今月の読本「イワナとヤマメ」(今西錦司 平凡社ライブラリー)フィールド分類学の金字塔はフラットに追及するエッセイとして

今月の読本「イワナとヤマメ」(今西錦司 平凡社ライブラリー)フィールド分類学の金字塔はフラットに追及するエッセイとして

一昨年の秋だったでしょうか、平凡社ライブラリーさんがSNSを通じて募集していた復刊アンケート。

最近は何やらBLやちょっとキワモノ系(腐ですかぁ…)の作品推しのようですが、バブル前後の一時期、このシリーズは自然科学に関する多くの作品を取り揃えていました。

当時は本屋さんというより釣具屋さんの書籍コーナーで見かけた懐かしい作品を推させて頂いたところ、復刊リストに載せて頂けた一冊。

昨年の復刊以来、出歩く先で本屋さんの前を通りかかる度に飛び込んでは探し続けても見つける事が出来ず。マイナーな復刊作品は全国チェーンの本屋さんでも地方支店には廻って来る事はないようで(本屋さんで注文せいというのはごもっともなのですが…)、結局ネット通販経由で買うことになってしまった、復刊一年後に漸く読む事が出来た一冊のご紹介です。

今回は「イワナとヤマメ」(今西錦司 平凡社ライブラリー)をご紹介します。

本書の著者である今西錦司先生は既に故人ですが、釣り人や淡水生物学の分野では極めて有名な方。後に日本モンキーセンターを設立され、日本における霊長類学の基礎を築かれるという多彩な経歴を持つ研究者です。元来は水生昆虫の研究者だったのですが、金字塔ともいうべき成果は、本職の分野だけではなく、その水生昆虫を餌とした渓流の魚たちの分類でも打ち立てたもの。更に述べれば、その論考は論文としてではなく、学会誌以外の雑誌などで発表され、学会側が追認せざるを得なくなったという、当時としても破天荒ともいえるアプローチと壮挙。現在の釣り師やアングラーをはじめ、写真家や収集家といった学術的な資質、経歴とは別次元の立場でも、フィールドで活躍されている方が学術的な成果に寄与出来る事を他分野の研究者として実地を以て示された、フィールド生物学の先駆となった事例を示した内容で綴られる一冊です。

本書は、その代表的な論考である「イワナとヤマメ」および「イワナ属-その日本における分布」の2編と、その論考を纏めるに当たって、広く全国をそれこそ網の目のように釣り歩いた登山家にして渓流釣り師としての視点で語るエッセイに、戦前を含めて、釣りに纏わる数点の小作品をまとめた一冊。戦前の1930年代から主著を含めて最も新しいものでも1960年代末の作品と少々古いのですが、そのような感じを全く受けない、研究者の方の著作らしい、平明な筆致で貫かれています。

地方によって呼び名が異なり、河川毎に、更には降海や本流、湖への回遊によって形態や模様も変化に富むイワナ、ヤマメ。現在のような遺伝子分析による分類学が未成熟な段階における、形態や生息環境に基づく分類が主であった当時。学会でも百家争鳴状態にあったその分類に対して、魚類は本職ではないが、山を歩き渓流を跋渉する事を生業としてきた、水生昆虫の研究者であった著者は、その後に覚えた玄人肌の釣技を駆使しつつ、当時はまだ豊かに残っていた(1960年代前半、著者は既に憂いの言葉を述べているが)各地の渓流を、地元の協力者や著者の研究に興味を持った研究者の協力を得ながら事細かに探索していきます。その結果、各地でそれぞれに呼ばれていたイワナ属たちのすべてが一つの属に集約される事を明確化し、遺伝子分類学が発達した現在でも、著者が提唱した分類定義(水温による棲み分けという考え方を含めて)が依然として利用され続けています(ヤマメの方については少し議論を先走りすぎたようですが)。

ここで著者の筆致に特徴的なのが、所謂釣り師や自然愛護家によって書かれた著作にみられる、自然への畏敬に満ちた、渓と魚たちへの哀歓を込めた詩情にも似た想いを綴る内容に対して、研究者らしく極めてドライに綴っていく点です。現地での行動やその釣果、最も注目していた彼らの形態や模様を、自らの検証と真正面から照らし合わせていく。他の研究者たちのこれまでの報告内容への厳しい指摘、詳述される自らの結論への揺ぎ無い想いを積み上げていく過程。その冷静な筆致は、終章として掲載された、若くして山で命を落とした芦峅寺の案内人へ送る哀別の辞においても崩れることはありません。

本書に釣り師が書かれた釣魚礼賛といった内容をご期待される方には、正直にいってお勧めできないのですが、もう少し視点を広げて、彼らの生活する場と、その多様な形態への不思議さを追求していく、自然科学の研究者としての矜持とその足取りを綴った一冊として位置付けるのであれば、これほど快活に、雄弁に物語る作品はありません。

また、現在の淡水生物の研究において、分析技術の進化や社会的道義性の延長とも捉えられる生態系サービスといった考え方がそれをもたらしたのでしょうか、時に悩みこんでしまうことがある点について、著者は極めて合理的に述べていきます。曰く、水系を跨いで別亜種が紛れ込むのは、聞き取りを行えば分かるように以前から人がその魚たちを渓を跨いで放流しているからであり、生息の減少については、釣り人の自制とともに、人工養殖技術の確立とその放流による回遊の解明、人工養殖による増殖を図ることを考えるべきである、と。その内容は、種の多様性と環境を時に無垢の宝石のように、介入する事を時に破壊と断じる現在の風潮をもってすれば、暴論とも見做されるような見解かもしれません。しかしながら、後の文化人類学者として片鱗が見受けられる、人が山々を跋渉し、生活していく事を至極当然とした著者の視線はそのようには捉えないようです。そこには、生物学の研究者としての現実を踏まえた、更には著者のそれまでの歩みが明瞭に刻まれているようです。

その印象を伝える、後半に纏められた三編の海外における釣行記。戦前の大興安嶺での探検における食料調達の為の釣行と、戦後に調査のために訪れたカラコルムにおける釣行を綴ったエッセイなのですが、その筆致には現在では多分描き得ない視点で綴られます。

遥かヒマラヤの懐までに自分たちの生活スタイルを持ち込み、放流され、丸々と太ったブラウントラウトを釣りに向かう、既に植民地としての立場ではなくなったにも拘わらず、召使のごとく地元の人を使いながら悠然と釣行に訪れる英国紳士親子。その一行に加わり、さもありなんという様子で描く著者。大興安嶺を往く探検行でも、現地の人々を使役している事が明白に判るにも著述にも拘わらず、それを意識することなく綴り、ロシア人の駄馬使いが使う目新しいスプーンでの釣りを一緒になって興じる姿を描く、なんともフラットな描写。

グローバリゼーションと地域への回帰が双方で論じられ、遺伝子分類学が急速な発展を遂げる中では余りにも古典に類する内容かもしれませんが、それでも強く惹かれる透徹した視点と筆致に魅せられながら。

戦前の京都学派の雰囲気が漂う、卑屈さや狭隘さを感じさせない(釣技や釣果については、釣り人の性故か、ちょっとした屈折感はありますが)往年の大研究者が自らのフィールドの周辺で見つけた好奇心への探求する想いに触れる一冊です。

 

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二冊のサケ類ガイドブック「サケ学大全」(帰山・永田・中川 編著 北海道大学出版会)と「サケマス・イワナのわかる本」(井田齋・奥山文弥 山と渓谷社)

お魚が好きなくせに山奥に立て籠もって暮らしていると、時として無性にお魚の本が読みたくなってしまいます。

そんな訳でこれまでも何冊もお魚関係の本をご紹介してまいりましたが、今回はちょっと山奥にも関係ある「サケ類」をテーマにした本を2冊セットでご紹介です。

サケ学大全まず一冊目は北海道大学出版会より刊行された「サケ学大全」(帰山雅秀・永田光博・中川大介 編著)です。

版元から察するとかなり堅めの研究関係の書物に感じますが、さにあらず。第一線の魚類学者から道内の水産関連の研究、実務担当者、NPO関係者、地場の水産会社役員に村上の喜っ川 、教育者に画家…とまあ多士済々の皆様が執筆されたラインナップが全部で55テーマも揃う正に「サケをテーマにした一大テーマパーク」的な研究紀要andエッセイ集といった書籍です。

テーマが余りにも膨大なため、各テーマの掲載ページは数ページから多くても10ページほど、一応、第Ⅰ部であるサケの生物学については研究紀要的な内容で固められており、サケ類の最先端の研究成果がふんだんに盛り込まれていますが、第Ⅱ部のサケの産業科学に行くと、ふ化事業や水産加工など具体例が徐々に増えてきて、業界紙のコラムのような体裁に変わります。

第Ⅲ部のサケの社会科学にはいると、もう体裁も内容もテーマごとにばらばらで収拾不能…といった感じで、以前紹介した「ウナギの博物誌」のようなテーマ間のバランス調整も殆ど行われていないため、一気に読むにはあまり向いておらず、どちらかというと気に入ったテーマを拾い読みしてく感じの編集スタイルになっています(編集スタイルとしてはウナギの博物誌のページで関連書籍として紹介した「新鮮イカ学」に近いかもしれません)。

とはいえ、北海道、そして東日本のを代表する魚類であるサケ類のすべてをこの一冊に集結させた北海道大学出版会と編者の皆様の多大なるご努力に敬意を表したいと思います。

特に北大の研究者の皆様が多数執筆される第Ⅰ部には環境保護をテーマにした話題では良く取り上げられる割には根拠となるモデル、データがあまり紹介されないヒグマを含めた連環のデータや巨視的な生態系モデル例など括目すべき内容がそこかしこにちりばめられていて、目から鱗が落ちる思いになります。

また、皆さんご興味があるであろう母川回遊に関する最新の研究成果や、放流魚と自然遡上魚のバランスシートといったかなりナーバスなテーマも語られています。

後半の方には今注目されている遺伝操作による養殖サーモン類(信州サーモンもすっかり有名になりました)に関するテーマも設定されていて、最近のトレンドを理解するためにも非常に有用です。

また、第Ⅱ部に関しても実際の事業に携わられていらっしゃる皆様のコメントには説得力があり、実は放流事業における回遊率成否には放流する側の上手い・下手が色濃く影響するなどという爆弾発言的なコメントも載せられていて、ちょっとびっくりしてしまいます。

とにかく、サケ類大好き、サケに関するいろいろなテーマを観てみたいという方にはピッタリな一冊かと思います。

サケマス・イワナのわかる本そしてもう一冊、帯の一文で威圧されてしまう「魚に半生を捧げた師弟」である北里大学名誉教授で魚類分類学者である井田齋先生と、お魚ジャーナリストの奥山文弥氏という魚類学とフィールドワークのコラボレーションを存分に楽しめる、山と渓谷社より刊行された「サケマス・イワナのわかる本」(井田齋+奥山文弥)です。

前に紹介した「サケ学大全」が北大出版会刊行なのでより学術的な内容に見えますが、全く逆でこちらの本の方が余程学術的(所謂魚類分類学)な記述に優れます。

こう書いてしまうともの凄く固い本のように思われてしまいますが、そこは山と渓谷社の刊行物です。帯には「入門書」と硬めの表現をされていますが、奥山氏の豊富なフィールドワークによってもたらされた美しい写真と井田先生の丁寧な解説文章、多くのアングラーの協力によって得られた貴重な写真を織り交ぜた美しい「サケ・マス・イワナ類写真図鑑」としても出色の一冊です。

サケ類が好きな方なら美しい写真を眺めているだけで幸せになってしまう事受け合い、更に降海/陸封型を分けた形でほぼ全種についての解説が写真以外に50ページと、これだけで数1000円クラスのちょっとしたガイドブックが出来てしまう豪華さです。

更には特徴的な生態、海外(所謂銀鮭ですね)を含む養殖魚たちについての紹介もカラー写真/文章を駆使して豊富に掲載されており、「入門書」なんてわざわざ書かなくても「決定版」でいいじゃないですかと、声を大にして言ってしまいたくなります。

就寝前のほんの一瞬、一日の疲れを癒したい時にぱらぱらとめくりながら、かれらの生きざまにほんの少し思いを馳せる…そんな密かな楽しみとしていつも枕元に置いています。

決して、著者たちのように「脂鰭」に魂を捧げたわけではありませんが…

<おまけ>