今月の読本「日本人ときのこ」(岡村稔久 ヤマケイ新書)日本人と松茸の素敵な関係は里山の開発と共に

今月の読本「日本人ときのこ」(岡村稔久 ヤマケイ新書)日本人と松茸の素敵な関係は里山の開発と共に

秋の到来を味覚から告げてくれるのも、新米や栗、果物もいいですが、やはりとびきり嬉しいのは庶民的な秋刀魚に、秋の味覚の王者たる松茸。今年はどちらも不振を極めて寂しい便りが伝わってきていますが、いずれも秋の味覚に欠かせないもの。では、なぜ数ある椎茸類のうち、松茸が味覚の王様になったのか、歴史を紐解いてみると、興味深い物語が隠されています。

今回ご紹介するのは「日本人ときのこ」(岡村稔久 ヤマケイ新書)です。

一般の書店において微妙な扱われ方をされる場合が多いヤマケイ新書。特に装丁がグリーンのシリーズは、ブルーの装丁が施されたアウトドア、登山、釣りといった山と溪谷社のメインストリームとは少しテーマの離れた自然科学的なテーマを扱っており、本屋さんでの扱われ方もバラバラ。ブルーバックスと一緒に並んでいたり、丈のある図鑑用の書棚の脇にそれこそ申し訳なさそうに置かれるなど、結構不遇な扱われ方をしているかもしれません。

そんなあまり目立つ事のない新書シリーズですが、送り出されるラインナップは学術的側面を具えていたり、社会問題にまで通じる等、実に興味深く、何時も新刊を楽しみにしていたりします。特に今回の一冊はその版元さんのイメージとはかなりかけ離れる「日本史」をテーマに置いた一冊。著者の経歴を拝見すると、実は松茸をテーマとして2冊も同じ版元さんから本を出されている事が判ります。従いまして、本書は「きのこ」を表題に置いていますが、その内容は圧倒的に松茸のお話、詩歌で詠われ、物語で語られる姿を綴り、その印象を語る筆致で占められています。特に平安後期から近世までは一貫して松茸のお話に終始します(なお、近世に入ると本草学と菌類図譜でみる、きのこの形態識別と毒の有無に対する認識の違いや、椎茸の榾木の作り方の進化といった現代に繋がるきのこのお話も豊富に語られます)。

新書として手に取りやすい形に纏め直した感もある今回の一冊。しかしながら前著ではメインであった富士山を離れて、本書では江戸時代以前はほぼ一貫して西国、京都がその舞台となります。古くは奈良時代の歌に詠まれたヒラタケから始まり、平安時代になると徐々に唄や史料に見えてくる松茸。室町から安土桃山の頃になると、京都の周辺ではそれこそ大量に松茸が採れたことが史料から判ります。特に、戦国期に入って物資が窮乏する京都における公家や宮家の皇子までも山に分け入り松茸を嬉しそうに追い、巧く収穫にありつければ、縁者に差し入れたりその場で酒盛りを始めてしまう等々、日記に描かれるその姿は、厳しい生活の中でも微笑ましくさえあります。更には、この種の日本の食生活の歴史を綴る書籍では外す事の出来ない史料である、山科家三代の記録から拾われた戦国時代の公家の食事ときのこの登場の仕方、そして醤油の発生による調理、保存方法の変化についても述べられていきます。

近世にはいって江戸が政治だけではなく文化の中心としての繁栄を遂げる頃、数々の唄や読み物に登場するきのこ達の中で、奇妙なことに松茸を珍重するのは京都をはじめ西国が中心であり、江戸ではハツタケが売られるばかりで、松茸はあまり出回っていなかったことが判ります。そして、京都に於いても今や超高級品である丹波の松茸は、江戸時代に於いては卑しまれていた事が判ります。

印象的に語られる与謝蕪村が宇治田原で詠んだ歌の一節。宇治拾遺物語に引っ掛けてなぜヒラタケが物語に出て来るのに、松茸は出てこないのかと訝しがる点に、本書のもう一つのテーマが隠されています。

それは松茸の生育と深くかかわりのある背景。現在、松茸の生産量の6割を占める長野県、その生育場所は程よく手入れのされた山裾のアカマツ林であることは常に云われ続けている事かと思います。モンスーン気候の影響を受ける東北以南の日本列島において森林の極相は広葉樹林であり、アカマツのような針葉樹は遷移の序盤に先駆種として現れる樹種。そのような樹木が山林に存在するのは、その生育場所自体が何らかのかく乱を受け続けている証拠になります。

京都を中心として歴史上、人々の記録の中に営々と綴られてきた松茸。実は、大規模な木造建築によって広葉樹を切り出した後に生育したアカマツがあったからこそ松茸が豊富に採れたのではないかと、最新の植物学と分析考古学の研究結果を紐解きながら述べていきます。大規模な寺社、都作りの度に伐り出される木材。杣として伐り出された伐採地は、伐り出す樹木が無くなると、杣山としての後山から里山としての農耕付随地へ転換していきます。完全な農耕地へ転換する前の秣取り等で人手が頻繁に入る、木々がまばらとなった山に良く育つのが松茸。都の周囲で刈り出す木が無くなる度に、更に遠くから木材を伐り出すため、松茸の取れる場所も徐々に京都から離れていったことが残された記録、唄や物語からはっきりと見出す事が出来ます(今や長野がその里山を最も豊富に持つ場所になったのでしょうか)。

日本人が愛してやまない愛おしいそのきのこが、実は日本人、特に都の人々の暮らしとその環境に密接に関わって来たと知れば、その貴重さと共に、自然に生きる生物ではなく、日本人の暮らしと共生してきた生き物であるという実感が湧いてこないでしょうか。

未だ人工栽培できない、自然のままにしか生きられないようなその生き物が、実は人の手を借りなければ育つ事すらままならないという点にちょっとした愛おしさすら感じながら、きっと京に暮らした人々も、そんな自分たちの生活に寄り添ってきた愛すべき「きのこ」への想いを今に至るまで綴って来たのでしょうか。

本書と併せて読みたい、京都周辺における里山の成立と歴史的な発展を、本書と全く同じアプローチで(引用原典はどちらも同じです)詳述する「里山の成立」(水野章二 吉川弘文館)。そして、時代史の研究では極めて有名な山科家三代の日記から、敢えて日々の食事の記載だけを抜き出して詳細に検討を加えた上で、日本の食生活と食文化の萌芽を読み解くという、貴重かつ、この分野では極めて先駆的なアプローチであったため、本書を始めあらゆる日本の食文化史の書籍で引用される名著「日本の食と酒」(吉田元 講談社学術文庫)。どちらも本ページでご紹介しています。

 

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今月の読本「食品サンプルの誕生」(野瀬泰申 ちくま文庫)そのアイコン化の華を生んだ日本人の感性

今月の読本「食品サンプルの誕生」(野瀬泰申 ちくま文庫)そのアイコン化の華を生んだ日本人の感性

最近は大分減ってしまいましたが、食堂やレストランの店先を賑やかに飾っていた食品サンプルの数々。今や食玩や河童橋のおみやげとしてのアクセサリーの方が有名になってしまっているかもしれませんが、バブル崩壊前後の頃は、ごくごく当たり前に街中のワンシーンとして溶け込んでいた懐かしいその姿を追った、本邦初とも言われる、食品サンプル誕生と発展の物語を語る一冊が、この度、文庫化されました。

収蔵されたレーベルは、居酒屋文化に関する多くの著作を収蔵する、ちくま文庫。流石だなぁと思いつつ、さっそく手に取って読んでみました。

今月の読本、7月ラストの一冊は「食品サンプルの誕生」(野瀬泰申 ちくま文庫)のご紹介です。

まず、本書の初版は2002年に刊行されており、今回の文庫化までに15年の歳月を経ています。従って、時代背景を綴る部分については、現在の状況とだいぶ異なっている点を理解する必要があります。特に四章で語られる、韓国及び中国における食堂の様子や提供される食べ物の傾向、食品サンプルへの取り組みなどは現在の状況と全く異なります。また、日本の外食産業における食品サンプルの比重や、店頭における文章によるメニュー説明と食品サンプルの比較の部分などは、当時の状況とだいぶ変わっているかと思います。上海の取材記で著者が述べているように、食べ物、特に外食のメニューは時代と共に変わっていく姿を端的に示すものでしょうから、この辺りの時代差は当然と考えなければなりません(表紙の写真自体が、既にノスタルジーを感じますよね)。

その上で、本書が極めて貴重なのは、日本独特の食品サンプルがなぜ生まれたのか、その誕生の経緯をほとんど唯一、検証を含めて明らかにした一冊である点です。

本書の著者は日経新聞の記者の方。元々は九州地方における地域毎のローカルフードの変遷を追いかけていた際に、実際の料理を確かめる手間を少し端折るために、食堂に飾られた食品サンプルの比較を始めたことがきっかけであったと、今回の文庫化に際して添えられたあとがきで述べられています。

全文に渡って通貫する「日経の文屋さん」らしい筆致が遺憾なく発揮される、食品サンプル発祥を追い求める物語。その後、現在の食品サンプル業界を牽引する会社の社長さんとの巡り合いから、解説用の小冊子を手掛ける事になった際に改めて追跡をし直した、その原点を探し出す取材記は出色と言える内容です。最終的な結論として辿り着いた三つの始まりの人物と、一つの始まりの展示場所。食品サンプルを商業ベースに乗せた大阪から始まった物語は、その発祥と言えるデパートの食堂を辿って東京へ、そして食品サンプルそのものの発祥を訪ねて京都へと舞台を移していきます。阪急、白木屋、そして島津製作所へと続いていく物語は、戦前の日本にも確かに存在した、現在と比べれば質素ではありますが、ちょっとしたぜいたくが出来るようになった、デパートにおける「お食事」、外食の繁盛を切り盛りするための、アイデアに溢れた施策の先にあった事を教えてくれます。

そのアイデアこそが、食堂でメニューを選ぶ際に、言葉や文章を駆使する訳でもなく、実物も用いずに、効率的にイメージを抱かせるための道具としての食品サンプル。更には、テーブルでの煩雑な収受を省く食券による事前購入との組み合わせて、狭い食堂のスペースで圧倒的に効率的な回転率を確保していたことを、当時の資料から分析していきます。

そして、著者はなぜ日本人だけがこのようなアイデアを受容しえたかを検討していきます。本書のもう一つの白眉、日本人の食事のメニューに対するこだわりの分析と食品サンプルの必要性を重ね合わせていきます。

そこには、大衆化と言えるメニューの汎用化の先に、複雑で難解なバリエーションをこまごまと作り出すことをオリジナリティと踏まえる、日本人特有の感性。同じ商品でも土地ごとに全く異なる名称を名付けてしまう、細やかなローカライゼーション。更には、文章を読まず、無意識のうちにイメージで物事を理解しようとする民族性が潜んでいると、ヨーロッパ、とくにフランス料理のメニューやオーダーの方法との比較から鋭い指摘を繰り出していきます。バリエーションと名称の説明を省く手っ取り早い方法、ビジュアルでその差を明確に示すために、本来は料理のイメージを迅速に持たせるための存在だった食品サンプルが、バリエーションの微妙な差を表現すべくどんどん先鋭化していったと事を見出していきます。著者はそれらの延長として、これも日本人特有と言われるロボットへの愛着(昨今の深層学習AIに対する衝撃を殊更唱えるのも日本人ですよね)と同様に、それらの鮮やかな技巧への憧憬の心が、食品サンプルの進化を更に推し進めたとしていきます。

確かに、食品サンプルも食玩も、そのような技巧に魅せられる点は多々あるかと思います。しかしながら、どちらもギミック。本書が上梓された直後から急激に進化を遂げた食玩も、当時は極めて幼稚な技巧に留まっていたはずです。そのように考えると、技巧に魅入る以前に、日本人にとってこれらのギミックが響く点がきっとあるのだと思います。それは、漫画やアニメーションと全く同じ、記号化、単純化された状態から元の姿を自在にイメージするベースを持った、アイコン化への共感。著者が述べるように、食品サンプルのラーメンに載せられるネギはビニールチューブの輪切りに過ぎず、浮かべられた海苔は黒いゴワゴワとしたビニールシートに過ぎません。食品サンプルを見た多くの欧米人の反応の通り、それらは凄くよく出来たギミックではあるが、ギミックであってそれ以上では決してない。しかしながら、私にも、確かに食堂のガラスケース越しに、スープに浮かぶシャキシャキしたネギの歯ごたえを思い起こし、海苔から発する海の香りを感じる事が出来てしまうのです。

デフォルメ化され、アイコンとなったその姿から、豊かなイメージを湧かせる一方、単なる単純化に飽き足らず、細々とディテールやバリエーションに拘り、微細な差異に一喜一憂する。折角単純化、記号化した物を、再び微細に先鋭に分別して仕上げていく日本人の両極端なその姿をまざまざを示す好例が食品サンプルなのかもしれません(逆に、プロトコルや標準規格の制定、デザインシステムや統一的なフォントセットの構築が大の苦手なのは、よく言われる通りですね。言葉を介さずイメージで語るため、共通認識に微妙なずれが常に付きまとう)。

終章で語られるように、本来は迅速にイメージさせるための記号化、デフォルメであった筈の食品サンプルは、冒頭の写真にあるように、もはや本物を超越するほど(本物では出来ないシチュエーションすら作り出す)のリアリティを有しており、その技術と同じような道筋に、現在の食玩たち、そして日本人が好む、限りなく現実で現実ではない、独特なリアリティの構築という世界観が存在することは論を要さないと思います。

日本人が作り出した、イメージをアイコン化する手法の華である食品サンプル。いまや食堂のガラスケースは空っぽというお店も多くなってしまいましたが(初期の食品サンプルは材質の制約もあり、照明や日射によって劣化することもあり、当初からレンタルが一般的だったそうです)、本書が刊行された時点では想定もし得なかった新しいステージを得たその技法は、日本人の感性が求める限りに何処までも先鋭化していくのかもしれません。

 

今月の読本(特別編)最後という名の未来を願った名著「職漁師伝」を経て、その一冊は今に続く姿を刻み込み文庫へと『溪語り・山語り』(戸門秀雄 山と溪谷社)

今月の読本(特別編)最後という名の未来を願った名著「職漁師伝」を経て、その一冊は今に続く姿を刻み込み文庫へと『溪語り・山語り』(戸門秀雄 山と溪谷社)

本ページでもご紹介している、今やほとんど失われてしまった、川をその生業とする人々の語る物語を、同じく川をフィールドとする釣り人のとして、同じ視線で、同じ河畔、溪に共に佇みながら、丹念に聞き取っていった記録と貴重な写真で綴った一冊「職漁師伝」(農山漁村文化協会(農文協))。その原点ともなった、当時の雑誌連載記事を一冊に纏めた書籍がありました。

著者が多くの原稿を出稿されていた山と溪谷社から丁度平成と年号が改まった後、バブル崩壊の足音が忍び寄ってきた平成二年(1990年)に刊行された『溪語り・山語り』(戸門秀雄)が、遂に新生ヤマケイを打ち立てる起点となったヤマケイ文庫に収蔵される事になりました。

編集者の方もこのように推されている一冊。山に纏わる物語や、山村、そして川、渓流釣りに関する書籍は数多ありますが、実際に一緒に溪を歩きながら、更には山の中に掛けられた小屋での語り合いを記録された物語は、民俗学を掲げる方々が一瞬で霞んでしまう程の、山で、川で暮らす人々が工夫を凝らした道具に対する知見と豊かな説話を積み重ねており、ニュートラルな筆致と併せて、他に追従を許さない独特の著述感「日本の溪と山を語る」世界を築き上げています。

本書が更に嬉しい点は、「職漁師伝」では表題の関係上割愛された、広範な川と山に関わりながら生きる人々の物語が語られる点。上田の伝承毛鉤に相木村の計算漁、伊那谷の虫踏み、そして井伏鱒二と下部の床屋さんの物語。一度聞いてみたかった、地元に残る川の物語が続々と描かれていて、多少なりとも地理感のある方であれば、活字を追うだけで、その風景が浮かび上がって来るようです。

更には、尾瀬の風物詩となった背負子さん発祥の物語に、カーボン竿を敢えて手中にする竿師・正勇作氏の苦闘、そして今最も話題となっている熊たちと山の人々の物語。山と川に纏わる実に広範な物語が描かれていきます。

このように書くと、30年近く前に刊行された本を通して、単にノスタルジーに浸るための一冊にも見えてしまいますが、著者の筆致の素晴らしい点は、ノスタルジーに留まらず、その先への想いを込めて、実情を述べていく点。著者が最も気に掛け続けている、最初に取り上げられる雑魚川と広範な奥志賀の山中で活躍した、往年の職漁師の系譜を継ぐ人々が先頭を走る渓流保護の実情や、魚止めの滝の上に住まうイワナ、そして山女と名のつく山村の川で交じり合うヤマメとアマゴ。会津も更に奥地の檜枝岐、そこらか更に渓流の奥深くに構えた山椒魚獲りの燻製小屋にまで大学の研究者と呼ばれる方々が押し掛けて大量の山椒魚の燻製を入手していく(発育不良の治療薬になるらしい)という、山里の物語が、最先端の話題にも繋がる事を示していきます。

そのスタンスは文庫化に当たっても貫かれ、全15本のテーマで語られる全てのお話について、数行ずつとはいえ最新の動向を載せいています。その中で、漁の規模が小さくなったり人が入れ替わりつつも、殆どのテーマに於いて30年近くを経た今でも、人々と山と川との関わり合いが続いている事を確認していく点は、本書が正に今に繋がる一冊である事を雄弁に語るかのようです。

山と川の流れがある限り、人がその場から去らない限りきっと続いていく物語の、失われようとする一面と、今もしっかりと息づいていることを再確認させてくれる本書、もし少しでも山や川に思い出がある方であれば、きっと楽しく、そしてちょっと懐かしくもその姿に、彼らの生き様に、今に力強く生き続けている物語に励まされる一冊かもしれません。

溪語り・山語りと職漁師伝

<おまけ>

本ページより関連する書籍のご紹介。

今月の読本「ウナギの保全生態学」(海部健三 共立出版)生物学が社会学へと繋ぐ、生態系サービスという名の架け橋は

今月の読本「ウナギの保全生態学」(海部健三 共立出版)生物学が社会学へと繋ぐ、生態系サービスという名の架け橋は

今年もこのシーズンがやって来ました。

近頃では年間を通して話題に上る事もありますが、やはりピークは盛夏のひと時。庶民の贅沢、夏の滋養の源としてもてはやされたのは既に昔、今や自然環境保護のシンボルに掲げられるようになったその魚が、一時に大量に流通する土用の鰻のシーズンです。

食として、漁獲や養殖として、更には生態の神秘について昨今色々と語られていますが、本書はその先へのアプローチを求めて上梓された一冊のようです。

ウナギの保全生態学今月の読本、「ウナギの保全生態学」(海部健三 共立出版)のご紹介です。

この耳慣れない「保全生態学」という言葉。はじめににもあるように、分量の割には決して安価とは言えない、しかも版元さん故もあって専門書のコーナーに置かれるであろう本書を手に取られる方にとっては、本書の1,2章で述べられる、ウナギの生態や巷間で喧伝される事柄については既にご承知かと思います。ウナギの生態と生息環境についての問題点、そして経済活動上の問題や課題をコンパクトに判りやすくまとめていますので、これらの問題点について理解するための取っ掛りとしても充分有用な一冊です(お値段が許せば)。

その上で本書のキーワードとなる保全生態学という言葉、昨今随分増えてきた、何でも詰め込めば良いと言わんばかりの表記に時に首を傾げてしまう、大学の新たな学科名の一形態にも思えてしまいますが、実際はどうなのでしょうか。

表紙にわざわざコーディネーターとして名前を連ねられている、著者の研究上の指導者である鷲谷いづみ氏が寄稿した巻末辞をご覧頂ければそのアプローチが判るかと思います。生物学がそのフィールドを広げて、広くその生息環境、更には生息環境に関与する社会的な構成にまで議論を広げていくために用いられる、幅広い領域をカバーする名称としての保全生態学。その象徴として、資源的にも有用かつ貴重であり、海と川を行き交い、魚類としては極めて長命を誇るこの奇妙な魚が最も相応しいと感じた著者の想いが述べられていきます。

アリストテレスを持ち出すまでもなく、このようなアプローチを突き詰めていくと最後は哲学に行き着くのは、もはや必然ではありますが、保全生態学はまだもう数歩手前、生物学がそのフィールドを研究室の水槽やフィールドでの調査活動からもう一歩進んで、社会的な価値やインパクトを与える事が出来るのかという道程を模索しているようにも思えます。その中で著者が用いるのが「生態系サービス」という聴き慣れない言葉。環境、経済に対して影響する区分を表を用いてその構成要素を示していますが、ちょっと首を傾げてしまうかもしれません。

人文社会学へのアプローチとして生物学側から提示された枠組み(フレームワーク)なのだと思いますし、その範疇が広く社会全般をカバーしている事はよく判ります。また、その象徴として声なきウナギを掲げる点は理念としては理解できます。一方で、主にサービスの受益者として、その枠組みの観察者として登場する生物学に対して、同じフィールドを経済活動として実際にサービスを供与すべき側に立つであろう水産学から見たとすれば、その捉え方はちょっと外的目線かつ、社会活動的側面が強く出ている気もします(これは理学と工学の分野でも同じことが言われています)。

そのような感覚を最も強く感じたのが、少ないページ数(本文140頁、参考文献を除けば130頁弱)の中で1割を費やして述べる、漁業法第127条(義務放流)に言及する部分。生態学の研究者の方々の多くが、漁獲制限を含む経済的な側面を指摘して(更には水産学に対して)統計的な資源量の調査の不備を指摘される度に引っ掛かる点でもあるのですが、一方で職漁者(特に内水面)にとっては、農業従事者が農地を所有し、里山を入会として管理しているのと同様に、職漁の場もまた同じであるという点が欠落しているように思えるのです。占有面である農場や圃場に対して公害抑止の観点で議論が求められる場合はありますが、それ以外の農耕や収穫に対して第三者の議論が持ち込まれる事はあまりないかと思います(本書では圃場整備による流路の固定化について言及していますが)。一方で、水面に対して完全な占有所有権を設定できず、川や海などが多くの場合、共用すべき空間、資源として認識されているが故に、一方的な漁獲が許されず、持続可能性が求められるが故にこのような条文が用意されており、逆に言えば、職漁者にとっては自らの漁獲の補償の範囲内の責任を有するに過ぎないとも捉えられます(減反やTPPのお話は別としたいですが、ことウナギに関しては、当事者から見れは同じように映る点があるのかもしれません)。

農業者にとっては自らの収穫や自らが所属する社会性の範疇における責任を有するのに対して、職漁者だけが自らの漁獲に対する弁済と規制のみならず、遥かに広範囲な責任を、自らが所属する社会性の外に対してまで負わなければいけないのであれば、その生物学からのアプローチは少々厳しすぎるようにも見受けられます。このような着目点において、職漁者自らが自然遡上を促したり、漁獲削減を含む活動を起こす例も既に出てきており、海洋水産物に関しては行政によるより強力な、資源調査や補償を含む禁漁等の資源回復策が試みられています(その活動には水産学系だけではなく、生物学系の研究者の方が多数協力されているのも事実です)。

その中で、著者が自然の生態を遡る事は既に困難になっていると評するように、コンクリート固めの養殖池然と化してしまった各地の湖沼や河川に於いてこれらの実現を図るためにどうすればよいのか。著者は保全生態学が望むテーマに則り、持続可能な社会の追及を標榜し、市民、そして国際的なステークスホルダーによる協業や意思の集約といったスケールの大きな議論に進む事を望んでいるようですが、その中に河川の水産資源を日々の生業として生きている方々の影があまり見えてこない点に、幾ばくかの違和感を感じながら。

その一生の多くの時間を淡水の影響を受ける水域で過ごすことが求められるが故に、極めて馴染み深い魚種故に環境変化の象徴として捉えられるようになりつつあるウナギ。一方で研究者にとっては、そのヌルヌルとした体のように捉える事を容易に許さず、分らないことだらけ故に、もしかしたら細分化の極限に行こうとする生態学的、分類学的な研究の狭路から、生物学の研究者自らが抜け出すための道筋を描き出そうとしている一冊なのかもしれません。

夕暮れの諏訪湖とシジミの放流実験看板時に「養殖池」とも揶揄される諏訪湖で実施されている、人工砂洲でのヤマトシジミの放流実験湖畔にて。

シジミを始め、江戸時代以降、繰り返し続けられてきた、各地から移植された魚介類によって漁撈が成り立っている諏訪湖。同じく移植されてきたワカサギの採卵事業は、今や日本中の湖沼におけるワカサギ供給の中核を担うようになっています。

この湖にも以前はウナギが遡上しており、対岸の岡谷市は今でもウナギを始め淡水漁獲物料理を名物としていますが、ウナギは完全に養殖頼り。それでも、職漁者や養殖業者が、これらのサイクルの最先端にある事で成り立っている事実を忘れないために。

<おまけ>

本ページでご紹介している関連する書籍を。

今月の読本「ウナギと人間」(ジェイムズ・プロセック:著 小林正佳:訳 築地書館)その神秘の魚は人と人が交わる中で密やかに物語を語り出す

今月の読本「ウナギと人間」(ジェイムズ・プロセック:著 小林正佳:訳 築地書館)その神秘の魚は人と人が交わる中で密やかに物語を語り出す

今年もこれから夏に向けて、あらゆる意味で再び話題となりそうな魚、ウナギ。

世界中のウナギを掻き集めて消費している日本人にとって、これから目の前で繰り広げられる狂想曲と、産卵場所探しや生育環境、更には人工養殖と飽くなき研究へのまい進。ウナギにまつわる物語の殆どがこの国にいれば把握できてしまうように思えてきますが、果たしてどうでしょうか。

サーモン、タラと並んで世界中の人々が好んで食する珍しい魚であるウナギ。その神秘に満ちた一生と特異な姿、人をも凌駕する長寿を誇る生態に魅せられたのは日本人だけではない筈。

そんな想いを改めて思い起こさせる一冊をご紹介します。

自然科学関連で、他の版元さんには見られないユニークな本を送り出してくる築地書館さんの最新刊からご紹介です。

ウナギと人間今月の読本、「ウナギと人間」(ジェイムズ・プロセック:著 小林正佳:訳)です。

本書を手に取られ、表紙や裏表紙に書かれた概要を読まれた多くの方は、おやっと思われるかもしれません。

著者があとがきで述べているように、そしてあとがきでまだ書き足らない想いを埋めるかの如く綴るヨーロッパにおけるウナギ料理の話や、ウナギのヤスのコレクションの雑感に観られるように、本書は当初、訳本に多くあるウナギをテーマにした広範囲な分野をカバーする文化史、生態学を纏めた一冊にする意図があったようです。日本の著作では珍しい、しかしながら訳本では当然とも見做される科学と文化の双方をカバーするウナギの概説書としての体裁。ところが、11年にも渡る取材の結果纏められた本書は、そのいずれにも当てはまらない内容へと着地しています。

著者は著名なアングラーであり、パタゴニアの創業者とコラボレーションを行うナチュラリストとしての側面も有する、自然科学関連ではかなり著名な方(本書の取材に於いても、ナショナルジオグラフィック協会の支援を受けた事が記されています)。多くの生物に関する著作を有する彼が本書で辿り着いた地平は、ウナギの物語ではなく、ウナギを挟んで語り合う著者と登場人物たちの人と人の物語。

冒頭と中盤に分けて描かれるサルガッソでの産卵場所の追跡や、シラスウナギのバイヤーの遍歴、中間に差し挟まれた、現:日本大学の塚本教授との語り合いの部分だけ見ていると、ライターの方が書かれた、良くあるウナギの不思議物語を読んでいるかにも思えてきます(塚本教授の印象を傍点付きで語る著者の視点には、氏の著作を複数読んだ身として深く同意するところです)。ウナギの生態や食材としてのウナギ、更には研究の物語など魚が好きな方なら思わず喜んで読んでしまう内容も豊富述べられています。

その一方で、3章から始まる(訳注を見ると、原著では3,4章で一つの章だったようです)マリオとウナギの物語を読んでいくと、その民俗学的なアプローチとルポルタージュ的な体裁の記述に困惑されるかもしれません。民俗学的なテーマを掲げた本では良く見られる、取材する側と取材される側の葛藤や迂遠に引きずり回させる回答への道筋、相手に徐々に呑まれていく著者とすっきりしない結末など、ウナギの生態や物語を知りたいと思われる方にとっては、時に苦痛すら感じる内容かもしれません。更には、アメリカの人里離れた川縁で大きな簗を毎年のように組み直しては、秋の増水時期に降下するウナギを待ち望む世捨て人のような燻製作りの男との会話、そして登場人物たちに誘われるように向かったポンペイでのウナギの伝説を追い求め、夜な夜なサカウに浸っていく著者と、そのアプローチに興味を抱き協力する若いCSPの職員。

ここまで読んでいくと、本書が単にウナギの物語を語っているとは思えなくなってきます。初めは乗り気ではなかった、あまり興味のなかった11年前の著者と、溢れるばかりの書き切れない内容をあとがきに綴り、それでも興味が留まるところを知らないと述べる著者。ウナギに魅せられていった著者と、おなじように著者が訪れた世界中の場所で、ウナギに興味を持ち、惹かれ、魅せられ、研究され、信仰し、神聖視し、恐怖し、稼ぎ、食し、育む…著者と交わった人々の物語。

春になると、金が舞い飛び密漁を含め多くのシラスウナギが東アジアに集結し、熱暑の時を迎えると、極東の島国に集められたウナギたちは鮮やかな手つきでかば焼きに仕立て上げられる。一方で、紫外線照明が降り注ぐ研究室ではシラスウナギの稚魚が水槽の中を舞い、雄ばかりの奇形ウナギにホルモン注射を与え続け、南の海では「科学者」でありつづけたい男たちが政府の資金でその産卵場所を嬉々として追う。

秋になれば、ニューヨークの奥地の川では黙々とひと夏をかけて巨大な簗を仕掛けた男が息子と二人、嵐の到来を待ちわび、南半球では、何十年もの間、川や湖で過ごして巨大に育ったウナギたちが満つる時を悟るかのように砂洲を越えて海に帰る時を男たちが見守る。その横で彼ら、彼女らが紡いできた物語に寄り添うかのように、窪地の水たまりに潜む巨大なウナギに餌をやり、時に手を差し伸べ、さするように愛おしむ人々。学問として語り継ぐことを決心した次の担い手たち。そして、南の島で自らの起源と生誕を来た道をその不思議な生き物に重ねて物語を編み、そっと伝えていく人々。

ウナギを介して交わった人と人の物語を編み重ねて綴られた本書は、その未だ生態の全容も判らず、生まれいづる場所すら容易に明かそうとしない、ウナギ自身の神秘のベールのように、著者の秀逸な筆致に載せて、大洋のようなその世界の広さを往きつつ、大海を渡って河口に辿り着いたシラスウナギを掬うかのように、僅かに捉えた事実をほんの少しだけ我々に垣間見せてくれるかのようです。

 

<おまけ>

本ページでご紹介している関連する書籍を。

今月の読本「行商列車」(山本志乃 創元社)鉄路が繋ぐアキンドという名の商売の本質を描く二つのストーリー

今月の読本「行商列車」(山本志乃 創元社)鉄路が繋ぐアキンドという名の商売の本質を描く二つのストーリー

朝の登校時間、そのおばさんは何時も伊皿子坂の脇を背中が見えないほどの野菜を背負って登っていました。やおら荷を解き始める何時もの場所、定位置でもあった路地を入った坂の途中が商売の場所だったのでしょうか。

今から数十年前、バブル経済で潤う林立するオフィスビルの谷間に依然として残る下町風情溢れる街角で見られた大都会東京の朝の一ページ。そんな彼女たちが行き来する手段は何時も足元を行き交う地下鉄、その路線を経由して房総の地から早朝に送り出されれる「行商列車」でした。

昨年末に刊行された際に是非読んでみたいと思っていた、今や風前の灯火となった行商列車をテーマにした一般書では珍しい一冊を、半年を経てGWに漸く書店で手に取る事が出来ましたのでご紹介させて頂きます。

行商列車行商列車 <カンカン部隊>を追いかけて」(山本志乃 創元社)です。

著者は旅の文化研究所という聴き慣れない団体に所属される研究員の方(近畿日本ツーリスト、現近鉄グループのシンクタンクだそうです。出典は本書の版元さんでもある創元社の鉄道手帳編集部のブログより)ですが、本書をご覧頂ければ判りますように、主に日本の庶民文化史をテーマに研究をされている方です。本書は佐倉にある国立歴史民俗博物館の展示リニューアルを機会に(このパターン、どっかで観たような…縄文のあの本ですね)行った取材の記録と、著者の出身地でもある鳥取県歴史編纂事業の際の取材の記録を1冊の本に纏めたものです(もう一つは後ほど)。

従って、表紙に掲載される近鉄の鮮魚列車だけに注目して読んでしまうと、内容がかなり異なるのでちょっと困惑してしまうかもしれません。本文でも述べられているように、鮮魚列車の取材は以前にトラブルがあったようで、取材には最も有利と見做される著者の経歴にも拘らず、国立の博物館が行う収録作業(本書には、随所に当館所属の記録者の方が撮影された記録写真が掲載されています)にも拘わらず、組合を通したオフィシャルな取材は拒絶されてしまっています。そのため、本書では近鉄の鮮魚列車自体の取材はほんの僅か、むしろそのテーマに掲げられた<カンカン>を伝手に話を聞かせてもらえるようになった、松坂在住で鮮魚列車を使って大阪に通ってお店を開かれているご夫婦への個人的な取材記(実際の鮮魚列車への取材も撮影も、組合の幹部であったこの方の手引きで潜り込ませてもらっている)となっています。

所謂柳行李では水物を扱う水産物の行商で困った事になる荷扱いへの対処として、更には保健衛生上の要請から生み出された、ブリキ缶に水抜き穴の栓を取り付けたカンカンと呼ばれた行商行李。今では発泡スチロールに変わってしまいましたが、当時はこの箱の底に簀子を敷いて更に2段重ねで魚が入れられるように中子を入れていたという、モノを起点にした民俗学者らしい、実際の写真を掲載しての詳しい使い方の解説も述べられていきます(宮崎の事例でみられる保健所の合格シールが毎年交付されていた事実は、行商とはいえれっきとした一商店として扱われていた貴重な証拠)。

荷物も多く他の客とのトラブルにも繋がりかねない、このような商材を扱う事から各地で結成された行商人の組合と、それに対して鑑札を発行し、車内の専用区分や車両の設定などの特段の配慮を行った鉄道会社、国鉄(本書で扱われる倉吉線に対して、表現上の影響でしょうか、著者は繰り返し軽便鉄道(更には拡大地図に私鉄の記号を使うのは、創元社らしからぬ点)という言葉を使いますが、軽便線由来で設備は劣化していても国鉄線、しかも末期でも舞台となった倉吉-西倉吉間では10往復程度の便数があった事には言及しておきます)。細々とながら専用の列車を今でも走らせるほどに一時は拡大した鉄道を使った行商という職業は、何より職漁の不振と、プラザ合意と大店法の制定、そして国鉄分割民営化に伴う鉄道利便性の低下が、彼ら、彼女らの活躍の場を狭めていったのでしょうか。本書ではあくまでも民俗学に徹する為か、インタビューを行ったそれぞれの方がお辞めになったいきさつは語られますが、総論としてのその終末への路程は言及されません。

むしろ、本書では終焉を迎えつつあるその業種への哀愁を語るのではなく、インタビューから採録された、その業種の発展に至った経緯を述べていく事に注力していきます。

本書の中核を成す部分。二つのストーリーには直接的な繋がりはありませんし、近鉄の行商列車を使われている取材対象の方は大阪の中心部に店を持ち、一方の鳥取で取材された元行商の方は地方都市の辺縁部を廻る個別訪問型と営業エリアも業態も大きく異なります。鉄道で運ぶというキーワード以外全くつながらない二つのストーリー。しかしながら彼らのビジネススタイルと、その商売に携わる経緯には明確な共通点を見出せます。

いずれも主たる商売を持っていながら、または別の所に家を構えていながら敢えて鉄路を伝手に商売に出る。大阪の中心部と地方都市である倉吉の辺縁部という逆のポジショニングですが、其処に需要があり、その需要と供給を繋ぐ線として鉄道があった事を見出していきます。個々の需要は小さくてもバラエティに富んでいる、扱っている商材も決して地の物、前の浜で獲れたものだけではなく地方市場での買い入れや時には行商列者の中でお互いの商材を取引する。数多に広がるお客さんの需要、リクエストにこまめに応じて小口で受ける。人一人が持てる範囲での商売故に一日に扱える商材の数(=売上)には限りがあるが、その分リスクも小さく、逆に毎日毎日通う事で量の不足(これは購入側にとっても同じ、既に冷蔵庫が各家庭に普及し始めた段階)を補っていく。

そこには数多の商材からお客さんに自由に選ばせるために、資本と在庫を蓄積し、輸送路を確保し、膨大な物流を常時全国的に維持するという、現在の流通手法とは逆を行く発想が明瞭に記録されているようです。

そして、これらの商売を支えた「アキンド」と鳥取では呼ばれた行商の方々。多くが女性であった点において、本書では述べられませんが、所謂専業主婦と呼ばれる消費と育児を主に担う階層の存在が、実に戦後高度成長期以降のほんの1~2世代程度の時代でしか見いだせない事を雄弁に物語っているようです。日々の生活費、仕事の道具や材料、土地や家の購入資金は確かに男の稼ぎに一方的に負うところであった事は事実かと思います。しかしながら、晴れの席での装いであったり、子供のお菓子やお小遣い、そして養育資金といった間接的な支出は、彼女たち自らがこつこつと蓄えた財布が補っていた事がインタビューから見えてきます。

鉄路が繋いだドアtoドア、人to人のコミュニケーションを介した商取引。ここまで読んでいくと、現在の中山間地域で課題となっている、購買困難層の発生原因も少し見えてくるような気がします。そもそも動脈すら細かった物流網の更に最末端を担っていた彼女たち行商。血栓状態を起こして方々で通わなりつつある、現在の圧倒的な物流網の末端に目を向けた場合、人材の活用も含めて、その歴史的事実を再度見直す必要が生じてきているのかもしれません(このようなお話は本書では語られません。日本の近現代民俗学を扱った本で少し寂しいのが、社会学の隣接学問にも拘わらず、多くの記述が過去完了形で語られる点)。

偶然の繋がりを手繰り寄せるように、忘れ去られつつあるこのような商売の姿を丁寧に追って、失われる前に記録として残すことに注力した、鉄道とカンカンを梃に人とモノの流れを民俗学の立場から位置付けていこうという、表題帯にも書かれたオンリーワンを標榜するに相応しい本書の中核に対して、明確に毛色の異なる5章の魚食文化と地域性の議論。著者があとがきで述べているように、載せておきたいという想いは理解しますが、唐突な挿入は前後の議論を断絶しており、著者の想いとは裏腹に無理やり流行の魚食文化論へ寄り添わせようとした結果、折角の流通文化史として貴重な本書の位置づけをむしろ歪めてしまった感もある点は、少々残念でもあります。

著者の想いとはちょっと異なった見方になってしまうかもしれませんが、鉄路という広く大衆に便益された交通手段を伝って、本当の末端の物流と限りなく個人に依拠する商売を成立させた行商という姿を再構成していくという、無二のテーマを掲げて描かれた、著者の優れた取材能力が遺憾なく発揮された、生きたインタビューを詰め込んだ本書。その内容には、大きく曲がり角を曲がった先を見いだせない、でも決して失う事は出来ない、生きていくためのモノの取引を支えていくためのカギとなる豊かな知見を含んでいるとの想いを抱いて。

行商列車と移動販売車がゆく本書と併せて読んでいた本「移動販売車がゆく」(宮下武久 川辺書林)。こちらは地元のライターの方が洒脱に、やや皮肉交じりに描く、南信の町にある運送会社が始めた移動販売車に纏わる物語を描いた一冊。本書を読んでいると、その姿とお客さんに求められるものが、倉吉における行商の彼女たちに求められた内容、商売の姿とそっくり同じである事に驚かされます(商材は地場のスーパーとは異なり名古屋で調達、売りはその名古屋の市場から直送するふっくらと大きなアサリ、個別に必要な物を聞いて届けるだけではなく、移動販売中に商材が不足したり、お客さんが欲しがるものが出てくると、巡回はそのまま続けつつ、別の軽自動車を飛ばしてバイパス沿いのナショナルチェーンや地場のスーバーで買い足して僅かな手間賃を乗せて販売するetc.)。そして、なぜそのような商売が困難に直面しているのか、更には何処に問題を抱えているのかが両書を読んでいくと浮かび上がって来るようです。

<おまけ>

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今月の読本「赤米のたどった道」(福嶋紀子 吉川弘文館)信州の畔に根付くその赤い籾への疑問を追って

今月の読本「赤米のたどった道」(福嶋紀子 吉川弘文館)信州の畔に根付くその赤い籾への疑問を追って

眼前一杯に水田が広がる、豊葦原の瑞穂の国。日本を象徴するように使われる言葉ですが、その情景が僅か200年ほどの歴史しか有さない事に思いを巡らせる方はいらっしゃるでしょうか。

水田越しに甲斐駒をブランド米と呼ばれるモチモチの白米、特定の名称でお米の品種が広く呼ばれるようになる前にお店の真ん中に並んでいた、「標準価格米」が片隅に追いやられてから僅か数十年しかたっていない事を思い出される方はもう少ないかもしれません。

そして、黄金色の籾に真っ白な粒といったお米とちょっと様相の異なる、長い禾に少し赤みを帯びた籾と小粒のお米をご存知の方はもはや希少なのかもしれません。

ブランド米の品質を全国で争う現在、丁寧に丁寧に育て上げられる稲たちが穂を伸ばすその田圃の畔で、誰にも気が付かれずに、いいえ今やその品質を脅かす駆除すべき雑草として信州の畔から駆逐されつつある、同じ稲なのに余りにも扱いの異なる「赤い米」への疑問を解く旅へ誘ってくれる一冊の紹介です。

赤米のたどった道今月の読本「赤米のたどった道」(福嶋紀子 吉川弘文館)です。

著者は長野県内の複数の大学で教鞭を執られる、主に中世史を専攻される研究者。大学を卒業後、数十年を経て取得された学位請求に関連すると思われる主著で論じられる二つのテーマを、「大唐米」というキーワードで結びつけ編んだ一冊となっています。大唐米自体を論じる前半と、溢籾と呼ばれるようになったそのお米が引き起こした騒動の経緯を語る後半に、南北朝期の播磨国矢野荘における年貢収納の史料研究を挟み込んでいるため、読んでいると前後の繋がりがちょっと希薄になる事があります。著者があえてこのような構成と論考を用いて明確化したい点は、なぜ赤米(大唐米)だけが別扱いされてきたのか、そして次の時代にはしっかりと農村に根を下ろしたそのお米たちの元となった籾を誰が普及させる事になったのかを想定することにあります。

赤米の歴史を辿るように思える本書ですが、冒頭で語られるように著者の疑問の大前提は、ここで採り上げられる大唐米、そして現在に残る赤米が、中国宋代に発祥を持つインディカ系に属する占城米ではなく、ジャポニカ系の一種ではないかという点にあります。しかしながら、著者による大唐米の遺伝的な考察や、地域的な広がり、形状から見た判断等の農学的なアプローチは冒頭で早々に放棄されてしまいます。一方で、著者は一貫してこれらの赤米が白米と異なる扱いを受けてきたという、史料上の事実を梃に、専門の歴史学的視点で白米とは違う、赤い米たちの歴史をとらえていきます。

水田で耕作される「白米」に対する疑問を、班田収授の絶対的な水田不足から問い始め、その穴埋めたる「陸稲」そして、「赤」の札書きが残る米の種類の記載へと興味を広げていきます。集水、貯水、湛水、排水技術が未熟な近世以前において、現在のような安定した水量を確保できる水田は、安定した流量と穏やかな流れを有する河川に対して僅かに低い土地に限られ、微高地や扇状地には水は届きにくく、湛水地は深田や沼地、果てには洪水の常襲地帯となるはず。そのような限られた水田で作られた「白米」は、既に近世史でも語られるように、食糧として日常の食生活を維持できるほどの大きな収量を期待できなかったことを見出していきます。

厳しい耕作条件の「白米」に対して、熱帯に比べて気温も低く、決して水田農耕に適しているとはいない日本の農耕環境でもしっかりと実りをもたらす(但し、脱粒性は強い)お米。食味は悪くても、早生でいち早く収穫できるため、秋口に襲ってくる風雨にやられる前に実収をもたらす貴重な赤いお米。農民たちにとって主たる収穫物である「白いお米」は口に出来なくても、田圃の畔を取り囲むように植えるという隙間農耕でも実りをもたらしてくれるありがたいそのお米は、一方でその籾を持ち込んだ荘園領主たちの切実な収量確保という一面も持っていたようです。

鎌倉から南北朝、そして室町期と在地おける実権と実収(実際の所領も)を徐々に衰退させていった荘園領主たちにとって、その減収を少しでも補う方策として、例え売価が低くても、勧農が行き届かず放置気味の荒田の状態になってでも収量が望める赤米(ここで大唐米という言葉が史料として出て来ます)を積極的に導入したのではないかとの暗示を述べていきます。

更に時代が進んで江戸時代。大阪に蔵屋敷が立ち並び、各国の米が市場で比較される段階に至ると、今度は収量は優れても食味に劣る赤米たちは駆逐の対象となっていきます。江戸患いと呼ばれた脚気が顕著に表れてくる程に白米が都市部に集中し始め、漸く庶民の日常にも「白いお米」が上るようになった時代。それでも、著者のフィールドである信州、松本藩の事例では、その不利な条件(籾が落ちてしまい禾が長いので、籾で収納した場合目減りが激しい)にも拘わらず農民たちが赤米での収納を続け、藩庁側も容認せざるを得なかったことを見出していきます。そこには、高地冷涼で扇状地故に水に恵まれなかった信州、そして松本平の厳しい条件があったことを認めていきます(信州の他藩でも、収納した赤米たちは廻米せずに地元での消費に充てていたという貴重な知見も)。水の町とも呼ばれる安曇野に張り巡らされた用水網が整備されたのは、漸く近代の足音が聞こえ始めた江戸末期。水の便は解消しても気候の厳しさゆえ、確実な収穫と生活を守るためでしょうか、その後も昭和の初期に至るまで、これら溢籾と呼ばれた品種が信州では作りつづけられたことを明らかにしていきます。

領主には嫌われつつもしっかりとその土地と農民たちに育まれた赤い米たち。その歴史は亀ノ尾に始まる寒冷に強い白米の登場と、今に続く、その系譜を継ぐ品種たちの粘り強い改良の中で、今や逆に圃場を埋める優良品種の単一性を阻害する雑種として駆逐される運命にあるようです。

著者が傍証として語る、神前としての白米の神聖視、日本人の優越性と白米至上主義といった論点はここでは置いておきたいと思いますが、美しく整備された水田に広がる見渡す限りの稲穂たちと、美味しい白米という、もはや共有感ともいえる幻想に対して、もう少し歴史的に見直す必要がある事を問う一冊。

黄金色の景色1その広がる圃場と稲穂が、どのように今日まで受け継がれてきたのか、本書を読みながら、今一度想いを馳せてみては如何でしょうか。

赤米のたどった道と類書たち本書と一緒に読んでいた本たち。

本書と特に関連が深い本として、農学としての稲にご興味のある方には「イネの歴史」(佐藤洋一郎 京都大学学術出版会)、江戸時代の農耕については、同じ史料から豊富に引用された「江戸日本の転換点」(武井弘一 NHKブックス)、同じ東寺の荘園である、備中国新見荘における室町中期の在地支配を史料から丁寧に掘り起こした「戦乱の中の情報伝達」(酒井紀美 吉川弘文館)、そして、本書の巻末でも繰り返し言及される「稲の大東亜共栄圏」(藤原辰史 吉川弘文館)は近代日本に於ける稲の品種改良と東アジア圏への展開に関して要領良く纏められた一冊、特にお勧めです。