今月の読本 写真集「遥かなる遠山郷 The Utopia: Toyama Village」(塚原琢哉 Takuya Tsukahara 信濃毎日新聞社)救い出されたフィルムに刻まれた、清々しく天空に生きる人々の姿

今月の読本 写真集「遥かなる遠山郷 The Utopia: Toyama Village」(塚原琢哉 Takuya Tsukahara 信濃毎日新聞社)救い出されたフィルムに刻まれた、清々しく天空に生きる人々の姿

New!(2019.1.13)

昨日、訪問させて頂きました。

書籍では感じ得ない圧倒的な存在感と、豊かな人々の表情。天空の里の眩しい程の光溢れる情景を写し撮った、60年を経て奇跡的に助け出されたプリントの数々。

眩しい日差し溢れる畑の中で、立ったまま幼子を背負い子守をしながら読書に興じる少女を捉えた一枚。ご自身の姿を映し出されているのでしょうか、老境に差し迫った杖を突いたご老人の方(講演会の最後で質問に立たれた方だったかと)がずっと立ち止まって魅入られていたのが印象的でした。

約100名の方が集まった、前後2時間に渡る講演。

前半の塚原琢哉氏による撮影の経緯とそこに残されたフィルムを思い返す中で語る、長きに渡って欧米諸国、特に東欧で撮影してきた中で培われたであろう、民族と神との契約を次の世代へと受け継ぐことを求める想い。

民俗学者ではないのですがとの前置きの上で語る、遠山郷で生まれ育った飯田市美術博物館の櫻井弘人氏による、中央構造線を添って伸びる修験道の道すじの先に繋がる遠山郷と民俗芸能としての霜月祭りが塚原氏が願う継承の象徴として結び合うお二人の話。

質問に立たれた民俗学研究者の方が述べる、かの地は取材などを断る閉鎖的な背景があった筈、その中で何故このような写真を撮る事が出来たのかとの質問に対して、強くたしなめるように答える、写真家と撮影される人々との強い信頼関係が無ければその距離は縮まらないという、氏の写真家としての強い矜持。それに応えるかのように、氏が撮られた霜月祭りの面や振りを実際に舞って見せた写真に対して、現在でも祭りの時期以外に撮影を許す事はまずない(撮影は春と夏)と、驚嘆の意を示す櫻井氏。更には、その面の作られた時期から判明した、常に一纏まりであったかのように見える下栗の集落が、実は明治31年に大きな分裂を生じていた事を示し、祭りの類似性や時代の前後性を含めた周辺との繋がりと、集落毎の独自性を一連の歴史の中において丁寧な検証をする必要性を示唆する、民間芸能の研究者としての櫻井氏の解説。

写真で示される、車道が切り開かれる前には集落を埋め尽くすように育てられていた麦畑が、厳しい環境の中でも豊かな実りを具えていた事を強く印象付ける。行き止まりの侘しい集落ではなく、南アルプスを越えて井川にも、青崩峠を通じて遠州の秋葉山、そして地蔵峠を越えて南信に繋がる、豊かな山林資源にも恵まれた三遠南信、要衝の地。

いずれも、遠山郷に対する認識を大きく覆すお話がふんだんに語られていきました。

最新のデジタル技術も駆使したであろう、フィルムから起こし直したプリントデータ、全170点(実際には1600コマ程あったうちの助け出せた分だけです)は、飯田市美術博物館に寄贈されていますが、これだけの規模で一堂に会して展示されるのは今後あまりないかもしれません。展示は1/20まで、松本市内中心部に位置する、信毎メディアガーデンです。

 

<本文此処から>

何時とちょっと毛色の違う本のご紹介。

長野県を代表する郷土出版社としての顔を持つ信濃毎日新聞社さんは、これまでも何度かご紹介していますように、地元に密着した、刊行数があまり望めないようなテーマを扱いつつも、妥協のない編集、装丁を施した書籍を送り出されています。

今回のご紹介する最新刊は、そんな作品群の中でもとびきり白眉な一冊。ポーランドを中心に東欧を題材にした作品、特に黒いイコンの一連の作品で世界的にも著名な写真家、塚原琢哉氏が若かりし頃に撮影したフィルムから奇跡的に救い出されたプリントを纏めた一冊です。

写真集 遥かなる遠山郷 The Utopia: Toyama Village」(塚原琢哉 信濃毎日新聞社)のご紹介です。

写真集ですので、当然ですが内容をお見せする事は出来ませんし、私のつたない言葉で伝えられる範疇は余りにも狭いかと思います。

出来れば手に取ってご覧頂きたいと思いますが、お伝えできる範疇で内容をご紹介いたします。

映画や写真のフィルムを扱われた事がある方なら、話には聞いたことがあるかとは思います、現像後のフィルムが劣化し、溶けてしまったり、霜が降りたように白濁してしまう現象。長年の東欧を中心とした撮影活動を一段落した著者が古い未プリントフィルムの整理を始めた時に発覚した悲劇、その中から辛うじて救い出した400枚ほどのコマには、作品としては未発表ながらも、60年を経た今だからこそ留めておきたい貴重なシーンに溢れている事に気が付きます。

著者の想いに応えて刊行を決断した版元さんにとっても、決して部数が出る本ではない無い事は判っている筈です。しかしながら、本書のページをめくっていくと、単なるアーカイブ、記録写真という範疇を越えて、何だかとても清々しい想いに満たされてくる自分がいる事に気が付きます。

今からちょうど60年前、1958年の遠山郷、下栗。現代に於いても「日本のチロル」と称される、天空に昇らんという地に拓かれた極限の山村。南アルプスの山並みをバックに俯瞰で眺める姿は当時と何も変わらないように見えますが、実際にその地に踏み入れて撮られたプリントには、今とは全く異なる姿が焼き付けられています。

まだ自動車が入れる道は無く、麓の集落までは山道を住民であれば徒歩で1時間、間道の谷に掛けられるのは踏み抜いてしまうような細い間伐材を集めて辛うじて繋いだか弱い木橋。電気が通ったのは著者が訪れる2年前で、依然として主な動力は馬力。水田は僅かに一カ所、重要な収入源であった木材を伐り出す以外、山に張り付くように切り拓かれた段々畑を耕すのも、荷物を運ぶのも、もちろんほぼ全てが人力。

谷から吹き上げる風に抗するように軒先に重ねられた間伐した枝の束と、屋根に載せられた石、小屋のような質素な板張りの家に三世代が寄り添いながら、集落自体も寄り添いながら一体となって暮らす。

何処をどう見ても、厳しい環境に歯を食いしばりながら暮らしているように思えるシチュエーションですが、21歳の著者が40日にも渡って、その地に腰を据えて撮影を続け、辛うじて残った写真には、そんな想像とは正反対の姿が克明に写しだされています。

小さな子から年老いた爺、婆に至るまで、それぞれの役割をきっちり果たしつつも、時に楽しげに、寛ぎつつも、日々の仕事に打ち込んでいく姿。山で見つけた花を背負った木端や自転車に差し込んでお土産として持ち帰る姿には、生活の中に潤いを与えようと願う想いが映し込まれているようです。戦後10年を過ぎて漸く落ち着きを取り戻してきた時代を感じさせる、麓の集落に降りる女性たちの少しお洒落した姿(サンダル履きでよく往復2時間の山道を往けると)や、何でも屋さんに上がって来る商品を楽しそうに品定めする姿からは、どんな僻地の山村も決して孤立することなどなく、規模は小さいながらも、人と物の流れの輪に確実に繋がっていた事をまざまざと見せつけてくれます。

そして、ページの過半を埋める子供達。少し痛んでいますが、金ボタンの学生服にセーラー服の姿を嬉しそうに見せる小学生たち。スリムで足の長い中学生たちは学生服姿で親の仕事を手伝い、子守は女子には限らず、少し年上のお兄ちゃんから姉ちゃん、そして近所の爺まで、手が空いていれば誰でもかまってあげる鷹揚さ。

桃源郷と呼ばれる場所故に、まるで夢でも見ているような気分にさせられますが、まごう事なき60年前にかの地の姿を映した写真。特に、著者が「青い山脈」と述べた印象的な一枚の写真は、本当にモノクロ映画のワンシーンを観ている思いにさせられます。

翻って現在、昨今の「秘境」ブームの頂点に位置する様なこの場所も、実際には三遠南信道の部分的な整備によって、飯田からであれば比較的簡単に訪れる事が出来るようになりました。一方で、多くの子どもたちが行き交っていた集落にあった分校は、自動車が通れる道を整備する代わりに休校となり、現在の子供の数は僅か4人。麓の集落より多くの人口を数えた下栗の居住者も50人を割り込むまでに減少してしまいました。

写真集の最後に綴られる著者による解説文と飯田市美術博物館の学芸員の方による寄稿文。撮影の背景以上に濃厚に書き込まれる民俗的なお話を追いながら、峰々を越えた遥か先に切り拓かれた「神宿る豊かな地」に生きてきた人々を、飾らずに、ありのままにワンシーンとして収めた、この写真集を刊行された意義を想わずにはいられません。

奇跡的に救い出されたプリントたちは、今を生きる私たちに、どのような想いを語りかけてくれるでしょうか。