今月の読本「熱狂する「神の国」アメリカ」(松本佐保 文春新書)カトリック視点で読むアメリカ政治の原動力

今月の読本「熱狂する「神の国」アメリカ」(松本佐保 文春新書)カトリック視点で読むアメリカ政治の原動力

これほど不思議な展開を見せるとは誰も予想していなかったかもしれない、ここ最近の国際政治状況。

特に、あまりに極端な候補者が両党から擁立される事が確定的になった今回のアメリカ大統領選挙の行方は、外の人間から見ると余りに不可思議に思えてきてしまいます。

この状況を誰も読み切れなかった中で執筆の準備がなされ、続々と本屋さんの店先に送り込まれる関連書籍の中で、それを何とか補正するためでしょうか、更に異色なキャッチコピーの帯を巻いて並べられた本書は、内容もアプローチも、これまでの「アメリカ本」とは一線を画す内容を持っています。

熱狂する「神の国」アメリカ今月の読本、「熱狂する「神の国」アメリカ」(松本佐保 文春新書)のご紹介です。

本ページでは著者の前著「バチカン近現代史」(中公新書)もご紹介していますが、本書はその続編として捉えて良い一冊。題名だけ見ると、類書にあるようなプロテスタントの国としてのアメリカ政治における福音派の政治的影響力が描かれるように思われますが、実際にはプロテスタントの動向を描くより遥かに多くのページをアメリカにおけるカトリックとその政治的な影響力の変化を描くために費やしていきます。

前著で触れられたバチカンとアメリカの外交関係を持つ前から現在まで続く水面下での関係や、バチカンの影響力の行使と共に、プロテスタント国におけるマイノリティとしてのカトリックの社会的地位の推移とそれに伴う政治的な影響力の変化を、ケネディの就任をピークとしてアイリッシュカトリックから現在の中南米の移民(サンベルト)への流れとして描いていきます。プロテスタント視点で描かれる本が圧倒的なアメリカのキリスト教関係の書籍で極めて珍しいカトリック視点(著者は前著のあとがきでクリスチャンではないと明言していますが、カトリック系の学校で教育を受けています)で描かれる本書は、やや傾倒気味ながら、それだけでも興味深く読む事が出来ると思います。

カトリック視点でのアメリカキリスト教史が描かれる一方、もちろん主要なプロテスタント宗派の動向とその政治的な影響力、特に各大統領の信仰する宗派から見た影響勢力の変遷についてもきっちりと述べられていきます。更には前著に続いて、新書という限られたページ数にも拘らず要所を抑えた判りやすい記述には特に感心させられます。

交わるところが無いように見えるカトリックとプロテスタントの政治的影響力が、ニクソンからカーターへというアメリカ政治の失望期に、プロライフを代表とした宗教的保守の思想の元で、レーガンを支えていく重要な勢力として纏め上げられ、結果的に共闘する形が採られていくという点を、歴代大統領の通例である記念博物館、公文書館の史料から見出していくのが本書最大の白眉。前著を読まれた方であれば、この共闘の先に冷戦終結の道筋が開き始めたと読み解く事が出来る筈です。また、キリスト教シオニストに言及して一章を起こし、戦前に遡って英国との関係に言及する点は、アメリカが何故イスラエルをこれほどまでに擁護する事への疑問に対する一つの回答として、ヨーロッパ史の研究を主軸に置く著者の面目躍如といえる著述かと思います。

コンパクトに纏められたカトリック視点でのアメリカのキリスト教と政治の切り離せない関わり合いを述べる本書。ブッシュ・ジュニアを支えた福音派とネオコンの台頭と、その後の潜伏状態までで本書の著述は終わっており、オバマ時代の宗教的な動きや帯にあるようにトランプ云々はほんの付け足し程度に述べられるに過ぎません。その代りに最終章で描かれる内容が本書のもう一つのハイライト。アメリカのカトリック礼拝に訪れるだけでなく、福音派の結集力の源泉でもあるメガチャーチで実際に礼拝に参加した体験が述べられていきます。万を超える聴衆を集める集客?力、それを支える魅力的な説教と、広大な土地に散在して生活するバイブルベルトの生活環境における、普段は希薄な対人関係を繋ぎ合わせるコミュニティとしての存在感の大きさに打たれる著者の想いが切々と伝わってきます。

その上で、現法王(著者はやはり教皇と表現しますが)フランシスコと穏健な福音派との相互理解の先に社会的な問題点の解決策を見出そうとする著者の視点は、何処までもカトリック的である所には、やむを得ないとはいえちょっと片手落ちな気もしながら、著者が述べているように、日本では余りにも希薄な宗教を視点から決して逸らしてはいけない事を改めて見つめ直させる一冊です。

熱狂する「神の国」アメリカと類書<おまけ>

本ページより関連する書籍をご紹介。

 

 

今月の読本「ヴァティカンの正体」(岩淵潤子 ちくま新書)バチカンを題材に採った「情報スクラップブック」

今月の読本「ヴァティカンの正体」(岩淵潤子 ちくま新書)バチカンを題材に採った「情報スクラップブック」

何故だか、バチカン関係の刊行物が続くような気がする昨今。

昨年の教皇交代は確かに印象的であったし、その後も色々と話題を提供し続けているバチカンとローマ教皇の周辺ですが、その影響が遥か極東のキリスト教にとっては未だ未開の地であり続ける、この日本の出版業界にも到達したのでしょうか。

そんなバチカン絡みの最新の出版物を、ちくま新書の今月の新刊からご紹介。「ヴァティカンの正体」(岩淵潤子著)です。

ブァティカンの正体まず、「正体」という引っかかり感が気になる題名ですが、内容の方も、ライトな内容に変化しつつある、ちくま新書の中でも、ちょっと弾けたラディカルな内容。

もし、帯にあるようなバチカンの情報戦略や、所謂謀略なんていう、ドラマ仕立てのストーリーにご興味がある方は、小説や別の書籍を当たられた方が良いかと思います。

また、文末に掲載します、他の新書シリーズで扱われているようなバチカンの歴史や、文化、教会組織や教化に関するお話、外交や歴代教皇の事績については、部分的には語られますが文中にモザイクのようにちりばめられていますので、それらをテーマに通読するにはちょっと困難です。

本書は表題こそ「バチカン(著者の記述に従えばヴァティカン)」を取り上げていますが、実際にはバチカンというお題目を用いて、著者が得意としている情報やコンテンツビジネスにおけるそれぞれのシーンで、彼らの考え方がどのように当て嵌められるのかを考察した散文を纏めた、スクラップブックのような内容です。もしくは「コンテンツ」と「バチカン」をテーマにしたマガジン形態の読み物と言っていいでしょうか。

一応、3章の前半くらいまではバチカンの話題が中心として取り上げられますので、1章のバチカンの図書館やIOR等、現代のバチカンの話題に触れる点は多々あります。しかしながら、2章の聖書と教会に関する話題から徐々にコンテンツ的な話題に脱線が始まりますが(ミッションスクールとヨハネとBLというぶっ飛んだお話も)、3章の歴代教皇の芸術に対する投資と、資金源としての贖宥状、宗教改革の部分を過ぎると、それ以降、バチカンは話題をエントリーさせるための介添え役として取り扱われるだけ。著者が得意としているであろう、コンテンツ分野における話題が中心となります。

逆に、本書をコンテンツビジネスや情報サービスの分析における、キリスト教価値観を持った著者による「バチカン」を切り口とした見方をちりばめた本であると理解すれば、すんなり読めるかもしれません。

そのような意味合いで、ちょっとバチカンを忘れて読み始めれば、4章はカウンターカルチャー論として楽しい読み物ですし、最後のクールジャパンに対しての言及もよく判りますが、ここまで来ると、終章で落としどころを探っているにも拘らず、「バチカンの話は何処に行ったの」といった感が出てきてしまいます。

なにせ、冒頭と文末がステーィーブ・ジョブズへのオマージュで彩られる本書ですから、ある種のカリスマ性を象徴するアイコンとして、バチカンを捉えているのかもしれません。

バチカン関連新書4冊プラスバチカンを扱った新書の近刊より。おまけで、本書で繰り返し言及される、カウンターとしてのマルティン・ルターも。

<おまけ>

本ページで扱っている近いテーマの書籍を

今月の読本「バチカン近現代史」(松本佐保 中公新書)最小国家の外交力

今月の読本「バチカン近現代史」(松本佐保 中公新書)最小国家の外交力

久しぶりに買ってすぐに読み切ってしまった一冊です。

日本人には余りにも遠い、でも世界的に見れば10億人以上の信者を抱えるカトリックの総本山にして、宗教界唯一の独立国家の体裁を有するバチカンを扱った一冊。このようなタイミングでなければ刊行されなかったかもしれません。『バチカン近現代史』(松本佐保 中公新書)です。

バチカンン近現代史まずはじめに、バチカンと言えばどんなイメージを持たれるでしょうか。ちょっと年齢の高い方であれば短波(BCL)のバチカン放送なんてのをご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、やはり「世界最小の独立国」であったり、カトリックの総本山といったイメージが主でしょうか。

実際の国土面積は僅かに44ヘクタールほど、皇居の1/3程度とも言われています。国民に該当する人口は1000人足らず、それもバチカンで出生しても国民になる事は出来ず、殆どがバチカンに勤務する聖職者で占められています(所謂二重国籍)。一応、裁判所や省庁、行政、財政機関といった国家として有する組織はありますが、国会のような立法機関はなく、各行政機関についても、あくまでも教皇庁の傘下であり教皇に絶対的権限がある「絶対君主制」政体でもあります。

そんな現代の国家と比べると余りにもフォーマットが違い過ぎるバチカン市国ですが、本書のスタートに当たるフランス革命以前であれば、イタリア半島の1/3近くに相当する教皇領を有し、絶対的な道徳的価値観の体現者として、更には西ヨーロッパ各国の世俗君主を戴冠する権利を有する世俗権威を併せ持つ一大政治勢力でもあったわけです。

それから200年、バチカンも、その主たる教皇も流転の歴史を辿る事になります。当時、ヨーロッパはまだ国民国家といった国家体制は確立されておらず、小国や帝国の陪臣が群居する状況で、現在でもヨーロッパにはサンマリノやモナコ、リヒテンシュタイン、アンドラといった当時の名残を残す小国が立派に存在していますが、多くの小国、公国は国民国家へと統合されていきます(比較として一番良い例は、国土と実体的主権を失いながら、現在でも国連にオブザーバーを送り、世界の約半数の国と外交を有する「マルタ騎士団」ですね)。

そのような中でバチカンも、余りに保守的な体制が祟った為、一度は「国土と実体的主権」を失いながらも、強力な道徳的権威と、巨大な信者網、そして卓越した外交能力を駆使することで第二次大戦前のファシスト政権期に「バチカン市国」として微々たる面積ではあれ、国土と主権を取り戻し、聖俗を兼ね備える国家としての地位を取り返していきます。

本書はフランス革命からのバチカンの変遷を叙述していますが、前述のようにバチカンの外交、特に国務長官の活動から描き出そうという意欲的な内容となっています。

ご存知かと思いますが、バチカンの外交官は世俗の外交官としての法的な地位(免責特権)を有しながら、一方では枢機卿や大司教といった宗教的にも卓越した権威も備えた極めて特異な地位にあり、特にカトリック信者の多い国においては、教皇の代理人でもある各国の大司教と連携することで聖俗共に非常に強力な影響力を行使できることになります。

本書は歴代の教皇の事績を辿るのと同じくらいのボリュームで外交官たちの指揮官たる国務長官の活躍を描いていきます。特に、第二次大戦期のマリヨーネ枢機卿、その下で活躍し後に教皇パウロ6世となるモンティーニ枢機卿、パウロ6世からヨハネ・パウロ2世までの冷戦期の特異な外交を指揮したカザローニ枢機卿の動向には多くのページを割いており、バチカン外交の奥深さを垣間見せてくれます。

このような強力な外交の原動力はもちろん第一には伝道と布教である事には違いありませんが(ヨハネ・パウロ2世選出後、カトリックの信者は全世界でそれまでの2倍に膨らんでいます)、同時に国家故に行使可能な外交による世界中に広がるカトリック信者の保護と、その平和共存体制への模索、無神論への強烈な危機感から生じた共産主義への嫌悪感があるようです。

2度の大戦期、冷戦期におけるヨーロッパ、そしてカトリック信者を有する世界中の国家体制へのバチカンの外交的働きかけの凄味はポーランドにおけるヨハネ・パウロ2世の物語を引き出すまでもありませんが、その反面ものすごく意外な事にプロテスタント諸国(イギリス、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー)と正式な外交関係を結んだのは何と1982年、アメリカに至っては実に1984年になって漸く大使の交換が行われたという事実です。水面下では非常に緊密な連絡を取り合っていた(歴代大統領も実務レベルの外交ルートやCIAを経由して連携してたと云われていますが)にも関わらず、国家のアイデンティティが宗教そのもの故のジレンマだったりもしますが、その辺がバチカンの歴史の面白さであったりもします。

著者はそんなバチカンを畏敬を持ってこう表現しています(下線付きは本文中でも唯一ここだけです)。

—引用ここから—

冷戦期の緊張緩和の時代、バチカンは主導的な役割を果たしていた。当時の西側諸国の中では、宗教国家という特殊な立ち位置ゆえに、最先端の考え方をしていた国家なのである。

—引用ここまで—

そして、キリスト教徒ではないがと前置きした上で(カトリック系の大学を卒業されていますが)、イラク戦争を評してこの様に述べています(非常に重要かと思いますのでちょっと長めに引用します)。

—引用ここから—

キリスト教対イスラム教という図式は、ブッシュ米大統領をはじめ米国の政治家や知識人たちによって作り上げられたものである。その根底には、米国の多数派であるプロテスタント宗派の一部の教派による原理主義的な見方がある。プロテスタント、中でもピューリタンは、純粋なキリスト教を追求するあまり、異質なものを排斥する傾向にあり、カトリックとは大いに異なるものである。

—引用ここまで—

あえて、現在におけるバチカン、そしてカトリックの平和主義を相対化する為にこのような論調を書かれた心情は理解できますが、ここまでローマ教皇、そしてカトリック総本山としてのバチカンの挫折と復興の物語を語ってきた流れからは明らかに外れてしまっているような気もします(もしくは既に価値観の超越を果たしたと理解すべきでしょうか)。

果たして、世界中のカトリック信者を束ねるローマ教皇と国務長官が二人三脚で築き上げてきたバチカンの外交力とは今後どのように変わっていくのでしょうか。新教皇の手腕とその片腕となる国務長官の活躍を遥か遠い日本から眺めながら考えたいと思います。

<おまけ>

前回のベネディクト16世選出以降に刊行された、比較的新しいバチカン関係の新書をご紹介。

  • 実際にヨハネ・パウロ2世の逝去と、ついこの間退位したベネディクト16世の選出を取材した朝日新聞ローマ支局長がバチカニスタとして見たバチカンの今を描く『バチカン-ローマ法王庁は、いま』(郷富佐子 岩波新書)非常にバランスの良い著述で、ヨハネ・パウロ2世からベネディクト16世までのバチカンの概況を理解するのには最適な一冊です
  • そしてもう一冊、こちらは読売新聞の特派員が描く、歴史からバチカンの仕組み、そしてイタリアの一部として現在のバチカンの姿を捉えた『バチカン ミステリアスな「神に仕える国」』(秦野るり子 中公新書ラクレ)。こちらは気楽に読める一冊です
  • それにしても今回ご紹介した本を含めて何故か3冊の著者がいずれも女性なのは不思議な事ですが、著者たちの共通認識として、日本政府そして日本人が、バチカンの国際的な影響力に対して余りにも無関心である点を嘆いている事です。これは国民の1%以下しかカトリック信者が存在しないため、国内では教皇の動向など殆ど報道がなされないため致し方ない事ですが、少しでも海外ニュースに触れられる事がある方であれば、著者たちと同じような印象を持たれる事かと思います。そのような意味で、取材/執筆に対してバチカンが著者たちにかなりの便宜を図ったであろうことは読んでいただければひしひしと感じるかと思いますし、貴重な一般向け書籍であると思います

バチカン新書2冊