今月の読本「第四の大陸」(トビー・レスター:著 小林力:訳 中央公論新社)ローマカトリック世界の閉塞から飛躍を地図の歴史に載せて

今月の読本「第四の大陸」(トビー・レスター:著 小林力:訳 中央公論新社)ローマカトリック世界の閉塞から飛躍を地図の歴史に載せて

本文ページ数474頁。

私の夏休みを半ば持って去ってしまった一冊は、かなり読む方を選ぶ一冊かもしれません(そして、幸運にも選ばれた方にとっては、嬉しくもちょっと悔しい時間泥棒でもあります)。

帯でも謳われる、1000万ドルという法外な価格を払ってまでアメリカ議会図書館が買い取ったという、地図が好きな方なら誰でも知っている伝説の地図「ヴァルトゼーミューラー世界図」。本書は史上初めて「アメリカ」の名が記された地図に纏わる物語が描かれた一冊のようですが…果たして。

第四の大陸第四の大陸」(トビー・レスター:著 小林力:訳 中央公論新社)のご紹介です。

本書のプロローグで描かれる「ヴァルトゼーミューラー世界図」発見までの胸躍る様なストーリー。そして良く知られたこの地図に初めて書かれたアメリカの名の由来ともなったアメリゴ・ヴェスプッチと、地図の製作者であるヴァルトゼーミューラー。冒頭だけを読むと、彼らと地図の成立に纏わる物語が全編に描かれているように思えますが、実体は大きく異なります。

全19章で語られる物語のうち、実際の「ヴァルトゼーミューラー世界図」の製作に関する記述は最後半の僅か3章、全体の2割を切っています。直前で語られるアメリゴの物語を加えても120ページほどで、全体の1/4に過ぎません(プロローグを入れて漸く3割程度)。では、本書は残りの3/4には何が描かれているのでしょうか。

冒頭の売り込みとの乖離に疑問を抱えながら読み続ける読者を遥かに置き去りにするように、著者が本書で描こうとしているテーマは始めから極めて明快です。そのポイントは類書が歴史の流れに準拠して描く事で欠落してしまう視点を、敢えて13世紀から描き始める点から明らかになります。

著者の描こうとするストーリー、それはローマカトリック視点での歴史と世界観の変貌を、地図という世界観を示す象徴を用いて示す事。その延長としての「ヴァルトゼーミューラー世界図」に込められた想いを描くことを主眼としています。

所謂TO図や、旅程、マッパ・ムンディといった表現手法。それは聖地への旅程やキリスト教的な世界観が成し得た世界を描写する為に作られたもの。その記述は地図とは地形そのものを表すという現代的な感覚が失ってしまった、表現すべき世界観を表すものであることを改めて思い起こさせてくれます。西を大西洋に仕切られ、東を聖地、そして南と聖地の先は異教徒によって抑えられ、閉塞した地中海を中心とした13世紀のキリスト教世界。旅程以外の方向性すら必要としないその狭い地図で描かれた世界の向こうからやって来るもの、モンゴルやオスマントルコのキリスト教世界への侵攻の衝撃が、その後の世界観を大きく広げる役割を果たしたことを示していきます。

外からのインパクトに対する対抗と憧憬として、同じく世界の外に存在するであろう、救世主プレスター・ジョンへの希求。キリスト教的世界観が生み出す、魑魅魍魎的な非人間の居住する世界とその先の世界の果て、地上の終端と水球の裏側にある反世界。今では妄想と軽く切って捨ててしまうような内容ですが、当時は絶対であったこれらの世界観。しかしながら、マルコ・ポーロに代表される大陸を東西に行き交った僅かな商人や、大ハーンの元まではるばる旅をした修道者、教皇使節、そして船乗りたちの知識により、これら旧来の縛られた視点が徐々に書き換えられていく過程を、地図の描写の変化と共に丁寧に記していきます。

そして、本書で最も重要なポイントとなる、フィレンツェで発祥した人文主義と、そこからもたらされたギリシャ文化の再評価としてのプトレマイオスの「ゲオグラフィア」再発見が語られていきます。類書では歴史の順序だての関係でどうしてもプトレマイオスが先に語られてしまいますが、本書ではビザンツ帝国の消滅と所謂イタリアルネッサンスの歴史的経緯の流れの中でプトレマイオスの再発見を描くことで、彼の図法がどのようにキリスト教的世界観の中で組み込まれていったのかを把握できるように述べていきます。その目的は科学的、商業目的の為ではなく、あくまでも人文主義のため。それは商業によって繁栄を築いたフィレンツェにとって、新たなキリスト教世界、新たな世界帝国を俯瞰する手法として復活を遂げた事が示されていきます。

新たな世界を表現する手法を手に入れた(再発見した)キリスト教(ローマカトリック)世界。その世界観が示す先の地へ向けて、今度はポルトガルとスペインが乗り出していきます。所謂大航海時代、香辛料と黄金を求めて「ゲオグラフィア」の先に描かれるはずの世界に乗り出していきますが、そこには必ずキリスト教的目的、プレスター・ジョンやキリスト教が示す世界の果てに存在する「楽園」探すことが当然のように求められていきます。新たに描かれる地上が出来る度にその先に描かれるプレスター・ジョンの存在とその王国。地図を描く目的の一つに宗教的な意義がある事をここでもはっきりと示されていきます。そして、コロンブスの新大陸発見とヴァスコ・ダ・ガマの南回り航路によるインド到達を以て、プトレマイオスが描いた地平を越えた先にキリスト教(ローマカトリック)世界が踏み出すことになります。そこにはプレスター・ジョンも灼熱帯、反世界もない、ただ3つの大陸が描かれた世界が広がっていますが、依然として世界の末端はあいまいなまま。魅惑の島ジパングへの道のりは東か西か、その先の海は繋がっているのか、それとも沈んでいくのか…。

最終的にはマゼランの世界一周航海でこの決着がつくわけですが、この決着がつく少し前、未だアメリカ大陸の存在もあやふやで、太平洋の存在も把握されていない時期に、本書のテーマである「ヴァルトゼーミューラー世界図」が登場してきます。そして、未だに多くの疑惑を抱えるアメリゴ・ヴェスプッチも(著者はそれでも比較的好意的な視点で彼を描いています)。

本書のハイライトの筈なのですが、此処までのこってりとした長い道程を読んできた読者にとっては、意外にもあっさりした内容と捉えられるかもしれません。そして、当時の政界の中心であったイタリアでもなく、航海の拠点であったポルトガルやスペインでもない、未だ後進国と見做されるドイツでこの地図が描かれた事に奇妙な感覚を持たれるかもしれません。ですが、そこには本書の一貫したテーマを汲み取る事が出来ます。ジェノバにとって新たな世界を示す手法としてのプトレマイオスが求められたように、後進のドイツにとっても、ローマ帝国の伝統を継承し、ドイツ中心主義となった神聖ローマ帝国の新たな世界観を示すための表現方法が求められていた事、それは旧来のキリスト教世界観を継承しながらも、新しい世界をも同時に示すことで初めて達成できると考えた事を、著者はこのパートのもう一人の主人公である「ヴァルトゼーミューラー世界図」と併せて刊行された解説書でもある「天地学入門」の著者でもあり、この地図の発刊に主たる役割を果たしたであろう、リングマンに仮託して語っていきます。

ここで歴史的に見て面白いのは、彼らがドイツという、グーテンベルグを生んだ土地で当時漸く普及が進んだ印刷技術を以て、その思想の浸透を図る事を当初から念頭に置いていた点。「ヴァルトゼーミューラー世界図」も当時としては多い1000部も刷られた地図なのですが、このような印刷物を通してヨーロッパ全体で爆発的にあらゆる知識の普及が広まっていったことを著者は指摘しています。そして、その恩恵に浴した人の中にはあのコロンブスも含まれている事、彼がポルトガルやスペインの宮廷でパトロン達を説得するに当たっての知識的素地を印刷物の普及によって安価に入手できるようになった各種の書籍に寄っていた点を指摘し、その結果、大西洋横断(正確には西回りのインド行き)のチャンスを得たとする、一連の著述は出色です。

リングマンの情熱とその思想、ヴァルトゼーミューラーの創意工夫の結果として生まれた「ヴァルトゼーミューラー世界図」の特徴を、著者はその仮託の検証として詳細に述べていきます。そして、新たな大地にアメリカと名付けられた理由、更には最も重要な点、その大地を「第四の大陸」として描いた理由と、その後ヴァルトゼーミューラーが取り下げた原因についても検討を加えていきます。本書を手に取られた方が最も気にされる個所かと思いますが、唐突でいささか淡泊な内容に終始しますので、その結論に拍子抜けされてしまうかもしれません。逆に、最後のコペルニクスへ繋がる物語は、その地図の偉大さを示すために用意されたストーリーのようですが、あっさりとした前述の内容と比較すると、少々虚飾気味であったりもします。

冒頭で著者が述べているように、本来の「ヴァルトゼーミューラー世界図」の経緯を述べるだけであれば、これほどの大著にならなかったはず。本書が語る物語は、その地図単体が導き出すストーリーを大きく離れて、地図の製作そのものが持つ目的、その変遷を示す事でキリスト教(ローマカトリック)世界観の変遷を紐解こうという、壮大なテーマに挑んだ一冊です。そして、その世界観の帰結を示す証拠の品は、今はうやうやしくアメリカ議会図書館に最高の額装を以て掲げられているそうです。その新世界、神に約束された地に到達した証として。

<おまけ>

本ページより、本書に関連するテーマ、書籍のご紹介。

第四の大陸と類書

 

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今月の読本「セルデンの中国地図」(ティモシー・ブルック 藤井美佐子:訳 太田出版)訳書の魅力が存分に詰まった、東洋で作られた地図を介して東西文化の歴史地理学の幕が上がる

今月の読本「セルデンの中国地図」(ティモシー・ブルック 藤井美佐子:訳 太田出版)訳書の魅力が存分に詰まった、東洋で作られた地図を介して東西文化の歴史地理学の幕が上がる

豊富な訳書のラインナップを誇る、太田出版。

中でも、現在シリーズとして刊行を続けている「ヒストリカル・スタディーズ」には、地理や歴史が好きな方には興味深いテーマを扱った作品が多くラインナップされています。新刊本として面陳されやすいこともあって、比較的目にすることも多いこのシリーズは、読みやすい内容の作品が多いのですが、今回は価格面を含めて少々歯ごたえのある一冊のご紹介です。

セルデンの中国地図セルデンの中国地図」(ティモシー・ブルック 藤井美佐子:訳 太田出版)です。

既に表題の「セルデン」という単語でまごついてしまうこの一冊。16世紀末から17世紀初頭にかけてイギリスで活躍した法律家にして政治家。海洋法や航海に関する歴史に詳しい方、またはオランダの東インド会社の貿易史にご興味のある方なら聞いたことがある名前かもしれません。オランダの自由貿易推進の根拠として論考された、グロティウスの「自由海論」に対抗するように用意された、現在の航海法の基礎ともいえる「閉鎖海論」(国土に隣接する海域においては、海洋航行に於いても国家による管轄権が認められるという、領海法の基礎となった考え方)を提唱した当時のイギリス(訳者の正確な表記に従うと、イングランド)を代表する法律家です。

彼の遺言によりオックスフォードのボドリアン図書館に収められた17世紀初頭に作られたとみられる中国地図。2011年に行われた修復作業の結果、美しい姿を取り戻したこの地図を巡る物語を、同じオックスフォードで教授を務め、現在はカナダのブリティッシュ・コロンビア大学で東アジア史の教鞭を執る著者が描いていきます。

著者が最初にこの地図に興味を抱いたのは、セルデンの著作である「閉鎖海論」の理論的傍証、即ちオランダの東インド(香辛諸島)における、自由貿易の根拠としてのかの地の占有性の有無を検証するための素材として見做していたようです(ちなみに現代のそれに対しては、きっちりと釘をさしていますので、あしからず)。その延長として、冒頭では著者の体験に基づいた地図にまつわる国際関係の話が続きますが、本書の中盤を待たずして、早くもその考えは崩れてしまいます。その代りに著者が引き込まれていったのは、この地図の成立と、ボドリアンに収められるまでのストーリーそのものへの興味。

漢字で地名が書かれ、中国大陸を中央に置いた地図は明らかに東アジアの何処かで作成されたもの。しかしながら、その図法は当時の東アジアで一般的であった図法とはかなり異なり、海図に用いられる方位線が書き込まれ、コンパスローズの代わりに羅針盤、そして縮尺スケールまで描かれるヨーロッパ的なもの。最も特徴的な点は、アカプルコへ至るルートへの注記と、カルカッタと思われる点で途切れる地図のその先に至る、アデン、ドファール、ホルムズまでの航程が方位と日数で記されている、明らかにヨーロッパ方面への航海を意識した標記。そして、驚くほどに正確に描かれた航路に対して、かなりあやふやな陸上の表記。

本書の後半では、これらの記述の秘密について、著者の調査結果(まだまだ知りえない事が沢山あると述べていますが)と見解が述べられていますが、その結果は本書を彩るほんの一部分に過ぎません。

本書の最大の魅力は、その結果に至るまでの著者のアプローチ。単に地図の記述の謎を解くだけであれば、これだけの著述は必要ではなかったはず。それでも、著者は描かれた事の本質に迫るために、余りに迂遠とも思えるアプローチを仕掛けていきます。

其処には、入手者であるセルデン自身の物語だけでなく、親友であったベン・ジョンソンと彼の仮面劇に秘められた、イギリス特有の洒脱と皮肉の物語が語られていきます。そして、彼の東洋の文物に対する収集(東洋学の始まりといってもいいかもしれません)に興味を持って、当時の文壇に花を添えたパーチャスの「パーチャス廻国記」と、ジョン・スピードやメルカトルといった地図製作者たちの物語も散りばめられていきます。その記述は、16世紀末のスチュワート朝イギリス史、更には文化史をある程度理解している事を読者に求めてきます。

セルデンの研究上の遺産を引きついだ、ポドリアン図書館の初代館長であるトマス・ハイドと、数奇な運命の末に彼の元にやって来た中国人の沈福宗。セルデン地図の上で、彼らが交わしたであろう言葉が、ヨーロッパにおける東洋学の息吹を見せ始めますが、彼が研究を纏める頃には、時代の変遷による文化の多様性を相対化するための東洋史から、パーチャスに見られるような所謂東洋趣味の波に呑まれていく悲哀さすら述べていきます。

ヨーロッパをベースに著述している本であれば、此処までの著述で終わっていたかもしれませんが、著者は東洋史の専門家。セルデン地図の内容を追うその筆致は、ヨーロッパを飛び出して同時期、更にはそれ以前の東洋における航海史を跋渉する世界に漕ぎ出していきます。当時のあやふやなヨーロッパ諸語と中国語表記の変換の先にある、羅針盤の動きをベースに中国語で著述された航海録を読み解くことで、この地図に描かれた東アジア、東南アジアの航路が極めて正確であった事を、それこそ推理小説のように突き止めていきます。更には、これらの中国語書籍の成立した理由と、その著作の根底にある官僚制(科挙)や、文化の担い手としての重厚な士人層への眼差しが語られていきます。著者の研究者としての視野の広さは、本書を単なる地図をテーマにした地理史に留めることなく、東西の文化、思想が共演する文化史へと大きく広げていきます。

ヨーロッパを飛び出した地図を巡る物語は、更に紙の地図と書籍を飛び出して、東アジアを巡る航海と地図の物語へと進路を取っていきます。羅針盤の方位記述の読み解きや媽祖や火長といった中国由来の民俗学的な航海術を語りながら、イギリス東インド会社の貿易についての物語が編み込まれていきます。

ウィリアム・アダムスと平戸と徳川将軍という、我々にとっても馴染みのお話も語られていきますが、メインは中国、そして東南アジア貿易(北洋航路だけでは貿易が成り立たない事をはっきりと明記しています。オランダが長くアジアで貿易を続けられたのも、南方の物資拠点を抑えていたことによる、アジア航路内における南北貿易を成立させられたが故)。平戸をベースにしたイギリス東インド会社の交易における中国ルート開拓にまつわる悲喜こもごもの物語と、スペインそしてオランダとの香辛諸島での貿易競合の物語も語られていきますが、この部分は少し前後と脈絡なく登場してきます。実は、セルデン地図の最後の謎に迫る重要な秘密がここに隠されているのですが、その答えは本書をお読み頂いて、納得して頂ければと思います。

イギリスと中国の文化が交差する本書。それは歴史と文化を地勢の上で語るという地理学の本質が、それこそ大陸を越えて、ダイナミックに展開していきます。片方の知識だけでは決して読み解けない、文化の交差点としてのセルデン地図の特異性と、秘められたストーリーが存分に語られていきます。イギリス、そしてヨーロッパで刊行される作品におけるセオリーに従った、豊富な文化的、歴史的バックボーンに基づいて本題を解き明かしていく記述は、ちょっと迂遠な感じもするかもしれませんが、著者の驚異的な知識力、学術成果を丁寧な翻訳によって誘ってくれる、知的探究の面白さが存分に味わえる、訳本ならではの面白さが詰まった一冊。

イギリスの作品らしい、強烈な皮肉を込めた序文のヴァルトミューゼラーの「アメリカ」が初めて記述された地図と、海南島事件に関する話題から始まり、王子ジローとセルデンの墓所の物語(このオチには、更に何かを伏してるのですが、私の知識力では追い付きません)で終わる本書。著者の熱心な研究成果に耳を傾けながら、ある意味営々と築き上げてきた慣例法を規範に持つイギリスという国のしたたかな思考法の上に立つ、少し醒めた歴史感をじっくりと味わうかのような一冊です。

<おまけ>

本ページでご紹介している、本書に関連する書籍を。

今月の読本「魚で始まる世界史」(越智敏之 平凡社新書)キリスト教とシェークスピアを軸に描く、イングランドと二つの大衆魚の物語

今月の読本「魚で始まる世界史」(越智敏之 平凡社新書)キリスト教とシェークスピアを軸に描く、イングランドと二つの大衆魚の物語

食べ物の歴史や風物を扱った本は、どれも楽しいのですが、特に海産物好きにとっては魚を扱った本は正に「好物」。

今回はそんな好物の一冊をご紹介。この手の書籍の著者としては異色中の異色といっていいのではないでしょうか、英文学、特にシェークスピア研究家の方による、ヨーロッパ、いや西洋全般のおける大衆魚の代表格である二つの魚をテーマに置いた「魚で始まる世界史」(越智敏之 平凡社新書)です。

魚で始まる世界史

最近の新書ブームで色々な出版社さんが新書(文庫)を出されていますが、その中では後発の平凡社新書。大先輩の講談社現代新書が最近採りつつある、専門性より読みやすさを重視したテーマ選定と編集、ちくま学芸文庫に見られるようなちょっと哲学的(または西洋文化的)なテーマを併せ持つこの新書シリーズ。

本書もその例に漏れず、単純に漁業や魚にまつわる文化史を語ろうという内容ではありません。

歴史的著述の側面に著者の専門分野であるシェークスピアや演劇のエッセンスをふんだんに取り入れて、それらの舞台演出装置として二つの代表的な大衆魚をテーマに採り上げようという、一般的な歴史書とも文化史とも違う、著者独自の視点による歴史著述が展開されます。

従って、本書では日本の漁業については一文たりとも触れられませんし、現在問題となっている北大西洋での彼らの資源枯渇の話も一切出てきません。そのような意味で本書の表題にある「世界史」という表現は、所謂西洋文明的な観点での世界史、それも取り扱われるのはアメリカ独立戦争期までの時代に限定されます。更に突き詰めていくと、1,2章で取り扱われる宗教的な魚食の意味合いの解説を除けば、その殆どは英国史(イングランド史及びニューイングランド入植史)を軸にした記述である事に理解が必要です。

そのような前提を理解したうえで本書を読み進めてみると、なるほどこの二つの大衆魚が与えた社会的インパクトの大きさと、最終的に新世界(アメリカ大陸)への進出のドライビングフォース、独立戦争まで続く一連の歴史の流れにこれらを綺麗にはめ込んでいく、著者の鮮やかな筆致は見事なものがあります。

キリスト教と断食に関わる「温かい食べ物(肉食)」と「冷たい食べ物(魚食)」などというテーマは、日本で読まれる魚を扱った本ではまず出てこない内容ですし、それがイギリスでの経済問題にまで発展するという展開は、ヨーロッパ中世史をあまり知らない私などから見れば驚きの連続。そこにハンザ同盟のニシン流通路掌握や、オランダのニシン市場の制圧(品質には疎いイングランド人の特性がこの時代にも)といった経済的な話を絡めつつも歴史的な流れを叙述していきますが、その扱われ方も、市民による「貶され方」も、あくまでも視点はシェークスピアの国、イングランドを中心に記述していきます。

貧者の食料の代表であったニシンとタラ。どちらも保存性の極めて高いタンパク源であったのと同時に、「海が湧きたつほど」とも形容された沿岸に大挙して押し寄せて産卵する習性から、大量捕獲が可能であった数少ない魚類である彼らが、肉類中心の食生活と思われがちな、ヨーロッパの中世史の底辺を支える貴重な食料であったことが本書を通じて理解できると思います。

そして舞台は「新大陸」に移っていくわけですが、この大冒険旅行を成立させるために最も重要な食料であったのが他でもない、赤道を腐らずに渡る事が出来た動物タンパク源である干しダラ(いわゆる棒ダラと塩ダラ)だったことになります。二つの魚たちのおかげで、西ヨーロッパ史の世界史化ともいえる大航海時代、更には大英帝国の世界への扉が開かれたことになります。

タラによって切り開かれた海路の先に広がる、新大陸における膨大なタラの資源は、新大陸への新たな移民の波を生み、プランテーションへの食料供給という三角貿易による膨大な利益と、奴隷という名の大きな大きな負の遺産を後に生み出す結果となります。そして、ここで再び見せる島国イングランド漁民たちの(荒っぽい)特性が、これまでも複雑な思いを抱きながら有してきた「自由の海の自由な漁業」の思想を更に育み、その先に広がる「力による自由貿易」すなわち、アメリカ合衆国の成立に繋がると著者は看破していきます。

マサチューセッツ州下院議会に掲げられているタラの像が独立の精神の今に伝えるように、漁師たちの独立心と自由溢れる冒険心、そしてそれを後押しする流通システムこそ、現在の世界を網羅する自由主義経済活動の原点なのかもしれません。

<おまけ>

その1.本書でも取り扱われている、ニューイングランドの今の風物と当時の雰囲気を繋ぐ興味深い紀行文を扱った一冊をご紹介

その2.本ページで扱っている他の魚類、食べ物の話題の書籍を