今月の読本「米の日本史」(佐藤洋一郎 中公新書)農学と自然科学が背景を解く、多様なコメが作った列島の自然と人々の歴史

今月の読本「米の日本史」(佐藤洋一郎 中公新書)農学と自然科学が背景を解く、多様なコメが作った列島の自然と人々の歴史

本屋さんに数多並ぶ日本史の本。その殆どが作家や日本史研究者の方々など、史学、文学系の知識をベースとした内容で綴られているかと思います。

大きな歴史的な展開から治世に軍事的な内容。残された記録を頼りに築かれる人物像や、古文書に綴られる僅かな表記の揺れを捉え、その機微と思想に迫る内容まで。様々なテーマと切り口で描かれていく多くの書籍が出ていますが、その中でちょっと珍しいテーマを掲げた日本史の本。

今回は「米の日本史」(佐藤洋一郎 中公新書)をご紹介します。

著者の佐藤洋一郎先生は、イネ科植物の遺伝子生物学における著名な研究者、農学者。東南アジアにおけるイネ科植物の研究経験を下敷きにした、広く東アジア全般をカバーする文化人類学的な論考についても多数の著作を有される方です。本書も一連の著作に連なる内容ですが、テーマは日本史、それも日本史の中に描かれるコメという捉え方ではなく、コメそのものが日本史の背景を形作ったことを農学者の視点で描いていきます。

6つの時代に分けた通史としての日本史のテーマそれぞれにコメが与えてきた背景を織り込むという形で綴られる本書。自身は日本史の専門家ではないと本文中で度々述べるように、特に前半部分のコメの渡来から奈良時代の入り口までの古代史を扱った部分における通史としての日本史の著述はかなりイメージで語っている印象が強く、ややもすれば上滑り感すら感じられるところもありますし、読まれる方によってはかなり違和感を感じる部分もあるかもしれません。

日本史としての著述だけ見てしまうと、やはり農学者の方なのだから著述に無理があるのではと思わせてしまいますが、著者の意図は別のところにあります。それは本書が貴重な、日本の社会全般に浸透していた「コメの歴史」を日本史の流れの中に置いて描こうとしている点。

前述のような多くの日本史の著作で欠落する事の多い、自然科学的な視点で日本の歴史におけるコメ存在の必然性と社会、列島の自然に与えた影響を通史の中で示していきます。

数多に語られるコメの伝来と社会構造の変化。初めにその伝来と拡散の過程を議論していきますが、遺伝生物学が専門の著者は、その冒頭で日照時間と稲作の適応緯度、伝搬速度の関係を論じつつ、一般的に述べられる北方ルートでの伝来に対して、出土される炭化米の分析結果を添えて一定量の南方からの伝来、すなわち、特定のルートから単線的に稲作が持ち込まれた訳では無く、複数のルートから幾度かに分かれて伝わったはずであるとの自説を唱えます。

次に、稲作と社会性の関連についても、耕作道具が未熟な状況で、粗放な状況ではすぐに雑草との競争に敗れてしまうイネを育てる場所となる耕作地(水田)を起こす事は決して容易なことではなく、単にイネを携えた人々が海を渡って稲作を広めたという牧歌的なものではなく、かなりの強固な意図を抱いた一群が長期に渡って当地に定着しなければ稲作は広まらないと指摘します。主に考古学的な知見が用いられる稲作の伝搬の検討についても、水田は検知できるが、モンスーン気候の地で焼畑農耕の痕跡を発掘で検知することは極めて難しい点を指摘したうえで、それでも炭化米の分析結果などから、その初期から陸稲も伝来し、更には北方への拡散には既に苗代の存在があったのではないかと指摘します。

著者が伝来過程に拘る点。それは次の時代となる巨大古墳や建築物が次々と作られる古代王朝成立の過程において、その労働力を養う栄養価確保の問題から膨大な食料、すなわち穀物が必須であることを念頭に置いている事です。コメの伝来以前にあった他の雑穀類や堅果類ではそれだけの栄養価は得られず、得られたとしても下ごしらえの労力を考えると、相応の労働力(=食料)を賄えるのはやはりコメしかないと指摘します。

そして、著者は栄養価を得るための手段とその結果について、これまでに日本史で描かれる背景に疑問を呈します。農学者として東南アジアにおける豊富なフィールドワークを積んできた著者の視点は、現在の広い平野に水と緑を湛える水田が一面に広がる風景とは大きく異なる、もっと混とんとした稲作世界があった事を指摘します。

前述のように水田稲作において雑草との競争は永遠の課題(現代のそれは農薬の力を借りていたちごっこをしているに過ぎないと)であり、窒素肥料が用いられない水田では容易にイネの生育は雑草に敗れ、耕作を維持できないと指摘します。その結果、班田収授から墾田永年私財法に繋がる班田の不足とその中に荒田が多くみられる点を指摘して、単なる耕作放棄地ではなく輪作という観点を含めて「そうせざるを得なかった」のではないかと、農学者としての視点を添えていきます。その上で、古墳や宮殿などの巨大な土木事業を支える食糧増産を図るためには、耕作地の拡張と共にその肥料となる草木類の鋤き込みが必要であり、動力を用いた揚水(排水)に頼らないで水田が拓ける限られた土地と、その後背地に当たる所謂「里山」の開発が進められることになりますが、著者はそれらを以て画一的な水田稲作に傾斜した農耕の姿を歴史的な描写に投影する事に否定的な見解を述べます。

本書における中軸的な記述となると思いますが、歴史描写における多様な稲作とイネの姿への視点。

発掘された炭化米の粒度分布の調査結果による多彩な粒径、長さと圧倒的な粳の存在の中で限られた糯米から見出す、粉食や餅の存在。木簡に書かれた、全国に渡る、栽培地域ごとに異なる多様なコメの種類名称存在(品種ではない点に注意)。その中に見えてくる、早期に刈り入れが出来る、白米の系統とは異なる赤米、大唐米の存在が、白米だけでは成立しえない、農期、収穫時期の幅を確保し飢饉の発生を抑えると共に、年貢として、そして軍糧として(青田刈りへの対抗策としての存在であったとも)も使用されていた点を指摘し、調理法を含めて多彩な栽培、利用法が採られていたことを示していきます。

前述のような画一的な視点による白米至上主義の史観に対して農学者として明確な疑念を述べる一方、昨今多く述べられるようになった、前近代まで白米は年貢用であり、多くの農民たちは雑穀を食するに過ぎなかったという議論に対しても、前述の栄養価の側面からそれでは激しい肉体運動を要する前近代の農耕、労働に対して、高蛋白質の肉類を摂らず続けることは困難であったろうと指摘し、水田に抱き合わせる形で栽培されていた豆類と合わせて、これら多彩な「コメ類」が日常的に利用されていたと指摘します。更に、水田を作るために人為的に引かれた水路に定着する淡水魚類へのたんぱく質の依存という点を重ねることで、戦前まで長く続く稲作農耕を軸にした列島の姿、生き様が作られたと指摘します(ここで、ジャポニカ種という言葉の生まれた経緯とその分類について詳細な説明が綴られる点は、南方系の品種もテーマとするイネの研究者としての矜持を示すところで、インディカ品種への偏見と誤解を正したいと願う著者による強い思いが表れています)。

列島の姿を形作ってきた稲作とコメ。その姿は食料としてだけではなく年貢、更には金銭価値を持つ、基軸通貨に代わる役割を果たしてきた点は日本史の中でも多く語られる内容ですが、著者はもう一つの側面として、都市化を支えたのもまたコメの存在であった点を指摘します。税、年貢として各地から集積されるコメ。しかしながらその初期においては精米技術が未熟で、むしろ搗き過ぎで玄米と白米の中間的な状態で食していたと指摘します。所謂「江戸煩い」とも称された脚気、白米食によるビタミン不足である点はよく指摘される(この傾向は日露戦争の陸軍まで続く点も)事ですが、根源的な理由として白米の精米度が高まった訳ではなく、その前段階となる「玄米」を効率的に得る事が出来るようになった点を指摘します。籾を外した状態で保存できる玄米の存在こそが、コメの保存性と流通を飛躍的に高め、都市に集住する人々の膨大なエネルギー消費を支え、更には今日において日本の食文化と称される多様なコメを利用した菓子、料理、白米を主食として据える食文化を成立させたと指摘します(近世以前の人々は玄米食だったという表現も誤りであると)。

都市の膨大なコメ需要を担うために低湿地を干し上げ、山麓に通水することで水田を押し広げる事で列島の景観を一変させ、餅にも通じる白という色の意味と重なる都市が生み出した白米への強い思い。それらを追求し続けた先に近代の膨張と戦後の食糧増産の過程を描いていきます。著者はその中で、現在に繋がる品種を生み出した育種の発祥と既にその耕作技術が失われてしまった驚異的な収量を達成する事で要求に応えた篤農家達の存在を重ねながら、社会の近代化と全体主義的な傾向が増大する姿を大陸への進出に添えて述べていきますが、その著述はあくまでも農学者としての立場での言及に止められ、最後に近年の米食や棚田、稲架の景観への想いといった著者が現在最も力を入れている文化人類学的な議論へと移っていきます(コメに残る尺貫法を改める必要性など実に科学者、農学者らしい見解も)。

日本の歴史を背景から形作ってきたともいえるコメと稲作。その姿はコメ余りが叫ばれる一方、各地から送り出されるブランド米の勃興(これらがみなコシヒカリ一族であるという一抹の不安も含めて)というこれまでの時代背景とは全く異なる状況を迎えていますが、曲がり角を迎えた中で上梓された、碩学がこれまでのコメの研究者、文化人類学者としての想いを込めて綴られた一冊。またひとつ、日本史の背景描写に豊かな彩と視点を与えてくれる一冊です。

 

<おまけ>

本書のイネに関する著述内容のうち、著者の専門分野である東南アジアの稲作及びイネの遺伝学的な伝搬以外、その多くは著者を編者して昨年刊行された「日本のイネ品種考」(臨川書店)で執筆を担当した研究者の論考に依拠しており、一部の議論に対しては著者自身が別の見解も添えて述べる形で綴られています。少々お高いのですが、本書を読んでイネと稲作に関する各論についてご興味を持たれた方は、是非お読みいただければと思います(内容は一般読者向けなので平易です)

本書で議論の中核を担う、日本のコメ品種において否定的な捉えられ方をされる一方、実は陰の主役的な立場であった事を指摘する赤米、大唐米。その存在と広がりを史学の視点で地道な研究から描き出した、長野在住の在野の研究者が著わした「赤米のたどった道」(福嶋紀子 吉川弘文館)本書に於ける多くの指摘も当該書の記述に拠っていることを著者は明示しています。「ものの歴史」的な内容にご興味のある方はこちらの一冊もお勧めいたします。

今月の読本「日本思想史」(末木文美士 岩波新書)超特急通史のキーワード文末に織り込まれる宗教史から日本の思想史への問いかけ

今月の読本「日本思想史」(末木文美士 岩波新書)超特急通史のキーワード文末に織り込まれる宗教史から日本の思想史への問いかけ

本屋さんの特等席、お客さんからよく見える平置きの書台や壁越しの面陳を埋め尽くす、毎月のように刊行される新書シリーズ。

一時期のブームからは少し鎮静化したようですが、それでも数多くの出版社から様々なテーマを掲げた作品が毎月、大量に送り出されています。本屋さんにとっても新刊という名の書棚のラインナップ新陳代謝を維持するためにはもはや欠かせない存在となった新書ですが、その中でも古参中の古参とされる岩波新書。

他の新書シリーズに対してやや古典的(エバーグリーン)なテーマであったり、特定の指向性のある読者層に向けた、強い問題提起を含む作品が多くラインナップされているかと思います。

今回ご紹介する本も、かなり強いテーマ性と問題提起を掲げた一冊。

日本思想史日本思想史」(末木文美士 岩波新書)をご紹介します。

著者は東京大学に所属された(現在は名誉教授)著名な古代、中世の仏教研究者で、比較的穏当な筆致で中華世界へ請来する以前の仏典から日本に導入された仏教の定着、日本におけるローカライズされる姿までを宗派に拘ることなく通史として描くことができる稀有な方。その通史としての筆致も平板なものではなく、日本仏教の特異点や宗派、宗祖に拘る著述や議論に対して敢然と疑問を投じつつ、冷静に通史の中にそれらを位置づけていく、一般書籍としては貴重な、宗派に囚われない日本の宗教史を描ける方です。

そのような碩学が敢えて冒頭に刻み込んだ言葉に衝撃が走ります。曰く、

「最新流行の欧米の概念を使って、その口真似のうまい学者が思想家としてもてはやされた」

「思想や哲学は一部の好事家の愛好品か、流行を追うファッションで十分であり、そんなことには関係なく、国も社会も動いてきた」

本屋さんに大量に積み上げられる、ビジネスマンに向けた思想や哲学に類する書籍のなんと多いこと、その内容の殆どが西洋哲学のいいところ取り的な著述である点に大きな疑問を持っていた私にとっては非常に腑に落ちる一文ではあったのですが、それ故に本書の内容に大きな不安を抱いたこともまた事実です(僅か3ページほどですが、驚愕の「はじめに」は是非ご一読で(立ち読みでもいいかな、と))。

日本で思想、哲学を扱う研究者、出版、マスコミ関係の方々すべてを敵に回すような強烈な巻頭辞に対して、果たして本書の内容が応えているのか、更には著者が敢えて新書というフォーマットの特性を用いて表現するという内容に危うさを感じつつも、非常に興味を持って読み始めました。

私自身は思想も哲学も論じるに足りる知見を持ち合わせていませんので、あくまでも単なる本読みとしての感想ですが、流石に200ページ少々で思想史概論から始まり、古代から東日本大震災までの時間軸を通史として綴るには絶対的に分量が不足しており、表題にある内容を本書だけで満たすことは全くできません。特に初学者にとってはコンパクトすぎる記述を単純化して捉えてしまう恐れがあり、全く勧めることはできません。

むしろかなりの程度、日本史についての知識を有されている方が読まれることを当然として綴られたと思われる省力化された筆致。表面的にその内容は、文学、思想、宗教面でポイントとなる事項、人物を極端に圧縮した日本史通史にキーワードとして添えていくという体裁かと思います。

著者が得意とする通史を超特急で綴る本書、しかしながら著者のこれまで数多く手がけてきた通史のスタイルと少し様相が異なります。これまでの著作では主に中世まで、特に平安から鎌倉時代の著述に重点を置く著作が多かったと思いますが、本書では全体の半数以上を江戸時代以降の内容を描くことに充てていきます。多くの日本の思想史を綴る著作においても同じように、それ以前の歴史上で思想史を描き込むための前提となる内容が極めて限られるために致し方ないところかとは思いますが、冒頭の著者の言葉を享けて読み始めると、分量以上に江戸時代以前の内容には物足りなさを感じることも事実です。

そして、著者が本書を手掛ける大きな理由であり、特徴的な内容と思われるのが、超特急で綴られる日本史通史の文末に忍ばせる、仏教史としての視点、仏教が日本の思想に与えた影響が余りにも軽視されていることへの憤り。

著者の著述における特徴かと思いますが、通り一辺倒に読んでしまうと前述のように日本史の通史に添えた、単なる思想関係のキーワード集にも捉えられてしまうのですが、文末にぽつりと語られる内容こそが重要なポイント。新書というフォーマットの限界を超えるために著者が用意した仕掛けを注意深く確認することが求められます。

このような著述を採られているため、各論に関する著述においては、神話の成立や集積過程の論述に見えるように「重要ではない」とばっさり切り捨ててしまう部分が認められる一方、宗教的な視点でその後の歴史における思想面で多大な影響を与える部分については、相応に記述を割いていきます。

まず、国家神道に至る道筋では、その前時代から神道がひとつの信仰の形態として整備されていく過程を要所できっちり繋がるように指摘を入れていきます。儒教に関しても、神道、国学の相互関係と教育勅語、帝国憲法に繋がる過程の連動性にも配慮を示していきます(小中華論を含めて)が、その一方で日本において仏教のような定着を見せなかった結果、特に民衆にとっての思想、宗教としての影響は限定的であったことを明確に示していきます。その上で、著者が最も述べたいと願う仏教の思想面での影響。神道が信仰としての体系を整える呼び水となり、儒教と共に日本にもたらされた際に、その新しさと高度な体系を有していた事から時の為政者たちにとって、儒教ではなく仏教が国家の支柱として受容されたと読み解いていきます。その上で、葬送儀礼に加われなかった点を指摘して、日本における儒教の限界を指摘します。

国家を動かす王権と鎮魂と冥を司る仏法、仏法の顕現として祀られる神々。日本史の中で描かれた物語、文学たちも多くはこの二つの軸に沿った内容であったことを再確認していきます。

宗教という側面で文学、思想史を語る著者。その結果、著者の歴史的な転機における表現もその影響を強く受けていきます。中世の幕を開ける鎌倉新仏教という表現は今では避けられる傾向にありますが、著者は大仏復興と勧進聖、重源の活動がその幕開けであることを明確に述べ、近世の始まりとしては元和偃武を位置づけていきます。さらに、多くの場合明治維新という表現を添える近代の起点を示す表現には「御一新」の語を繰り返し用い、あくまでも王権と仏法の動きとして時代の推移を綴っていきます。

王権と仏法のバランスが徐々に崩れ始める近世。平時における武家の統治を思想的に支えるために儒教の影響がより大きくなり、庶民の文学へも儒教の影響が見えるようになる点を指摘します。この流れの中で国学の勃興、神道の浮上、その先に尊王攘夷を見出していきますが、著者は起点として復古主義的な荻生徂徠の存在を指摘し、古典解釈の厳密な再検討による読み直しという行為自体が思想面で強い影響を与えたと述べる一方、鬼神論に対しては極めて先進的な唯物論者であった新井白石から逆行する形となる平田篤胤の思想(冥界に関する二元論)と津和野国学による転換がその後の国家神道、皇室の信仰へ強い影響を及ぼしたことを指摘します。儒教の影響が次の時代の萌芽となる一方、葬送儀礼としては儒教形式が幕府により否定された結果、民衆においては葬式檀家として現在にまで繋がる冥の部分、仏教の影響が思想面でも強く残ることを明確にしていきます。

著者による王権と仏法による二つの軸で描かれる思想の歴史。そのような姿は御一新による「神武創業」と太平洋戦争の敗北による「国民の総意」体制によって二度、大きく様変わりしたと述べていきます。中央集権と親和性の高い儒教の思想が持ち込まれた上での天皇を頂点に置く家父長制に倣う国家体制と、それを支える皇室の冥を司る神道と民衆の冥を司る仏教。近代国家としての憲法とその枠組みから逸脱した天皇の存在の危うさの先が近代の軸として語られていきますが、著者の専門分野から離れていくためでしょうか、全体の著述はやや雑多に綴られる近代史へと移り変わっていきます。

流石に近代史の範疇になると数多くの人物がキーワード的に綴られていきますが、冒頭の著述からすると拍子抜けするほど淡白な近代の思想を語る部分。そして、近代から現代に至り、著者が描いてきた思想の枠組みがほぼ潰えたその後(天皇の行動「象徴としての勤め」を国民の総意という形で追従的に容認し蓄積されていく過程と戦後体制による表層的な国民主権の推移を小伝統と称する)を描く段になると、その想いは自らの研究者としての歩みを投影するようになります。

戦後の学制改革を以て、大学がエリート養成機関からテクノクラート養成へと転換したことによって、「文豪」そして知識人という存在が生まれることがなくなった、その結果が現在に続く思想としての日本の低迷の発端であることを濃厚に漂わせて、道筋なき現代の姿と、改めて日本に視点を据えた思想史を過去に遡って丁寧に掘り起こしていく必要性を述べていきます。

新書という限られたフォーマットの中で綴られる、著者がこの数年来積極的に上梓されてきた著作群の交差点となる、次へ進むためのキーワードを整理し、再確認するための一冊。

新書という誰でも手軽に読むことができるフォーマットでありながら、素手で触るとちょっと火傷しそうなくらい極限まで絞り込まれた内容故に読む方をかなり選ぶ一冊ですが、著者が囁く指摘に耳を傾けながら、自らの持っている歴史的な理解を見つめなおすと、その中に織り込まれた、思想としての日本史の姿がほんの少し見えてくるようです。

他社さんの書籍で申し訳ないのですが、通巻300冊を達成した人物叢書の販促史料にある、登場人物別の教科書採用率。

じつは、近代以前においても文人、僧侶の登場人物はかなり多いのですが、教科書採用率が極めて低いことが判ります。多くの方々の歴史的な知識の下敷きとなる教科書の記述を考慮すると、著者の懸念、危機感と本書の位置づけが見えてくるようです。

今月の読本「日本の品種はすごい うまい植物をめぐる物語」(竹下大学 中公新書)先鋭と多様性、花卉ブリーダーが説く篤農家と育種家が手を携えて進む商品作物の未来

今月の読本「日本の品種はすごい うまい植物をめぐる物語」(竹下大学 中公新書)先鋭と多様性、花卉ブリーダーが説く篤農家と育種家が手を携えて進む商品作物の未来

本屋さんに魅力的なタイトルの作品が大挙して入荷してくる年末のシーズン。

じっくり読む時間が取れるとはいえ限られた読書時間の中、どれを読もうか何時も迷ってしまいますが、まだ仕事納め前だし、まずは軽めに新書でもと思って手に取ったこの本。軽めなその表題を裏切る印象的な一冊となりました。

日本の品種はすごい

今回は「日本の品種はすごい うまい植物をめぐる物語」(竹下大学 中公新書)をご紹介します。

副題を添えないと趣旨が判らないくらい、如何にも流行の表題の付け方ですが、更に綴られる内容はその表題からはかなり異なる印象を受けます。著者は元、大企業(キリン)の花卉育種部門を立ち上げられた方。現在は団体職員を務められていますが、社会人人生の大半を企業の「育種家」(ブリーダー)として過ごされた方。副題に表される「うまい」、即ち食用農作物(作物)のお話ともかなり離れた経歴をお持ちの方です。

花卉ブリーダーの方が何故に作物のお話をと、表題と副題を見ただけでは首を捻ってしまいますが、著者の執筆意図は明白です。その「うまい」作物たちの元を生み出す「育種家」と、商品作物として市場に送り出す事に尽力した「篤農家」達の物語を綴る事。

本書は、専門書籍以外ではかなり珍しい、農作物生産を影のように支える育種家と種苗メーカーサイドの視点で、商品としての農作物の発展を捉えていきます。

大学の研究者や公立の農業試験場関係職員の立場では忖度もあって書きにくい、作物の商品名(種苗品名)や種苗メーカーの名前をストレートに書くことを憚らない、種苗商品としての価値やその趨勢を統計資料や歴史的な記録から語りながらも一歩引いた視点で評価する事が出来る。同業者であっても育成する植物の種類が大きく離れる著者所以の視点で描かれていきます。

本書で紹介される「作物」たち。前半はジャガイモ、ナシ、リンゴ。世界的な作物と果樹、日本固有の果樹が取り上げられていきますが、何れも著者のブリーダー経験に近い分野。花卉ブリーダーに与えられる世界的な賞を受けた事もある著者ならではの、世界市場における農産品改良の歴史を見据えた視点を添えて綴られる内容は、同種の本でもなかなか語られない内容。農産物輸入自由化という外圧に抗し続ける、各地の農業試験場による効率的で収量が得られる品種への改良と、それを上回る規模とスピードで育種と配布を行う、日本のジャガイモ農業を支える柱石ともなっているカルビーの存在。江戸時代から続く果樹育成者達の品種改良への意欲は、文明開化を迎え、海外からの品種と改良技術の導入によって大きく花開く一方、研究者、育種家達が作り出した「作品」を、商品作物として作りこなして実際に収穫し、利益に結び付ける事が出来るようになるまで粘り強く向き合い続けた「篤農家」達の存在があった事を示していきます。

どんなに筋の良い品種でも、育種家と篤農家のコンビネーションによる成果が多くの生産者に受け入れられた時に初めて「農作物」に成り得る。更には彼らがどんなに良い品種だと思っていても、色味や食感、サイズと言った市場であるバイヤー、購買する人々のニーズに合わなければ「商品」として成功を収める事はない。企業ブリーダーとして育種の最前線に居た著者ならではの視点でその趨勢を綴っていきます。その上で、近年特に問題視されている農産品の原種流出に対して、日本を代表する世界的な品種となった一方、中国での生産量が日本国内の実に35倍にも達した「ふじ」を例に採り憤りを示しつつ、何故種苗法の改正が必要であるのかを論じていきます(ここで、育種家の皆様には品種交換という理論がある事を伺わせます)。

著者の専門分野の周辺に位置する前半から、後半は少し離れた作物へと移っていきます。ダイズ、カブ、ダイコン。伝統野菜としての品種や味覚、利用法を紹介する一方、前半のような育種家達、公立の農業試験場(ダイズの「エンレイ」(塩嶺ですね))の活躍の物語から、今や大企業となったタキイ、サカタといった種苗メーカーが送り出す種苗品種の話へと移っていきます。

著者が勤めていた企業がブームの後押しをした「だだちゃ豆」の栽培拡大。僅かにしか収穫されない「丹波黒大豆」に対して県外で大量に生産される同系品種たち。そして、僅か数%の生産にまで縮小した「三浦大根」に取って代った、西からの刺客「青首大根」普及の理由と、それでも満足しない、コンビニという名の巨大バイヤーの意向に合わせた「青くならない」青首大根の開発。伝統野菜と称される品種の中にも、数多くの品種が代替としてのF1品種へ入れ替わっている事を明示します(諏訪の伝統野菜、上野大根も、F1品種化する事で一定規模の品質/収量を確保している点は否定する事は出来ません。詳しくは本書も参考文献として用いている「地域を照らす伝統作物」(川辺書林)もご参照ください)。

商品であることと同義的に農家にとっての収入源たる農作物について廻る厳しい課題。安定した収量とブレの少ない品質、害虫への抵抗力と早生化の強い要望。時代と共に移り変わっていく顧客の嗜好、栽培する側の労力や収入、地力の維持。このお話に差し掛かると、当然のようにF1品種(雑種強勢)による種苗品種化の話へ進む事になるのですが、ここで少し興味深い点が著者が雑種強勢(F1)の農業分野における最初の適用例として養蚕と外山亀太郎を取り上げる点。養蚕に多少ご興味のある方であればご存知かと思いますが、著者は意外にも植物研究者達がその事を軽視しているのではないかとの指摘を添えています。

そして、F1品種を語る際に避けて通れない事象について、著者は二つの点を指摘します。まず、F1品種が在来品種を駆逐してしまうのではないかという疑念について、雑種強勢を生み出すためにはその親となる世代の多様性と精緻な育種技術こそが大事であり、在来品種の遺伝多様性の重要度を最も理解しているのはむしろ育種家達であると断言します。その上で、F1品種に嫌悪感を示す方々に対して、商品作物の価値を論じえない「アンチ」なだけだと評してしまいます。もし本書の副題を伝手に、伝統作物、品種への思いや育種政策に対する何らかの反論が描かれていると考えられて手に取られた方には失望を通り越して不満を呈されるかもしれない著述ですが、その原因が著者が指摘する在来品種がF1品種に駆逐される事へ危機感を感じているのではなく、著者が明らかにしているように、F1品種が精緻な栽培技術と豊富な原種のコレクションなくして作り出す事が出来ない、それ故に種苗を管理し提供する主体が公から民へと移る事に強い不安を感じているのではないかと…閑話休題

種苗家、種苗メーカーという主に作物の品種を作り出す側の視点で描かれてきた本書ですが、最後の1章はかなり様相が異なります。野菜という範疇にも捉えにくい「ワサビ」。伝統的な生産地においても、累代の篤農家であっても御し得る事が極めて困難、いえ、未だ作物として安定的な品種となっていないのではないかとの疑念を滲ませながらその推移を綴る著者。実際に現地の農家の方との話しを織り交ぜながら、その気難しさと不安定な品質理由について判っている範囲での技術的な見解を示していきます。その中で、著者の専門分野であるクローン育成苗を利用して農業分野外から参入した「海の見えるワサビ園」話の先に乱立したワサビクローン苗ビジネスの実態を添えて、農業生産者と商品作物に何が求められるかを冷静に見つめていきます。

著者の経験がふんだんに生かされた本書は、単なる美味しい作物の物語に留まらず、広くアグリビジネス、種苗ビジネスの一端を伝える内容を中軸に織り込んだ、新書という一般の読者に読まれる本としては極めて珍しい一冊。年々美味しくなる果物、野菜たちの裏側にある、ビジネスとしての商品作物創出という過酷な世界の中で、種苗家と農業を支え続ける人々が紡ぎ出すもう一つの物語を教えてくれるようです。

今月の読本「太陽は地球と人類にどう影響を与えているか」(花岡庸一郎 光文社新書)目には見えない磁場が描く太陽と地球の歴史を綴るカルテ

今月の読本「太陽は地球と人類にどう影響を与えているか」(花岡庸一郎 光文社新書)目には見えない磁場が描く太陽と地球の歴史を綴るカルテ

八ヶ岳南麓のすぐお隣、長野県の野辺山にある野辺山電波天文台。現在は「国立天文台 野辺山宇宙電波観測所」と呼称しますが、以前は「野辺山宇宙電波観測所、野辺山太陽電波観測所」と二つの名前で呼ばれていました(国道141号線を清里方向から向かうと、野辺山に入ってすぐの場所に案内看板が出ていますが、「野辺山太陽電波観測所」部分は塗りつぶされています。

現在は各大学が共同で利用する施設として太陽観測の機器が運用されていますが、以前は太陽観測の分野でも国内随一の場所でした(現在は、天文台自体も縮小化の道を進んでいます)。

夏場には薄い空気と肌を刺すほどの紫外線の強さ、冬場には極寒の中で満天の星空という、空の近さを身近に感じる事の出来る野辺山ですが、この場所で研究を続けられてきた方が書き下ろした一冊。少々仰々しい表題と写真に少し威圧感すら感じますが、興味深い内容がぎっしりと詰め込まれています。

大洋は地球と人類にどう影響を与えているか

今回は「太陽は地球と人類にどう影響を与えているか」(花岡庸一郎 光文社新書)をご紹介します。

毎月大量に刊行される新書の中でもややマイナーな光文社新書さん。テーマの間口も幅広く、硬軟織り交ぜた内容のラインナップとなっているため、テーマを絞った一冊を読みたい私としては手に取りにくい新書シリーズ。それでも、時に驚くようなテーマと著者を取り上げてくるためチェックは欠かせないシリーズでもあります。

今回の本も帯を含めた表紙デザインからイメージされるように、シリーズの中ではかなり硬派と言っていい一冊。著者は現在、国立天文台の本部がある三鷹で太陽観測の統括をされている方です。

内容的には往年の縦書きのブルーバックスと言った雰囲気(読み物重視です)で著者の専門分野である太陽観測、太陽物理学(著者の専門は光学観測ですが内容的は電磁気学が多い)メインで語られていきますが、あとがきにあるように太陽物理学に関する広範な分野、更には表題の様に地球環境を語る部分も相応にありますので、極めて広範囲な内容が綴られていきます。

その中でも著者が力を入れて著述される点は、太陽観測の歴史。オーロラと黒点観測から始まり、現在の宇宙空間で行われている人工衛星による幅広い波長域での観測データによって、11年周期を以て鼓動を続ける太陽を捉える姿が時代と共に変わっていく点をじっくりと説明していきます。

太陽観測の歴史と共に語られる太陽の鼓動。黒点とオーロラ以外、目で直接見る事は出来ない、宇宙空間における磁場と可視光領域以外のダイナミックな動きが写真と共に語られていきますが、如何せんそれらの物理現象は余りにも巨大で身近な現象に置き換えて説明できない内容(解釈自体も依然として議論があると)のため、特に太陽活動の主軸となる磁力線の変化と付随するプロミネンス、コロナに関する部分の説明は慎重に読み進めることになります(それでもちゃんと駆動モデル理解できたか自信ないです)。

そして、太陽活動と我々の生活に密接な関わりがある点。全ての始まりであり、地球上のエネルギーの殆どを支えていると云える太陽の活動は、最近のお話では「宇宙天気予報」の言葉と共に伝えられるように、人類の文明が進化すると共に、無線通信や、電力送電に関して甚大な影響を与える可能性が示唆され、軌道上のデブリ、地球近傍に飛来する隕石の観測と併せて、天文学が社会と密接に関わる分野を生み出している点を指摘します(通信技術を学んだものとしては、電信の障害や送電トラブルが地球を貫く地磁気誘導電流により引き起こされると改めて解説されると、その見えないダイナミックな挙動に感嘆します)。更には、普段の生活からちょっと離れて、太陽風と銀河宇宙線の関係と言った惑星天文学に関するテーマにまで話を広げていきます。

太陽の活動が我々の身近な生活に大きな影響を与える事がある事を示す前半。しかしながら後半で語られる、我々の生活と更に密接に関わるもう一つのテーマ、地球環境と太陽活動のお話になると、少し様子が変わってきます。表題を見て手に取られた読者の方がもっとも気にされるであろう、地球温暖化と太陽活動の関係、更には近年の太陽活動低下に伴い、温暖化の認識とは逆に寒冷化に進んでいるのではないかというごく一部の論調。いずれも太陽活動が密接に関わる内容の筈ですが、著者はそのどちらにも肯定を与える事はありません。

18世紀まで遡る黒点観測、オーロラの観測から続く、長い太陽観測の歴史を改めてひも解きながら、その間の観測データの整合性を述べながら、太陽活動と各種の観測結果間にある程度の相関性は認められることを示しますが、最も地球環境に影響を与えるであろう、太陽自体の光の強さ、即ち可視光領域の光量変化は僅か0.1%程度に過ぎない事をデータから示します。

果たして表題の様に太陽活動が地球環境にどのような影響を与えて来たのか、唯、眩しく輝く「変わらぬ太陽」なのか。

現在も共同研究が続く野辺山の太陽観測施設。

太陽の活動が11年周期で変化する事は既に一般的な知識となっていますが、そのサイクルの繰り返しがどのように変化していくのか。更には、全ての源である一見「変わらぬ太陽」の何が変化すると地球環境に大きな影響を与えるのか。

我々人類が積み重ねた太陽に関する知見は、その活動時間のスケールから云えばほんの僅かな300年ほどしか蓄積が無い一方、その間に太陽活動や宇宙線への理解と応用が進んだ結果、地球環境の変化の記録を数万年単位で追えるようになってきています。更には、他の恒星の活動には太陽の活動の過去、未来を示唆する豊富な知見を伴って、今も星空で瞬いています。

著者が最後に述べるように、科学もまた時間を掛けて知見を蓄積する事で前へと進んでいく。その歴史的な研究の推移と共に、太陽と地球環境、人類の歴史をも綴る一冊。

テーマ故に少し取っ付き難く、多少専門的な知識への理解を要しますが、それ以上に幅広い好奇心に応えてくれる一冊です。

<おまけ>

野辺山宇宙電波観測所特別公開2019パンフレット

今年(2019年)の国立天文台 野辺山宇宙電波観測所の特別公開は8/24(土)です。

シンポジウムでは太陽観測関連のお話はありませんが、例年、研究施設の解説が実施されます。来年度以降、予算の大幅縮小により常時有人観測体制の解除もささやかれている野辺山天文台。このようなイベントが継続できる可能性も下がってきています。チャンスのある方は是非お越し頂ければと思います。

今月の読本「源頼朝 武家政治の創始者」(元木泰雄 中公新書)新恩から官位へ、武家政権成立の鍵を示す通史とある違和感

今月の読本「源頼朝 武家政治の創始者」(元木泰雄 中公新書)新恩から官位へ、武家政権成立の鍵を示す通史とある違和感

歴史研究者の方々が著述される一般向けの歴史概説書がブームになって久しいですが、その著者の多くは私の年代の前後に近い方や、より若い方になるでしょうか。

ある意味、研究職としての文系の存在意義を常に社会から問われ続ける中で研究を続けられ、成果の一端を世間に問うという形で執筆を続けられている方々。その内容は、時に過去の研究史や史観に強い違和感を述べ、通説を生む元となる、現行の歴史教育や教科書の内容に対して強く是正を求める指摘が散見されるようです。

中世後半から戦国時代をテーマに扱った書籍から始まったこれらのブーム。最近ではより時代を遡って南北朝や鎌倉時代、更には古代史へと広がりを見せていますが、その中でぽっかりと穴の開いているのが平安時代中盤から鎌倉開府まで。

今回ご紹介するのは、西の筆頭に位置する大学で長く教鞭を執られ、ブームの遥か前から当該する時代の歴史に関する数々の一般書を著述されてきた研究者の方が、敢えてこのタイミングで渦中に投じた一冊をご紹介します。

今回は「源頼朝 武家政治の創始者」(元木泰雄 中公新書)のご紹介です。

著者の元木泰雄先生は京都大学で中世史の研究を長年に渡って続けられてきた方。中世史の大家でもある上横手雅敬氏の直系に位置する研究者の方で、前述のように数々の一般向けの書籍も上梓されています。

今回の一冊も2011年に同新書から刊行された「河内源氏」の続編として企画されたもの。その筆致も、京側の視点で通史としての軍事貴族である河内源氏の推移を述べる前著を継承したものですが、冒頭から巻末まで在る点をしきりに気にされた著述がなされていきます。

それは、近年の研究に於いて所謂東西対立的な視点、公家と武家の二項対立的な歴史感が再び強まっている(特に武家側に偏った認識)という危機感と、前提となる同時代の研究で用いられる代表的な史料群の読みこなし方に対する強い疑念。本文中の各所で具体的な指摘を伴ったこれらの懸念に対する強い憤りを述べながら綴られていきます。

直近で数多く刊行される書籍たちの著者と比較して、恵まれた研究環境と豊富な実績を積まれた研究者の方らしい、比較的穏当な筆致で綴られる事を予想しているとある意味大きく裏切られる、時に憮然とした態度を隠さず、流人の奇跡と称し、一般的に頼朝の評価は芳しくない(???)と述べ、武家政権のその後にややもすれば暗澹さすら漂わせる著者の筆致。

前述の著者の懸念を自ら払拭せんと綴る内容は頼朝の生誕から没後の源氏将軍滅亡までの時間軸で描かれますが、本書では二つの視点を重視しているようです。著者のこれまでの書籍のスタンス同様、人物史であってもどちらかといえば通史的、更には当時の院や権門を核にした京側の視点で描かれますが、前著である「源頼義」(人物叢書 吉川弘文館)同様に、東国武士たちの動き、特に京の権門と在地の武士たちの結び付きを補強する為に野口実先生の研究成果を大幅に取り入れて描いていきます。その結果、彼ら東国武士が権門と鋭く対峙する関係であったり一方的な権門に従属する関係にあった訳ではなく、在地領主と権門やその家人との相互依存関係の中で推移していた事を示していきます。

更に、東国における河内源氏の地盤自体が、摂関家、更には武蔵国守であった信頼との関係の上で構築された物であり、前九年、後三年の役から繋がる累代の家人というのは、その後の奥州合戦の際に演出されたイメージを各家が引き継いだものである点を、石井進氏や川合康氏の見解を逆用して指摘します。

では父祖の地である河内から遠く離れた流刑の身で累代の家人など殆ど存在しえなかった頼朝が何故武門を掌握し、戦いを勝ち残れたのか。平家との軋轢を生じた東国武士たちの受け皿と言う一般的に述べられる視点から、著者は更に一歩踏み込んだ姿を示します。

京側の視点を軸に置かれる研究者としては珍しい、東国(この場合、常陸や陸奥、北陸道、箱根以西は含めない、主に南関東)に独自の施政権を確立した上で、受領や目代が任命されず、空白地帯となったかの地に於いて、新恩としての地頭の任免を自らが主宰したことによって、京の権門の意向を取次、代弁するのではなく、独自に武家を統制する術を手に入れた点に着目します。

即ち、寿永三年十月の宣旨こそが、受領への補任を経ない異例の「地域政権」として公認されたとして、武家政権へ至る起点で有る事を敢えて指摘します。著者が以前に提示した平清盛に対する高い評価に訂正を加える、遥か遠方に位置する東国の、更に僅かな南関東に過ぎないが、実力で権力の分立を果たした頼朝による東国武士たちの掌握過程を再評価します。

累代の家人と狩り武者と言う二段階徴用を採る平家に対して、内部分裂を抱えある意味恩賞で釣る形でしか纏まる術を持たない頼朝と東国武士たち。それ故に、少ない一族閨閥をある時点まで極めて大事に扱う一方、御家人たちに新恩を与え続けなければならない、全盛期の秀吉にもみられた一門という姿の生成と、戦い続ける相手を探し続けなければ解体の危機に瀕してしまう、武門の危うさも滲ませていきます。

戦い続ける理由(ここで王権を支える唯一の武力という言葉が出てきますが)を求めて列島を西へ、北へと転戦を続ける頼朝と武士たち。前述のように頼朝と弟達はこの時点では決裂する関係にもなく、頼朝の指揮の下でそれぞれの当初の目的(情報伝達の遅れによる齟齬はあるにせよ)に従って軍を進めていた事になり、特に屋島の戦いについて義経が突出した軍功を目指して抜け駆けしたわけではないと指摘します(ここで、ある見解について著者はかなり強い否定を述べています)。

結果としてより大きな軍功を得ることになった義経が御家人から嫉妬の対象となった点は否定できないようですが、彼が貶められたのは従来述べられる無断任官(この事自体、誤認であり頼朝も同意の上であったとし、黙認できなかったのは在京が求められる院御厩司に後白河が任じた事であると)とは異なり、範頼同様に実の息子である頼家への脅威だったと見做していきます。この流れの中で、北条時政の京都への代官としての派遣を織り込む事で、頼朝が頼りにする相手が兄弟から、諸大夫ではなかったが伊豆に在住していた頃から京都との繋がりを有していた、自らの息子への継承という点で利害が一致する北条一門へと遷っていったことを印象付けていきます。

制止を振り切っての奥州合戦の後に後白河と漸くの対面を果たすことになった頼朝。ここでも著者は玉葉の著者でもある時の摂政、九条兼実と頼朝が盟友関係にあったとされる指摘に対して、その玉葉の読みこなし自体から指摘しつつ、否定的な見解を述べていきます。著者の指摘、それは平清盛同様に、頼朝も入内工作を進める事を前提に入京を果たしたと考えており、その中で競争関係を生じる兼実とは本質的に相容れない関係に入っていた事を指摘します。

著者が繰り返し読者の見識に懸念を抱く(???)頼朝の入内工作の狙い、それは御家人たちを掌握する唯一の手段である新恩が「王権を支える唯一の武力」となってしまった事で新たに与える余地が無くなった矛盾の相克。後の世まで武門を統制する二つの利権となる領地と官位の両輪を自らの統制下に置くための算段を打つ活動を、死去する直前まで進めていたと想定します。

その上で、前述の義経同様、京に在住することを求められる右大将ではなく、同じ位階であっても従軍中に帯びる官職である「大将軍」号の請求に至ったと逆説的に指摘します(実朝の時には既にこの制約が無くなっており、25歳で摂関家に準じて右大臣に昇ったのは至極当然だとも)。

結果として大姫、三幡と自らの死去によりこの目的は果たされる事が無かった訳ですが、関西系の研究者の方が書かれる著作に度々見受けられる「もしあの時」という想いが強く滲み出る筆致(本書の場合は敢えてと述べて書いてしまいますが)を繰り返し残して、その後の政子と京の関係までを描いて筆を置く本書。

鎌倉に武家政権が建ち上がったのは必然なのか偶然なのか(むしろ最近の風潮はこちら?)という議論に此処では立ち入らない事にしますが、これまでの著者の筆致を崩してまでも、読者に対しての不可思議なまでの懸念と、ある強い想いを要所で述べていく本書。

直近の著作である「源頼義」と互いにエールを送るように元木先生の成果を援用して綴る野口実先生の「源義家」(「河内源氏」は書庫の何処かに埋もれてしまい見つける事が出来ず…)の河内源氏人物シリーズと、同じ中公新書から直近で刊行された、もう一つの源氏たちの姿を平家物物語の読みこなしから文学的な視点も織り込んで綴る「源頼政と木曽義仲」も併せて。

「一般の」読者にとって、専門家の方々による様々な研究成果の一端とその見解を手軽に書籍として読ませて頂ける環境が未だに続いている事は、出版不況が長く叫ばれる中でむしろ喜ばしい事(よもや承久の乱が新書で2冊同時に出てくる時が来るとは…)。

様々な視点から歴史の推移を見つめる楽しさを与えてくれる著作たちに感謝を。

 

今月の読本「宣教のヨーロッパ」(佐藤彰一 中公新書)二人の改革者の先に世界を周回したカトリックは日本から太平洋を越えて

今月の読本「宣教のヨーロッパ」(佐藤彰一 中公新書)二人の改革者の先に世界を周回したカトリックは日本から太平洋を越えて

昨年は宗教改革500年と言う事で、日本でもルターを始め中世キリスト教に関する多くの書籍が刊行されています。

日本人にとってはどうしても馴染みの薄いキリスト教世界とその歴史。今回ご紹介するのは、長くその研究を続けられ、日本にその姿を紹介され続けてきた研究者の方による一冊です。今回は「宣教のヨーロッパ」(佐藤彰一 中公新書)をご紹介します。

本作は、同じ著者の方による執筆で2014年から刊行が続けられている「ヨーロッパ」シリーズの最新作(次回作もあるらしいです)。これまでに以下の3冊が刊行されています。

今回の一冊も副題に[大航海時代のイエズス会と托鉢修道会]という副題が添えられており、シリーズに一貫した著者の専門分野である中世修道院の世界を軸に描いていくように見えますが、内容は少し異なります。

研究テーマ故かと思いますが、カトリックに対して強い思い入れがある事が明瞭に判る著者の筆致。しかしながら本書の前半はその教会を永遠に分かつことになってしまった、ルターからカルヴァン、そして英国国教会に至る宗教改革の推移を歴代の教皇や世俗の君主たちの動きと対比しながら綴る事に注力していきます。

此処で著者が指摘する点が、所謂贖宥状に対する義憤的な表現がなされる宗教改革の発端について、それ以上に各地の司教職を兼任し、その収益である膨大な聖職禄を運用する聖職者たちが金銭行為に携わる事の憤りと、兼職により教会で満足な礼拝も行われなくなったことによる、信仰心の希薄化と教会の本義である、信徒に対する霊的な救済がおざなりにされていく憂いである事を指摘します。

修道院の研究者である著者が明確に指摘するように、ルター自身も自省的な修道的生活に明け暮れた先で聖書に立ち返る事を見出した事は良く知られており、決して新たな宗派を求めていた訳ではない筈でした。しかしながら前述の聖職者たちの姿とモザイク模様であった神聖ローマ帝国、教皇権力との駆け引きの先に、本人の意思を越えて、その改革が広がっていく姿を、当時のヨーロッパ世界の複雑な政治状況を含めて丁寧に書き起こしていきます。

外から見るとキリスト教内部の世俗を巻き込んだ主導権争いにも見える一連の宗教改革の推移。しかしながらカトリックの視点で描いていく著者はもう一つの見方を示していきます。宗教改革によって進取の精神を持ったプロテスタントと旧態依然なカトリックと言う誤解しがちな視点を明確に否定するもう一つの改革。宗教改革期を含む18年にも渡り続いたトレント公会議がもたらした、ルターを始めとしたプロテスタントから投じられた疑問に対して明確な反論を示す、カトリック改革としての宗教的覚醒(聖職禄の問題を残しながらも)。それこそがキリスト教、カトリックが世界に羽ばたいていく起点となった事を示します。

そして、我々日本人にとってキリスト教(カトリック)と接触する発端にあったザビエルと彼も創設に携わったイエズス会。ここで著者はもう一人のキリスト教を改革した人物として、その創始者であるロヨラの出自をイエズス会の成立に添えて述べていきます。ユーラシア東方世界で大きな足跡を残したその布教と信仰はカトリックの本質を伝えているように思われますが、前述のルター以上にとても興味深い内容が示されていきます。

騎士を目指し、戦傷で右足が不自由になった後で巡礼者から求道の道に入ったロヨラ。ラテン語の教養不足を補うために学び続けることになるきっかけが、東方、聖地巡礼への強い想いからであったことを示していきます。そしてイエズス会の根幹を成す、彼の信仰の実践を認めた『霊操』。新書としては極めて珍しいかと思いますが、本書ではこの内容を丁寧に解説することで、一度はドミニコ会の異端審問にも掛けられ投獄もされたロヨラとその仲間たちが実践した特異な信仰の姿(ドクマティックとも)を示します。そこには彼が決別したはずの騎士としての残影が会則の根底にある「神の戦士」として活動する姿に映り込んでいるようです。

強い信仰心の先に異端と断じられてもその想いを綴り、実践し続けてきた二人の改革者が強く押し広げた、キリスト教信仰の復興と激しい論争の過程。その先に大航海時代を迎えたポルトガル、スペインの動きを重ねていきます。

十字軍の逼塞に対して期待された、モンゴルの西方進出とプレスター・ジョンの登場を願う想いを受けて送り出された、草原の道を経て東方へと向かった托鉢修道会の活動と挫折(ここで宣教師たちの人的資源の不足がその布教拡大の足枷となったという興味深い指摘も)。その後に登場することになる、喜望峰を越えてゴアに拠点を置いたポルトガルの貿易路に乗って東方へと向かった、托鉢修道会の後を追ったイエズス会とザビエル。

後半ではコロンブスに始まる新大陸の「発見」、両国の征服的な活動とその道筋を辿るカトリック伝教の様子を通史に添えて述べていきますが、終盤に掛けてはザビエルとその後に続いたイエズス会、托鉢修道会による日本布教の推移を綴る事に注力していきます。

貿易のルートに乗って陸上の拠点を築いた先に布教を拡大したインド、侵略と征服の後に進む事になる新大陸(特に中南米)と異なり、貿易と言う橋頭堡を持たないままに進む事になる日本における布教。その姿は為政者の貿易に対する熱量と入港する貿易船の推移によって常に揺れ動いていく事を示していきます。不安定な日本における宣教の成果を詳細に綴る中で、本書に通底する、シリーズの副題にも繰り返し用いられてきた禁欲と清貧という、著者が修道者に映し出す姿とは相反する、自ら生糸貿易に携わり膨大な利潤を挙げつつ、その利潤を以て布教活動を継続せざるを得なかった宣教師たちの姿と活動に、大きな疑問の念を滲ませていきます。

結果として、その後の禁教により日本におけるキリスト教の伝道は途絶え、僅かに潜伏キリシタン(カクレキリシタン)として姿を変えつつ信仰が伝えられていく事になりますが、著者は最後に二十六聖人の遺骸が運ばれ、その後に支倉常長が訪れた、メキシコ・シティでアステカの言葉で綴られた記録を引用して、カトリック、キリスト教が世界の周回を成就させたことを印象付けていきます。

宗教改革、大航海時代そして世界を廻るカトリックの伝教。密接に関わり合う三つのテーマを二人の修道者を軸に書き起こして新書として纏めるという稀有なアプローチを成す一冊。それぞれのテーマごとにやや離散的な部分もありますが、カトリック視点で描く大航海時代前後のヨーロッパ史、日本のカトリック伝教史としても興味深い一冊かと思います。

 

今月の読本「武士の起源を解きあかす」(桃崎有一朗 ちくま新書)有閑弓騎から滝口へ。王臣子孫と郡司で描く収奪の古代史電車道の先に開く玄関口

今月の読本「武士の起源を解きあかす」(桃崎有一朗 ちくま新書)有閑弓騎から滝口へ。王臣子孫と郡司で描く収奪の古代史電車道の先に開く玄関口

多くの読者に読まれる事を想定した、毎月刊行される新書。

飽和気味と言う言葉を遥かに超えた勢いの刊行数で毎月送り出されくるため、その内容には「まとめ系」であったり、明確な差別化やテーマ性の強い作品が求められる傾向が、近年特に高まってきているようです。

四六判の選書や叢書とは扱われ方が異なる「戦乱」の中に、明らかに議論を呼ぶテーマを掲げて、専門家ではないと断言する研究者が飛び込んだこの一冊。

今回は「武士の起源を解きあかす」(桃崎有一朗 ちくま新書)をご紹介します。

著者は中世史の研究者ですが、儀礼、儀式から社会的な秩序を体系化する研究に携わっているとの事で、本書がテーマで掲げる武士が専門の研究者ではありません。また、前著となる「平安京はいらなかった」(吉川弘文館)も著者の研究テーマである儀礼の空間としての平安京をテーマに、京都学の講義を行った内容を書き下ろした一冊。著者の研究内容から見るとサイドメニューに相当する本のようです(サイドメニューは当該叢書シリーズが掲げるテーマですので、むしろ的を得た設定です)。

本書についても、著者の研究を進めるにあたってどうしても決着を付けておかなければならなかったテーマと称して議論を進めていきますが、その議論にはある前提が付されています。

武士論を掲げる数多の書籍、研究者、執筆者の中で、下向井龍彦氏と高橋昌明氏の両名の研究成果を軸に綴られる議論の骨格(更に補足すれば、古代史研究者の森公章氏の豪族に関する研究)。両者の基本的なスタンスに同意を示すと同時に、その論点における弱点を突き、傍証が足らないもしくは出来ないと断定する部分に対して著者自らの試案を組み入れていきます。

新書と言うフォーマットではやや厚めな300ページ越えですが、聖武帝以前から始まり、平将門の乱で一旦議論が終わる長大な時代扱う一冊。唯一点の結論が得られれば良いと称して、その間の著述は正に電車道の如く、他の議論を排しながら一本調子で突き進んでいきます。

本文中に織り込まれる著者の視点、古代豪族に発祥を持つとする「有閑弓騎」と、滝口の人員から見た律令国家の病巣の元凶と見做す王臣家からの武士の発祥、更には武士と言う名称の生み出された素地。

自らの高校時代における弓道の経験(前著で著者は鍋島武士の家系であることを述べています)を起点に、前述二人の研究者が提唱した内容に対して著者の独自性を求めます。蝦夷の騎馬と抜刀技術より更に古い、弓と騎乗の技術をもった古代豪族の子弟を称する「有閑弓騎」の系譜を受け継ぐ郡司とその末裔たち。墾田永年私財法を起点に地方からの収奪を目指す王臣家とその手先となった末裔たちである王臣家人。彼らの母系とその間に降り立った、間引きされ大量に臣籍降下した直近の王族たちの男系が地方で結びつく事で、正に「武士が生み出された」としていきます(ここで著者が利仁将軍こと藤原利仁や俵藤太こと藤原秀郷の出自特異性について拘る点は論拠含めて要注目で)。更には、彼らが京と往還する事になる送り込まれた先が、正にその名称が使われる発端となった「滝口」で有る事を将門の伝承から認めていきます(つまり冒頭では一点と称するが、実はハイブリッドであることを著者自らが示します)。

前著に於いて、古代王朝が律令制を受容するにはその国力規模も実力も不相応だったと断じた著者。律令制崩壊の起点である、土地政策の弛緩化から中世の胎動を見せはじめる段階までを、律令国家を支えたであろう朝廷や天皇、廷臣たちの姿をある意味嘲笑するかのように、地方行政の混乱を惹き起こした張本人たちこそ、その制度下では有限のポストに代を継ぐことであぶれてしまう彼ら王臣家と其れに繋がる者達であると断罪し、彼らの存在こそが武士の発祥を促したとの筆致で貫かれていく本書(著者は武家社会こそ貴族制であると応えます)。

一見非常に明快で、先行研究を一瞬で置き去りにしていく筆致に読まれた方には爽快感すら与えられるかもしれませんが、素直には喜べない実情もあります。

前述のように、本書の基本的な骨子は著者の視点による地方を重視した古代行政史を軸に、前述の研究者の方による先行研究の成果を援用する形で描いており、その弱点を著者独自の視点で置換していきます。実は表題や帯にあるような決定打的な表現とは裏腹に、その基盤となる議論の推移は先行する数多くの研究者の成果に依拠しており、ピンポイントで著者の持論を持ち込み推移の中に織り込む事で、それが全体観であると言っているようにも感じられてしまいます。更にその持論を投じる際も、他の先行研究に関しては検証できない、答えていないと断じる一方、自らが挙げた論点については「可能性」「十分」といった言葉をあっさりと使ってしまうため、かなりの片手落ちに感じる事も事実です。

むしろ本書は、同じテーマを扱ってきた書籍では断片的、ないしは迂遠で読みにくかった内容を著者の豪快な筆致に身を任せで読み進める事で、俯瞰で読ませた上で著者が投じたとする(かもしれない仮説):P.278に対する疑問、武士の発祥という議論のテーマへと導くための玄関口としての一冊。

冒頭で述べられるように、本書では新書で省略される事の多い注が敢えて添えられており(補注としての記述まであればなお良かったですが、それは文庫化の時にでも)、本文中に指摘される先行研究者の方が書かれた、比較的入手しやすい一般向け書籍も参考文献として列挙されています。

文章量はやや多く表現などは荒っぽいところもありますが、一気呵成の筆致で綴る内容は好奇心へと導いてくれる一冊。本書をきっかけとして、それこそ数多ある武士を扱った本を手に取った上で、色々と読み比べて考えてみるのも歴史に興味のある一般人の読書としての楽しみかもしれません。

それこそが不振を極める本屋さんの書棚の中でも貴重な、常に新刊が溢れ続ける新書という書籍がその先に広がる読書への入口としての役割と自負してきた起源でしょうから。