今月の読本「黄色いテント」(田淵行男 ヤマケイ文庫)澄んだ言葉が響く山に抱かれたナチュラリストの視線

今月の読本「黄色いテント」(田淵行男 ヤマケイ文庫)澄んだ言葉が響く山に抱かれたナチュラリストの視線

安曇野のナチュラリストと称され、豊科町に居を構えた山岳写真家、細密画家。高山蝶の研究でも知られる田淵行男氏は、数多くの著作を残されていますが、その多くが山岳写真や蝶、昆虫類の画集や写真集で占められています。

三十数冊になる著作の中で表題と共にひときわ異彩を放つ一冊、著者唯一のエッセイ集と称される一冊が、この度文庫に収蔵される事になりました。今回は「黄色いテント」(田淵行男 ヤマケイ文庫)をご紹介します。

本書のあとがきを読んでいくと、その成立には長い紆余曲折とそれこそ一冊の本が書けてしまうくらいの著者が執筆に腰を据えるまでのエピソードが添えられています(この辺りの経緯は、数年前に制作されたNHKのドラマや、同じ版元から刊行された「安曇野のナチュラリスト 田淵行男」を読んだ方が良いのかもしれません)。

実に戦前から1980年代初頭までに渡る、雑誌に寄稿されたコラムを含む一連の執筆作品を30年近く書き溜めた書き下ろしに追加して再編集したエッセイ集。山小屋でのいびきや山中での河畔の音は顕著に気になると回想するように、やや神経質で完璧主義者で知られた著者らしい、歳月の推移を感じさせない簡潔でかつ、透徹な文体で綺麗に整理、再編成された、著者自らが監修する、山岳、自然観察語録と呼べる一冊に仕上がっています。

こう書いてしまうと、ちょっとお堅い印象を持たれてしまうかもしれませんが、後半は版元さんが今もっとも得意とされている山の怪談・奇談のオンパレード。特に本物の山師たちとの山小屋での一夜の話など背筋どころか首筋まで寒くなりますが、山でしか体験する事が出来ないちょっとユーモラスな内容も綴られていきます。

写真や絵で表現することを旨とする著者による、文章を連ねる事でその想いを表現する本書。山での貴重な経験から始まり、著者の主たるテーマとなる高山蝶と密接な関係にある高山の花や樹木たちを語る前半。浅間山への想いと大雪山の調査行を中軸に置き、後半は前述の怪談・奇談やご本人のごく身近な山での心象と言ったエッセイらしい内容を集めて、一編十数頁で纏められた短文がテーマごとにぎっしりと詰め込まれています。

著者をご存知の方であれば、全編を通して読むという形より、むしろご興味に近い、気に入られたテーマの章をつまみ食い的に読まれる方がより楽しめる編集スタイル。今回の文庫版収蔵に当たり、ページ数の都合(丁度400頁、ジャスト1000円への配慮でしょうか)で残念ながら6編がカットされており、その中には「山とカメラ」が含まれているのは、山岳写真に関する想いを綴る部分があまり多くない本書にとって痛恨ではありますが、より多くの方に著作を手に取って頂くにはやむを得ない処置だったようです(親版の編集者の方が外部の編集者として今回も協力、解説で経緯を述べられています)。

表題にある著者のテーマカラー「黄色いテント」を背負い、山での単独行動を好み、山岳写真を撮りながら、貴重な高山蝶の観察、収集を続けた、日本のナチュラリスト創世記を生きた著者の活動。

偶然に出会ったライチョウ親子の縦列をハイマツの中に追いかけ、アルビノの高山植物を探し求め、行き交う道沿いに連なる木々に名を付け枯れ木となった先まで愛おしく観察する。山中でビバークしながら撮影のチャンスを待つ間も山々の移り変わる姿に目を配り続け、咄嗟の変化から得た機会を物にした大きな充足感に満たされる想い。添えられる写真と無駄のない透き通った筆致で描かれる山を往く姿を綴る文章は、何処までも澄んだトーンに満たされています。

その一方で、噴火中の浅間山火口まで3度も登頂し、山ではザックに入れる程のその山体を模した大きな石を拾っては自宅に持ち帰り、現在では許さない高山蝶を僅かな手続きで採取する一方、ケルンの林立には苦言を呈し、古の静かだった山への懐かしみを込めた筆致。特に執筆当時の登山ブームに辟易する一方で安易な登山者たちへの警句を発し、今でも議論が絶えない高山の絶滅危惧種たちへの接し方やその行動には、現在であれば自制を求められるどころか、社会的な非難を浴びる事は免れない内容も綴られています。流石に刊行年が1985年と自然環境保護や登山の安全性を強く叫ばれるようになった頃であり、著者は文中でその蛮行を反省する記述を添える一方、自然環境への眼差しまでも曲げるつもりは無い事をはっきりと述べていきます。

既に著者の時代でも減少が著しかった高山植物やその植物たちや木々を生活の糧とする高山蝶。その一方で容易に餌を得る事が出来る登山者たちの残飯を執拗に狙い続ける大雪山のヒグマとテントに襲来する鳥達、シマリス。一度餌を与えると小屋の中まで侵入してくるキタキツネ。著者からの手渡しで容易に餌を採る北岳のイワヒバリ。

静かな山の姿を独り占めしたいという、先駆者としてのちょっとした我儘心も見え隠れする一方、その自然の中に人が踏み入れれば容易に取り込まれていくことを包み隠さず述べる筆致。中盤の一節「コリヤス幻想」とそれに続く著者のベースである北アルプスを離れて大雪山での調査行から沸き起こった想い。そのような姿を全否定してしまう風潮に対して「自然は遠くにあって思うもの」にしてしまってよいのかという、山に抱かれ続けた著者の真摯な想いが述べられていきます。

山中に往く事を良しとし、抱かれつつ見つめ続けた雄大な姿をカメラで、愛おしく観察を続けた蝶たちを細密な絵筆で捉え続けた著者の眼差しが文章として綴られる一冊。自ら踏破し、山々に抱かれた先で向き合った繊細にして透き通った視点は、自然を愛でつつも常に折り合いを付ける事を求められる現在を生きる我々にとっても変わらない示唆を与え続けてくれます。

著者が終の棲家とした、豊科(現在の安曇野市)にある田淵行男記念館。実は田淵行男賞を受賞した写真家さんの受賞記念展示を見に行くために訪れたのですが、記念館に展示された当時の赤外写真と添えられる透徹な言葉にすっかり圧倒され、魅了されてしまったのが、著者を知る切っ掛けでした。

本書の解説において原著の担当編集を務めた方が絶賛する、生誕100年記念の展示会の為に制作された図録「生誕100年記念 ナチュラリスト・田淵行男の世界」(東京都写真美術館:2005)。展示会が開かれていた地階の展示室真横にある閲覧コーナーで、見学者の足並みが途切れるまで読み耽っていました。

どうしても欲しくなって購入した手元にあるこの一冊、実は田淵行男記念館で販売されていた最後の一冊です(職員の方から伝えられました)。小雪が舞う中、かなりの後ろめたさを抱えながら帰路に就いた事を今でも思い出す、ちょっとほろ苦い思い出。全く足元にも及びませんが、著者も足繁く通った同じフィールドでカメラを手に取る私にとって、写真が何を伝えるのかという意味を今も語りかけてくる、大切な一冊です。

 

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今月の読本『信州を学ぶ 日常生活からひもとく信州』(長野県立歴史館編 信濃毎日新聞社)信州学のスタートは郷土史を越えて広がる視点を添えて

今月の読本『信州を学ぶ 日常生活からひもとく信州』(長野県立歴史館編 信濃毎日新聞社)信州学のスタートは郷土史を越えて広がる視点を添えて

New!(2019.9.4):こちらでの紹介が遅くなってしまいましたが、長野県立歴史館による信州学シリーズ。全3巻が完結しました。2巻目の「広い世界とつながる信州」はちょっと発散気味でしたが、執筆者の皆様の現状を見据えた視線と、歴史を扱う研究者として未来へとその想いを伝えたいという願いが込められた3巻目「新たな時代にはばたく信州」。大きな歴史の小さな断片としてではなく、地域史、地方史が大きな歴史へと映し出す姿を追ったシリーズ、是非ご一読ください。

本書とほぼ同じ執筆陣が手掛けて、シリーズ完結のすぐ後に刊行された「古地図で楽しむ信州」(笹本正治:編著 風媒社)内容的にも本書の地図解説版という位置付けになる一冊です。

なお、本シリーズにも関連する内容ですが、あとがきで笹本先生が書かれているように、地方の教育委員会に所属する博物館職員は一方で教員としての側面も有しており、定期の配置転換による執筆陣の離散によって安定した執筆環境と論述内容を確保できなかった点を述べられています。お読みいただく際には、そのような背景もあるという事を頭の片隅に置いて頂ければと思います。

<本文此処から>

連年オリジナル企画を送り出してくる、長野県を代表する新聞社であり出版も手掛ける信濃毎日新聞社。

今年の新企画は、新たに「信州学」をテーマに据えたシリーズを刊行するようです。

シリーズの概要は明らかにされていませんが、スタートとなる本書は、その入口となる「衣食住」をテーマにした一冊。

今月の読本『信州を学ぶ・足元を探る編 日常生活からひもとく信州』をご紹介します。

本書の編者は長野県立歴史館。前の信州大学副学長で館長を務める笹本正治先生は数多くの中世史に関する著作で知られる方ですが、館長として着任して以来、積極的に県内各地の博物館や美術館での公演を行ったり、これまでの歴史館としては初めての、収集品以外に武田信玄直筆の書状を県の予算で古書店から購入するなど、積極的な歴史普及活動を続けられています。

今回の一冊も、はじめにで書かれているように、大きな歴史の流れに対する単なるパーツとしての地方史、郷土史ではなく、信州の地に生きた人々を主人公とした歴史を記したいとの強い想いを述べられています。

笹本館長率いる歴史館のスタッフ総勢20名を擁して三つのテーマに振り分けて描く本書。流石にこれだけの人数が手掛けますと、内容や記述についてかなりばらつきが出ますが、その中でも一貫した執筆方針を採られているようです。

一つ目には、その記述がどんな時代、テーマであれ、身近な生活と密着した内容であること、二つ目として、特定の時代、専門分野の叙述に留めず、時間的、空間的な俯瞰性を持たせることを意図していることがはっきりと見えてきます。

「衣」であれば、今の地名に繋がる、律令時代の麻の生産から始まり、女子高生の埴輪ルックと寒冷地信州における衣服の特徴へと繋いでいく。「食」であれば、もちろんジビエと諏訪信仰における鹿免食を繋げますが、遥か長崎の卓袱料理と諏訪神社へと着目する。そして本書で出色なのは「住」の項目。古代から近代まで、居住空間や生活拠点に関する内容の中でも、特に近世初頭から近代に着目した部分の筆致は実に魅力的。流石に主編者となる笹本先生が書かれた項は一発で判りましたが、それ以外にも、佐久平を起点に全国に広まった踊念仏と善光寺から始まる信州の芸能と建築の伝統や、山への信仰と街路の方角、雪国における特異な建築条件、特産の菜種油と照明のテーマでは日本で初めての商業油田が長野で成立したことから繋げるなど、歴史的な経緯を近現代に延長させることで見えてくる意外なテーマが目白押し。そこには、人は何故其処を住居としたのかという着目点を突き詰めた先に、雪と山間に閉じ込められたどん詰まりに生きる貧しい人々という、近代までの信州に対するステレオタイプをどんどん打ち消していく様な内容が綴られていきます。

更には、本書が「歴史館」という、博物館や考古館、文学館、歴史民俗館とは異なるスタンスを持った、すべての歴史時代から現代までの時代背景を通貫して描けるスタッフが著述を手掛けたという事を明確に示す点が、要所に織り込まれたコラム。発掘土器は現代の会食のマナーにまで繋がり、信州ならではの塩イカの歴史も現在の製造(実は福井県の三社ですべて生産)や販売傾向といった現代の食文化に直結。そして、信州と長野の呼称に対する微妙な使い分けを歴史的な経緯から探り出すといった、県民の皆様ならちょっと冷や汗が出てくるような小論考まで。

歴史館という、ち密に細分化された現代の歴史研究環境に於いて、ちょっと中途半端にも思える位置付けにある、その場所で活動を続ける方々が思いを込めて綴る、信州を軸に時間と空間を広げていくオムニバスストーリー。本書の性格故に本格的な議論がなされる訳ではありませんが、この一冊をきっかけに信州のことをもっと知ってほしい、その先に広がる世界、時代と必ず繋がっているという事をはっきりと教えてくれる一冊です。

雑学もたっぷりの「信州学」を標榜するに相応しい、次回以降のシリーズも楽しみにしながら。本書が好評の暁には、県立歴史館だけではなく、他の研究機関、博物館、美術館、山岳や観光、技術や工業、スポーツの団体など、信州の歴史/文化全般に渡るシリーズになる事を期待してしまいます。

 

今月の読本 写真集「遥かなる遠山郷 The Utopia: Toyama Village」(塚原琢哉 Takuya Tsukahara 信濃毎日新聞社)救い出されたフィルムに刻まれた、清々しく天空に生きる人々の姿

今月の読本 写真集「遥かなる遠山郷 The Utopia: Toyama Village」(塚原琢哉 Takuya Tsukahara 信濃毎日新聞社)救い出されたフィルムに刻まれた、清々しく天空に生きる人々の姿

New!(2019.1.13)

昨日、訪問させて頂きました。

書籍では感じ得ない圧倒的な存在感と、豊かな人々の表情。天空の里の眩しい程の光溢れる情景を写し撮った、60年を経て奇跡的に助け出されたプリントの数々。

眩しい日差し溢れる畑の中で、立ったまま幼子を背負い子守をしながら読書に興じる少女を捉えた一枚。ご自身の姿を映し出されているのでしょうか、老境に差し迫った杖を突いたご老人の方(講演会の最後で質問に立たれた方だったかと)がずっと立ち止まって魅入られていたのが印象的でした。

約100名の方が集まった、前後2時間に渡る講演。

前半の塚原琢哉氏による撮影の経緯とそこに残されたフィルムを思い返す中で語る、長きに渡って欧米諸国、特に東欧で撮影してきた中で培われたであろう、民族と神との契約を次の世代へと受け継ぐことを求める想い。

民俗学者ではないのですがとの前置きの上で語る、遠山郷で生まれ育った飯田市美術博物館の櫻井弘人氏による、中央構造線を添って伸びる修験道の道すじの先に繋がる遠山郷と民俗芸能としての霜月祭りが塚原氏が願う継承の象徴として結び合うお二人の話。

質問に立たれた民俗学研究者の方が述べる、かの地は取材などを断る閉鎖的な背景があった筈、その中で何故このような写真を撮る事が出来たのかとの質問に対して、強くたしなめるように答える、写真家と撮影される人々との強い信頼関係が無ければその距離は縮まらないという、氏の写真家としての強い矜持。それに応えるかのように、氏が撮られた霜月祭りの面や振りを実際に舞って見せた写真に対して、現在でも祭りの時期以外に撮影を許す事はまずない(撮影は春と夏)と、驚嘆の意を示す櫻井氏。更には、その面の作られた時期から判明した、常に一纏まりであったかのように見える下栗の集落が、実は明治31年に大きな分裂を生じていた事を示し、祭りの類似性や時代の前後性を含めた周辺との繋がりと、集落毎の独自性を一連の歴史の中において丁寧な検証をする必要性を示唆する、民間芸能の研究者としての櫻井氏の解説。

写真で示される、車道が切り開かれる前には集落を埋め尽くすように育てられていた麦畑が、厳しい環境の中でも豊かな実りを具えていた事を強く印象付ける。行き止まりの侘しい集落ではなく、南アルプスを越えて井川にも、青崩峠を通じて遠州の秋葉山、そして地蔵峠を越えて南信に繋がる、豊かな山林資源にも恵まれた三遠南信、要衝の地。

いずれも、遠山郷に対する認識を大きく覆すお話がふんだんに語られていきました。

最新のデジタル技術も駆使したであろう、フィルムから起こし直したプリントデータ、全170点(実際には1600コマ程あったうちの助け出せた分だけです)は、飯田市美術博物館に寄贈されていますが、これだけの規模で一堂に会して展示されるのは今後あまりないかもしれません。展示は1/20まで、松本市内中心部に位置する、信毎メディアガーデンです。

 

<本文此処から>

何時とちょっと毛色の違う本のご紹介。

長野県を代表する郷土出版社としての顔を持つ信濃毎日新聞社さんは、これまでも何度かご紹介していますように、地元に密着した、刊行数があまり望めないようなテーマを扱いつつも、妥協のない編集、装丁を施した書籍を送り出されています。

今回のご紹介する最新刊は、そんな作品群の中でもとびきり白眉な一冊。ポーランドを中心に東欧を題材にした作品、特に黒いイコンの一連の作品で世界的にも著名な写真家、塚原琢哉氏が若かりし頃に撮影したフィルムから奇跡的に救い出されたプリントを纏めた一冊です。

写真集 遥かなる遠山郷 The Utopia: Toyama Village」(塚原琢哉 信濃毎日新聞社)のご紹介です。

写真集ですので、当然ですが内容をお見せする事は出来ませんし、私のつたない言葉で伝えられる範疇は余りにも狭いかと思います。

出来れば手に取ってご覧頂きたいと思いますが、お伝えできる範疇で内容をご紹介いたします。

映画や写真のフィルムを扱われた事がある方なら、話には聞いたことがあるかとは思います、現像後のフィルムが劣化し、溶けてしまったり、霜が降りたように白濁してしまう現象。長年の東欧を中心とした撮影活動を一段落した著者が古い未プリントフィルムの整理を始めた時に発覚した悲劇、その中から辛うじて救い出した400枚ほどのコマには、作品としては未発表ながらも、60年を経た今だからこそ留めておきたい貴重なシーンに溢れている事に気が付きます。

著者の想いに応えて刊行を決断した版元さんにとっても、決して部数が出る本ではない無い事は判っている筈です。しかしながら、本書のページをめくっていくと、単なるアーカイブ、記録写真という範疇を越えて、何だかとても清々しい想いに満たされてくる自分がいる事に気が付きます。

今からちょうど60年前、1958年の遠山郷、下栗。現代に於いても「日本のチロル」と称される、天空に昇らんという地に拓かれた極限の山村。南アルプスの山並みをバックに俯瞰で眺める姿は当時と何も変わらないように見えますが、実際にその地に踏み入れて撮られたプリントには、今とは全く異なる姿が焼き付けられています。

まだ自動車が入れる道は無く、麓の集落までは山道を住民であれば徒歩で1時間、間道の谷に掛けられるのは踏み抜いてしまうような細い間伐材を集めて辛うじて繋いだか弱い木橋。電気が通ったのは著者が訪れる2年前で、依然として主な動力は馬力。水田は僅かに一カ所、重要な収入源であった木材を伐り出す以外、山に張り付くように切り拓かれた段々畑を耕すのも、荷物を運ぶのも、もちろんほぼ全てが人力。

谷から吹き上げる風に抗するように軒先に重ねられた間伐した枝の束と、屋根に載せられた石、小屋のような質素な板張りの家に三世代が寄り添いながら、集落自体も寄り添いながら一体となって暮らす。

何処をどう見ても、厳しい環境に歯を食いしばりながら暮らしているように思えるシチュエーションですが、21歳の著者が40日にも渡って、その地に腰を据えて撮影を続け、辛うじて残った写真には、そんな想像とは正反対の姿が克明に写しだされています。

小さな子から年老いた爺、婆に至るまで、それぞれの役割をきっちり果たしつつも、時に楽しげに、寛ぎつつも、日々の仕事に打ち込んでいく姿。山で見つけた花を背負った木端や自転車に差し込んでお土産として持ち帰る姿には、生活の中に潤いを与えようと願う想いが映し込まれているようです。戦後10年を過ぎて漸く落ち着きを取り戻してきた時代を感じさせる、麓の集落に降りる女性たちの少しお洒落した姿(サンダル履きでよく往復2時間の山道を往けると)や、何でも屋さんに上がって来る商品を楽しそうに品定めする姿からは、どんな僻地の山村も決して孤立することなどなく、規模は小さいながらも、人と物の流れの輪に確実に繋がっていた事をまざまざと見せつけてくれます。

そして、ページの過半を埋める子供達。少し痛んでいますが、金ボタンの学生服にセーラー服の姿を嬉しそうに見せる小学生たち。スリムで足の長い中学生たちは学生服姿で親の仕事を手伝い、子守は女子には限らず、少し年上のお兄ちゃんから姉ちゃん、そして近所の爺まで、手が空いていれば誰でもかまってあげる鷹揚さ。

桃源郷と呼ばれる場所故に、まるで夢でも見ているような気分にさせられますが、まごう事なき60年前にかの地の姿を映した写真。特に、著者が「青い山脈」と述べた印象的な一枚の写真は、本当にモノクロ映画のワンシーンを観ている思いにさせられます。

翻って現在、昨今の「秘境」ブームの頂点に位置する様なこの場所も、実際には三遠南信道の部分的な整備によって、飯田からであれば比較的簡単に訪れる事が出来るようになりました。一方で、多くの子どもたちが行き交っていた集落にあった分校は、自動車が通れる道を整備する代わりに休校となり、現在の子供の数は僅か4人。麓の集落より多くの人口を数えた下栗の居住者も50人を割り込むまでに減少してしまいました。

写真集の最後に綴られる著者による解説文と飯田市美術博物館の学芸員の方による寄稿文。撮影の背景以上に濃厚に書き込まれる民俗的なお話を追いながら、峰々を越えた遥か先に切り拓かれた「神宿る豊かな地」に生きてきた人々を、飾らずに、ありのままにワンシーンとして収めた、この写真集を刊行された意義を想わずにはいられません。

奇跡的に救い出されたプリントたちは、今を生きる私たちに、どのような想いを語りかけてくれるでしょうか。

 

 

今月の読本「相模武士団」(関幸彦:編 吉川弘文館)寄せ来る者達に翻弄され続けた核心の地への記憶

今月の読本「相模武士団」(関幸彦:編 吉川弘文館)寄せ来る者達に翻弄され続けた核心の地への記憶

武士の都と呼ばれた鎌倉を擁する相模。一方でその土地は東山道が抜ける上州と共に、西に連なる箱根を関門に構えた東国の入口を扼する場所でもあります。

自らの発祥を苗字に掲げる事が多い東国の武士たち。しかしながら、東国と西国がせめぎ合う境界に位置するその地を苗字に掲げる一族が、その後の荒波を潜り抜けて最後の封建制たる江戸時代まで家名を繋げられた例は、ほんの僅か。歴史ファンの方でも思い出されるのは、戦国時代に北条早雲に滅ぼされた三浦氏くらいではないでしょうか。

そんなマイナーな感が否めない相模発祥の武士たちの変遷を一冊に纏めた本を、今回はご紹介します。

今月の読本「相模武士団」(関幸彦:編 吉川弘文館)のご紹介です。

本書は、同じ編者、版元さんにより刊行された「武蔵武士団」に続く続編として送り出された一冊。執筆するメンバーも一部ではオーバーラップしています(今回も、細川先生の一刀両断コーナーありです)が、前述の懸念を少しでも解消するためでしょうか、内容を補強する為に特論と称して、本来は相模武士とは呼べない前後の北条氏、そして、相模武士の象徴とも捉えられる三浦氏について、相模武士たちとの関係を含めて述べる論説を、本書の執筆陣とは若干離れた人選を擁しての別項を立てています。

手持ちの中で、今回の執筆陣の皆様が手掛けられた同じ版元さんの書籍をセットで。

前著「武蔵武士団」と比べるとマイナーな感が否めない登場人物達、更には本書でも多数引用される在野の歴史研究家、湯山学氏により膨大な私家版を含む著作物が刊行されており、本書でも言及されているように、その内容には十分な検討が必要とはいえ、採り上げるべき個別の武士団、氏族ほぼ全てがカバーされています。

では、本書はどのような立ち位置で相模武士団を捉えようとしているのでしょうか。編者の時代感の捉え方は今となってはやや古いスタンスとなる、開発領主から勃興するスタイルをニュアンスとして残しつつも、彼らが中央から下向してくる人々によって、翻弄されていく過程を描く事で、相模特有の事情、その武士団たちの特徴を見出そうとしていきます。

武蔵武士団にも通じる内容ではありますが、より権力の震源近くに在住することとなった相模の武士たち。その姿は、東国の関門故に、所謂源平合戦以前から中央の権門と密接な関係を築いていた事を示していきます。そして、頼朝の挙兵と共にまず最初に騒乱に巻き込まれる事になる相模。それ以前から源氏同士の勢力争いに巻き込まれていきますが、ここから相模武士たちの淘汰が本格的に始まる事になります。

西国に主軸を置く平家に付くか、京に生まれ先祖の勲功と記憶を振り回す頼朝に賭けるか。御家人として纏め上げられる段階になっても、その舞台である鎌倉を擁する相模の武士たちは、頼朝による熾烈な淘汰を真っ先に受け止める事になります。

在地から伸展する訳ではなく、アウターが跋扈する鎌倉を舞台に繰り広げられる暗闘と粛清。その矛先は、在庁の雄たる三浦氏にも容赦なく降り注ぎ、滅亡までに二度も系譜を絶たれ、三浦半島の奥に押し込められてしまいます(それでも鎌倉の背後を押さえる地に三浦の家名を存続させた点に、地勢への配慮を示唆する論には深く同意するところです)。

壮絶な権力争いの末に、全国に所領を広げ、諸大夫としての武蔵守、相模守を独占した得宗、北条氏に対して、圧倒的な規模の差を見せつけられて、追従する姿を示す相模武士たちの御内人への転身(ここで、御家人身分から転落したわけではないと注意が示されます)。更には、良く知られるように苗字は残したまま、一族を分けて西国の所領へと転身を図る武士たち。その動きは承久の乱以前にまで遡る事を示していきます。

そして、鎌倉幕府滅亡から南北朝に掛けて、再び相模は権力の中枢としての宿命を受けることになります。鎌倉幕府滅亡と共に滅んだ北条氏と共に、中先代の乱で復活を狙った時行に加担して、又はもう一つの東国の関門たる東山道を軸に北方を抑えた南朝に下って、更には観応の擾乱によって。鎌倉幕府を生き永らえた相模武士たちは、再び外からもたらされた戦いによって、更に淘汰を繰り返す事になります。新たな鎌倉の主として乗り込んできた鎌倉公方と関東管領、彼らも生き残った相模武士たちに試練を与え続けることになります。鎌倉の政体と守護の二重権力体制の為に、既に国単位の武士団としての体を成さなくなった相模の武士たち(三浦氏にしても守護権が否定されている間は同様と)は、牽制しあう二つの権能の指揮下、または隣国の武蔵の一揆勢と共闘をする以外に生き残る道が残されていなかったようです。

鎌倉府の下で何とか家名を維持してきた相模武士たちですが、今度は鎌倉公方と関東管領の争い(それぞれを牽制する幕府を含めて)によって、双方の勢力に分かれた相模の武士たちはまたしても淘汰の時を迎えてしまいます。最終的には鎌倉公方の古河への動座によって、相模の地が武家権力としての引力を失うことになる永享の乱とその後の享徳の乱によって、相模に在住していた旧来の武士たちは三浦氏を主体とする僅かな勢力を残して、殆どが滅亡、西からはこれまた鎌倉に入る事が出来ずに伊豆に留まる結果となった堀越公方を乗り越して、大森氏が小田原に入部することで、これまで辛うじて維持してきた相模西方、金目川以西は在地そのものが淘汰されていきます。

権力の引力が北方に去った事で空白地帯となった、残る相模川の東岸と相模中央部に漸く勢力を挽回した三浦氏の勢力も、その後にやはり関東の喉口を押さえる要衝と踏んで乗り込んできた北条早雲によって殆どが根絶やしにされ、僅かに後北条氏の重臣となった松田氏が残るに過ぎなかった事を示していきます(最終的には秀吉の小田原攻めで滅亡の道へと進む事に)。

東国の入口ゆえに外からの勢力に翻弄され続け、最終的には苗字の地たる相模に痕跡を残すばかりとなった相模武士たち。しかしながら、武蔵に蟠踞した武士たちと同様にその足跡は全国に渡り、苗字の地を離れた後に大いに繁栄した一族も数多輩出しています。小早川、長尾そして三浦氏の系譜を受け継ぐ蘆名氏。権力の中枢に存在することによる熾烈な淘汰を逃れた先に発展した相模武士たちは、それでも相模が本貫地がある事を由来として誇り、苗字を、そして家名の礎となったその土地への深い繋がりを求めていたようです。本書にはそのような各地に散らばっていった相模武士たちの足取りにも検討を加えていきます。そして、歴史時代を潜り抜けた今日の相模。今度は日本の中心に隣接することとなったために、急速に失われていく彼らの足跡。編者たちは、そんな変遷の激しいこの地に僅かに残る、相模武士たちの痕跡にも目を向けていきます。

最後に綴られる相模武士たちが行き交ったその土地を紹介する一節。その中で印象的に語られる、考古学的には既に往時の道程とは食い違ってしまっているにも関わらず、その後の歴史でも、私を含めて今を生きる相模、今の神奈川県(更には武蔵の地)に住む人々にとっても深く結びつく「鎌倉街道の記憶」に息づく想い。その想いには苗字の地を遠く離れ、権力の中枢としての地位を遥か昔に失ってもなお、その核心の地が秘める引力の強さを思い起こさずにはいられません。

武士団をテーマに掲げた本書が綴る、武家の核心の地で繰り広げられた興亡と淘汰の物語。その結末は余りにも寂しいものですが、もし今後、鎌倉、そして相模の地を訪れる際には、本書を片手に僅かに残る痕跡を辿りながら、武士たちが壮絶な駆け引きの中を生きていた姿に思いを馳せてみては如何でしょうか。

今回ご紹介した本と、勝手に深夜の「東国の武士団と歴史書籍フェア」。

武士の発祥と変遷を綴る書籍の数々、皆様のご興味を引く一冊はありますでしょうか。

今月の読本「飯田線ものがたり 川村カネトがつないだレールに乗って」(太田朋子・神川靖子 新評論)その普段に寄り添う偉大なるローカル線の偉大な物語と小さな物語は、新たに見つめ直す合唱劇の先へ

今月の読本「飯田線ものがたり 川村カネトがつないだレールに乗って」(太田朋子・神川靖子 新評論)その普段に寄り添う偉大なるローカル線の偉大な物語と小さな物語は、新たに見つめ直す合唱劇の先へ

出版不振が叫ばれて久しいですが、日本には多くの書籍を刊行する、多様な出版社さんがまだまだ多く存在する一方、その出版社さんの数を遥かに上回る「本を出してみたい」と願い、実際に地道に資料を集め、構想を練り、試行錯誤をしながら原稿をまとめ、何度もダメ出しを受けながらも、何とか刊行のチャンスを狙ってひたすら努力を続けている方々も数多いらっしゃるかと思います。更には、そんなチャンスに恵まれなくとも、何とか一冊を綴りたいと願って自主出版や私家版として自費出版される方すら、決して少数ではない筈です。

そんな中で、地元の書店さんでふと見かけた一冊。やや素朴な仕上がりながらも明らかに自費出版とは違う、美しい写真のカバーが掛けられ、巻頭にはふんだんに用意されたカラー写真、定価とISBNコードが打たれた正規の刊行物。そして、著者は偶然にもこの書籍を執筆することとなった、地元で暮らす二人の女性。あとがきの著者紹介を読んだ限りでは、表紙に書かれた表題とはちょっと噛合わないこの組み合わせに、逆に興味を持って手に取る事になりました。

今月の読本「飯田線ものがたり 川村カネトがつないだレールに乗って」(太田朋子・神川靖子 新評論)のご紹介です。

まず、本書が書かれるきっかけから驚かされます。鉄道ファンで多少なりとも地方鉄道の歴史に知見をお持ちの方、特に本書のテーマとなった飯田線に少しでも興味をお持ちの方であれば、アイヌの鉄道測量技師、川村カ子ト(こちらの方が一般的な表記ですね)ほど著名な人物はいない筈です。しかしながら、沿線である佐久間に30年も在住していた著者、地元の小学校の教員を務めていた著者の夫ですらその人物を知らなかった、更にはかなりの高齢の方以外、地元の方にとっては全く無関心の人物であったという事実。

ある人物から舞い込んできた相談を受けて、初めてこの事を知った著者が次に起こしたアクション、川村カ子トを題材にして以前に作られた合唱劇をプロデュースして、その舞台である、水窪で上演することになります。水窪での上演に際して広報担当としてパートナーとなったもう一人の著者と二人で綴ったのが本書。前後半でパートを分けて描かれる物語からは、全く未知の状態から川村カ子トを軸に、自分たちの生活に寄り添ってきた飯田線そのものへの理解を深めていく過程が見えてきます。そこには、旅行者や好事家、鉄道ファンや行政の方が綴る物語とは全く違った視点に溢れています。

前半では、合唱劇の舞台準備に際して訪れた旭川での川村カ子トの記念館を訪れた訪問記と、三信鉄道の最深部、三河川合-天竜峡間の実際の測量、敷設作業にまつわる物語が綴られます。刊行物に掲載されるのは初めてと思われるものを含めて、当時の貴重な写真も豊富に掲載されています。但し、このページをご覧になるような方は既に好事家に片足を踏み外していらっしゃるかと思いますので、カ子トの業績やアイヌに対する差別的な扱いについては改めて説明不要かと思います。そのような中で、1960年に再び招待されて北海道から佐久間を訪れた時の模様(既に自らが切り開いたルートが佐久間ダムの湖底に沈んでいると聞いて驚いたそうです)を今でも克明に覚えている古老のお話や、その沈んだルート(水上から接近)やそこにあった生活、夏焼の集落を訪れた著者の綴る物語には、地元に在住している方だからこそ語れる内容であることはもちろんなのですが、それ以上に、ついこの間まで知らなかった、刻まれ続けたその土地だけの歴史物語再発見への驚きと、その想いがさらに地元への愛着へと昇華していく心象が綴られていきます。

更に驚きの内容が、川村カ子トが請われて三信鉄道に招聘されたと多くの書籍には書かれていますが、そのような言説を覆す説が述べられている点です。今回の取材の中で、佐久間に今も住まわれている方の祖父で、三信鉄道の保線課長として建設工事にも携わった人物が、北海道拓殖鉄道時代にカ子トと一緒に鉄道施設作業に携わっており、請われたというより、カ子トの方から三信鉄道に従事したいと願い出たと述べていたという記録を残していた事です。あくまでも私家版での著述であり、本人談として伝えられている限りですが、当時としても高額な給金と家族を引き連れての測量であった点でも、決して一方的にアイヌだからとのある種の侮蔑的(能力の高さの裏返しでもあります)な招聘ではなかったかもしれない点は、日本の鉄道史でも有名なエピソードの一側面として、その背景を含めてもっと検証されても良いのではないかと思われます(この先は鉄道史家の領分でしょうか)。

過去からの飯田線に繋がる物語が綴られる前半に対して、後半は現在の飯田線の物語が綴られます。水窪での合唱劇公演を終えた後に始めた飯田線の探訪。一覧表では掲載していますが、全部で94駅ある飯田線の全駅を網羅するのは流石に苦しかったのでしょうか、その中で著者が心に留めた49の駅が、コラムを挟みながら紹介されます。本書のテーマと著者が水窪在住のため南側重視で、旧三信鉄道は全駅と飯田までを重点的に取り上げています。民俗学的にも貴重な三遠南信の山村に残る風物、寄り添う天竜川とダム湖、桜、そして茶畑と、その土地に住む方々にとってかけがえのない、今の姿。有名な下山ダッシュや旧三信鉄道秘境駅の数々など、鉄道ファンの方ならお馴染みのテーマももちろん紹介されていますが、その内容は、取材目的で訪れた場合でもあくまでも鉄道は添え物、著者の興味は別の所にあります。それは、自らがその場所に訪れた際のシチュエーションであったり、一緒にいた人物であったり、車掌さんや、駅で、そして道行く中で巡り合った人々への、また飯田線で会いましょうというという想いを乗せた柔らかな眼差し。鉄道とういうツールを通じて人と人が交わっていく想いを車窓が彩り、自分の心を映し、描き出すという、紀行文やちょっとビジネスライクな各駅の紹介とは異なった、自らの日記を綴るような、自分の住む場所を往く日々の心象スケッチを積み重ねているかのようです。

川村カ子トに出逢わなければ気が付く事が無かった、何時も側に寄り添う鉄路が編み出す昔と今を繋ぐ物語は、そのきっかけを作り出した(冒頭のトリックに戻る訳ですが)版元編集者さんの手により、繋がり合いながら一冊の物語としてこのように手元に舞い降りてきたようです。

版元さんと著者たちの好奇心、その行動力から生まれ始めた地元への想い、マイレールとしての新たな気付きが、豊かな出版環境が残る中で、本書を通じて多くの方に伝わる事を願って。

<おまけ>

長野県下伊那地方事務所が制作した、県内の飯田線各駅を紹介したブログ「魅力満載のローカル線!飯田線」(全35話)には、本書では紹介されなかった分を含めて長野県内の飯田線各駅が紹介されてます。本書とは全く切り口は異なりますが、興味深いお話が満載、併せてご覧頂ければ、更に面白いかと思います。

本ページから信州関連の書籍、南信をテーマにした話題も併せてご紹介します。

今月の読本「信州の縄文時代が実はすごかったという本」(藤森英二 信濃毎日新聞社)信州の縄文研究系譜を継ぐ研究者が挑んだ、美しく丁寧に描かれた机上の八ヶ岳縄文ミュージアム

今月の読本「信州の縄文時代が実はすごかったという本」(藤森英二 信濃毎日新聞社)信州の縄文研究系譜を継ぐ研究者が挑んだ、美しく丁寧に描かれた机上の八ヶ岳縄文ミュージアム

New!(2018.7.5) : 今月から始まった東京国立博物館の縄文展。著者である藤森英二さんが制作された、本書にも掲載されている縄文人たちをイメージしたフィギュアが展示されているそうです。

国立博物館の展示で著者の作品をご覧になられた方にも是非お勧めしたい一冊です。

<本文此処から>

版元さんからの刊行案内が出て以来、心待ちにしていた一冊。

金曜の晩に漸く地元書店さんの店先(何時の間にか郷土本コーナーが店舗の奥の方に移っていて、危うく見つけそこなうところでした)で見つけて読み始めましたが、予想を超える素晴らしい仕上がりに、一気に読み進めてしまいました。

地方出版社の衰亡が続く中、まだまだやれる事はあると、意欲的な企画と、地方だから、少部数だからとの妥協を許さない丁寧な制作、編集。大手出版社さんにも全く引けを取らない美しい装丁を施した本を次々と送り出していく信濃毎日新聞社さんが、これまでのコンセプトを更に推し進める形で新たに送り出した一冊。狙ったようなインパクト重視でキャッチーな表題の裏側に描かれる、本当に版元さんの良心に溢れる一冊のご紹介です。

信州の縄文時代が実はすごかったとう本今月の読本「信州の縄文時代が実はすごかったという本」(藤森英二 信濃毎日新聞社)のご紹介です。

本書の著者、藤森英二さんは、八ヶ岳の東麓、北相木村の考古博物館で学芸員を務めながら、主に長野県下の縄文遺跡に関する研究に従事する研究者。このお名前をご覧になって、本書にご興味を持たれた方はピンとくるのではないでしょうか。縄文研究に大きな足跡を残し、今に至るまで学界において議論を呼び続ける、ある意味において、日本の古代史の視点が世界的な考古学の流れと決定的な違いを見せる結果となった論考を残した人物。在野の考古学研究家と呼ばれた、縄文農耕論を著した藤森栄一氏に繋がる方です。

こう書いてしまうと、まるで縄文農耕論の継承者が描く、本格的な縄文文化論が展開される本のように見受けられてしまいますが、さにあらず。更に言えば、このような紹介自体、あくまでも本書を売り込むためのセールストークのようなものであり、著者の意図する所とは異なっている事を予め述べておかなければなりません。

本書が本当に素晴らしい点、それは八ヶ岳西麓に広がる縄文遺跡をテーマに、学芸員とモデラー(掲載されている写真のフィギュアは全て著者の自作です)という、二つのキャリアを存分に注ぎ込んだ、美しくも丁寧に纏められた、ページの上に描かれる縄文ミュージアムを見事に作り上げた事です(注記:信州と表題されていますが、前述のように八ヶ岳西麓がメインテーマです)。

信州の縄文時代が実はすごかったという本巻末に掲載された多くの協力者の皆様の手助けを受けながら、信州の息の長い学研的な伝統が培ってきた研究者の系譜に連なる著者(出身の明治大学において、戸沢充則氏の薫陶を受けています)が、その中心地からほんの少し離れながらも息吹を肌身に感じるであろう八ヶ岳東麓から俯瞰する、数千年に渡ると云われる八ヶ岳高原で大繁栄した縄文時代の主要な研究テーマを丁寧に解説していきます。

執筆協力の皆様によって集められた美しい画像や、良く錬り込まれた豊富な図案。著者自身の制作によるフィギュアによる美しくも可愛らしいフルカラーのページたち。ページに添えられたキャッチーなフレーズを眺めていると、一見して小中学生向けの所謂副教材ではないかと思えてしまいますが、それは大きな誤りのようです。低年齢向けの語法はあえて避けて、一般の読者を想定した文意と、博物館等の刊行物では当然の配慮である、時代感の指摘やキャプション、補記への配慮は、正に本書が学童向けの入門書に留まることなく、より広範な読者、好事者、歴史ファンの皆様に向けて書かれている事の証。多くの皆様が感じているかもしれません、大好きな博物館、美術館を訪れた後、この感動をそのままに収めた一冊の本が欲しいと思う感触そのままに、本書は仕上げられているかのようです。

信州の縄文時代が実はすごかったという本そのテーマ故に入門書としての体裁で纏められていますが、要所に書かれた内容は最新の学術成果も盛り込まれています。本書を読まれる方であれば、一番気になる点についても、最先端の圧痕法(レプリカ法)による知見が盛り込まれており、この一冊で最新の縄文研究の一端に触れる事が出来るように配慮されている点は、更に嬉しいところです。著者はあくまでもこれらの議論に対して、距離を置いた発言をされていますが、その検証手法の発展と新たな知見が現れる事を密かに期待されているようです。

信州の縄文時代が実はすごかったという本そして、八ヶ岳の裾野に広がった縄文時代の遺跡で繰り広げられた物語について、考古学的成果から俯瞰していきます。特異な文様を持った縄文土器の分布と伝播、八ヶ岳の縄文文化を象徴する二つの国宝土偶の物語(二つの間の時間軸的な断絶についても)。そして、発展を支えたであろう豊かな生産性と、交易物としての黒曜石からみる、海をも超えて東日本を広く包み込む、広範な縄文人たちの移動する姿。これらの内容は博物館でじっくり見たつもりでも、改めて本という形で眺め直すと、別の見方が生まれて来るようです。そして、現代に生きる私たちもその大きな流れの中で生きている事を実感させられる、縄文海進とあれほど繁栄した八ヶ岳西麓に生きた人々が残した痕跡の消滅。

ここから先は、是非現在の八ヶ岳山麓に訪れて、その息吹を感じて欲しいとの想いから、多くの類書では決定的に欠けている、各所に点在する博物館の展示紹介や訪問ガイドにページを割いている点は、本書が博物館関係者が著述されている点以上に、地元に在住する人間として、更には本書を通じてその地を訪れたいと思う多くの歴史ファンにとって、極めて嬉しい配慮である事を重ねて述べておきたいと思います(双方に於いて絶対的に断絶して扱われる事が多い、隣県の博物館に関しても、特段の配慮を以て記載をして頂いている点については、深い敬意の念を述べさせていただきます。八ヶ岳山麓は東西南北みんな一緒)。

SNSや著者のブログに残された刊行前のコメントを拝見すると、研究者のキャリアとして本を出すのが早すぎたのではないか、刊行自体に無理があったのではないかと悩まれている様子が伺えますが、そんな想いは多分杞憂だったと思いますよと、お伝えしたいです。

これまでになかった、八ヶ岳山麓の縄文時代を美しくも丁寧に綴られた読むミュージアムとして、多くの歴史が好きな方の机上に届けられることを願って。そして、今度のお休みには、その足跡を訪ねて美しく整備された博物館たち、史跡へ訪れてみませんか。

八ヶ岳ブルーの下で4

信州の縄文時代が実はすごかったという本

P1060493<おまけ>

本書に関連する内容を扱ったページをご紹介します。

今月の読本(特別編)最後という名の未来を願った名著「職漁師伝」を経て、その一冊は今に続く姿を刻み込み文庫へと『溪語り・山語り』(戸門秀雄 山と溪谷社)

今月の読本(特別編)最後という名の未来を願った名著「職漁師伝」を経て、その一冊は今に続く姿を刻み込み文庫へと『溪語り・山語り』(戸門秀雄 山と溪谷社)

本ページでもご紹介している、今やほとんど失われてしまった、川をその生業とする人々の語る物語を、同じく川をフィールドとする釣り人のとして、同じ視線で、同じ河畔、溪に共に佇みながら、丹念に聞き取っていった記録と貴重な写真で綴った一冊「職漁師伝」(農山漁村文化協会(農文協))。その原点ともなった、当時の雑誌連載記事を一冊に纏めた書籍がありました。

著者が多くの原稿を出稿されていた山と溪谷社から丁度平成と年号が改まった後、バブル崩壊の足音が忍び寄ってきた平成二年(1990年)に刊行された『溪語り・山語り』(戸門秀雄)が、遂に新生ヤマケイを打ち立てる起点となったヤマケイ文庫に収蔵される事になりました。

編集者の方もこのように推されている一冊。山に纏わる物語や、山村、そして川、渓流釣りに関する書籍は数多ありますが、実際に一緒に溪を歩きながら、更には山の中に掛けられた小屋での語り合いを記録された物語は、民俗学を掲げる方々が一瞬で霞んでしまう程の、山で、川で暮らす人々が工夫を凝らした道具に対する知見と豊かな説話を積み重ねており、ニュートラルな筆致と併せて、他に追従を許さない独特の著述感「日本の溪と山を語る」世界を築き上げています。

本書が更に嬉しい点は、「職漁師伝」では表題の関係上割愛された、広範な川と山に関わりながら生きる人々の物語が語られる点。上田の伝承毛鉤に相木村の計算漁、伊那谷の虫踏み、そして井伏鱒二と下部の床屋さんの物語。一度聞いてみたかった、地元に残る川の物語が続々と描かれていて、多少なりとも地理感のある方であれば、活字を追うだけで、その風景が浮かび上がって来るようです。

更には、尾瀬の風物詩となった背負子さん発祥の物語に、カーボン竿を敢えて手中にする竿師・正勇作氏の苦闘、そして今最も話題となっている熊たちと山の人々の物語。山と川に纏わる実に広範な物語が描かれていきます。

このように書くと、30年近く前に刊行された本を通して、単にノスタルジーに浸るための一冊にも見えてしまいますが、著者の筆致の素晴らしい点は、ノスタルジーに留まらず、その先への想いを込めて、実情を述べていく点。著者が最も気に掛け続けている、最初に取り上げられる雑魚川と広範な奥志賀の山中で活躍した、往年の職漁師の系譜を継ぐ人々が先頭を走る渓流保護の実情や、魚止めの滝の上に住まうイワナ、そして山女と名のつく山村の川で交じり合うヤマメとアマゴ。会津も更に奥地の檜枝岐、そこらか更に渓流の奥深くに構えた山椒魚獲りの燻製小屋にまで大学の研究者と呼ばれる方々が押し掛けて大量の山椒魚の燻製を入手していく(発育不良の治療薬になるらしい)という、山里の物語が、最先端の話題にも繋がる事を示していきます。

そのスタンスは文庫化に当たっても貫かれ、全15本のテーマで語られる全てのお話について、数行ずつとはいえ最新の動向を載せいています。その中で、漁の規模が小さくなったり人が入れ替わりつつも、殆どのテーマに於いて30年近くを経た今でも、人々と山と川との関わり合いが続いている事を確認していく点は、本書が正に今に繋がる一冊である事を雄弁に語るかのようです。

山と川の流れがある限り、人がその場から去らない限りきっと続いていく物語の、失われようとする一面と、今もしっかりと息づいていることを再確認させてくれる本書、もし少しでも山や川に思い出がある方であれば、きっと楽しく、そしてちょっと懐かしくもその姿に、彼らの生き様に、今に力強く生き続けている物語に励まされる一冊かもしれません。

溪語り・山語りと職漁師伝

<おまけ>

本ページより関連する書籍のご紹介。