今月の読本「島原の乱」(神田千里 講談社学術文庫)中世から見た最後の一揆と百姓たち

今月の読本「島原の乱」(神田千里 講談社学術文庫)中世から見た最後の一揆と百姓たち

世界文化遺産登録に伴って、各種の書籍やTVで多く扱われるようになった、長崎を中心とした近世のキリシタンとその信仰。

テーマの中核に据えられた、苛烈な弾圧に耐えながら敬虔な祈りと信仰をひっそりと護り続けたという扱われ方については、以前からその信仰形態や弾圧の実際について史学、宗教学の観点からより慎重な議論が必要であるという見解もまた見受けられます。

特に、その宗旨と信仰心から、領主の圧政が主因であるとも述べられる、最大にして最後のキリシタン蜂起である「島原の乱」と前述のテーマには、印象として大きなかい離がある事も事実です。

様々に述べられる乱の本質について、それは宗教一揆であると明確に述べられる一冊を今回はご紹介します。

今回ご紹介するのは、2005年に中公新書から刊行され、今年の8月に講談社学術文庫に収蔵された「島原の乱」(神田千里)です。

著者の神田千里先生は中世史の研究者。特に一向一揆や中世の信仰に関する多くの著作を有される方です。九州北部や長崎を拠点に研究を行われる方が多い、前述のテーマを扱われる研究者の方々とは少し系統の異なる、どちらかというと中央における歴史の推移を研究されてきた方。

本書を綴るにあたって、そのバックボーンとなる九州におけるキリスト教の受容や禁教に入った以降の潜伏した宣教師、キリシタンたちの信仰的な態度について述べられる指摘の多くは、前述の研究者の方の研究成果を引用する形で紹介していきます。領地を挙げて改宗を受け入れた先で、既存の神社仏閣を破壊し、信者、神職や僧侶を在所から追い立てた、伝道の勝者としてのカトリック。その中でも会派や宣教師よって異なる為政者への近づき方、その見返りに求められた苛烈を極めた既存宗教への「弾圧」といった、受容しなかった側が受けた迫害の側面の指摘はそのまま踏襲されています。

その上で、中世史の研究者である著者が着目する点は、乱の趨勢を決めるキーとなった「百姓」達の動き。

著者の視点では、近世に入った当時でも中央に於ける兵農分離の掛け声とは裏腹に、統治者としての武士と百姓の力関係、共存の関係はそれほど変わっておらず、乱を起こす側も鎮圧する側のどちらも百姓たちの「一揆」を取り纏めなければ始まらないという点を、島原の乱に参戦した幕府側の陣容も示した上で明示します。

私領の集積である近世幕藩体制において、それ以前の豊臣政権期から中央からの威令の伝播が領地ごとに大きくばらつきが出る点を指摘する著者。それは宗教政策としてのキリシタン禁令についても同じことが言えると指摘します。追記されたあとがきでは、更に他の研究者の方によるその後の研究成果を引用して、乱の僅か4年前まで当地では宣教師が潜伏し信仰が継続していた事を採り上げ、信仰を核とした一揆としての百姓たち、それを先導した指導者層の棄教はそれほど進んでいなかった点を指摘します。

水面下で持続していた信仰とそれでも年々強まる禁圧、領主の圧政、飢饉という複数の要因が重なって始まった乱。その発端はこれまで述べられてきた説を踏襲しますが、著者はより伝道の勝者としての過去の側面、排他的な形態を採る事を厭わなかった、堅く信仰に立ち返った人々と、著者が述べる「日本宗」と称すべき本地垂迹から続く神仏習合の信心を踏まえた人々、為政者たる武士たちの間を、中世の一揆同様に自らの生存を賭けて行き交う百姓たちの趨勢が乱を動かしたと示していきます。

乱の発生から緒戦の圧倒的なキリシタン勢力の攻勢の一方で、要地である長崎へ侵攻できなかった事で一地方反乱に留まる事となった乱の現実。迅速な周辺諸藩の参戦により乱が大きく波及することを狙った指導者たちの思惑が外れると、逼塞の中から再び蠢動を始める百姓たち。双方に付いた百姓たちは決して堅固な意思を以て従っていた訳ではない事を、離反した人々の言葉を集めて解説していきます。豊富に述べられる戦乱自体の推移からみた双方の思惑。籠城後も依然として外部、殊の外に他のキリスト教勢力からの支援を受けられる可能性に一縷の望みを繋ぐ籠城指導者層の思惑を挫く、オランダ船の砲撃(国辱であるという意見を汲み入れて松平伊豆守は引き上げさせたようですが)。自殺を許されないその信仰から、滅亡を望む籠城はそもそも有り得ず、中世の一揆の戦法を引き継ぐ指導者たちも打開策を具えない籠城を選択する筈はないと断言します。

要地を抑えて更なる同心者を募るか救援を待つ、さもなくば緒戦の勢いに乗じて相手が戦力を結集させる前に、妥協としては最も有利かつ唯一の条件と考える、水面下では僅かに見逃されてきた「信仰の維持」を呑ませるか。

その信仰する姿が素朴で現世利益的な民俗信仰的とも評価され、カトリックの信仰を継承していないと見做される事もある中世期の日本におけるキリスト教の受容。それ故にこの乱が一部の指導者による信仰心とはかけ離れた扇動であるように指摘する論調に対して、一向一揆の研究を通して日本の宗教史にも深い造詣を持つ著者は、譬えそのような側面があったとしても信仰心に違いはないと明確に指摘します(それがなぜ苛烈な方向に進んだのかについても)。その一方で、2万から4万人弱とも謂われる籠城者達のうち約1万人は籠城中に逃散した事が推定されてきており、中世の一揆同様に自らの生存の為であればどちらへとでも動く百姓たちの生き抜くための姿も認めていきます。

援軍と妥協、どちらも叶わなかった先に対峙した原城での攻防。これまでの経緯から更に信仰への危機感を感じた時の為政者たる幕府は、その後に繋がる頑として信仰を受け入れられないという姿勢を乱の推移を通じて固める結果となったようです。

乱の本質に対して、宗教的な知見からではなく、少し前の世代の百姓たちの動き、その結集点である「一揆」を軸に読みとこく事を目指した本書。近世の途上に起きた百姓たちによる最後の武装蜂起の姿は、その後逼塞することになりますが、百姓たちの合議による集落を単位とした社会構造は近世を通じて維持され、その中で場所を変え、あるいは乱に参加することを良しとせず、カクレキリシタン(潜伏キリシタン)として息づいていった点も、文庫収蔵時に追記されたあとがきで示していきます。

本書は原著が2005年と近年の世界文化遺産登録に関連した書籍が揃いはじめる前に刊行された事もあり、著者によるとその内容を並置される事には忸怩たる思いがあるそうで、「学術文庫版へのあとがき」として20頁程の追記がされています。

特に、近年の潜伏キリシタン関係研究成果への言及や、同書の後に刊行された同一テーマの著作については書名を挙げて検討を加えています。その中で上記に掲載しています一冊については、伝教期や潜伏期のキリシタン動向を著者自身も多く引用するキリシタン研究者の著作。当該書を最後までお読みになった方は、著者と同じようにそのスタンスに対する疑問を持たれたかもしれません。

乱の推移を中軸に置き、中世史と言う歴史的な流れから乱の本質を説き起こそうという本書に対して、カトリック伝来から説き起こしていく事でキリシタン信仰の受容と強勢、禁教という一連の信仰の流れから乱の姿を読み解いていく一冊。併せてお読みいただくと、より一層の議論が深まる筈です。

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今月の読本「敗者の日本史14 島原の乱とキリシタン」(五野井隆史 吉川弘文館)戦国末期に花開いたキリスト教王国誕生の物語と、拭えない終焉への疑問

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普段からそれなりに書籍を買い求めて読んでいるにも関わらず、他人の書評を読んで本を買うことは意外と少ない。

書評が出回るのが刊行から数か月後というタイムラグの問題もあるかもしれません。書評が出てしまう前に買ってしまうので、後付解説になってしまう事も結構多かったりします。でも結局、自分で読んでみないと納得できないという点が最も大きいかもしれませんし。

そんな訳で、自分で本屋さんで見つけたり、刊行案内を見て買いに行くことが多いのですが、今回は、書評を見てから購入を決断した珍しい一冊をご紹介します。

島原の乱とキリシタン

島原の乱とキリシタン」(五野井隆史・吉川弘文館)です。

本書は数年前から続いているシリーズ「敗者の日本史」の一冊。刊行にあたっての言葉を眺めると、日本人が好きそうな「判官贔屓」がちらちらと見え隠れするようなコンセプトが書かれているので、これまで避けてきた経緯がありますが、何といっても数少ない「島原の乱」を扱った一冊。読んでみたい気持ちは大きかったのです。

しかしながら、地の利が効かない遠い九州の物語。しかも著者はどうもキリスト教関係の著書が多い方なので、内容にかなりの懸念があったのは正直なところで、刊行案内が出た後も、本屋さんでの平積みを見ても、何故か手出しできない状態が続いていました。

ところが、先般の朝日新聞に掲載された書評を見て考えを改めました、読むべきだと。内容的にこなれていない点、史実の見立てに偏りがあるであろう点は判ったのですが、何よりも史料を重んじた内容である点が興味を引きました。それも宣教師や船乗りたちの報告書を中核に置いている点がとても新鮮に映ったのです。

語られることの少ない(ルイス・フロイスは別格)宣教師たちの記録が読めると判った以上、難しいのを承知で手に取ってみた次第ですが、やはり読み切るにはそれなりに時間が必要でした。それは、本書がその特徴ある史料の引用と共に、それを表す表記には特有の表現が用いられているためでもあります。

文脈中では一見同じに見える、「教会」と「教界」と必ず書き分ける点。イエズス会とその他の会派を峻別する点。日本の姓名とクリスチャンネームが行き来し、そしてポルトガル人や宣教師の名前が混在する人名記述(ドン・エステヴァンなどと、全くの洗礼名で表記される例もあり)を用いる点は、読んでいてもかなり混乱を来します。特に、ラテン語由来による教会の叙階や司牧の表記には注記もありませんので、地名を含めてある程度これらの表記に慣れた方を想定した記述を採られているようです。

ところで、本書の題名から島原の乱を扱った本と思われますが、島原の乱自体を扱った内容は70ページほどと、全体の1/4程度(全275ページ)に過ぎません。また、冒頭から30ページ程は原城址の発掘成果の紹介に充てられており、このページと全体本文との連携も最後に僅かに見られるだけで、まるで別建ての書籍のようにも見受けられます。

そうなると、本書の中核を成す部分は何で占められているでしょうか。

プロローグやエピローグ、あとがきで著者が繰り返し述べているように、本書は島原の乱自体を詳述しようというコンセプトに立っていません。実際には二つのテーマ、一つ目は「原城は廃城であったか」という疑問に対する、史料から見た検討結果の解説と、その根本として利用された宣教師たち、船乗りたちの報告書から読み解く、島原半島と天草の伝教と禁教の歴史を叙述する一冊だという事です。

従って、乱自体の推移だけに興味がおありの方には、本書のかなりの部分は、乱とは直接的に関係のない、戦国末期から江戸初期の島原半島および天草の郷土史に対する、外国史料による対外的な視点による検討が続く、退屈な一冊になってしまうかもしれません。

しかしながら、原城が廃城であったかどうかについては、その後の乱における幕府軍の意外な苦戦と関連付けると、非常に興味深い論考であることが判ります。すなわ ち、廃城ではあったが「破壊された城跡」ではなかったとう点です。特にその後作られた島原城への石垣の転用が殆ど無かったという記述には、興味をそそられ ると共に、島原城の築城が住民にとって極めて重い負担であったことが示唆されます。

一方で、もっとも信者の人口密度が高かったと思われるこの地方へのキリスト教伝教史、迫害史として本書を捉えた場合、充実した史料検討と、乱へ突入する経緯、その後の結末に深い同意と共感が得られるのであろうと思われます。そこには、本書のテーマである敗者の歴史というテーマと共に、貿易の魅力に憑りつかれた権力者を巧みに誘導するイエズス会宣教師の活動と、それに呼応して権門として振る舞う宣教師たち。彼らの権謀とはかい離した形で描かれる住民へのキリスト教の受容と拡大。妨害する仏教徒に対する容赦ない迫害や、寺院の破壊、僧侶や住民の追放といった、むしろ「伝道の勝者」としての物語が多く語られていきます。

その記述が禁教以降、特に松倉氏入部以降に一転して迫害の歴史叙述に切り替わっていく様子は、読んでいる側に同じテーマを扱った一連の歴史叙述として奇妙な違和感を与えない訳でもありません。事の根源である、なぜ禁教に至ったのか。キリスト教の受容に関する議論は豊富に述べられていながら、それ以上に重要な筈の排除の理論が殆ど欠落しており、本書ではただ、禁教が始まったと述べるに過ぎません。

その上で、本書は島原の乱自体の発生原因を宗教的な問題より、前述のような築城や江戸城の手伝い普請に伴う過酷な収奪と、天候不順による干ばつから生じた暴発的一揆であると定義づけています。しかしながら、一方で柳生但馬守の言葉を借りて、この乱が農民蜂起などではなく、宗教一揆、すなわち一向一揆と同類のものであると語らせています。落城間際の駆け引きについても、この乱が明確に宗教上の意義であると登場人物たちには述べさせる一方、乱を起こすことは本来のキリスト的ではないと述べていきます。果たしてどちらなのでしょうか。

本書は前述の書評にあるように、史料を重視し、著者の検証を含めて詳説した資料を読者に提供することで、その意図を把握させようという記述を一貫して採っているため、本文中では、この疑問に対して明快な回答を得ることはできません。

しかしながら、本文とは一転して饒舌なエピローグをご覧頂ければ、著者の意図は明白だと思います。ただし、著者はその行動をして異端であり、魂はせめて煉獄を彷徨うであろうと断じてしまいます。

そんな著者の意図に少なからずの疑問を持ちながらも、戦国末期から鎖国に至る大きな歴史の流れを編む1ページとしての島原の乱と、その舞台となった、島原、天草地方の歴史にもっと興味と持つべきなんだろうという想いを強くした今回の一冊。本当の疑問の前には、解決しなければいけないもう一つの疑問に対して答えを見つけなければいけない事を、またも見つめ直させられたのでした。

<おまけ>

本書を読むにあたって、事前に読んでいた書籍のご紹介。

  • 本書にも頻繁に登場する宣教師たち。その頭目たるイエズス会の日本での活躍を、領土を有する一宗教勢力として捉え直して、経済面を中心として当時の日本の諸勢力への影響力を推し量ろうという、非常に興味深い論考の一冊「教会領長崎」(安野眞幸 講談社選書メチエ)
  • 乱後における長崎の国際関係と守備体制の変遷。幕末へかけての対外政策の変化を長崎奉行という職制を通して叙述する「江戸幕府と国防」(松尾晋一 講談社選書メチエ)こちらでも紹介させて頂いております
  • 長崎のみならず、九州全般に目を光らせていた長崎奉行という職種の特異性とその権能について、地元に残る豊富な資料を駆使して描く「長崎奉行」(鈴木康子 筑摩選書)
  • 乱を経て、禁教の時代を乗り越えたキリシタン達は、受容した初期の段階からクリスチャンとは異質の存在であったという衝撃的な論考を、地元長崎で四半世紀にも渡る綿密な実地調査の上に語る。クリスチャンでもある著者が世界文化遺産登録を目前に控えたこの時期に上梓した「カクレキリシタンの実像」(宮崎賢太郎 吉川弘文館)。こちらで紹介させて頂いておりますが、本書にご興味を持たれた方なら必読の一冊です
  • なぜ禁教に至ったのか、その疑問に明快に答えてくれる解答例は、その後の日本を大きく変える事になるきっかけを作った一人のアメリカ人の記録に綴られています。彼の見解がすべて正しいとは言えないかもしれませんが、鎖国に至った国を再び開国させるために、その原因の調査と方法論の構築に労を惜しまなかった彼の弁は傾聴に値すると思います「ペリー提督日本遠征記(上下巻)」(M・C・ペリー、F・L・ホークス編纂、宮崎壽子監訳 角川ソフィア文庫)

島原の乱とキリシタンと関連書籍