今月の読本「列島を翔ける平安武士」(野口実 吉川弘文館)遥か九州から武士の勃興を眺める時、その世界は京・東国を飛び出し列島を駆ける

今月の読本「列島を翔ける平安武士」(野口実 吉川弘文館)遥か九州から武士の勃興を眺める時、その世界は京・東国を飛び出し列島を駆ける

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館さんの「歴史文化ライブラリー」3月の新刊は、これまで多数の中世武士、特に東国の武士たちを扱った一連の研究と著作で知られる野口実先生の最新作からご紹介します。

今月の読本「列島を翔ける平安武士」(野口実 吉川弘文館)です。

まず、あとがきに目を通すと、著者の中における本書の微妙な立ち位置が言及されています。一度は完成した原稿が暫く日の目を見なかった事、最終的に著者の奉職先であった京都女子大学を退任された後の上梓となった事、更にはその記述には著者の研究者、教員としての生活に於ける様々な想いが込められている事。

既に著者の作品を読まれた事がある方であれば、その感触は判ると思います。千葉に生まれ、房総平氏の研究でも知られる著者のスタンスが、同時期の研究者の著作と比べると極めてニュートラルな立場を採っていた点に気が付かれるはずです。既に過去のものになりつつありますが、草深い東国の開拓農民から勃興してきた野蛮で無学な武力が、軟弱な京の公家社会を刷新して、新たな大地たる東国、鎌倉に清冽たる新政体「幕府」を築き、中世の幕が上がるという、私が学生時代には依然として通用した視点に対して、明確にそれを正す方向での著作を上梓され続けた点です。但し、このような点を採り上げると、ではやはり京都に拠点を置かれているから、所謂体制論的な立場なのですかと問い返されそうなのですが、そのような体制論であったり王権論とは一線を画した立場で議論を進める点が、著者の論旨の大きな特徴ではないかと思います。

本書はそのような大きな歴史論(体制論)に固執することなく、出来るだけ史料から読み解ける、実際の登場人物たちの動きからその流れを読み解こうとしていきます。従って、表題と異なり本書を通貫する様なストーリーであったりテーマが明確に設定されている訳ではありません。特に人物を離れて京都七条町の職人集住に関する記述は、全体のテーマから見ると大分かい離が認められますが、著者の提示しようとするストーリーを彩るためにはどうしても必要な内容だったようです。

著者が描こうとするテーマ、それは石井進氏の前述のような体裁の色濃い「辺境としての東国から勃興する」とする歴史展開を乗り越え、下向井龍彦氏の著作(日本の歴史07 武士の成長と院政 講談社学術文庫)にもみられるように、中央から下向し、その貴種性と地方の反乱を鎮圧する為に乱発された勲功賞で得た権能を加える事で、在地との強い絆と利権を築きつつも、引き続き中央での関係を維持しつつ勢力を積み上げていく、武士の姿を描く事にあります。

そこには、草深い無学の輩等ではなく、権門の家使としての側面と、在地における所領管理、いざという時には国衙の兵力や私兵を従えて戦闘に挑むという、極めて実践的な能力が試される、中央での出世には見放されたとしても、実務能力が極めて高い人々が集っていた事が判ります(本書の冒頭で描かれる藤原保昌のような簒奪者や、為朝のような正に暴れん坊ももちろん居ますが)。そして、本書で著者が最も描きたかった点。これまでの「東国」中心の武士研究に対して、前述の視点を相対化させる行為。東国の武士研究でも中核に位置した著者自身が、本書の成立に至るまでの20年近くに渡って取り組みを続けた模索の結果としての、九州、特に島津荘の成立と拡大における武士の動きと貿易の痕跡を現地で研究を続ける研究者と交流を図る事で、東国と京都という二元的な視点、又は、大宰府-京/福原-平泉という公家文化に対抗する東国、鎌倉の武家という対峙系とは異なる、より普遍的な武士の成長に対する視点を導き出すことです。

著者はこの視点を実証する為に、敢えて自らの長い研究テーマでもあり、如何にも東国武士の代表である千葉常胤を採り上げ、源平合戦における源範頼を支えながら転戦した九州における戦歴とその転戦地に設定された地頭職の成立、更には京都に戻った後の治安活動や、鎌倉に居を構え全国に広がった所領を管理する都市型領主となった後の千葉氏の活動を通して、名字の地たる在地にしがみ付く東国武士というステレオタイプを明確に否定していきます。

そして、九州の南端に構えられた島津荘を中心とした、摂関家の金城湯地となった南九州。この島津荘を始め肥後、南九州を席巻した為朝の所業を荒唐無稽と一刀両断することはせず、それ以前から下向していた薩摩平氏(平安武士という言葉と併せて本書で初めて出てくる呼称でしょうか)達による、東国と同じような騒乱が生じていた事を紹介していきます。結果として、それらの鎮圧を担った勢力が、東国同様にその後の武士として勃興していく事は論を待たないかと思います。列島の南北で勃発した反乱とその鎮圧。大宰府を舞台にした刀伊の入寇。これらの鎮圧に伴いもたらされる勲功による栄爵を纏っての在地への定着、国衙官職を含む利権化の流れは東国だけに限定して起きたわけではない事を遥か南九州の事例を示す事で明確化していきます。

在地化と足並みを揃えるかのように肥大化する南九州の荘園群。その成立以前に遡って、王朝国家内での摂関家の勢力推移を重ねる事で、時代が下がるにつれて極めて重要な収益源、貿易拠点として成長していったことが示されていきます。当時の交易品として極めて重要であった火薬の原料となる硫黄が取れるこの地が、大宰府、神崎荘と並ぶ海外、特に南洋貿易の拠点であった事を発掘成果から明らかにし、南洋特有の檳榔、螺鈿がこの地から京、そして平泉に至ったと考えられると述べていきます。勿論、平泉からはその代わりに、知られているように馬、黄金、そして海獣や毛皮や猛禽類の羽など武具として、交易資金として必要な物資が送られる訳ですが、ここで著者は東国における近年増えてきた中世期の遺跡発掘事例や、前述の千葉常胤が滞納していた貢納を一度に納めた際に積み上げた膨大な量の金を以て、これらの平泉文化に付随する王朝国家的な文化が東国やその交易路をスルーしてピンポイントに平泉に花開いたという、王朝国家の一種理想郷を平泉に見出し、東国、武家の文化的な低さを殊更に指摘する視点に対して明確に否定を示し、その交易路においても、同程度の文化的な浸透があったはずだとの認識を示していきます。

その上で、京を情報や文物ネットワークの交差点と見做し、京を起点に全国に向けて下向し、代を重ねつつも、色々な事情を以て武士としてこの地を行き交う事となった人々のネットワークの動き、悪い言い方をすれば欲望の離散集合の頂点に源平合戦があったと見做していきます。

京都で奉職し、第一線を退いた直後で上梓することとなった本書は、東国武士の研究者としての一方の史観と、自らが在する地におけるもう一方の史論に対する双方の疑念を九州の地に視点を置く事で、ネットワークという新たなテーマ設定によって相対化、より普遍的な視点を見出すことを目指した一冊。冒頭で述べたように各章ごとに別々の登場人物が語られるため、小テーマを集めたやや散漫な印象を受ける部分もありますが、昨今の地理学を組み合わせた繋がる歴史著述に対して、これまで培ってきた豊富な研究成果より具体的な視点を与える著述は実に楽しく、史論で語られる著述では欠落することが著しい発掘成果による史料補完への言及と併せて、中世の入口となるこの時代の著述がこれから更に発展していく事に期待を持たせる一冊です。

第一線の教壇から下る事で、今後は研究、著述により一層の注力を図る事が出来るであろう著者の更なる一冊に期待しながら。

<おまけ>

本書に関連する書籍を、本ページよりご紹介します。

今月の読本「シリーズ古代の東国1,2」(若狭徹、川尻秋生 吉川弘文館)考古学と文献資料が交差する時、古代から続く尚武の地、坂東・東国の輪郭が浮かび上がる

今月の読本「シリーズ古代の東国1,2」(若狭徹、川尻秋生 吉川弘文館)考古学と文献資料が交差する時、古代から続く尚武の地、坂東・東国の輪郭が浮かび上がる

毎年、意欲的に新たなシリーズを送り出してくる吉川弘文館さん。

本年も、既に「天皇の美術史」が各方面で話題となっていますが、その陰に隠れてしまってちょっと存在感が薄くなってしまったシリーズとして「古代の東国」全3巻が刊行されています(刊行中です)。

これまでになかった通史としての東国の古代を扱う、東国の歴史ファンとしては待望久しいシリーズ。山奥の為に遅ればせながら何とか入手して読み続けていましたが、シリーズが2巻までで一休みとなったこのタイミングで少し纏めてみたいかなと考えています。

今月の読本は2巻セットでご紹介です。

古代の東国1 前方後円墳と東国社会」(若狭徹)と、「古代の東国2 坂東の成立」(川尻秋生)です。

このシリーズ、編者となる2巻の著者である川尻秋生先生のシリーズ巻頭辞を読むと、極めて特徴的な位置づけを狙っている事が判ります。まず、中央からみた地方という視点に拘ることなく、あくまでも「東国」の古代史を叙述する為に必要なアプローチをとる事を明確に示している点。そして、古代史故に絶対的に限界のある文献資料、特に文献を残せた側の視点を補う事を目指した、著者グループ全員が考古発掘にも精通し、博物館の展示に携わってきた経験を最大限に生かした叙述を目指す事を明確に表明している点です。

その結果、本シリーズはこれまでの教科書などで扱われる古代史の切り口とは大きく異なるアプローチ、視点を読者に与えてくれます。北関東を中心に展開する古墳の年代評価や出土物、特に豊富な地図による解説を加えた古墳の分布の年代推移を見ていく事で、その後の東山道経由による中央との結び付きを明確に認める一方、出土物の状況から、中央政権と見做せる倭王朝から遥か東方に離れた地でありながら、半島との直接的な結び付きや、直接半島に出兵し、倭の五王の時代には半島からの来訪者の集団が既に定住していた可能性すら見出していきます。東夷として制圧される、後進的な地域ではない、同時代で同じような規模の古墳群を有するのは東国以外では極僅かで、その規模も、副葬品も強く倭王朝の影響を受けながらも、独自の様式も保持していたと見做していきます。残念ながら、この時代では文献資料と出土物が交差する個所はほんの僅か。それでも、考古学が得意とする膨大な様式年代検討に基づき、僅かな接点を見つけながら、記紀の神話をも援用しながら、その先に考古学特有の雄弁な議論を展開していきます。その議論の先には、国内でも極めて稀な古代碑が残り、先進的な仏教寺院の造営や戒壇の設置に見られる、後の時代に現れる下野の先進性の起点が既に古墳時代にあった事を示唆していきます。

著者達が最初に認める東国の姿、それは武勇を以て倭王朝と提携する関係を構築した部族が旧河川筋に勃興、競合していく活気あふれる大地。現代より大幅に広かった低湿地と頻繁に変わる流路、浅間山等の火山噴火によって目まぐるしく変わる地勢の中で、拠点を移ろいながらも巨大な古墳群を残せるだけの実力を有していた事を膨大な発掘成果から見出していきます。その形式は確かに倭王朝から許された形式の模倣であったかもしれませんが、実際に構築する実力を有していなければ実現できないもの。精巧な埴輪や馬具、武具、そして南東北まで伸びる出土物の傾向から、既にこの時点で更にその北に居住する人々との交流、相互の進出があった事を見出していきます。

倭王朝に従属する形ではなく、緩やかな提携と受容の関係にあったと見做す1巻から、中央政権側の文献資料が見いだされはじめる2巻に入るとその枠組みは微妙に変化していきます。シリーズの編者である著者が冒頭でそのような視点に対して「二つの東国像を克服するために」と題したプロローグを用意して議論の帰着点を探っていますが、本シリーズを読まれる多くの皆様にとって、この論考は最も興味を引くのではないでしょうか。3巻の刊行を前に少し前倒しに結論めいた記述もありますが、歴史が好きな方、特に東日本に住まわれて、その地で歴史教育を受けてきた方なら誰しも疑問に持たれる点について、実に示唆的な提示が行われていきます。

蜜月時代と述べる奈良時代迄の東国と古代王朝との関係。その関係にはやはり前時代と同様に特別な関係があったと見做していきます。下野を中心とした先進的な仏教の受容や武蔵に至る大路の構築も、白村江の戦い以降の半島亡命氏族の影響や入植や古代王朝側から見た統一的な中央集権国家の施策と見做す一方で、西国との比較で、更にその先に広がる辺境へ対する入口としての古代王朝の威勢を見せつけるために整えられたとの見解を示していきます。その推移は防人と北方政策の重点がお互いに入れ替わるように行われていく点からも認められるようです。

北方と西海の双方に武力を以て仕える東国。坂東と呼ばれた地域の特異性を見出すために、著者はその研究フィールドである安房国の成立と記紀に述べられる神話を援用しつつ、古代王朝にとって貢納を受ける場所、つまり直轄地ではなく祭祀を併合した地としての特異性を含み続けていたと見做していきます。古代王朝にとって辺境の入口にして兵站基地という、植民地的な様相を示す奈良時代の坂東。古代王朝の影響も強く受け、国分寺や国分尼寺の改築と伽藍配置の方位性から、より中央からの統制が強まっていく事を見出す一方、在地支配、国造や地方豪族の影響が強く残る東国出身者が逆に中央政権に采女や官吏として進出していく様子を文献資料と発掘成果の突合せから認めていきます。中央集権で語られる事の多い中、依然として豪族同士が牽制しあうような状態であった東国に対して、古代王朝が牽制、掣肘をした影響を古墳群の展開から見出し、徐々に増え始める文献資料と木簡などの発掘資料が偶然の交差を認め、列島を東西に動く東国の人々の驚きのストーリーが浮かび上がる時、考古学の醍醐味を味わってほしいとの著者の筆致は鮮やかに躍動します。著者の東国、坂東への想いの筆致は更に、平城京に集まる物資の記録や正倉院に残る品々や貢納物の規定から、坂東から送られた貢納物が決して遅れた産物ではなく、それらの生産を可能とする技能集団の存在や祭祀の面での東国の特異的な立場を改めて拾っていきます。

膨大な発掘成果と、文献資料とのたゆまぬ突合せが生み出す、古代東国を豊かな描写で紡ぎ出す本シリーズは残す所あと1巻。文献資料が大幅に減少し、歴史の空白点ともいえる平安初期に突入していきます。果たして自立する東国が頭をもたげていくのか、それとも中央集権の先兵として北へ北へと押し進む姿が描かれるのか。更には2巻でそのアウトラインが示された東国の姿が、実際にどのような形で中世に引き継がれていくのか。最終巻を楽しみに待ちたいと思います。

<おまけ>

関連する書籍を本ページよりご紹介します。

今月の読本「信州の縄文時代が実はすごかったという本」(藤森英二 信濃毎日新聞社)信州の縄文研究系譜を継ぐ研究者が挑んだ、美しく丁寧に描かれた机上の八ヶ岳縄文ミュージアム

今月の読本「信州の縄文時代が実はすごかったという本」(藤森英二 信濃毎日新聞社)信州の縄文研究系譜を継ぐ研究者が挑んだ、美しく丁寧に描かれた机上の八ヶ岳縄文ミュージアム

版元さんからの刊行案内が出て以来、心待ちにしていた一冊。

金曜の晩に漸く地元書店さんの店先(何時の間にか郷土本コーナーが店舗の奥の方に移っていて、危うく見つけそこなうところでした)で見つけて読み始めましたが、予想を超える素晴らしい仕上がりに、一気に読み進めてしまいました。

地方出版社の衰亡が続く中、まだまだやれる事はあると、意欲的な企画と、地方だから、少部数だからとの妥協を許さない丁寧な制作、編集。大手出版社さんにも全く引けを取らない美しい装丁を施した本を次々を送り出していく信濃毎日新聞社さんが、これまでのコンセプトを更に推し進める形で新たに送り出した一冊。狙ったようなインパクト重視でキャッチーな表題の裏側に描かれる、本当に版元さんの良心に溢れる一冊のご紹介です。

信州の縄文時代が実はすごかったとう本今月の読本「信州の縄文時代が実はすごかったという本」(藤森英二 信濃毎日新聞社)のご紹介です。

本書の著者、藤森英二さんは、八ヶ岳の東麓、北相木村の考古博物館で学芸員を務めながら、主に長野県下の縄文遺跡に関する研究に従事する研究者。このお名前をご覧になって、本書にご興味を持たれた方はピンとくるのではないでしょうか。縄文研究に大きな足跡を残し、今に至るまで学界において議論を呼び続ける、ある意味において、日本の古代史の視点が世界的な考古学の流れと決定的な違いを見せる結果となった論考を残した人物。在野の考古学研究家と呼ばれた、縄文農耕論を著した藤森栄一氏に繋がる方です。

こう書いてしまうと、まるで縄文農耕論の継承者が描く、本格的な縄文文化論が展開される本のように見受けられてしまいますが、さにあらず。更に言えば、このような紹介自体、あくまでも本書を売り込むためのセールストークのようなものであり、著者の意図する所とは異なっている事を予め述べておかなければなりません。

本書が本当に素晴らしい点、それは八ヶ岳西麓に広がる縄文遺跡をテーマに、学芸員とモデラー(掲載されている写真のフィギュアは全て著者の自作です)という、二つのキャリアを存分に注ぎ込んだ、美しくも丁寧に纏められた、ページの上に描かれる縄文ミュージアムを見事に作り上げた事です(注記:信州と表題されていますが、前述のように八ヶ岳西麓がメインテーマです)。

信州の縄文時代が実はすごかったという本巻末に掲載された多くの協力者の皆様の手助けを受けながら、信州の息の長い学研的な伝統が培ってきた研究者の系譜に連なる著者(出身の明治大学において、戸沢充則氏の薫陶を受けています)が、その中心地からほんの少し離れながらも息吹を肌身に感じるであろう八ヶ岳東麓から俯瞰する、数千年に渡ると云われる八ヶ岳高原で大繁栄した縄文時代の主要な研究テーマを丁寧に解説していきます。

執筆協力の皆様によって集められた美しい画像や、良く錬り込まれた豊富な図案。著者自身の制作によるフィギュアによる美しくも可愛らしいフルカラーのページたち。ページに添えられたキャッチーなフレーズを眺めていると、一見して小中学生向けの所謂副教材ではないかと思えてしまいますが、それは大きな誤りのようです。低年齢向けの語法はあえて避けて、一般の読者を想定した文意と、博物館等の刊行物では当然の配慮である、時代感の指摘やキャプション、補記への配慮は、正に本書が学童向けの入門書に留まることなく、より広範な読者、好事者、歴史ファンの皆様に向けて書かれている事の証。多くの皆様が感じているかもしれません、大好きな博物館、美術館を訪れた後、この感動をそのままに収めた一冊の本が欲しいと思う感触そのままに、本書は仕上げられているかのようです。

信州の縄文時代が実はすごかったという本そのテーマ故に入門書としての体裁で纏められていますが、要所に書かれた内容は最新の学術成果も盛り込まれています。本書を読まれる方であれば、一番気になる点についても、最先端の圧痕法(レプリカ法)による知見が盛り込まれており、この一冊で最新の縄文研究の一端に触れる事が出来るように配慮されている点は、更に嬉しいところです。著者はあくまでもこれらの議論に対して、距離を置いた発言をされていますが、その検証手法の発展と新たな知見が現れる事を密かに期待されているようです。

信州の縄文時代が実はすごかったという本そして、八ヶ岳の裾野に広がった縄文時代の遺跡で繰り広げられた物語について、考古学的成果から俯瞰していきます。特異な文様を持った縄文土器の分布と伝播、八ヶ岳の縄文文化を象徴する二つの国宝土偶の物語(二つの間の時間軸的な断絶についても)。そして、発展を支えたであろう豊かな生産性と、交易物としての黒曜石からみる、海をも超えて東日本を広く包み込む、広範な縄文人たちの移動する姿。これらの内容は博物館でじっくり見たつもりでも、改めて本という形で眺め直すと、別の見方が生まれて来るようです。そして、現代に生きる私たちもその大きな流れの中で生きている事を実感させられる、縄文海進とあれほど繁栄した八ヶ岳西麓に生きた人々が残した痕跡の消滅。

ここから先は、是非現在の八ヶ岳山麓に訪れて、その息吹を感じて欲しいとの想いから、多くの類書では決定的に欠けている、各所に点在する博物館の展示紹介や訪問ガイドにページを割いている点は、本書が博物館関係者が著述されている点以上に、地元に在住する人間として、更には本書を通じてその地を訪れたいと思う多くの歴史ファンにとって、極めて嬉しい配慮である事を重ねて述べておきたいと思います(双方に於いて絶対的に断絶して扱われる事が多い、隣県の博物館に関しても、特段の配慮を以て記載をして頂いている点については、深い敬意の念を述べさせていただきます。八ヶ岳山麓は東西南北みんな一緒)。

SNSや著者のブログに残された刊行前のコメントを拝見すると、研究者のキャリアとして本を出すのが早すぎたのではないか、刊行自体に無理があったのではないかと悩まれている様子が伺えますが、そんな想いは多分杞憂だったと思いますよと、お伝えしたいです。

これまでになかった、八ヶ岳山麓の縄文時代を美しくも丁寧に綴られた読むミュージアムとして、多くの歴史が好きな方の机上に届けられることを願って。そして、今度のお休みには、その足跡を訪ねて美しく整備された博物館たち、史跡へ訪れてみませんか。

八ヶ岳ブルーの下で4

信州の縄文時代が実はすごかったという本

P1060493<おまけ>

本書に関連する内容を扱ったページをご紹介します。

今月の読本「中世武士選書36 三浦道寸」(真鍋淳哉 戎光祥出版)通史を描きたいという願いと相克する書名の行方

今月の読本「中世武士選書36 三浦道寸」(真鍋淳哉 戎光祥出版)通史を描きたいという願いと相克する書名の行方

2016年は初の年末商戦と称して、例年以上に多くの新刊が年末ぎりぎりまで送り出され、特に雑誌については31日発売で配本が行われているという話がある一方、これまで不振が叫ばれながらも長らく本屋さんの売り上げを下支えしていた雑誌が遂に書籍の売り上げを下回るという、衝撃のニュースが流れてきた年末。

本書もそんな本屋さんにとっての年末商戦に合わせてでしょうか、年の暮れになって地元の本屋さんに入ってきた一冊。そして、2016年最後の読書となった一冊です。

歴史関係書籍では吉川弘文館、そして山川出版に続く刊行ペースを維持しつつも、歴史に限らず独自の視点を掲げたテーマの作品を送り出している戎光祥出版さんの最新刊よりご紹介です。

三浦道寸今月の読本、年末最後の一冊から「中世武士選書36 三浦道寸」(真鍋淳哉 戎光祥出版)です。

著者にとっては実質的に初の一般向け単著でかつ、独りの武将の活躍を扱った本としては珍しいテーマ。しかしながら、冒頭や巻末、更には本文を読んでいくとある点に気が付きます。2015年の春に刊行された、吉川弘文館のシリーズ叢書、歴史文化ライブラリーの通巻400冊目として送り出された「三浦一族の中世」(高橋秀樹)と同じベースでの著述ではないかと思わせる点です。

それもそのはず、双方の著者は同じく横須賀市の歴史編纂事業に携わっており、あとがきにもあるように、著者の研究に対する先駆的な役割を果たしているのが前述の著者(文科省の教科書調査官が本職)であることを明確に記しています。そのためでしょうか、著者も繰り返し郷土史や郷土に所縁のある人物としての三浦氏、道寸としての著述を否定的に捉え、全体の歴史感、少なくとも東国の歴史における位置付けで描く事を明白に表明しています。その結果、本書は三浦道寸を表題に掲げていますが、実際に道寸自身が登場するのはページの半ばを迎えた後、更には終章として前述の書籍と同じような体裁で「三浦介」の後世における伝説的な扱いを紹介する事に頁を費やしているため、実質的に道寸自身の活躍を記す部分は全体の4割程度に過ぎません(全275頁中、120頁ほど)。残り半分は三浦氏の発祥から戦国初頭の三浦氏へと繋がる系譜を、東国の政治状況の推移から著述することに注力しており、その体裁は前述の書籍とほぼ同じく、通史を描くために三浦氏を足掛かりにしているに過ぎないようにも見受けられてしまい、表題が蔑にされる結果となっています(2冊を併せて読むと、通史としての不足部分が充当されると云えば少々皮肉でしょうか)。

帯に書かれるような、室町後期から戦国の冒頭に当たる、混乱する東国に登場して、北条早雲(本書では一貫して伊勢宗瑞を使います)との死闘の末に潰える相模武士最後の系譜を継ぐ存在としての道寸の物語を期待された方は、少々肩透かしを食らってしまうかもしれませんし、中世東国の政治状況に練達された方であれば、本書の前半分は少々三浦氏側の視点を加えていながらも、(三浦氏自体が南北朝期において既に中世東国の政治状況を左右する存在ではなかった点からも)既知のことかもしれません。

それでも著者が通史としての著述に拘る点、それは三浦氏の特異性がその視点を外すことを許さないからかと思われます。武士の都であった東国、鎌倉。その鎌倉から指呼に位置し、海路が開き、陸路からは複数のルートから至るに難しい半島という特異な地形。それ故に、相模、特に鎌倉に事が起きる度に抑えとして、更には次に送り込む戦力の兵站地として常に見做されてきた三浦半島に有する三浦氏と一族の戦力。そして、遥か昔の頼朝が鎌倉を目指す前から「三浦介」という国衙を扼する職制を自称する伝統に彩られた「家職」としての揺るぎない誇り。家名を2度も落としながら、各地に点在していた地頭所領を失い、三浦半島のそれこそ南端に押し込められていたように見えても、逆に国人領主の萌芽を見せるような一円支配の実現。更には海を挟んで房総や伊豆七島の末端にまで影響力を行使していたという、領主制としての先進性すら有していた三浦一族の独自の活動形態を浮かび上がらせるためには、歴史的な三浦氏の位置づけを、少なくとも東国の中世史の中に描く(量の過多は別として)事が、どうしても必要だったようです。

鎌倉開府以前まで遡り、同じ介を名乗る上総、千葉に匹敵する東国の名門でありながら、三浦半島の末端に僅かに所領を維持し、政治的にも軍事的にも既に守護であった事や「大介」としての名称すら実力に伴わない(時に兵力の不足を述べ出兵を拒み、五十子陣から引き揚げてしまう三浦時高の手勢が僅かに三十騎という少なさに象徴されています)零落ぶりですが、一方で、鎌倉から至近距離あったため常に警戒の目で見られた、在地の勢力拡大が困難であったとも考えられる訳であり、その不満が遂に暴発したのか永享の乱を決することとなった、公方持氏不在の鎌倉突入であったと見做していきます。

三浦氏を動きを制する存在でもあった武家の都、鎌倉。公方が古河に動座し、戦端が利根川を挟んで繰り広げられるようになると、真空状態となった鎌倉を含む南関東には新たな勢力が伸長することになるのは必然となります。その主役となったのが太田道灌、北条早雲、そして本書の主人公である道寸が漸く登場することになります。一度は利根川以西の安定化を図った道灌亡き後、公方と対峙、協調を繰り返す事で、お互いに拠点を利根川沿いに北上させる両管領家が去った相模の制圧を巡って、半島に押し込められていた三浦氏がここで漸く半島を抜け出して、名実ともに「相模介」としての恢復を狙って動き出すことになりますが、如何せんそのタイミングが余りにも悪く、前述のようにその戦力の乏しさは、既に伊豆を制圧していた北条家(伊勢氏)に対しては如何ともならなかったようです。

半島ゆえの独立性も、首筋を抑えられてしまうと逃げ場が無くなるという逆の結果を生む事は、家名を挙げた伝説的な義明の活躍にもそのまま投影されます。海上を房総半島へ逃れる手があったにも関わらず道寸と一族が滅亡の道を選んだのも、やはりその祖先へ通底する想いがあったのでしょうか(著者は伊豆七島、特に八丈島を巡る状況から勘案して、既にこの時点で三浦氏には相模湾、江戸湾の制海権は無かったと見做していますが、その後の海賊衆と見做させる三浦十騎の抵抗と整合せず、少々首を傾げます)。しかしながら、本書は通史を描く事を第一に標榜しているため、それらの心象や当時の相模、半島の状況について、特に地勢的な見地では殆ど述べるところはありません。だた、この戦いが著者が考える「時代の転換点」たる戦国時代の端緒と見做すに相応しい、国人領主の討滅による相模の統一であることが語られるだけです。

最後に述べられる、道寸の文化人としての側面と、その後の「三浦介」物語。道灌との関わり合いの延長で描かれる点から見逃されがちですが、半島の先を扼していたという事は海運も抑えていたという事。八丈島まで勢力を有していた三浦氏の配下が相応の海運力(特に相模湾に於いて)を有していた事は容易に想像できます。彼が賛を求めて(絵が描かれていない点が思わず笑ってしまいますが)差し出した紙が唐紙であった事からも、ある程度豊かな物産が辺鄙と云われる東国にもしっかり伝わっていた事が判ります。また「三浦介」の名称が東国武将のブランドとして用いられたという点を玉藻前伝説に繋げて述べる点と、道寸が京都に送ったとされる扇に記された賛への言及からも、家職とまではと、少し控え気味に述べていますが、中世家職制の一環として東国武士を位置付けていこうという著者(達)の研究史感が見えるようです。

主人公道寸を置いてでも、三浦氏を題材にとった中世史を通史として描く事に重きを置いた本書。帯に記された版元の想いと、シリーズの主眼、そして著者達の想いはなかなかに上手く交わらないのだなと想いながら、冒頭の書籍不振の根底にきっとある「読みたい、手に取ってみたい」という読者の想いと、著者達の想いの交差の難しさもまた考えさせられる年初。

img20161230215227本書とセットで読まれると宜しいかと思います。吉川弘文館の歴史文化ライブラリーより「三浦氏の中世」を。こちらは三浦氏が歴史に登場する時点から宝治合戦より前を中心に、本書よりも更に明白に「京を中心とした平安末期から鎌倉期の通史と、家職制に見られる三浦氏」という体裁で描いていきます。

同じく三浦氏をテーマに掲げながら、拭い去れない内容との乖離を示す本書の帯に対して、表題との乖離を何とか埋めようと意を砕く、版元さんが帯に記したコメントが逆にその位置づけを明快に示しているようです。

両書籍の立ち位置と異なり、もっとダイレクトに相模武士に特化した内容の書籍をお読みになりたい方は、同じ版元さんから刊行されている、相模全体をフィールドとする在野の研究家、湯山学氏の一連の著作(こちらはダイレクトに三浦一族)が地勢や史跡への配慮も圧倒的に豊富で、より相応しいかと思います。但し、如何せんかなり特徴的な著述(突如話が飛ぶ、終息せず前後が繋がらない、独自見解)かつ、特に「相模武士-全系譜と史蹟-」シリーズは図版や編集、版組も私家版相当で、一般流通レベルギリギリのかなり荒い作りなので、万人向けとは言い難いかもしれません。

 

<おまけ>

本書と同じようなテーマの作品をご紹介しています。

今月の読本「頼朝と街道」(木村茂光 吉川弘文館)頼朝と一緒に中世東国史の起点を探す往来へ

今月の読本「頼朝と街道」(木村茂光 吉川弘文館)頼朝と一緒に中世東国史の起点を探す往来へ

最近の日本史に関する新刊のテーマを眺めていると、旅程や街道、文書を含めた往来の記録から時代背景を描き出そうという新しい切り口が見えてきます。

豊富な史料が残る近世、そして室町・戦国期に関しては、既に多くの書籍が登場していますが、時代を遡って中世から古代にかけても、徐々にそのようなテーマを掲げた本が増えてきたように思えます。

その中で、これはと思った一冊。以前にご紹介しております「動乱の東国史2 東国武士団と鎌倉幕府」に高い評価を与え、直接の影響を受けたと著者が述べられる一冊が上梓されました。

動乱の東国史2東国武士と鎌倉幕府と頼朝と街道今月の読本、吉川弘文館の歴史文化ライブラリー新刊から「頼朝と街道」をご紹介します。

ところで、本書にご興味のある方であれば、何故、平貞盛が将門に追われた際に千曲川を経てわざわざ山深い信濃を抜けて京に逃げ帰ったか疑問に思われたことはないでしょうか。そして、将門が新皇を名乗ったのが、関東でも外れに位置する下野の国府であった点を不思議に思われる事はないでしょうか。更には、木曽義仲がなぜその名前の如く、京に上る最短ルートである木曾から美濃に抜けるルートを取らずに日本海に出たのか、ちょっと変だと思われたかと思います。

そして、大蔵合戦から源平争乱期にかけて、更には鎌倉時代に入っても、全国の軍事力を掌握した筈の幕府内で、常に東国が南北に緊張関係を孕んでいたか疑問に感じる事があるかと思います。その行方が足利家と新田家を次の時代、南北朝期に飛躍させる源泉となった事にきっと着目されている筈です。

更には、東国に鎌倉府が成立し、京との二元政治体制になった後、鎌倉公方が権力を誇示しようと動く際に出陣する先が、何時も決まって府中であった点に東国史のファンの方なら必ず気が付かれているかと思います。

中世の始まりからのその終焉となる戦国期の入口まで。東国の政治状況の動向を俯瞰してくと、本書で述べられている点が全て当てはまっていく事になります。それは街道という名の人の往来を示すもの。

古代王朝が成立させたとされる、道幅も広く規格化された大道ではなく、現在の関東地方の交通ルートにも深く刻まれた、中世以降の往来の道筋を観ていくと、東国の歴史動向そのものが見えてきます。

本書ではまず、東山道から奥州へ抜けるメインルートであった、上野、下野を抜けていく街道筋に拠った将門とその一門の、奥州の権益の象徴であった累代の鎮守府将軍の地位が残した利益の継承を巡って争い始めた事が、中世を通じて続く東国の争いの原点であったと見做していきます。

古代王朝から続く東山道をベースにした街道を軸に勢力を張った藤原氏やその後に拠った源氏一門と、それ以前の段階で徐々に南下を始めた秩父党を始めとした平家の血筋たちは武蔵へ広く進出することになります。更には奥州での戦役を通じて後の嫡流となる源氏は南関東に地盤を持つようになりますが、この時点ではあくまでも主たるルートは東山道にあったとしています。

一度は失った南関東の地盤。頼朝の再起により房総半島を経て再び拠点となる鎌倉を目指す訳ですが、ここで既に平家に服従するようになっていた秩父党と武蔵の武士たちとの緊張関係が生じていた事が指摘されます。武蔵は既に抑えられていたため、頼朝としても街道から外れた地である、鎌倉に拠点を置かざるを得なかった事が見いだされていきます(但し、この見解には初期鎌倉の街路が東西方向に伸びている点を同じように指摘しながら、逆にその道を抜けて房総へ通じる海路こそが主たる交通路だったとする意見がある事も指摘しておかなければなりません)。

後世、武家の象徴として崇められる事になるイメージと全く異なる、軍事的な輝かしい戦果をほとんど持たない、引きこもり頼朝。鎌倉にどかっと腰を落ち着かせていたように見える頼朝は、実は度々軍を発し、巻狩りを繰り返しながら、自らも忙しく広範に広がる坂東の平野を行き来し、箱根を越えて威勢を示し、そして平泉攻めで見せた象徴的な示威行動を繰り返すことで、軍事的な勝利ではなく、連れ従う軍事力の大きさによる威圧によって圧伏していった事を示していきます(某研究者の方が、やくざの首魁に擬する様子、そのままですね)。著者はその度に、彼が通った道筋「街道」が軍事道路として整備されていったと指摘します。

自らの権力基盤を確立し、後顧の憂いを払った上で、いよいよ上洛を果たす段になって、頼朝はそれまでの古代王朝から引き継がれた東山道を経由したルートではなく、敢えて自らの新たな拠点である鎌倉に繋がる、東海道を経て西上することになります。歴代の源氏の拠点であった美濃、青墓の関ヶ原を前にして、東山道と東海道が交わる点であるという絶対的な地理的優位性と、その終着点として北に延びる道筋の先にある膨大な資源を擁する奥州、平泉。南に延びる新たな道筋の終点に整えられつつある武家の新たな本拠たる鎌倉。京をもう一方の支点として、東国へ向けて長く伸びる街道という名の軍事、経済ルートを完全に掌握した頼朝の自信が伺えます。これに本書では語られませんが、鎌倉期の最後まで関東御分国として維持される越後を加える事で、京を扇の要にして東国の街道を軸とした三方向の末端を確実に抑えていた事がはっきりします。

更に著者は、その後の東国史を決定付ける要素を政権を掌握した後の頼朝の動きから見出していきます。徹底的な警戒を崩さない、源平争乱期以前から東山道に拠った御家人たちへの態度。彼らはその後、室町時代の東国における、分裂した勢力の双方に対して自在に加担するもう一方のキープレーヤーとして力を誇示していきます。一方、その先の西に繋がるルートには源氏の一門を配することで、古来からの往来ルートの確保を目指しますが、その結果が室町期から戦国期における甲信地域の武士たちの在地性がやや低い、京の幕府と鎌倉との間で揺れ動く複雑な動向を生み出すことになります。

そして、旧来の街道を貫くように北へ伸びる「鎌倉街道」の先に広がる、本拠である鎌倉に隣り合う武蔵。秩父党の流れを汲み、広く分立する御家人たちを如何に懐柔して自らの味方として抱き込もうとする、遅れてやって来た、狭い鎌倉以外に地盤となる地を持たない頼朝とその後継者たちの不断の努力は、遥かに時を経た鎌倉府に参集した武士たちの代弁者、首班を期待された鎌倉公方、関東管領たちの動きすらも規定することになります。

最終的に最後の鎌倉公方である足利成氏が、伝統的な北関東への入口であり歴代の鎌倉公方が出陣した府中を経て、古河に動座することによって鎌倉府が消滅するまでの実に長い間、東国の動向を規定した鎌倉という存在と、それ以前から広大な坂東を縦横に結びつけてきた道筋を追いかけると、中世を横断した東国史の根底を鮮やかに描けることを実証した本書。

そのベースが、昨今大きな進展を見せている地域史、郷土史の研究成果の蓄積からもたらされた点に強い印象を受けながら、歴史を描き込む方法にまた新たな視点が生まれつつある事を嬉しく思いながら読んだ次第です。

まだまだ、東国の歴史はもっと、もっと面白くなる。

「頼朝と街道」と類書たち<おまけ>

本書に近いテーマを掲げた書籍のご紹介も

今月の読本「マタギ奇談」(工藤隆雄 山と渓谷社)最後に伝えられる森と山々への畏敬の物語

今月の読本「マタギ奇談」(工藤隆雄 山と渓谷社)最後に伝えられる森と山々への畏敬の物語

インプレスグループに買収後、暫くは大人しい状況が続いていましたが、昨今の登山ブームの影響でしょうか、文庫、新書の創刊に続き、最近積極的に新刊を送り出すようになった山と渓谷社。

そんな元気を取り戻した名門出版社が、より一般の方に向けて送り出した近刊には山に纏わる奇談、珍談を集めた本が何冊か揃っています(ヤマケイの黒本というそうです)。その中でも「新編 山のミステリー」という、ちょっとおどろおどろしい装丁とキワモノとも取られかねないテーマの一冊がありましたが、山岳ミステリーという一風変わったテーマが好評だったのでしょうか、同じ著者による続編が登場しました。

マタギ奇談マタギ奇談」(工藤隆雄 山と渓谷社)のご紹介です。

著者は登山関係で多数の著作を有される方。本書も同じ山と渓谷社から1991年に上梓された「マタギに学ぶ登山技術」執筆の際に得た知見をベースに、その後も繰り返し東北に訪れて取材をした内容からピックアップして一冊に纏められたものです。

数頁から十数ページに纏められた物語風の「奇談」がぎっしりと詰まっていますが、取材対象がマタギであるという一点を除いて、章分けはなされているものの一貫したテーマがある訳ではありません。

冒頭の八甲田山雪中行軍における忘れられた「案内人」達の悲惨な末路に戦慄が走り、マタギたちの因習に首を傾げながらも「奇談」にじっと聞き入り、それを守らなかった事による厳しいしっぺ返しにも、まさかと思いながらも思わず身を乗り出してしまう著者の巧みな筆さばき。クマの驚くような能力と向き合いながら、生身でのぎりぎりの駆け引きをして来た彼らが伝え聞いた話を読んでいくと、軽妙さの中にも、体感した者だから言える言葉の重みを感じます。

山での掟や数字に秘める因習、そして強い印象を与える、因習を破ったある猟での出来事とその後。その一つ一つに、ある共通点がある事が見えてきます。

人間の存在をちっぽけなものに相対化してしまう東北の雄大な山々と深々とした森。そこに生きる植物、動物たちへの謙虚で繊細な眼差しと、その中から糧を与えられているという素朴な感謝の念。普段は完全に忘れてしまっている、自然と直接向き合い続けるという厳しさの裏返しとしての因習や伝承の姿が見えてきます。

少し長めに語られる、山津波で消滅してしまった集落で辛うじて生き残ったマタギが語る、遭難状況を克明に記憶する冷徹な観察眼と、それでもその地で生きていこうと決心する山に対する強い想い。最終章でじっくりと語られる、白神山地の奥深くにマタギ小屋を構える老齢のマタギが残した言葉の数々から汲み取る、マタギが山と森を守って来たという自負と、その後を予見するかのような冷静な視点と実際。山を相手に真剣に向き合ってきた人々故の鋭い着眼点に圧倒されます。

既に語れる人も少なくなり、猟場だった山と森は荒廃の進行と保護区の設定によりマタギの手が届かない世界になろうとしています。その地に住み着いた歴史と同じだけの時を刻んだであろうマタギの歴史とその想いを、本書に最後の記憶として残して。

シリーズ展開上、少し怪奇談的な面が強く出ている本書ですが、その行間に潜む、山と森を敬服するマタギ達の最後の言葉にじっと耳を傾けてみるのは如何でしょうか。

<おまけ>

本ページより、類似テーマの書籍のご紹介を。

今月の読本「近代日本の就職難物語」(町田祐一 吉川弘文館)「高等遊民」を生み出した社会制度としての大学と学制への視点

今月の読本「近代日本の就職難物語」(町田祐一 吉川弘文館)「高等遊民」を生み出した社会制度としての大学と学制への視点

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館さんの「歴史文化ライブラリー」。

気に入った内容の新刊が出るときには、発売早々に調達に奔走するのですが(田舎なので色々と)、積読中の書籍を読み終えてから漸く手に入れた今回。事前の刊行案内から興味津々だったので、取り急ぎ読み始めてみると、昨今のあらゆる状況が見事に反映されてるその内容に引き込まれて一気に読んでしまった次第。今回は、そんな近代史から現在を見通す様な視点に溢れる興味深い一冊のご紹介です。

近代日本の就職難物語今月の読本「近代日本の就職難物語」(町田祐一 吉川弘文館)です。

本書は著者の博士論文に繋がる著作である、同社から以前に刊行された「近代日本と「高等遊民」」(版元絶版)を下敷きに、主に高等教育を受けた学生たちの就職問題をピックアップして取り上げた一冊。内容自体は戦前の大学教育修了者と就職活動という近代史に基づく著述を採っていますが、その筆致には著者の現職(大学教養課程の助教)における大学生の就職活動に対する所感が色濃く反映されています。

副題にもある「高等遊民」というある種の魅惑を含むような言葉の意味通りの、高学歴を誇りながら定職にも就かず、社会から一線を引いて茫洋として生きていく世捨て人達を扱ったような本にも見えますが、そんなものは一握り、しかも資力を許す余程初期の学生に限られるとしていきます(夏目漱石の著作に多く現れてきますね)。自らの意志で「高等遊民」を目指した極僅かな特異者ではなく、そうならざるを得なかった事情を読み解いていくのが本書の狙い。普通に考えれば、経済状況の変遷に基づく就職難発生と緩和の趨勢が繰り広げられると思われますが、著者は更にもう一段上の視点を見出していきます。

近代日本に於いて制定された高等教育の「学制」そのものの発祥とその変遷。

さまざまな大学が創設の理念であったり、学生に求める資質であったりという建学側の理想があるのは尤もですが、著者が着目する点は社会的要請とそれに基づく「社会制度」としての学制と、その制度を経て社会に出ていく学生たちのマッチングにおいて生じる問題。

そもそも帝国大学を創設した最大の眼目は、高等官吏の養成であった事は良く知られている事です。官吏養成機関、更には官吏養成者を養成し、下級の教育機関が必要とする人材を送り出すための機関としての帝国大学の卒業生に求められる進路は、もちろん官職や教職へ就く事だった筈です。校数や定員、更には下級学校との配置を含めて需要と供給のマッチングが取られた、政府へ人材を送り出すためのシステムとしての学制。しかしながら私学を含む専門学校が大学へと制度変更され、社会に近代的な企業が勃興してくると、本来の制度設計と異なる状況が生まれてくることになります。

家族や地域、その他多くの期待を受けて、全国から集まってくる俊英たちの受け皿としての高等教育機関、大学。近代社会の発展と日本の工業化の進展により、それらの専門分野を有する学生は官吏だけでなく企業側の需要も伸びて来る事で、送り出す側の大学学部と企業、政府機関それぞれが足並みを揃えて、好景気の時には抜け駆けしてでも優秀な人材の確保を求めていきます。一方で官吏、教員の充足を当初の設置目的とした学科では、供給が需要を常に上回る傾向が続く一方、既存の権益の延長による学科、定員増設の機会において、素よりあったそれらの学科の定員も同様に増やされる事により、更なる供給過多の状態が生み出された事を、当時の政治状況を俯瞰しながら指摘してきます。

つい最近でも大きな問題となった法科偏重による著しい弊害の発生、そして文系学科の就職困難の事情。これらが既に大学制度創設当時から内包していた事に驚かされると共に、昨今議論となっている大学の「専門学校化」と戦前の就職事情への対処を重ねると、既に戦前から議論が続いていて、当時において原因までも明確に把握されていた事を指摘する著者の筆致に戦慄すら覚えます。

当初から社会への入口としての制度設計の意味合いを持たされていた日本の学制。好況期にはそれでも需要が供給を上回る為に問題点が浮上しづらいのですが、一度不況期に入ると経済活動を生命線とする企業は敏感に人員計画を見直す必要が生じるため、まずはその入り口である高等教育を受けた人々の受け入れを絞り込む事になります。不安定な就職状況に陥った際に効力を発揮するもの、それこそが閨閥であり人脈、所謂伝手と縁故の力が背後に浮き上がって来る事になります。近代的な高等教育と制度設計を設けたとしても、やはり最後は人と人の関係が最も重要。状況が厳しくなれば尚更です。

では、そのような伝手を辿れない学生たちを支援するのが大学の就職課や就職あっせんを行う機関。強力な就職指導や産業界とのコネクションのチャンネルを積極的に開拓していく大学の就職担当部署の成立と、時にはコネで押し込めたり、就職に関して殊の外強い教授が学生に人気が出るのは今も昔も何ら変わらないようです。では、それらの救いの手も功を奏しない場合はどうなるのでしょうか。

本書は現在の事情にはほとんど言及しませんが、読まれた方が予想される通りのシナリオを勧められることになります。起業、地方就職、そして挫折を現すことになる帰郷…。周囲の期待を浴びつつ、不断の努力を払い、漸くの想いで手に入れた階段の先に観た絶望的な現実。ここまでの著述であれば、ああそうやって現実に絶望した学生たちの成れの果てとして「高等遊民」が生まれたのですねと、早合点してしまいそうですが、さに非ず。

確かに望まぬ職に就く事を潔しとせず、「避難所」として大学院に籍を置き、状況の改善をじっと待ちながら研鑽を続け本望を遂げる人。時には怠惰に流されつつも、文筆等の分野に活路を見出す方もいたようですが、現在と違いそのような恵まれた境遇を踏めた方はほんの僅か。著者の着目点は更にもう一段別の側面へと進んでいきます。そもそも将来的に政府の一員として国家運営に資する人物を養成するのが日本の高等教育の起源。その能力と資質を持ちながら、社会に組み込まれる余地を失った人々が向かう先は何処でしょうか。そう、彼らが社会を不安定化させる事を危惧する指摘が早くも日露戦争後の不況期には現れていた事を見出していきます。

繰り返し述べるように、著者は本文中で何ら現在の事情を指摘するところはありませんが、この着眼点が過去の話でななく、今、目の前に現実として現れているという点は、もはや改めて指摘するまでもない筈です(日本のみならず)。

その上で、大学自体も社会を構成する一員として決して遊離したものではなく、その入り口として(ここでは新卒偏重主義の議論はしませんが)の役割と、それを制度として担保する「学制」というロジック。その枠組を経る事でしか社会に出る事を許されない、現代の日本の学生たちに対して、大学というシステムが何を成せるのか、近代史の史実を読み解きながら研究者として思いを巡らす著者の想い。

丁寧な筆致のうちに、経済状態回復のみを当てにしてその手当をおろそかにし続ければ、社会不安の種を播く結果となってしまうという想いすら織り込んで、実際に学生を社会に送り出す立場として、歴史学から指摘する本書。

時に研究成果やテーマとかい離して、社会的な問題点を指弾し、それを顕現させるかのように研究史観を掘り下げ続ける著述に残念な想いをする事がある中で、決してそのような指摘を無理にせずとも、自らの所属する社会性に立脚しながらも、歴史的な事象から現代に通じる課題を読み解く事が出来る事を見せてくれた本書の筆致に深く感心した次第です。

良くも悪くも、近代化の特質とその中で連綿と続いてきたと著者が述べる、大学と社会の関係。その関係が社会への入口として今も機能している以上、採用する側の工夫や大学自体の努力と共に、志望する学生が入学する前の段階から、その先をしっかり見据えられる「学制」が求められているのかもしれません。

「高等遊民」は決して求め、求められて、生じるものではない筈なのですから。

<おまけ>

本ページでご紹介している関連する書籍を。