土曜の夜に美術と建築の楽しさを教えてくれた19年間に感謝を(遂にリニューアルを迎える「美の巨人たち」)2019.3.31

土曜の夜に美術と建築の楽しさを教えてくれた19年間に感謝を(遂にリニューアルを迎える「美の巨人たち」)2019.3.31

昨夜の放送で、何の前触れもなく次回からのリニューアルが伝えられた、テレビ東京系で放送されている「美の巨人たち」(以前の番組紹介はこちらのアーカイブサイトのアドレスにリダイレクトされています)。

先週の予告から疑問を抱いていた、何でこのタイミングで広重なんだろう、しかもテーマは東海道五拾三次の終点、京都という不安。番組が始まると更に正蔵が広重役を請け負うとはちょっとおかしいなと思いながらラストに至って確信を得た後の予告。

2000年4月から始まった放送が20年目を前にしてあっさりとリニューアルと言う形で終焉を迎えた瞬間。呆気にとられて暫し思考停止となった中でSNSを眺めはじめると、視聴されていた多くの皆さんも同じように動揺を隠せないコメントを残されていたのがとても印象的でした。

思えば、今シーズンは久しぶりにモデュロール兄弟が登場していましたし、絵画警察でも不穏なセリフが述べられたり、年が明けてからも奇妙なタイミングで若冲の特集とちぐはぐなイメージが付きまとっていましたが、やはりと言うべきか遂にと言うべきでしょうか、その時が来たようです。

落ち着いた時間が流れる土曜日夜の放送、酒類会社による一社提供番組(実際にはスタート時は異なりますし、最後の2年間は2社提供)。小話を多用したスタイルや、専門家を立てての我々が知らない見方、考え方を教えてくれる構成。知的好奇心の高い若い社会人層をターゲットにした設定。更には番組末期に行われた番組の若返り、若者や女性層へのアプローチを狙った番組内容のライト化と出演者の追加。その姿は終了間際のちぐはぐ感までも含めて、少し前に終了した東京FM系列(JFN)で放送されていたSuntory Saturday Waiting Bar AVANTIとそっくりであった事が判ります(AVANTIの最末期も構成分割しての実質2社提供でしたね)。

数々の小話を彩って来た名シリーズ(絵画警察、モデュロール兄弟、桜子さん…etc)、出演者たちの舞台も喫茶店や古書店など、大人の雰囲気を漂わせる少しノスタルジーを感じさせる雰囲気を作り出す事に注力していたように思えます。

そして、少しエッジが効き過ぎて滑る事もままあった小話を引き締めて、美の鑑賞へと誘ってくれる、落ち着いた小林薫さんのナレーション(時には出演者たちを宥めたりも)は、19年に渡る番組のイメージを決定付けていたように思えます。

番組を彩り、美術鑑賞と建築の妙を伝えてくれた数々のギミック(ラストシーズンには制作者のご紹介もあったAOKIT、大好きでした)。豊富な経験が生かされた海外ロケーションでは、他の番組が取材しても叶わないであろう貴重なシーンの撮影も数々であったかと思います(作者を演じる事になる現地での出演者さんとの調整も大変だったのではと)。

更に、前述のAVANTIではないですが、この番組が誇る選曲の素晴らしさ。手元にある500回記念の際にリリースされたアルバムのライナーノーツを書かれているのは、何と初代のプロデューサーの方。その伝統が番組の根底に脈々と受け継がれているのは、番組のHPで毎回使用されたBGMのタイトルとアルバム情報が掲載され続けている点からも明らかかと思います(番組終わった後で楽曲チェックするのも楽しみでした)。

良質な音楽に乗せて、限られた時間の中で一つの作品を楽しくも丁寧に解説してくれる、貴重な土曜夜の30分間。特に美術作品の紹介はEテレの日曜美術館(時に作品が寸でのタイミングでバッティングする事も)もありますが、建築関係の作品が紹介されるのは殆ど唯一と言っていい番組(それだけに、モデュロール兄弟がライトな建築ファンに与えた影響は絶大だったはずです)。

私自体もこの番組が無ければライトの作品もコルビュジエにも興味を持たなかったかもしれませんし、自由学園、聴竹居や日土小学校を知る事も無かったでしょう(末期には次回が建築関係の放送と知ると、何時も録画スタンバイ状態でした)。絵画でも、ほとんど知識が無かった近代アメリカの作家たち、ホッパーやフュークス、モーゼスが大好きになったのも番組のおかげです。

そして、何時も写真を撮影している御射鹿池をモチーフにした「緑響く」しか知らなかった東山魁夷の作品を観るために東山魁夷館(長野県信濃美術館)に赴き、彼の絶筆となる「夕星」に出逢い、唐招提寺の襖絵、ヨーロッパ取材旅行の作品に圧倒され、すぐ近くに作品が収蔵されている事すら知らなかった犬塚勉の作品を観る機会を得られたのも、この番組、放送を観る事が出来たおかげです(放送翌週の週末、作品が収蔵されている旧日野春小学校の校庭が県外ナンバーの車で埋め尽くされていたのを観て、番組の影響力の大きさと視聴者の皆様の旺盛な行動力に驚きました)。

久しぶりに番組のアルバムを聞きながら、数々のシーンを思い出す夜。

一社提供番組と言う豊穣な世界が生み出したその姿は、美術館に飾られた絵画の如く、視聴者の皆様の番組への深い想いと共に、時代のワンシーンへと収められていくようです。

次回予告で登場された出演者の皆様や次のテーマ選曲を拝見すると、正にEテレがそのまま移ってきたかのようなラインナップと構成となるリニューアルにちょっと驚きながら。でも、テレビ東京の前身と制作会社(日経映像)を考えれば、制作サイドとしてはお互いに影響を与え合う程に両者は極めて近い間柄にある事も事実(日曜美術館の方は4月からアシスタントが柴田祐規子アナに変わって、2年目となる小野正嗣さんの趣向がより前面に出て来そうですね)。

その前身の姿を今に伝える貴重な枠が、土曜の夜と言う誰もが視聴しやすい時間帯で継続してくれたことにまずは安堵しながら。リニューアルした番組がより楽しく、美術と建築を理解するための入口としての役割を果たし続けて下さることを願って。

素敵な番組を届けて下さったスタッフの皆様と、19年に渡って土曜夜の一時を穏やかなナレーションで紡ぎ続けて下さった小林薫さんに感謝を。

24年に渡った林原めぐみさんの「ハートフルステーション」最終回とフラミンゴスタジオが結ぶ「マミ姉」と「めぐ姉」のラジオコミュニケーション

24年に渡った林原めぐみさんの「ハートフルステーション」最終回とフラミンゴスタジオが結ぶ「マミ姉」と「めぐ姉」のラジオコミュニケーション

昨晩(3/28)、24年に渡って放送された、ラジオ関西をキーステーションにネットされるラジオ番組「林原めぐみのハートフルステーション」が最終回を迎えました。

最終回収録の模様は、スポーツ紙にも掲載されたように、デビュー曲を手掛けた辛島美登里さんを迎えての放送となったようですが、遅れネットとなる当地でこの放送を聞くのは今夜になりそうです(唯一ステレオ放送で聴けるのです)。

所謂「アニラジ」という言葉が成立する以前から放送されていたこの番組。古くは「トピア」や「ラジオアニメック」の時代からラジオに親しんでいた私としては、これらの番組を特にアニメのラジオという点で意識せず、楽しいおしゃべりが聴けるラジオ番組として愛聴していました。

そして、最終回の収録場所のキャプションを観て懐かしい想いが蘇ってきました。「フラミンゴスタジオ」、このフレーズが何を意味するかはリスナーの方によってさまざまかと思いますが、私にとってフラミンゴスタジオといえばもちろん、往年の東海ラジオをキーステーションにネットされていた、小森まなみさんの「mamiのRADIかるコミュニケーション」。

小森まなみさんがその活動の拠点として、25年間の番組が終わる最後まで大切にしてきた同じスタジオで、同じマイクの前で24年間に渡って語り続け、そして最終回を迎えた林原めぐみさん。

アイドルDJからスタートした小森まなみさんと、アイドル化が始まった時代の声優としてスタートを切った林原めぐみさん。お二人のラジオパーソナリティとしてのトークのスタイルは大きく異なるかもしれませんが、そのスタートはとても似ている気がしています。そして、お二人の息の長い活動を支えたベースには、当時としては数少ないファンとのコミュニケーション手段であったラジオがあったと思います。

本来は自分たちの活動をアピールする場所(スポンサー持ち出しの所謂宣伝番組)としてのこれらのラジオ番組なのですが、彼女たちの番組はそのようなスタイルを越えて、リスナーと真摯に向き合い、はがきを通じたコミュニケーションをとても大事にしてきたように思えます。小森まなみさんが好んで使われた言葉「心と心のキャッチボール」。放送自体はOne wayかもしれませんが、はがきを通したリスナーとのTow way communicationをとても大切にした彼女たちの番組。ハートフルステーションが阪神大震災の直後に放送された際には、非難の声も挙がったようですが、それでも番組を通してリスナーの安否を気遣い、その後、須磨の仮設スタジオに駆けつけての放送を敢行。そして20年目の今年、盟友ともいえるラジオ関西の番組(青春ラジメニア、司会の岩崎アナとラジオ関西の震災における特別放送の記録は必見に値します)に再び生放送で登場して当時の想いを語る。

昨今であれば、多様な情報伝達手段が利用できるために、ラジオによるコミュニケーション手段に拘る必要性は薄くなっているのは事実。現に、既存の有償メディアに囚われずに、ストリーミングで自由に番組を作る事すら当たり前になっています。そんな中でもラジオというメディアを大切にしてきたのは、そこがパーソナリティとリスナーたちが集まる「スペース」だからでしょうか。遅れネットなどの時間差はあれど、同じ番組を同じように聞くという、放送だけが有する同時間性が生み出す共有感を大切にしてきた、これら長寿番組たち。

番組製作者や古参のリスナーからはマスコットのように愛され、年下のリスナーからは、少し目上のお姉さんのように慕われた彼女たち。スポン サー持ち出しに近い形態ゆえに、番組構成も進行も比較的自由に組めたであろう点は、昨今続々と終了を迎えている、一社提供番組と同じような構図が見られる ようです。

姉妹番組の方はまだ続くようですが、春を迎えて一つのシーズンがまた想い出の向こうへと旅立つようです。熱心なリスナーの証でもある雑音リスナーとしてではなく、今夜だけはFMでじっくり聴こうと思います。

ICR-SW700林原めぐみと小森まなみのCDジャケット背表紙

<おまけ>