今月の読本「トラクターの世界史」(藤原辰史 中公新書)大地を駆る鉄馬に連環する3つの筆致と農への想いを乗せて

今月の読本「トラクターの世界史」(藤原辰史 中公新書)大地を駆る鉄馬に連環する3つの筆致と農への想いを乗せて

New!(2017.11.22):著者である藤原辰史さんへのインタビューが、中央公論社のサイト「著者に聞く」に掲載されています。本書にご興味のある方は、まずはご覧頂ければと思います。

題名からして惹かれる一冊、しかも著者は近現代の食と農に関する論考を近年積極的に発表されている気鋭の研究者とくれば、当然期待も高まります。積読溜まり気味の中ですが、細かい事は考えずにとにかく読むが先決と、発売直後に手に取った一冊(書店様、いつも入れて頂きありがとうございます)。

今回は「トラクターの世界史」(藤原辰史 中公新書)をご紹介します。

本州における機械化農業の先駆地でもあり、各施設でも大切に往年の車体たちが飾られる清里(晩秋のポール・ラッシュ祭にお越し頂ければ、現役の車両たちへの乗車体験もありますよ)、そして日本に於けるトラクターのスケールを遥かに凌駕する大陸的なビックサイズのトラクター(やはりジョン・ディアが多い!)がそれこそ国道を縦走する風景が日常に溢れる野辺山を目の前にする場所に住する身にとって、トラクターは特に身近な「道具」。そんな道具達の歴史が綴られる本書ですが、そこには著者のこれまでの著作との強い関連性が認められます。

本書の著者は、近代史において、日常の生活の中に見出される政治的な指向性を浮かび上がらせる事に成功した、快作の呼び名の高い「ナチスのキッチン」を著し、その後も戦前の旧大日本帝国におけるジャポニカ米の品種改良と植民地における農業政策を結びつけた「稲の大東亜共栄圏」、食に関する広範なテーマを扱ったエッセイ集「食べること考えること」と立て続けに上梓されています。

農学者ではなく、農業史を標榜する人文学系統に属する研究者ならではの筆致に惹かれる方は多くいらっしゃるかとおもいますが、本書に於いても「トラクター」を題材として、近代史における農業の変化する姿を、上記の3冊のエッセンスを存分に注ぎ込んで描いていきます。但し、あくまでも人文学的見地に立った議論であり、トラクター自体のメカニズムや機械化農業(農耕)効果に対する詳細な検討といった工学及び農学的な視点は余り言及されていない点には理解が必要です(この辺りの釈明は、ご自身の生い立ちを添えてあとがきに述べられています)。また、本書は世界史と題されていますが、扱われるテーマとその地域はかなり限定されます(多くのトラクターが活躍している感もある南半球は全く扱われません。北半球のトラクター史ですね)。更には、本書では著者の研究テーマに沿ったトラクター発祥、導入からの物語が描かれるため、それぞれの舞台によって明確に異なる筆致で綴られていきます。

当時の文学作品や風刺から見る、農家の生活とその中に進出してくるトラクターを農民たちがどのように受け止めていたかを描く事に注力する、発祥と発展の地、アメリカ。その強力な能力と引き換えに大きな投資と維持にコストが掛かる点を逆手にとって、小農や富農を集団営農へと転換させる起点、象徴としてのトラクターをプロパガンダ、更には実際の集団化に用いようとしていく反動の暗側面を描き出していく、旧ソビエト、そしてナチス・ドイツ。幻想の集団営農と強靭な東側のトラクターに魅せられる農業指導に渡ったアメリカ人の視線と、毛沢東の集団営農への想いと文革後に再び小農体制へと後退を綴る中国。そして、牧歌的に偉人伝と企業史としてのトラクター開発物語が語られる日本。

対応する国、地域、政治体制それぞれに呼応するように、これまでの著作の筆致そのままに当てはめられて描かれていくストーリー。それぞれは全く異なるストーリーにも見えますが、著者の筆致の魅力でもある、通読していくと一本のストーリーとして繋がっていく、連環する筆致が本書でも見出されていきます。本題でもあるトラクターの歴史、アメリカで勃興したトラクターを軸とした産業としての農業機械は、その系譜を受け継ぐ世界中の合従連衡の上に現在も発展している事に気が付かれるはずです。

発祥のアメリカを今も地盤として、農家と向き合い、改良を重ねて巨大化と多彩化の波を生き抜く、農業機械の巨人、緑のジョンディア(日本ではヤンマーが扱い)。巨大資本と自動車産業の効率的な製造手法を持ち込み、更には政治力で世界の市場を席巻したブルーのフォードとニューホランド、伝統と技術力を誇り、北米で確固たる地位を築く赤いIHにシルバーのランボルギーニの各社は、それぞれのブランドを維持したままオレンジのフィアット資本の下に国際企業として集約。プラウの三点支持を生み出したファーガソンシステムの祖、マッセィ・ファーガソンはAGCOへ(野辺山、川上界隈では最近この真紅のボディが目立ってきた。大型は井関にOEM供給も)。ディーゼルをリスペクトする、狭隘で硬く締まった圃場に特化した小さな歩行用トラクターから始まった日本のトラクターたちは、彼らと提携しつつも、その雄たるクボタは彼らの故郷の地、アメリカと多様な機種が展開されるヨーロッパを目指して巨大化の道へと歩み出し、世界の農業機械産業一角を占めるに至ります。発祥は違えども、大地を駆り耕すという同じ役割を与えられたトラクターたちは、時に戦車に、更には産業そのものが軍需に転用されながらも、地域を問わず世界中に展開していきます。

そして、著者のこれまでの作品とも通貫するテーマ。トラクター発明以前の農耕から語り始める冒頭から述べられる、農業と大地への想いがそれぞれのストーリーの中でも綴られていきます。

強力な耕耘力が生み出す深耕と、過大な重量が生じさせる土壌の破壊に対する憤り。巨大な力と引き換えに世界経済に巻き込まれる事になる燃料と大地へ化学肥料を与え続ける事への負担。人と大地を繋ぎとめ、地力を与える存在であった役畜(農耕馬・牛)への農民たちの想いと、トラクターに対する懐疑の眼差し、対比されるトラクター運転手へ憧れる若者の描写。そして、農業の産業化の象徴となったトラクターが生み出す、営農集団化の足取と挫折の物語に随伴する農業政策への眼差し、プロパガンダとしての女性が農業で活躍する舞台道具に設定されたトラクターというアイコンと現実の深いかい離。

トラクターという存在を少し離れて終章で一気に畳み掛けていく物語の先には、著者の想い、農業を基盤とした大地と人の繋がりの受け皿となる営農集団と、その鎹としての協業の象徴、トラクターというイメージへの飽くなき想いが情景として滲んでいるようです。

著者の想いとそのイメージは、既にダストボウルの先に消え去った幻影に過ぎないかもしれません。特に日本に於ける現代の農業の姿とは、なかなか相容れるものではないかもしれませんが、トラクターをテーマに、これまでの著作同様に、農業と大地との絆に対する深い想いを込めて描く一作。ちょっと薄味気味かもしれませんが、トラクター、農機具ファンの方にも歴史物語として楽しめる一冊かと思います。

広告