今月の読本「仁淀川漁師秘伝」(宮崎弥太郎:語り かくまつとむ ヤマケイ文庫)快活な土佐弁で語る職漁辞典の中を流れる、糧としての山と田畑、海を繋ぐ川の恵み

今月の読本「仁淀川漁師秘伝」(宮崎弥太郎:語り かくまつとむ ヤマケイ文庫)快活な土佐弁で語る職漁辞典の中を流れる、糧としての山と田畑、海を繋ぐ川の恵み

近年では殆どいなくなってしまった、川の恵みを糧として主な収入を得る「職漁師」(この言葉自体、海の漁師さんに対してはあまり使いませんよね)。しかしながら昭和の終わりから平成の始めにかけては依然として多くの河川の傍で漁を生業とする人々が暮らしていました。

現在でも川の漁が続いていることで度々テレビ等でも取り上げられる四国、四万十川。そのすぐ隣に流れる仁淀川で職漁師をされていた方の元へ、当時、繰り返し訪れて取材した内容を連載していた記事を纏めた一冊。長らく絶版になっていましたが、この度、版元を変えてヤマケイ文庫へ収蔵されることになりました。

今回ご紹介するのは「仁淀川漁師秘伝 弥太さん自慢ばなし」(宮崎弥太郎:語り かくまつとむ:聞き書き ヤマケイ文庫)です。

原著は小学館のアウトドア雑誌「BE-PAL」の姉妹紙として2008年まで刊行されていた、雑誌「ラピタ」に連載されていた「弥太さん自慢ばなし」を纏めて2001年に刊行された本ですが、巻末にありますように、今回の収蔵に当たって大幅に加筆修正、再編集がなされています。特に著者のかくまつとむさんが刊行後も気にされていた「土佐弁」聞き起こしに対する表記への懸念について、山と溪谷社さんの配慮もあったのでしょうか、今回の版を起こすに当たって、高知在住の山本明紀さんによる全面的な方言考証が加えられ、生き生きとした著者の筆致はそのままに、ダイレクトに土佐弁が脳内に響き渡るかのように生まれ変わっています(長らく広島の方と一緒に仕事をしていた私の脳内再生では、広島弁混じりになってしまい…)。

取材当時の1990年代後半でも殆どいなかったとされる「職漁師」であった、仁淀川の河畔、越智町に在住された取材対象の宮崎弥太郎氏。父親から引き継いだ職漁を50年以上に渡って続けられていた方ですが、そのフィールドは河川を跨ぎ、季節に合わせて河口のアオノリから山中深くのモクヅガニ獲りまで実に幅広く、特定の魚種を狙い、河畔に腰を据えて漁を行う川漁師というイメージを大きく覆していきます。

掲載していたアウトドア雑誌のスタイルに相応しい、川全体をフィールドとした氏の職漁師としての姿を2年間に渡り取材した著者と編集者グループ。彼らを息子のように迎え入れて、自らの歩みを少し誇りながら「企業秘密」と茶化しながらも、同道を許してその一端を披露する土佐人らしい鷹揚さ、氏の人となりが考証を受けて蘇った口語体の土佐弁で文中一杯に広がります。

雑誌の連載記事がベースという事で、最初は全体のイメージがちょっと捉えづらかったのですが、原著の版元さんが小学館という事を考えると腑に落ちる、魚種、職漁毎に纏められた仁淀川の職漁辞典というべき一冊。各章で語られるように、著者たちが持ち込んだ図鑑に対して、それぞれの魚たちの特徴やその漁の姿を述べていくスタイルが用いられ、前田博史氏の写真と遠藤俊次氏によるイラストを豊富に添えて、改めて職漁としての視点からその違いを明確に示していきます。図鑑を持ってフィールドに出た「アウトドア」な著者たちの先にある、研究者や釣り師達が伝える著述の更に先にある、フィールドの達人が見た本当の姿を語る言葉を拾い続ける著者たち。その語られる内容には、前述の著述とは大きく異なる点も見えてきます。

アウトドアブームであったバブル崩壊後の1990年代後半に取材された、その遥か前から川と向き合い続け、生活の糧としてきた氏が語る姿と、現在の川や水辺という淡水をフィールドとされる方々が発信される内容。川をテーマにした著述として本質的にはその内容に違いはない筈なのですが、アプローチや見据える姿には大きな違いが見えてきます。

高度成長期から大きく曲がり角を迎えた中で、共に変わり続けた川面を生活の糧として生き続けてきた氏が語る変遷する漁の姿。しかしながら、氏はその中で一方的な変化が起きていたことを表する事はありません。清流とも称される仁淀川といえども時代と共に川が変わり、移入されてきた魚たちが加わり、漁の姿も獲れる魚も往時と比べると減少してきていることを明確に述べていきますが、職漁師故にその変化に応じて漁自体も変えていく。父親から引き継いだ漁の姿も自ら変えながら(この工夫や道具類のお話を拾うスタイルは、連載誌のテーマに繋がる「大人の秘密基地」的で、連載当時人気があった事を伺わせます)貪欲に漁を目指していく姿を捉えていきます。それ自体が糧としての対象ではない「フィールド」化してしまった現在の川や淡水を扱った著作や発言とは根本的に異なる視点。自らが糧としている場所に対する自負とその変化を受容しつつ、実生活の一部として語りかける内容には、現在の論調で失われてしまった着目点が生き続けているように思えてなりません。

その印象が最も強かったのが、全編で述べられる漁の餌として繰り返し登場する「ミミズ」の存在と、地域を貫く仁淀川の存在を語り続ける段。

川の魚たち、蟹たち、アオノリさえも、多くは川だけで生きるのみならず、海と行き来をすることで次の世代に生命を繋ぐ。山に木がある事で川の流れが穏やかになり、川に沿った田畑を潤す。本来は湿地をその揺りかごとしていた魚たちは、川から引き込まれた、人が拓いた水田と水路もうまく使いこなして命を繋いでいく。テトラポットや堰堤が出来れば、それに合わせて増えていく魚も現れ、蟹たちは高巻きしながら登り、そろりそろりと下っていく。川辺に広がる畑や草地に溢れるミミズたちの匂いは彼らの鋭敏な嗅覚を刺激し、夜な夜なその匂いを辿って徘徊する。

職漁師達は、彼らの生きる姿を鋭敏に捉え、その特徴を把握して工夫を凝らし知恵を働かせて漁を営みますが、全てが自然で天然、無垢であることを絶対としない。川の流路が変わればそれに合わせて仕掛けを変え、網を張り罠を埋める先を選び出していく。河原の姿が変われば、漁をする魚種が変わり別の漁の姿が生まれる。堰堤や用水路も其処に集まる魚たちが一斉に通るタイミングともなれば、一時、大漁を約束してくれる大切な漁場へと変わる。孫達に漁を継がせる気はないが、自身や息子と同じように幼い頃から水辺、川と親しみを持つ機会を与え続ければ、自然と理解できることがある。

変わりつつもその恵みを糧とする職漁師への聞き取りは、50年を経てもまだ知らないことがあると語る、上流でのオコゼ(アカザ)釣り名人の元へ向かう段で終わりを迎えますが、綴られていく物語はその時代、その地に生きた人々だけが語れる内容。

本編の主人公となる宮崎弥太郎氏は原著の刊行後、2007年に亡くなられており、既に文章でしか伝わることがないその物語ですが、職漁師達、そして彼らが生きた場所を語る時に思い起こしたい一冊。その場所は人が水面と楽しくも真摯に向き合い、糧とする場であった事を記録する物語を。

今月の読本「タコの知性 その感覚と思考」(池田譲 朝日新書)日本人研究者が綴る、もう一つの知性が魅せる広がるその先

今月の読本「タコの知性 その感覚と思考」(池田譲 朝日新書)日本人研究者が綴る、もう一つの知性が魅せる広がるその先

人間をはじめとする脊椎動物が有する知性や認知とかけ離れた世界にある一方、極めて高度な認知性や特異な感性を有しているのではないかという事が近年盛んに述べられている、タコやイカといった軟体動物の頭足類。

特に、日本人にとって馴染み深く、そのユーモラスな姿と多彩で驚くような行動様式から書籍をはじめ積極的に紹介されることも多いタコ。一般向けの書籍でも度々紹介されますが、ダイオウイカ撮影で一躍有名となった、日本の頭足類研究の第一人者である奥谷喬司先生の著作(ブルーバックスの名著「イカはしゃべるし。空も飛ぶ」は是非ご一読で)以外、何故か外国書籍の訳書が多かったように思われます。

そのような中で、忽然と新書として刊行された一冊。実質的に初めてとなる、日本人著者の手による「タコ本」。真正面に掲げられた表題に対してどんな内容となっているのでしょうか。

今回は「タコの知性 その感覚と思考」(池田譲 朝日新書)をご紹介します。

著者は現在琉球大学で教鞭を執られる研究者の方。頭足類の研究、特にイカの行動様式や認知性の研究を長年続けられている方です。単著としては2011年に刊行された「イカの心を知る 知の世界に生きる海の霊長類」(NHKブックス)に続く一冊。前著については、魚類関係の書籍が大好きな私にして滅多に無い(魚類関係以外の書籍でも数少ない)、途中で読むのを放棄してしまった一冊でもありました。

冒頭とあとがきに書き連ねられた余談と、その筆致に対する自己解釈。理解されているにも関わらず綴ってしまう点は、如何にも自然科学系の研究者の方にある筆致(これが人文系研究者の著作になると、敢えて読者を誘導する意図が組み込まれている時もあるので少々怖いのですが)ですが、空振り気味な比喩と導入、「痛い」余談が散見する本文(50代後半の著者であれば尚更)は正直に言って読まれる方をかなり選ぶ文体かもしれません。

近年、複数の訳書が登場しているタコの生態や知性に関する訳本。その中でも「タコの心身問題-頭足類から考える意識の起源」(みすず書房)の著者及びその内容をかなり意識されて書かれる本文。あとがきでも述べられるように、本文の過半は上記の書籍や、それ以前に刊行された訳書、雑誌、TV等でも紹介される内容とオーバーラップしており、前半は著者のセレクションによる「タコの知性」関連研究の概要紹介的な内容が主体になっています。従って基本的な頭足類の説明、タコの生態や所謂文化的な側面の記述はかなり絞り込まれており、表題に掲げられたテーマ「知性」にほぼ特化した内容となっています。

人間の手によって研究され、人間の思考や行動を出発点に研究が進められていく動物行動学的な視点。その中でも特異な位置付けを有しているタコの行動、学習研究。ヨーロッパ(ナポリ、日本同様にタコを食する地であることが大きいのでしょうか)を中心に膨大な研究がなされていますが、そのような中で著者が特に注目する点、

まず、多くの先行研究がマダコをテーマにしており(実際には日本のそれとは別種である可能性が指摘されているとの事)、約250種いるとされるタコ類全体の僅か1種の傾向を捉えているに過ぎない点。次に、その巨大な目と脳へと繋がる構造からどうしても研究のテーマが視覚に対する反応や学習が中心となる中で、自在に動く8本の脚から繰り出される、膨大な数を有する吸盤を伝わる触覚から対象物を認知する範囲の広さへの着目、更には単独性とされる生態に対する個体相互、鏡に対する反応(鏡像自己認知)への疑問。

これらの着目点と前述の研究成果を自らの研究室に在籍する(在籍した)学生たち、研究者たちが記録した観察結果を比較する事で、新たな知見が認められる可能性を指摘する、著者の研究室による研究成果紹介が中心なる後半。

前著でも同じだったと思うのですが、実はこの部分が読んでいて非常に悩ましかった点。著者は研究中の内容であるとの但し書きを添えていますが、結果として述べられる内容が(定性的な研究であるとはいえ)、何とも捉え難いままに著述が進んでいきます。

著者たちの研究結果により、行動特性や社会性の発端or退化した片鱗を認める一方、その解釈を根本から覆してしまう、前述の250種に上る種ごとの活動性の差異や、事例を示した上で個体差へ言及する内容も、前述の特性を述べる際と同じようなペースで綴られていくため、帯に書かれた「解明」には程遠い、本書の内容を以て何を評したいのかが見えてこないというもどかしさを度々感じる事になります。特に、そのような行動を認めた際の解釈に入ると、どうしても人間目線(著者目線)での認識が入り込む余地が大きくなり、その筆致は定性性として括られるはずの領域から離れ、その行動に対して著者の思索的な要素、希求を映し出そうとする傾向がより大きくなっていきます。

更には、容易に見出す事が出来ない、これら「知性」研究の先にある姿。

イカやタコの行動を研究する事は漁獲物である対象を知るうえで重要であると冒頭で述べる一方、その導入に当たる水産学に対してやや否定的な感情を述べ、生物学であり、ある種の心理学的な要素を求める著述や研究内容(このような研究に対して本文中で紹介される、投稿され、発表される学術誌の殆どが海外で刊行されているものであるという点も実に興味深いです)。知的好奇心としては非常に興味深い内容なのですが、果たして何処へと行ってしまうのだろうかという、糸の切れたタコのようにも見える思索の広がりに困惑しつつ(前著ではその困惑が抑えきれず、途中で読み進める事が出来なくなりました)。

既に刊行されている「タコの知性」に関する書籍は、訳書らしくいずれも相応な分量(とお値段)があるため、興味があっても本を読み慣れている方でないと手に取るのが少し厳しいことも事実。

そのような中で、日本人の研究者の方による、手軽に手に取れる新書というフォーマットで刊行された貴重な入門書となる一冊。文章はかなり癖が強いですが、その興味深い生態と、未知なる「思考」の片りんにご興味のある方へ。

今月の読本「米の日本史」(佐藤洋一郎 中公新書)農学と自然科学が背景を解く、多様なコメが作った列島の自然と人々の歴史

今月の読本「米の日本史」(佐藤洋一郎 中公新書)農学と自然科学が背景を解く、多様なコメが作った列島の自然と人々の歴史

本屋さんに数多並ぶ日本史の本。その殆どが作家や日本史研究者の方々など、史学、文学系の知識をベースとした内容で綴られているかと思います。

大きな歴史的な展開から治世に軍事的な内容。残された記録を頼りに築かれる人物像や、古文書に綴られる僅かな表記の揺れを捉え、その機微と思想に迫る内容まで。様々なテーマと切り口で描かれていく多くの書籍が出ていますが、その中でちょっと珍しいテーマを掲げた日本史の本。

今回は「米の日本史」(佐藤洋一郎 中公新書)をご紹介します。

著者の佐藤洋一郎先生は、イネ科植物の遺伝子生物学における著名な研究者、農学者。東南アジアにおけるイネ科植物の研究経験を下敷きにした、広く東アジア全般をカバーする文化人類学的な論考についても多数の著作を有される方です。本書も一連の著作に連なる内容ですが、テーマは日本史、それも日本史の中に描かれるコメという捉え方ではなく、コメそのものが日本史の背景を形作ったことを農学者の視点で描いていきます。

6つの時代に分けた通史としての日本史のテーマそれぞれにコメが与えてきた背景を織り込むという形で綴られる本書。自身は日本史の専門家ではないと本文中で度々述べるように、特に前半部分のコメの渡来から奈良時代の入り口までの古代史を扱った部分における通史としての日本史の著述はかなりイメージで語っている印象が強く、ややもすれば上滑り感すら感じられるところもありますし、読まれる方によってはかなり違和感を感じる部分もあるかもしれません。

日本史としての著述だけ見てしまうと、やはり農学者の方なのだから著述に無理があるのではと思わせてしまいますが、著者の意図は別のところにあります。それは本書が貴重な、日本の社会全般に浸透していた「コメの歴史」を日本史の流れの中に置いて描こうとしている点。

前述のような多くの日本史の著作で欠落する事の多い、自然科学的な視点で日本の歴史におけるコメ存在の必然性と社会、列島の自然に与えた影響を通史の中で示していきます。

数多に語られるコメの伝来と社会構造の変化。初めにその伝来と拡散の過程を議論していきますが、遺伝生物学が専門の著者は、その冒頭で日照時間と稲作の適応緯度、伝搬速度の関係を論じつつ、一般的に述べられる北方ルートでの伝来に対して、出土される炭化米の分析結果を添えて一定量の南方からの伝来、すなわち、特定のルートから単線的に稲作が持ち込まれた訳では無く、複数のルートから幾度かに分かれて伝わったはずであるとの自説を唱えます。

次に、稲作と社会性の関連についても、耕作道具が未熟な状況で、粗放な状況ではすぐに雑草との競争に敗れてしまうイネを育てる場所となる耕作地(水田)を起こす事は決して容易なことではなく、単にイネを携えた人々が海を渡って稲作を広めたという牧歌的なものではなく、かなりの強固な意図を抱いた一群が長期に渡って当地に定着しなければ稲作は広まらないと指摘します。主に考古学的な知見が用いられる稲作の伝搬の検討についても、水田は検知できるが、モンスーン気候の地で焼畑農耕の痕跡を発掘で検知することは極めて難しい点を指摘したうえで、それでも炭化米の分析結果などから、その初期から陸稲も伝来し、更には北方への拡散には既に苗代の存在があったのではないかと指摘します。

著者が伝来過程に拘る点。それは次の時代となる巨大古墳や建築物が次々と作られる古代王朝成立の過程において、その労働力を養う栄養価確保の問題から膨大な食料、すなわち穀物が必須であることを念頭に置いている事です。コメの伝来以前にあった他の雑穀類や堅果類ではそれだけの栄養価は得られず、得られたとしても下ごしらえの労力を考えると、相応の労働力(=食料)を賄えるのはやはりコメしかないと指摘します。

そして、著者は栄養価を得るための手段とその結果について、これまでに日本史で描かれる背景に疑問を呈します。農学者として東南アジアにおける豊富なフィールドワークを積んできた著者の視点は、現在の広い平野に水と緑を湛える水田が一面に広がる風景とは大きく異なる、もっと混とんとした稲作世界があった事を指摘します。

前述のように水田稲作において雑草との競争は永遠の課題(現代のそれは農薬の力を借りていたちごっこをしているに過ぎないと)であり、窒素肥料が用いられない水田では容易にイネの生育は雑草に敗れ、耕作を維持できないと指摘します。その結果、班田収授から墾田永年私財法に繋がる班田の不足とその中に荒田が多くみられる点を指摘して、単なる耕作放棄地ではなく輪作という観点を含めて「そうせざるを得なかった」のではないかと、農学者としての視点を添えていきます。その上で、古墳や宮殿などの巨大な土木事業を支える食糧増産を図るためには、耕作地の拡張と共にその肥料となる草木類の鋤き込みが必要であり、動力を用いた揚水(排水)に頼らないで水田が拓ける限られた土地と、その後背地に当たる所謂「里山」の開発が進められることになりますが、著者はそれらを以て画一的な水田稲作に傾斜した農耕の姿を歴史的な描写に投影する事に否定的な見解を述べます。

本書における中軸的な記述となると思いますが、歴史描写における多様な稲作とイネの姿への視点。

発掘された炭化米の粒度分布の調査結果による多彩な粒径、長さと圧倒的な粳の存在の中で限られた糯米から見出す、粉食や餅の存在。木簡に書かれた、全国に渡る、栽培地域ごとに異なる多様なコメの種類名称存在(品種ではない点に注意)。その中に見えてくる、早期に刈り入れが出来る、白米の系統とは異なる赤米、大唐米の存在が、白米だけでは成立しえない、農期、収穫時期の幅を確保し飢饉の発生を抑えると共に、年貢として、そして軍糧として(青田刈りへの対抗策としての存在であったとも)も使用されていた点を指摘し、調理法を含めて多彩な栽培、利用法が採られていたことを示していきます。

前述のような画一的な視点による白米至上主義の史観に対して農学者として明確な疑念を述べる一方、昨今多く述べられるようになった、前近代まで白米は年貢用であり、多くの農民たちは雑穀を食するに過ぎなかったという議論に対しても、前述の栄養価の側面からそれでは激しい肉体運動を要する前近代の農耕、労働に対して、高蛋白質の肉類を摂らず続けることは困難であったろうと指摘し、水田に抱き合わせる形で栽培されていた豆類と合わせて、これら多彩な「コメ類」が日常的に利用されていたと指摘します。更に、水田を作るために人為的に引かれた水路に定着する淡水魚類へのたんぱく質の依存という点を重ねることで、戦前まで長く続く稲作農耕を軸にした列島の姿、生き様が作られたと指摘します(ここで、ジャポニカ種という言葉の生まれた経緯とその分類について詳細な説明が綴られる点は、南方系の品種もテーマとするイネの研究者としての矜持を示すところで、インディカ品種への偏見と誤解を正したいと願う著者による強い思いが表れています)。

列島の姿を形作ってきた稲作とコメ。その姿は食料としてだけではなく年貢、更には金銭価値を持つ、基軸通貨に代わる役割を果たしてきた点は日本史の中でも多く語られる内容ですが、著者はもう一つの側面として、都市化を支えたのもまたコメの存在であった点を指摘します。税、年貢として各地から集積されるコメ。しかしながらその初期においては精米技術が未熟で、むしろ搗き過ぎで玄米と白米の中間的な状態で食していたと指摘します。所謂「江戸煩い」とも称された脚気、白米食によるビタミン不足である点はよく指摘される(この傾向は日露戦争の陸軍まで続く点も)事ですが、根源的な理由として白米の精米度が高まった訳ではなく、その前段階となる「玄米」を効率的に得る事が出来るようになった点を指摘します。籾を外した状態で保存できる玄米の存在こそが、コメの保存性と流通を飛躍的に高め、都市に集住する人々の膨大なエネルギー消費を支え、更には今日において日本の食文化と称される多様なコメを利用した菓子、料理、白米を主食として据える食文化を成立させたと指摘します(近世以前の人々は玄米食だったという表現も誤りであると)。

都市の膨大なコメ需要を担うために低湿地を干し上げ、山麓に通水することで水田を押し広げる事で列島の景観を一変させ、餅にも通じる白という色の意味と重なる都市が生み出した白米への強い思い。それらを追求し続けた先に近代の膨張と戦後の食糧増産の過程を描いていきます。著者はその中で、現在に繋がる品種を生み出した育種の発祥と既にその耕作技術が失われてしまった驚異的な収量を達成する事で要求に応えた篤農家達の存在を重ねながら、社会の近代化と全体主義的な傾向が増大する姿を大陸への進出に添えて述べていきますが、その著述はあくまでも農学者としての立場での言及に止められ、最後に近年の米食や棚田、稲架の景観への想いといった著者が現在最も力を入れている文化人類学的な議論へと移っていきます(コメに残る尺貫法を改める必要性など実に科学者、農学者らしい見解も)。

日本の歴史を背景から形作ってきたともいえるコメと稲作。その姿はコメ余りが叫ばれる一方、各地から送り出されるブランド米の勃興(これらがみなコシヒカリ一族であるという一抹の不安も含めて)というこれまでの時代背景とは全く異なる状況を迎えていますが、曲がり角を迎えた中で上梓された、碩学がこれまでのコメの研究者、文化人類学者としての想いを込めて綴られた一冊。またひとつ、日本史の背景描写に豊かな彩と視点を与えてくれる一冊です。

 

<おまけ>

本書のイネに関する著述内容のうち、著者の専門分野である東南アジアの稲作及びイネの遺伝学的な伝搬以外、その多くは著者を編者して昨年刊行された「日本のイネ品種考」(臨川書店)で執筆を担当した研究者の論考に依拠しており、一部の議論に対しては著者自身が別の見解も添えて述べる形で綴られています。少々お高いのですが、本書を読んでイネと稲作に関する各論についてご興味を持たれた方は、是非お読みいただければと思います(内容は一般読者向けなので平易です)

本書で議論の中核を担う、日本のコメ品種において否定的な捉えられ方をされる一方、実は陰の主役的な立場であった事を指摘する赤米、大唐米。その存在と広がりを史学の視点で地道な研究から描き出した、長野在住の在野の研究者が著わした「赤米のたどった道」(福嶋紀子 吉川弘文館)本書に於ける多くの指摘も当該書の記述に拠っていることを著者は明示しています。「ものの歴史」的な内容にご興味のある方はこちらの一冊もお勧めいたします。

今月の読本「中国くいしんぼう辞典(原題:吃貨辞典)」(崔岱遠 李楊樺:画 川浩二:訳 みすず書房)その余韻に浸り続けたい、溢れる好奇心を繋いだ絶妙な訳で誘う食卓の向こう側

今月の読本「中国くいしんぼう辞典(原題:吃貨辞典)」(崔岱遠 李楊樺:画 川浩二:訳 みすず書房)その余韻に浸り続けたい、溢れる好奇心を繋いだ絶妙な訳で誘う食卓の向こう側

昨年の11月頃にある書評で紹介された直後に入手してから3か月ほど。

昼休み、帰宅後、そして就寝前。普段の読書では一冊を一気に読み切るタイプなのですが、この一冊だけは、愛おしくも一篇、一篇とその余韻を噛み締めるかの如く、こつこつゆっくりと読み進めていました。

中国くいしんぼう辞典

今回は「中国くいしんぼう辞典(原題:吃貨辞典)」(崔岱遠 李楊樺:画 川浩二:訳 みすず書房)をご紹介します。

原題の「吃貨」すなわち食いしん坊の事ですが、著者の想い、そして本書の内容を現すには最も叶った表現かと思います。中国語は音で表すことを重んじると著者が述べるように、その発音(チーフォ)のイメージ通りに唯、食べることが大好きな著者による、生粋のと称する著者の地元である北京を軸に中国全土に広がる数多な料理を訪ね、食した内容を綴る「辞典」。全部で83の料理が紹介されますが、そのスタイルは一貫しています。

著者が辞典というスタイルを採るために選んだ三つのテーマ、家庭、街角、そして飯店。語られる内容はその土地の物語から始まり仕込みから調理法、最も大切な食する姿とその味、そして料理に纏わるちょっとした蘊蓄と歴史のお話まで。ひと手間かける祝祭の料理から、今やその店はなくなり、周囲の光景が一変してしまった中で、変わり続けながらも作り続けられる精緻な技を凝らした名料理まで。著者の筆致はそれらを等しく扱っていきます。

著者が食していく世界は、家庭料理では北方の北京が中心となりますが、後半に行くと徐々に遼東や四川、杭州へと広がっていきますが、変化しつつもそれぞれの土地にしっかりと根付いた、その土地でなければやはり味は変わってしまうと述べていきます。土地を重んじ、土と水と海、移り変わる季節それぞれに獲られる食材に最も叶った調理法を時には凝らし時にはシンプルに、季節、そして食材の恵みを感じさせる一品。各地の料理を称揚しつつ綴っていきますが、それでも著者の故郷である北京、中国北方の家庭料理、そして羊肉の料理にはひとかたならぬ想いがあるようです。特に印象的だったのが、屠る肉は変わっても、それらがイスラム系の料理の系譜を継ぐものであることを明確に示す点。本書で初めて知った事柄ですが、アジアの東端でもある中国、地続きのそれは常にコスモポリタン的な世界を内包していた事を改めて教えてくれるようです。

そして、本書の最も印象的な部分、これは原著を読む事が出来ない身にとっては推察するしかない事なのですが、独特の味わいを持った訳が醸し出す、少し懐かしさと素朴さを漂わせる活字の向こうに広がる食卓の姿。

著者は1960年代末生まれの編集者と称しており、決して往年の大家、美食家、名料理人という訳ではなさそうです。しかしながら胡同が残る古い北京の街並みを記憶に残す著者(とその訳者)の筆致は、何処となく現代の急激な発展を遂げる中国のひとつ前の世代の雰囲気を濃厚に伝えてくれるような気がします。家族が一堂に会する春節を迎える料理を仕込む家人の姿、活気溢れる労働者の騒めきすら伝わってくる街角で振舞われる、素朴で人の温もりを感じる湯気が上がる風景。そして、秘められた歴史とその背景、実際の姿を淡々と述べながら精緻な技に舌鼓を打つ、名店の卓。

一つの料理は僅かに4ページほど、中国料理に不慣れな私にとってはどの料理もほとんどが未知のもの(訳者あとがきにあるように、その日に合わせた(点菜)を要領よく選ぶ技は学問ですらあるというくらい、数多な料理がある)、それでも一品一品を読み進めていくのが楽しくなる、文章の向こうから物語とそれを食する著者の姿、美味しさと共に食卓の景色が、かぐわしい香りと共に緩やかに浮かび上がってゆったりとページの向こうに消えていく。その波のように寄せては引いていく姿についつい浸りたくなってしまい、次の一品へと読み進める手が止まってしまう。

シンプルで味わいのあるモノトーンの線描による、ちょっとノスタルジックなイラストがそのイメージを膨らます、愛おしく読み進めた本書を包み込む美味しい物語たち。前述のように著者は料理専門家でもなく、美食家という言葉にすらやや疑念を持たれている方。ではこのような滋味溢れる内容がどのように構築されたのかといえば、実に現在の中国を象徴する、数多に溢れるネット上の情報と著者と彼らとの情報交換により積み上げられた繋がりの上に生み出された物語。もちろん著者の旺盛な好奇心と食いしん坊としての姿がその下地にあるのですが、本書の全体を包む一貫したイメージの構築に成功したのは、広大な国土に広がる数多ある料理とその風物を自らのものとしている、各地に住まう人々を結び付けたネットの力が推し支えたもの。そして、著者の意図するところを充分に汲み取って、異邦人たる我々に伝えてくれた、中国語に練達され、ご自身も中国文化、中国食文化の研究をされている訳者の力量のなせる業。

暖かい料理が恋しくなる厳冬期、著者が愛おしむ北京同様に寒さ厳しいこの地で、活字の向こうに立ち上がる湯気に映る見知らぬ料理と風景を思い浮かべながら、穏やかなその筆致に身を委ねる幸せなひと時を届けてくれた素敵な一冊です。

今月の読本「サケをつくる人びと」(福永真弓 東京大学出版会)人と社会を重層的に描く、宮古・津軽石の地域史と近現代水産増殖歴史に霞む水面の向こう側

今月の読本「サケをつくる人びと」(福永真弓 東京大学出版会)人と社会を重層的に描く、宮古・津軽石の地域史と近現代水産増殖歴史に霞む水面の向こう側

興味を持った一冊を本屋さんで拾い集めながら読み続ける日々の中。

今年最初の本は、表題を見て是非買って読んでみたいと思っていた一冊。しかしながら、その内容には大いに悩まされる一冊でもありました。

サケをつくる人びと

今回は「サケをつくる人びと」(福永真弓 東京大学出版会)をご紹介します。

食べ物や生き物、特に魚類が大好きな私にとって、川と海を行き来する「脂鰭」を持った鮭・鱒の一族は特に興味を引く存在。特に鮭については、水産資源として重要なだけではなく、東日本、北海道(アイヌ)において民俗学的にも特異な存在にあることはよく知られているかと思います。

本州における鮭の多く遡上する場所としても知られる宮古、津軽石に幼少時代の所縁を持つ著者による、水産資源としての著述内容である事を匂わせる副題の付くこの一冊。書店に並ぶ一般書としてはかなり高額(6000円超)かつ、大型のA5版で本文も450ページを超えるという、昼休みと就寝前の数時間という限られた読書時間と、趣味のお小遣いの中から月々の読書代を捻りだす身としては、おいそれと手を出せる領域の本ではありません(買うの、辛かった)。それでも表題に期待する所が大であったため、本屋さんで手に取ってさらっと読んでみたのですが、これはちょっと苦しいことになりそうだという予感を秘めてレジに向かうことになりました。

魚類、水産学の本ということですと、読み物系であっても大抵は左綴じ右開きで横書きで書かれた本というイメージが強いのですが、本書はその版型には不釣り合いな右綴じの左開き、縦書きで綴られる、人文学系の書籍を思わせるスタイルを採っています。そして、綴られる内容も装丁の通り、人文系の視点に立った記述であることが濃厚に伝わってきます。著者は版元さんと同じ大学に所属されていますが、所謂学際領域と呼ばれる分野に属される方。その所属学部が標榜される姿のままに、近現代の東北から北海道における鮭の人工ふ化増殖の歴史的な推移を水産学から引く一方、国際情勢や政治的な背景を織り込みながら、ご自身にとってゆかりの地である、津軽石の地域史の中にある鮭漁、増殖の歴史というふたつのテーマをバインドしていきます。

本文中では江戸時代から現在へと著述は進められていくのですが、双方の物語が交互に描かれていくなかで、重複する内容が繰り返し語られ、時代描写もその都度巻き戻されて書かれていくため、記述内容が冗長でお世辞にも通読性が良いとは言えません。その結果、同じような内容が重複するたびに章立ての前後の関連性を繰り返し指摘する事となり、さらには著者が掲げるある種のビジョンがその都度文中で繰り返され続けるため、一冊を冒頭から読み進めながら、文章の流れや行間にある著者の意図や背景を認識したいという読み方を採るには煩雑過ぎて極めて苦しかったという事を述べておきたいと思います。

本質的には宮古、津軽石川を軸に置いた、鮭の増殖とその環境、周囲にある人々の物語へ近現代の水産増殖史を添えながら描くという手法でよかったと思われるのですが、あとがきにもあるように著者の指向性はそれを許さず、結果として著者は単線的な著述になったと述べていますが、地域史と水産増殖史の二つのテーマを著者のもう一つの想いで編み上げる、三つの物語が同時並行で描かれることになっています(さらにもう一本(いや二本でしょうか)の軸を置こうとしたようですが)。かなりのボリュームを持つ一冊である一方、二つの主軸(正確には三つでしょうか)がそれぞれに描かれていくため何とも消化不良な感が拭えない内容。その著述にも少し考えさせられるところがあります。

表題にあるような水産増殖としての長い歴史を有する、水産学や生物学的な鮭の物語を読んでいこうと思うと、どちらかというと当時の時代背景や社会的な要請、政治的な背景を描く(北洋漁業の転進と増大する鮭の増殖、ふ化増殖と対立軸に置く栽培漁業)事に力点が置かれている水産学、水産史、研究者の人物史としての内容。一方、宮古、津軽石を舞台にした江戸時代から続く津軽石川を軸に置いた鮭漁とふ化増殖の歴史。漁場としての川、湾内の漁獲権の争いから始まった遡上河川としての津軽石川の保全から、漁業者にとっての川の利権としての人工ふ化事業への傾斜。戦後の漁協の統合を通した宮古湾全体の地域史、人物史と描かれる内容は、近現代の水産増殖史へとバインドされる際にも、同じ内容が章立てで分断されてしまっていることもあり、登場する人々が大きく行き交う姿の背景を描く際に折角の積み上げられてきた著述が生かしきれない、相互の連動性へ繰り返し繰り返し文中で別途に指摘し続けなければならない、分離しがちな筆致に終始します。

そして、本書を読んでいてどうしても引っかかっていた点。前述の二つのストーリーを織り込むために著者が繰り返し述べ、最後に一章を立てて述べられる視点の向こうに映らない、主題であるはずの「鮭の姿」。

あとがきにも綴られる、多大な労力を掛けて津軽石で多くの方に取材された人物、地域史としての内容(ほんの少し民俗学的な視点も差し挟んで)。ご本人の研究分野である水産増殖史から浮かび上がる戦前、戦後の水産行政と急激なふ化増殖による、北洋から沿岸への水揚げのコンバート、そして社会学、倫理学としての学術的な視点。自然環境や社会性への問いかけと、その中でも人を介することなしに生きることはできないという、強い暗示を込めた漁獲物としての鮭へ対する永続性への想い。それぞれの著述に対して著者はまだまだ書き足りないことを訴えていますが、相対的に見ても一般書としては大きなボリュームを割いて書かれる本書。その内容は歴史的な推移であり、社会的な構造変化の物語であり、その中に生きた人々の物語。その枠組みの中にテーマを形作るはずの「鮭の姿」が浮かび上がってこない。もちろん、あらゆる場所で「鮭・鱒」という単語は用いられるのですが、著者がどんなに繰り返し述べられていても、それらは研究対象としての「もの」以上に読み手には映らない。著者が述べ続ける、人が介在することを前提とした「わたしたちのもの」という、漁業を描くとすれば当然とはいえある種独善的な視点。鮭と人という二項における片側、地域と人の推移、水産業としての時代要請、人にとっての環境や未来を描く姿へと想いを馳せていきますが、もう片方にある、水面の向こう側で人の手が介在されようが、環境が激しく改変されようが自らの生を以て生き抜き、自律的に変化してるはずの鮭・鱒の姿。彼らの生きる姿や変化をあまり捉えることなく、研究対象を相対化するために用いられる、静物的な「もの」として固定化されたままに思考停止してしまっているように思えてならなかったのです。

本書の謝辞にも挙げられている宮内泰介氏や、農学ではない、食と農業史を標榜されて活発な執筆・講演活動をされている藤原辰史氏の著作に通じる視点を感じる、社会学、倫理学としての人文系の方々が読みたい、議論されたいと思われているであろうシナリーとビジョンを示される著者の筆致。彼らの学術的なスタンスがそうさせるのでしょうか、その内容にはテーマに置かれている「もの」に対する視点が余りに「褪めて」おり、人や社会、描きたいと願う人の未来の姿ばかりが浮かび上がってきてしまうようにも思われます。

地域史でも水産学でもない、著者の所属される研究分野である学際領域という姿が目指す内容、実際に本書で描かれる内容と、鮭と人との関わり合いを双方の視点から読んでみたかったと思う中で、その小さくないギャップに苛まれながらページを閉じた次第です。