今月の読本「水族館日記 いつでも明日に夢があった」(鈴木克美 東海大学出版部)バックヤードを担い続けた先駆者の情熱と想いは、みんなのための「水族館学」へ

今月の読本「水族館日記 いつでも明日に夢があった」(鈴木克美 東海大学出版部)バックヤードを担い続けた先駆者の情熱と想いは、みんなのための「水族館学」へ

地下に専門書が並ぶ松本の某書店さんは、ついつい長居がしたくなってしまう、山籠もりのしがいのある書棚がとてもうれしいお店。

そんな山籠もりの途中、生物関係の書棚で偶然見つけた一冊。多くがブルーを基調にした海洋生物の書籍の中でもひときわカラフルな装丁にちょっと驚きながら手に取ったその本は、なんと大学出版部の刊行書籍。版元故に、お値段はページ数の割にはかなりお高いのですが、ちょっと立ち読みしたその内容に強く惹かれて、購入して一気に読んでみた次第。

今月の読本、今回は「水族館日記 いつでも明日に夢があった」(鈴木克美 東海大学出版部)をご紹介いたします。

著者の鈴木克美先生は、戦後の水族館の変遷をバックヤードで身を以て体験し続け、現在の水族館人気を底辺から支え、リードをされてきた方。そのキャリアの中で3つの時代を画する水族館の開館当初や立ち上げに携わり、その後、本書籍の版元である東海大学の付属海洋科学博物館の館長、教授を務めるという、水族館、そして水族の飼育と研究にも多大なる功績を残された方です。また、日本で最初期のスキューバ(アクアラング)の実践者でもあり、日本に於ける水中写真の開拓者として、更には教育者として数多くの著作を上梓されています。

そんな著者がこれまでの足取りを綴ったエッセイ集である本書。本文の内容に合わせて描かれたカラフルな挿絵と共に、流石に多くの著作を手掛けられた流麗でありながらも、一本筋の通った筆致に身を委ねて読んでいくと、これまでの水族館に対する情熱と想い、そして未来の水族館に対する強い期待と希望の念が切々と伝わってきます。

現在まで続くアミューズメントとしての水族館の幕開けを告げた江ノ島水族館における開館当初からの飼育事情。掲げられた看板や開設者の想いとは裏腹のバックヤードの姿には、現在も多くの水族館に共通する課題がこの時点で生まれていた事を示しています。動物園と違い、飼育する水族や餌すらも自ら調達、飼育する必要がある水族館。動物園と共に設置準拠法は博物館法となるため、当然のように社会教養施設であり、学芸員を擁する研究、教育施設であると判断されそうですが、実際には動物園以上に当初からアミューズメント施設としての側面が強く前面に押し出されてしまいます(特に水族という括りでは、ペンギンや海獣、更には水生植物や無脊椎動物まで扱うため、フィールドが広大故に研究テーマとなりにくい)。

そのような想いが更に大きくなるのが、設計段階から手掛けた金沢水族館。陸上生物と異なり、水中生物、特に海水生物を飼育、展示するためには水がなにより大事。当時としては画期的な動物園や娯楽施設も擁するヘルスセンターという名のテーマパークのいちパビリオンとして、山の上に建てられた水族館で水族たちが安定して暮らせる水質、水量を常に確保するための技術検討から取り組む事になります。更には展示する魚を確保する為に必要となる潜水技量や捕獲技術、運搬技術、餌の開発と、時には技術者としての側面すら求められます。試行錯誤の中で生み出された、熱帯魚を展示の目玉として中核に置く展示スタイル、現在の水族館で用いられる飼育、保全手法の多くは、地域振興をテーマに掲げて当時日本中に増加した各地の水族館のネットワークを通じて、あまねく普及していった結果であることを述べていきます。

展示に特色を出すため、更には地域密着をアピールするために、自ら潜水技術を身に着けて水族館で展示する魚達を追う中で(実際には、日本海の魚は飼育も難しく、地味でお客さんの興味をあまり引けなかったと)、あらゆる協力を受けることになる、各地の水産試験場や、大学の臨海実験場。水産大学を卒業しているとはいえ研究者とは異なる道を歩んできた著者に、これら研究所の研究員たちは、その着目点や水族館ならではの環境、ある意味では研究施設が羨む飼育環境での観察結果に強い興味を示し、著者に対してそれらの成果を報告として纏める事を勧めていきます。果たして水族館の「社員」の身分でそのような研究に足を踏み入れる事が出来るのか、迷いながらも撮影した水中写真の発表を続け、水族館での業務の傍らに纏めた内容を研究者の方の好意で掲載を続けるうちに、更なる想いが芽生えたようです。

子供の頃から水辺の生き物が大好きで、何時も川に出掛けては追いかけていた少年時代からの想いを水族館というフィールドで描き始めた著者が更なる高み、アミューズメントとしての楽しさ、学習の入口としての役割はそのままに、研究としての水族館へ進む道程を次に見つけようとしていきます。

著者がその想いを叶えるために建築工事の真っ只中にやって来た3つ目の水族館。それは現在でも珍しい、研究の片手間ではなく広く一般の入場者を受け入れる事を念頭に設置された大学付属の水族館。大学の先生達が設計に加わった理想主義的な設備設計に手を焼き、設置直後から大学生の実習も受け入れることになったために当初は大変だったようですが、現在の視点で見ても大規模な一辺10m、深さ6m、水量1000tというメイン水槽を擁するその施設を最終的には館長として切り盛りしていく事になります。

著者のこれまで培ってきた水族館運営手腕と潜水技量、水中写真の技術に、多くの水族館員や大学の研究者、そしてこの場所を研究の一ステップとして選んだ海洋学部の学生たちの活躍により、その特異な位置づけを持った水族館は徐々に発展を遂げていったようです。深海から一気に立ちあがる駿河湾の環境が生み出す特色ある魚達の展示への挑戦、同じ湾内にベースを構える水族館同士の協力、更には地元の漁師の方々との紆余曲折を経ながらの協力体制の確立は、全てが上手くいった訳でも、成功したわけでもありません。特に、著者が現役を退いた後に他の水族館で続々と達成された飼育成功の話(例のマグロの話やマダラや深海魚、ジンベイザメ等々)については、殆どやっかみ同然の言葉を述べていく(反対に、現在まで飼育が上手くいっていない魚種に対しては、すわ当然といったちょっと大人げない反応も)点は、水族館のバックヤード一筋に情熱を傾けてきた自負の裏返しでしょうか。

そのような中でも、本書に於いて著者が力を入れて描き出す部分は、水族館がある意味最も得意とする繁殖における観察成果。雌雄同体や変体など、今でさえ比較的よく知られてきましたが、当時は非常に珍しい事例だと見做されてきた繁殖行動が、水族館での粘り強い飼育と観察の成果として次々と見出されてきます。本書の白眉と言えるかもしれません、本書が上梓される前の2012年までに戦後日本の水族館職員で在職中に学位を得た30本の学位請求論文リストが掲載された1頁。その7番目には、著者自身が東京農業大学から授与された際の学位請求論文名も掲載されています。金沢水族館時代に得た好意の延長に、更に着任してから約10年の研究を積み重ねた末に得た学位。アミューズメント施設として、または社会教育施設としての水族館に所属する職員が研究を行い、学位を請求することが果たして妥当なのか、内容が学位に相応しい水準と研究題材と言えるのか。学位を得た後で教授職を務めた研究者として、そのような疑問に対して、きっぱりとこう回答しています。

<引用ここから>

二千七百種もの魚を常に飼って、いつも施設が稼働している水族館には、水産研究以前の自然研究の材料が得られる。水産利用に役立つ学問といった狭い考え方にこだわらなくてもいいのではないか。

「研究する水族館」といっても、小難しい水族館にするのがいいわけではない。漠然と眺めて珍しく楽しければそれでいい水族館から、意外な知識と出会いを喜んでもらえる、もう一つの深い水族館へ、「ダーウィンが来た!」とまではゆかなくても、驚きを与える水族館へ、サイエンスを楽しく説明できる水族館へ。そこで生まれたオリジナルなナチュラル・ヒストリーが平易に語られる水族館もほしい。

<引用ここまで>

既に開設から40年以上の歳月が流れた、著者が最後に手掛けた水族館は、その想いに応える場としての役割を今も果たそうとしている筈です。昨今ではカリスマともいうべき水族館プロデューサー、中村元さんは、アミューズメントでなければ水族館は意味がないと常々述べられていますが、その一方で、ご自身が公開している日本の水族館を紹介するホームページで、著者が手塩にかけてきた水族館を評してこう述べています。

「なによりも、この水族館の魚類たちは、特別に状態がよく、どれも太りすぎずやせすぎず、傷もなく大きく成長し、なぜかしら色落ちもしていない。素人目にも分かるほどの飼育技術の高さに好感が持てる。」

この水族館を併設する大学の海洋学部からは、毎年多くの卒業生たちが全国の水族館に旅立っていく。そのゆりかごとしての役割を担い続けるこの水族館の施設やアミューズメント性は最先端ではないかもしれませんが、長年に渡って培ってきた、学研を兼ね備えた採取、飼育、繁殖、運営技術は、きっと全国の水族館を泳ぐ水族たちを魅せる「アミューズメント」の底辺としての役割を果たしている。その底辺を支えるために必要な技術と、学問的素養、継続的な研究。著者が望んでやまない「水族館学」はきっと皆さんも大好きな、水塊の先に繰り広げられるワンシーンをこれからも担い続けている礎となる筈です。

世界一、魚が大好きな日本に、世界でもとびっきりの楽しい水族館と、それを支える水族館学が培われていく事を願いながら。

 

今月の読本「外来種のウソ・ホントを科学する」(原題:Where Do Camels Belong? ケン・トムソン:著 屋代通子:訳 築地書館)生物多様性の対極にある西の島国から発する、人が為す意味付けの反意

今月の読本「外来種のウソ・ホントを科学する」(原題:Where Do Camels Belong? ケン・トムソン:著 屋代通子:訳 築地書館)生物多様性の対極にある西の島国から発する、人が為す意味付けの反意

最近特に話題となる事が多い、この単語。

我々の日常生活でも、気に掛けるシーンが随分あるかもしれません。

そのようなきっかけ、気づきを得た場合、我々が感じる感覚、感触が複数の人々の間で奇妙に同期したとき、大きなムーブメントとなって社会や行政が大きく動き出す時があります。特にネット社会と叫ばれるようになった昨今、そのようなムーブメントが巨大な力を得た時、言語的、物理的な暴力となって、制止出来ない暴走に繋がる事すらあります。

そんな時、複数の見解、カウンターとなる見解を持ち得る事は、物事を客観的に判断する際に特に大切な事。たとえ反対意見であっても、傾聴に値することには真摯に向き合う必要がある筈です。奔流の如く流れ込んでくる情報を捉える時に重要なのは、即断せずにより良く多く読む事。依然豊かな出版環境に恵まれた極東の島国には、多くの出版社と優れた翻訳者の方々が存在する事で、世界中の知識を母国語で触れられるチャンスがたくさん存在しています。

今月の読本は、そんな時にカウンター的な見解を大上段に掲げて論争を挑んだ、ある英国の植物学者が2冊目として上梓した、イギリス人らしい、物事を見る、考える側面を痛烈に突く一冊のご紹介です。

外来種のウソ・ホントを科学する」(原題:Where Do Camels Belong? ケン・トムソン:著 屋代通子:訳 築地書館)です。

邦訳題名より、よほど原題の方がその内容を痛烈に表しているようです(邦訳:ラクダは何処から来たか。答えは北米原産で、自然繁殖しているのはオーストラリアのみです)。

本書は、2011年に雑誌「ネーチャー」に掲載された論文「生物を出生地で裁くなかれ」を執筆した18人の共同研究者を代表して、英国シェフィールド大学で教鞭を執る著者が、一般向けにその趣旨を、敢えて対抗する議論へぶつける形で執筆した物です(なお、前述の論文を発表した直後、実に141人の研究者が連名で反論の書簡を発表したそうです)。イギリス人らしいウィットと厳しいジョークが最大限に似合うであろうテーマ構成、文体がこれでもかと続く本書を読み抜くには、そのページ数を含めて(本文288ページ)、ナイーブでせっかちな、更に読書時間も限られている日本人にとって、たとえ手に取ったとしても読み抜くにはかなりハードルが高い一冊かもしれません(訳書であるという点も加味すれば尚更)。更に、読者がこのテーマに期待する何らかの結論について本書は一切語ってくれないどころか、その期待する結論なるものを読者が安易に持たない事を著者は切実に望んでいます。

ではなぜ、このような暴論を企てるような一冊を送り出したのか(正確には2冊目)。それは著者の経歴を考えると良く判ります。著者の専門は植物学で趣味はガーデニング。良く知られているように、徹底的な環境の人為改変が進んだため、世界で最も在来種が少ないとされる(約1500種、高尾山の一つでそれを遥かに上回るとよく比較されます)島国、英国。その反動として、自然保護政策や在来種管理では世界的に最も進んだ政策を展開しており、更にはそれらに携わる研究者の数も他国を圧倒しています。そのような環境で教鞭を執り、庭園を愛する著者があらゆる事例を通して述べていく事、それは所謂外来種による影響と言われる一連の研究結果やデータ、マスコミ等で伝えられる報道の大部分が、アイコンとしての外来種に囚われ、短絡的に着目しすぎているという点を明確にするためです。

まず、著者は外来種に対する最もインパクトのある活動である駆除について、孤島やサッカー場程度の面積までであれば効果があると認めますが、それ以上の範囲に広がった外来種を駆除することは現実的にも経済的にも不可能であると述べていきます(それ以上の範囲で行った駆除効果と環境変化とを分離して評価する事は出来ないと)。更に、人為的な駆除の限界を悟った場合に導入される外敵の導入による撲滅についても、単純な確率計算上の結論同様に、導入した場合の16%については定着に成功する可能性があるが、その場合でも撲滅は出来ず、せいぜい共存する程度であると明確に突き放します。つまり、一度入ってきた外来種を人為的に駆逐することはほぼ不可能であると看破します(それでも膨大な資金と安全性評価の時間を投じて、日本から外敵種の導入を図る実験を進めている例を紹介します)。

一方で、その侵入から定着についての視点も明確に述べており、大英帝国時代に世界中にまき散らしたヨーロッパの動植物の導入記録(従って、年号まで確定できてしまう。ヨーロッパ内での移植種でも同じ)から、100個体未満であれば定着がおぼつかない一方、それを越えると、適当な環境が存在すれば確実に定着が進むと指摘します。また、導入を伴わない侵入の場合、その種の遺伝的多様性は極めて貧弱であり、適応出来た場合は一気に増加する一方、何らかの阻害要因が生じた場合には一気に減少に転じるという、増加と減少の特異性(中にはナミテントウのように、パージングという小個体群特有の超越法を具えている例も)が付きまとう点も指摘していきます。

これらの動物、植物学的な定着/放散過程について、専門家としての明確な視点を与えていく一方、本書はより根源的な外来種の問題点を指摘します。

それは、外来種と枠組み付ける物が何処まで行っても「人為的」選択の結果である事。在来か外来かの定義は全く以て後天的(イギリスの場合は15世紀以降、アメリカは物凄く判りやすく、コロンブスの「発見」1492年で線を引く。日本ならさしずめ、ペリー来航でしょうか)であり、生物学的な論拠とは言えない点。在来種より目立つ事、その特性として一気に増えるために目立つ事、自国原産、「在来」種というその地に住む人々の感性で容易に変化する枠組みである事。経済性を阻害する種である事(これは雑草や、漁獲、養殖を阻害する種であれば、在来種ですら容易に外来種と曖昧になる)。それが、人為的導入種であれば、その益害(当初の想定を逆転して害が上回ると判断された場合は更に)によって簡単に逆転してしまう事を示していきます。

更には、これらの外来種の在来種への影響について、多くの事例から生物多様性との相反に基づき、2項対立で評価を行う多くの外来種の影響評価には誤りがあり、環境系全体で俯瞰した場合、外来種が他の種類の植生を圧倒するのは一時的であり、その後の植生は多くの場合、外来種が侵入する前より豊かになる(特に外来種が侵入する様な脆弱な環境では)点を採り上げて、外来種の問題も、逆の立場となる在来種の場合でも、その種を用いたスケープゴートとして祭り上げている点に強く警鐘を鳴らしていきます。この議論を推し進めた先に、過去に環境が殆ど人為的に改変された英国らしく、在来種が本当に絶滅の危機に瀕しているのであれば、それが地球環境の変化によって生じる大きな変化の過程で生じていると判断できるのであれば、現在の生息場所に拘らず生息可能な場所へ人為的に移植することを否定してはならないと、その適用可能性の例までも示します。

著者は『沈黙の春』やダーウィニズムを採り上げて、それらに逆行する様な外来種を魔女狩りのように駆逐するために膨大な資金と労力を投じ、人為的な区分によって作られた在来種だけを囲い込むように保護する活動や、それらに対して学術的に不均等な示唆を与える事に対して、リンネ、ダーウィン以降が積み上げてきた自然科学に対する逆行だと強く非難し、我々は外来種の侵入を予測制御できる「聖杯」などを手にする事は出来ず、生態学に過剰な期待を持つことを止めてほしいと、研究者への過大な期待を持たれる事すらも拒否します。

あらゆる事を拒否してしまう本書。では、著者の本当の想いは何処にあるのでしょうか。

それは、要所要所に伏せられていますが、かつて世界を蹂躙した英国人だから立ち得る境地。外来種がはびこる場所、外来種が辿るルート、そして外来種を駆除しようとする場所。全てに於いて、其処に人の存在が介在している点です。ネイティブアメリカンが入植者たちが通った道筋を称して「白人の足」と呼んだように、ミツバチを「イギリスの羽虫」と呼んだように。人によってもたらされた自然の改変を、果たして人が御し得るのか。それが如何に難しい事かは多くの事例が示していますし、本書に於いても外来種の駆除の殆どが無駄に終わる点を明確に示していきます。その一方で、本書の原著題名に示されるように、著者が指摘するように、古生物学における知見から行けば、人が有する時間軸が変化として捉えている事象はスナップショットに過ぎず、環境の激変と捉えられる事象も、捉えらた時点における過程の微分を述べているに過ぎません。森林更新に極相がある一方、極相自体も時に一斉に更新される事は既に指摘されており、そのスタート時点において最も優勢なのは、外来種や在来種という枠組みではなく、極限的な環境に適応した先駆種であるに過ぎません(これは山の崩落地に落葉松がしがみ付く様にヒョロヒョロと育っている様子を見た事があれば、容易に理解できるはず)。そのような人為的な環境破壊を含む極限的な環境、更には農地やコンクリートで固めた護岸など限定的な環境に、人と一緒に(靴や衣服、作物種子を媒介に)渡ってきた外来種が優先して優勢となるのは当然であり、これを以て外来種が悪で、在来種が正であるという2元論は稚拙であるという点を、しっかり理解して欲しいという想い。

人がその営為を為す限り、その活動に付いてくる外来種の放散は決して止まらず、一度侵入した外来種はその環境の中で多様性の一翼として調律されるまでは、人為的な放伐はほぼ無力である事を明白に示し、その上で、過剰な発言や偏向、無意味な対策への浪費に対して、例え研究者が相手であっても、厳しい警鐘を鳴らす本書。

著者が願う、外来種の問題をより深く議論するテーブルに着くためには、イギリスの皮肉たっぷりに、黄金の時代にしがみ付いたと称する、時代が造ってきた時計の針を逆戻りさせるのではなく、もう一つの得意である、スコッチのようにじっくりと時をかけて、まだまだ数多くの議論と検証を闘わせ続けなければならないようです。

誰もがその議論に振り回されないよう、しっかりとした足腰を鍛えるための一冊として。

 

<おまけ>

本書に関連する書籍をご紹介します。

今月の読本(特別編)最後という名の未来を願った名著「職漁師伝」を経て、その一冊は今に続く姿を刻み込み文庫へと『溪語り・山語り』(戸門秀雄 山と溪谷社)

今月の読本(特別編)最後という名の未来を願った名著「職漁師伝」を経て、その一冊は今に続く姿を刻み込み文庫へと『溪語り・山語り』(戸門秀雄 山と溪谷社)

本ページでもご紹介している、今やほとんど失われてしまった、川をその生業とする人々の語る物語を、同じく川をフィールドとする釣り人のとして、同じ視線で、同じ河畔、溪に共に佇みながら、丹念に聞き取っていった記録と貴重な写真で綴った一冊「職漁師伝」(農山漁村文化協会(農文協))。その原点ともなった、当時の雑誌連載記事を一冊に纏めた書籍がありました。

著者が多くの原稿を出稿されていた山と溪谷社から丁度平成と年号が改まった後、バブル崩壊の足音が忍び寄ってきた平成二年(1990年)に刊行された『溪語り・山語り』(戸門秀雄)が、遂に新生ヤマケイを打ち立てる起点となったヤマケイ文庫に収蔵される事になりました。

編集者の方もこのように推されている一冊。山に纏わる物語や、山村、そして川、渓流釣りに関する書籍は数多ありますが、実際に一緒に溪を歩きながら、更には山の中に掛けられた小屋での語り合いを記録された物語は、民俗学を掲げる方々が一瞬で霞んでしまう程の、山で、川で暮らす人々が工夫を凝らした道具に対する知見と豊かな説話を積み重ねており、ニュートラルな筆致と併せて、他に追従を許さない独特の著述感「日本の溪と山を語る」世界を築き上げています。

本書が更に嬉しい点は、「職漁師伝」では表題の関係上割愛された、広範な川と山に関わりながら生きる人々の物語が語られる点。上田の伝承毛鉤に相木村の計算漁、伊那谷の虫踏み、そして井伏鱒二と下部の床屋さんの物語。一度聞いてみたかった、地元に残る川の物語が続々と描かれていて、多少なりとも地理感のある方であれば、活字を追うだけで、その風景が浮かび上がって来るようです。

更には、尾瀬の風物詩となった背負子さん発祥の物語に、カーボン竿を敢えて手中にする竿師・正勇作氏の苦闘、そして今最も話題となっている熊たちと山の人々の物語。山と川に纏わる実に広範な物語が描かれていきます。

このように書くと、30年近く前に刊行された本を通して、単にノスタルジーに浸るための一冊にも見えてしまいますが、著者の筆致の素晴らしい点は、ノスタルジーに留まらず、その先への想いを込めて、実情を述べていく点。著者が最も気に掛け続けている、最初に取り上げられる雑魚川と広範な奥志賀の山中で活躍した、往年の職漁師の系譜を継ぐ人々が先頭を走る渓流保護の実情や、魚止めの滝の上に住まうイワナ、そして山女と名のつく山村の川で交じり合うヤマメとアマゴ。会津も更に奥地の檜枝岐、そこらか更に渓流の奥深くに構えた山椒魚獲りの燻製小屋にまで大学の研究者と呼ばれる方々が押し掛けて大量の山椒魚の燻製を入手していく(発育不良の治療薬になるらしい)という、山里の物語が、最先端の話題にも繋がる事を示していきます。

そのスタンスは文庫化に当たっても貫かれ、全15本のテーマで語られる全てのお話について、数行ずつとはいえ最新の動向を載せいています。その中で、漁の規模が小さくなったり人が入れ替わりつつも、殆どのテーマに於いて30年近くを経た今でも、人々と山と川との関わり合いが続いている事を確認していく点は、本書が正に今に繋がる一冊である事を雄弁に語るかのようです。

山と川の流れがある限り、人がその場から去らない限りきっと続いていく物語の、失われようとする一面と、今もしっかりと息づいていることを再確認させてくれる本書、もし少しでも山や川に思い出がある方であれば、きっと楽しく、そしてちょっと懐かしくもその姿に、彼らの生き様に、今に力強く生き続けている物語に励まされる一冊かもしれません。

溪語り・山語りと職漁師伝

<おまけ>

本ページより関連する書籍のご紹介。

今月の読本「ウナギの保全生態学」(海部健三 共立出版)生物学が社会学へと繋ぐ、生態系サービスという名の架け橋は

今月の読本「ウナギの保全生態学」(海部健三 共立出版)生物学が社会学へと繋ぐ、生態系サービスという名の架け橋は

今年もこのシーズンがやって来ました。

近頃では年間を通して話題に上る事もありますが、やはりピークは盛夏のひと時。庶民の贅沢、夏の滋養の源としてもてはやされたのは既に昔、今や自然環境保護のシンボルに掲げられるようになったその魚が、一時に大量に流通する土用の鰻のシーズンです。

食として、漁獲や養殖として、更には生態の神秘について昨今色々と語られていますが、本書はその先へのアプローチを求めて上梓された一冊のようです。

ウナギの保全生態学今月の読本、「ウナギの保全生態学」(海部健三 共立出版)のご紹介です。

この耳慣れない「保全生態学」という言葉。はじめににもあるように、分量の割には決して安価とは言えない、しかも版元さん故もあって専門書のコーナーに置かれるであろう本書を手に取られる方にとっては、本書の1,2章で述べられる、ウナギの生態や巷間で喧伝される事柄については既にご承知かと思います。ウナギの生態と生息環境についての問題点、そして経済活動上の問題や課題をコンパクトに判りやすくまとめていますので、これらの問題点について理解するための取っ掛りとしても充分有用な一冊です(お値段が許せば)。

その上で本書のキーワードとなる保全生態学という言葉、昨今随分増えてきた、何でも詰め込めば良いと言わんばかりの表記に時に首を傾げてしまう、大学の新たな学科名の一形態にも思えてしまいますが、実際はどうなのでしょうか。

表紙にわざわざコーディネーターとして名前を連ねられている、著者の研究上の指導者である鷲谷いづみ氏が寄稿した巻末辞をご覧頂ければそのアプローチが判るかと思います。生物学がそのフィールドを広げて、広くその生息環境、更には生息環境に関与する社会的な構成にまで議論を広げていくために用いられる、幅広い領域をカバーする名称としての保全生態学。その象徴として、資源的にも有用かつ貴重であり、海と川を行き交い、魚類としては極めて長命を誇るこの奇妙な魚が最も相応しいと感じた著者の想いが述べられていきます。

アリストテレスを持ち出すまでもなく、このようなアプローチを突き詰めていくと最後は哲学に行き着くのは、もはや必然ではありますが、保全生態学はまだもう数歩手前、生物学がそのフィールドを研究室の水槽やフィールドでの調査活動からもう一歩進んで、社会的な価値やインパクトを与える事が出来るのかという道程を模索しているようにも思えます。その中で著者が用いるのが「生態系サービス」という聴き慣れない言葉。環境、経済に対して影響する区分を表を用いてその構成要素を示していますが、ちょっと首を傾げてしまうかもしれません。

人文社会学へのアプローチとして生物学側から提示された枠組み(フレームワーク)なのだと思いますし、その範疇が広く社会全般をカバーしている事はよく判ります。また、その象徴として声なきウナギを掲げる点は理念としては理解できます。一方で、主にサービスの受益者として、その枠組みの観察者として登場する生物学に対して、同じフィールドを経済活動として実際にサービスを供与すべき側に立つであろう水産学から見たとすれば、その捉え方はちょっと外的目線かつ、社会活動的側面が強く出ている気もします(これは理学と工学の分野でも同じことが言われています)。

そのような感覚を最も強く感じたのが、少ないページ数(本文140頁、参考文献を除けば130頁弱)の中で1割を費やして述べる、漁業法第127条(義務放流)に言及する部分。生態学の研究者の方々の多くが、漁獲制限を含む経済的な側面を指摘して(更には水産学に対して)統計的な資源量の調査の不備を指摘される度に引っ掛かる点でもあるのですが、一方で職漁者(特に内水面)にとっては、農業従事者が農地を所有し、里山を入会として管理しているのと同様に、職漁の場もまた同じであるという点が欠落しているように思えるのです。占有面である農場や圃場に対して公害抑止の観点で議論が求められる場合はありますが、それ以外の農耕や収穫に対して第三者の議論が持ち込まれる事はあまりないかと思います(本書では圃場整備による流路の固定化について言及していますが)。一方で、水面に対して完全な占有所有権を設定できず、川や海などが多くの場合、共用すべき空間、資源として認識されているが故に、一方的な漁獲が許されず、持続可能性が求められるが故にこのような条文が用意されており、逆に言えば、職漁者にとっては自らの漁獲の補償の範囲内の責任を有するに過ぎないとも捉えられます(減反やTPPのお話は別としたいですが、ことウナギに関しては、当事者から見れは同じように映る点があるのかもしれません)。

農業者にとっては自らの収穫や自らが所属する社会性の範疇における責任を有するのに対して、職漁者だけが自らの漁獲に対する弁済と規制のみならず、遥かに広範囲な責任を、自らが所属する社会性の外に対してまで負わなければいけないのであれば、その生物学からのアプローチは少々厳しすぎるようにも見受けられます。このような着目点において、職漁者自らが自然遡上を促したり、漁獲削減を含む活動を起こす例も既に出てきており、海洋水産物に関しては行政によるより強力な、資源調査や補償を含む禁漁等の資源回復策が試みられています(その活動には水産学系だけではなく、生物学系の研究者の方が多数協力されているのも事実です)。

その中で、著者が自然の生態を遡る事は既に困難になっていると評するように、コンクリート固めの養殖池然と化してしまった各地の湖沼や河川に於いてこれらの実現を図るためにどうすればよいのか。著者は保全生態学が望むテーマに則り、持続可能な社会の追及を標榜し、市民、そして国際的なステークスホルダーによる協業や意思の集約といったスケールの大きな議論に進む事を望んでいるようですが、その中に河川の水産資源を日々の生業として生きている方々の影があまり見えてこない点に、幾ばくかの違和感を感じながら。

その一生の多くの時間を淡水の影響を受ける水域で過ごすことが求められるが故に、極めて馴染み深い魚種故に環境変化の象徴として捉えられるようになりつつあるウナギ。一方で研究者にとっては、そのヌルヌルとした体のように捉える事を容易に許さず、分らないことだらけ故に、もしかしたら細分化の極限に行こうとする生態学的、分類学的な研究の狭路から、生物学の研究者自らが抜け出すための道筋を描き出そうとしている一冊なのかもしれません。

夕暮れの諏訪湖とシジミの放流実験看板時に「養殖池」とも揶揄される諏訪湖で実施されている、人工砂洲でのヤマトシジミの放流実験湖畔にて。

シジミを始め、江戸時代以降、繰り返し続けられてきた、各地から移植された魚介類によって漁撈が成り立っている諏訪湖。同じく移植されてきたワカサギの採卵事業は、今や日本中の湖沼におけるワカサギ供給の中核を担うようになっています。

この湖にも以前はウナギが遡上しており、対岸の岡谷市は今でもウナギを始め淡水漁獲物料理を名物としていますが、ウナギは完全に養殖頼り。それでも、職漁者や養殖業者が、これらのサイクルの最先端にある事で成り立っている事実を忘れないために。

<おまけ>

本ページでご紹介している関連する書籍を。

今月の読本「ウナギと人間」(ジェイムズ・プロセック:著 小林正佳:訳 築地書館)その神秘の魚は人と人が交わる中で密やかに物語を語り出す

今月の読本「ウナギと人間」(ジェイムズ・プロセック:著 小林正佳:訳 築地書館)その神秘の魚は人と人が交わる中で密やかに物語を語り出す

今年もこれから夏に向けて、あらゆる意味で再び話題となりそうな魚、ウナギ。

世界中のウナギを掻き集めて消費している日本人にとって、これから目の前で繰り広げられる狂想曲と、産卵場所探しや生育環境、更には人工養殖と飽くなき研究へのまい進。ウナギにまつわる物語の殆どがこの国にいれば把握できてしまうように思えてきますが、果たしてどうでしょうか。

サーモン、タラと並んで世界中の人々が好んで食する珍しい魚であるウナギ。その神秘に満ちた一生と特異な姿、人をも凌駕する長寿を誇る生態に魅せられたのは日本人だけではない筈。

そんな想いを改めて思い起こさせる一冊をご紹介します。

自然科学関連で、他の版元さんには見られないユニークな本を送り出してくる築地書館さんの最新刊からご紹介です。

ウナギと人間今月の読本、「ウナギと人間」(ジェイムズ・プロセック:著 小林正佳:訳)です。

本書を手に取られ、表紙や裏表紙に書かれた概要を読まれた多くの方は、おやっと思われるかもしれません。

著者があとがきで述べているように、そしてあとがきでまだ書き足らない想いを埋めるかの如く綴るヨーロッパにおけるウナギ料理の話や、ウナギのヤスのコレクションの雑感に観られるように、本書は当初、訳本に多くあるウナギをテーマにした広範囲な分野をカバーする文化史、生態学を纏めた一冊にする意図があったようです。日本の著作では珍しい、しかしながら訳本では当然とも見做される科学と文化の双方をカバーするウナギの概説書としての体裁。ところが、11年にも渡る取材の結果纏められた本書は、そのいずれにも当てはまらない内容へと着地しています。

著者は著名なアングラーであり、パタゴニアの創業者とコラボレーションを行うナチュラリストとしての側面も有する、自然科学関連ではかなり著名な方(本書の取材に於いても、ナショナルジオグラフィック協会の支援を受けた事が記されています)。多くの生物に関する著作を有する彼が本書で辿り着いた地平は、ウナギの物語ではなく、ウナギを挟んで語り合う著者と登場人物たちの人と人の物語。

冒頭と中盤に分けて描かれるサルガッソでの産卵場所の追跡や、シラスウナギのバイヤーの遍歴、中間に差し挟まれた、現:日本大学の塚本教授との語り合いの部分だけ見ていると、ライターの方が書かれた、良くあるウナギの不思議物語を読んでいるかにも思えてきます(塚本教授の印象を傍点付きで語る著者の視点には、氏の著作を複数読んだ身として深く同意するところです)。ウナギの生態や食材としてのウナギ、更には研究の物語など魚が好きな方なら思わず喜んで読んでしまう内容も豊富述べられています。

その一方で、3章から始まる(訳注を見ると、原著では3,4章で一つの章だったようです)マリオとウナギの物語を読んでいくと、その民俗学的なアプローチとルポルタージュ的な体裁の記述に困惑されるかもしれません。民俗学的なテーマを掲げた本では良く見られる、取材する側と取材される側の葛藤や迂遠に引きずり回させる回答への道筋、相手に徐々に呑まれていく著者とすっきりしない結末など、ウナギの生態や物語を知りたいと思われる方にとっては、時に苦痛すら感じる内容かもしれません。更には、アメリカの人里離れた川縁で大きな簗を毎年のように組み直しては、秋の増水時期に降下するウナギを待ち望む世捨て人のような燻製作りの男との会話、そして登場人物たちに誘われるように向かったポンペイでのウナギの伝説を追い求め、夜な夜なサカウに浸っていく著者と、そのアプローチに興味を抱き協力する若いCSPの職員。

ここまで読んでいくと、本書が単にウナギの物語を語っているとは思えなくなってきます。初めは乗り気ではなかった、あまり興味のなかった11年前の著者と、溢れるばかりの書き切れない内容をあとがきに綴り、それでも興味が留まるところを知らないと述べる著者。ウナギに魅せられていった著者と、おなじように著者が訪れた世界中の場所で、ウナギに興味を持ち、惹かれ、魅せられ、研究され、信仰し、神聖視し、恐怖し、稼ぎ、食し、育む…著者と交わった人々の物語。

春になると、金が舞い飛び密漁を含め多くのシラスウナギが東アジアに集結し、熱暑の時を迎えると、極東の島国に集められたウナギたちは鮮やかな手つきでかば焼きに仕立て上げられる。一方で、紫外線照明が降り注ぐ研究室ではシラスウナギの稚魚が水槽の中を舞い、雄ばかりの奇形ウナギにホルモン注射を与え続け、南の海では「科学者」でありつづけたい男たちが政府の資金でその産卵場所を嬉々として追う。

秋になれば、ニューヨークの奥地の川では黙々とひと夏をかけて巨大な簗を仕掛けた男が息子と二人、嵐の到来を待ちわび、南半球では、何十年もの間、川や湖で過ごして巨大に育ったウナギたちが満つる時を悟るかのように砂洲を越えて海に帰る時を男たちが見守る。その横で彼ら、彼女らが紡いできた物語に寄り添うかのように、窪地の水たまりに潜む巨大なウナギに餌をやり、時に手を差し伸べ、さするように愛おしむ人々。学問として語り継ぐことを決心した次の担い手たち。そして、南の島で自らの起源と生誕を来た道をその不思議な生き物に重ねて物語を編み、そっと伝えていく人々。

ウナギを介して交わった人と人の物語を編み重ねて綴られた本書は、その未だ生態の全容も判らず、生まれいづる場所すら容易に明かそうとしない、ウナギ自身の神秘のベールのように、著者の秀逸な筆致に載せて、大洋のようなその世界の広さを往きつつ、大海を渡って河口に辿り着いたシラスウナギを掬うかのように、僅かに捉えた事実をほんの少しだけ我々に垣間見せてくれるかのようです。

 

<おまけ>

本ページでご紹介している関連する書籍を。

今月の読本「犬と鷹の江戸時代」(根崎光男 吉川弘文館)江戸の地方支配から見る、御犬様と御鷹様の深い関わりを

今月の読本「犬と鷹の江戸時代」(根崎光男 吉川弘文館)江戸の地方支配から見る、御犬様と御鷹様の深い関わりを

15代を数える、江戸時代の将軍たち。創業の家康に始まり、終焉の慶喜に至るまでに、それぞれに特色のある人物像が語られますが、その中で愛称を込めて呼ばれた将軍は決して多くないと思います。

毀誉取り混ぜて名付けられる愛称、その中でも犬公方と鷹将軍(もしくは米公方)と呼ばれた、綱吉と吉宗は歴代の徳川将軍の中でも特に特色のある治世であった事で知られています。どちらも動物の愛称で呼ばれた二人の将軍、一見対照的に思われる二人の治世ですが、実は意外な共通点がある事をご存知でしょうか。

犬と鷹の江戸時代今回ご紹介するのは、二人の将軍に名づけられたその愛称に纏わる物語を描く一冊、吉川弘文館の歴史文化ライブラリー最新刊より「犬と鷹の江戸時代」(根崎光男:著)です。

著者はスペシャル版であった頃のブラタモリにも登場したことがある、江戸時代の鷹狩研究の第一人者(浜離宮のロケで、鷹狩のデモンストレーションに登場されていましたよね)。本書の一方のテーマである鷹将軍、吉宗を語るには相応しい方ですが、果たして犬公方を語るにはどうでしょうか。そんな想いで本書を読み始めると、著者にとって、どうしても犬公方たる綱吉の治世を解き明かさない事には、鷹狩の研究が進められない事情が浮かんできます。

表題だけを観ると、綱吉と吉宗の治世に伴う思想論の違いであったり、所謂文治政治と武断政治の相違を犬と鷹、公方と将軍という尊称の違いに仮託して話を進めていくように見えますが、内容は大きく異なります。綱吉が既に館林時代から鷹狩を行っていなかった事や、吉宗が旗本たちの綱紀引き締めのために鷹狩を用いた点については言及されていますが、本書ではその理由の核心や政治的な位置づけを探り出そうというテーマは掲げていないようです。

本書が着目する点、それは鷹狩を行うためには必須となる鷹狩の場所と、鷹たちを養う鷹役人たち。江戸時代の鷹役人たちの歩みを観ていくと、生類憐み政策に伴う大きな分断点が綱吉の時代に生じる訳ですが、彼らの家系はその後も続いて、吉宗の時代には規模は大幅に縮小されつつも、再び彼らは鷹役人として登場してくる。では、その間に彼らは何をしていたのかを追いかけた結果、意外な事実に突き当たる事になります。

江戸時代の旗本職制をある程度ご存知の方であれば、無役となった旗本達は寄合(大身ないしは布衣以上の役職を経た場合)ないしは、小普請に移る事はご承知の事かと思います。しかしながら、鷹匠や鳥見と呼ばれた鷹役人たちは、綱吉の将軍就任以降、殆ど一括して寄合番という、聞きなれない役職に振り分けられていきます。彼らの仕事、それこそが犬公方たる綱吉が推し進めた江戸市中に徘徊していた野犬たちの収容所、犬小屋の運営を監督する仕事。更には、元々の鷹狩場として、民衆の狩りが禁止されていた江戸郊外に広がる広範な地域における、生類憐れみという、意味を差し替えた上での狩猟禁止を維持するための仕事が待っている事になります。

犬公方たる綱吉の最大の政策である中野の犬小屋を始めとした犬の保護、隔離政策と、江戸近郊での鳥獣保護政策。その正反対に位置する吉宗の鷹狩再開と、鷹場の復活。どちらもその実務を担ったのは鷹役人たちであったという、冗談のようなお話の実際が語られていきます。

そして彼らの活躍した場所、鷹場における統治政策。吉宗の時代になると、鷹狩の獲物を確保する事を目的として、江戸から十里四方(約40km、西は相模川畔の高座、愛甲から北は高麗、入間、東は印旛から筑波に至るまで、更には海上も)にも及ぶ広大な狩猟禁止区域が設定される一方、深刻になる獣害に対応する為に、それ以外の場所における鉄砲の使用と所持の手続きは徐々に簡素化されていったことが明らかとなっていきます。筋という区域を分けて管轄ごとに狩猟場として地域を管理する鷹役人たちと、その他の地域を含めて広範な江戸近郊の農政を委ねられて、鷹狩の毎にその準備と馳走を受け持つ、歴代の伊那代官たち。獣害が発生しても銃を用いる事すらできない厳しい規制と、身元不明の浪人の排除や定期的な鳥見と網差による見回り(ここで、農民の前では御鷹様と呼びならわしてはいけないという、将軍の権威を振りかざして傍若無人の振る舞いがあった鳥見への掣肘の通達も述べられていきます)、鷹達の餌の確保を兼ねた水鳥問屋、岡鳥問屋の統制といった、将軍のおひざ元でもある江戸近郊特有の支配機構の一端を鷹役人の活動から垣間見る事が出来ます。

そして、本書ではこれら政策に直接恩恵を受ける、否、翻弄されたであろう江戸市中の民衆の負担についても検証していきます。隔離した犬たちの膨大な餌代(実に年間98,000両余り)、計画面積何と30万坪という広大な犬小屋を維持するための膨大な費用。更には、隔離しきれない犬たちを江戸近郊の農家に預けて養育した費用の全てが江戸市中の負担となっていました。

綱吉政権の末期、これらの政策は行き詰まりを見せており、中野の犬小屋は全面的な完成を見ぬまま、綱吉の死去によって終焉を迎える事は良く知られている事です。ここで、著者はどの時点で犬小屋の政策が縮小に至ったのかの検証を進めていきますが、これまで言われてきた家宣が将軍に就任した時点ではなく、それ以前から江戸市中の金銭面負担における不満を緩和する為に、大幅に囲い込み政策の規模縮小が図られていた事を見出していきます。此処でも最近顕著になってきた新井白石バッシング(もとい、正徳の治の再検証)が述べられていきますが、やはり無理のある政策であった事は、後世の我々にしても同じ見解に至るところです。更に廃止の余波は、なんと近郊の農家に委託して養育していた犬たちの養育費の返還というとんでもないしっぺ返しを生み出し、その返済が遥か享保の御世にまで至った事を資料から明らかにしていきます。

大きな負担を残した綱吉による生類憐み政策と鷹狩の全面停止から百八十度転換しての、吉宗の鷹狩再開。前述のようにその本意については本書では述べられませんが、治世上の効用については、吉宗時代に限らず、専門家らしく豊富な事例を述べていきます。天皇から大権を委ねられた武門の統治者としての儀礼の一環である鶴の献上と、大名、旗本たちへの振る舞い。儀礼を維持するために払われる鷹役人たちの涙ぐましい努力(鶴、半自然環境で飼い馴らしていたのですね)。鷹場を維持する為に鳥の巣(特に烏)を落として歩く農民たちと、江戸近郊故に鉄砲を持てない農民に代わって、わざわざ農村まで出張って鳥を撃つ鉄砲役人たち。その一方で、新田開発に伴う獣害に悩まされる農民たちの苦悩。生類憐みでも、鷹狩でも、結局のところ最後に大きな負担を強いられるのは、江戸市中の人々であり、近郊に在住する農民たちであった事が明確に述べられていきます。

翻弄される人々の苦悩に対して、ほんの少しの落穂ひろいとして語られる、享保期の犬事情と、享保の時代まで残った犬小屋、更には広大な敷地を誇った中野の犬小屋のその後。やや付け足しの感もありますが、ブラタモリにも通底する中野の今昔物語は、今や中央線随一の街並みを誇る場所となったそのきっかけが、実は広大な犬小屋の跡地にある。その変遷の上に現在の中野の街並みを重ね合わせて考えると、なかなかに興味がそそられるところです。

鷹役人と江戸近郊の地方支配から眺める、江戸時代の動物政策を語る本書は、通史に囚われず、ちょっと切り口を変えて歴史を眺める事で新たな発見を見出すことをテーマとしている本シリーズに相応しい一冊。たかが動物政策と切り捨てる事は出来ない、現代に通じる、当時の江戸近郊の景観を作り出していった根底には、個性的な将軍たちの治世と、翻弄された役人、そして人々がいた事を改めて見つめ直して。

犬と鷹の江戸時代と類書たち本書と併せてお読みいただきたい本。同じ歴史文化ライブラリーから「宮中のシェフ、鶴をさばく」(西村慎太郎)と、「馬と人の江戸時代」(兼平賢治)を。どちらも江戸時代における動物政策、前書は儀礼としての鶴包丁を中心にした公家の家職に纏わる伝承と、大切な収入源としての物語、更には彼らと関わる地下官人たちの姿を、軽快な筆致で実に闊達に描く。もう一冊は、江戸時代の一大馬産地である南部を故郷に持つ著者が、その想いを込めて南部の馬に限らず、江戸時代の馬産業、馬産政策から、飼育環境、農耕、馬具、桜肉…、に至るまでを網羅的に語る一冊。実は馬の物語にも、綱吉、そして吉宗の治世が深くかかわって来る事が冒頭で述べられていきます。本書で描かれる犬と鷹の政策と比較して読んでみるのも良いかと思います。本ページでは、こちらでご紹介しております

いずれも、本シリーズの特色が現れた、読んで楽しく、豊かな知見が広がる本だと思います。

今月の読本「ものと人間の文化史 鱈」(赤羽正春 法政大学出版局)日本海を舞台に鱪を追い川崎船を駆って樺太へと北上する漁民と、豊穣の底魚への想いを

今月の読本「ものと人間の文化史 鱈」(赤羽正春 法政大学出版局)日本海を舞台に鱪を追い川崎船を駆って樺太へと北上する漁民と、豊穣の底魚への想いを

以前から読みたかった一冊。

お魚関係の本が大好きで、色々買い漁りますが、日本で刊行される魚関係の本の多くは、経済関係か自然科学の研究者の方が執筆される、資源的な話であったり、生物学的な話に終始して、文化的な話がどうしても欠落してしまいます。

海外の訳本では、その関わり合いが比較的希薄な筈の魚類に於いても、文化的な側面を語るのが当たり前にも拘らず、世界に冠たる魚食文化、漁撈史を有するはずの国から送り出される本がこのような特定の内容に終始するのは少々寂しいお話。

そんな中で、文化史を軸にして、物の歴史を語るというユニークなポジショニングと、そのテーマの豊富さから一目置かれるであろう叢書に、法政大学出版局が刊行を続けている「ものと人間の文化史」というシリーズがあります。

非常にマイナーかつ、お値段も決して安くはないため、手に取るには躊躇するシリーズなのですが、扱っているテーマとその内容は、無二の存在。今回の一冊も漸くの想いで購入したのですが、期待に違わない素晴らしい内容でした。

ものと人間の文化史 鱈ものと人間の文化史171 鱈」(赤羽正春 法政大学出版局)です。

著者の赤羽正春氏は本シリーズの第一回配本であった、須藤利一氏の「船」に傾倒して研究者の道を歩み始めた方。本シリーズでの著作も既に5冊を数え、6冊目となる本書は、これまで温めてきたご自身の研究者としての発端となった「船」と、これまでもシリーズで語ってきた「漁撈、狩猟」という二つのテーマを同時に語る、集大成として最も相応しい素材としての「鱈」に行き当たったであろう様子が伺えます。

本書は表題である鱈を語るにあたって、二つの機軸を設定しています、一つは漁場を行き来し、追い求めるための道具としての「川崎船」、二つ目は漁撈を行う仕掛けとしての「底延縄漁」。どちらも、鱈漁を語るには欠かせないファクターであったとして、その経緯を示しながら、鱈漁の発展を描いていきます。

産卵期になると海岸に大挙して押し寄せるが、漁獲期として僅かな時間しか得られない、本来は漁獲の難しい底魚である鱈と底鱈(スケソウダラ、本当は魚偏に底という漢字が使えます)。その漁獲が難しい魚が、偶然にも16世紀頃にヨーロッパとアジアの両端で底延縄漁という、新しい漁法を以て勃興します。沖を回遊する鱪を追った漁で使われた延縄に重石を組み入れて(ヨーロッパではガラスの浮を併用したフカセとして)、海底近くに仕掛けを這わせるその漁法を編み出す事で、これまでは漁獲することが困難であった底魚が沖合深くの海底に豊富に存在することに気が付くことになります。

更には、その漁は地元の強固な権益で守られた入会がある沿岸から離れた、未開拓の荒れた沖合での船を操りながら行うもの。これまでの沿岸漁で使われていた船では足も遅く、波に呑まれて役に立ちませんが、ここで新しい船形が登場することで、沖合での漁、そして入会に影響を受けない沖合を転々としながら、各地で水揚げを下ろしていくという、現在の遠洋漁業に繋がるスタイルが生まれていきます。著者はそのいずれも大陸との繋がり、特に船形については、朝鮮出兵による影響を強く受けた、半島由来の軍船の設計手法がそのままスケールダウンして、川崎船と呼ばれる船形が成立したと指摘します。

南の暖かい海で鱪を追うための延縄と、半島の戦場を経て伝わったであろう沖合を進む事が出来る川崎船。その二つが交わった場所が日本海。対馬暖流に乗ってやって来る鱪を追う漁民たちが、荒れた佐渡と本土の海を安全かつ迅速に行き来する為に使われる御用船の設計を自らの船に取り込む事で為し得た、沖合から岸に寄せてくる鱈を獲る底延縄漁は、急峻に落ち込む深い海底から産卵のために浅場に上がって来る鱈を待ち構える事で、これまでにない膨大な漁獲に恵まれる事になります。中でも、双方にアプローチをする事が出来た新潟周辺、特に出雲崎でこの漁が大いに発展していった経緯を、綿密な調査に基づいて解説していきます。

著者の説に従えば、それが求められた故に生み出された底魚漁と、漁獲としての鱈と底鱈(イメージで語っている嫌いもありますが)。加工しやすく、干すことで日持ちもする、この膨大な未知の資源を追って、新潟、出雲崎の漁民たちは入会の先に広がる沖合を北へ、北へと進んでいきます。その足取りは、江戸後期の蝦夷地開拓の先駆と足並みを揃えていきます。本書では、明治維新以降、現在に至るまで各地に残る、彼ら漁民の足取りと現在の姿を追う事で、彼ら日本海沿岸出身者が明治維新前後から戦前にかけての北洋漁業を切り開いていった先駆者であった事を見出していきます。今も進出した先の在所では旧出身地毎に纏まった集落を形成し、旧出身地の選挙の際には応援に行くなど、長い年月を経ても、出身地との深い繋がりがある事を記していきます(北海道に定住した2世までは、在所に墓も持たなかったという気概には驚かされます)。

鱈を追った人の繋がりが残るように、その漁法や魚を追い、時には自らが移住していくための移動手段としての漁船もまた、日本海沿岸と深い繋がりがある事が語られます。本書の白眉、延縄漁の詳細な解説や漁場での展開、地域ごとの漁具の特徴、使用する餌の嗜好など、漁撈史としても貴重な内容が語られます。そして、著者の研究者としての立脚点である漁船の変遷についても、小早船から川崎船への変遷や、北海道に渡った川崎船が各地から渡ってきた人々と共にもたらされた船形と組み合わさり、個性は失いながらも完成された和船の最終形態へと集約されていく様は、和船にご興味のおありの方なら非常に興味深い点かと思います(川崎船の設計が、元々は金山御用のため佐渡との往復に用いられた小早船をそのまま1/2にスケールダウンした、幕府の軍船に直結する設計であった話などは著者でなくても、思わず膝を叩いてしまいます。幕末にペリーが来訪した際に、日本の小舟のスピードに舌を巻いたという彼の報告と合わせると、思わず納得してしまいました)。

明治に入って殖産興業が叫ばれる頃、動力船による独航船や底引き網、トロール漁など、新たな手段を得た彼らは、蝦夷から更に北を目指し、樺太、シベリア、そしてアリューシャンへとその舳先を向けていきます。ポーツマス条約による南樺太獲得以前から、入漁という形態で北方で漁を続けた彼ら。その後、領土に編入されたかの地で、蟹工船で有名な蟹漁、日魯漁業のシンボルともなった鮭鱒漁と並んで、無尽蔵とも思える鱈、底鱈漁にまい進していきます。その目的は、外貨獲得。本土で好まれる棒鱈や干鱈の形態とは異なる、欧米、特に鱈を追って大西洋を渡っていった人々の子孫達の国でもある、アメリカで特に好まれるストック・フィッシュとしての加工を施された北洋の鱈たちは、貴重な外貨獲得資源として輸出が続けられます。その癖のない食味はヨーロッパ人にも好まれる(ヨーロッパにおける下層民の食生活と大航海時代の双方における鱈の重要性については、下記にご紹介している「魚で始まる世界史」を是非ご一読の程)一方、ヨーロッパでタラ戦争が勃発したように、その資源は常に争奪の元となる鱈。新たに東洋に位置する北洋からもたらされた豊富な漁獲によって、第一次大戦を前後して飛躍的に輸出量を増やしていきます。

そして、かの地に進出した日本人の姿。時に海軍の支援を受けつつ、漁具から漁船、資材を持ち込むだけではなく、それらを作る職人たちも移り住み、細やかな漁法、水揚げされた漁獲物の扱いに改良を重ねつつ、徹底的に収奪的な漁獲を進めていく。この姿、敗戦後の日本が再び海外に乗り出し世界の市場を席巻し、今は現地生産の名の元に海外移転する工場が採る手法とを些かの変わりが無い事に驚愕します。日本人の特性なのでしょうか、著者もせめてもう少し現地に目を向けた態度を取っていればとの想いを筆致に乗せていきます。

無尽蔵に鱈が居るように思えた北洋の海底、それでも資源が枯渇する度に北上を続けた鱈漁は、漁獲の減少を補うかのように進化した漁船、漁法によって、高度成長期には300万トンという膨大な漁獲を得ていましたが、そのしわ寄せは200カイリ問題を引き起こし、北洋から締め出された結果、既に枯渇が始まっていた日本近海に戻っての漁獲高は年々減少、近年では30万トンを下回る規模にまで縮小しています。その中で、大切な食糧として、そして皆でその漁獲の喜びを分かち合い、年を越せた事に感謝する、漁獲そのものを与えてくれる海に感謝する、そんな素朴な想いを鱈に載せて今でも祀り続ける祭祀への眼差しを、最後に著者は述べていきます。

日本海を鱈を追って南北に駆ける漁民の姿を追う著者の筆は、最後に近世のヨーロッパで起きたバルト海の産物が地中海にもたらされる事によって起きた、ヨーロッパ世界の覇権の移り変わりを述べていきますが、そのような説明が無くとも、豊かな北の海、南極の海へと資源獲得の波が押し寄せたのはまぎれもない事実。その奔流の中で、したたかに、そして畏敬の念を以て漁獲を追い求めた、日本海沿岸を故郷に持つ人々の歩みと、枯渇の縁に立つ、古の豊かな漁獲へ想い、その回復への道筋に想いを馳せながら。

親不知夕景4

夏の親不知漁港。此処から北へ向けた海岸に点在する漁村が鱈漁の故郷。

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<おまけ>

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