今月の読本『平安京はいらなかった』(桃崎有一郎 吉川弘文館)プライドをかなぐり捨てた「張りぼての首都」が演じる未来

今月の読本『平安京はいらなかった』(桃崎有一郎 吉川弘文館)プライドをかなぐり捨てた「張りぼての首都」が演じる未来

海外から到着した大使が最初に向かう儀式。その人物を大使として認めてもらうために、本国から与えられた信任状を着任した国家の元首に手渡して、自らを大使として承認してもらう事。このような手続きは意外な事に、時代を越えて、洋の東西を問わず似たような形式が用いられれるようです。

そして、現在の日本に於いては、東京駅に差し向けられた迎えの車両に乗って皇居に向かうのですが、この際に新任の大使には二つの選択肢が用意されます。車による送迎と、何ともクラシカルな馬車による送迎。

世界的にも珍しい、馬車による大使の送迎を行うルートとなる東京駅から皇居までの道路。馬車が通過する際には交通規制もされているため、その広々とした空間を粛々と馬車が進むシーンをTV等でもご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、接受国、特に王国を名乗る立憲君主政体を採る国にとっては君主の威信が試されるシーン。もちろん奉呈する側となる大使にも自国の威信がかかっている事に変わりはありません。

そんなドライでスピードが問われる世界とは隔絶したような外交官の交換が行われるのは決まって首都たる場所。現在の東京が首都かどうかはさておき(この話を始めると、京都の方に睨まれるので)、歴史的には長きに渡って京都、その前身であった平安京がその役割と務めてきたことになります。今回ご紹介するのは、そんな外交の舞台となる平安京のからくりからの脱却と再生産こそが京都の街を生んだという刺激的な論考を引っ提げての一冊です。

今月の読本、何時も新刊を楽しみにしている、吉川弘文館さんの歴史文化ライブラリーより、夏休みになって漸く入手が出来た『平安京はいらなかった』(桃崎有一郎)のご紹介です(地方の悲しさ、最近、更に入手難に陥っています)。

まず、著者の略歴から本書の興味深い立ち位置が伺えます。鍋島武士の気風を語る佐賀に由来を持ち、東京に生まれ、東京の大学で文学を修めて中世史の研究に踏み出した著者の奉職先は京都の立命館大学(現在は東京の大学に在籍されています)。全くのアウターがその際に務めた京都学の講義ノートから再構成された本書は、これまでであれば京都に思い入れの深い著者の方が連なる京都学の論考や著作とは、同じ結論でも全く異なる立ち位置から描いていきます。

描かれるストーリーについては、ある程度日本史にご興味のある方なら充分に把握されている内容かと思います。多くの先行する研究者の検討内容を引用する形(著者自身は中世史の研究者ですから当然として)で進める古代王朝の宮城が固定化されていく段階の先に構築された平安京。著者は藤原京から長岡京までの期間に摂津職が維持されていた事から、難波宮が継続的に必要とされた点に触れて、所謂大陸からの律令制の仮借自体が軍事的緊張の切迫感からもたらされた物であり、その目的を果たすための大和周辺に根拠を張る豪族たちの集住と、外交的威信道具としての接受機能の統合を、長岡京を反面教師として最終的には平安京への集約と水路を用いた大阪湾への接続によって成立させようとしたと見做していきます。

奈良盆地から離れ、海路との接続を確保する事で地理的な決着を付けた平安京。では、外交の威信道具としての首都、平安京はどうだったのでしょうか。既に多くの先行する研究者が指摘するように、平安京は未完であった点については議論の余地はないようですが、著者は更に一歩踏み込んだ理解を示していきます。それは余りにも巨大な朱雀大路の幅と、大路に向けてひたすらに築地塀が続く異様な外観、門しかなかった羅生門(羅城であるべきだが、正面以外にろくな壁すらない)。そこで行われた儀式の最後の名残ともいえる祇園祭の山鉾が、狭く格子に組まれた今の京都の街路で、その通行場所だけ広がる情景を見た時、著者の中で一気にイメージが再構成されていきます。もはや来るはずもない大陸からの外交使節に見せ付け、同じように大陸から採り入れた官僚組織、儀式体系を執り行う場所を作り上げることすら出来ずに終わった、律令制という、小さな国土には不相応なロジックを体系的に見せるための、張りぼての巨大劇場、首都の残骸。

何だか、某国を思い出してしまいますが、著者はその証明として、様々な議論のある平安京の完成スケールの検討を改めて行い、特に右京については殆ど手つかずのままであった点を再度明確にしていきます。古代王朝が生み出した数々の巨大建築や土木施設の掉尾を飾る平安京にして、結果的にはその理想に国力が全く追い付いていなかったことを、長安城との比較や、当時の東北への軍事的侵攻と撤退との対比から示していきます。

此処で著者の視点がユニークなのが、未完成のまま目的を喪失し、利用効率も低いこの首都、平安京がどのように変わっていったのかを、都市構造自体の変化で示すと共に、為政者たちの行動から、本音を引き出そうとする点です。あくまでも朱雀大路の規模を維持しようとする一方で、右京の再開発を放棄して、その門の礎石を自らの寺院へ転用しようとする道長。右京の開発が進まない中で、初期の段階から北へと領域を広げる内裏(土御門の読み解き、初めて知りました。関東人なので、この辺がダメダメです)。北東から鴨川沿いに再開発が進む左京と、進出する治天。左京を中心に上下に再構築される街区と、其処から距離を置いて展開した職人街。平安京の利用形態の変化と、幾度も炎上する内裏にその都度修復するも戻ろうとしない歴代天皇の動きを重ねて、律令国家から王朝国家への質的変遷を見出そうとしてきます。そこには、摂関を始め、当時の為政者たちが外交的負担から解き放たれて(放棄して)内向きに向かって縮小再生産を行ったとする見方に対してさらに強烈な、中央集権的な律令制などは大陸の王朝に対して1/10程の規模、国力しかないこの島国には全くオーバースペックであり、元々その程度の行政規模しかなかったのだという、辛口な見解を示していきます。いきなり大胆に斬り込んできますが、この辺りの時代になると著者の専門分野に近づいていく時代となるため、その筆致は切れ味が鋭くなっていきます。更には、財政としても(箱モノや遠征をしなければ)破たんしておらず、受領による収奪が維持されていた間は、その収受先たる行政機関は形骸化しても、それに代わる受領による貢納と荘園からの収納機能が働いており、財政運営上の問題はあまり顕著ではなかったと見做していきます。その証拠として、その後の巨大な法勝寺九重塔の建築と一連の白河殿の再開発を指摘し、律令制から、よりコンパクトで機動的な王家の家長たる治天が、摂関の補助を受けながら主宰する王朝国家への脱却を図ったモニュメントだとしていきます。そして、このストーリーの延長に位置する信西による大内裏の再構築。そこには、既に天皇の居住空間としての内裏の意義は喪失しており(それでも最初に構築されたのは、信西の理想主義がそうさせたのでしょうか)、その再築範囲を検証した結果、あくまでも天皇の視点と、朱雀門から見上げる者にとっての視点、すなわち、対外的な視点を失ってもなお残存していく、天皇制というシステム再確認の舞台劇たる大嘗祭を行うためだけの舞台道具が揃えられたに過ぎないと看破していきます(ここで、大極殿より先に大垣が築かれた事に対する解釈を「廃墟と工事現場の目隠し」と一刀両断で斬り伏せてしまいます)。

その上で、現在の京都に繋がる、王朝国家衰亡の原因を、武家の伸張、特に知行国主制によって、受領による収奪機構を武家に徐々に割り与えた事による絶対的な収納不足と、地頭の設置による領家への武士の進出による荘園利得の収奪、最終的には承久の乱によって決定的に自己統制力を失墜させた王朝国家から武家への、都たる京都における主役の交代であると観ていきます。

古代国家が在りもしなかった、来る事もない相手(渤海は逆に想定外と)への威信を賭けて築いた巨大な劇場の重い負担を取り去ったまでは良かったのですが、自らの制御力を失ったことで、肝心な駆動力や舞台装置までも失うことになった中世の京都。再建されなくなった大内裏と、馬場や戦場とされてしまった内野。代わりに登場した武家政権で最初に京都における頂点に立った足利義満が築いたのが奇しくも法勝寺九重塔を上回る七重塔であった事を(それも北山に再築まで)指摘した上で、彼に与えられた現在の御所の規模が、その残された儀礼の舞台装置として漸く適正な規模に収まった(南北朝分断時代には半町だった規模を一町分にまで広げてもらったと)と冷淡に語る、中世史の研究者たる著者。

そして、大内裏の場所を維持する間、例え住むべき主が内裏を放り出して居心地の良い里内裏に住まう間も決して止めなかった、「首都たる儀礼空間の舞台、朱雀大路」を維持しようとするスタンス。例え住む人々に占拠され、築地塀には穴を空けられ、牧場や農地に変えられようとも維持しようとした、古代王朝最後の意地たる、横幅だけで一般国道25車線分にも渡る巨大街路の本質こそが、劇場都市たる古代宮城にもう一つ添えられた、アジアの小中華としての形式だけを仮借した内に本質的に備え続けた、祭祀としての空間。

既にその祭祀を催した主が立ち去った現在。その街路を率先して破壊したのちの住民たちによって今も受け継がれている、京都を代表するお祭りである祇園祭や巡行ルートに、しっかりとその街並みと古代王朝が残していった祭祀の片鱗が伝えられている事を暗示していきます。その上で、劇場都市としての平安京、京都の生命力は今も保ちづけていると締められてしまうと、もはや皮肉にすら見えてきます。

首都としての役割、存在の変遷を考える際に非常に興味深い論考に溢れれる一冊は、同じような成立要件を現代に用いたキャンベラやブラジリアの姿を想起する際にも極めて示唆を与える一方、昨今両方面から盛んに論じられる京都、奈良への恒久的な皇族の滞在施設を熱望される論調(院庁ですかい…)に対しても、その成立過程や「首都」の存在理由に対する議論を語りかける一冊。

かなり刺激的な筆致なため(どうしても気になってしまうのですが、私と同年代や、より若い著者の年代に位置する日本史研究者が書かれる一般向け著書には、往々にして「刺激的な議論と、持論を述べる前に先行の研究者に対して異を唱える事が必定(本書は異なりますが、研究史論に拘る点も)」という、変な拘りのようなものが行間から感じられるのです)、読者を選ぶ要素が大きいかもしれませんが、枠組みに囚われない議論を楽しいと感じられる方には、京都をテーマとした通史としても楽しく読む事が出来る一冊。本シリーズらしい、歴史研究としての視点を踏まえた、好奇心を呼ぶ新しいテーマを切り開いていく着目点は、多くの研究者の皆様の活躍によって、まだまだ広がっていくようです。

 

今月の読本「食品サンプルの誕生」(野瀬泰申 ちくま文庫)そのアイコン化の華を生んだ日本人の感性

今月の読本「食品サンプルの誕生」(野瀬泰申 ちくま文庫)そのアイコン化の華を生んだ日本人の感性

最近は大分減ってしまいましたが、食堂やレストランの店先を賑やかに飾っていた食品サンプルの数々。今や食玩や河童橋のおみやげとしてのアクセサリーの方が有名になってしまっているかもしれませんが、バブル崩壊前後の頃は、ごくごく当たり前に街中のワンシーンとして溶け込んでいた懐かしいその姿を追った、本邦初とも言われる、食品サンプル誕生と発展の物語を語る一冊が、この度、文庫化されました。

収蔵されたレーベルは、居酒屋文化に関する多くの著作を収蔵する、ちくま文庫。流石だなぁと思いつつ、さっそく手に取って読んでみました。

今月の読本、7月ラストの一冊は「食品サンプルの誕生」(野瀬泰申 ちくま文庫)のご紹介です。

まず、本書の初版は2002年に刊行されており、今回の文庫化までに15年の歳月を経ています。従って、時代背景を綴る部分については、現在の状況とだいぶ異なっている点を理解する必要があります。特に四章で語られる、韓国及び中国における食堂の様子や提供される食べ物の傾向、食品サンプルへの取り組みなどは現在の状況と全く異なります。また、日本の外食産業における食品サンプルの比重や、店頭における文章によるメニュー説明と食品サンプルの比較の部分などは、当時の状況とだいぶ変わっているかと思います。上海の取材記で著者が述べているように、食べ物、特に外食のメニューは時代と共に変わっていく姿を端的に示すものでしょうから、この辺りの時代差は当然と考えなければなりません(表紙の写真自体が、既にノスタルジーを感じますよね)。

その上で、本書が極めて貴重なのは、日本独特の食品サンプルがなぜ生まれたのか、その誕生の経緯をほとんど唯一、検証を含めて明らかにした一冊である点です。

本書の著者は日経新聞の記者の方。元々は九州地方における地域毎のローカルフードの変遷を追いかけていた際に、実際の料理を確かめる手間を少し端折るために、食堂に飾られた食品サンプルの比較を始めたことがきっかけであったと、今回の文庫化に際して添えられたあとがきで述べられています。

全文に渡って通貫する「日経の文屋さん」らしい筆致が遺憾なく発揮される、食品サンプル発祥を追い求める物語。その後、現在の食品サンプル業界を牽引する会社の社長さんとの巡り合いから、解説用の小冊子を手掛ける事になった際に改めて追跡をし直した、その原点を探し出す取材記は出色と言える内容です。最終的な結論として辿り着いた三つの始まりの人物と、一つの始まりの展示場所。食品サンプルを商業ベースに乗せた大阪から始まった物語は、その発祥と言えるデパートの食堂を辿って東京へ、そして食品サンプルそのものの発祥を訪ねて京都へと舞台を移していきます。阪急、白木屋、そして島津製作所へと続いていく物語は、戦前の日本にも確かに存在した、現在と比べれば質素ではありますが、ちょっとしたぜいたくが出来るようになった、デパートにおける「お食事」、外食の繁盛を切り盛りするための、アイデアに溢れた施策の先にあった事を教えてくれます。

そのアイデアこそが、食堂でメニューを選ぶ際に、言葉や文章を駆使する訳でもなく、実物も用いずに、効率的にイメージを抱かせるための道具としての食品サンプル。更には、テーブルでの煩雑な収受を省く食券による事前購入との組み合わせて、狭い食堂のスペースで圧倒的に効率的な回転率を確保していたことを、当時の資料から分析していきます。

そして、著者はなぜ日本人だけがこのようなアイデアを受容しえたかを検討していきます。本書のもう一つの白眉、日本人の食事のメニューに対するこだわりの分析と食品サンプルの必要性を重ね合わせていきます。

そこには、大衆化と言えるメニューの汎用化の先に、複雑で難解なバリエーションをこまごまと作り出すことをオリジナリティと踏まえる、日本人特有の感性。同じ商品でも土地ごとに全く異なる名称を名付けてしまう、細やかなローカライゼーション。更には、文章を読まず、無意識のうちにイメージで物事を理解しようとする民族性が潜んでいると、ヨーロッパ、とくにフランス料理のメニューやオーダーの方法との比較から鋭い指摘を繰り出していきます。バリエーションと名称の説明を省く手っ取り早い方法、ビジュアルでその差を明確に示すために、本来は料理のイメージを迅速に持たせるための存在だった食品サンプルが、バリエーションの微妙な差を表現すべくどんどん先鋭化していったと事を見出していきます。著者はそれらの延長として、これも日本人特有と言われるロボットへの愛着(昨今の深層学習AIに対する衝撃を殊更唱えるのも日本人ですよね)と同様に、それらの鮮やかな技巧への憧憬の心が、食品サンプルの進化を更に推し進めたとしていきます。

確かに、食品サンプルも食玩も、そのような技巧に魅せられる点は多々あるかと思います。しかしながら、どちらもギミック。本書が上梓された直後から急激に進化を遂げた食玩も、当時は極めて幼稚な技巧に留まっていたはずです。そのように考えると、技巧に魅入る以前に、日本人にとってこれらのギミックが響く点がきっとあるのだと思います。それは、漫画やアニメーションと全く同じ、記号化、単純化された状態から元の姿を自在にイメージするベースを持った、アイコン化への共感。著者が述べるように、食品サンプルのラーメンに載せられるネギはビニールチューブの輪切りに過ぎず、浮かべられた海苔は黒いゴワゴワとしたビニールシートに過ぎません。食品サンプルを見た多くの欧米人の反応の通り、それらは凄くよく出来たギミックではあるが、ギミックであってそれ以上では決してない。しかしながら、私にも、確かに食堂のガラスケース越しに、スープに浮かぶシャキシャキしたネギの歯ごたえを思い起こし、海苔から発する海の香りを感じる事が出来てしまうのです。

デフォルメ化され、アイコンとなったその姿から、豊かなイメージを湧かせる一方、単なる単純化に飽き足らず、細々とディテールやバリエーションに拘り、微細な差異に一喜一憂する。折角単純化、記号化した物を、再び微細に先鋭に分別して仕上げていく日本人の両極端なその姿をまざまざを示す好例が食品サンプルなのかもしれません(逆に、プロトコルや標準規格の制定、デザインシステムや統一的なフォントセットの構築が大の苦手なのは、よく言われる通りですね。言葉を介さずイメージで語るため、共通認識に微妙なずれが常に付きまとう)。

終章で語られるように、本来は迅速にイメージさせるための記号化、デフォルメであった筈の食品サンプルは、冒頭の写真にあるように、もはや本物を超越するほど(本物では出来ないシチュエーションすら作り出す)のリアリティを有しており、その技術と同じような道筋に、現在の食玩たち、そして日本人が好む、限りなく現実で現実ではない、独特なリアリティの構築という世界観が存在することは論を要さないと思います。

日本人が作り出した、イメージをアイコン化する手法の華である食品サンプル。いまや食堂のガラスケースは空っぽというお店も多くなってしまいましたが(初期の食品サンプルは材質の制約もあり、照明や日射によって劣化することもあり、当初からレンタルが一般的だったそうです)、本書が刊行された時点では想定もし得なかった新しいステージを得たその技法は、日本人の感性が求める限りに何処までも先鋭化していくのかもしれません。

 

今月の読本「観応の擾乱」(亀田俊和 中公新書)すれ違う無二の兄弟の前を往く表裏する人物達と貴重な時代史の背景を描くその先

今月の読本「観応の擾乱」(亀田俊和 中公新書)すれ違う無二の兄弟の前を往く表裏する人物達と貴重な時代史の背景を描くその先

世間では人文書、歴史書が静かなブームだそうですが、読むのが遅い自分にとっては、これまで刊行されてきた書籍を追うだけでも手一杯、とてもブームの本まで目を通す事が出来ないもどかしさ(その以前に、田舎の本屋さんでは手に取れないという寂しさも)。でも本屋さんに新刊が並ぶと、ついつい手に取ってしまう悪癖がやはり出てしまいます。

今回ご紹介する本も、そんな訳で積読脇に寄せて読み進めた一冊。きっと前著同様、話題になるんだろうなぁ、などと思いながら。

今月の読本「観応の擾乱」(亀田俊和 中公新書)のご紹介です。

一般向けとしては実質的な処女作となる「南朝の真実」(吉川弘文館)でスマッシュヒットを飛ばした著者。その後、同時代の人物史を複数冊手掛けた上で挑んだのが、著者の専門である、南北朝から室町初期の時代史前半を形作る大きな転機となる観応の擾乱を、新書という限られたページ数で描いていきます。

全編で250ページ足らずですが、尊氏の将軍就任から実の息子である足利直冬を京から敗走させる時点までの時代史を、平明な筆致でほぼまんべんなく著述することに成功しています。その間、非常に多くの武士たち、歴代の天皇や上皇、公家や僧侶たちが登場しますが、著者の前著に見られるように、それぞれの登場人物について、少ないながらも極力説明を施し、個性的で魅力あふれる人物像を描き出す事に注力していきます。主役となる尊氏、直義兄弟の前を、時には味方、時には敵として行き交う彼らについて、これまでに言われてきた、最初から両方の派閥が出来ていたわけではなく、時々に応じて、与する相手を柔軟に変えていっていた事を、その時の状況を含めて明示していきます。更には二人が衝突して以降も直義自身は終始覇気が無いように見えるとし、むしろ周囲の主戦派の強硬論、特に二度目の衝突では尊氏、そして直義自身よりも尊氏の息子である義詮と桃井直常の代理戦争的な要素もあった事を指摘しています。結果として、武将の中でも終始この二人に付き従ったのは尊氏サイドであれば佐々木導誉であり(彼とて、降誘を狙っての為であったはずですが、直義方にも寝返っています)、直義サイドであれば上杉憲顕ぐらい(彼も直義にとって最後の戦いであった薩埵山では遂に逃走しています)だったようです。このような不安定で日和見な人物達を引き留める、味方につける際に切り札となるのが恩賞。しかしながら、どんなに政務から後退しようと守護の補任権を握り続け、武士に対して恩賞を振る舞う(時に口だけ、バッティングもあり)尊氏と、武士よりむしろ領家に対する安堵と施行に終始する直義。ここに二人の違いが大きく出て来る事を、実際に発給された史料から見出していきます。また戦力の集中を図る、ないしは禁じ手を取るためとはいえ、二人とも一度は南朝に帰参した経緯から、尊氏、特に直義にとって北朝の天皇はやはりお飾りであった点も(旧来の論説と切り離して)改めて明示していきます。

そして、著者が前著でも再評価を求めて描き出した、高師直と高一族の活躍。旧来の論説では、明らかに尊氏派として扱われてきましたが、著者は二人の決裂が決定的になるまでは、足利家の家宰、執事として双方に仕えてきたことを示します。そして、この北条家にもみられた御内人が権勢を持つ(実際には守護領国も少なく、勢力が突出していたわけではなかったようですが)最後の姿を高一族に見出し、その終焉こそが、将軍専制と、それを執行する有力守護大名がセットとなる将軍/管領制へと発展していったと見做していきます(それ故に、高師直の評価については、やや旧守的であったと見做しています)。更には二度の弟との衝突の先に、将軍就任以降は政務を含めて常に後方に退いていた尊氏自身が前面に出て戦い、感状を与え、恩賞を大盤振る舞いし続ける事で、将軍としてその指導力、専制権が発揮された結果、真に政治家として覚醒したとしていきます(これに対して、尊氏に対峙した直義、そして直冬のいずれもが、戦場に於いて直接的に尊氏に対峙することが無かった点は極めて示唆的です。こと武将として尊氏の人気が高い大きな理由ですね)。

長きに渡った南北朝の動乱の幕開けを告げる擾乱(この用語の発生由来については、終章で議論されています)の中で室町幕府の安定した政権の基礎となる諸政策、政体が築き上げられていったとする本書。著者はその流れをなるべく一次資料に依拠して描こうとしており、研究の中核となる将軍を補佐する体制、息子である義詮への政権移譲の段階、引付や恩賞方の変遷については、そのメンバーと、どちらの勢力に移っていったかについても詳細に述べていきます。しかしながら、その他の部分ではやや疑問が生じてしまう所もあります。それは、直近で他の研究者が著書に於いても重要視した、如意王と直義の野心に関する反論と、直義の二度に渡る出奔の位置づけ、さらにはそれを傍証するための論拠。すなわち、この擾乱がなぜ起きたかという理由についての論証への歯がゆさが感じられる点です。

著者は文中で、現在ではもっとも一般的と思われる佐藤進一氏及びその他旧来の論考に対して繰り返し反論を述べた上で(一般書なので、わざわざそれを強調する必要もないかと思いますが)、終章に於いて尊氏の実の息子である直冬に敵愾心を抱き、一向に認知しようとしない尊氏への憤り、多くの武家における庶子たちの不安とその代弁が擾乱を生んだ素地ではないかと示唆しています。その論考自体に議論を挟むつもりはありませんが、それを示す明確な論拠や史料がある訳ではないので、現時点ではあくまでも著者の見解として捉えておきたいと思います。

その上で、本書の冒頭から首を傾げてしまったのが、直義の嫡男であった「如意王」の存在への言及。これまでの同時代を扱った書籍ではあまり前面で語られることは無かったと思いますが、上述の影響を受けられたのでしょうか、その生誕によって、直義が野心を抱いたという論には、流石に力みつつも正面から否定をしていますが、一方で和解以降の直義の無気力な振る舞いを評して、如意王の喪失を関連付ける論も述べており、本書では明らかに引用を控えている太平記に対して、この近辺の著述だけは傍証として引用するなど、本書に於ける著者の平明かつ一貫した論考が、この部分だけ妙な方向に行ってしまっているようでなりませんでした。

更に、直義の二度に渡る出奔を描く部分。著者はそのいずれも尊氏やその周辺がノーマーク、過去の人として扱っていたとしています。確かに恩賞を期待できる訳でもなく、堅実な政治家と評される割には打算的な直義の政治生命は、既に途絶えていたかもしれません。それでも、一度京を脱出して兵を募れば侮れない勢力を築き、一度目は自らも窮地に追い込まれ、二度目も東国まで下向して討つ事になる(鎌倉での直義急死の件は置いておいて)相手に対して、ノーマークであったと言い切ってしまうのは余りにも淡泊な気もします。

側近同士の勢力争いでもなく、兄弟の相反でもない、ましてや魍魎的な物語を否定した上で、長々と続いた騒乱の原因については結論らしい結論が得られないままに終章を迎える本書。

本文を少し離れて持論を述べる終章の最後に綴った「努力が報われる政治」というキーワードへ集約した著者の想いを本当に描き切るためには、やはりその当事者である尊氏自身、それも著者の一貫した手法である一次資料を大前提として太平記の潤色を極力排除した人物史として、是非次に描いて欲しいと強く願うところです(できれば、東国戦線とその後の鎌倉府に至る流れも是非たっぷりと。あっ、武蔵野の広野を縦横無尽という表現は如何にもっぽいですが、地勢的にはちょっと微妙かなと)。

まだまだ描き足りない魅力的な登場人物が控えているこの時代の歴史物語はもっと深く楽しくなるはずと思わせる魅力を秘めた、もう少しその先も読んでみたい、そんなきっかけになる一冊として。

観応の擾乱と関連書籍<おまけ>

本ページでご紹介している、本書と関連する書籍から。

今月の読本「飯田線ものがたり 川村カネトがつないだレールに乗って」(太田朋子・神川靖子 新評論)その普段に寄り添う偉大なるローカル線の偉大な物語と小さな物語は、新たに見つめ直す合唱劇の先へ

今月の読本「飯田線ものがたり 川村カネトがつないだレールに乗って」(太田朋子・神川靖子 新評論)その普段に寄り添う偉大なるローカル線の偉大な物語と小さな物語は、新たに見つめ直す合唱劇の先へ

出版不振が叫ばれて久しいですが、日本には多くの書籍を刊行する、多様な出版社さんがまだまだ多く存在する一方、その出版社さんの数を遥かに上回る「本を出してみたい」と願い、実際に地道に資料を集め、構想を練り、試行錯誤をしながら原稿をまとめ、何度もダメ出しを受けながらも、何とか刊行のチャンスを狙ってひたすら努力を続けている方々も数多いらっしゃるかと思います。更には、そんなチャンスに恵まれなくとも、何とか一冊を綴りたいと願って自主出版や私家版として自費出版される方すら、決して少数ではない筈です。

そんな中で、地元の書店さんでふと見かけた一冊。やや素朴な仕上がりながらも明らかに自費出版とは違う、美しい写真のカバーが掛けられ、巻頭にはふんだんに用意されたカラー写真、定価とISBNコードが打たれた正規の刊行物。そして、著者は偶然にもこの書籍を執筆することとなった、地元で暮らす二人の女性。あとがきの著者紹介を読んだ限りでは、表紙に書かれた表題とはちょっと噛合わないこの組み合わせに、逆に興味を持って手に取る事になりました。

今月の読本「飯田線ものがたり 川村カネトがつないだレールに乗って」(太田朋子・神川靖子 新評論)のご紹介です。

まず、本書が書かれるきっかけから驚かされます。鉄道ファンで多少なりとも地方鉄道の歴史に知見をお持ちの方、特に本書のテーマとなった飯田線に少しでも興味をお持ちの方であれば、アイヌの鉄道測量技師、川村カ子ト(こちらの方が一般的な表記ですね)ほど著名な人物はいない筈です。しかしながら、沿線である佐久間に30年も在住していた著者、地元の小学校の教員を務めていた著者の夫ですらその人物を知らなかった、更にはかなりの高齢の方以外、地元の方にとっては全く無関心の人物であったという事実。

ある人物から舞い込んできた相談を受けて、初めてこの事を知った著者が次に起こしたアクション、川村カ子トを題材にして以前に作られた合唱劇をプロデュースして、その舞台である、水窪で上演することになります。水窪での上演に際して広報担当としてパートナーとなったもう一人の著者と二人で綴ったのが本書。前後半でパートを分けて描かれる物語からは、全く未知の状態から川村カ子トを軸に、自分たちの生活に寄り添ってきた飯田線そのものへの理解を深めていく過程が見えてきます。そこには、旅行者や好事家、鉄道ファンや行政の方が綴る物語とは全く違った視点に溢れています。

前半では、合唱劇の舞台準備に際して訪れた旭川での川村カ子トの記念館を訪れた訪問記と、三信鉄道の最深部、三河川合-天竜峡間の実際の測量、敷設作業にまつわる物語が綴られます。刊行物に掲載されるのは初めてと思われるものを含めて、当時の貴重な写真も豊富に掲載されています。但し、このページをご覧になるような方は既に好事家に片足を踏み外していらっしゃるかと思いますので、カ子トの業績やアイヌに対する差別的な扱いについては改めて説明不要かと思います。そのような中で、1960年に再び招待されて北海道から佐久間を訪れた時の模様(既に自らが切り開いたルートが佐久間ダムの湖底に沈んでいると聞いて驚いたそうです)を今でも克明に覚えている古老のお話や、その沈んだルート(水上から接近)やそこにあった生活、夏焼の集落を訪れた著者の綴る物語には、地元に在住している方だからこそ語れる内容であることはもちろんなのですが、それ以上に、ついこの間まで知らなかった、刻まれ続けたその土地だけの歴史物語再発見への驚きと、その想いがさらに地元への愛着へと昇華していく心象が綴られていきます。

更に驚きの内容が、川村カ子トが請われて三信鉄道に招聘されたと多くの書籍には書かれていますが、そのような言説を覆す説が述べられている点です。今回の取材の中で、佐久間に今も住まわれている方の祖父で、三信鉄道の保線課長として建設工事にも携わった人物が、北海道拓殖鉄道時代にカ子トと一緒に鉄道施設作業に携わっており、請われたというより、カ子トの方から三信鉄道に従事したいと願い出たと述べていたという記録を残していた事です。あくまでも私家版での著述であり、本人談として伝えられている限りですが、当時としても高額な給金と家族を引き連れての測量であった点でも、決して一方的にアイヌだからとのある種の侮蔑的(能力の高さの裏返しでもあります)な招聘ではなかったかもしれない点は、日本の鉄道史でも有名なエピソードの一側面として、その背景を含めてもっと検証されても良いのではないかと思われます(この先は鉄道史家の領分でしょうか)。

過去からの飯田線に繋がる物語が綴られる前半に対して、後半は現在の飯田線の物語が綴られます。水窪での合唱劇公演を終えた後に始めた飯田線の探訪。一覧表では掲載していますが、全部で94駅ある飯田線の全駅を網羅するのは流石に苦しかったのでしょうか、その中で著者が心に留めた49の駅が、コラムを挟みながら紹介されます。本書のテーマと著者が水窪在住のため南側重視で、旧三信鉄道は全駅と飯田までを重点的に取り上げています。民俗学的にも貴重な三遠南信の山村に残る風物、寄り添う天竜川とダム湖、桜、そして茶畑と、その土地に住む方々にとってかけがえのない、今の姿。有名な下山ダッシュや旧三信鉄道秘境駅の数々など、鉄道ファンの方ならお馴染みのテーマももちろん紹介されていますが、その内容は、取材目的で訪れた場合でもあくまでも鉄道は添え物、著者の興味は別の所にあります。それは、自らがその場所に訪れた際のシチュエーションであったり、一緒にいた人物であったり、車掌さんや、駅で、そして道行く中で巡り合った人々への、また飯田線で会いましょうというという想いを乗せた柔らかな眼差し。鉄道とういうツールを通じて人と人が交わっていく想いを車窓が彩り、自分の心を映し、描き出すという、紀行文やちょっとビジネスライクな各駅の紹介とは異なった、自らの日記を綴るような、自分の住む場所を往く日々の心象スケッチを積み重ねているかのようです。

川村カ子トに出逢わなければ気が付く事が無かった、何時も側に寄り添う鉄路が編み出す昔と今を繋ぐ物語は、そのきっかけを作り出した(冒頭のトリックに戻る訳ですが)版元編集者さんの手により、繋がり合いながら一冊の物語としてこのように手元に舞い降りてきたようです。

版元さんと著者たちの好奇心、その行動力から生まれ始めた地元への想い、マイレールとしての新たな気付きが、豊かな出版環境が残る中で、本書を通じて多くの方に伝わる事を願って。

<おまけ>

長野県下伊那地方事務所が制作した、県内の飯田線各駅を紹介したブログ「魅力満載のローカル線!飯田線」(全35話)には、本書では紹介されなかった分を含めて長野県内の飯田線各駅が紹介されてます。本書とは全く切り口は異なりますが、興味深いお話が満載、併せてご覧頂ければ、更に面白いかと思います。

本ページから信州関連の書籍、南信をテーマにした話題も併せてご紹介します。

今月の読本「列島を翔ける平安武士」(野口実 吉川弘文館)遥か九州から武士の勃興を眺める時、その世界は京・東国を飛び出し列島を駆ける

今月の読本「列島を翔ける平安武士」(野口実 吉川弘文館)遥か九州から武士の勃興を眺める時、その世界は京・東国を飛び出し列島を駆ける

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館さんの「歴史文化ライブラリー」3月の新刊は、これまで多数の中世武士、特に東国の武士たちを扱った一連の研究と著作で知られる野口実先生の最新作からご紹介します。

今月の読本「列島を翔ける平安武士」(野口実 吉川弘文館)です。

まず、あとがきに目を通すと、著者の中における本書の微妙な立ち位置が言及されています。一度は完成した原稿が暫く日の目を見なかった事、最終的に著者の奉職先であった京都女子大学を退任された後の上梓となった事、更にはその記述には著者の研究者、教員としての生活に於ける様々な想いが込められている事。

既に著者の作品を読まれた事がある方であれば、その感触は判ると思います。千葉に生まれ、房総平氏の研究でも知られる著者のスタンスが、同時期の研究者の著作と比べると極めてニュートラルな立場を採っていた点に気が付かれるはずです。既に過去のものになりつつありますが、草深い東国の開拓農民から勃興してきた野蛮で無学な武力が、軟弱な京の公家社会を刷新して、新たな大地たる東国、鎌倉に清冽たる新政体「幕府」を築き、中世の幕が上がるという、私が学生時代には依然として通用した視点に対して、明確にそれを正す方向での著作を上梓され続けた点です。但し、このような点を採り上げると、ではやはり京都に拠点を置かれているから、所謂体制論的な立場なのですかと問い返されそうなのですが、そのような体制論であったり王権論とは一線を画した立場で議論を進める点が、著者の論旨の大きな特徴ではないかと思います。

本書はそのような大きな歴史論(体制論)に固執することなく、出来るだけ史料から読み解ける、実際の登場人物たちの動きからその流れを読み解こうとしていきます。従って、表題と異なり本書を通貫する様なストーリーであったりテーマが明確に設定されている訳ではありません。特に人物を離れて京都七条町の職人集住に関する記述は、全体のテーマから見ると大分かい離が認められますが、著者の提示しようとするストーリーを彩るためにはどうしても必要な内容だったようです。

著者が描こうとするテーマ、それは石井進氏の前述のような体裁の色濃い「辺境としての東国から勃興する」とする歴史展開を乗り越え、下向井龍彦氏の著作(日本の歴史07 武士の成長と院政 講談社学術文庫)にもみられるように、中央から下向し、その貴種性と地方の反乱を鎮圧する為に乱発された勲功賞で得た権能を加える事で、在地との強い絆と利権を築きつつも、引き続き中央での関係を維持しつつ勢力を積み上げていく、武士の姿を描く事にあります。

そこには、草深い無学の輩等ではなく、権門の家使としての側面と、在地における所領管理、いざという時には国衙の兵力や私兵を従えて戦闘に挑むという、極めて実践的な能力が試される、中央での出世には見放されたとしても、実務能力が極めて高い人々が集っていた事が判ります(本書の冒頭で描かれる藤原保昌のような簒奪者や、為朝のような正に暴れん坊ももちろん居ますが)。そして、本書で著者が最も描きたかった点。これまでの「東国」中心の武士研究に対して、前述の視点を相対化させる行為。東国の武士研究でも中核に位置した著者自身が、本書の成立に至るまでの20年近くに渡って取り組みを続けた模索の結果としての、九州、特に島津荘の成立と拡大における武士の動きと貿易の痕跡を現地で研究を続ける研究者と交流を図る事で、東国と京都という二元的な視点、又は、大宰府-京/福原-平泉という公家文化に対抗する東国、鎌倉の武家という対峙系とは異なる、より普遍的な武士の成長に対する視点を導き出すことです。

著者はこの視点を実証する為に、敢えて自らの長い研究テーマでもあり、如何にも東国武士の代表である千葉常胤を採り上げ、源平合戦における源範頼を支えながら転戦した九州における戦歴とその転戦地に設定された地頭職の成立、更には京都に戻った後の治安活動や、鎌倉に居を構え全国に広がった所領を管理する都市型領主となった後の千葉氏の活動を通して、名字の地たる在地にしがみ付く東国武士というステレオタイプを明確に否定していきます。

そして、九州の南端に構えられた島津荘を中心とした、摂関家の金城湯地となった南九州。この島津荘を始め肥後、南九州を席巻した為朝の所業を荒唐無稽と一刀両断することはせず、それ以前から下向していた薩摩平氏(平安武士という言葉と併せて本書で初めて出てくる呼称でしょうか)達による、東国と同じような騒乱が生じていた事を紹介していきます。結果として、それらの鎮圧を担った勢力が、東国同様にその後の武士として勃興していく事は論を待たないかと思います。列島の南北で勃発した反乱とその鎮圧。大宰府を舞台にした刀伊の入寇。これらの鎮圧に伴いもたらされる勲功による栄爵を纏っての在地への定着、国衙官職を含む利権化の流れは東国だけに限定して起きたわけではない事を遥か南九州の事例を示す事で明確化していきます。

在地化と足並みを揃えるかのように肥大化する南九州の荘園群。その成立以前に遡って、王朝国家内での摂関家の勢力推移を重ねる事で、時代が下がるにつれて極めて重要な収益源、貿易拠点として成長していったことが示されていきます。当時の交易品として極めて重要であった火薬の原料となる硫黄が取れるこの地が、大宰府、神崎荘と並ぶ海外、特に南洋貿易の拠点であった事を発掘成果から明らかにし、南洋特有の檳榔、螺鈿がこの地から京、そして平泉に至ったと考えられると述べていきます。勿論、平泉からはその代わりに、知られているように馬、黄金、そして海獣や毛皮や猛禽類の羽など武具として、交易資金として必要な物資が送られる訳ですが、ここで著者は東国における近年増えてきた中世期の遺跡発掘事例や、前述の千葉常胤が滞納していた貢納を一度に納めた際に積み上げた膨大な量の金を以て、これらの平泉文化に付随する王朝国家的な文化が東国やその交易路をスルーしてピンポイントに平泉に花開いたという、王朝国家の一種理想郷を平泉に見出し、東国、武家の文化的な低さを殊更に指摘する視点に対して明確に否定を示し、その交易路においても、同程度の文化的な浸透があったはずだとの認識を示していきます。

その上で、京を情報や文物ネットワークの交差点と見做し、京を起点に全国に向けて下向し、代を重ねつつも、色々な事情を以て武士としてこの地を行き交う事となった人々のネットワークの動き、悪い言い方をすれば欲望の離散集合の頂点に源平合戦があったと見做していきます。

京都で奉職し、第一線を退いた直後で上梓することとなった本書は、東国武士の研究者としての一方の史観と、自らが在する地におけるもう一方の史論に対する双方の疑念を九州の地に視点を置く事で、ネットワークという新たなテーマ設定によって相対化、より普遍的な視点を見出すことを目指した一冊。冒頭で述べたように各章ごとに別々の登場人物が語られるため、小テーマを集めたやや散漫な印象を受ける部分もありますが、昨今の地理学を組み合わせた繋がる歴史著述に対して、これまで培ってきた豊富な研究成果より具体的な視点を与える著述は実に楽しく、史論で語られる著述では欠落することが著しい発掘成果による史料補完への言及と併せて、中世の入口となるこの時代の著述がこれから更に発展していく事に期待を持たせる一冊です。

第一線の教壇から下る事で、今後は研究、著述により一層の注力を図る事が出来るであろう著者の更なる一冊に期待しながら。

<おまけ>

本書に関連する書籍を、本ページよりご紹介します。

今月の読本「シリーズ古代の東国1,2」(若狭徹、川尻秋生 吉川弘文館)考古学と文献資料が交差する時、古代から続く尚武の地、坂東・東国の輪郭が浮かび上がる

今月の読本「シリーズ古代の東国1,2」(若狭徹、川尻秋生 吉川弘文館)考古学と文献資料が交差する時、古代から続く尚武の地、坂東・東国の輪郭が浮かび上がる

毎年、意欲的に新たなシリーズを送り出してくる吉川弘文館さん。

本年も、既に「天皇の美術史」が各方面で話題となっていますが、その陰に隠れてしまってちょっと存在感が薄くなってしまったシリーズとして「古代の東国」全3巻が刊行されています(刊行中です)。

これまでになかった通史としての東国の古代を扱う、東国の歴史ファンとしては待望久しいシリーズ。山奥の為に遅ればせながら何とか入手して読み続けていましたが、シリーズが2巻までで一休みとなったこのタイミングで少し纏めてみたいかなと考えています。

今月の読本は2巻セットでご紹介です。

古代の東国1 前方後円墳と東国社会」(若狭徹)と、「古代の東国2 坂東の成立」(川尻秋生)です。

このシリーズ、編者となる2巻の著者である川尻秋生先生のシリーズ巻頭辞を読むと、極めて特徴的な位置づけを狙っている事が判ります。まず、中央からみた地方という視点に拘ることなく、あくまでも「東国」の古代史を叙述する為に必要なアプローチをとる事を明確に示している点。そして、古代史故に絶対的に限界のある文献資料、特に文献を残せた側の視点を補う事を目指した、著者グループ全員が考古発掘にも精通し、博物館の展示に携わってきた経験を最大限に生かした叙述を目指す事を明確に表明している点です。

その結果、本シリーズはこれまでの教科書などで扱われる古代史の切り口とは大きく異なるアプローチ、視点を読者に与えてくれます。北関東を中心に展開する古墳の年代評価や出土物、特に豊富な地図による解説を加えた古墳の分布の年代推移を見ていく事で、その後の東山道経由による中央との結び付きを明確に認める一方、出土物の状況から、中央政権と見做せる倭王朝から遥か東方に離れた地でありながら、半島との直接的な結び付きや、直接半島に出兵し、倭の五王の時代には半島からの来訪者の集団が既に定住していた可能性すら見出していきます。東夷として制圧される、後進的な地域ではない、同時代で同じような規模の古墳群を有するのは東国以外では極僅かで、その規模も、副葬品も強く倭王朝の影響を受けながらも、独自の様式も保持していたと見做していきます。残念ながら、この時代では文献資料と出土物が交差する個所はほんの僅か。それでも、考古学が得意とする膨大な様式年代検討に基づき、僅かな接点を見つけながら、記紀の神話をも援用しながら、その先に考古学特有の雄弁な議論を展開していきます。その議論の先には、国内でも極めて稀な古代碑が残り、先進的な仏教寺院の造営や戒壇の設置に見られる、後の時代に現れる下野の先進性の起点が既に古墳時代にあった事を示唆していきます。

著者達が最初に認める東国の姿、それは武勇を以て倭王朝と提携する関係を構築した部族が旧河川筋に勃興、競合していく活気あふれる大地。現代より大幅に広かった低湿地と頻繁に変わる流路、浅間山等の火山噴火によって目まぐるしく変わる地勢の中で、拠点を移ろいながらも巨大な古墳群を残せるだけの実力を有していた事を膨大な発掘成果から見出していきます。その形式は確かに倭王朝から許された形式の模倣であったかもしれませんが、実際に構築する実力を有していなければ実現できないもの。精巧な埴輪や馬具、武具、そして南東北まで伸びる出土物の傾向から、既にこの時点で更にその北に居住する人々との交流、相互の進出があった事を見出していきます。

倭王朝に従属する形ではなく、緩やかな提携と受容の関係にあったと見做す1巻から、中央政権側の文献資料が見いだされはじめる2巻に入るとその枠組みは微妙に変化していきます。シリーズの編者である著者が冒頭でそのような視点に対して「二つの東国像を克服するために」と題したプロローグを用意して議論の帰着点を探っていますが、本シリーズを読まれる多くの皆様にとって、この論考は最も興味を引くのではないでしょうか。3巻の刊行を前に少し前倒しに結論めいた記述もありますが、歴史が好きな方、特に東日本に住まわれて、その地で歴史教育を受けてきた方なら誰しも疑問に持たれる点について、実に示唆的な提示が行われていきます。

蜜月時代と述べる奈良時代迄の東国と古代王朝との関係。その関係にはやはり前時代と同様に特別な関係があったと見做していきます。下野を中心とした先進的な仏教の受容や武蔵に至る大路の構築も、白村江の戦い以降の半島亡命氏族の影響や入植や古代王朝側から見た統一的な中央集権国家の施策と見做す一方で、西国との比較で、更にその先に広がる辺境へ対する入口としての古代王朝の威勢を見せつけるために整えられたとの見解を示していきます。その推移は防人と北方政策の重点がお互いに入れ替わるように行われていく点からも認められるようです。

北方と西海の双方に武力を以て仕える東国。坂東と呼ばれた地域の特異性を見出すために、著者はその研究フィールドである安房国の成立と記紀に述べられる神話を援用しつつ、古代王朝にとって貢納を受ける場所、つまり直轄地ではなく祭祀を併合した地としての特異性を含み続けていたと見做していきます。古代王朝にとって辺境の入口にして兵站基地という、植民地的な様相を示す奈良時代の坂東。古代王朝の影響も強く受け、国分寺や国分尼寺の改築と伽藍配置の方位性から、より中央からの統制が強まっていく事を見出す一方、在地支配、国造や地方豪族の影響が強く残る東国出身者が逆に中央政権に采女や官吏として進出していく様子を文献資料と発掘成果の突合せから認めていきます。中央集権で語られる事の多い中、依然として豪族同士が牽制しあうような状態であった東国に対して、古代王朝が牽制、掣肘をした影響を古墳群の展開から見出し、徐々に増え始める文献資料と木簡などの発掘資料が偶然の交差を認め、列島を東西に動く東国の人々の驚きのストーリーが浮かび上がる時、考古学の醍醐味を味わってほしいとの著者の筆致は鮮やかに躍動します。著者の東国、坂東への想いの筆致は更に、平城京に集まる物資の記録や正倉院に残る品々や貢納物の規定から、坂東から送られた貢納物が決して遅れた産物ではなく、それらの生産を可能とする技能集団の存在や祭祀の面での東国の特異的な立場を改めて拾っていきます。

膨大な発掘成果と、文献資料とのたゆまぬ突合せが生み出す、古代東国を豊かな描写で紡ぎ出す本シリーズは残す所あと1巻。文献資料が大幅に減少し、歴史の空白点ともいえる平安初期に突入していきます。果たして自立する東国が頭をもたげていくのか、それとも中央集権の先兵として北へ北へと押し進む姿が描かれるのか。更には2巻でそのアウトラインが示された東国の姿が、実際にどのような形で中世に引き継がれていくのか。最終巻を楽しみに待ちたいと思います。

<おまけ>

関連する書籍を本ページよりご紹介します。

今月の読本「信州の縄文時代が実はすごかったという本」(藤森英二 信濃毎日新聞社)信州の縄文研究系譜を継ぐ研究者が挑んだ、美しく丁寧に描かれた机上の八ヶ岳縄文ミュージアム

今月の読本「信州の縄文時代が実はすごかったという本」(藤森英二 信濃毎日新聞社)信州の縄文研究系譜を継ぐ研究者が挑んだ、美しく丁寧に描かれた机上の八ヶ岳縄文ミュージアム

版元さんからの刊行案内が出て以来、心待ちにしていた一冊。

金曜の晩に漸く地元書店さんの店先(何時の間にか郷土本コーナーが店舗の奥の方に移っていて、危うく見つけそこなうところでした)で見つけて読み始めましたが、予想を超える素晴らしい仕上がりに、一気に読み進めてしまいました。

地方出版社の衰亡が続く中、まだまだやれる事はあると、意欲的な企画と、地方だから、少部数だからとの妥協を許さない丁寧な制作、編集。大手出版社さんにも全く引けを取らない美しい装丁を施した本を次々を送り出していく信濃毎日新聞社さんが、これまでのコンセプトを更に推し進める形で新たに送り出した一冊。狙ったようなインパクト重視でキャッチーな表題の裏側に描かれる、本当に版元さんの良心に溢れる一冊のご紹介です。

信州の縄文時代が実はすごかったとう本今月の読本「信州の縄文時代が実はすごかったという本」(藤森英二 信濃毎日新聞社)のご紹介です。

本書の著者、藤森英二さんは、八ヶ岳の東麓、北相木村の考古博物館で学芸員を務めながら、主に長野県下の縄文遺跡に関する研究に従事する研究者。このお名前をご覧になって、本書にご興味を持たれた方はピンとくるのではないでしょうか。縄文研究に大きな足跡を残し、今に至るまで学界において議論を呼び続ける、ある意味において、日本の古代史の視点が世界的な考古学の流れと決定的な違いを見せる結果となった論考を残した人物。在野の考古学研究家と呼ばれた、縄文農耕論を著した藤森栄一氏に繋がる方です。

こう書いてしまうと、まるで縄文農耕論の継承者が描く、本格的な縄文文化論が展開される本のように見受けられてしまいますが、さにあらず。更に言えば、このような紹介自体、あくまでも本書を売り込むためのセールストークのようなものであり、著者の意図する所とは異なっている事を予め述べておかなければなりません。

本書が本当に素晴らしい点、それは八ヶ岳西麓に広がる縄文遺跡をテーマに、学芸員とモデラー(掲載されている写真のフィギュアは全て著者の自作です)という、二つのキャリアを存分に注ぎ込んだ、美しくも丁寧に纏められた、ページの上に描かれる縄文ミュージアムを見事に作り上げた事です(注記:信州と表題されていますが、前述のように八ヶ岳西麓がメインテーマです)。

信州の縄文時代が実はすごかったという本巻末に掲載された多くの協力者の皆様の手助けを受けながら、信州の息の長い学研的な伝統が培ってきた研究者の系譜に連なる著者(出身の明治大学において、戸沢充則氏の薫陶を受けています)が、その中心地からほんの少し離れながらも息吹を肌身に感じるであろう八ヶ岳東麓から俯瞰する、数千年に渡ると云われる八ヶ岳高原で大繁栄した縄文時代の主要な研究テーマを丁寧に解説していきます。

執筆協力の皆様によって集められた美しい画像や、良く錬り込まれた豊富な図案。著者自身の制作によるフィギュアによる美しくも可愛らしいフルカラーのページたち。ページに添えられたキャッチーなフレーズを眺めていると、一見して小中学生向けの所謂副教材ではないかと思えてしまいますが、それは大きな誤りのようです。低年齢向けの語法はあえて避けて、一般の読者を想定した文意と、博物館等の刊行物では当然の配慮である、時代感の指摘やキャプション、補記への配慮は、正に本書が学童向けの入門書に留まることなく、より広範な読者、好事者、歴史ファンの皆様に向けて書かれている事の証。多くの皆様が感じているかもしれません、大好きな博物館、美術館を訪れた後、この感動をそのままに収めた一冊の本が欲しいと思う感触そのままに、本書は仕上げられているかのようです。

信州の縄文時代が実はすごかったという本そのテーマ故に入門書としての体裁で纏められていますが、要所に書かれた内容は最新の学術成果も盛り込まれています。本書を読まれる方であれば、一番気になる点についても、最先端の圧痕法(レプリカ法)による知見が盛り込まれており、この一冊で最新の縄文研究の一端に触れる事が出来るように配慮されている点は、更に嬉しいところです。著者はあくまでもこれらの議論に対して、距離を置いた発言をされていますが、その検証手法の発展と新たな知見が現れる事を密かに期待されているようです。

信州の縄文時代が実はすごかったという本そして、八ヶ岳の裾野に広がった縄文時代の遺跡で繰り広げられた物語について、考古学的成果から俯瞰していきます。特異な文様を持った縄文土器の分布と伝播、八ヶ岳の縄文文化を象徴する二つの国宝土偶の物語(二つの間の時間軸的な断絶についても)。そして、発展を支えたであろう豊かな生産性と、交易物としての黒曜石からみる、海をも超えて東日本を広く包み込む、広範な縄文人たちの移動する姿。これらの内容は博物館でじっくり見たつもりでも、改めて本という形で眺め直すと、別の見方が生まれて来るようです。そして、現代に生きる私たちもその大きな流れの中で生きている事を実感させられる、縄文海進とあれほど繁栄した八ヶ岳西麓に生きた人々が残した痕跡の消滅。

ここから先は、是非現在の八ヶ岳山麓に訪れて、その息吹を感じて欲しいとの想いから、多くの類書では決定的に欠けている、各所に点在する博物館の展示紹介や訪問ガイドにページを割いている点は、本書が博物館関係者が著述されている点以上に、地元に在住する人間として、更には本書を通じてその地を訪れたいと思う多くの歴史ファンにとって、極めて嬉しい配慮である事を重ねて述べておきたいと思います(双方に於いて絶対的に断絶して扱われる事が多い、隣県の博物館に関しても、特段の配慮を以て記載をして頂いている点については、深い敬意の念を述べさせていただきます。八ヶ岳山麓は東西南北みんな一緒)。

SNSや著者のブログに残された刊行前のコメントを拝見すると、研究者のキャリアとして本を出すのが早すぎたのではないか、刊行自体に無理があったのではないかと悩まれている様子が伺えますが、そんな想いは多分杞憂だったと思いますよと、お伝えしたいです。

これまでになかった、八ヶ岳山麓の縄文時代を美しくも丁寧に綴られた読むミュージアムとして、多くの歴史が好きな方の机上に届けられることを願って。そして、今度のお休みには、その足跡を訪ねて美しく整備された博物館たち、史跡へ訪れてみませんか。

八ヶ岳ブルーの下で4

信州の縄文時代が実はすごかったという本

P1060493<おまけ>

本書に関連する内容を扱ったページをご紹介します。