今月の読本「新種の発見」(岡西政典 中公新書)フィールドの好奇心は世界の文献と知識を跋渉する先に結実する。体系を蓄積する「分類学」は全ての人々へ

今月の読本「新種の発見」(岡西政典 中公新書)フィールドの好奇心は世界の文献と知識を跋渉する先に結実する。体系を蓄積する「分類学」は全ての人々へ

毎月、多数の新刊が本屋さんに送り出される新書のシリーズ。

毎月刊行に合わせた、移り変わりの速いテーマをキャッチアップする事が求められるジャンルではありますが、一方でシリーズ刊行に相応しい、ラインナップとして長く読み継がれる作品が登場する分野でもあります。

今回ご紹介するのは、まさに後者に相応しい内容と筆致を備えた一冊。

新種の発見 見つけ、名づけ、系統づける動物分類学」(岡西政典 中公新書)をご紹介します。

ニュースなどで話題となる「新種」の発見。何やら奥深い山中や未開の土地、深海を捜索し続けて漸く発見される、宝探しのようなイメージを持たれるかもしれませんが、著者はまずそのようなイメージの修正から着手します。

各地に保管された標本を探し出し、詳細にその形態を調べ、場合によっては一部を切除して分析に回す。自らの頭の中に築かれたアンテナの感度を頼りに、世界中の言語を駆使して、データベースと史料の叢林に分け入り、誤謬を排除しながらその原点となる記載を見つけ出すor見つけていないことを執拗に調べ尽くす。その上で、初めて学術誌への掲載に向けた執筆と数多の修正、編集者、査読者からの膨大な質問に苦悶した末に、漸く「掲載」という名の「発見」に至る。

著者が冒頭で綴る、自らが新種登録を行った手順をまずは概要で示した上で、その背景をステップを追って解説していきます。

著者は三崎、油壷にある東京大学臨海実験所に所属する海洋生物に関する分類学の専門家。国内の専門学会大会参加者が100人にも満たない(最近100人以上に増えたと後半で喜んでいらっしゃいます)膨大な範疇を扱う分野の割には極めて限られた研究者の一員、更に言えば専門分野はクモヒトデ類の分類研究(テヅルモヅルの研究者と言って分かる方はもうエッジな「マニア」ですよ。喜んで読んでいる自分は…)というニッチ過ぎる分野の研究者の方ですが、そのテーマは極めて普遍的です。

リンネから始まる近代的な分類学が築き上げてきた知識、記録体系。その体系へと織り込んでいく過程と分類学が培ってきたロジック(命名則)を、自らの研究分野の事例を用いながら丁寧に綴っていきます。

フィールドワークをも得意とする自然科学系の研究者の方としては例外的と言えるでしょうか、誇張を抑えつつも小気味よさと落ち着きも備えた著者の筆致(ジョジョは思わず吹きましたが)。その筆致を背後から支える、編集者の方のアドバイスもあったであろう、著者の研究を前面に掲げるのではなく、背景を織り交ぜながら、丁寧にステップを追った構成。往年の中公新書に通貫するスタイルを思い出させる、四六判の叢書のようにじっくりと丁寧に読みたい、とても良い雰囲気を持った本文。

著者の大好きな想いと読者にも興味を持ってもらいたいという願いが滲み出る、海洋深海生物から大きく離れて、森林の昆虫から土壌生物の採集法。海辺に向かって潮だまりから砂浜に潜む極小の生き物たちを眺めた後にはメインフィールドである海洋から深海へ。広く標本採集のフィールドガイドを述べつつも、フィールドを害する無理な採集への警鐘や洋上作業、スキューバの危険性をしっかりと添える。日本の海洋生物学揺籃の地となった、三崎の臨海実験所の歴史的な役割や成果についても分類学を背景に述べる一方で、稀代の採集人、青木熊吉の業績を紹介する内容もしっかりと織り込む。更には、新種の登録過程、命名則については自らの過ちも率直に述べながら、日本の「サザエ」に実は学名が与えられていなかったというタイムリーな話題、題材を用いて、歴史的な背景から始まり利害や名誉(混乱を防ぐために存在する調停機関も)を含めた国際的な学名登録の複雑な一面を(一般の読者が理解できる形で)丁寧に説明していきます。

そして、まだ若い著者が見据える未来の分類学。分類学という分野自体、著者が述べるように、事前の知識的な蓄積や前述のように長期に渡る手続きを求められる体系的な学問のため、自然科学の分野の中でも特に文系的な分野といえるかもしれません。著者はそれ自体が新種の登録や新たなフィールドワークへの妨げになっている点を認めていますが、同時にこれらの分野における情報技術の進歩は正に秒速で進んでおり、分析機器の進化もこれまでであれば抽出不可能であった標本からDNA情報を迅速に取り出すことが出来るようになるなど、形態を軸にした文献と標本の蓄積による分類学が大きく塗り替えられつつある状況にあります。著者はそれらの動向の何れにも好意的な眼差しを向け、分類を支援する技術の普及によって(ご自身が大好きであろう)フィールドワークへの時間を今以上に割けるようになる事を願いますが、一方で変わってはいけない点も明示します。

それは、分類学がやはり蓄積に基づく学問体系であること。人が訪れて初めて地図が描かれるように、人が見つけ、認知し、識別し、体系化した上で命名する事により初めて「種」として位置づけられる。その位置づけは時代と研究の進歩により変化し続ける事項ではありますが、リンネ以来築いてきた安定した体系があればこそ、その変化を見定める事が出来る。他の研究分野に対しても指標としての位置づけを与える事が出来る。フィールドワークへの深い想いと同じように、学問としての分類学への強い矜持を示す著者。

そんなちょっとお堅い話となってしまう終盤ですが、著者が求める分類学はより多くの方へ門戸を開くことを望んでいきます。近年活発に行われるようになった、フィールドワークを専門とされるダイバー、水中写真家の方が日々撮影される膨大な映像、画像から認識される水中生物の驚くような分布傾向とそれを体系として支える分類学の役割。更には多くの一般の方の参加やSNSを通じた外来生物の分布調査にも分類学が役立てる部分がある事を示した上で、みんなが新種発見の主人公になりうる(巻末の付録をみてちょっと微笑んでしまいました)、そうなれば分類学が永遠テーマとして掲げる、地球上の全生物を分類する事すらも夢ではなくなる時が来るかもしれません。

「新種」とうテーマを梃に、フィールド研究者というもう一つの視点から分類学という名の研究室で埃を被った資料や標本を向き合う人々というイメージを塗り替える、丁寧な筆致で綴られた素晴らしい入門書。

フィールドワークが好きな方も、体系学としての分類学に興味のある方も、もちろんちょっと強面系だったり奇妙奇天烈な深海生物や、テヅルモヅルファン?の方にも(あの本、何冊売れたのでしょうか…)、是非お勧めしたい一冊です。

<補足>

著者の方がご自身のHPに本書の紹介と正誤表を出されています。ご参考まで。

冷え込む晩春の日々、名残の桜を(2020.4.23~25)

4月に入ってから季節が逆戻りしたような朝晩の冷え込み。

極端に暖かかった冬と例年になく早く訪れた春の足取りを整えなおすかのように、大きく地球が深呼吸をしているかのようです。

季節が一か月逆戻りしてしまったかのような、ひんやりと冷え込んだ朝。

それでも空の色は既に春模様。春霞の向こうに筋雲が曳かれていきます。

県境を渡る道の端。

他の桜達がそろそろ花を散らす頃になると漸く咲き出す、濃い紅色の蕾をいっぱいに付けた枝垂桜。冷え込みが続く中、例年通りゆっくりと花を開き始めます(2020.4.23)

4月も20日を超えての雪の予報。よもやと思いつつも夕暮れになると南アルプスの山並みを覆いつくす雲。急に、車が押されるほどに強く冷たい風が吹きつけ始めた後には激しい雨と共に霙と雪。慌てて帰路につきます(2020.4.24)

雨が上がった翌朝。

冷え込みがまだ残り少し肌寒いですが、朝から眩しい日差し。春霞の向こうに聳える南アルプスの山々は再び雪化粧。これほど遅くに雪が降るのはちょっと記憶にありません。

お昼前、早めの時間に買い物に行く途中で車を止めて、少し圃場の周りを歩いてみます。

甲斐駒を遠くに望む県境の谷戸。

山里の春もそろそろ終盤、景色も少しずつ彩を増していきます。

暫く歩くと圃場の脇に見えてくる大きな3本の山桜の木。

界隈で一番遅く花を咲かせる鼎談桜。4月に入ってからの冷え込みでまだ蕾は固いまま。春の訪れが早かった今年ですが、次の季節の訪れを伝えてくれる山桜の開花は例年よりちょっぴり早い程になりそうです。

八ヶ岳を正面に望む圃場の畔を歩きながら。

抜けるような青空の下、昨夜降った新雪が輝いています。

春霞の向こうに浮かぶ甲斐駒の雪渓。

お昼近くになると南アルプスの上空は暖められた空気でどんどんと霞んでいきます。

薄っすらと春霞に浮かぶ、晩春の新雪に染まる鳳凰三山。

一段上の圃場に上ると、甲斐駒を望む桜の木々が見えてきます。

小さな公園を囲む桜の木々。

標高900m付近の桜はもう散り始め。

名残の桜と新雪眩しい八ヶ岳。

山を下るひんやりした風と眩しい晩春の日差し。普段立ち止まることが少ない場所で、ちょっと歩みを止めて。

再び何時もの道を進むと、立派な枝垂桜の木が見えてきます。

付近にバイパスとなる広域農道が開通した後、めっきり車の通りが少なくなった静かな県道の脇、標高1000mを超える乙事の集落に佇む老木。今年も満開の花を咲かせています。

週末の食材と本を買って帰宅する途中。

山裾の脇道に立つ鳥居の前で。

桜の木も緑の葉が目立つようになってきました。

清々しい色を魅せる桜の花を愛でる季節も、もうすぐ終わりです。

寒冷な土地柄故に耕作期間が限られる標高1000mを遥かに超える圃場の脇で。

冷え込む日々ですが4月も終盤、次の季節の訪れを伝える山里の渚が広がり始めます。

春の嵐の後、澄んだ青空の下で(2020.4.19)

予報の通り大荒れの天気となった週末土曜日。

夕方になると日差しが戻ってきましたが、八ヶ岳は雲の中。

日没を過ぎて暗くなると、まるで壁のように聳える雲が八ヶ岳の稜線を覆っていきます(2020.4.18)

日曜日の朝。

夜が明けると眩しい日差しが差し込む八ヶ岳南麓。まるで5月の連休を思わせる眩しく暖かな日差しの下、心地よい風が谷戸を吹き抜けていきます。

山では雪になったのでしょうか。眩しい日差しを浴びて、南アルプスの頂上付近は雪渓が輝いています。

眩しい日差しを通して輝く枝垂桜。

標高900m弱に咲く枝垂桜、今年は寒の戻りがあったため長く咲き続けましたが、そろそろ散り始めの時を迎えたようです。

南アルプスの上空は抜けるような青空が広がりますが、八ヶ岳は沸き立つ雲の中。

少し登って、標高1000m台に広がる圃場の脇。遙か南アルプスを望む天空に咲く枝垂桜。

まだ春の嵐の余韻が残る強い風が吹く中、広がる青空の下、たわわに付けた薄紅色の花が揺れています。

山裾を覆っていた雲が切れ始めると、昨晩降ったであろう新雪に彩られる八ヶ岳の雪渓が見えてきました。

地上よりもだいぶ遅い山里の桜は今が満開の頃。

ひんやりとした雪渓に彩られる鳳凰三山をバックに花を咲かせる、葛窪の枝垂桜。

齢200年以上、最早失われて久しい信州と甲州の境にある番跡の脇で、時を経ても尚、咲き誇り続けます。

行き交う車も少ない、例年であれば多くの方々が桜見物に訪れる信濃境、高森の集落。甲斐駒を背景に県道越しに枝を伸ばす桜は今年も満開の頃を迎えています。

静かな高森観音堂。

時折、地元の方が通りかかるばかりですが、例年通りお堂の戸は開かれています。

静かな観音堂を囲む桜の木。昼下がりの眩しい日差しが降り注ぎます。

何時ものお店でお昼ご飯を買って自宅に戻る途中、小さな谷戸の前でふと立ち止まって。

抜けるような青空と甲斐駒の雪渓を暫し望みながら。静かな休日の午後は自宅でのんびりと過ごします。

ハヤブサへの深い愛と、柔らかくも先鋭な線描が見据える眼差しは今も。薮内正幸美術館の生誕80年・没20年記念企画展「鷲・鷹・梟」

ハヤブサへの深い愛と、柔らかくも先鋭な線描が見据える眼差しは今も。薮内正幸美術館の生誕80年・没20年記念企画展「鷲・鷹・梟」

ご案内 : 薮内正幸美術館は2020年5月18日から通常通り開館しています。なお、今年度は前期/後期の展示入れ替えを行わず、本文でご紹介いたします展示内容を11月末まで継続するとの事です。

朝日新聞の山梨県ローカル記事に展示内容が紹介されています。1枚だけですが写真も添えられていますので、雰囲気が伝わればと。

例年より1週間以上も早く桜が咲き始めた3月の終わり。

年度末締めの業務を片付けに出社した土曜日。仕事が片付いて少し時間が空いた午後のひと時、帰宅の途中、何時かは訪れてみたかった場所に立ち寄ります。

暖かな雨に乗って樽香漂う、まだ春浅い午後の森。南アルプス、甲斐駒ヶ岳の麓に広がるサントリー白州蒸留所に隣接するゲストハウスの更に奥の方に、小さな美術館が建てられています。

数々の絵本や物語の挿絵。サントリーの環境保護(メセナ)活動をPRする新聞広告に連年掲載された、驚くほど細密な鳥たちの絵画。釜無川を渡って反対側に聳える八ヶ岳の山懐にある清泉寮のお土産では常に人気のある、山里の鳥たちやヤマネの可愛らしくも細密な絵画が施されたノベルティの原画でも知られる、動物画家、故・薮内正幸氏の作品を管理、収蔵する、日本唯一と称される動物画専門の美術館、薮内正幸美術館です。

例年、オフシーズンの冬季は休館。シーズン中は大変人気のあった作家さんの美術館で場所柄も地域有数の人気施設である蒸留所の隣という事もあり、相応に来訪者が多い場所(館長さんのご見解はちょっと異なるようですが)のため、地元民としてはやや近寄りがたいスポット。これまで訪問するのをちょっと避けていました。

桜のシーズンにはまだ早い3月末。静かで殆ど人気を感じる事のない、葉を落とした明るい森の中に佇む小屋のような小さな美術館。常連の方がテーブルで寛ぐロビー脇のノベルティを扱うコーナーの奥、片隅に作者の作業場を再現したコーナーが設けられた、20人ほど集まれば人でいっぱいになってしまうであろう展示室が一つだけ。前後期制で作品を入れ替えるスタイルを採っているため、1万点以上といわれる氏の遺された作品が常に入れ替えられる形で展示されます。

今回是非訪れてみたかった、大好きな猛禽類をテーマにした企画展示。頂いたパンフレットを拝見すると、あらゆる鳥類、生き物たちの絵画を描き続けた氏にして愛してやまなかったのが猛禽類であったと述べられていることにちょっと驚きながら。

展示内容は大きく分けて4セクション。壁に沿った順路は晩年の線描作品から始まり、一番奥の壁に掲げられた、背の丈程もあるイヌワシの実寸大水彩画をはじめとした3点の大作をメインとしたカラー作品。後半は日本野鳥の会の編集で刊行された「みる野鳥記17 タカのなかまたち」(あすなろ書房、絶版)に使用された原画の展示。中央部には氏のスケッチや本制作前の下絵を含む小作品が並べられており、小さな展示室で猛禽類とテーマを絞りつつも、かなりのボリュームとバラエティに富む、氏の作品の多様さが展示内容からも伺えます(1960~70年代のイラストやスケッチには、繊細な描画で知られる氏の作風とは正反対の、ルオー等を意識されたと思われる、夕暮れの姿を捉えた抽象画的な作品もあって、ちょっと驚きました)。

今回の企画展展示のハイライトにして氏の代表作でもある、キャンバス地の質感すらもその中に織り込み描かれる、イヌワシの風切羽が魅せる深く繊細な質感(作業場を復元したコーナーの壁に飾られた、額装された風切羽のコレクションを見た瞬間、本当に好きだったのだなと、改めて理解しました)。同じ筆で描かれているはずなのに、全く違った印象を与えるふくよかな胸の羽との対比。福音館書店時代に学んだとされる、博物学に基づく正確な観察眼とち密な描写が描き出す姿は、所謂博物学的な写実、細密画とはちょっと異なる感じを受けます。

展示の前半に並べられた、落ち着いてかつ、ひんやりとしたペンのタッチが重ねられた、晩年に描かれた鳥たちの姿。正確に捉えて描くこと自体は水彩で描かれた作品と線画のそれに違いはありませんが、単色インクの線を重ね(一部にホワイトも用いて)描かれる絵には写実とは別の姿が宿っているようです。

鳥の名前と制作年以外、一切の解説文もなく、唯、絵と向き合う時間。氏の作品に共通する、どのような生き物でも、どのようなポーズを取っていても、こちらを射抜くように向けられる「視線」。ち密に積み重ねられた線描の中に描き込まれた視線のその先に、彼らの理知的な個性と共に、氏の生き物たちに対する深い敬意と尊敬の想いが映し出されるかのようです。

そして、企画展のテーマでもある氏の猛禽類への想い。展示コーナーの片隅に置かれた、多くの方が閲覧されたクリアファイルに挟まれたカラーコピーに複写された、氏が15歳の頃から描き始めたという図鑑の模写も、もちろん猛禽類たちがメインに描かれていますが、展示を一巡して印象的だったのが、日本を代表する猛禽類であるハヤブサたちへの強い思い。展示の後半に掲げられた数々の原画にも見える、実際のタカたちの生態を捉えた水彩画の中から湧き上がる愛情。中でも小さくて俊敏、獰猛でもちょっとした愛らしさもあるハヤブサの仲間たち。手軽に書かれたイラスト、晩年の精緻な線描、ガラスケースに収められた伊良湖岬で連年観察を続けた際のスケッチに添えられたコメント、そのいずれもに、他の生き物たち以上にハヤブサへの愛情を感じる筆致が込められているように思えます。

著者のイラストが用いられた豊富なノベルティも展示販売されている美術館のロビー。談笑されていた方がお話されていた内容にもしやと思っていたのですが、訪問した翌日から今回の企画展に合わせた猛禽類たちのノベルティ(今回の企画展を記念して特別に制作されたハヤブサの横顔が描かれた素敵なサコッシュ、欲しかった)の取り扱いを開始されたようで、相変わらずの間の悪さに少し落ち込みながら(近場なんだからとっとと買いに行けば…自分)。

魚類が好きな私にとって、氏の作品に出てくる魚たちは何時も鳥や動物たちの獲物と少々可哀想な扱い。まあ仕方がないよなと思っていた中で、氏の作品を特徴づける澄んだ目と生き生きとした線描で描かれた川の魚たちのイラストカードを見つけてちょっと嬉しくなった午後のひと時。

また、精緻な描写からちょっと気難しい方だったのではないかと思っていたのですが、実はシュールなイラストを集めたこんな作品集も(動物園関係の専門雑誌に連載していた際に描かれたイラストを出稿する際に収めた封筒に添えられた、駄洒落を効かせた架空の動物たちと掲載イラストをペアで紹介するイラスト集。これらの絵を描く際の氏をファンの皆様の間では「裏ヤブ」と呼ぶそうです。

氏の大好きな想いを込めた作品たちを集めた素敵な企画展と、氏の想いを受け継ぐ多くの方々に守られた、南アルプスの山懐に抱かれる小さな美術館。

遺された膨大な作品たちが、何時でも皆さんの来訪を待っています。

今月の読本「タコの知性 その感覚と思考」(池田譲 朝日新書)日本人研究者が綴る、もう一つの知性が魅せる広がるその先

今月の読本「タコの知性 その感覚と思考」(池田譲 朝日新書)日本人研究者が綴る、もう一つの知性が魅せる広がるその先

人間をはじめとする脊椎動物が有する知性や認知とかけ離れた世界にある一方、極めて高度な認知性や特異な感性を有しているのではないかという事が近年盛んに述べられている、タコやイカといった軟体動物の頭足類。

特に、日本人にとって馴染み深く、そのユーモラスな姿と多彩で驚くような行動様式から書籍をはじめ積極的に紹介されることも多いタコ。一般向けの書籍でも度々紹介されますが、ダイオウイカ撮影で一躍有名となった、日本の頭足類研究の第一人者である奥谷喬司先生の著作(ブルーバックスの名著「イカはしゃべるし。空も飛ぶ」は是非ご一読で)以外、何故か外国書籍の訳書が多かったように思われます。

そのような中で、忽然と新書として刊行された一冊。実質的に初めてとなる、日本人著者の手による「タコ本」。真正面に掲げられた表題に対してどんな内容となっているのでしょうか。

今回は「タコの知性 その感覚と思考」(池田譲 朝日新書)をご紹介します。

著者は現在琉球大学で教鞭を執られる研究者の方。頭足類の研究、特にイカの行動様式や認知性の研究を長年続けられている方です。単著としては2011年に刊行された「イカの心を知る 知の世界に生きる海の霊長類」(NHKブックス)に続く一冊。前著については、魚類関係の書籍が大好きな私にして滅多に無い(魚類関係以外の書籍でも数少ない)、途中で読むのを放棄してしまった一冊でもありました。

冒頭とあとがきに書き連ねられた余談と、その筆致に対する自己解釈。理解されているにも関わらず綴ってしまう点は、如何にも自然科学系の研究者の方にある筆致(これが人文系研究者の著作になると、敢えて読者を誘導する意図が組み込まれている時もあるので少々怖いのですが)ですが、空振り気味な比喩と導入、「痛い」余談が散見する本文(50代後半の著者であれば尚更)は正直に言って読まれる方をかなり選ぶ文体かもしれません。

近年、複数の訳書が登場しているタコの生態や知性に関する訳本。その中でも「タコの心身問題-頭足類から考える意識の起源」(みすず書房)の著者及びその内容をかなり意識されて書かれる本文。あとがきでも述べられるように、本文の過半は上記の書籍や、それ以前に刊行された訳書、雑誌、TV等でも紹介される内容とオーバーラップしており、前半は著者のセレクションによる「タコの知性」関連研究の概要紹介的な内容が主体になっています。従って基本的な頭足類の説明、タコの生態や所謂文化的な側面の記述はかなり絞り込まれており、表題に掲げられたテーマ「知性」にほぼ特化した内容となっています。

人間の手によって研究され、人間の思考や行動を出発点に研究が進められていく動物行動学的な視点。その中でも特異な位置付けを有しているタコの行動、学習研究。ヨーロッパ(ナポリ、日本同様にタコを食する地であることが大きいのでしょうか)を中心に膨大な研究がなされていますが、そのような中で著者が特に注目する点、

まず、多くの先行研究がマダコをテーマにしており(実際には日本のそれとは別種である可能性が指摘されているとの事)、約250種いるとされるタコ類全体の僅か1種の傾向を捉えているに過ぎない点。次に、その巨大な目と脳へと繋がる構造からどうしても研究のテーマが視覚に対する反応や学習が中心となる中で、自在に動く8本の脚から繰り出される、膨大な数を有する吸盤を伝わる触覚から対象物を認知する範囲の広さへの着目、更には単独性とされる生態に対する個体相互、鏡に対する反応(鏡像自己認知)への疑問。

これらの着目点と前述の研究成果を自らの研究室に在籍する(在籍した)学生たち、研究者たちが記録した観察結果を比較する事で、新たな知見が認められる可能性を指摘する、著者の研究室による研究成果紹介が中心なる後半。

前著でも同じだったと思うのですが、実はこの部分が読んでいて非常に悩ましかった点。著者は研究中の内容であるとの但し書きを添えていますが、結果として述べられる内容が(定性的な研究であるとはいえ)、何とも捉え難いままに著述が進んでいきます。

著者たちの研究結果により、行動特性や社会性の発端or退化した片鱗を認める一方、その解釈を根本から覆してしまう、前述の250種に上る種ごとの活動性の差異や、事例を示した上で個体差へ言及する内容も、前述の特性を述べる際と同じようなペースで綴られていくため、帯に書かれた「解明」には程遠い、本書の内容を以て何を評したいのかが見えてこないというもどかしさを度々感じる事になります。特に、そのような行動を認めた際の解釈に入ると、どうしても人間目線(著者目線)での認識が入り込む余地が大きくなり、その筆致は定性性として括られるはずの領域から離れ、その行動に対して著者の思索的な要素、希求を映し出そうとする傾向がより大きくなっていきます。

更には、容易に見出す事が出来ない、これら「知性」研究の先にある姿。

イカやタコの行動を研究する事は漁獲物である対象を知るうえで重要であると冒頭で述べる一方、その導入に当たる水産学に対してやや否定的な感情を述べ、生物学であり、ある種の心理学的な要素を求める著述や研究内容(このような研究に対して本文中で紹介される、投稿され、発表される学術誌の殆どが海外で刊行されているものであるという点も実に興味深いです)。知的好奇心としては非常に興味深い内容なのですが、果たして何処へと行ってしまうのだろうかという、糸の切れたタコのようにも見える思索の広がりに困惑しつつ(前著ではその困惑が抑えきれず、途中で読み進める事が出来なくなりました)。

既に刊行されている「タコの知性」に関する書籍は、訳書らしくいずれも相応な分量(とお値段)があるため、興味があっても本を読み慣れている方でないと手に取るのが少し厳しいことも事実。

そのような中で、日本人の研究者の方による、手軽に手に取れる新書というフォーマットで刊行された貴重な入門書となる一冊。文章はかなり癖が強いですが、その興味深い生態と、未知なる「思考」の片りんにご興味のある方へ。

四月のなごり雪、桜と共に(2020.4.14)

先週来の冷え込みがピークに達したタイミングで訪れた南岸低気圧。

所謂「かみ雪」が降るパターンですが、例年ですと4月も1週目くらいまで。既に夏タイヤに交換した後に降って湧いた大雪の予報に戦々恐々とする週末からの日々。

夜半に霙交じりの雨が屋根をたたく音が響く度に肝を冷やすこの数日でしたが、八ヶ岳の南麓は辛うじて降雪を免れたようです(もう少し標高の高い別荘地帯にお住いの方々は除雪に追われたようです)。

雪雲が去って抜けるような青空が広がる朝。

勤め先まで車で向かう途中、ほんの少し寄り道しながら、ピークを迎えた桜と新雪に覆われた山々のコラボレーションを楽しみます。

氷点下まで下がった冷たい風が吹く中、新雪に覆われる甲斐駒をバックに花を咲かせる、諏訪郡富士見町信濃境、田端の枝垂桜。

南アルプスの稜線もきれいに雪化粧をしています。

雪煙を上げて新雪に染まる八ヶ岳の山裾。

実は山裾が白く染まるのは「かみ雪」の時だけ。冬場の乾いた軽い雪はそのまま地面へと積もっていきますが、春先の重たく湿った雪は山裾を覆う落葉松の枝々にも降り積もり、山裾を白く染め上げていきます。

南アルプスの山並み、更に北側の入笠山方面は朝日を浴びて真っ白に輝いています。春先の雪はちょっと困りものですが、この時期だけの美しく染まる白銀の稜線。

寒の戻りで花を咲かせ続ける、北杜市小淵沢町、神田の大糸桜。八ヶ岳の裾野は東側まで雪で白く染まっています。

抜けるような雪晴れの青空の下、満開の花を咲かせる枝垂桜。

雪に染まる南アルプスの上空から下弦の月がゆっくりと沈んでいきます。

新雪に覆われる南アルプスの山裾へと続く、北杜市長坂町、蕪の桜並木。

雪煙を上げて新雪に染まる甲斐駒の山裾を彩る桜並木。滅多に見る事が出来ない貴重なコラボレーションです。

麓近くの山裾まで新雪に染まる南アルプスと、少し葉が交るようになってきた標高760mの桜並木。

これでシーズン最後となるはずのなごり雪が去っていくと、八ヶ岳山麓の桜前線は標高1000mを超える高原地帯へと昇っていきます。

桜咲く静かな八ヶ岳山麓、春の日々(2020.4.5~11)

例年になく早い訪れとなった春の陽気ですが、4月に入ると寒の戻り。

日中は日差しも眩しく春心地ですが、朝晩はまだまだ冷え込む八ヶ岳山麓です。

さっと雪交じりの雨が降った朝。

午後になって青空が広がる八ヶ岳の麓、例年より1週間ほど早く咲き始めたコブシの花を追うようにほころび始める、信濃境、田端の枝垂桜。

雨上がりの夕暮れ。

透き通る西の空、ビニールハウスを照らし出すオレンジ色の夕日がゆっくりと沈んでいきます。既に午後6時を過ぎていますが、四月の日暮れは長く、春分迄は南アルプスに沈んでいた夕日も塩嶺の更に向こう、木曽の山々の先へと沈んでいきます(2020.4.5)

少し早く帰宅する夕暮れ。

18時半を回っても僅かに明るさが残る西の空に浮かぶ八ヶ岳のシルエットと咲き始めた桜の木(2020.4.6)

少し冷え込んで空の霞が取れた朝。

集落沿いの道端に咲く桜も満開を迎えました(2020.4.8)

寒の戻りが続く四月上旬。

氷点下まで下がった朝、雪渓を戴く甲斐駒を望む集落の高台で甲斐駒を見上げるように咲き誇る桜(2020.4.9)

春霞の朝。

旧道に連なる集落へと続く道筋で満開を迎えた蕪の桜並木。

雲が多く、まだ冷え込む朝。桜並木の更に向こう、春霞の中に八ヶ岳の雪渓が顔を覗かせています。

雪渓を抱く南アルプス、鳳凰三山を遠くに望む牧草地沿いに連なる桜並木。春の日差しが戻り、輝きだす桜の木。

桜のシーズンになると、朝から多くの方が行き交う場所ですが、今日はひっそり。時折、道筋の奥にあるゴルフ場へと向かう車が通過するだけです(2020.4.10)

少し涼しい快晴の朝を迎えた週末土曜日。

空模様は徐々に下り坂、春霞の下で輝く甲斐駒の雪渓の上空には雲が広がり始めました。

行き交う車の驚くほどの少なさに暫し呆然としながら、買い出しのために車を走らせる途中で。

雪渓を僅かに残す八ヶ岳の懐。燕が飛び交う青空の下、小さな谷戸の高台で咲き始めた信濃境、田端の枝垂桜。

まだ咲き始めですが、青空の下、満開の頃合いには見られない桃色に染まる印象的な色合いを見せてくれます。

俗に三色に染まると称される桜の木。

後背のコブシの花は散り始めていますが、八ヶ岳側で咲くもう一本の桜の木はまだ咲き始め。それぞれのコントラストが浮かび上がります。

春の日差しの中、谷戸の奥尻に当たる高台にで寄り添うように花を咲かせるそれぞれの木々。

枝垂桜の下に潜り込むと、鮮やかな桃色に染まる枝垂桜の枝の向こうに甲斐駒の雪渓が望めます。

春の日差しを浴びて桃色に染まる枝垂桜の枝々。

江戸の終わり頃からこの地で花を咲かせ続けていると伝わる古木。

周囲に点在する古い枝垂桜たちと同じく濃い桃色に染まる花は、幾百年を経て、今年も同じ場所で、時を重ねながら花を咲かせてくれています。

八ヶ岳の方から湧き上がる雲が少しずつ空を覆い始める静かな午後。

夕暮れに向けて崩れ始めた空模様。明日の晩には再びの降雪予報が出る中、足早に自宅へと戻ります。

少し歩みのペースを緩めた今年の春。山里に佇む桜の木々は、今年も山麓の集落をゆっくりと巡りながら春の訪れを告げていくようです。