲気も、親御さんとお子さんの会話にちょっと耳を傾けながら作品を観ていく事で、新たな魅力が発見できるかもしれません。氏が望む、子供の視線に立った、発見する楽しさを伝えようとする想い。それは、伝えようと願う子ども自身のリアクションに委ねられている筈だからです。

そして、1970年代から始まる氏の作品群。その遍歴には、現在の写真撮影、写真美術や急激に進化を続ける撮影技術、装備の進展が凝縮された感すらあります。極限の環境下で撮影を続けるため、撮影技術はもとより、機材性能の限界を超えて撮影することが求められる自然写真。出世作であるホンドギツネの作品とニホンリスのそれを比べれば一目瞭然ですが、撮影に対する余裕度(ニホンリスでは背景に映る四季折々の彩なす色までも捉えようとされています)はもとより、俊敏な動きをレンズの前に留め、鮮やかに、シャープに仕上がった作品たちは、同じ写真作品とは俄かに言えないほどのクオリティの差が生じています(もちろん、味わい云々の話は別として)。

そのような急激な進化を遂げた自然写真の中で、氏が願ってやまない、子供の視点に立った発見する楽しさを伝えたいという想い。更に進化した機材と氏の円熟した撮影技量が、子供たちの好奇心を掻き立て、更に自然への興味へと繋がる架け橋となる事を願いつつ。できれば、そろそろ「大きなおともだち」に向けた作品も発表して欲しいかななどと、勝手な願いも重ねて。

最後に、最も気に入った一枚は、八ヶ岳ブルーを背景に、厳冬の雪原に僅かに顔を覗かせたススキの傍らに佇む、一頭のホンドギツネ。サイズも小さく、明瞭とはとても言えない古い作品ですが、厳冬の眩しい日差しを受けて毅然と虚空に顔を上げるその佇まいに、生きているという強い意志が宿っているように思えてなりません。心を捉えて離さない一枚でした。

西村豊「八ヶ岳 生きもの ものがたり」

2017年7月1日(土)~12月3日(日) 7,8月は無休

清里フォトアートミュージアム(北杜市高根町清里)

アーティストトークは7/30(日)と8/5(土)、いずれも午後2時から。

チャリティートークは9/2(土)午後2時から、ゲストは脳学者の篠原菊紀氏(定員120名。要予約、チャリティー参加費が別途必要)