今月の読本「MINERVA世界史叢書6 情報がつなぐ世界史」(南塚信吾:責任編集 ミネルヴァ書房)「史料としてのメディア」の向こうに認識される世界を研究者達の眼差しで

今月の読本「MINERVA世界史叢書6 情報がつなぐ世界史」(南塚信吾:責任編集 ミネルヴァ書房)「史料としてのメディア」の向こうに認識される世界を研究者達の眼差しで

本屋さんで売られている歴史関係の新刊本は、特定のフォーマットや価格帯を意識したヒエラルキーを持っているかと思いますが、多くの場合はこんな感じで構成されるのでしょうか。

  • 毎月発売の文庫本/新書版 : ~1000円前後
  • 毎月発売の選書 : 1000円~2000円以内
  • 専門出版社の一般読者向けの叢書シリーズ : ~3000円程度
  • 研究者の方が著述される一般読者向け単著、訳書 : ~4000円圏内
  • 主に研究者向けの書籍類(装丁がシンプルな物たち) : 7000円~

今回ご紹介するのは、この範疇から微妙に外れる、一般向け叢書で5000円と言う、私の中の金銭感覚からすると明らかに購入に戸惑う(毎月の読書予算の過半、買うまでの躊躇はかなりありました)本。研究者の方々が著述される専門書だから当然なのでは言われればその通りかと思いますが、本屋さんで一読した感触は明らかに一般向け、しかもそのテーマ選定と著者陣の筆致が実に魅力的な一冊です(昨年12月の刊行でしたが、何と重版が掛かったようです!)。

MINERVA世界叢書6 情報がつなぐ世界史」(南塚信吾:責任編集 ミネルヴァ書房)のご紹介です。

一般書でも研究者の方や企業人、著述を生業にする方の著作でも専門性の高いテーマ(マニアックなどとは決して…)の書籍を扱っているミネルヴァ書房。ミネルヴァ日本評伝選等の日本史の叢書シリーズと共に、近現代史や教育関係に強いイメージがありますが、世界史に関しても多くの書籍を刊行されています。

今回ご紹介する一冊も昨年から刊行が始まった「MINERVA世界史叢書」シリーズの第三回配本分。「世界史の世界史」を描く事を標榜する全16巻の大型企画でもありその内容は多彩を極めますが、まずは読んでみたいと思い至ったのは前述のように今回のテーマ特異性と、多彩な執筆陣に惹かれたからに他なりません。

参考文献一覧が添えられた一章20ページ前後の本編10章と、その半分程度のボリュームで差し込まれるコラム6本で構成される本書。読書時間の確保が難しい中でも、一日1~2セクション位ずつで読み進められるように配慮された嬉しい構成。そのような構成を採る為、本書に本格的な議論を望むのは少々厳しい事かと思いますが、逆に今回のテーマにとっては非常に有利に働いていると思われます。

研究者の方々が日夜研鑽されている研究に必ず付いて廻る「史料」たち。その史料たちを読み解き、新たな知見を積み重ねていく事を自らの使命とする研究者にとって極めて大切な史料と向き合う際に見えて来る課題、その向こうに広がる世界への興味、好奇心の種を、世界史の狭間で自らの研究に添えるように語られる本書。

本書では研究者の方々が扱う史料達の中から、時代を越えて人々に情報を伝える媒体であるメディアに着目したテーマについて研究者の視点を通して語られていきます。

その著者陣は、既に名誉教授を称される大先達から海外の大学でPh.Dを取得した気鋭の研究者まで。ペルシャ語を専攻する若手研究者から郵便史研究家、更にはテレビ局の外報部記者出身で、NTVアメリカ元社長という海外ニュース報道のエキスパートまで。版元のイメージ通り多士済々という方々がこれぞという興味をテーマに掲げて筆を振るっています。

古代の写本から現在進行中のIoTとディープラーニングまでと言う幅広い時代を扱い、それぞれに異なる著者が執筆されるため、描かれる内容が統一した視点を有している訳ではありませんが、そのいずれに於いても実に興味深い見解が示されていきます。本当は一文では表現しきれないのですが、とにかくワンポイントで各章を紹介してみます。

第Ⅰ部 : 文字と図による伝達

  • 第1章 : 写本が伝える世界認識
    • 写本から零れ落ちたレイアウトと図に秘められたイスラムの世界認識再構築
  • 第2章 : 世界図はめぐる
    • プトレマイオス図の東辺に顕れる東南アジア交流路の実態とイドリースィー図にすら影響を与えた中華世界の地図たち
  • コラム : 地図屏風に見る世界像
    • 日本に遺される近世世界の地理感認識変遷と日本が与え挿入された地理感

第Ⅱ部 : 印刷物による伝達

  • 第3章 : 書籍がつなぐ世界
    • 訳本と訳者の系統から見る、イスラム世界への逆輸入まで果たした「千夜一夜物語」の実は猥雑な夜伽話の訳し方
  • コラム : 書籍商としての長崎屋
    • 江戸の一大情報サロンに集った人々と明治近代化を陰から支え潰えた長崎屋への想い
  • 第4章 : 近代的新聞の可能性と拘束性
    • 電信と挿絵が作り出した迅速、簡潔な伝達表現の向こうに横たわる、メディアと情報共有性の危うい幻想
  • コラム : 新聞の世界的ネットワーク
    • ナイジェリアの新聞発達史に映し出される、自立を始める植民地を繋ぐ知識人ネットワーク
  • 第5章 : イギリスのイラスト紙・誌が見せた十九世紀の世界
    • イラストが描く見下された「向こうの世界」とイギリス帝国主義の次に来る者達
  • コラム: 世界をつなぐ郵便制度
    • 世界最古にして最多の加盟国を誇る国際機関に至る道筋に先駆けたヨーロッパを繋ぐインテリジェンス一族の歴史
  • 第6章 : 反奴隷運動の情報ネットワークとメディア戦略
    • 「奴隷船ブルックス号」イラストとカメオのメダルに象徴される、イギリスの奴隷解放運動を支えた刊行物を広めあう男と女のネットワーク

第Ⅲ部 : 信号・音声・映像による伝達

  • 第7章 : 海底ケーブルと情報覇権
    • 技術と資金に乏しい日本の大陸進出橋頭保で勃発した帝国主義の代理戦争、序章編
  • コラム : 通信社の世界史
    • 帝国主義の下で世界のニュースを牛耳った三大通信社が進める原点回帰とある呪縛
  • 第8章 : アメリカの政府広報映画が描いた冷戦世界
    • アカデミー賞受賞ドキュメンタリー映画の向こう側に垣間見る、冷戦下の情報戦略に映し出された世界の姿
  • 第9章 : サイゴンの最も長い日
    • テレビの向こうに映る戦場報道のリアルと、戦場に持ち込まれた映らない政治闘争の陰
  • 第10章 : 衛星テレビのつくる世界史
    • 宇宙から繋ぐものが変えた、境界線を越えていく報道とネットワーク
  • コラム : インターネットとモバイル革命
    • インターネット、モバイルネットワーク小史と次のジェネレーションへの期待

このように実に幅広いテーマが描かれますが、殆どの章で、ある明確な執筆意図が認められます。

それは、読者に対してこれらのテーマで提示される認識のもう一歩先まで意識を広げて欲しいとう、執筆者たちの願いが込められている点です。

写本を語る章では、これまでの文献中心の史料研究に対して、添えられたであろう図表の研究への更なる配慮を求める。世界図を語る章では、明らかに東西で別々の認識であったとする世界観について、もっと情報の交流があったはずだと認識を改める必要性を訴える。

千夜一夜物語の逆輸入についても、その選ばれる訳書のバージョンや発禁とされる例を示して、訳出という側面と併せて出版による情報の統制とベクトルを語る。近世・近代の新聞やメディアについても、これは日本人研究者故と言う事情もありますが、当時の帝国主義による視点に対してそこには明らかな偏向があり、更には当時の日本、日本人自身もその渦中に突き進んでいった事を濃厚に示唆する。

第二次大戦後の世界におけるメディアを語る章では、東西冷戦という当時を経験した人々には当たり前であった視点自体が現在の研究では「冷戦的視点」とされ、日本人には遠く忘れ去られたベトナム戦争の影が今もアメリカの報道姿勢に重たい影を投げ掛け続けている事を、報道機関への不信に投影する(この不信の先に、特定の指向性を持つメディアへと選択傾向が先鋭化する現状が繋がるのでしょうか)。

更にその先にある、IoTによる末端にまで繋がるネットワークから引き出される、自らの価値を認めた対価として収集され続ける、膨大な個人情報という燃料を掘り当てた巨大企業による利便の代償と、政府による情報の収集とコントロールへの大きな懸念。

情報を伝え、世界を繋ぎ広めていく、それ自体が研究者の方々にとって日常の研究テーマであり、世界史の片鱗でもある媒体たちが、人々の認識という世界史を作り出す大きな力の一翼を担っていた事を示し、その背景までもを描き出そうという壮大なテーマに対して、研究者の方それぞれのエッセンスを読者へと伝えてくれる本書。

ほんの少し肩の力を抜いて一般読者に向けて書かれた、研究者の見出す気付きの向こうにこれまで見えてこなかった魅力的な世界史の姿を垣間見せてくれる一冊。多彩なテーマの向こうに、どんな世界史の一ページが見えるでしょうか。

ちなみに、私のお気に入りの一篇は澤田望先生のコラム。ナイジェリアと言う日本人にとってはマイナーな土地の新聞発展史をベースにして、帝国主義と世界的な通信社の伸張の先に続く植民地時代終焉の序章を、人物像まで織り込んだ魅力的な筆致を以て僅かなページ数で描き込んだその小論に感服した次第です。

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今月の読本「奇妙な孤島の物語(原題:ATLAS OF REMOTE ISLANDS)」(ユーディット・シャランスキー:著 鈴木仁子:訳 河出書房新社)地図の片隅で波間に揺れる、人が刻んだ白昼夢の欠片

今月の読本「奇妙な孤島の物語(原題:ATLAS OF REMOTE ISLANDS)」(ユーディット・シャランスキー:著 鈴木仁子:訳 河出書房新社)地図の片隅で波間に揺れる、人が刻んだ白昼夢の欠片

余りにも不思議な本。

本書と同じフォーマットを持つ、同じ版元の新刊「呪われた土地の物語」と多分一緒に本屋さんに入ってきた、2016年刊行のこの一冊。綺麗な水色の装丁に誘われてページを開き始めると…、読者は見知らぬ物語へといきなり旅立たされることになります。

今回ご紹介するのは「奇妙な孤島の物語(原題:ATLAS OF REMOTE ISLANDS)」(ユーディット・シャランスキー:著 鈴木仁子:訳 河出書房新社)です。

まず、2009年にドイツで原書が刊行された本書を、フランスの書籍見本市で発掘して日本語訳を与えて刊行するという、殆ど蛮勇ともいえる英断を下した版元さんと編集者さん(あとがきで訳者の方が紹介しています)に深い敬意を表します。このようなマイナーを超越した、それもとびっきりに不思議な内容の一冊。部数が出るとは到底思えませんが、本書の刊行1年前に送り出した「秘島図鑑」が余程好調だったのでしょうか、「何故か」出てしまったと評したくなる一冊です。

但し、本書は前述の書籍とは全くフォーマットが異なります。世界の秘境の果てとも言える絶海の孤島の概要をお手軽に紹介するガイドブックや孤島の写真集、wikiまがいのトリビア本だと思って本書を手に取ると、瞬時に振り落とされます。また、地理好き、地図好きの方にとっては、ページの左側に描かれた、ドットパターンで陰影が描かれ、人が刻み込んだ跡を蛍光オレンジの眩しい色で記す地図に興味を持たれるかもしれませんが、右のページに綴られる文章には一貫した記述もなく、その内容には首を傾げっぱなしになるかもしれません(嗚呼、これをにやけながら読んでいる私はどうしようもない人間かも…)。

地理の本でも歴史の本でもない、もちろん旅行ガイド(そもそも「冒険家」でも辿り着けるかどうかすら怪しい島も数多)な訳もありません。更に言えば、日本語の副題にあるように、著者はこれらの島に一カ所も訪れた事が無く、今後も多分訪れないであろうと表明されています。

旧東ドイツ生まれのブックデザイナーが手掛けたこの一冊。冒頭のはじめにと、巻末の訳者あとがきには、流石に内容を気にされたのか、どちらも細々とその経緯が書かれていますが、更には文学かもしれないなど言い出す始末。その内容に振り回されるといたずらに混乱を招くだけで、多くの方には依然としてその経緯も筆致も、意図すらも判然としないかもしれません。

地図に惚れ込んでしまったデザイナーでもある著者がその片隅に描かれた、巨大な地球儀の中にポツンと描かれた離島を見た時のインスピレーション。そのインスピレーションのままに、一つの島に一つのストーリーを捧げて描く本書。

発見し、訪れ、領土とした人々の複数の言語で示される島の名前や、山や川、岬の名前。各島から三方位で示される近隣の島/大陸までの距離と、人が辿った跡を示す月日を示す線表。

ドライでシンプルすぎる程の表記ですが、左のページに描かれる海を示す水色と点描による陰影、そして蛍光オレンジと言う僅か3色で示す、絶海の孤島を印象付ける絶望的な程の寒々しさがデザインからも確かに伝わってくるその構成に、ページを開く毎に戦慄が走ります。

そして、右のページに描かれる、各島に添ったストーリーには一貫性はありませんが、一つだけはっきりしている事があります。そこに「人が居たらしいという事」。もはや無人島になってしまった島も、元々無人島だった島も、多くの人がひしめき合う島も、独り取り残されてしまった島も。ユートピアと称される島も、人の手で住めない場所に仕向けてしまった島も。全ては「人がなし得た物語」が添えられていきます。

人なしでは地図は生まれず、人が辿り着いた証として地図が描かれ、地名が付され、道が切り開かれ、住み、そして去る。地図が描かれるという行為自体、人のみが為し得る事である本質を、地図の片隅にそっと添えられる離島に見出した著者は、その愛おしい程の場所にそっと付された物語へと視線を向けていきます。その著述の裏側にある膨大なバックグラウンドとしての物語の中で、著者の意図が敢えてそうしたのか、はたまた偶然か。ページをめくる度に、左のページの寒々しい孤島の地図に呼応するように、絶海の孤島への悲壮な旅路を思わせるように、寒々しい余韻を残す物語ばかりが綴られていきます。

著者のインスピレーションによって選び取られた絶海の孤島、最果ての地図に添えられた人々の物語。その物語は本当に起きた事なのか、単なる絵空事なのか。その姿を見たものは、その物語を伝えたのは、僅かにかの地に「辿り着いたはず」の人々だけ。著者が地図の片隅から掬い上げた、波間の向こうに見え隠れする島影のように、波濤に消える白昼夢のように、浮かんでは消えていく物語。

波間に揺れるその島影に何が見えましたか。

 

今月の読本「興亡の世界史 東インド会社とアジアの海」(羽田正 講談社学術文庫)快活に冷静に描く、刺激的な人々が貿易で結ぶ3つの海

今月の読本「興亡の世界史 東インド会社とアジアの海」(羽田正 講談社学術文庫)快活に冷静に描く、刺激的な人々が貿易で結ぶ3つの海

実は昨年中に読み終わっていたのですが、文庫なのでこちらでのご紹介が後回しになってしまった一冊。

昨年読んだ本の中でも、一番のお気に入り。ここ数年来でも、個人的には好著の筆頭に挙げたい一冊を、年の初めにご紹介いたします。

今月の読本、年初の一冊は「興亡の世界史 東インド会社とアジアの海」(羽田正 講談社学術文庫)のご紹介です。

本書は同じ版元から10年前に刊行されたシリーズ「興亡の世界史」の15巻目として刊行された本の文庫への収蔵版。今回の収蔵に当たっての大きな補記等はなく、著者のあとがきと、新出の参考文献が追加されている程度です。

しかしながら、著者が今でも十分に通用すると明言するように、本書の内容は今でも極めて特徴的かつ刺激的です。

原著刊行時点の編纂でも議論を呼び、版元自体もシリーズ屈指の異色作と評した、多様な時代と世界のテーマを扱う本シリーズを以てしても白眉な「会社」を軸に描くテーマ設定。更には、まるで往年の「世界歴史百科」をめくる時の喜びを、スケールはそのままに、文庫サイズにまで凝縮してしまったような、広範でダイナミックな内容。

そこにみえるのは、陸上と海のアジア史双方を全部カバーしてしまいそうな勢いで描く、広範で旺盛な視点。政治体制がそれぞれ全く異なるアジア側の各国の事情を綴ると同時に、その中庭たるアジアの海に乗り込んできた各国の東インド会社の資産形成や役員形態、運営、指揮系統といった特徴の裏に、国政の事情や経済的な問題点を読み解くといった内容を平然と織り込んでしまう、圧倒される著者の見識(あっさりと、アダム・スミスまで登場させてしまいます)。通史だけでは面白みに欠けてしまうかもしれませんが、著者は『冒険商人シャルダン』という著作を有するほどに個人史にも長けていらっしゃる方。バックボーンに潜むアルメニア人商人が切り開いてきたルートに乗るように行き交う、アジアを渡り歩いた冒険商人や、商人崩れの政治家、軍人。本国の投資家たちの目を盗んで海域内貿易で稼ぎ過ぎて、総督まで上り詰める名声は得たけれど、追及を恐れて帰国するのが困難になってしまった、エリフ・イェールといった新大陸生まれのコスモポリタン(名字をご覧頂ければ判りますよね)。更には、再婚した夫との資産争いの末、老年になって本国オランダにまで乗り込んで裁判を続け、死後になって勝訴を勝ち取った、日本人の血を受け継ぐ一人の勇猛な女性、おてんば(ontembaar)コルネリアといった、個々人をテーマにした内容を同時に織り込む事で、華やかに、時には悲惨に、アジアの海で繰り広げられた物語を「歴史ストーリーの一ページ」として描き出していきます。

広範な内容を綴る本書。その中で、本筋となるアジアの海の歴史について、著者はある一点について、本文中で繰り返し見識を改める事を読者に求めてきます。

ヴァスコ・ダ・ガマの喜望峰廻りによるインドへの航海から、イギリスによるインドの保護領化と東インド会社体制の終焉までの約200年を綴る本書。その後のアジア史をご承知の方にとって、前時代は「植民地」としてのアジアの前駆のような、素朴で平和的に暮らしていた人々に対する、軍事力による蹂躙の先に行われた暴力的な収奪といった、アフリカや南北アメリカと同じようなイメージの延長で、ポルトガルが築き上げ、列強がその道筋の上に続いた姿を描く、「海の帝国」といった歴史描写への嫌悪感をもたれるかもしれません。しかしながら、イスラーム建築史が専攻の著者はそのような認識、描写について、断固として異なるという点を提示し続けます。

著者が断言する根拠となる考え方。そこにはアジアの海と商業に関わる際に、3つの海に3つの政体が存在したことを示していきます。蒸気機関発明前の風力による航海が前提となる時代。貿易風と地域内の海流に添った航海を求められるその海に於いて、どのような戦力を有していても、どれだけ大きな船舶を擁していても、その環境に立脚した航海と、拠点となる商館の設営=貿易港の設定、季節的な周期航海のルールからは逃れられない点をしっかり認識することを求めます。

その上で、3つの海を目の前にする陸の帝国の姿を提示します。一つ目は、著者の専門分野でもあるペルシャ湾及びアラビア半島周辺の海域。この地域では王国の首都たる場所は内陸に位置しており、海沿いの交易地は、目の前の海を往く商人たちの貿易における中継点として、税収が望める都市の一つとしての認識しかなかったとします。各国の東インド会社の居館が立ち並ぶその場所。徴税を司り、西ヨーロッパ諸国同士がその場所で紛争を越した場合に制すべき立場にあるのは、その港を押さえている王国側にある事を明確にします。一方で、貿易拠点としての西側の海に対して、東端の海は著者が「政治の海」と称する、陸上の王国が海上の支配権も御する場所。倭寇や鄭成功の事例を用いて、域内における自由な航行は望めない点を示し、その海では陸上の王権(これは豊臣政権や徳川幕府にしても同じ)に対して、へりくだる事で貿易を認めてもらう立場に過ぎない点を明確化します。国家を代表して貿易を行う一方、共同出資者達による私営としての側面も持つ東インド会社という特殊な形態ゆえの限界。その地では、収奪はおろか、自らの生死与奪の権限すら、陸上の王国に握られていた事は、日本に於ける当時の貿易体制と、インドのそれが、同じ「東インド会社」を通じて行われていたという点に於いて、余りの違いを説明する明快な事例ではないかと思われます。それ故に、賃料を払って出島に押し込められるという屈辱的な待遇に甘んじてでも、バタビアと長崎の間で中継貿易を継続し続けた、オランダの東インド会社が如何に稼いでいたのかが判りますし(時に本国ベースの純利益が200%に達する事も。域内貿易ではどれだけ荒稼ぎしていた事か)、利益を追求する株主資本会社としての側面があったからこそ、そのような扱いがあっても貿易を続けられたともいえます。

そして、西の交易としての海と、東の政治の海に挟まれた、中央部に突きだしたインド亜大陸の沿岸地域。著者はここにもう一つの海の姿を見出します。「迎え入れる海」、貿易がもたらす利益を喜び、その繁栄こそが支配する王としての懐の深さを示すものだという価値観が生んだ貿易。それが、国家を代表する形での貿易を望んだ東インド会社に対して便宜を与え、貿易を行うための居館の建築を認め、更には要塞を築き、居留地や域内での徴税権を与える事すら憚らなかったインド諸王に共通するスタイルだと看破します。日本人にはイメージしにくいこの事実、著者は最も近い事例として、戦国時代の大村氏によるイエズス会への長崎の割譲を持ち出して、貿易による利益と提供される武力を求める権力が、有利な形で取引が望める宗教を受容、時には自ら改宗し、その便宜を図るために土地を割譲する動きと、その後の歴史で展開される軍事的な侵略とは異なると指摘します(陸の帝国に楔を打ち込んだように見えるマカオにしても、実体は租借であった点もここで再確認します)。

最初の接触から戦闘的な態度で臨み、持ち込んだ産物の余りの価値のなさに憐れまれるほどの屈辱を味わったが故に、かの地に於いて、何処ででも暴力的な制圧と搾取を行ったかのように見られる、西ヨーロッパ諸国の東インド会社による貿易。しかしながら、著者はそのような見方は偏見であり、彼ら自身も香辛料や綿製品貿易に代表される西ヨーロッパとアジア間の貿易に匹敵するほどに、資産運用と貿易物資を獲得する為に、アジアの海の中で現地の商人を相手にして、傭船すら行いつつ大規模な中継貿易を行っていた事を見出していきます(もちろん、日本と南米が生み出した、交易を飛躍的に伸ばす結果となった銀バブルのお話も出て来ます)。その上で、彼らは数多くの商人たちが行き交ったアジアの海における、数多の「外国人」集団の一つに過ぎなかったという点を見失ってはならないと、繰り返し指摘します。なお、南アジアにおける収奪的なプランテーション経営とイギリスとオランダの武力を以ての争奪戦については一通りの記述がありますが、著者は限定的であるとの認識に立っています。

最後に述べられる、インド亜大陸におけるイギリスの植民地化への歩み。その背景として、フランスとイギリスの東インド会社における国家の関与の違いを見出した上で、東インド会社の影響力を背景に対立するインド諸王に関与する際の軍事力への「国家」の関与こそが、「東インド会社」というシステムの限界点であり、その限界点の先に、近代となって誕生する国民国家が東インド会社という商業資本が遠隔地で期せずして獲得し、ある種、野放図にされてきた権益に対して、政治、軍事的に直接掌握する、次の時代である「植民地帝国」へ至る姿を見出していきます。

冒険的商人と高い資産運用を目指した初期の資本家、そして国王の特許やフランスのように国家からの金銭的な後押しを受けて設立された株式会社の端緒となる「東インド会社」がアジアの海を縦横に行き交った時代を綴る本書。ダイナミックに行き交う人物模様を描く一方で、その中で刻々と進む時代背景や経済、政治状況まで克明に拾い込む見事な筆致が、この著述範囲では僅かと言わざるを得ない400ページ程の紙面を一杯に使って、存分に展開されます。

本書の執筆後、著者は本務校の東洋文化研究所所長と副学長を兼ねるという激務から、一般読者向けの単著を殆ど執筆されなくなってしまいました。しかしながら、刊行時から10年を経て、アジアのグローバル化が次のステージに向かう中、今こそ本書のような多角的で広い視点を持ったアジア史が求められる筈。著者の手による、本書に続く作品を是非読んでみたいと強く願う次第です。

 

今月の読本「オン・ザ・マップ 地図と人類の物語」(サイモン・ガーフィールド:著 黒川由美:訳 太田出版)マッパ・ムンディから広がる、地図という名の人々の物語達を

今月の読本「オン・ザ・マップ 地図と人類の物語」(サイモン・ガーフィールド:著 黒川由美:訳 太田出版)マッパ・ムンディから広がる、地図という名の人々の物語達を

地図を見るのは好きですか。

美しい色彩の地図の中で旅をする。見た事もない土地に想いを馳せ、道のりにワクワクする。複雑な地形に感嘆し、雄大な山並みや広大な平原に圧倒される。

地図を眺める事そのものが旅をしているかのような錯覚を受ける事もあるかもしれません。その時、ご覧になっている地図を作った人達の想いに、ほんの少し触れているのかもしれません。

全ての地図は、誰かが何かの為に作るもの。今回は、歴史上、営々と作られ続けたそんな地図の物語を怒涛の如く詰め込んだ一冊をご紹介します。

オン・ザ・マップオン・ザ・マップ 地図と人類の物語」(サイモン・ガーフィールド:著 黒川由美:訳)です。

著者はイギリス在住のジャーナリスト、作家の方で、地図の歴史に関する専門家でも、地理学の研究者でもありません。従って、読者の方がちょっとだけ緊張するかもしれない、難解な図法のお話は殆ど出て来ません(メルカトルの紹介の部分で、比較として扱われるだけです)。

総ページ数418ページ。図表100点以上という、大ボリュームで地図にまつわるあらゆる物語を、それこそ絨毯爆撃のように語っていきます。そこに は、訳本ならではの共通する知的教養を下敷きに展開する、著者と読者との知的好奇心のせめぎ合いが展開していきます。訳者の手により丁寧で優しい文体に均されてはいますが、この広大に広がる地図にまつわる物語達についていけるか、楽しめるかはひとえ に読者の好奇心の広さとその基盤にかかっています。

本書では全時代の世界を股にかけた広範な物語が描かれていきますが、一方で、英国基準で描かれる訳本ゆえの限界もあります。従って、本書から日本での事例や雰囲気を味わうことは全く出来ない事も、併せて述べておく必要があるかと思います(言及としては、僅かに3か所。ロンドン在住のタイポグラフィックデザイナー河野英一が、ロンドン地下鉄の路線図を使って遊んだ「書体の路線図」(本書で登場する唯一の日本人)。慣性航法型とGPS型のカーナビがいずれも日本で実用化された事と、Googleストリートビューの取材車がsubaruである事)。そのため、地図は大好きでも、ヨーロッパの地理や歴史に興味が無い方にとっては少々つまらない一冊になってしまうかもしれません。

そして、本書の特徴は地図の歴史を描く以上、プトレマイオスの「ゲアグラフィア」から物語をスタートさせますが、流石に英国人らしく、もっと別の地図を物語の中核に置いていきます。ヘレフォード大聖堂に収められる「マッパ・ムンディ」です。

この、方位も地形もあいまいな地図。しかしながら、非常に微細に描かれた建物、珍妙な動物たち、そして、びっしりと書き込まれる道程と地勢の解説文(もちろん内容は大幅に歪んでいます)。この地図こそ、旅をするための道筋を辿るもの。地図の図法も、描画方法も、記述もすべて本来は旅をする人の便の為に作られたことを、またはその地図を眺めながら旅程に想いを馳せるために作られることを明快に表してるようかのようです。

本書はこの「マッパ・ムンディ」の数奇な物語を起点として、西洋における地図に纏わる物語を紐解いていきます。ただ、何せ22ものストーリーと、ポケットマップと称される15本のコラムが山脈の如く連なっていますので、本書の全容を一気にご紹介することは少々難しいところです。

まだ世界を描き切れていなかった頃の物語と、幻の土地たち。そして、その幻の土地を描くために格闘した人々と、そのれにまつわる、現代まで続く極めて人間臭い物語(アメリゴの売名行為に始まって、世界最大の地図帳の記録更新(但し、使い物にならないとのギネスの烙印付き)、ヴィンランドが描かれた地図の真贋やアンティーク地図取引と盗品売買)。人の欲望と疑念渦巻く幻の地図たち(宝島や幻の山々、南極点への地図、更にはモノポリーやリスクといったゲーム中のマップ)。多くの人々に愛されるようになった地図たちの作成者の想い(ロンドンAtoZに旅行ガイド、芸術品となった大型地球儀)。そして、地図を通して事実を表していく大切さ、難しさ(メルカトルが開いた「アトラス」への道程。三角図法とシティマップの作成。その上に展開させたコレラの感染地図)。中には、女性がなぜ地図を読めないかという問題とカーナビの普及に関する論考などという、皆さんが興味津々となるテーマも扱われています。

地図によって物語が広がり、地図によって人々は旅の足掛かりを得て、そして地図の中を旅していく。本書の巻末まで読み進めていくと、その旅路は紙の地図はおろか地球をも飛び出して、火星の運河から火星人の話、ネバーランドの地図、ゲーム中のバーチャルマップを旅する想い、更にはそれらを想い描いていく人の脳内マップまで突き進んでいきます(この辺りの著者の興味の広さは、流石に訳本ならでは)。

人類の歴史と同じくらいの長さを有する、人が自らの場所を示し、旅する想いを描き続けた地図という名の物語は、カーナビとデジタルマップの普及により、そのような自らの力で探し当てるという行為自身が無くなってしまうのではないかという、著者の若干の危惧を添えながらも、その地図の中を旅する人々と共に、今も果てしなく広がり続けているようです。

<おまけ>

本ページで扱っている、地図にまつわる本や、関連するテーマの本、訳本のご紹介を。