今月の読本「動物園巡礼」(木下直之 東京大学出版会)動物園人と娯楽とした人々の業を禊ぎ歩く美術史家の巡礼記

今月の読本「動物園巡礼」(木下直之 東京大学出版会)動物園人と娯楽とした人々の業を禊ぎ歩く美術史家の巡礼記

何とも壮絶な一冊に巡り合いました。

これまでも動物園や水族館を扱った本は数多あったかと思いますが、不幸なことにその動物園の立地と常に尻を向け合う事になるという美術館、現在はその館長を務める美術史家の方が綴る、痛烈な批評精神と洒脱を以て動物園人(猿人?)へ向けられた一冊をご紹介します。

動物園巡礼」(木下直之 東京大学出版会)のご紹介です。

著者は大学の教授職と共に静岡県立美術館の館長も務める方。所属大学の出版会から出された一冊は大学出版会が刊行する著作としては少し異色の、著作歴そのままに砕けた筆致を具えています(最近は大学出版がこのような本を出しても、あまり驚かなくなりました)。

美術史、特に大衆芸術や文化史に関する多くの著作を有する著者。本書もその一連の著作に連なる内容を有していますが、テーマは動物園。臭いや音と言った芸術鑑賞を甚だしく阻害する動物園と美術館は相容れない存在ですが、前述のように公共施設として同じ敷地に作られる事が多いという奇妙な巡り合わせから本書は綴りはじめます。

本来は著者が講義のテーマとして採り上げた日本人と動物園の文化史の授業内容を一冊の本として纏めるはずであったものが、授業の流れから動物園関係者との縁が生まれ、JAZA(日本動物園水族館協会)の広報戦略に関与し、大学関係誌の連載に化けた末で本の執筆に至るという、複雑な遍歴を遂げて上梓されたようです。

相容れない関係を有する二つの「園・館」と「館」が奇妙な邂逅を遂げて綴られる本書、その関係がもたらした訳ではありませんが、実に辛口な内容が綴られていきます。その辛さはピリッとくる山椒や燃えるような唐辛子とは違う、辛さの先にスッと来るワサビのような清々しさもない。何処までもどこまでも唯々辛い「辛味大根」のような辛辣さで、江戸時代から直近話題となっている滋賀の某動物園に至るまで、人と動物園・水族館の残酷物語がひたすら綴られていきます。

ゾウから始まりクマ、サル、チンバンジー、恐竜、ライオン、ゴリラ、鯨類からカバ、ラクダそしてオラウータン。

著者が動物園人の業と呼ぶ、野生生物を檻に入れて取り囲み衆目に曝し、更には芸を仕込み、服を着せ煙草を吸い、自転車や電車を運転させては金銭を稼ぎ、戦争や言われ無き不条理の内に死に至らしめる。就中にはそれは研究だ学問だ生物保護だと言い出す身勝手さを、それを娯楽として興じた大衆を含めて存分に攻め立てていきます。

日本人が動物園と言う空間(物理的な固有空間を持たない場合も)を用いて行ってきたそれらの蛮行の歴史を禊歩く様に全国の動物園、施設を巡る著者。此処まで書くと、分ってはいるが動物園側にも言い分はあるという尤もなご意見が出てくるかもしれませんが、そこはJAZAの事業に関与した著者も御見通し。

表面的な残虐性ではなく、時代史の中で描かれ自らも体験した動物園と動物たちの姿として、昭和の時代描写を全面に掲げて描かれる、人文系の研究者ならではの膨大な知識力を背景に大衆芸術史を紐付けながら綴り込んでいきます。それは江戸の見せ物小屋から始まる長い歴史を有する大衆娯楽の一環としての動物芸と開港と共に上陸した動物芸が織り込まれたサーカス、標本、観察を主体とする近代日本にもたらされた博物学的な素地が公共サービスとしての公園施設の一環として奇妙な同居の末に発展を遂げたキメラのような存在。

近年の自然保護、動物愛護的な側面だけでこれらの推移を捉えようとすると、そんな小賢しい言を振り回しても無駄だよと言わんばかりに、昭和の名話者、小沢昭一のテイストそのままに、ユーモアと猥雑さすらも取り込みながら、文化史として縦横にいなしていく筆致で封じ込められてしまいます(この筆致と意図を含み笑いを浮かべながら受け止めらるのは、ある年齢以上の方ではないでしょうか。不幸な事に幼少期から「小沢昭一の小沢昭一的こころ」を傍らで聞かされ続けた、二世代以上年少の私は、まんまとこの文体に呑まれましたが)。そのような中で、何とかして動物たちに寄り添い、より良い環境を与えようと奮闘し、あるいは贖罪の如く命を捧げた飼育員、管理者達の姿もサイドストーリーとして捉えていきます。

見せ物としての動物園と人の関わりの過去を禊ぐ前半に対して、後半は現在進行形の姿。動物の愛護と野生生物の保護が存在の前提、お題目として唱えられても厳然として存在し続ける動物園・水族館、それをレジャーの一環として嬉々として受け入れている我々に対して暗側面を突く巡礼が続けられていきます。

著者が関与することになるJAZAの混乱から始まる、何故動物園・水族館と言う場所で動物、水族達を飼育し、観に行くのかと言う根源的な疑問へのアプローチ。敢えてJAZAの範疇を離れた姿を見せる事でその課題と闇の深さを強烈に印象付けていきますが、本書では最後までその回答を述べる事はありません。

動物園へお尻を向け(ていた)美術史家である著者から与えられた「お題」、それは日々動物・水族達に献身的に務める動物園人の皆様と、其処に価値を見出している、楽しみにしている我々に委ねられた課題だから。

<おまけ>

本書の中盤で語られる、捕鯨とイルカショー問題の原点にある、戦後の水族館激増と学術研究、娯楽施設の同床異夢について語る部分は、写真の著書(水族館日記 いつでも明日に夢があった)からの引用を含めて、(旧)江ノ島水族館の立ち上げスタッフで後に東海大学教授、東海大学海洋科学博物館館長を務めた、戦後の水族館運営、スキューバによる水中撮影のパイオニア、鈴木克美先生の協力で書かれています。著者と同郷の浜松出身ですが、ちょっとやっかみを込めた紹介がなされていくのも、著者の流儀と言う事で。

<謝辞>

神戸時代は道一本挟んでお互い一度も顔を合わせる事が無かったと文中で紹介された、JAZAにおいても著者と協業されていた、よこはま動物園ズーラシアの村田浩一園長先生に本書を紹介して頂きました。御礼を申し上げます。

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今月の読本「黄色いテント」(田淵行男 ヤマケイ文庫)澄んだ言葉が響く山に抱かれたナチュラリストの視線

今月の読本「黄色いテント」(田淵行男 ヤマケイ文庫)澄んだ言葉が響く山に抱かれたナチュラリストの視線

安曇野のナチュラリストと称され、豊科町に居を構えた山岳写真家、細密画家。高山蝶の研究でも知られる田淵行男氏は、数多くの著作を残されていますが、その多くが山岳写真や蝶、昆虫類の画集や写真集で占められています。

三十数冊になる著作の中で表題と共にひときわ異彩を放つ一冊、著者唯一のエッセイ集と称される一冊が、この度文庫に収蔵される事になりました。今回は「黄色いテント」(田淵行男 ヤマケイ文庫)をご紹介します。

本書のあとがきを読んでいくと、その成立には長い紆余曲折とそれこそ一冊の本が書けてしまうくらいの著者が執筆に腰を据えるまでのエピソードが添えられています(この辺りの経緯は、数年前に制作されたNHKのドラマや、同じ版元から刊行された「安曇野のナチュラリスト 田淵行男」を読んだ方が良いのかもしれません)。

実に戦前から1980年代初頭までに渡る、雑誌に寄稿されたコラムを含む一連の執筆作品を30年近く書き溜めた書き下ろしに追加して再編集したエッセイ集。山小屋でのいびきや山中での河畔の音は顕著に気になると回想するように、やや神経質で完璧主義者で知られた著者らしい、歳月の推移を感じさせない簡潔でかつ、透徹な文体で綺麗に整理、再編成された、著者自らが監修する、山岳、自然観察語録と呼べる一冊に仕上がっています。

こう書いてしまうと、ちょっとお堅い印象を持たれてしまうかもしれませんが、後半は版元さんが今もっとも得意とされている山の怪談・奇談のオンパレード。特に本物の山師たちとの山小屋での一夜の話など背筋どころか首筋まで寒くなりますが、山でしか体験する事が出来ないちょっとユーモラスな内容も綴られていきます。

写真や絵で表現することを旨とする著者による、文章を連ねる事でその想いを表現する本書。山での貴重な経験から始まり、著者の主たるテーマとなる高山蝶と密接な関係にある高山の花や樹木たちを語る前半。浅間山への想いと大雪山の調査行を中軸に置き、後半は前述の怪談・奇談やご本人のごく身近な山での心象と言ったエッセイらしい内容を集めて、一編十数頁で纏められた短文がテーマごとにぎっしりと詰め込まれています。

著者をご存知の方であれば、全編を通して読むという形より、むしろご興味に近い、気に入られたテーマの章をつまみ食い的に読まれる方がより楽しめる編集スタイル。今回の文庫版収蔵に当たり、ページ数の都合(丁度400頁、ジャスト1000円への配慮でしょうか)で残念ながら6編がカットされており、その中には「山とカメラ」が含まれているのは、山岳写真に関する想いを綴る部分があまり多くない本書にとって痛恨ではありますが、より多くの方に著作を手に取って頂くにはやむを得ない処置だったようです(親版の編集者の方が外部の編集者として今回も協力、解説で経緯を述べられています)。

表題にある著者のテーマカラー「黄色いテント」を背負い、山での単独行動を好み、山岳写真を撮りながら、貴重な高山蝶の観察、収集を続けた、日本のナチュラリスト創世記を生きた著者の活動。

偶然に出会ったライチョウ親子の縦列をハイマツの中に追いかけ、アルビノの高山植物を探し求め、行き交う道沿いに連なる木々に名を付け枯れ木となった先まで愛おしく観察する。山中でビバークしながら撮影のチャンスを待つ間も山々の移り変わる姿に目を配り続け、咄嗟の変化から得た機会を物にした大きな充足感に満たされる想い。添えられる写真と無駄のない透き通った筆致で描かれる山を往く姿を綴る文章は、何処までも澄んだトーンに満たされています。

その一方で、噴火中の浅間山火口まで3度も登頂し、山ではザックに入れる程のその山体を模した大きな石を拾っては自宅に持ち帰り、現在では許さない高山蝶を僅かな手続きで採取する一方、ケルンの林立には苦言を呈し、古の静かだった山への懐かしみを込めた筆致。特に執筆当時の登山ブームに辟易する一方で安易な登山者たちへの警句を発し、今でも議論が絶えない高山の絶滅危惧種たちへの接し方やその行動には、現在であれば自制を求められるどころか、社会的な非難を浴びる事は免れない内容も綴られています。流石に刊行年が1985年と自然環境保護や登山の安全性を強く叫ばれるようになった頃であり、著者は文中でその蛮行を反省する記述を添える一方、自然環境への眼差しまでも曲げるつもりは無い事をはっきりと述べていきます。

既に著者の時代でも減少が著しかった高山植物やその植物たちや木々を生活の糧とする高山蝶。その一方で容易に餌を得る事が出来る登山者たちの残飯を執拗に狙い続ける大雪山のヒグマとテントに襲来する鳥達、シマリス。一度餌を与えると小屋の中まで侵入してくるキタキツネ。著者からの手渡しで容易に餌を採る北岳のイワヒバリ。

静かな山の姿を独り占めしたいという、先駆者としてのちょっとした我儘心も見え隠れする一方、その自然の中に人が踏み入れれば容易に取り込まれていくことを包み隠さず述べる筆致。中盤の一節「コリヤス幻想」とそれに続く著者のベースである北アルプスを離れて大雪山での調査行から沸き起こった想い。そのような姿を全否定してしまう風潮に対して「自然は遠くにあって思うもの」にしてしまってよいのかという、山に抱かれ続けた著者の真摯な想いが述べられていきます。

山中に往く事を良しとし、抱かれつつ見つめ続けた雄大な姿をカメラで、愛おしく観察を続けた蝶たちを細密な絵筆で捉え続けた著者の眼差しが文章として綴られる一冊。自ら踏破し、山々に抱かれた先で向き合った繊細にして透き通った視点は、自然を愛でつつも常に折り合いを付ける事を求められる現在を生きる我々にとっても変わらない示唆を与え続けてくれます。

著者が終の棲家とした、豊科(現在の安曇野市)にある田淵行男記念館。実は田淵行男賞を受賞した写真家さんの受賞記念展示を見に行くために訪れたのですが、記念館に展示された当時の赤外写真と添えられる透徹な言葉にすっかり圧倒され、魅了されてしまったのが、著者を知る切っ掛けでした。

本書の解説において原著の担当編集を務めた方が絶賛する、生誕100年記念の展示会の為に制作された図録「生誕100年記念 ナチュラリスト・田淵行男の世界」(東京都写真美術館:2005)。展示会が開かれていた地階の展示室真横にある閲覧コーナーで、見学者の足並みが途切れるまで読み耽っていました。

どうしても欲しくなって購入した手元にあるこの一冊、実は田淵行男記念館で販売されていた最後の一冊です(職員の方から伝えられました)。小雪が舞う中、かなりの後ろめたさを抱えながら帰路に就いた事を今でも思い出す、ちょっとほろ苦い思い出。全く足元にも及びませんが、著者も足繁く通った同じフィールドでカメラを手に取る私にとって、写真が何を伝えるのかという意味を今も語りかけてくる、大切な一冊です。

 

今月の読本「土 地球最後のナゾ」(藤井一至 光文社新書)粘土と植物を化学と地理学で喋る、世界を巡り人類を支える12の土壌と黒ボク土への想い

今月の読本「土 地球最後のナゾ」(藤井一至 光文社新書)粘土と植物を化学と地理学で喋る、世界を巡り人類を支える12の土壌と黒ボク土への想い

関東地方に住んでいる人間にとって、子どもの頃からの泥んこ遊びと言えば、赤茶けた関東ローム層に塗れることかもしれませんが、場所が変われば土の色も変わる。地質にご興味がある方であれば、当たり前のように思えるかもしれませんが、その事を本気で追求し始めると、話は人類全体へと飛躍するようです。

今回はそんなテーマを追い求めた研究者が綴る一冊「土 地球最後のナゾ」(藤井一至 光文社新書)をご紹介します。

本書の著者はちょっと珍しい土壌の研究者。スコップを握りしめて世界の地面を這い回り、その土壌を集め続けた先に現職(国立研究所の主任研究員)に至っていますが、本書の前半では研究者としての現在に至る経緯を含めて、土壌を採取する為に世界を廻った物語と共に、その地にある代表的な土壌について解説が述べられていきます。

永久凍土より寒々しい親父ギャグ(著者はまだ30代です)がそれこそ蚊柱の如く間断なく襲い掛かる、手軽に読まれる事を念頭に置いた新書ではありますが、過去幾百冊と読んできた中でもこれほどまでに「酷い」文体(きっとギャグの分量だけで50ページ位にはなるのでは)は見た事ないと言い切れる壊れた本文。更には、日本における理系研究者の方が書かれる、自らの研究を題材とした本に典型的に見られる、主題を差し置いて迂遠に呟き続ける自らの生い立ちと研究苦労四方山話の数々。これがまた本文いっぱいに散りばめられているため(こちらも多分50ページ分くらい)、表題にあるテーマが描かれる部分はかなり絞られてしまいます(でも、この二つが無かったら新書としての体裁も整わなかったかも)。

五月蠅い程の余談の猛攻に読書意欲が度々折れそうになってしまいますが、それらを蹴り飛ばしながら読み進めた先にある、本来のテーマに込められた内容は実に興味深く、要所では読者の好奇心を巧く引き止める筆致に溢れていることが判ります。

土壌という意味の説明から始まる本書ですが、メインは著者自らが世界を廻って実際に集めてきた世界を代表する12種類の土壌の解説と現地での採集シーン。更にはユニークな視点で綴る、その地に暮らす人々の生活。ここで著者は園芸関係の方が読まれる事を念頭に記述を進めているようですが、本書が楽しく読めるのは実は植物や地質、更には地理学にご興味がある方ではないかと思えてきます。

なぜ12種類の土壌が生まれるのか。火星や月の土との比較から土壌が生まれる過程を説明していきますが、そこには大きなポイントが用意されています。地殻からもたらされる、土として供給される母体から土壌として作り出される間に生み出される粘土、媒介する微生物と植物たち。

土そのものがどのように変化して土壌となっていくのかを前述した三つのポイントを踏まえて、地殻の風化から微生物、菌類、植物、そして水が仲介する化学反応として捉える事で、その過程を易しく理解できるように解説してくれます。そして風化を促す地球レベルでの大地の移動と気候の変動。風と水が作り出す肥沃な大地とそれを保持する粘土の生成、植物にとっては諸刃の刃となる、土の元となる地殻からもたらされる金属イオンと引き寄せられるナトリウムイオン。園芸関係にご興味のある方であれば、施肥などを含めて植物がどのようにして土壌と上手く折り合っているのかを理解する上で特に興味深く読む事が出来るはず。一方、私のような樹木、特に「針葉樹」好きにとっては、極地や針葉樹林帯に分布する土壌と樹木の相互関係について、もう一歩説明が欲しかったところでもあります(腐植ですぐ分解される話だけではなく、寒冷地の土壌を作り出す遠大な過程の話もちょっと聞いてみたかったです)。

自らの研究の出発点となる裏山から始まり、極北から赤道付近へと降りていく、温度と水のマトリックスから順序を追って土壌の生成の違いを述べていく事で、気候的な要因を振り出しにその生成過程が変化していく姿を捉えていきます。副題にあるように100億人の人口を養うための土壌を探すことをテーマに据えて辿る12の土壌とその生成要因。前述のように脱線が過ぎるのは事実なのですが、不真面目な本だと軽く見ているとちょっと足元を掬われます。

世界を巡る物語の後半で述べられる、研究のベースに置いた東南アジアの地で、スコップ一本からできる土壌改良で世界を救うという壮大なテーマを掲げた著者の挑戦記。道程は遥か遠くのようですが、その過程では鋭い指摘が繰り出されていきます。著者もその一員として作成に携わった、世界の土壌分布から見た人を養える土壌面積の余りの少なさ、遍在性、その地にしがみ付く様に集住する人類。それ故に土壌改良の母材として表土を深く剥ぎ取られて海外に売られていくウクライナのチェルノーゼムと植民地の再来を思わせる農地の買い占め。農地に適さない事を理由に僅かな表土すら剥ぎ取られ、唯、骨材として売り払われるインドネシアの砂。そしてプレーリー(私の本は第3版ですが図版内の記述が「プレーソー」のままではと…)を覆ったダストボールと大規模集約農業における農地維持の限界。人類が生きていくためには農作物とそれを養う大地、土壌が必要だが、その維持にも開発にも常に有限の土壌を消費し、改質する事のリスクを負っている事を明確に示していきます。著者がマヨネーズ一本を持ち合わせなかったことを悔やんだ、赤茶けた表土が広がる野辺山の大地。

 

世界を廻った土壌の物語は最後に研究のスタートラインである裏山、そして「黒ボク土」から故郷の水田という、モンスーンに包まれ、世界的にも特異な土壌を多く有する日本へと戻ってきます。

霧ヶ峰における野焼きの失火の跡。梅雨を挟んで僅か2ヶ月ほどで此処まで緑が戻ってくるのが日本の環境。本書でも指摘のように、この地は縄文人たちが集住していた頃から火が入れられ、「黒ボク土」を生み出す元となったとも云われています。

 

現職関係者への忖度なのでしょうか、中盤まであれほど猛威を振るっていた筆致はすっかり影を潜め、真摯に現在の日本における農業と土壌について語り出す著者(これは少々狡いかと)。宮沢賢治の研究テーマからの示唆を添えながら、持続性のある農業、日本の農業を礼賛するような形で話を締めていきます。

黒々とした土の向こうに延びる、嬬恋村のキャベツ畑。

営々と繰り返される火山性の黒ボク土を土壌改良する先に生まれた、我々の生きる糧、食生活を支えてくれる農地としての土壌。世界を廻ってその現実を目の当たりにした著者は、再びこの地に根を張って、土の声を聴き続ける事を決めたようです。

足元に広がる土壌の不思議さとその貴重な土壌を糧に我々が生きている事を教えてくれる(ちょっと厚かましさ込みで)一冊。アスファルトが途切れた先で少し足元に目を向けてみると、もう一つの知らない宇宙がそこに広がっているようです。

 

 

今月の読本「ライチョウを絶滅から守る!」(中村浩志・小林篤 しなのき書房)もう躊躇は出来ない、第一人者の想いとこれから

今月の読本「ライチョウを絶滅から守る!」(中村浩志・小林篤 しなのき書房)もう躊躇は出来ない、第一人者の想いとこれから

高山に舞い降りる神の使い、雷鳥。

厳冬の雪山、丸々と膨らんだ可愛らしい姿で白銀の中を歩き、夏場になるとハイマツ越しに登山者が触れられそうな目の前を悠然と往くその姿に魅了される方は数多くいらっしゃるかと思います。一方で、危機的な状況が伝えられるその生息環境と生息数。繰り返し報道される保護活動と相対する高山植物の植生崩壊、更には想定外の天敵に捕食されるシーン。そのいずれの場面にも登場されるライチョウ研究、保護活動の第一人者である著者が、後継者と目される若き研究者と共著と言う形で著された、最新動向を綴る一冊が上梓されました。

今回は「ライチョウを絶滅から守る!」(中村浩志・小林篤 しなのき書房)をご紹介します(版元さんのHP更新が止まっておりますので、リンクはAmazonです)。

前著「二万年の奇跡を生きた鳥 ライチョウ」(農文協)から5年。その間にライチョウを取り巻く環境は大きく変化しましたが、それは著者にとっても同じ。豊富な著作を有する一方で、前著では研究を継承する立場であった著者が、今度は自らの名を冠した研究所を開設し、研究を次世代へと引き継ぐ立場に至った心境を踏まえた著述となっています。

まず、日本におけるライチョウの生活環境や繁殖、日本人の山岳に対する想いとライチョウといった著者にとっての一般論と言える部分は前著をほぼ踏襲していますので、前著を読まれた方にとってはかなりの部分が重複する内容になるかと思います(本書では抜粋に近い形での掲載になります)。

その上で、本書は著者が自らの研究所を立ち上げる直前から、以前にも増して積極的な活動をアピールする形でその成果や自らの活動、各地で展開されている活動に対する想いを述べていきます。しかしながら、そのアピールや提言、実際の活動内容については前著以上にある種の懸念も付き纏います。

日本における自然保護の根底にある、ある種の無謬性への憤り。手つかず、ありのままの姿という名で語られる、無改変であることを尊ぶ見解や抑制的な保護活動に対する強烈な反論。人を恐れないと云われるライチョウの無防備性自体が日本人と自然の関わり方の尊さ、共存の姿を象徴すると述べる一方で、積極的と言う言葉を越えた人為的な強制介入ともいえる現在の保護活動と、最新の研究成果も織り交ぜた一連の域外保全政策に対するフィールド研究者としての現時点ではやや否定的な見解。

ある意味苛烈とも捉えられる論旨が所々に含まれますが、そこまで一線を越えた活動を続けなければ種の滅亡に直面してしまうという、極めて危機的状況にあるという認識を繰り返し述べていきます。

50歳を過ぎてから前任者を引き継ぐ形で始めた著者のライチョウ研究。本意ではなかった研究から更に本意から外れる形で否応なく向き合うことになった現在の保護活動の姿を詳述する本書。既に70歳を過ぎた著者自身が、今度は研究と保護活動を永続化し後進へとバトンタッチする事も念頭に置いた、市民も参加する保護活動の一端を紹介しつつ、著者と同じように本意を曲げて研究、保護活動の道を歩み続ける共著者への強い想いを述べて筆を置いています。

地元出版社から刊行された本作品。長野県下以外の本屋さんで手に取る事は難しいかもしれませんが、報道等で繰り返し伝えられるライチョウ生息環境の急激な変化や、人工繁殖、保護活動の話題に関心がある方。更には、その愛らしいライチョウの姿に魅せられ、ご興味を抱かれた方にも一緒に読んで考えてみて頂きたい一冊。

長期に渡る低地での人工繁殖に一度は断念するも、類似種であるスバールバルライチョウ(写真)の飼育によるステップを経て、再びライチョウの人工繁殖に挑んでいる、大町山岳博物館

本書でも、4世代まで繋ぐ事が出来たその飼育実績を踏まえて、他の施設とは異なる飼育方法、餌の選定で人工繁殖に挑んでいる事が述べられています。

また、動物園関係者や獣医師の知見も踏まえて、フィールド観察から得られた親の盲腸糞を雛が食することによる腸内細菌の増加と感染症への耐性獲得の示唆といった、大町山岳博物館が超える事が出来なかった、継続的な域外保全の鍵となる知見も得られるようになってきています。

多くの方々に関心を持って頂く事で、より一層の保全活動に繋がる事を願って。

今月の読本「白神山地マタギ伝」(根深誠 ヤマケイ文庫)変わり続ける自然遺産の中を生きる過去と今を結ぶ一頁

今月の読本「白神山地マタギ伝」(根深誠 ヤマケイ文庫)変わり続ける自然遺産の中を生きる過去と今を結ぶ一頁

日本における世界自然遺産登録の先駆となった白神山地。そこは古くから山を生活の糧として生きてきた「マタギ」と呼ばれる人々が暮らす場所でもありました。

白神山地の北側、青森県の目屋に暮らしていたマタギ、故・鈴木忠勝氏は最後の伝承マタギとも称されますが、彼を死の直前まで取材し続けた、同じ弘前に生まれたアルピニストの著者による一冊の本がこの度、文庫に収蔵されて広く刊行されることになりました。

今回ご紹介するのは「白神山地マタギ伝」(根深誠 ヤマケイ文庫)です。略歴をご覧頂ければ分かりますように、著者は著名なアルピニストにして白神山地の自然保護運動の先頭に立って活躍された方。数多くの山岳関係の著作も有されています。

その中で今回、この作品が文庫化されたのは、ちょっとしたブームになっている山の伝承や怪異関係の本でヒットを飛ばした版元さん方針の一環だったのかもしれません。本書にもそのような物語が数多く語られていますし、特に白神山地の秋田側で聞き伝えられた内容については前述のシリーズとなる一作「マタギ奇談」と直接内容が重複する部分も含まれます。

では、本書がそのような「マタギ」の伝承を守り続けた方が炉端で語るような物語が淡々と綴られているのかといいますと、かなり様相が異なります。氏と同じ津軽出身者で、山歩きを熟知した著者に通じる思いがあったのでしょうか、著者の弁によると、兄弟や息子(マタギではありません)にすら語らなかったと称する、今は完全に失われた、山での生活や猟の姿を語る言葉を克明に汲み取っていきますが、本書のもう半分はそれとは異なる思いが綴られていきます。

全国的に見ても極めて稀な、2度にわたるダム水没に直面した地元の姿に対して、暗側面を突くルポルタージュが綴られる冒頭。マタギの伝承物語が始まるであろうと思う読者のややもすればファンタジーな想いを即座に挫くような内容から始まる本書ですが、表題と写真から手に取った、マタギ達に伝えられてきた山で暮らす人々の姿を彼らの言葉で語られると考えていた読者に対して、著者の経歴は単純にはそれを許さず、随所にこのような切り口の筆致を加えていきます。特に本書の冒頭と後半は、その表題とは異なる、別の一冊にも思えるほどに著者の白神山地そして、地元の山々やそこに暮らす人々への表裏を併せた想いを綴ります。

自然保護活動の先にやって来た、山での生活自体を否定する、保護という名のもとに行われる入山規制と彼らが残してきた山での暮らしの痕跡、杣小屋の消滅。「マタギ奇談」においても最後で語られる内容と同じことが、かの地を歩き慣れた著者によってより克明に、実態感を以て描かれていきます。山で暮らす人々が行き交うことで維持されてきた杣道の脇に立つ木々に刻まれた、自らが歩いた跡を示す痕跡。当たり前のように語られる、魚止めの滝の上流に彼らによって放たれ、その場所を新たな生きる場所として代を重ねて育まれ続けるイワナたち。山と麓の人々を繋ぎ現金収入の糧ともなった、正に「山師」たちと鉱山の存在を菅江真澄の踏破した足取と事績に乗せて綴る。メインのテーマになるであろう、クマを狩り、山に生きる姿自体にも、現在の我々が考える「狩猟」「ハンター」とは全く別の世界、流儀の中に生きていたと述べていきます。

ここで、著者は現在の「マタギ」という言葉自体への疑問を投げかけていきますが、本書で語られる鈴木忠勝氏自身も一時期サハリンに出稼ぎに出ており、著者はマタギの世界に入ったと綴る熊撃ちも、本来であれば父親のように何れかのマタギに弟子入りして伝えられるものを、自ら覚えたとされています。そのような意味では、本書で語られる彼自身の生き様も、刻々と変わっていく時代の中の一ページであり、著者が訴えかけ、帯に冠される「伝承マタギ」とはまた別の姿なのかもしれません。

白神山地を愛し、守ることに情熱を傾け続ける著者による、最後のマタギが残した言葉を借りて綴られる、奥深い奥羽の山々に生きる人の記憶を、そのままの形で今に繋げようと願う一冊。その想いと現実を伝える事は決して簡単な事ではないかもしれませんが、本書を手に取られる方にとって、さまざまに伝えられる自然遺産と其処に暮らす人々の姿に、もう一つの見方を与えてくれる一冊です。

 

今月の読本「イワナとヤマメ」(今西錦司 平凡社ライブラリー)フィールド分類学の金字塔はフラットに追及するエッセイとして

今月の読本「イワナとヤマメ」(今西錦司 平凡社ライブラリー)フィールド分類学の金字塔はフラットに追及するエッセイとして

一昨年の秋だったでしょうか、平凡社ライブラリーさんがSNSを通じて募集していた復刊アンケート。

最近は何やらBLやちょっとキワモノ系(腐ですかぁ…)の作品推しのようですが、バブル前後の一時期、このシリーズは自然科学に関する多くの作品を取り揃えていました。

当時は本屋さんというより釣具屋さんの書籍コーナーで見かけた懐かしい作品を推させて頂いたところ、復刊リストに載せて頂けた一冊。

昨年の復刊以来、出歩く先で本屋さんの前を通りかかる度に飛び込んでは探し続けても見つける事が出来ず。マイナーな復刊作品は全国チェーンの本屋さんでも地方支店には廻って来る事はないようで(本屋さんで注文せいというのはごもっともなのですが…)、結局ネット通販経由で買うことになってしまった、復刊一年後に漸く読む事が出来た一冊のご紹介です。

今回は「イワナとヤマメ」(今西錦司 平凡社ライブラリー)をご紹介します。

本書の著者である今西錦司先生は既に故人ですが、釣り人や淡水生物学の分野では極めて有名な方。後に日本モンキーセンターを設立され、日本における霊長類学の基礎を築かれるという多彩な経歴を持つ研究者です。元来は水生昆虫の研究者だったのですが、金字塔ともいうべき成果は、本職の分野だけではなく、その水生昆虫を餌とした渓流の魚たちの分類でも打ち立てたもの。更に述べれば、その論考は論文としてではなく、学会誌以外の雑誌などで発表され、学会側が追認せざるを得なくなったという、当時としても破天荒ともいえるアプローチと壮挙。現在の釣り師やアングラーをはじめ、写真家や収集家といった学術的な資質、経歴とは別次元の立場でも、フィールドで活躍されている方が学術的な成果に寄与出来る事を他分野の研究者として実地を以て示された、フィールド生物学の先駆となった事例を示した内容で綴られる一冊です。

本書は、その代表的な論考である「イワナとヤマメ」および「イワナ属-その日本における分布」の2編と、その論考を纏めるに当たって、広く全国をそれこそ網の目のように釣り歩いた登山家にして渓流釣り師としての視点で語るエッセイに、戦前を含めて、釣りに纏わる数点の小作品をまとめた一冊。戦前の1930年代から主著を含めて最も新しいものでも1960年代末の作品と少々古いのですが、そのような感じを全く受けない、研究者の方の著作らしい、平明な筆致で貫かれています。

地方によって呼び名が異なり、河川毎に、更には降海や本流、湖への回遊によって形態や模様も変化に富むイワナ、ヤマメ。現在のような遺伝子分析による分類学が未成熟な段階における、形態や生息環境に基づく分類が主であった当時。学会でも百家争鳴状態にあったその分類に対して、魚類は本職ではないが、山を歩き渓流を跋渉する事を生業としてきた、水生昆虫の研究者であった著者は、その後に覚えた玄人肌の釣技を駆使しつつ、当時はまだ豊かに残っていた(1960年代前半、著者は既に憂いの言葉を述べているが)各地の渓流を、地元の協力者や著者の研究に興味を持った研究者の協力を得ながら事細かに探索していきます。その結果、各地でそれぞれに呼ばれていたイワナ属たちのすべてが一つの属に集約される事を明確化し、遺伝子分類学が発達した現在でも、著者が提唱した分類定義(水温による棲み分けという考え方を含めて)が依然として利用され続けています(ヤマメの方については少し議論を先走りすぎたようですが)。

ここで著者の筆致に特徴的なのが、所謂釣り師や自然愛護家によって書かれた著作にみられる、自然への畏敬に満ちた、渓と魚たちへの哀歓を込めた詩情にも似た想いを綴る内容に対して、研究者らしく極めてドライに綴っていく点です。現地での行動やその釣果、最も注目していた彼らの形態や模様を、自らの検証と真正面から照らし合わせていく。他の研究者たちのこれまでの報告内容への厳しい指摘、詳述される自らの結論への揺ぎ無い想いを積み上げていく過程。その冷静な筆致は、終章として掲載された、若くして山で命を落とした芦峅寺の案内人へ送る哀別の辞においても崩れることはありません。

本書に釣り師が書かれた釣魚礼賛といった内容をご期待される方には、正直にいってお勧めできないのですが、もう少し視点を広げて、彼らの生活する場と、その多様な形態への不思議さを追求していく、自然科学の研究者としての矜持とその足取りを綴った一冊として位置付けるのであれば、これほど快活に、雄弁に物語る作品はありません。

また、現在の淡水生物の研究において、分析技術の進化や社会的道義性の延長とも捉えられる生態系サービスといった考え方がそれをもたらしたのでしょうか、時に悩みこんでしまうことがある点について、著者は極めて合理的に述べていきます。曰く、水系を跨いで別亜種が紛れ込むのは、聞き取りを行えば分かるように以前から人がその魚たちを渓を跨いで放流しているからであり、生息の減少については、釣り人の自制とともに、人工養殖技術の確立とその放流による回遊の解明、人工養殖による増殖を図ることを考えるべきである、と。その内容は、種の多様性と環境を時に無垢の宝石のように、介入する事を時に破壊と断じる現在の風潮をもってすれば、暴論とも見做されるような見解かもしれません。しかしながら、後の文化人類学者として片鱗が見受けられる、人が山々を跋渉し、生活していく事を至極当然とした著者の視線はそのようには捉えないようです。そこには、生物学の研究者としての現実を踏まえた、更には著者のそれまでの歩みが明瞭に刻まれているようです。

その印象を伝える、後半に纏められた三編の海外における釣行記。戦前の大興安嶺での探検における食料調達の為の釣行と、戦後に調査のために訪れたカラコルムにおける釣行を綴ったエッセイなのですが、その筆致には現在では多分描き得ない視点で綴られます。

遥かヒマラヤの懐までに自分たちの生活スタイルを持ち込み、放流され、丸々と太ったブラウントラウトを釣りに向かう、既に植民地としての立場ではなくなったにも拘わらず、召使のごとく地元の人を使いながら悠然と釣行に訪れる英国紳士親子。その一行に加わり、さもありなんという様子で描く著者。大興安嶺を往く探検行でも、現地の人々を使役している事が明白に判るにも著述にも拘わらず、それを意識することなく綴り、ロシア人の駄馬使いが使う目新しいスプーンでの釣りを一緒になって興じる姿を描く、なんともフラットな描写。

グローバリゼーションと地域への回帰が双方で論じられ、遺伝子分類学が急速な発展を遂げる中では余りにも古典に類する内容かもしれませんが、それでも強く惹かれる透徹した視点と筆致に魅せられながら。

戦前の京都学派の雰囲気が漂う、卑屈さや狭隘さを感じさせない(釣技や釣果については、釣り人の性故か、ちょっとした屈折感はありますが)往年の大研究者が自らのフィールドの周辺で見つけた好奇心への探求する想いに触れる一冊です。

 

今月の読本「水族館日記 いつでも明日に夢があった」(鈴木克美 東海大学出版部)バックヤードを担い続けた先駆者の情熱と想いは、みんなのための「水族館学」へ

今月の読本「水族館日記 いつでも明日に夢があった」(鈴木克美 東海大学出版部)バックヤードを担い続けた先駆者の情熱と想いは、みんなのための「水族館学」へ

地下に専門書が並ぶ松本の某書店さんは、ついつい長居がしたくなってしまう、山籠もりのしがいのある書棚がとてもうれしいお店。

そんな山籠もりの途中、生物関係の書棚で偶然見つけた一冊。多くがブルーを基調にした海洋生物の書籍の中でもひときわカラフルな装丁にちょっと驚きながら手に取ったその本は、なんと大学出版部の刊行書籍。版元故に、お値段はページ数の割にはかなりお高いのですが、ちょっと立ち読みしたその内容に強く惹かれて、購入して一気に読んでみた次第。

今月の読本、今回は「水族館日記 いつでも明日に夢があった」(鈴木克美 東海大学出版部)をご紹介いたします。

著者の鈴木克美先生は、戦後の水族館の変遷をバックヤードで身を以て体験し続け、現在の水族館人気を底辺から支え、リードをされてきた方。そのキャリアの中で3つの時代を画する水族館の開館当初や立ち上げに携わり、その後、本書籍の版元である東海大学の付属海洋科学博物館の館長、教授を務めるという、水族館、そして水族の飼育と研究にも多大なる功績を残された方です。また、日本で最初期のスキューバ(アクアラング)の実践者でもあり、日本に於ける水中写真の開拓者として、更には教育者として数多くの著作を上梓されています。

そんな著者がこれまでの足取りを綴ったエッセイ集である本書。本文の内容に合わせて描かれたカラフルな挿絵と共に、流石に多くの著作を手掛けられた流麗でありながらも、一本筋の通った筆致に身を委ねて読んでいくと、これまでの水族館に対する情熱と想い、そして未来の水族館に対する強い期待と希望の念が切々と伝わってきます。

現在まで続くアミューズメントとしての水族館の幕開けを告げた江ノ島水族館における開館当初からの飼育事情。掲げられた看板や開設者の想いとは裏腹のバックヤードの姿には、現在も多くの水族館に共通する課題がこの時点で生まれていた事を示しています。動物園と違い、飼育する水族や餌すらも自ら調達、飼育する必要がある水族館。動物園と共に設置準拠法は博物館法となるため、当然のように社会教養施設であり、学芸員を擁する研究、教育施設であると判断されそうですが、実際には動物園以上に当初からアミューズメント施設としての側面が強く前面に押し出されてしまいます(特に水族という括りでは、ペンギンや海獣、更には水生植物や無脊椎動物まで扱うため、フィールドが広大故に研究テーマとなりにくい)。

そのような想いが更に大きくなるのが、設計段階から手掛けた金沢水族館。陸上生物と異なり、水中生物、特に海水生物を飼育、展示するためには水がなにより大事。当時としては画期的な動物園や娯楽施設も擁するヘルスセンターという名のテーマパークのいちパビリオンとして、山の上に建てられた水族館で水族たちが安定して暮らせる水質、水量を常に確保するための技術検討から取り組む事になります。更には展示する魚を確保する為に必要となる潜水技量や捕獲技術、運搬技術、餌の開発と、時には技術者としての側面すら求められます。試行錯誤の中で生み出された、熱帯魚を展示の目玉として中核に置く展示スタイル、現在の水族館で用いられる飼育、保全手法の多くは、地域振興をテーマに掲げて当時日本中に増加した各地の水族館のネットワークを通じて、あまねく普及していった結果であることを述べていきます。

展示に特色を出すため、更には地域密着をアピールするために、自ら潜水技術を身に着けて水族館で展示する魚達を追う中で(実際には、日本海の魚は飼育も難しく、地味でお客さんの興味をあまり引けなかったと)、あらゆる協力を受けることになる、各地の水産試験場や、大学の臨海実験場。水産大学を卒業しているとはいえ研究者とは異なる道を歩んできた著者に、これら研究所の研究員たちは、その着目点や水族館ならではの環境、ある意味では研究施設が羨む飼育環境での観察結果に強い興味を示し、著者に対してそれらの成果を報告として纏める事を勧めていきます。果たして水族館の「社員」の身分でそのような研究に足を踏み入れる事が出来るのか、迷いながらも撮影した水中写真の発表を続け、水族館での業務の傍らに纏めた内容を研究者の方の好意で掲載を続けるうちに、更なる想いが芽生えたようです。

子供の頃から水辺の生き物が大好きで、何時も川に出掛けては追いかけていた少年時代からの想いを水族館というフィールドで描き始めた著者が更なる高み、アミューズメントとしての楽しさ、学習の入口としての役割はそのままに、研究としての水族館へ進む道程を次に見つけようとしていきます。

著者がその想いを叶えるために建築工事の真っ只中にやって来た3つ目の水族館。それは現在でも珍しい、研究の片手間ではなく広く一般の入場者を受け入れる事を念頭に設置された大学付属の水族館。大学の先生達が設計に加わった理想主義的な設備設計に手を焼き、設置直後から大学生の実習も受け入れることになったために当初は大変だったようですが、現在の視点で見ても大規模な一辺10m、深さ6m、水量1000tというメイン水槽を擁するその施設を最終的には館長として切り盛りしていく事になります。

著者のこれまで培ってきた水族館運営手腕と潜水技量、水中写真の技術に、多くの水族館員や大学の研究者、そしてこの場所を研究の一ステップとして選んだ海洋学部の学生たちの活躍により、その特異な位置づけを持った水族館は徐々に発展を遂げていったようです。深海から一気に立ちあがる駿河湾の環境が生み出す特色ある魚達の展示への挑戦、同じ湾内にベースを構える水族館同士の協力、更には地元の漁師の方々との紆余曲折を経ながらの協力体制の確立は、全てが上手くいった訳でも、成功したわけでもありません。特に、著者が現役を退いた後に他の水族館で続々と達成された飼育成功の話(例のマグロの話やマダラや深海魚、ジンベイザメ等々)については、殆どやっかみ同然の言葉を述べていく(反対に、現在まで飼育が上手くいっていない魚種に対しては、すわ当然といったちょっと大人げない反応も)点は、水族館のバックヤード一筋に情熱を傾けてきた自負の裏返しでしょうか。

そのような中でも、本書に於いて著者が力を入れて描き出す部分は、水族館がある意味最も得意とする繁殖における観察成果。雌雄同体や変体など、今でさえ比較的よく知られてきましたが、当時は非常に珍しい事例だと見做されてきた繁殖行動が、水族館での粘り強い飼育と観察の成果として次々と見出されてきます。本書の白眉と言えるかもしれません、本書が上梓される前の2012年までに戦後日本の水族館職員で在職中に学位を得た30本の学位請求論文リストが掲載された1頁。その7番目には、著者自身が東京農業大学から授与された際の学位請求論文名も掲載されています。金沢水族館時代に得た好意の延長に、更に着任してから約10年の研究を積み重ねた末に得た学位。アミューズメント施設として、または社会教育施設としての水族館に所属する職員が研究を行い、学位を請求することが果たして妥当なのか、内容が学位に相応しい水準と研究題材と言えるのか。学位を得た後で教授職を務めた研究者として、そのような疑問に対して、きっぱりとこう回答しています。

<引用ここから>

二千七百種もの魚を常に飼って、いつも施設が稼働している水族館には、水産研究以前の自然研究の材料が得られる。水産利用に役立つ学問といった狭い考え方にこだわらなくてもいいのではないか。

「研究する水族館」といっても、小難しい水族館にするのがいいわけではない。漠然と眺めて珍しく楽しければそれでいい水族館から、意外な知識と出会いを喜んでもらえる、もう一つの深い水族館へ、「ダーウィンが来た!」とまではゆかなくても、驚きを与える水族館へ、サイエンスを楽しく説明できる水族館へ。そこで生まれたオリジナルなナチュラル・ヒストリーが平易に語られる水族館もほしい。

<引用ここまで>

既に開設から40年以上の歳月が流れた、著者が最後に手掛けた水族館は、その想いに応える場としての役割を今も果たそうとしている筈です。昨今ではカリスマともいうべき水族館プロデューサー、中村元さんは、アミューズメントでなければ水族館は意味がないと常々述べられていますが、その一方で、ご自身が公開している日本の水族館を紹介するホームページで、著者が手塩にかけてきた水族館を評してこう述べています。

「なによりも、この水族館の魚類たちは、特別に状態がよく、どれも太りすぎずやせすぎず、傷もなく大きく成長し、なぜかしら色落ちもしていない。素人目にも分かるほどの飼育技術の高さに好感が持てる。」

この水族館を併設する大学の海洋学部からは、毎年多くの卒業生たちが全国の水族館に旅立っていく。そのゆりかごとしての役割を担い続けるこの水族館の施設やアミューズメント性は最先端ではないかもしれませんが、長年に渡って培ってきた、学研を兼ね備えた採取、飼育、繁殖、運営技術は、きっと全国の水族館を泳ぐ水族たちを魅せる「アミューズメント」の底辺としての役割を果たしている。その底辺を支えるために必要な技術と、学問的素養、継続的な研究。著者が望んでやまない「水族館学」はきっと皆さんも大好きな、水塊の先に繰り広げられるワンシーンをこれからも担い続けている礎となる筈です。

世界一、魚が大好きな日本に、世界でもとびっきりの楽しい水族館と、それを支える水族館学が培われていく事を願いながら。