今月の読本「よみがえる古代の港」(石村智 吉川弘文館)シーカヤックを漕ぐ古代ラピタ人研究者がGISから描く、ラグーンから始まる古代史

今月の読本「よみがえる古代の港」(石村智 吉川弘文館)シーカヤックを漕ぐ古代ラピタ人研究者がGISから描く、ラグーンから始まる古代史

近年積極的なコラボレーションが行われる、歴史研究における人文系と情報技術系分野。

でも、その成果を喧伝されたり、積極的に発信されるのは、どちらかというとサプライヤーサイドとなる情報技術系の皆様で、実際にそれらを成果として活用されている人文系の皆様のレスポンスは、利用させてもらっています、もしくはこんな事も出来るんですねと言った、ある意味、受け身な反応の方が多いような気がします(すみません、私自身が技術系の人間なので余計に)。

そんな中で、人文系の研究者の方が、自ら積極的にこれらのツールを使用されている事を全面に掲げて執筆された一冊が上梓されました。

今回は、何時も新刊を心待ちにしている吉川弘文館さんの歴史文化ライブラリーより、10月の最新刊「よみがえる古代の港」(石村智 吉川弘文館)をご紹介します。

冒頭に述べましたように、本書では地形的な検証過程に於いて、著名な地図、地形表示ソフト(GISの一種と称しても誤解は無いでしょう)であるカシミール3D®を全面的に利用し、著者自身が現地に赴いた際の写真と、考古学的な知見を重ね合わせる事で、より実体感のある著述を行おうという意図が全編で貫かれています。

このような著述を可能とする所以は、著者の現職(無形文化財の音声映像記録研究室長)からある程度理解できます。考古学者としては少し異色な、デジタルを含むメディアによる文化財の記録と保存を専門とされる研究者。それ故に、これらのツールを利用することに対する敷居の低さが当初よりあったようです。

そして、元々は南太平洋の失われた民族であるラピタ人の研究という、日本の考古学者としては異色で極めて貴重なキャリアを有し、広くアジア圏で考古学に関する活動に携われた上で、その後に共同研究として参加した、日本の考古学についての成果を、補足すべき雑感を纏めて一書を著したという点。

日本の考古学者としては極めて特徴あるキャリアを有する著者は、更に前述の研究テーマを直接体現するかのように、シーカヤックによる海からのアプローチにも長じており、それら全てを包括する著者ならではの独創的な視点が本書には溢れています。

日本の考古学、歴史研究において常に核心として扱われる、稲作農耕と、大陸、半島との関わり。その反動ともいうべき南方からの伝播や北方への移転といった議論を超越して、古代ポリネシアの人々同様に、そもそも人は目の前に海があれば、その海原を渡り、行き交うものという、極めてシンプルな立ち位置で議論を進めていきます。その想いは、著者がミクロネシアで伝統的な航海術を継承する方に高松塚古墳の天文図を紹介したときの、彼の感慨へと繋がっていきます。

そして、著者の着目する海からの視点、そこには現代と異なる、丸木舟の延長であるカヌー(カノーと軽野の語源についての極めて興味深い一文も)のような、構造船が登場する前の段階とその後で、船底構造と喫水線の違いから、現在の港湾として良港と見做される、水深があり、深く切り込んだリアスや湾ではなく、ラグーンと呼ばれる、葦等の植物が生い茂り、水深が浅い、遠浅の入り江、遡上する川縁こそが彼らの舫う場所であったと考えていきます。

瀬戸内海(この名称自体、明治維新時に欧米人に説明する為に用いられた用語であるという意外な紹介も。それ以前は「灘」と「瀬戸」が繰り返し現れる場所)及び、丹後、若狭地方における、古墳時代における集落遺跡の分布と古墳の位置関係を地図上に落とし込むと、交錯はあるものの、時代を経るに従って、その分布がラグーンから水深のある湾へと遷っていったことを見出していきます。そして、現在では内陸に存在するように見える巨大古墳の配置が、実はラグーンの畔、海側から望める格好の場所に位置している事をカシミールの図上で示していきます。

まるで、その姿を航行する人々に見せ付けるために海岸に添うように配置された巨大古墳とその葺石(ここでカヤックから陸上への視点と地球の円弧の影響という、操船経験のある方なら実感の解説も)。著者は、その配置の変化や船底構造の変化を併せて考える事で、当地における社会構造の変化、居住する人々の交流する対象に変化があったのではないかと想定していきます。そして、ラグーンを拠点に発展していった氏族の中に、後の内膳司となる御食国としての、膳氏と安曇氏という古代の「食と猟」を司った氏族の動きを重ねていきます。

ラグーンから望む海で繋がる人々。著者の視点は、その海流に乗って、更に西へと進んでいきます。遣唐使、新羅使が航海した瀬戸と灘。現在の動力船でも充分影響を受ける、急激な潮流変化が絶えず繰り返す瀬戸内の海を航海する為に各地に設けられた泊の変遷を訪ねながら、鞆の浦から厳島と音戸の瀬戸の謎を追い、周防灘を渡るルートを探り、宇佐、宗像の神々と、何故海神、そして八幡社がいずれも三女神(三柱)なのかを波間に問いながら、玄界灘を世界遺産の地、沖ノ島へと渡っていきます。

ここで、東南アジアの考古学に精通する著者は、此処まで辿ってきた海路沿いのラグーンに残された遺跡の発掘物に見出される、東南アジアで作られたであろうガラス器を示しながら、海のシルクロードへの想いを馳せていきます。列島の中に閉じ込められたかのような、あるいは一方通行的な、僅かな窓口を介したように綴られる歴史展開に対して、はっきりとそうではない、遥か先史時代からこの列島は広大な海の世界に脈々と繋がっていたのだと述べていきます。

その想いを抱きながら綴る後半。瀬戸内海を中心に纏まって描かれた前半から大きく飛躍して、その道筋は、海の都である難波宮と陸の都とのダブル、マルチメトロポリス論を挟んで、伊豆半島、北海道、そして先島諸島へと続いていきます。著者の専攻であったポリネシアとの繋がりすら想定させる、伊豆半島の南端に点在する入り江とラグーンを拠点にした古代の賀茂氏と弓ヶ浜、源平合戦期の伊東氏の交易拠点だった河津を梃に望む、伊豆七島、小笠原、その先まで続く大海原の道筋。まだ手つかずのままに発掘される時を待つ、広大なラグーンに存在した幻の街と其処に集ったアイヌの人々は、北方アジアと海を通じて繋がり合い、今は廃村となって船でしか訪れる事が出来ない西表島の網取に残る最後の風俗から、遥か南方の人々が行き交ったであろうとの想い描く。

地上における推移と発掘成果、記録を残した側の視点で描かれる、ややもすれば二元的、対峙的な歴史の叙述に対して、全く別次元で列島の人々同士が、更には世界へと繋がっていた事を海の視点を踏まえて捉えようとする著者。

その視点を描き込み、歴史の交点となるその場所を探り出すために、著者はラグーンと湊の跡を求めて、海ではシーカヤックを漕ぎ失われた姿を想像し、丘に上がってはGISを積極的に活用してその実像を示そうとしていきます。

歴史文化ライブラリーに相応しい、新しいアプローチに満ちた考古学の可能性を示してくれる本書。著者が述べるように、GISによって見出される古代のラグーンだった場所には、まだ手つかずの遺跡が多く眠っている筈。それらが見いだされた時、我々の知っている「陸上」の考古学とは全く異なる姿を見せてくれるかもしれません。

こちらに載せています歴史文化ライブラリー既刊の数々。意外かもしれませんが、全てが本書の内容と直接、間接的に繋がっているのです。

繋がる歴史の面白さを是非皆様にも。

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