今月の読本「東大寺のなりたち」(森本公誠 岩波新書)聖武帝の華厳への想いを胸に、大寺の生み出された姿に時代史を映して

今月の読本「東大寺のなりたち」(森本公誠 岩波新書)聖武帝の華厳への想いを胸に、大寺の生み出された姿に時代史を映して

日本を代表する寺院であり、古い歴史と巨大な大仏を擁する南都の大寺、東大寺。

その歴史は決して平たんではなかったことは、度重なる兵火や大仏殿の焼失と復興、大仏自体も再建を繰り返している事からも知られています。そして、巨大な寺院につきものの強大な財力と政治力。時の政権を左右する程の力を有したその根源には、宗教的な信仰心以上に、その巨大な基盤があった事に論を待たないかと思います。

しかしながら、その巨大な信仰集団であり、最大の仏像を擁する大寺である東大寺も元を辿れば、何もなかったはず。では、どのようにしてそれだけの基盤を築いたのでしょうか。

今回ご紹介するのは、東大寺の別当を務めた長老がその源泉を広く時代史として解き明かしていこうという一冊です。

東大寺のなりたち」(森本公誠 岩波新書)のご紹介です。

著者の森本公誠長老は、元華厳宗の管長かつ、東大寺の別当を務められた方。現在も長老として山内に留まられています。東洋史にご興味のある方には、イスラム史の研究者としてご存知の方も多くいらっしゃるかもしれません。

京都大学で仏教とは異なる分野の学位を修めた研究者にして、東大寺のトップを務められた方が綴られる東大寺発祥の歴史。その経歴から、老齢の僧侶の方が書かれる法話にあるような、柔らかな物腰の筆致を想像されていると意外に感じられるかもしれません。

むしろ歴史研究者の筆致と言ってよい、硬質で透徹な筆遣いで綴られる、奈良時代から平安時代初頭(清和天皇)に至るまでの通史として描かれる一冊。あくまでも新書で描ける範囲の通史なのですが、その視点が東大寺を起点に描かれる点がとても新鮮に感じられます。

東大寺の発祥から現在の寺地に繋がる経緯の検討から始まる冒頭。既にその内容は国家鎮護としての寺であるという東大寺の一般的な見方から大きく離れた存在であったことが示されていきます。天皇家の私的な鎮魂、基皇子追悼としての山房から発祥した東大寺の寺地。その経緯に変転を繰り返した聖武帝の想いを重ねていくのですが、著者はより積極的に政治的意図に基づく変遷であったと示していきます。

既に聖武帝を扱った著作を有する著者が最も力を入れて綴る、帝の仏教、特に華厳経を下地にした政治姿勢を説く「責めは予一人にあり」から続く聖武帝の治世の展開と大仏開眼をピークに描かれる東大寺の発展。僧侶、それも東大寺の元別当の方が書かれた著作だと思って読んでいくと、明らかに歴史研究者としての筆致が勝ると感じられる部分。度重なる天候不順と飢饉に対する減免政策を綴る段には確かに宗教的な姿勢が見られますが、それ以外の部分、特に東大寺や大寺院と当時の政策との関係を綴る部分は極めて冷静かつ、括目される内容がふんだんに盛り込まれています。

大仏建立自体の位置付けを見出す部分で豊富に描かれる、近年の研究成果を取り込んだ当時の政策課題、困窮者の収容と土地政策の見直し。著者はこれらの解決策の一環としての大仏建立があった事を認めていきます。

墾田永年私財法による大寺院の田畑私有化や布施による奴婢の囲い込み、更には行基に対する態度の豹変。これらは全て連動した困窮民対策であり、彼らが擁する優婆塞としての技能者の囲い込み。その先に続く、彼らを正規の僧籍に移し替え、更には国家鎮護の核となる国分寺に配する僧侶へと変える養成機関としての中核寺院の確立。最終的には鑑真の招来によって達することになる、戒壇の設置による質的確保まで。その全てが華厳経を下地に大仏建立を軸にした聖武帝による一連の政策として行われていた事を指摘します。

国家鎮護と言う命題を遥かに超えて、国家戦略の根本としての役割を担う寺院として作り変えられた、平城京の地に再び戻った先に置かれた東大寺。開眼供養を目前にした遣唐使、新羅使の派遣と新羅王子の朝貢とも捉えられる開眼供養直後の来訪。そこには、広く当時の北東アジアに広まった政治的指針の中に織り込まれていた華厳経の受容を示す確固たる象徴としての役割も担っていたとしていきます。

本書のクライマックスでもある、開眼供養の準備段階から盛儀の様子を少し誇らしくもじっくりと述べ、その後の僧侶たちへの布施を述べてた後(此処で開眼師でもある菩提僧正の扱いが、引導する官人の官位や布施からも一段低く見られている点が極めて興味深いです)、聖武帝の崩御で閉じられる前半。表題のように東大寺の成り立ちだけを綴るのであれば、この辺りで筆を置いても良い筈なのですが、本書は更に筆を進めていきます。それは東大寺が置かれた姿をしっかりと時代史の中に位置付ける為。

聖武帝が崩御した後に起こる、藤原仲麻呂の専横と称徳天皇(孝謙天皇)との確執、更には道鏡の寵愛に至る政局の混乱。女帝故の継承者問題を抱え続けた時代におけるキャスティングボードを、大仏建立に際して肥大化した財力とそれに伴う武力が温存された東大寺、俗世の権能である造東大寺長官が握る事になった事を示していきます。吉備真備の動きを軸に描いていく、天武系から天智系への王朝家系の交代による平安遷都と奈良に残る寺院への財政的な締め付け。自らが座する一山の事であっても、著者は冷静にその政策の意図を示していきますが、その先にある想いを乗せていきます。

最後に綴られる、平安初期の大仏頭部の落下による破損から復興に手を挙げた人々の物語。著者はこの事実こそ、今に繋がる東大寺の意義を示すものだという想いを述べていきます。最後は心情的に述べていく、聖武帝から発し、受け継がれる想い。一枝の草・一把の土を以てという、人々の想いが募って支えられるという本質に立ち返った時に、その結集点である大仏を擁する東大寺が生き続ける事が出来る。その後に繰り返される戦乱や災害の中でも繰り返し復興を遂げてきた拠り所としての発祥の想いを再び呼び起こしていきます。

京大時代の恩師である宮崎市定先生が述べた言葉をおわりに載せてその想いを述べる、著者が止住されるその大寺に委ねられた本当の想いを時代史の行間に織り込み描き込んだ本書。題名の印象と異なり、研究者であり宗教家の方が書かれた本として、一読して決して易しい内容ではありませんが、行間に込められたその想いが滲み出てくる一冊。

本書の前に読んでいた、著者の前の管長・別当であり、昭和の大修理を主導した平岡定海師の著作「大仏勧進ものがたり」(吉川弘文館)。本書で描かれた後の時代、その後も繰り返される修復の足跡と、その難事業に挑んだ歴代の勧進僧たちの苦心を人物史だけではなく、当時の為政者たちの視点や、建築史や技術史としての側面を踏まえて描く。本書同様に、広範な知識を積み重ねられる、歴代の東大寺別当の学僧として深い学識を有される一面が垣間見える一冊です。

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今月の読本「踏絵を踏んだキリシタン」(安高啓明 吉川弘文館)聖具から道具へ、 行政史が示す踏ませることの意味

今月の読本「踏絵を踏んだキリシタン」(安高啓明 吉川弘文館)聖具から道具へ、 行政史が示す踏ませることの意味

今年は長崎のキリスト教関連史跡が2度目の挑戦となる世界遺産登録を目前としている事もあり、各社から多数の関連書籍が刊行されています。

特に、歴史的な悲劇としての迫害と弾圧、奇跡と復興と言うイメージを強く印象付ける作品や、それらの視点の根底にあるカトリックとしてのキリスト教受容を問う内容に関する書籍は既に一部で採り上げられるようになってきましたが、その素地となる史学としての研究成果については、あまり言及されていないのが実情のようにも感じられます。

そのような中で、禁教期の象徴として捉えられる遺物に纏わるテーマを史学として正面から捉えようという一冊が登場しました。

今回ご紹介するのは、何時も新刊を楽しみにしている、吉川弘文館さんの歴史文化ライブラリー最新刊から、「踏絵を踏んだキリシタン」(安高啓明 吉川弘文館)をご紹介します。

本作の著者は熊本大学で教職に就かれている近世史の研究者、特に江戸時代の長崎を中心とした行政、法制史を専門とされている方です。従って、昨今多く刊行されている関連書籍の著者や登場される方々とは逆の立場、禁教を推進した側、当時の江戸幕府や長崎奉行、九州各地の藩や天領支配からみた禁教政策を描くことになります。

一時期、カトリック系の大学に籍を置かれていた事をあとがきに記されていますが、本書では中立的な著述を踏まえると敢えて述べており、心情的な筆致は最後に述べられる遠藤周作の『沈黙』が描く踏絵の姿を評する際に、僅かに添えられるに過ぎません。

長崎に生まれ、九州をフィールドとする近世史の研究者である著者が綴る「踏絵」のストーリー。冒頭では教科書記述の錯誤を正し、読者の歴史認識を整理する為に、ザビエルによるキリスト教の伝来から禁教に至る経緯から述べる本書。禁教期の幕府や各藩の政策やキリシタンの露見、そして開国後の禁教政策の段階を追った解除に至るまでの概要を示しますが、まずは多く流布しているこれらに関するお話や認識が、あまりにも誤謬と誤解に塗れている事に改めて気づかされます。前述のように総論の記述は高等学校の日本史教科書レベルの筈なのですが、江戸時代の禁教政策がどのような形で始まり、開国後も最終的には大日本帝国憲法の発布を待つまで(ほぼ)解除されなかったのかを、史学、特に法制史や外交史として再認識する必要がある事を指摘します。其処には、江戸幕府から明治新政府における文書行政による法秩序、対外的な施策を含む政策の継承性、一貫性と言う近世国家が作り上げていった規範の推移が、禁教政策を事例として示されていきます。

史学としての理解を前提とした上で述べられる各論。長崎奉行、代官の成立から職務範囲、その中で踏絵の発祥と成立から議論が始められますが、ここで判っているようで全く判っていなかった事実に突き当たります。踏絵が何処までの範囲でどのように実施されていたのか。本書の中核となる、九州各地における踏絵の実態に追っていきます。「絵踏」(「踏絵」と、この呼び方の検証は本書の冒頭にて議論されています)と呼ばれる行為自体が九州でも限られた地域、そして踏まれた遺物の分布をみても、長崎奉行と九州の極僅かな藩が所有する以外には会津に存在したことが判っているだけで、極めて限られた地域での実施であった事を示します。また、各地で鋳造や絵で描かれた踏絵が作られたとされていますが、その殆どが明治以降のキリシタンブームによって捏造、模造された物であると指摘します。現在東京国立博物館に収蔵されている、長崎県令から明治政府の教部省を経て、最終的には時の太政大臣、三条実美の決裁により国が管理する事になったこれらの踏絵や江戸時代に長崎奉行が管理していたキリスト教関連遺物。外交問題としても捉えられるほどに重要な物品として取り扱われる踏絵の管理は幕末まで厳重を極め、その管理や連年繰り返される各藩への貸与自体が、九州における幕府、特に出先機関である長崎奉行の権威と統制を示す行為の一環であったことを認めます。

そして、絵踏みを行う行為について、著者は行政史の専門家としてその実態を各地の記録から丹念に拾い上げていきます。その中で著者が繰り返し述べていく事、「踏絵」という行為の変質。本来はカクレキリシタンをしらみつぶしに探し出すために、メダイやプラケット、宗教画をモチーフにした「聖具」を踏ませることによる、信仰心を突き、宗教的良心の圧迫と背徳感をもたらせるための異端探索であった絵踏みが、寺請制度と組み合わされた、人別帳確認としての行政行為の一環、制度が守られている事を確認する作業を遂行するための「道具」へと、長崎奉行所が主導して造られた、現在残されている鋳造品の踏絵を用い始めた時点で変質していったと指摘します。

為政者によってコピーされ、聖具としての魂の込められていない「道具」としての踏絵。それでも、連年九州各地(ここで薩摩や福岡、佐賀といった大藩や薩摩の属領を含む日向では行われていなかった点にも注目)、後に天領となった五箇荘にまで長崎代官所の役人を送り込んで行われる絵踏み。その行為は、前述のように長崎奉行所を軸に九州各地の藩や天領における住民に対する支配体制や法令順守の再確認の場であったことを示していきます。その結果、人別確認的な指向の強い非常に厳密に行われていた制度自体が、江戸後期になると藩によっては名誉的な名字帯刀を与えるのと同じような形で免除を与えたり、絵を踏む側の住民達にとっても、大勢が集まり、並んで絵踏みを待つ人を目当てにした屋台などが並ぶ「ハレの場」へと変容を遂げていた事を記録から認めていきます。

では、踏絵の本質であったキリシタンの詮索という目的が失われてしまったのか。此処で、著者は思いがけない見解を示します。禁教が続いてからも断続的に発覚した「崩れ」と呼ばれる潜伏キリシタン(この表現にしておきます)の発覚。しかしながら、江戸後期に至ると、発覚者自体を「キリシタン」とは認めず、別の理由を付けた処置を行う事になります。法制史が専門の著者の見解が存分に示される部分。天草崩れや浦上三番崩れ処置の過程から、為政者にとって「踏絵」を行っている以上、キリシタンは存在しないものという行政にとっての一貫性に対する誤謬を認める事は出来ず、類似した行為が発覚したとしても、それを「キリシタン」であると証明する手段が踏絵以外に存在しなければ、「キリシタン」ではない別の異端者である(この辺りは江戸時代の本山制度の理解も。処罰の対象は檀家寺側に)と定義づけられることになります。

隠れでもカクレでもない、もちろん(潜伏)でもない。そもそも「幕府が公認する」キリシタンではない。踏絵を踏み続け、先祖伝来の「異宗」を守り唱え続けた「心得違い」の者たち。

更には、天草崩れ発覚の経緯から、これらの前提がむしろ支配体制の弛緩をカクレキリシタン探索として幕府に暗示された先に発覚(島原藩が自ら長崎奉行に届け出る形に)した可能性すら匂わせていきます。本書でも述べられるように、余りの発覚者の多さに地域社会が崩壊することを懸念した長崎奉行を始めとした幕閣が敢えてカクレキリシタンとしての認定を回避したとも謂われる、江戸後期に起こった一連の崩れの処分(一方で、浦上四番崩れは自ら教会に駆け込みキリシタンであることを明確にしており、開国後の対外的な禁教維持の姿勢を示す必要性からも処罰に至ったと)。穿った見方をすれば、この本質の変容が、カクレキリシタンをしてカトリックとしての信仰継承性を有しないという一部にある論に対する、近世史からの暗喩にも思えてきます

その延長として、一部で喧伝される「出島のオランダ人も毎年踏絵を行った」という記述に対しても、その後のペリーによる回顧通り、唐人屋敷に集住する清から往来した貿易従事者達や漂流者(帰還した日本人を含む)と異なり、オランダ人には外交上の配慮から踏絵を課される事が無かったと改めて指摘します。

内政だけではなく、貿易や外交なども包括する時の政府(幕府)としての政策の一環であった、九州地方における絵踏という行為と、その継続性を示す道具である「踏絵」。

幕府のお膝元から遠く離れた地における支配体制の強化の一環とも捉えられるその制度の本質が変化していく過程を、行政としての「絵踏」から捉えた本作。表題にある「キリシタン」の部分は巻末の僅かな記述に留められていますが、その道具に秘められた歴史的な位置づけを史学として冷静に捉える。歴史と文化、其処に残された文物を学問的背景に基づいて綴る事をテーマにした本シリーズらしい一冊。

折角の機会ですので、豊富になってきたこれらのテーマを扱った書籍を手に取って、色々と読み比べてみるのも面白いかもしれませんね。

 

今月の読本「登録有形文化財」(佐滝剛弘 勁草書房)登録する事から始まる、地域と歴史を結ぶ文化財へ

今月の読本「登録有形文化財」(佐滝剛弘 勁草書房)登録する事から始まる、地域と歴史を結ぶ文化財へ

古民家ブームなどもあり、地域に残る古い建物などへの興味が高まる傾向にある昨今。そんな中で、立ち入りを規制して旧来の姿を維持し、本来の姿への復元を模索する物件がある一方、今も盛業中の施設であったり、大胆な改装で観光施設として、更にはカフェや物品販売のお店などへと転身を遂げる物件もあるようです。

同じ文化財なのに、何でこんなに扱いが違うのだろうかと首を捻った事がある方にお勧めしたい、単なる物件のガイドに留まらず、その多彩な姿を制度面や実際の利用面の双方からも教えてくれる一冊の紹介です。

登録有形文化財」(佐滝剛弘 勁草書房)のご紹介です。

著者は現在、京都光華女子大学の教授を務められていますが、本来は学術研究者や建築史を専攻された方ではありません。所謂、好事家と呼ばれる方の探究心が先鋭化した先にそのテーマを見出された方。本書のベースとなる、国内にある11000件以上(2017年現在)の登録有形文化財のうち、10000件近くを踏破されたという、正にマニア道を極めた先に綴られた一冊です。幼少時代、明治村に移築されてきた建築物に触れあったことが切っ掛けであったと述べる著者が踏破した中で好奇心を持った、登録有形文化財の面白ガイドにも見えてしまいますが、現在の著者の立場は「プロの」コンサルタントにして研究者。その矜持が本書の位置付けをより本質を捉える事に着目する筆致を採らせる事に繋がっています。

冒頭で述べられる、ある登録有形文化財の登録記念式典に同席した時の記録。僅かな記述なのですが、その中に著者が願う「登録有形文化財」という制度の姿を完璧に織り込んでいます。

国宝や重要文化財、地方自治体の側から行われる文化財の「指定」と、所有者や登録を働きかけた人々、団体からの申請に対して審査を行う「登録」という、制度の根幹から異なる点を指摘する事から始まる本書。そのため、登録される文化財は、あくまでも能動的に所有者や後押しをする人々の協力なくしては登録され得ない事を明示します。逆に捉えると、補助金制度と同じで、行政システムを熟知している自治体や団体にとっては極めて有利な制度(税制的な優遇措置もあります)であるために、その登録される物件や地域には著しい遍在性が認められることを著者は指摘します(おわりにでは敢えて苦言を呈していらっしゃいます)。

そのような中で、様々な立場の人々の協力を受けながら登録に至った物件たち。この制度の大きな特徴でもある、現住者への規制が指定文化財に対して緩やかであり、著しい外観の変更を伴わなければ内部構造の改変を認める(費用面の負担は別、逆に外観の改修にはインバウンドへの効果を狙った補助が出るようになったと)という、柔軟な制度運用。旧来の文化財としての固定的な維持、管理を目的とした制度から、保存を前提としながらも、活用される事で維持に繋げる制度である点を明確に示していきます。

そして、登録に至るために必要となるハードル。制作されてから50年以上が経過しているという前提条件は等しく同じなのですが、それに付随する部分は登録された文化財ごとに大きく異なります。全てで11000件以上もある登録有形文化財、本書にはその中から著者が選び抜いた文化財がテーマごとに掲載されていますが、何れの物件にももう一つの共通する部分があるようです。日本遺産と言う、これまたインバウンドを狙った登録制度がありますが、こちらの選定過程でも審査を行う文化庁サイドから述べられる「ストーリー性」。建築された経緯や、設計者、時代背景はもとより、現在の物件を維持されている方々がそれぞれに背負っている物語、歴史的経緯への配慮を前提に置くべきである事を伝えようとしていきます。

第二部で13のセクションに分けて綴られるテーマ毎の登録有形文化財の紹介。明治維新以降の海外からやって来た建築家とその系譜を建築物から辿るという建築史的な記述も当然述べられますが、著者の主軸は別の点に置かれているようです。建築史的な枠組みを超えて、利用者や目的別であったり、当時の産業に密着している物件(著者には富岡製糸場を始め、製糸産業に関する多数の著作があります)について、その背景となる物語が寄り添っている事を明確に示す事。その結果、特異な構造物である凱旋門やラジオ搭から戦中の掩体壕、明治維新以降に整備された神社と廃仏毀釈と大火を乗り越えようと開港地に移った大本山に新宗教の教殿、大観光地となった日光を紹介した外国人たちが造った別邸からその地を守る砂防堰堤群まで。著名人や個人の住宅を語る際と同じ視線で、それらの物件の背景にある物語へ等しく眼差しを向けていく事になります。

その中でも力を入れて紹介されているのが、明治以降の産業遺産に繋がる施設達。発電や鉄道と言ったインフラはもちろん、造り酒屋や醤油と言った伝統的な醸造業、特に著者の専門分野である製糸は、特異な建築様式で知られる養蚕農家の母屋から工業化された姿である製糸工場の建築群、更には当時の貿易の花形であったことを示す、海外からの顧客をもてなすために建てられた迎賓館まで。それらが一群として残っている事の意義を語りながら紹介を続けます。造られてからの年数が50年以上で、しかも文化財として「指定」されていない、今も変化を続ける物件にのみ与えられる登録有形文化財と言うシステムを象徴する産業遺産たち。それらは著者のテーマである地域の為に活用される文化財へとの想いに繋がっていきます。

ややもするとインバウンドにばかり目が行きがちですが、著者はそのような流れの遥か以前から地域と文化財というテーマを抱きながら全国の施設、物件を探訪し続けた方(全国の郵便局を廻った記録を綴った作品が出世作でしょうか)。日本が近代化と産業化の中で大きく変わり続けた中で残された、生活に密着していたそれらの文化財が、地域を結びつけるストーリーを宿したアイデンティティとして、新しい絆を結ぶ結節点として活用されて欲しいと願い、積極的な活動を続ける中で綴られた本書は、著者の身近な文化財とそれぞれの地域への想いが詰まった一冊。

万を超える膨大な物件は今も変わり続け、中には惜しくも解体、指定解除となってしまう例も散見されるようですが、地域のランドマークとして、その想いを伝える場所として、末永く活用される事を願って。

今月の読本「奇妙な孤島の物語(原題:ATLAS OF REMOTE ISLANDS)」(ユーディット・シャランスキー:著 鈴木仁子:訳 河出書房新社)地図の片隅で波間に揺れる、人が刻んだ白昼夢の欠片

今月の読本「奇妙な孤島の物語(原題:ATLAS OF REMOTE ISLANDS)」(ユーディット・シャランスキー:著 鈴木仁子:訳 河出書房新社)地図の片隅で波間に揺れる、人が刻んだ白昼夢の欠片

余りにも不思議な本。

本書と同じフォーマットを持つ、同じ版元の新刊「呪われた土地の物語」と多分一緒に本屋さんに入ってきた、2016年刊行のこの一冊。綺麗な水色の装丁に誘われてページを開き始めると…、読者は見知らぬ物語へといきなり旅立たされることになります。

今回ご紹介するのは「奇妙な孤島の物語(原題:ATLAS OF REMOTE ISLANDS)」(ユーディット・シャランスキー:著 鈴木仁子:訳 河出書房新社)です。

まず、2009年にドイツで原書が刊行された本書を、フランスの書籍見本市で発掘して日本語訳を与えて刊行するという、殆ど蛮勇ともいえる英断を下した版元さんと編集者さん(あとがきで訳者の方が紹介しています)に深い敬意を表します。このようなマイナーを超越した、それもとびっきりに不思議な内容の一冊。部数が出るとは到底思えませんが、本書の刊行1年前に送り出した「秘島図鑑」が余程好調だったのでしょうか、「何故か」出てしまったと評したくなる一冊です。

但し、本書は前述の書籍とは全くフォーマットが異なります。世界の秘境の果てとも言える絶海の孤島の概要をお手軽に紹介するガイドブックや孤島の写真集、wikiまがいのトリビア本だと思って本書を手に取ると、瞬時に振り落とされます。また、地理好き、地図好きの方にとっては、ページの左側に描かれた、ドットパータンで陰影が描かれ、人が刻み込んだ跡を蛍光オレンジの眩しい色で記す地図に興味を持たれるかもしれませんが、右のページに綴られる文章には一貫した記述もなく、その内容には首を傾げっぱなしになるかもしれません(嗚呼、これをにやけながら読んでいる私はどうしようもない人間かも…)。

地理の本でも歴史の本でもない、もちろん旅行ガイド(そもそも「冒険家」でも辿り着けるかどうかすら怪しい島も数多)な訳もありません。更に言えば、日本語の副題にあるように、著者はこれらの島に一カ所も訪れた事が無く、今後も多分訪れないであろうと表明されています。

旧東ドイツ生まれのブックデザイナーが手掛けたこの一冊。冒頭のはじめにと、巻末の訳者あとがきには、流石に内容を気にされたのか、どちらも細々とその経緯が書かれていますが、更には文学かもしれないなど言い出す始末。その内容に振り回されるといたずらに混乱を招くだけで、多くの方には依然としてその経緯も筆致も、意図すらも判然としないかもしれません。

地図に惚れ込んでしまったデザイナーでもある著者がその片隅に描かれた、巨大な地球儀の中にポツンと描かれた離島を見た時のインスピレーション。そのインスピレーションのままに、一つの島に一つのストーリーを捧げて描く本書。

発見し、訪れ、領土とした人々の複数の言語で示される島の名前や、山や川、岬の名前。各島から三方位で示される近隣の島/大陸までの距離と、人が辿った跡を示す月日を示す線表。

ドライでシンプルすぎる程の表記ですが、左のページに描かれる海を示す水色と点描による陰影、そして蛍光オレンジと言う僅か3色で示す、絶海の孤島を印象付ける絶望的な程の寒々しさがデザインからも確かに伝わってくるその構成に、ページを開く毎に戦慄が走ります。

そして、右のページに描かれる、各島に添ったストーリーには一貫性はありませんが、一つだけはっきりしている事があります。そこに「人が居たらしいという事」。もはや無人島になってしまった島も、元々無人島だった島も、多くの人がひしめき合う島も、独り取り残されてしまった島も。ユートピアと称される島も、人の手で住めない場所に仕向けてしまった島も。全ては「人がなし得た物語」が添えられていきます。

人なしでは地図は生まれず、人が辿り着いた証として地図が描かれ、地名が付され、道が切り開かれ、住み、そして去る。地図が描かれるという行為自体、人のみが為し得る事である本質を、地図の片隅にそっと添えられる離島に見出した著者は、その愛おしい程の場所にそっと付された物語へと視線を向けていきます。その著述の裏側にある膨大なバックグラウンドとしての物語の中で、著者の意図が敢えてそうしたのか、はたまた偶然か。ページをめくる度に、左のページの寒々しい孤島の地図に呼応するように、絶海の孤島への悲壮な旅路を思わせるように、寒々しい余韻を残す物語ばかりが綴られていきます。

著者のインスピレーションによって選び取られた絶海の孤島、最果ての地図に添えられた人々の物語。その物語は本当に起きた事なのか、単なる絵空事なのか。その姿を見たものは、その物語を伝えたのは、僅かにかの地に「辿り着いたはず」の人々だけ。著者が地図の片隅から掬い上げた、波間の向こうに見え隠れする島影のように、波濤に消える白昼夢のように、浮かんでは消えていく物語。

波間に揺れるその島影に何が見えましたか。

 

今月の読本「後醍醐天皇」(兵頭裕己 岩波新書)国文学で読み解く、描かれた物語が生み出す源泉

今月の読本「後醍醐天皇」(兵頭裕己 岩波新書)国文学で読み解く、描かれた物語が生み出す源泉

最近盛り上がりに盛り上がっている室町時代を扱った書籍達。その絶大な効果を看過出来なかったとばかりに、立て続けの新刊リリースに某社さんと入れ替わるようなSNSでの宣伝に力を入れ始めた歴史専門出版社さんや、某国営放送まで一枚噛んで来るとなると、もはやブームと言える状況にまで至ってしまったようです。

そんな中で、老舗中の老舗と呼べる新書シリーズが送り出してきた一冊。こちらもブームの便乗かと思って読まれると、ちょっと足元をすくわれるかもしれません。

今回は「後醍醐天皇」(兵頭裕己 岩波新書)をご紹介します。

前述のようにブームが続く室町時代とその直前である鎌倉末から南北朝にかけての時代を扱った書籍たち。そんな中で乱発される一冊であればもう辟易という想いもあって、本屋さんで見かけたものの暫くの間は手に取る気にもならないというのが偽らざる思いでした。しかしながら著者を改めて見てふと思い出したのです。1996年度のサントリー学芸賞を受賞した「太平記<よみ>の可能性」(現在は講談社学術文庫に収蔵されています)の著者ではないかと。大胆な切り口で太平記という、語り、読み継がれた読物が歴史の中で営々と与え続けたインパクトを現代にまでテーマの羽を広げるその著述には恐ろしさすら感じたものですが、展開されるスケールの幅広さと内容は実に魅力的でした。

今回の一冊も、10余年を費やして手掛けた、同じ版元から先年刊行された、著者のメインテーマである「太平記」の校注完了を承けての著作。その間に太平記と向き合い、語り合い続けてきた中で改めて見つめ直した、描かれた物語と急速に深化する中世史の研究成果を重ね合わせる事で、近年「異形の王権」と称され脚光を浴びた後醍醐帝の姿を見つめ直していきます。

従って、本書に近年の文献、実証史学を中核に置いた史料批判に基づく著作にある、旧来の説を思想面を含めて論破していく筆致、理論で押していく圧倒感(読者が仮託する一種の爽快感)を求めると、大きな失望を感じられるかもしれません。特に、本書はあからさまに時代背景に歴史著述が変容する姿を是認する立場、むしろその変容を文学者として思想史的に捉え、援用の起点としての太平記の位置付けを読み取っていく立場を採って描いていきますので、相容れない内容と言えるかもしれません。

あとがきにあるように、敢えて自らを「日本文学」研究者だと任じて綴られる本書。そのため、本書では通史として後醍醐帝の伝記を描く体裁を一応は採っていますが、その実は著者が捉えたいと考えるテーマ、「太平記」に描かれた後醍醐帝とその描かれ方が、現代に至るまでどのような影響を与えてきたのかを軸に綴っていきます。

中軸となる建武の新政に至る道筋は、本質的には当時の京、御所の中で流行したとする、宋学(朱子学)をベースにした王権の復興を目指した点では衆目の一致する所かと思いますし、楠木正成(著者は「楠」一文字論を本書でも展開します)や、所謂無礼講への繋がりから、「異形の王権」論的な指向が底辺にはあった事を認めます。しかしながら、それは勤皇ではなく、花園天皇宸記を援用しつつ、朱子学を中心とした宋学の勃興と受容による、儒教による思想、絶対王政と中央集権による新政としての王権改革の一環であったと定義づけていきます。その結果は、家職制度が完成期に達した当時におけるヒエラルキーの破壊を生む事になり、ある種の破壊者として建武の新政と後醍醐帝が長く位置付けられる起因となった事を、当時の公家たちの記録から拾っていきます(この辺りの傍証とその視点を徒然草からも拾う皮肉の利かせ方は、著者ならではといえるでしょうか)。その一方で、厳しい天皇位継承の経緯から、如何なる状態でも自らを正当な王権の継承者として振る舞い続けた態度に万世一系が仮託されるという奇妙な捻じれを生んだ源泉が、伝統的な王権、文化の継承ではなく、実に外来の思想である宋学への希求に基づくという視点を見出していきます。更には、文寛と立川流の呪詛にのめり込んでいった象徴を有名な後醍醐天皇像に結び付けていく議論に対しては、南都の戒律復興以降に繋がる、旧来の宗派に囚われない活動の出来るの真言律の勧進聖として文寛の姿に着目します。その結果、後醍醐天皇像が聖徳太子へのオマージュとして描かせた物であるという見解に同意を示し、正に後醍醐帝が仏法すべてを具えた王権を目指していた事を改めて示していきます。著者はその延長として、数多の議論がなされていく太平記成立の事情とその著者の姿を、彼ら真言律僧に繋がる者達による原典の著述と、それに反目した三宝院賢俊や直義以降による改筆による、正史として変容していく過程から見極めようとしていきます。

宋学と律宗の復興といった新進の気風の上に建武の新政の思想的な支柱を見出していくという、鎌倉新仏教という表現に委ねられた時代の新規性とその伸展とも見える、少し前のイメージで綴られる著者の視点を提示した上で描かれる本書の後半。実は討幕以降の展開について、本書では後醍醐帝自身の治績や記録は殆ど語られなくなり、通史的な記述も縮小され、個別の細かいテーマに対する言及へと移っていきます。

前著に続いて著者が述べる太平記が与えた歴史的な影響。それは「太平記<よみ>」と述べた、数多にその内容が語り継がれ読み継がれて流布する中で史実を離れ、聞いた、手にした人々の恣意を加えながら思想や自らの存在意義を求める源泉へと転じていく姿を後の歴史の中に辿っていきます。

江戸期以降の思想に太平記が与えた影響が水戸学や国学を揺り動かし、宋学の根底にある朱子学、特に孟子の影響も多分に含まれる、婆娑羅や無礼講と言う君臣の交わり方が捻り込まれて、名分論、四民平等から、国民国家という当時の世界的な潮流に合わせる形で臣民へと継ぎ替えられていった点を指摘します。その上で、明治以降にこれらの風潮の中で発生したとする南朝正統史観にしても、新田氏を祖に持つと出自を潤色した徳川将軍家にとって、光圀の時代に於いても既に違和感のない認識であった(故に北朝以降は武家の為に存在したと断じた白石の議論も、儒者の視点では放伐と君臣を論じる点では齟齬を生じえない事に)と看破します。

この辺りの内容になって来ますと、もはや後醍醐帝の話とは全く異なってきますし、事実、本書は冒頭から末尾まで、表題には掲げつつも人物としての後醍醐帝を綴る事を意図的に避けている印象すらあります。

国文学者としての矜持に基づいて、史実を踏まえた上で太平記を読みこなした先に見える、後醍醐帝がその後の歴史の中でどのように捉えられてきたのかを現代の歴史研究への影響まで言及しつつ綴る本書。前述のように、後醍醐帝自体の治績や鎌倉末から南北朝期に掛けての通史としての流れを読みたい方にはあまりお勧めできませんが、今も数多の議論の中心に位置する「物語」が発し続ける影響の強さを感じてみたいと考えられる方には、未だ刺激的な著者の論考へのエッセンスを感じさせる一冊。

全巻刊行を成し遂げた著者の手による「太平記」校注を横に置きながら、平家物語と並び称さされる、軍記としての日本文学の頂点に位置付けられる物語へ込められた、読み解き続けられる想いを垣間見るのも楽しいかもしれません。

今月の読本「江戸の科学者」(新戸雅章 平凡社新書)江戸の科学技術を育んだ技巧者ネットワーク列伝

今月の読本「江戸の科学者」(新戸雅章 平凡社新書)江戸の科学技術を育んだ技巧者ネットワーク列伝

実質的には長く鎖国状態にあった江戸時代の日本。それにもかかわらず、幕府も各藩も、更には民衆ですらも開国後の急速な海外から流入する言語や文化、道具や技術に柔軟に対応したように見えます。享保の改革以降に禁書政策が弛められた成果が大きい事には論を待ちませんが、それらの書籍を使いこなし、実際に自らの力に変えていった多くの人々によって、その素地が培われていたはずです。

今回ご紹介するのは、珍しい切り口でその伏流の一端を伝記として語る一冊「江戸の科学者」(新戸雅章 平凡社新書)です。

まず、著者の珍しい経歴に驚かされます。ニコラ・テスラ(エジソンと直流/交流送電で争った人物、磁束密度の単位Tの元になった)の日本における顕彰活動を続けている方、およそ本書の執筆内容と異なるような感覚もありますが、時代背景的には同じ産業革命から近代工業が勃興する時代に生きた人物。チャールズ・バベッジ(階差機関の発明者)を扱った著作もある、近代初頭の工業技術に関して、造詣が深い方です。魅惑の付録が発売の度に大きなおともだちの心(とお財布)を鷲掴みにするシリーズのWeb版、学研が主宰する「大人の科学.net」に連載した記事に、登場人物を大幅に増やして書籍化した一冊。その人物選定には、前述の経歴がいかんなく発揮されています。

  • 関孝和
  • 平賀源内
  • 司馬江漢
  • 志筑忠雄
  • 橋本宗吉
  • 高橋至時
  • 国友一貫斎
  • 宇田川榕菴
  • 田中久重
  • 緒方洪庵
  • 川本幸民

出生年別に並べてみましたが(冒頭に年譜が付いています)、知らない人ばかりで、なんで有名なこの人が居ないのと首をかしげる方が多いのではないでしょうか。一方で、著者の略歴を踏まえ、その連載元のテーマをご存知の方であれば、納得の人選がラインナップされています。

その選定には学者や文人というより、むしろ技巧派揃いの職人列伝といった雰囲気が濃厚に漂います。内容のほうも人物伝と言うより「学研 おとな偉人伝」といった筆致で綴られており、時折称揚が過ぎたり、筆が上ずり気味なくらいにのめり込んで綴られる内容に、少し微笑ましくなってしまう事もあります。特に田中久重、国友一貫斎といった技巧派(からくり師)を扱った部分は特にそのような感触が強いですし、平賀源内や司馬江漢に対する技巧者を越えて先取りしすぎたプロモーター的な人物への強い情景、橋本宗吉の紹介に至っては、完全に著者によるオマージュで綴られます)。

個々の人物像に惚れ込んでいないとなかなか描けない熱のこもった筆致。それ故に、要所では突っ込んだ内容も描かれますが、全体としては読物風な内容に留まる点は致し方なところもありますし、表題だけを見て手に取られた方にはその人物選定を含めて物足りなさが感じられるかもしれません。

しかしながら、本書を通して読んでいくとある点に気が付かれるはずです。本文中ではテーマごとに並べられていますが、時代ごとに彼らを並べ、その書かれている内容、繋いできた知識、著作、人物関係を俯瞰していくと、幕末から明治に至るまで、綺麗に彼らの系譜が繋がっていく事になります。登場する彼ら一人一人が直接的に出逢っていた訳ではありません。現代より遥かに交通事情が悪く、情報伝達や出版事情に至っては雲泥の差があった江戸時代。僅かな伝手や人と人を繋ぐネットワーク、表現が良くないかもしれませんが「徒弟制度、学閥、閨閥」といった人の繋がりの中で脈々と受け継がれてきた技術や知識が、当時の学問的共通基盤、儒学をベースに普く彼らの中で行き渡っていった先に、明治以降の海外からの文化、技術の受け皿としての素養が育まれていた事がはっきりと判るかと思います。

彼らが活躍する源泉となる情報と文物のネットワークを構築し、先進的な思考を伝えるプロモーターとしての役割を果たした源内と、そのネットワークに学問と言う重み付を与えて、現代の大学制度に至る教育を通して技術者を生み出す基盤を作り上げた洪庵。その中を埋めていく、特異な技量と旺盛な好奇心、不断の努力で技術水準を上げていった江漢、宗吉、一貫斎、久重。学問的な素地を高めて、鎖国や言語と言ったハンデを乗り越える足場を築き上げていった孝和、忠雄、至時、榕菴。そして、現代の科学技術への橋渡し役を務めた幸民。

江戸時代を通じた、彼らが培った技術とネットワークの蓄積に思いを馳せるとき、どんな情報でも瞬時に集められる現代の我々が見失ってしまった本当の価値が見えて来る。本書の元となった「大人の科学」シリーズが標榜するテーマとも交差する、その原点を見つめ直す一冊です。

 

今月の読本「白神山地マタギ伝」(根深誠 ヤマケイ文庫)変わり続ける自然遺産の中を生きる過去と今を結ぶ一頁

今月の読本「白神山地マタギ伝」(根深誠 ヤマケイ文庫)変わり続ける自然遺産の中を生きる過去と今を結ぶ一頁

日本における世界自然遺産登録の先駆となった白神山地。そこは古くから山を生活の糧として生きてきた「マタギ」と呼ばれる人々が暮らす場所でもありました。

白神山地の北側、青森県の目屋に暮らしていたマタギ、故・鈴木忠勝氏は最後の伝承マタギとも称されますが、彼を死の直前まで取材し続けた、同じ弘前に生まれたアルピニストの著者による一冊の本がこの度、文庫に収蔵されて広く刊行されることになりました。

今回ご紹介するのは「白神山地マタギ伝」(根深誠 ヤマケイ文庫)です。略歴をご覧頂ければ分かりますように、著者は著名なアルピニストにして白神山地の自然保護運動の先頭に立って活躍された方。数多くの山岳関係の著作も有されています。

その中で今回、この作品が文庫化されたのは、ちょっとしたブームになっている山の伝承や怪異関係の本でヒットを飛ばした版元さん方針の一環だったのかもしれません。本書にもそのような物語が数多く語られていますし、特に白神山地の秋田側で聞き伝えられた内容については前述のシリーズとなる一作「マタギ奇談」と直接内容が重複する部分も含まれます。

では、本書がそのような「マタギ」の伝承を守り続けた方が炉端で語るような物語が淡々と綴られているのかといいますと、かなり様相が異なります。氏と同じ津軽出身者で、山歩きを熟知した著者に通じる思いがあったのでしょうか、著者の弁によると、兄弟や息子(マタギではありません)にすら語らなかったと称する、今は完全に失われた、山での生活や猟の姿を語る言葉を克明に汲み取っていきますが、本書のもう半分はそれとは異なる思いが綴られていきます。

全国的に見ても極めて稀な、2度にわたるダム水没に直面した地元の姿に対して、暗側面を突くルポルタージュが綴られる冒頭。マタギの伝承物語が始まるであろうと思う読者のややもすればファンタジーな想いを即座に挫くような内容から始まる本書ですが、表題と写真から手に取った、マタギ達に伝えられてきた山で暮らす人々の姿を彼らの言葉で語られると考えていた読者に対して、著者の経歴は単純にはそれを許さず、随所にこのような切り口の筆致を加えていきます。特に本書の冒頭と後半は、その表題とは異なる、別の一冊にも思えるほどに著者の白神山地そして、地元の山々やそこに暮らす人々への表裏を併せた想いを綴ります。

自然保護活動の先にやって来た、山での生活自体を否定する、保護という名のもとに行われる入山規制と彼らが残してきた山での暮らしの痕跡、杣小屋の消滅。「マタギ奇談」においても最後で語られる内容と同じことが、かの地を歩き慣れた著者によってより克明に、実態感を以て描かれていきます。山で暮らす人々が行き交うことで維持されてきた杣道の脇に立つ木々に刻まれた、自らが歩いた跡を示す痕跡。当たり前のように語られる、魚止めの滝の上流に彼らによって放たれ、その場所を新たな生きる場所として代を重ねて育まれ続けるイワナたち。山と麓の人々を繋ぎ現金収入の糧ともなった、正に「山師」たちと鉱山の存在を菅江真澄の踏破した足取と事績に乗せて綴る。メインのテーマになるであろう、クマを狩り、山に生きる姿自体にも、現在の我々が考える「狩猟」「ハンター」とは全く別の世界、流儀の中に生きていたと述べていきます。

ここで、著者は現在の「マタギ」という言葉自体への疑問を投げかけていきますが、本書で語られる鈴木忠勝氏自身も一時期サハリンに出稼ぎに出ており、著者はマタギの世界に入ったと綴る熊撃ちも、本来であれば父親のように何れかのマタギに弟子入りして伝えられるものを、自ら覚えたとされています。そのような意味では、本書で語られる彼自身の生き様も、刻々と変わっていく時代の中の一ページであり、著者が訴えかけ、帯に冠される「伝承マタギ」とはまた別の姿なのかもしれません。

白神山地を愛し、守ることに情熱を傾け続ける著者による、最後のマタギが残した言葉を借りて綴られる、奥深い奥羽の山々に生きる人の記憶を、そのままの形で今に繋げようと願う一冊。その想いと現実を伝える事は決して簡単な事ではないかもしれませんが、本書を手に取られる方にとって、さまざまに伝えられる自然遺産と其処に暮らす人々の姿に、もう一つの見方を与えてくれる一冊です。