今月の読本「トビウオの驚くべき世界」(スティーブ・N・G・ハウエル:著 石黒千秋:訳 エクスナレッジ)バードウォッチャーも魅せられた、碧い砂漠を往く本当の姿を此処に

今月の読本「トビウオの驚くべき世界」(スティーブ・N・G・ハウエル:著 石黒千秋:訳 エクスナレッジ)バードウォッチャーも魅せられた、碧い砂漠を往く本当の姿を此処に

題名を見た瞬間欲しくなった一冊、なのに版元さんからこんな紹介文が出されてしまい、思わず抗議の言葉を挙げてしまった一冊。

別に何の義理がある訳でもありませんが、きっと素敵な魚の本に違いない(なにしろ、このジャンルでは只今大躍進中の版元さん)と思っていたのですが、全然推していない一冊。出来れば本屋さんで買いたいなと思っていましたが、こんな片田舎には入って来ないだろうと半分諦めていました。しかし…、週末に本屋さんの書棚を探したところ、こんな山奥(日本で最も海から遠い場所の一つ)にも早々に入ってきていました(驚)。

トビウオの驚くべき世界今月の読本「トビウオの驚くべき世界」(スティーブ・N・G・ハウエル:著 石黒千秋:訳 エクスナレッジ)

まず、本書は版元さんが近年多く手掛けている写真集にあるような、数多くのソースから写真を収集して、版元さんベースで編集、刊行するという、著作者をあまり意識させない、ネット時代に相応しい刊行スタイルの本ではありません。

本書はプリンストン大学出版局から刊行された”THE AMAZING WORLD OF FLYINGFISH“という本の翻訳版であり、各大学の出版局が出されている(魚関係ですと、東海大学出版会が著名ですね)、一般読者向け刊行物と同じスタイルの一冊。著者は同じプリンストン大学出版局から複数の野鳥や海鳥に関する書籍を出されている、世界的なバードウォッチャーで、バードウォッチングツアーを主宰する会社の最高幹部を務める、プロの方です。

では、なんでバードウォッチャーの方がトビウオの本を書かれたのか(あとがきで、ひたすら船の舳先に座り込んでシャッターチャンスを狙っていた日々を語っています)。それは栄養塩が少なく、湧昇も起きにくいため、プランクトンもそれを食する魚も少ない、青い砂漠とも呼ばれる赤道直下の海。バードウォッチングで世界中の海を巡る著者にとっても、海鳥も少なく、不毛な此処だけは撮影はお休み。そんな中、船の舳先に立った時に見かけた、不毛とも思われる海の砂漠の上を滑るように飛んでいくトビウオたち。

船で大洋を渡った事のある方、離島に向かわれた事のある方。自ら操船されて沿岸を離れた場所を航行された事がある方ならきっと経験したことのある、紺碧の海から滑るように飛び出してきて、水平線の先へ消えていく、その美しい姿に胸を打たれた著者の、トビウオの姿を捉えたいという挑戦の成果が収められたのが本書です。

美しい飛翔シーン(船から逃げていく方向に飛ぶので、どうしても後姿が多いのですが、表紙のように横から捉えられた貴重な写真も多数あります)、図鑑や博物館に収められた標本とは全く異なった、グライダーやナウシカのメーヴェを思わせる、水平に伸びた主翼(胸鰭)と大きなRを持った翼断面。そして、水平尾翼を思わせる腹鰭と垂直尾翼に相当する尾鰭。

フィルムのような薄い鰭による幅広の翼断面と、紡錘形のフォルムに背びれを畳んだその飛翔形態は、最高の効率を示す機体、翼形状そのもの(模型で欲しい)。そして、あっと驚く海上に残るジグザグな水面の理由。

トビウオの飛翔シーンを見た事がある方なら、誰しもじっくりと観てみたい、もう一度眺めてみたいと思うそのシーンが本書には溢れています。

著者のトビウオへの想いの高まりと、図鑑や魚類学者たちの分類に飽き足らない好奇心は、更にトビウオたちの分類にまで及んでいきます。標本とは全く異なる飛翔時の鱗の色、形。そして、種類ごとに異なる飛翔に至るシーケンスや着水の妙。バードウォッチングの度に訪れる海域で撮影した写真に基づいて、仲間たちと一緒に形態分類と、彼らへの献名を行いはじめます。学術的には現状認められていないこれらの活動結果、それでも著者達は自信を以て提案を続けています。何故なら彼らが見たシーン、収めた写真こそが本当のトビウオの生態を雄弁に物語っているから。水中写真家が未知の新種を発見するように、バードウォッチャーたちが次々と鳥の識別方法を発見して、その中から新種を発見するように、トビウオの識別にも挑んでみようという試み。そこにはまだ幼稚な段階と自らの活動を卑下しながらも、好奇心の先にあるもう一つの想いが述べられてきます。バードウォッチと同じ、より自然の多様な姿を知りたいという想い。

本書に掲げられた、美しいトビウオの飛翔シーンを観に、今度は船に乗ってみませんか。

トビウオの驚くべき世界

トビウオの驚くべき世界<おまけ>

本書の関連するテーマの書籍をページからご紹介。

今月の読本「ロミオと呼ばれたオオカミ」(ニック・ジャンズ:著 田口未和:訳 エクスナレッジ)人と犬と共にいる事を選んだ野生動物と、極北の地に生きる人々の想いと葛藤

今月の読本「ロミオと呼ばれたオオカミ」(ニック・ジャンズ:著 田口未和:訳 エクスナレッジ)人と犬と共にいる事を選んだ野生動物と、極北の地に生きる人々の想いと葛藤

New!(2019.7.17)

 

<本文此処から>

ここ最近で最も購入に躊躇した一冊。

とても興味深いテーマなのですが、表紙につけられたキャプションからも判るように、どうしてもこの手の本は内容的に偏りが出ざるを得ないので、一方的な称揚が延々と続く、読むだけでうんざりしてしまう本なのではないかとの危惧がありました。

でも、軽く立ち読みして、そして読んでみて判りました。本書はそのような危惧に対して、充分に応えてくれるという事を(気にされる方は、巻末の原注及び推薦図書をまずはご覧頂ければと)。

ロミオと呼ばれたオオカミロミオと呼ばれたオオカミ」(ニック・ジャンズ:著 田口未和:訳 エクスナレッジ)です。

2003年の冬、アメリカ最北の州、アラスカ州の首都、ジュノーの郊外に現れた一頭の野生の雄狼と、その後5年半に渡る、冬季の氷結したメンデンホール湖の湖上、そして湖畔における彼と人々との関わり合いを、同じ湖畔に住んでいた著者が綴ったエピソード集です。

本書が冒頭に掲げた危惧に対して応えてくれる点は、著者のキャリアにあります。長期に渡り、実生活そのものをイヌイットたちと共にし、北極圏における生活手段としてのハンターとしてのキャリアすら有する、ある意味このような著作には似合わない経歴。そして、ある時を境にハンターとしての生活を辞めライターとしての生活に入っていた著者の目の前に突如現れた狼と、著者を含め、多くの住民が生活のパートナーとして共にしている犬たちと結ばれていく、奇妙な友好関係、そして彼らへの好奇と好意的な眼差しと交差する、嫌悪感を漂わせるもう一方の視点。

著者は所謂リベラルの立場で(前回の大統領選挙の際に旋風を巻き起こした、サラ・ペーリンが登場したタイミングでもあります)、好意的な眼差しを以て、これらの経過を描いていきますが、その過去の経歴、そして野生動物を扱った著書を複数著すライターとしての矜持から、類書にある様な単なるファンタジーとして捉えるようなことはしていません。その筆致は、野生動物に対する正確な理解と、それに否応なく向き合う結果となったアラスカ市民の市民感情、そして行政機関の立場に至るまでを克明に記録していきます。その結果、本書は野生動物としての狼の生態と、彼と交流していく犬たち、そして惹かれていく人々と反目する市民たちそれぞれの立場を描くことに成功しています。

狼である彼自身は、決して語る事はありません。なぜそこに現れたのか、なぜ飼い犬たちと交流を続けるのか、これほどまでに人が近づくことを許すのか。その代わりに、ジュノーの人々の間に生まれた、彼によって巻き起こされた波紋と、それでも彼に惹かれていく人々の姿を観ていく事で、都市生活者にとっては憧れであるように見えて、実は複雑に利害が絡み合う、極北の生活の一端を本書から垣間見る事が出来ます。

人々からロミオと呼ばれるようになった一頭の狼から生まれたジュノーの人々の物語。著者は極力平静な筆致を心がけていますが、それでも彼がロミオと関わる間に手に入れた大切な宝物があったようです。ロミオを通して出来上がった、普段なら交流する事すら稀な「同志たち」に巡り合えたこと。そして、ファンタジーとしての表現を極力避けてきた著者が明らかな心象としての想いを語る、ある4月の午後の氷上でのシーン。冬が終わりつつある陽だまりの中に生まれた、本来有り得ない、人と、犬と野生動物が同じようにうたた寝を共にする一瞬。

5シーズンに及んだ、人と犬と野生動物が交わるシーンと、夢のような一瞬の出来事のあっけない結末は、本書をお読み頂ければと思います。そこには、本書が綴るもう一方のテーマが濃厚に記されていますが、読まれる方によってはかなり躊躇されるような内容かもしれません。

本書が動物愛護を目的とした、野生動物への想いや哀惜、知性を称揚するために描かれたわけではなく、極北に生きる、そこに交わる人々の物語として描かれた視点をしっかりと見据えた上で、本を通じてその奇跡に触れられることへの嬉しさを。

<おまけ>

こちらに素晴らしい書評を書かれている方がいらっしゃいますので、本書にご興味のある方は是非ご覧頂ければと。

本ページでご紹介している、生き物を扱った本、テーマたちを。

今月の読本「タコの教科書」(リチャード・シュヴァイド著,土屋晶子訳 エクスナレッジ)醜悪と愛嬌が混ざりある美味しい隣人は異次元の知能を魅せつける

今月の読本「タコの教科書」(リチャード・シュヴァイド著,土屋晶子訳 エクスナレッジ)醜悪と愛嬌が混ざりある美味しい隣人は異次元の知能を魅せつける

日本は漁業大国だという事で、当然のようにお魚に関する文化も豊かに揃っています。最も重要な食べ物として、そして漁獲としての職漁、江戸時代ぐらいまで下ると、文化的なテーマも出てきますね。

魚食との深い関わり合いでは、世界有数の歴史の長さと幅広さを持つことを多くの方が日本人の矜持としていると思いますが、こと文化的なテーマの紹介になると、どうも海外に後れを取るようにも見受けられます。

今回の一冊も、なぜ日本でこのようなテーマ性を持った本が出されないのかと残念でならない一冊です。

タコの教科書 原題:Octopus」(リチャード・シュヴァイド著、土屋晶子訳 エクスナレッジ)です。

タコの教科書版元のエクスナレッジさん。元々は建築関係の書籍を専門に扱っていたようですが、近年では海外書籍の翻訳を積極的に取り扱われているようです。テーマ設定の秀逸さと、掲載されている写真の美しさでも話題となっている「世界で一番美しい/死ぬまでに見たい」シリーズの版元さんでもありますね。

本書もスペインはバルセロナに在住するジャーナリストの方が執筆された書籍の翻訳版ですが、驚いたことに本書の少なからぬページは、最大のタコの消費大国である日本のタコの事情、そして日本人の著者が本来書いてほしいと願う文化について解説するために費やされています。

そして、邦訳が「教科書」を標榜するように、本書は実に幅広い分野の「タコ」に関する知識を取り揃えています。中でもナポリの臨海実験所の開設の経緯(ダーウィンが支援していた事でも有名ですし、海洋生物研究の分野で最も伝統を有する研究施設の一つでもあります)と、研究所におけるタコの研究を取り扱っている点は出色ですし、タコの特性から、漁獲、食、生体研究、文化、飼育にまつわる話まで実に豊富なテーマを多くの写真や絵画を交えながらもコンパクトにまとめ上げている点は、手軽にこれらの知識に触れたい読者にとっては非常に魅力的です。その意味では本書の少し前に邦訳が刊行された「タコの才能」が、ネット世代の好奇心に依拠した、研究対象としてのタコに対する生体行動学、工学的な好奇心に重心を置いて著述されている点とは対照的に、日本においてはなかなか地位を得られない(荒又宏さんが唯一でしょうか)、博物学的な知見に基づいて著述されている点がちょっと古典的でもあり、貴重でもあったりします(著者は既刊でも食用魚類に関する著作がありますが、あくまでもジャーナリストです。魚をテーマにした書籍では、魚類/水産学の研究者や、官僚出身者、経済関係の方が執筆することが大多数の日本と、この点でも大きく異なります)。

本書では、タコに関するテーマを幅広く扱っていますが、そのいずれもが要点を押さえた記述と、各章に込められたテーマに対して明快に解説と著者の心象を込めていく点は、研究者と呼ばれる方が執筆した類書と明確な一線があります。

タコの習性と漁法では、擬人化したタコの習性に関する描写は滑稽ですし、研究者たちのタコの知性に関する研究では、ジャーナリストらしい研究者同士のタコの知性に関する研究成果に対する見解の反目をしっかり扱っていきます。北大西洋でのタコ資源の減少、特に北アフリカの西サハラ(世界でもほんの僅かな未独立地域)での過酷なタコ漁と周辺の政治状況、海外大資本(日本の大手水産会社を含む)の活動にもきっちりと言及している点は日本で刊行される類書では決して得られることの出来ない知見でしょう。南米のオクトパス・マヤがニューヨークで受け入れられない理由と、著者自身が現地で食した絶品のタコ料理(ものすごくシンプルな料理なのですが)のかい離に対して、西洋諸国でのタコ食に対する、ある種のハードルの高さ(タコ食への根源的な嫌悪感と高級食材としてのステータスの相反)がストレートに描けるのも、西欧の中ではタコ食を嫌悪しない南欧出身の著者ならではの視点です。

そして、日本の読者にとっても非常に嬉しい点は、南欧と並んで世界で最もタコを食している日本の事情を取り扱うことがテーマに叶うと考えたであろう、タコ食文化のページの多くを日本のタコ食とタコ漁に割いている点です。中でも「タコ焼き」と「明石焼」を明確に区別して解説している点は、著者の熱心なリサーチの成果でしょうし、大阪の家庭にあるタコ焼き器とカンザスのワッフルメーカーを比較している点はくすっと笑いが出てしまいます。一方で、日本が密かにタコの完全養殖に成功しているのではないかと疑っている筆致(また世界中の利益を収奪するのではないかとう、ジャパンバッシング論が見え隠れする)は、未だステレオタイプな「不思議の国、日本」健在だなと感じてしまうところです。

そんなやや偏見的(世界的に見れば至極当然?)な日本のタコ食文化への眼差しですが、タコを取り扱った文化史に入ってくると更にその筆致はパワーアップしていきます。「タコの才能」でも若干見受けられたこの傾向ですが、本書では一章を割いて全面展開されています。要は北斎の春画から始まる陰湿で内向的な性描写が、現在のアニメの描写で使われる抑制的な性描写への裏返しとしての「触手攻め」に繋がっている点を日本のエロ描写の特徴として見做していく事と共に、ユゴー(レ・ミゼラブルの著者ですね)の反発や印象派の画家たちへの東洋趣味に繋げていく論調なのです。この辺りの見解は日本人としては納得いかない点も多々あるのですが、ジャパニメーションを称揚される理解の根底がこのように捉えられているのかと考えると、妙に納得させられてしまう点もあったりします。

もちろん、日本の文化の範疇外にあるタコをモチーフにした美術や図案についても多く語られていくのですが、そのいずれもが特徴的な容姿と、不思議な生態への畏敬と愛嬌がないまぜになっている事が判ると思います。そこには、何時の時代でも、どの文化でも人を惹きつけてやまない、タコだけが持ち得る魅力があるようですね。

本書の最後は、多くのタコに魅せられた方々が異口同音に述べられる言葉で締めくくられています。

それは、脊椎動物が持つ知性とは全く異なるタイプのものなのでしょうが、確かにその眼には「知性」が宿っている事を目の当たりにすること。底知れぬ知性が宿ったそのまなざしは、スキューバー巡り合った水中でも、漁船のデッキに積まれたタコ壺の中でも、水族館のガラス越しても、きっとあなたをじっと観察しているはずです。

我々が知らないもう一つの「美味しい」知性への探求は人類史と同じくらいの長さを有しているのですが、それでも、まだまだ始まったばかりのようです。

<おまけ.その1>

本書より少し前に刊行された、同じようなテーマを取り扱った一冊。内容はずいぶん異なりますが、タコの知性に魅せられる点は全く同じですし、インタビューに登場する人物はオーバーラップしています。できれば、先に本書を読まれて、特にタコの研究に興味が湧かれたら、こちらを読まれるとよいかと思います

タコの教科書とタコの才能

<おまけ.その2>

本ページで取り扱っている、その他の食べ物をテーマにした書籍のご紹介