北杜市郷土資料館の企画展「動物の神様」(生き物達が伝えた峰々と自然への畏敬の記憶)

北杜市郷土資料館の企画展「動物の神様」(生き物達が伝えた峰々と自然への畏敬の記憶)

日本全国には公立の博物館や資料館、郷土館と言われる施設が普く所在していますが、そのいずれもが順調に運営されている訳ではなく、中には存続の危機に立たされている施設も少なからずあるとのお話が漏れ聞こえてくるようになって久しくなります。

国内有数の観光地である八ヶ岳山麓。その中でも比較的有名なスポットのひとつ、長坂にある清春芸術村の向かい側にある、北杜市郷土資料館。実に8つの町村が合併してできた北杜市内に点在していた前述の施設群を集約した施設の中でも、文教活動の中核を担う施設。最近になって、意欲的なテーマを掲げた展示を送り出すようになってきました。

今回は、ちょっと「流行」のテーマを全面に押し出した企画展。開催2週目に入った週末に訪れてみましたが、果たしてどのような内容となっているでしょうか。

通常の展示内容については、以前ご紹介しておりますので、今回は企画展に集中して。

ブラタモリですっかり有名になってしまった、ニシムラ精密地形模型さんによる、秩父山塊、八ヶ岳、南アルプスの大パノラマが楽しめる立体模型図。このパノラマの中で営まれた人々の姿を追って、いざ企画展示スペースへ。

北杜市郷土資料館の企画展示スペース入口です。

美しいフローリングの床が印象的な展示スペース。じっくり拝見させて頂きました。

入口のご挨拶です。

展示は4つのテーマに分かれています。

展示資料数は78点(期間中の入れ替えあり)と、決して多くありませんが、今回の企画展に合わせて、県内外の他施設、各種団体から少なくない資料を借りての展示となっています(一部の展示物は照明を落として、今回の為に特別に運び込まれたと思われる展示ケースでの展示となっています。撮影禁止の表記は出ておりませんが、展示物保護の観点からもフラッシュ使用は控えましょう)。

第一部は「山と暮らす」

八ヶ岳、南アルプス、秩父山塊と言う三つの山並みに囲まれた北杜市地域。地域それぞれで山仕事に携わる人々が抱く、山への想いが「山の神」への信仰と言う形で残されています。

現在も甲斐駒の麓に残る、横手駒ヶ岳神社の手力男神の札と版木。長きに渡ってこのような形で信仰の証を与えていた事が判ります。

第二部は「お犬様信仰」

今回のメインの展示となるでしょうか。

秩父、甲信地域に残る「送り犬」の伝承。その伝承を実在として示す、狼信仰の姿を紹介していきます。また、今回は山梨県立博物館の収蔵品から特別に狼信仰に関わりのある掛け軸、狼陣羽織が縦置きの展示ケースに収められて展示されています。9月中旬までの展示との事ですので、ご興味のある方は是非。

ご覧になられる皆様にとって一番の注目はやはり「護符」なのでしょうか。

こちらのように、各地の「オオカミの護符」が並べられています。

秩父、三峯神社から提供を受けた、古文書の展示も行われています。

古文書が得意な方であれば、興味深く読む事が出来るはずです(私も少し読んでみました)。

今回の展示で、最大の見せ場となるのでしょうか。

地元、北杜市高根町の赤羽根・六ッ根地区で配布の続いている護符「オイヌサンの札」。現在は印刷されたものになっているようですが、展示されているのは、地区が管理・保存している実際に刷られた大山祇神御神犬の札とその版木。

北杜市地域に残る狼信仰の特徴として、秩父山塊を通じて繋がる三峯神社の影響を強く受ける一方、第一部の展示を受ける形で、山の神の眷族としての一面を残しているという興味深い説を述べられています。

第三部は「馬の神様」

小淵沢町で毎年夏(今年は来週の土曜日、7/27です)に行われるホースショーでもお馴染みのように、八ヶ岳南麓は馬と深い繋がりのある地域。平安時代ないしはそれ以前から「牧」として、馬の飼育に携わってきた古い歴史を有する場所です。

郷土資料館の収蔵品としても多く残されている馬具、農耕具からも判りますように、この地では馬と人は正に一心同体、お互い支え合う大切な仲間でもありました。

そんな歴史が実は明治の養蚕と深い結び付きがあるという点を紹介するのが、今回の展示のポイント。

北杜市白州町の横手駒ヶ岳神社に残る、養蚕守護のお札と版木。その関係は是非、解説ボードをお読みいただければと思います。

常設展示室に掲げられる、北杜市内の馬を祀る神社、観音信仰の解説パネル。

ボードの記載では自然消滅してしまったと書かれていますが、八ヶ岳山麓地域では今も2月の「初午」を祝うしきたりが一部で続いています(個人や地域だけでなく、企業、団体でも初午の際にお札やお祓いを受けたりします)。

現在は牛の札のみ配る風習が残っていますが、馬を飼っていた頃にはこのような御札や絵馬、馬の形をした御幣(馬幣帛)が配られていました。

考古資料館1階のスペースにビルトインされた復元古民家。土間と続きになっている厩の柱にも、ちゃんと絵馬が掛けられています。

そして、馬への愛情すら感じる、とても素敵な石像。

馬頭観音は数々観てきましたが、とても珍しい狛犬のように並べられた、北杜市須玉の養福寺にある馬五輪観音堂に収められる馬頭観音像と、文亀元年の武田信虎の愛馬に由来を持つという、安永10年と記載がある由来書き(写真に収めて自宅で必死に読んでいます…)。

そして最後の第四部は「神聖視された蛇」

再生を司るとされる縄文の蛇文様から、山を背に負う土地における水の守り神としての蛇信仰が今も神楽として残る、白州地域の伝承を紹介していきます。

蛇信仰と言う事で、諏訪市博物館に収蔵されている「諏訪大明神画詞」も、こちらで展示されています。

現在も横手駒ヶ岳神社の神楽で用いられる装束。山梨県の釜無川流域、南アルプスを挟んで西側の南信地域の山里には、今も神楽を舞う伝統が色濃く残っています(知人にも毎年、地域の神楽を舞っている人が居ます)。

山を背負い、厳しい環境の中で生きてきた人々が培ってきた、自然への畏敬の念を伝えてくれるものとしての生き物。自らの生活を支えてくれる生き物への愛情から生まれる想い。それらを神として祀って来た地域の先人たちが残してきた想いを今に伝える展示。

記帳をちらっと拝見すると、県外からもお越しの方がいらっしゃったようですが、週末の昼下がりに数時間展示を独り占めできてしまうと言う贅沢、もとい大変残念な状態。

ロケーションにも恵まれ、綺麗に整備された施設と充実した展示内容(ちょっと狙い過ぎの部分も)を擁していますが、なかなか難しい地方のミュージアム展示。

ちなみに、今回冊子形態の図録の用意はないとの事でしたが、前回の「北杜に汽笛が響いた日」も有料の図録がありましたので、今回も会期の後半になると、ひょっこり出てくるかもしれません。入手出来た方は羨ましいかも…(会期終わってもどうせすぐに買いに行けるでしょという突っ込みは無しで)。

北杜市郷土資料館の企画展「動物の神様」

会期は10/27(日)まで。

会期中の10/6(日)には帝京大学で動物考古学を専攻される植月学先生による講演会「御坂のニホンオオカミ頭骨と甲斐周辺の狼信仰」が開催されます。

また、地元に住まわれている方向けとなりますが、9/29(日)には秩父三峯神社の見学ツアー、会期末の10/26(土)には市内の馬の史跡巡りが行われる予定になっています。

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今月の読本「オオカミの護符(文庫版)」(小倉美恵子 新潮文庫)一枚のお札を巡る、谷戸から山へと昇る繋がりの物語と、不思議な一方向感

今月の読本「オオカミの護符(文庫版)」(小倉美恵子 新潮文庫)一枚のお札を巡る、谷戸から山へと昇る繋がりの物語と、不思議な一方向感

数年前の新刊以来、書評やネットでの評判、書店でのpopなどを通して、随分評判になっているのだなと、思いながらもなかなか手に取る事はなかった一冊。

たまたた茅野の書店で、著者が主宰するプロダクションの次回作「ものがたりをめぐる物語」のPR用として刊行された、諏訪の風物を扱った小冊子「そもそも」と一緒に置かれていたために、手の取った次第(ちなみに、私が「そもそも」を手にした書店は、プロダクションの公式サイトの取り扱いでは紹介されていません。所謂観光スポットではなく、地元の方が最も身近に手に取れる場所なのに…ちょっと残念)。

オオカミの護符とPR誌そもそもオオカミの護符(文庫版)」(小倉美恵子 新潮文庫)です。

この物語を巡るアウトラインを述べるのは、映画として、TVのスペシャル番組として、そして現在では溢れんばかりに流れる情報ソースの中で色々と語られれていると思いますので、今更かと思います。

著者の人となりと、その溢れる好奇心。川崎北部の谷戸を故郷に持つという妙な親近感(私の本籍は川崎の中部辺りにあり、先祖を辿ると多摩川の川渡しの家系に繋がる事を、幼い頃によく聴かされた)と、登場する地名の懐かしさから、少し嬉しくなりながら読み進めていたのですが、巻末に行くに従って微妙な感触を持ち始めます。

一枚の札を巡る著者の想いが、オオカミへの信仰という一側面を離れて、秩父の山々そのものの信仰へ向かって収斂していく過程の描写は見事で、納得させるものがあります。しかしながら、同時に語られる、失われようとしている谷戸や山里における慣習や、風俗への想いに著者が満たされていく様子を読んでいくうちに、何故か7000戸にも達するという、現在の谷戸に住む人々が、筆致の中から徐々に消え去られていく様な感触を得てしまったことです。それでも、著者は要所で配慮を示す筆致を入れていますが、その想いの馳せる先は、一途に山へと延びていき、今の里に住む人々への想いには、なかなか戻ってこないようです。

その上で、著者は里で農耕を行う「お百姓さん」が山へ山へと集っていく、そして山で彼らを迎え入れる風物について、失われないうちにという強い想いを込めて、精力的に取材を続けていきます。また、そのお札を奉り、彼らに対して供物を捧げた人々の営みについても、著者の経験と取材を通して述べられていきますが、何故、山の人々がそのお札を里に配る必要性があったのかという事が、すっぽりと抜けているように思えたのでした。著者は里の「お百姓さん」が、農作物の豊作と天候の安定を願ってそれを求めた事を丁寧に説明されていますが、そもそも御師にしても山から下って来るものであり、講はその御礼として組織されるものの筈。そこには山の側から求められる、経済的な結びつきが生じていたはずなのですが、本書では最後まで述べられることはありません。

図らずも直近で読ませて頂いていた、本書(文庫版)でも解説を書かれてる内山節氏の著作で、著者が指摘している点と同じ点に着目します。山の生活における「稼ぎ」と「仕事」。そこには山里の暮らしが山里だけでは完結しえない事を明確に示しています。「稼ぎ」としての経済活動。川の流れ、峠に沿った往来との関わり合いがあって初めて山里の生活が成り立つことを述べています。著者はその中で「仕事」としての側面に強く印象付けられたようですが、一方でほとんどの生活が「稼ぎ」の場となっている現在の里にも、何らかの想いは宿っている筈なのですが、その想いを描くことは本書の範疇を越えてしまうようです。

そして、内山節氏が著書で暗示するように、現在の山里の「稼ぎ」の場が「公共工事」であることも。

繋がりを求めて描かれた、著者の山へ対する強い希求の念の一方にある、山の人々が欲したであろう里との繋がりが語られることのない本書を読みながら、少しばかりの困惑を感じながら頁を閉じた次第です。

諏訪を起点にして語られる、次作「ものがたりをめぐる物語」が、山深い信州から飛び出して、東京へ、そして世界へ向かって活路を見出していった諏訪の人々の物語を汲み取ってもらえる事を。その昔の御師たちが、全国を廻って彼らの想いと、人々の想いを繋ぐ役割を果たし続けた事が汲み取られることを、(それこそ勝手に)願って。

<おまけ>

本書に関連するテーマの書籍を、本ページからご紹介。