今月の読本「タコの知性 その感覚と思考」(池田譲 朝日新書)日本人研究者が綴る、もう一つの知性が魅せる広がるその先

今月の読本「タコの知性 その感覚と思考」(池田譲 朝日新書)日本人研究者が綴る、もう一つの知性が魅せる広がるその先

人間をはじめとする脊椎動物が有する知性や認知とかけ離れた世界にある一方、極めて高度な認知性や特異な感性を有しているのではないかという事が近年盛んに述べられている、タコやイカといった軟体動物の頭足類。

特に、日本人にとって馴染み深く、そのユーモラスな姿と多彩で驚くような行動様式から書籍をはじめ積極的に紹介されることも多いタコ。一般向けの書籍でも度々紹介されますが、ダイオウイカ撮影で一躍有名となった、日本の頭足類研究の第一人者である奥谷喬司先生の著作(ブルーバックスの名著「イカはしゃべるし。空も飛ぶ」は是非ご一読で)以外、何故か外国書籍の訳書が多かったように思われます。

そのような中で、忽然と新書として刊行された一冊。実質的に初めてとなる、日本人著者の手による「タコ本」。真正面に掲げられた表題に対してどんな内容となっているのでしょうか。

今回は「タコの知性 その感覚と思考」(池田譲 朝日新書)をご紹介します。

著者は現在琉球大学で教鞭を執られる研究者の方。頭足類の研究、特にイカの行動様式や認知性の研究を長年続けられている方です。単著としては2011年に刊行された「イカの心を知る 知の世界に生きる海の霊長類」(NHKブックス)に続く一冊。前著については、魚類関係の書籍が大好きな私にして滅多に無い(魚類関係以外の書籍でも数少ない)、途中で読むのを放棄してしまった一冊でもありました。

冒頭とあとがきに書き連ねられた余談と、その筆致に対する自己解釈。理解されているにも関わらず綴ってしまう点は、如何にも自然科学系の研究者の方にある筆致(これが人文系研究者の著作になると、敢えて読者を誘導する意図が組み込まれている時もあるので少々怖いのですが)ですが、空振り気味な比喩と導入、「痛い」余談が散見する本文(50代後半の著者であれば尚更)は正直に言って読まれる方をかなり選ぶ文体かもしれません。

近年、複数の訳書が登場しているタコの生態や知性に関する訳本。その中でも「タコの心身問題-頭足類から考える意識の起源」(みすず書房)の著者及びその内容をかなり意識されて書かれる本文。あとがきでも述べられるように、本文の過半は上記の書籍や、それ以前に刊行された訳書、雑誌、TV等でも紹介される内容とオーバーラップしており、前半は著者のセレクションによる「タコの知性」関連研究の概要紹介的な内容が主体になっています。従って基本的な頭足類の説明、タコの生態や所謂文化的な側面の記述はかなり絞り込まれており、表題に掲げられたテーマ「知性」にほぼ特化した内容となっています。

人間の手によって研究され、人間の思考や行動を出発点に研究が進められていく動物行動学的な視点。その中でも特異な位置付けを有しているタコの行動、学習研究。ヨーロッパ(ナポリ、日本同様にタコを食する地であることが大きいのでしょうか)を中心に膨大な研究がなされていますが、そのような中で著者が特に注目する点、

まず、多くの先行研究がマダコをテーマにしており(実際には日本のそれとは別種である可能性が指摘されているとの事)、約250種いるとされるタコ類全体の僅か1種の傾向を捉えているに過ぎない点。次に、その巨大な目と脳へと繋がる構造からどうしても研究のテーマが視覚に対する反応や学習が中心となる中で、自在に動く8本の脚から繰り出される、膨大な数を有する吸盤を伝わる触覚から対象物を認知する範囲の広さへの着目、更には単独性とされる生態に対する個体相互、鏡に対する反応(鏡像自己認知)への疑問。

これらの着目点と前述の研究成果を自らの研究室に在籍する(在籍した)学生たち、研究者たちが記録した観察結果を比較する事で、新たな知見が認められる可能性を指摘する、著者の研究室による研究成果紹介が中心なる後半。

前著でも同じだったと思うのですが、実はこの部分が読んでいて非常に悩ましかった点。著者は研究中の内容であるとの但し書きを添えていますが、結果として述べられる内容が(定性的な研究であるとはいえ)、何とも捉え難いままに著述が進んでいきます。

著者たちの研究結果により、行動特性や社会性の発端or退化した片鱗を認める一方、その解釈を根本から覆してしまう、前述の250種に上る種ごとの活動性の差異や、事例を示した上で個体差へ言及する内容も、前述の特性を述べる際と同じようなペースで綴られていくため、帯に書かれた「解明」には程遠い、本書の内容を以て何を評したいのかが見えてこないというもどかしさを度々感じる事になります。特に、そのような行動を認めた際の解釈に入ると、どうしても人間目線(著者目線)での認識が入り込む余地が大きくなり、その筆致は定性性として括られるはずの領域から離れ、その行動に対して著者の思索的な要素、希求を映し出そうとする傾向がより大きくなっていきます。

更には、容易に見出す事が出来ない、これら「知性」研究の先にある姿。

イカやタコの行動を研究する事は漁獲物である対象を知るうえで重要であると冒頭で述べる一方、その導入に当たる水産学に対してやや否定的な感情を述べ、生物学であり、ある種の心理学的な要素を求める著述や研究内容(このような研究に対して本文中で紹介される、投稿され、発表される学術誌の殆どが海外で刊行されているものであるという点も実に興味深いです)。知的好奇心としては非常に興味深い内容なのですが、果たして何処へと行ってしまうのだろうかという、糸の切れたタコのようにも見える思索の広がりに困惑しつつ(前著ではその困惑が抑えきれず、途中で読み進める事が出来なくなりました)。

既に刊行されている「タコの知性」に関する書籍は、訳書らしくいずれも相応な分量(とお値段)があるため、興味があっても本を読み慣れている方でないと手に取るのが少し厳しいことも事実。

そのような中で、日本人の研究者の方による、手軽に手に取れる新書というフォーマットで刊行された貴重な入門書となる一冊。文章はかなり癖が強いですが、その興味深い生態と、未知なる「思考」の片りんにご興味のある方へ。

今月の読本「タコの教科書」(リチャード・シュヴァイド著,土屋晶子訳 エクスナレッジ)醜悪と愛嬌が混ざりある美味しい隣人は異次元の知能を魅せつける

今月の読本「タコの教科書」(リチャード・シュヴァイド著,土屋晶子訳 エクスナレッジ)醜悪と愛嬌が混ざりある美味しい隣人は異次元の知能を魅せつける

日本は漁業大国だという事で、当然のようにお魚に関する文化も豊かに揃っています。最も重要な食べ物として、そして漁獲としての職漁、江戸時代ぐらいまで下ると、文化的なテーマも出てきますね。

魚食との深い関わり合いでは、世界有数の歴史の長さと幅広さを持つことを多くの方が日本人の矜持としていると思いますが、こと文化的なテーマの紹介になると、どうも海外に後れを取るようにも見受けられます。

今回の一冊も、なぜ日本でこのようなテーマ性を持った本が出されないのかと残念でならない一冊です。

タコの教科書 原題:Octopus」(リチャード・シュヴァイド著、土屋晶子訳 エクスナレッジ)です。

タコの教科書版元のエクスナレッジさん。元々は建築関係の書籍を専門に扱っていたようですが、近年では海外書籍の翻訳を積極的に取り扱われているようです。テーマ設定の秀逸さと、掲載されている写真の美しさでも話題となっている「世界で一番美しい/死ぬまでに見たい」シリーズの版元さんでもありますね。

本書もスペインはバルセロナに在住するジャーナリストの方が執筆された書籍の翻訳版ですが、驚いたことに本書の少なからぬページは、最大のタコの消費大国である日本のタコの事情、そして日本人の著者が本来書いてほしいと願う文化について解説するために費やされています。

そして、邦訳が「教科書」を標榜するように、本書は実に幅広い分野の「タコ」に関する知識を取り揃えています。中でもナポリの臨海実験所の開設の経緯(ダーウィンが支援していた事でも有名ですし、海洋生物研究の分野で最も伝統を有する研究施設の一つでもあります)と、研究所におけるタコの研究を取り扱っている点は出色ですし、タコの特性から、漁獲、食、生体研究、文化、飼育にまつわる話まで実に豊富なテーマを多くの写真や絵画を交えながらもコンパクトにまとめ上げている点は、手軽にこれらの知識に触れたい読者にとっては非常に魅力的です。その意味では本書の少し前に邦訳が刊行された「タコの才能」が、ネット世代の好奇心に依拠した、研究対象としてのタコに対する生体行動学、工学的な好奇心に重心を置いて著述されている点とは対照的に、日本においてはなかなか地位を得られない(荒又宏さんが唯一でしょうか)、博物学的な知見に基づいて著述されている点がちょっと古典的でもあり、貴重でもあったりします(著者は既刊でも食用魚類に関する著作がありますが、あくまでもジャーナリストです。魚をテーマにした書籍では、魚類/水産学の研究者や、官僚出身者、経済関係の方が執筆することが大多数の日本と、この点でも大きく異なります)。

本書では、タコに関するテーマを幅広く扱っていますが、そのいずれもが要点を押さえた記述と、各章に込められたテーマに対して明快に解説と著者の心象を込めていく点は、研究者と呼ばれる方が執筆した類書と明確な一線があります。

タコの習性と漁法では、擬人化したタコの習性に関する描写は滑稽ですし、研究者たちのタコの知性に関する研究では、ジャーナリストらしい研究者同士のタコの知性に関する研究成果に対する見解の反目をしっかり扱っていきます。北大西洋でのタコ資源の減少、特に北アフリカの西サハラ(世界でもほんの僅かな未独立地域)での過酷なタコ漁と周辺の政治状況、海外大資本(日本の大手水産会社を含む)の活動にもきっちりと言及している点は日本で刊行される類書では決して得られることの出来ない知見でしょう。南米のオクトパス・マヤがニューヨークで受け入れられない理由と、著者自身が現地で食した絶品のタコ料理(ものすごくシンプルな料理なのですが)のかい離に対して、西洋諸国でのタコ食に対する、ある種のハードルの高さ(タコ食への根源的な嫌悪感と高級食材としてのステータスの相反)がストレートに描けるのも、西欧の中ではタコ食を嫌悪しない南欧出身の著者ならではの視点です。

そして、日本の読者にとっても非常に嬉しい点は、南欧と並んで世界で最もタコを食している日本の事情を取り扱うことがテーマに叶うと考えたであろう、タコ食文化のページの多くを日本のタコ食とタコ漁に割いている点です。中でも「タコ焼き」と「明石焼」を明確に区別して解説している点は、著者の熱心なリサーチの成果でしょうし、大阪の家庭にあるタコ焼き器とカンザスのワッフルメーカーを比較している点はくすっと笑いが出てしまいます。一方で、日本が密かにタコの完全養殖に成功しているのではないかと疑っている筆致(また世界中の利益を収奪するのではないかとう、ジャパンバッシング論が見え隠れする)は、未だステレオタイプな「不思議の国、日本」健在だなと感じてしまうところです。

そんなやや偏見的(世界的に見れば至極当然?)な日本のタコ食文化への眼差しですが、タコを取り扱った文化史に入ってくると更にその筆致はパワーアップしていきます。「タコの才能」でも若干見受けられたこの傾向ですが、本書では一章を割いて全面展開されています。要は北斎の春画から始まる陰湿で内向的な性描写が、現在のアニメの描写で使われる抑制的な性描写への裏返しとしての「触手攻め」に繋がっている点を日本のエロ描写の特徴として見做していく事と共に、ユゴー(レ・ミゼラブルの著者ですね)の反発や印象派の画家たちへの東洋趣味に繋げていく論調なのです。この辺りの見解は日本人としては納得いかない点も多々あるのですが、ジャパニメーションを称揚される理解の根底がこのように捉えられているのかと考えると、妙に納得させられてしまう点もあったりします。

もちろん、日本の文化の範疇外にあるタコをモチーフにした美術や図案についても多く語られていくのですが、そのいずれもが特徴的な容姿と、不思議な生態への畏敬と愛嬌がないまぜになっている事が判ると思います。そこには、何時の時代でも、どの文化でも人を惹きつけてやまない、タコだけが持ち得る魅力があるようですね。

本書の最後は、多くのタコに魅せられた方々が異口同音に述べられる言葉で締めくくられています。

それは、脊椎動物が持つ知性とは全く異なるタイプのものなのでしょうが、確かにその眼には「知性」が宿っている事を目の当たりにすること。底知れぬ知性が宿ったそのまなざしは、スキューバー巡り合った水中でも、漁船のデッキに積まれたタコ壺の中でも、水族館のガラス越しても、きっとあなたをじっと観察しているはずです。

我々が知らないもう一つの「美味しい」知性への探求は人類史と同じくらいの長さを有しているのですが、それでも、まだまだ始まったばかりのようです。

<おまけ.その1>

本書より少し前に刊行された、同じようなテーマを取り扱った一冊。内容はずいぶん異なりますが、タコの知性に魅せられる点は全く同じですし、インタビューに登場する人物はオーバーラップしています。できれば、先に本書を読まれて、特にタコの研究に興味が湧かれたら、こちらを読まれるとよいかと思います

タコの教科書とタコの才能

<おまけ.その2>

本ページで取り扱っている、その他の食べ物をテーマにした書籍のご紹介

今月の読本「タコの才能」(キャサリン・ハーモン・カレッジ著,高瀬素子訳 太田出版)研究者たちの「タコに魅せられ自慢話集」

今月の読本「タコの才能」(キャサリン・ハーモン・カレッジ著,高瀬素子訳 太田出版)研究者たちの「タコに魅せられ自慢話集」

生き物を扱った本、特に魚類を扱った本は日本が独壇場のように感じますが、実は海外で刊行された書籍の方が充実した内容と、深い洞察に溢れていたりする事が多々あります。

具体的なデータを扱った書籍ではそれほど大きな差はありませんが、哲学的記述となると海外の書籍の独壇場。その代り読むのも骨が折れるので、訳本でも特に興味深い本に限って読むようにしているのが現状です。

今回ご紹介するのは、そんな訳本らしい構成で組まれた本でありながら、哲学的とはちょっと違った観点で纏められた面白い一冊です。

タコの才能タコの才能」(キャサリン・ハーモン・カレッジ著,高瀬素子訳 太田出版)です。

この手の作品には珍しく、著者は海洋生物学者や所謂ナチュラリストのような方ではありません。紹介文によると、科学系雑誌の編集者兼、執筆者という、日本で謂うところのライターさんのような方です。また、本書がキャリア初めての著作で、いきなり邦訳が刊行されるというのも珍しい事例だと思います。

従って、綴られている文章も研究者の方が書かれるような、生態学であったり、水産学などの詳細な内容は全く出てきませんし、資源や環境保護関係の方が書かれるような、タコ類に関する生息環境や資源保護に対する提唱も出てきません。

更に、冒頭には紀行文的なスペインやギリシャでの取材記事が出てきますが、漁獲されるタコの過半数を消費する日本に関する著述は全くと言っていいほど出てきません。唯一出てくるのは、呆れ返るばかりの「フジヤマゲイシャ」のノリで書かれる、タコと戯れる女性の浮世絵?に観られる風物と、アニメでたまに見受けられる「触手系」と対比して、ニッチなエロチシズム表現である事を揶揄する程度です。

本書は、そのような「タコ学」や「タコの文化論」といった研究書や文芸書が担う分野を狙って書かれているわけではありません。著者の略歴にはWiredに投稿している事が記載されていますが、まさにその部分がメインテーマ。

Wiredが得意とする、ネット上で流れている面白いタコの映像や、不思議な生態に関する記事を再編して流す「まとめ系」サイトのノリそのままに、タコに関する面白ニュース発信主の皆さんに直接お話を聞いて歩いた取材録を集めた、インタビュー集といった体裁が本書の中核を担っています。

一応、冒頭の2章分は、本人の直接取材によるスペインでのタコ漁同乗と、ブルックリンのタコ卸業者、ギリシャにおけるローカルなタコ料理の話題に費やしていますが、著者の胃袋の満足を満たす以上には、そこに本題はありません。

本書では、著者の専門分野である、今やネットに溢れるタコの驚異的な能力を示す映像や資料の元となる研究に没頭していく「タコをテーマにする研究家」たちの、タコへのめり込み具合を、これでもかと謂わんばかりに集めることで、どれだけ皆さんがタコに魅せられているのか、その魅せられ具合を取り上げることで、タコの驚くべき能力の片りんを紹介していく事を主題にしています。

本書を読まれると、タコの研究には魚類学者だけではなく、医学から電子工学、材料科学まで、幅広い分野の研究者が参加していることに驚かれると思います。人とは違った進化の体系を採ったことで、人には理解できないさまざまなスーパーテクニックを有するタコたちから、研究者たちがどのように学んで、そのテクニックを盗んでいこうとしているのかを、本書は研究者たちのタコに対する驚嘆(もしくは愛憎)の声と共に余すところなく述べていきます。

登場する研究者たちの立場はそれぞれ異なり、タコの生体に対して、どの部分を研究のターゲットにしているのかも全く異なりますが、想定を簡単に裏切って、容易に答えに近づくことを阻むタコの生体の複雑さには異口同音に驚き続けていることをすべての研究者たちが訴えていきます。

パワフルな吸盤を持った自在に動く八本の手足と、三つの心臓を持ち、小さな頭とは裏腹に、人の目にも匹敵する高精細な目と、全身これ感覚器官というべき、分散処理をこなす受容系。その受容系からの伝達をこれまた分散処理することで、色を変え、姿を変え、時には音や光まで放つという、ダイナミックな形態変化。そして、意外なほどに細やかな愛の表現と、僅かな命の滅び。更には、古風な循環系がもたらす、意外な環境適性の低さ…。

本書では、研究者たちの溢れるばかりの好奇心と、それをあざ笑うかのようなタコたちの秘められた能力の追っかけっこの姿に、著者の好奇心を載せた物語が、豊富に語られてきます。

そして、それらの研究分野に深く参入してる「軍」の影響に驚かれるかもしれませんが、これはアメリカでは当たり前のこと。むしろ、軍をバックボーンにした研究においては、一見、商業的には無意味でも、これらの研究成果が役に立つ素地があることを、本書を通じてまざまざと見せつけられることになります。

本書は、タコに魅せられてしまった著者をはじめとする研究者の方々の、苦労話、いや、どの位魅せられているのかの自慢話を楽しみながら、タコの不思議な生態をほんのちょっと垣間見せてもらえる一冊かもしれません。

ちなみに、本書を通じて、現代の研究者たちの七転八倒ぶりを、傍らでにやにやしながら眺めていらっしゃる、はるか昔にタコに魅せられてしまった、彼らの大先輩でもあるアリストテレスは、きっと「まだまま魅せられ方が足らん」と仰っているんじゃないかと、等と想像しながら。

<おまけ>

本ページで紹介している、ほかの魚類に関する本を。