今月の読本「日本の開国と多摩」(藤田覚 吉川弘文館)郷土史に記す数字が語りだす、終焉期の幕府を支えた飛躍する多摩とその背景

今月の読本「日本の開国と多摩」(藤田覚 吉川弘文館)郷土史に記す数字が語りだす、終焉期の幕府を支えた飛躍する多摩とその背景

歴史の本をよく読みますが、その多くは国や広い地域の政治、文化的な動きや、中心となった人物を題材にした内容ではないかと思います。よく「大きな歴史」と称される枠組み。学生時代に授業で習うメインストーリーの元となるそれらの著述以外に、「郷土史」と呼ばれる、ある特定の地域に絞った歴史、人物について著述する分野もあるかと思います。

時に、大きな歴史無くして地域史、郷土史の議論はあり得ないと語られる事もありますが、その大きな歴史を長きに渡って研究されてきた方が郷土史を見つめなおすと、どんな世界が見えてくるのでしょうか。

今回は、毎回新刊を楽しみにしている、吉川弘文館の歴史文化ライブラリーより「日本の開国と多摩」(藤田覚)をご紹介します。

著者の藤田覚先生は、近世の幕府、朝廷政治史の研究者として大変著名な方。現在は東京大学名誉教授で、先年、通巻300冊を達成した、同版元さんから長年に渡って刊行が継続されている叢書シリーズ「人物叢書」の編集も行っている、日本歴史学会の会長を務められる、日本史研究の第一人者の方です。

江戸時代初期から幕末にかけての政治、行政、人物に関する一般向けの膨大な著作も有する歴史著述家としても有名な著者ですが、実は2009年から長らく居住されている八王子市の委託を受けて、『新八王子市史』の編纂を手掛けられており(編集委員長、近世部会長)、本書は2017年に刊行された新八王子市史、通史編4近世下を執筆する際に纏められた内容を下敷きとして綴られています。

徳川幕府政治史の大家ともいえる方が、これまでの自らの研究内容を「上からの目線」と称し、課題だとされる市井から成長していく民衆の姿を捉える事を目指した、郷土史研究で見出した興味をテーマ別のダイジェストで綴る本書。

その着目点は、著者の前著である「勘定奉行の江戸時代」(ちくま新書)にも通じる、大きな歴史の著述ではほとんどの場合省かれてしまう、残された史料に綴られた「数字」に着目し、現代の我々ではイメージしにくい当時の姿を、数字の変化から読み解けるように綴られていきます。

本書でインデックスとして用いられる三つのテーマ、「生糸・農兵・武州一揆」そのいずれの姿を示す際にも、当時の人々が書き残した「数字」を多数引用していきます。

甲州街道が山裾へと差し掛かる入り口に位置し、物資の集散地として繁栄する宿場町、八王子。千人同心でも知られる幕府にとって要地ともいえる場所に更なる繁栄をもたらした横浜開港による膨大な生糸、蚕の需要。物資の集散地、養蚕地帯として出発した八王子は、既に国内製糸産業で著名であった上州や信州上田には劣る存在だったようですが、その後の品質の向上と貿易港である横浜に近いという有利な立地、更には外国人が移動できる範囲(10里、約40km)に含まれる事もあり、製糸業の一大集積地へと飛躍したようです。

日本の近代シルクロード、現在の横浜線の沿線に並行して伸びる道筋に位置する鑓水に史料を紐解きながら、その利益(年間取引1000両以上が鑓水だけで5家も現れる)の膨大さと取引の大きさを示します。そして、開港による激しいインフレが生活を困窮させたとよく綴られる幕末の経済状況ですが、著者はその中で驚くような記録を見出します。開港とそれに伴う幕府の膨大な出費を賄うために繰り返された「出目」(改鋳)によるインフレは実に物価を4倍に引き上げる事になりますが、それにも拘らず米を買っている(買えるだけの金銭収入が得られている)と綴る日記。一方、寒冷な春が訪れると桑が育たず、蚕を育てる事も叶わなくなると途端に苦しくなる、近代の到来を待たず、一足早く商品経済に組み込まれていく近郊農村の姿を映し出していきます。

膨大な利益が舞い込む一方、大きな浮沈を繰り返すことになる経済状況の中、自力救済が求めらえる社会からあぶれ出す人々により不穏な世相が生み出されることは自明の結果ですが、その中からもう一つのテーマ、農兵が生まれます。

当時の幕府は博徒などの傾奇者が生み出されることを抑制するため、農民に対して武芸稽古の禁止を通達していましたが、不穏な情勢に対応すべく、武芸の稽古に没入していく地域や、道場を中心とした彼らを指導する人物たちの存在を指摘します。ここで、八王子を含む南関東広域の幕領を支配していた韮山代官(江川家)は不穏な情勢への対処と幕府自体の戦力確保を目指し農兵の創設を目指しますが、武家政権として四民(士農工商、この表現は最近避けられる傾向にありますが)にそれを委ねる事を躊躇する幕府首脳陣を粘り強く説得する事で実現を見る事になります。農民自らが与えられた銃を持ち自ら戦う姿を示した農兵。更に、旗本の戦力補充のために多摩地域各地に対して兵卒の供出を求めていきますが、此処で興味深いのが、割り当てれた人数を差し出すはずが、順次金納、傭兵化へと進んでいってしまう点。多摩地域の経済的な繁栄がここでも見出されますが、更に興味深い著述が加えられます。

詳細に残された史料を辿る事で分かる、兵卒を送り出す費用とその給金の姿。近年、もてはやされる感もある江戸時代の生活を称揚する文筆。その中に描かれる江戸の町民や武家奉公人の最下層を示す所謂「三一」(給金が年3両のこと)というイメージと大きく異なる、江戸に出るだけで一人当たりの支度金が10両単位、更に従軍などに要する費用や旗本領や組合村が供出した軍役金の金額を見ていくと、インフレと出目による通貨価値下落による影響の大きさから、江戸時代末期の金銭生活は決して楽ではないことががまざまざと映し出されます。このような供出、実は幕府や代官所に対してだけではなく、関東取締出役の了解を得て徘徊する浪人に対しても金銭を渡す、一揆を防ぐためにやむを得ず供出金を出す、禁令に触れる形でも「押借」を認める等、不安定な情勢すら、その根源である金銭で解決していく姿が見出されていきます。特に宿場町として繁栄してた八王子と、佐藤彦五郎が在住した日野とその周辺の村落から生み出された幕末の浪士たち、武州一揆での農兵の活躍を比較して、地域の中に息づく気風の違いを著者は興味深く指摘します。その違いは、後に多摩地方西部から秩父にかけての広い範囲で発生した武州一揆、その一揆勢をけん制するために農兵たちが出撃する際に明らかになるのですが、数千人規模の群衆に対して僅かな人数に過ぎない農兵たちが銃を構えて数人を打ち取ると群衆は四散する。当時の一揆の姿と格段の装備の違い(それ以前からあった拝借鉄砲や猟師では全く役に立たず、新たに輸入した銃を支給していた)、弱さと苦しさゆえに集まった一揆勢の戦力的な脆弱さと対照的に好戦的な農兵たちの様子、その双方が見えてきます。

商人的な気質を有し、開港による飛躍的な発展を遂げる八王子と、水田には恵まれない一方、早くから江戸の商品経済圏の一翼を担い、家康の関東入部から続く甲州筋の喉元を抑える要地としての韮山代官支配領域と多数の旗本領が錯綜する、武張った流儀を良しとする幕府、江戸の後背地としての多摩地域。

開港から幕府倒壊までの僅か14年間、傾き続ける幕府を支えたのは一方では通貨発行権を握る「出目」による膨大な改鋳差益ですが、それを側面から支えたのが前述の素朴で武張った、佐幕的な兵卒、農兵の供給地としての存在と、開港というチャンスを掴み、逞しい商才を発揮して稼ぎ出した利益から膨大な上納金を納め続けた多摩地域の経済力であった事が見えてきます。

本書の全般を通して綴られていく膨大な金銭の上納、軍費の負担。形としては「受け取って頂く」という体裁なのでしょうが、実際には旗本領含めて殆ど浪人賄いに等しい「巻き上げ」に過ぎないのですが、それに応え続けた地域の経済力の大きさ、綴られる金額の大きさ。数百両単位は当たり前、千両を軽く超える数字が並んでいくと、自分の知識の中にある江戸時代の金銭感覚が麻痺していきます(因みに将軍、家茂の三度目となる上洛に掛った費用は実に437万両…と)。著者はこれらの経済資本の立ち上がりを明治期に於ける殖産興業の勃興として好意的に認めつつも、その高騰するインフレ対策が後の新政権への重い課題として残された点を指摘します。

開国という未曽有の変化の中、一躍飛躍のきっかけを掴んだ地域の繁栄する姿と、同時進行で進む幕府倒壊への動きの中で渦巻く不穏な動きの双方を人と金銭の動きを綴る事で具体性を持たせて示す本書。

大きな歴史の動きを描く中では失われてしまう民衆の姿という輪郭を、金銭という尺度が判る形で示すことでその一端を補い、地域の歴史をから大きな歴史へのアプローチを示す著者の新たな試み。

歴史を多面的に捉えるために、郷土史とその編纂が果たす役割の一端を示すインデックスとして。

今月の読本「戸籍が語る古代の家族」(今津勝紀 吉川弘文館)反故紙を捲り音で読み解く、家と女、遥かなる記憶の断片

今月の読本「戸籍が語る古代の家族」(今津勝紀 吉川弘文館)反故紙を捲り音で読み解く、家と女、遥かなる記憶の断片

最近色々と騒がしかった「公文書」に関する一連の話題。

後年の人々にとって記録が残る事の大切さとその内容に対する興味深さ、時に恐ろしさは、歴史が好きな方であればご理解されるところかと思いますが、偶然に残ってしまった記録から辿られる歴史もまた興味深い一面を持っています。

今回ご紹介するのは、その偶然残った極めて貴重な記録から、より深く議論を掘り下げて語られる一冊です。

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館の歴史文化ライブラリー最新刊より「戸籍が語る古代の家族」(今津勝紀 吉川弘文館)です。

本書でメインに据えられる「戸籍」、著者はその制度や記録自体が古代の律令制以降、近代、実に明治に入るまで全国的な規模で整えられていない点をまず明示します。

巻末で「都市平安京の王朝政府」と述べられる、対外的な危機が遠ざかり、統一的な国内政策を行う必然性が薄れて地方行政が国司へと分権縮小化され、人身課税から土地課税へと転換した結果失われた「戸籍」をベースにした人身管理。明治以降に整備された戸籍法による人身管理まで大きく断絶するその制度の歴史的な空白を埋めてくれるものが、遥か過去に存在した戸籍、それも反故紙として偶然残された「裏紙」(コピーの裏紙も怖いのですが)に書かれた内容からの復元。

その保存過程から非常に断片的な内容(後年の整理で更に複雑化したとも)に留まる当時の戸籍、それでもこれまでの研究結果に基づき、他分野の成果も加える事で、当時日本列島に居住した人口を見出すことが(大まかにですが)可能となってきている事を示します。急激な人口減少に対して様々な警句が発せられる昨今ですが、歴史にご興味のある方ならご存知のように、明治初頭の人口は約3480万人と現在の人口の1/3程度に過ぎません。遡って近世初頭の人口はさらに減って1200~1800万人、著者の指摘する八世紀初頭の人口の推定はぐっと少なく僅かに450万人程度に過ぎないと指摘します。人口増加が年率1%を越えるのは漸く近代に入ってから、それ以前は0.1~0.2%という極めて低位な人口増加を示すに過ぎない点を、断片的に残った戸籍から見出す事が出来ることになります。

僅かな断片からでもその史料を繋ぎ合わせ、他に残された史料を突き合わせる事で復元されていく、古文献の検証による研究。著者は古代の戸籍が作られた事情とその形式から議論を始めますが、現在の戸籍の姿と大きく異なる点をまずは明確にします。当時の大陸との緊張した関係から生じた、兵力の確保と戦力の源となる生産力の正確な把握を目的とした極めて軍事的な色彩の濃い戸籍作成の経緯。そのため、記録される内容も兵士を供給できる単位としての「家」の姿を現している事を示します。古代の氏族制が徐々に形作られる中で編成された戸籍、家を構成する形にもその過程が色濃く反映されている事を示します。その結果、数値で復元された古代日本の姿は、典型的なピラミッド型年齢構成を取り、若年での婚姻と多産多死の傾向を明瞭に示す一方、残存する戸籍によって男女比が著しく異なるという奇妙な構成を示します。

残された戸籍の断片から見出す、現在の家族や親族とはかなり異なる様相を呈する「家」の姿。著者は其処に生きたであろう人々の姿をさらに掘り下げるために、戸籍に残された「家」姿からもう一歩踏み込んで、残された言葉の中にその核となる「男女」の姿を求めて踏み入っていきます。

兵站の基礎として整備された戸籍、徴税の元となる戸籍に残された成人男性を核に記録される家の姿。其処には妻と言う表現と共に付される女性と共に多くの妾、そして年齢がかみ合わない多数の子どもたちが存在する点を指摘します。多くは年長の男性に対して不釣り合いな若年の女性が複数含まれるという家の構成。経済力のある男性が複数の女性を妾として住まわせるという視点だけでは補正しきれない、明らかに連れ子と見做せる子どもの年齢。前述の婚姻傾向と高い出生率を添えてその主因を述べていきますが、著者は敢えてある問題について提起を行います。

現代に繋がる大きなテーマとなる「家」と「家族」という姿が、古代ではどのように構築されてきたのか。

近年まで続く家父長制が定着する前に、貴族の姿を綴る平安文学で語られる「通い婚」という形で男女が結ばれ、妻の住まいに夫が居住するという姿。貴族と言う限定的な範囲で残された記録から更に議論を発展させて「妻問婚」という生涯に渡っての通い婚という姿がそれ以前には存在していたのではないかと言う説に対して、その反証を試みます。

これまで述べてきた戸籍の内容を踏まえた上で、古代史を扱う者としては必須となる、万葉仮名(上代特殊仮名遣い)による音の読み分けを示した上で、これらの議論で着目される内容に対して改めて検証を加えていきます。本書の後半部分ほぼ全てを注ぎ込んで積極的に議論される、古代における男と女の関係から導き出されれる女性の一生、「家」が形作られる姿。その議論には当該する分野に強いご興味のある方にとっては看過できない論旨も含まれるかもしれませんが、著者はあくまでも古代史の研究家としての視点で、その姿の復元を述べていきます。

偶然の記録として残された断片から復元される、古代の「家」に示される姿。あくまでも断片である一方、最終章で語られる「改竄された戸籍」との対比から、明らかに当時の一側面を示す史料から述べられる内容は、これが全てであると言い切る訳にはいきませんが、現代的な家族と家というテーマにも一石を投じる内容。記録が残る事の大切さと、そこから何を読み解くのか、歴史研究者の方の視点を知る上で、興味深い一冊です。

同じく歴史文化ライブラリーより、本書と同じような経緯で残された史料、発掘される木簡から、その戸籍を綴る側の立場にあった官人、特に国造達の系譜に繋がる地方官人たちの姿を軸に、律令制、中央集権制という制度が日本に於いてどのようにローカライズされていたのかを再現する一冊「地方官人たちの古代史」併せてご紹介しておきます。

今月の読本「海辺を行き交うお触れ書き」(水本邦彦 吉川弘文館)著者と全国を巡る古文書の蓄積から見出す情報ネットワークの変遷

今月の読本「海辺を行き交うお触れ書き」(水本邦彦 吉川弘文館)著者と全国を巡る古文書の蓄積から見出す情報ネットワークの変遷

近年、江戸時代の行政システムや市民生活に対する積極的な再評価が行われつつありますが、これら再評価の大前提となっているのが、各地に集積、翻刻されつつある古文書の蓄積、その分析にあるかと思います。

幕藩体制と呼ばれる江戸時代、統治機構は御領と私領、寺社領の縦割り的な分断、身分制度は武士を頂点とした垂直・固定的と評される事が多いですが、これらの認識も近年の研究により大分異なる様相が見えてきています。

今回ご紹介するのも、そのような旧来の視点に立脚した江戸時代の統治機構に対して、横断的な検討からその変化を読み解こうとする一冊です。

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館の歴史文化ライブラリー最新刊から「海辺を行き交うお触れ書き」(水本邦彦 吉川弘文館)のご紹介です。

著者の水本邦彦先生は近世幕藩体制下における村落行政史研究者の方。既に第一線の教壇から降りられた方ですが、一般向けの書籍を含めて、現在に至るまで多くの著作を有されています。

非常に手慣れた筆致で描かれる本作。本書で描かれる内容を手掛けるきっかけとなった伊予、大洲と三河、刈谷に残された古文書に書かれた、長崎へ渡航する筈が遥か銚子に流されてしまった清からの貿易船乗組員を帰帆させるために行われた長崎への回航と沿岸各集落に対してその航海への援護を求める一文。「浦触」と呼ばれたその書面の文面が全く同一であることに驚く一方、付けられた発送元と廻覧先に興味を抱いた著者はその送付ルートの変化に着目していきます。

この南京船の漂流と帰帆の物語については、別の書籍(書名失念)で読んだ際にその経緯や帰帆するまでの足取を追った記録に大いに興味を抱いたのですが、本書では事情を知らせる浦触、その文書自体に焦点を当てていきます。

流石に多数の著作を有する著者と版元さんの連携が産んだのでしょうか、ここで本書はその発送ルートや廻覧方法の時系列変化やイベントに対して章を設けるのではなく、著者自らがその変化を探るために全国の古文書の原本や翻刻、研究者達の元を訪ね巡るというスタイルを用いていきます。

愛媛大学に籍を置いていた著者にとって馴染みの深い伊予、大洲を旅立ち、四国を巡り南の九州からもう一つの文書と巡り合った刈谷を経て北へ。陸奥、津軽藩と松前との関わりを追った後は日本海を下って西へ廻り瀬戸内海へ至る。浦触を探し求める旅を著者と共に続けることで、浦触のはじまりやその目的、廻覧されるパターンの変化を辿る事になります。各地に数多残る古文書、それらを翻刻する地元の教育委員会や研究者達が積み重ねてきた研究成果、著者と同世代の研究者達による古文書研究の過程で見出された浦触に関する情報を集めながら、事例を重ねながら全国を通じて行われた文書行政の変化を丁寧に紐解いていきます。

著者が見出したその変化、所謂幕藩体制の中核をなす、幕府、老中から各藩(留守居などを通じて)、所領に対して下達という形で伝えられ、各藩が有する藩内の伝達ルートを伝わっていく垂直型の伝達ルートに対して、特定の幕府職制、又はその業務を請け負った大商人や特定の藩が発信元となり、指定された廻覧ルートを辿り連判状のように各集落毎に印をおしていく(時には印を集めておいて藩庁や郡奉行所で一括押印、到着時刻表記の捏造?いえいえ、ISO運用にも見える日本の文書システムらしい形式主義を端から見透かす現場主義が掲げるルーズさまで…)姿が出来上がっていく事を見出していきます。

本来であれば支配違いの領地を跨ぐ行政文書の受け渡しなど想定しにくい江戸時代の支配制度ですが、多い時には年に数回と言う頻度で昼夜を問わずこれらの文書を所領を越えて隣り合う集落間で受け渡し、藩庁側の確認が後手に回る事すらあったことを古文書から見出していきます。浦々を伝わってそれこそ全国の海岸線を巡った文書行政の通達システム、浦触。徐々に完成を見た、浦々を継ぎながら繋ぎ合わされて押印された膨大な請印帳を見ると、その貫徹振りに、幕藩体制のもう一方の側面、全国政権であった徳川幕府の支配領域を超えて発揮、駆使された行政能力(実際に受け持つのは末端の各名主層と郡奉行たち)に感嘆させられます。

最後に著者は浦触の類似の姿としての広域行政文書の伝達例として、街道を継がれた伝達や海陸を含めた好事例である伊能忠敬の全国測量に伴う伝馬証文に続く先触の文書を示すことで、海陸を含むこのような文書行政による所領支配を越えて地域を水平に繋いでいく全国的な指示系統が存在した点を認めていきます。また、最後の指摘として、幕末の長州征伐中に発送された浦触に添えられた文書と配送結果から、その後の中央集権的な近代国家に脱し得ない幕藩体制の限界も併せて示していきます。

幕府による全国的な行政システムの実例を示す「浦触」の推移を著者と一緒に海岸線を巡りながら理解を深めていく本書。実例を理解しつつ網羅的に変遷を追いかけたいと願う読者にとって非常に楽しく、興味深く読む事が出来る内容なのですが、ひとつ、とても残念な点があります。

浦触れの伝達形態が各領地の行政権に委ねられる下達型から直接住民が携わる著者曰くの横断型へ、発信元が老中から勘定奉行や各地の代官所、大阪船手等の実務部門、現地部門へと移っていく点は、正に権限と運用が実情に合わせて現場へと委譲されている姿を明確に示しているのですが、惜しい事にその移譲の経緯や該当する幕府内での議論の推移に対して、本書では殆ど言及が為されていない事です。

著者には主著として「近世の村社会と国家」(東京大学出版会)があるので、前述のような疑問であればそちらを参照せよという事なのかもしれませんが、本書の帯にも描かれた、副題にも掲げられた「徳川の情報網、国家統治システム」を描くにあって、上位の為政者である幕府の動きをほぼスポイルしてしまった上で、終盤で「公儀」が与る情報伝達への言及がなされても、その背景が見えてこないようにも思われます。

主題である浦触の姿を著者と一緒に全国を追いかけるという文意に沿った内容としては素晴らしいと思いますが、掲げられた表題からみると、ちょっと片手落ちの感が否めなかったのは致し方ないのでしょうか。

 

今月の読本「大道 鎌倉時代の幹線道路」(岡陽一郎 吉川弘文館)考古学と文献史学が明滅する先に道の社会学を想う随筆

今月の読本「大道 鎌倉時代の幹線道路」(岡陽一郎 吉川弘文館)考古学と文献史学が明滅する先に道の社会学を想う随筆

日本の中世史を扱った書籍では通史としての大きな歴史と言うべき政治的な動きや、武士や公家、僧侶と言った個人、武士団、寺社などの集団をテーマにした歴史を扱った本が大多数を占めるかと思いますが、近年、それらの境界領域ともいえるテーマを扱った書籍も一般書として徐々に出回るようになってきています。

史料的な限界のある中世史という時代区分において、この分野では最も成功しているのではないかと思われるテーマとして、近年の進展が著しい考古学を援用した街道やその道を使った人々の動きを軸に歴史的な展開を描いていく著作群がありますが、更に一歩進めて「道」自体をテーマにしたこの一冊。非常に興味深いテーマではありますが、少々難物な読み物でもありました。

今回ご紹介するのは、吉川弘文館の歴史文化ライブラリーの最新刊より「大道 鎌倉時代の幹線道路」(岡陽一郎 吉川弘文館)です。

冒頭で提示される「かまくらかいどう」「あずまかいどう」という呼び名に対して、数多に溢れているこれらを呼称する古道達に対する著者の大きな疑念。それらを結び合わせても一筋の道が描けない事からも判りますように、後年の人々がある仮託を込めてそれらの名前で呼び習わし、現在に伝わった道筋たち。本書がこれらの道筋がどのように変遷したのかを辿りながらその道を作り使い続けた人々の姿を描いていく、考古学と文献史学をベースに歴史地理学と社会学が交差するテーマを深化させながら綴られる事を期待して読み進めていくと、ある意味大きな失望を受けることになります。

このように表現することは珍しいのですが、あとがきに書かれた著者の懸念と抱え続けるわだかまりがそのまま文中一杯に散りばめられてしまったかのような内容が展開する本文(著者より若輩ですが老婆心から述べさせていただくと、本書だけは「あとがき」は最後まで読まずに、とにかく本文を冒頭から追われる事を切に願う次第です)。

「大道」という名称の位置付けを語るかと思うと疫病と怨霊が渡る異界の扉としての道の話に飛ぶ。道の変遷を語り始めると近江の葛川から一気に現在の著者の研究フィールドである須川峠の山懐にある開拓地と領家を繋ぐ道の変遷の史料検討へ繋ぎ、更には学生時代に携わっていた鎌倉、犬懸坂、杉本寺の考古発掘調査の考察へと変転しながら東国の首都、鎌倉の盛衰を語る。鎌倉に話を飛ばすと、今度は大道や橋の維持に対して当時の公儀である幕府にその代行を買って出る事になる宗教者達、特に真言律宗の存在との共存関係から、重層的な支配関係の元にある当時の姿と政と聖の相互関係に思いを馳せる。

大道という言葉を頼りに、数頁から10数頁程度の小テーマが著者の思い至る範疇で書き連ねられ、これまでの検討や議論に対する著者の考察とも懸念とも取れる内容が随筆のように綴られていく本書。200ページを切る事もある歴史文化ライブラリーのシリーズとしてはやや過大とも思える全編294ページと言うボリュームで、これまでの研究者として歩んできた路傍に散らばり播かれた種を拾い集め愛おしく抱き抱えていく様な著者初の単著。散文的なその内容の要所には実に興味深い思索が含まれています。

「中世」の大道には古代王朝が生み出した大道とは異なる意味合いを考慮すべきであるという点。地形を穿つようなものではなく、多数の支配関係の間を縫うように繋がり、村と村、山村と市が立つような集落がある拠点の間を馬が通える道が通じれば、それは大道と呼ばれると指摘します。また中世の道の成立が交通の便宜、即ち軍旅であったり年貢や貢納の輸送の為に必要に応じて変遷していく点が古代の大道と大きく異なると指摘します。

その指摘の先に見出すのが、中央政権ではない鎌倉幕府の組織成立上の限界点。著者は為政者はその支配機構としてインフラ整備を行う者であり、それが当然であるという視点に大きな疑問を呈し、幕府として纏まった彼らが中央政権からスピンオフした軍事・警察機構に過ぎない点を忘れて、為政者としての過大な評価と期待を抱き過ぎて観ているのではないかと強い懸念を示します、その先に「鎌倉街道」を代表とした、当時の文献では使われる事のない単語を用い、我々を含めた後代の人々が中央に繋がるものへの憧れ、憧憬としての「大道」という幻想を抱いているのではないかと指摘します。ここで、鎌倉より北方の人々が抱く「中央感」と、より東国の中核に住む人々のそれが異なる点を「かまくらかいどう(鎌倉街道、かまくらみち)」「あずまかいどう」の呼び名の違いに見出す著者の視点は実に刺激的です。

更には、著者自身議論を控えているようですが、奥州の深部、奥大道の終着点で研究を続けられる方らしい視点ともいえる、当時の文物はいずれも京を交点に取り交わされるという如何にも一般的な視点を強く意識された見解が僅かながら語られます。近江の杣に当時の金額としても大きな十五貫文の銭を携えて木材を買い付けに美濃からやって来た地頭の下人の姿や、常滑焼の出土分布の向こうに、中央や鎌倉と地方と言う二元的な交流だけではない、物産を生み出す産地である地方と地方同士の交流史が見出せる素地があるのではないかという想いを滲ませていきます。

その上で著者が願う、考古学とも文献史学とも異なる、大道をテーマにした中世社会史と言う姿が描けるのか。研究者として既にベテランの域に達しつつある著者に、抱え込んだご自身の課題を解消された先に、一般書とはいえもう少しテーマを精査された一作も期待して。

同じ吉川弘文館の書籍の中には、前述の交流史を念頭に置いた多数の書籍が揃っています。頭の中に地図を思い浮かべながら、どのような人々が何を求めて行き交ったのか、現在の姿と重ねながら考えてみると、歴史を見る視点が更に広がるようです。

今月の読本「平氏が語る源平争乱」(永井晋 吉川弘文館)地理院地図と脇役達で淡々と描く、敗れ往く者達で綴る平家物語

今月の読本「平氏が語る源平争乱」(永井晋 吉川弘文館)地理院地図と脇役達で淡々と描く、敗れ往く者達で綴る平家物語

日本史に関する書籍の新刊が大挙して本屋さんに並ぶようになったここ最近。特に研究者の方が執筆される、これまでの歴史著述や教科書に対して議論を提起し、明確な訂正を求めていく筆致で綴られる書籍が多く見受けられるようです。

比較的若い研究者の方々によるこれらの著作。好評を以て読者に迎えられているようですが、読み物としてはやや背景描写の広がりに乏しいと感じる事があるのもまた事実。今回ご紹介するのは、それらの著者より一世代前に研究者としての足跡を刻み始め、豊富な著作歴を有する研究者の方がある疑問に対しての答えとして書かれた一冊です。

昨年末に読んでいた、吉川弘文館さんの歴史文化ライブラリー、12月の最新刊より「平氏が語る源平争乱」(永井晋)のご紹介です。

著者の永井晋先生は、長らく金沢文庫及び神奈川県立歴史博物館で研究活動に従事されていた方。近年、地元の関東学院大学に籍を移されています。主に源平合戦から鎌倉初期の鎌倉、関東をベースにした研究で知られる著者は、前述のように一般向にも多数の著作を有される方。本書も2015年に刊行された前著「源頼政と木曽義仲」(中公新書)の内容(と、今回と同じ版元さんから刊行された「相模武士団」に寄稿された論考)を受けた続編を意識された事をプロローグで述べています。

前著ではチェスのコマを動かすようにと自らを評された、著者にとっては手慣れた源平合戦が今回もテーマ。しかしながら、本書では詰将棋的な著述に陥らないようにと、偶然性や不確実性を織り込む事も念頭に置いていると述べています。また、著述のベースには平家物語を置いていますが、敢えて著者にとっては専門分野である筈の吾妻鏡からの引用を極力排除し、逆に京における公家の記録、特に玉葉の記述を重視し、史実としての主たる補正に用いています。

その目的は本質的に平家視点で描かれる平家物語を捉えるためのアプローチ。戦いを主導したいずれの勢力も武力による全国統一、全国の武権の結集を目指していた訳ではなく、あくまでも源平並立が成らなかった過程の積み重ねが武権の確立に至ったに過ぎない事を明確に提示し続けます。源平合戦を武士の時代の幕開け、武士の伸張の画期として捉える史実から遡るイメージからの脱却を図るために用いられた手法には、前著に続いて去りゆく者の視点へ心情的に寄り添う著述が伴われていきます。

研究者の方が書かれる日本史の一般書著述としては例外的な、本文中に於いて殆ど他の研究からの引用を明示せず(鵯越の逆落としの部分では、驚くような文献から傍証を引いていますが)、要所で援用される多くの研究成果を咀嚼した形で著者特有の淡々としたペースで綴られていく、平家を軸にした頼朝挙兵から壇ノ浦までという時間軸で描かれる本文の描写。そこには前著同様に八条院人脈を一つの軸に置く一方、平家視点という著者の狙いを具現化する為に、小松殿、小川殿、池殿といった一族内部と宗主宗盛との意識、距離感の違いが、八条院、頼朝、後白河等のキャスティングボードを握る人々(庇護者、複数に仕える主人のひとりであり授権者)と彼らの距離感から生み出されている事を繰り返し述べていきます(本書における平家内部を描く著者の考察と描写を読んでいくと、演出よりなにより、この部分における文芸的に見立てた際の判りにくさこそが、大河ドラマ「平清盛」不評の原因ではなかったかと思えてきます)。

心象的な駆け引きを持ち出すことで、繋がりや教養を有する事が何よりも大切だという暗喩すら感じられる登場人物たちの描かれ方。その結果、本書では頼朝や後白河といった大立者は完全に脇に置かれる一方、名だたる東国武士たちを宥めながら、兵糧に苦労しつつも九州まで着実に戦線を伸ばしていく、兵法にも明るかったはずと見做す範頼や、宗盛から疑心の目で見られ続けた末に八条院を通じて救いの手が差し伸べられた頼盛を好意的な眼差しで採り上げていきます。その一方で、一族の連携に疑念を抱かせる采配を執り続けた平家の宗主である宗盛や、強行突破攻勢の繰り返しが手勢の損耗から軍団の破たんをきたしている事を顧みず、自らの勝利だけに突出した義経、武人の境地と雅の心を踏みにじる東国武士たちの無粋な動きに対して明確な嫌悪感を示していきます。

そして通史としての源平合戦の推移。軍制の変化や平氏と源氏の軍事指揮権と率いた軍勢の逃散、揺れ動きの違いといった大局的な推移の記述は既にこの時代の歴史に詳しい方であれば、新たな知見や旧来の見解を明白に否定するような著述はあまり見当たらないかと思います(争乱終結後の武家に対する訴訟激増の遠因など、提起される内容が散発的に挿入されてはいますが)。その代りに持ち出されるのが、その年の気候条件による兵糧の集散やふんだんに掲載された地理院地図を用いた合戦場所の地形的な検討。そこには戦略面を綴る一方で、戦術面でその選択を行った背景を当時の軍制や輜重体制に問い、戦闘に至る経緯へ必然性と偶然性の双方を添えていきます。

闘う覇気が最初からなかったという旧来から述べられる見解を継承しながら、その背後にある過程を軟弱化ではなく、公卿を輩する家柄となった事による家職相応の姿からの乖離と捉え、彼らに従った家人たちの仕え方が軍制と合戦の経緯を通じて変化した結果が次の時代を生み出したのだというニュアンスを多分に含みながら。その流れの中で、玉である安徳天皇と三種の神器を奉ってしまったが故に源平並立と言う姿に立ち戻れず、繰り返し勢力を盛り返し、強力に抗いつつも西海に沈みゆく平氏への哀愁を、研究者としての筆致とのぎりぎりの狭間で描く本書。

著者の心象や偶然性の扱い方にやや疑問を持たない訳ではありませんが、史料だけではなくその背景までも描写しようと心掛けた著者の筆致による平家物語を描く本書。

一部の平氏の名のある武将たちが都度に死に場所を求めたために、特に撤兵時に纏まりに欠けた戦闘を強いられ続けたと見做すような見解や、これまでであれば後白河の風見鶏的な振る舞いが指摘される部分が逆に頼朝と後白河の提携が一貫して当然として取り扱われる一方、義経の突出の背景に彼が範頼に強い敵愾心を持っていた事を前提として西国での戦線進捗の背景を描く点など。

プロローグとエピローグで丁寧に述べられる著者が描きたいと望んだ叙述や疑問と実際の筆致を比較しながら、考えながら読みたい一冊。歴史を背景を含めて描いていくという命題と、それを研究、史実として扱うという筆致のバランスを再び考えされられる著者の手による平家物語の先には、どんな歴史描写を見出されるでしょうか。