今月の読本「観応の擾乱」(亀田俊和 中公新書)すれ違う無二の兄弟の前を往く表裏する人物達と貴重な時代史の背景を描くその先

今月の読本「観応の擾乱」(亀田俊和 中公新書)すれ違う無二の兄弟の前を往く表裏する人物達と貴重な時代史の背景を描くその先

世間では人文書、歴史書が静かなブームだそうですが、読むのが遅い自分にとっては、これまで刊行されてきた書籍を追うだけでも手一杯、とてもブームの本まで目を通す事が出来ないもどかしさ(その以前に、田舎の本屋さんでは手に取れないという寂しさも)。でも本屋さんに新刊が並ぶと、ついつい手に取ってしまう悪癖がやはり出てしまいます。

今回ご紹介する本も、そんな訳で積読脇に寄せて読み進めた一冊。きっと前著同様、話題になるんだろうなぁ、などと思いながら。

今月の読本「観応の擾乱」(亀田俊和 中公新書)のご紹介です。

一般向けとしては実質的な処女作となる「南朝の真実」(吉川弘文館)でスマッシュヒットを飛ばした著者。その後、同時代の人物史を複数冊手掛けた上で挑んだのが、著者の専門である、南北朝から室町初期の時代史前半を形作る大きな転機となる観応の擾乱を、新書という限られたページ数で描いていきます。

全編で250ページ足らずですが、尊氏の将軍就任から実の息子である足利直冬を京から敗走させる時点までの時代史を、平明な筆致でほぼまんべんなく著述することに成功しています。その間、非常に多くの武士たち、歴代の天皇や上皇、公家や僧侶たちが登場しますが、著者の前著に見られるように、それぞれの登場人物について、少ないながらも極力説明を施し、個性的で魅力あふれる人物像を描き出す事に注力していきます。主役となる尊氏、直義兄弟の前を、時には味方、時には敵として行き交う彼らについて、これまでに言われてきた、最初から両方の派閥が出来ていたわけではなく、時々に応じて、与する相手を柔軟に変えていっていた事を、その時の状況を含めて明示していきます。更には二人が衝突して以降も直義自身は終始覇気が無いように見えるとし、むしろ周囲の主戦派の強硬論、特に二度目の衝突では尊氏、そして直義自身よりも尊氏の息子である義詮と桃井直常の代理戦争的な要素もあった事を指摘しています。結果として、武将の中でも終始この二人に付き従ったのは尊氏サイドであれば佐々木導誉であり(彼とて、降誘を狙っての為であったはずですが、直義方にも寝返っています)、直義サイドであれば上杉憲顕ぐらい(彼も直義にとって最後の戦いであった薩埵山では遂に逃走しています)だったようです。このような不安定で日和見な人物達を引き留める、味方につける際に切り札となるのが恩賞。しかしながら、どんなに政務から後退しようと守護の補任権を握り続け、武士に対して恩賞を振る舞う(時に口だけ、バッティングもあり)尊氏と、武士よりむしろ領家に対する安堵と施行に終始する直義。ここに二人の違いが大きく出て来る事を、実際に発給された史料から見出していきます。また戦力の集中を図る、ないしは禁じ手を取るためとはいえ、二人とも一度は南朝に帰参した経緯から、尊氏、特に直義にとって北朝の天皇はやはりお飾りであった点も(旧来の論説と切り離して)改めて明示していきます。

そして、著者が前著でも再評価を求めて描き出した、高師直と高一族の活躍。旧来の論説では、明らかに尊氏派として扱われてきましたが、著者は二人の決裂が決定的になるまでは、足利家の家宰、執事として双方に仕えてきたことを示します。そして、この北条家にもみられた御内人が権勢を持つ(実際には守護領国も少なく、勢力が突出していたわけではなかったようですが)最後の姿を高一族に見出し、その終焉こそが、将軍専制と、それを執行する有力守護大名がセットとなる将軍/管領制へと発展していったと見做していきます(それ故に、高師直の評価については、やや旧守的であったと見做しています)。更には二度の弟との衝突の先に、将軍就任以降は政務を含めて常に後方に退いていた尊氏自身が前面に出て戦い、感状を与え、恩賞を大盤振る舞いし続ける事で、将軍としてその指導力、専制権が発揮された結果、真に政治家として覚醒したとしていきます(これに対して、尊氏に対峙した直義、そして直冬のいずれもが、戦場に於いて直接的に尊氏に対峙することが無かった点は極めて示唆的です。こと武将として尊氏の人気が高い大きな理由ですね)。

長きに渡った南北朝の動乱の幕開けを告げる擾乱(この用語の発生由来については、終章で議論されています)の中で室町幕府の安定した政権の基礎となる諸政策、政体が築き上げられていったとする本書。著者はその流れをなるべく一次資料に依拠して描こうとしており、研究の中核となる将軍を補佐する体制、息子である義詮への政権移譲の段階、引付や恩賞方の変遷については、そのメンバーと、どちらの勢力に移っていったかについても詳細に述べていきます。しかしながら、その他の部分ではやや疑問が生じてしまう所もあります。それは、直近で他の研究者が著書に於いても重要視した、如意王と直義の野心に関する反論と、直義の二度に渡る出奔の位置づけ、さらにはそれを傍証するための論拠。すなわち、この擾乱がなぜ起きたかという理由についての論証への歯がゆさが感じられる点です。

著者は文中で、現在ではもっとも一般的と思われる佐藤進一氏及びその他旧来の論考に対して繰り返し反論を述べた上で(一般書なので、わざわざそれを強調する必要もないかと思いますが)、終章に於いて尊氏の実の息子である直冬に敵愾心を抱き、一向に認知しようとしない尊氏への憤り、多くの武家における庶子たちの不安とその代弁が擾乱を生んだ素地ではないかと示唆しています。その論考自体に議論を挟むつもりはありませんが、それを示す明確な論拠や史料がある訳ではないので、現時点ではあくまでも著者の見解として捉えておきたいと思います。

その上で、本書の冒頭から首を傾げてしまったのが、直義の嫡男であった「如意王」の存在への言及。これまでの同時代を扱った書籍ではあまり前面で語られることは無かったと思いますが、上述の影響を受けられたのでしょうか、その生誕によって、直義が野心を抱いたという論には、流石に力みつつも正面から否定をしていますが、一方で和解以降の直義の無気力な振る舞いを評して、如意王の喪失を関連付ける論も述べており、本書では明らかに引用を控えている太平記に対して、この近辺の著述だけは傍証として引用するなど、本書に於ける著者の平明かつ一貫した論考が、この部分だけ妙な方向に行ってしまっているようでなりませんでした。

更に、直義の二度に渡る出奔を描く部分。著者はそのいずれも尊氏やその周辺がノーマーク、過去の人として扱っていたとしています。確かに恩賞を期待できる訳でもなく、堅実な政治家と評される割には打算的な直義の政治生命は、既に途絶えていたかもしれません。それでも、一度京を脱出して兵を募れば侮れない勢力を築き、一度目は自らも窮地に追い込まれ、二度目も東国まで下向して討つ事になる(鎌倉での直義急死の件は置いておいて)相手に対して、ノーマークであったと言い切ってしまうのは余りにも淡泊な気もします。

側近同士の勢力争いでもなく、兄弟の相反でもない、ましてや魍魎的な物語を否定した上で、長々と続いた騒乱の原因については結論らしい結論が得られないままに終章を迎える本書。

本文を少し離れて持論を述べる終章の最後に綴った「努力が報われる政治」というキーワードへ集約した著者の想いを本当に描き切るためには、やはりその当事者である尊氏自身、それも著者の一貫した手法である一次資料を大前提として太平記の潤色を極力排除した人物史として、是非次に描いて欲しいと強く願うところです(できれば、東国戦線とその後の鎌倉府に至る流れも是非たっぷりと。あっ、武蔵野の広野を縦横無尽という表現は如何にもっぽいですが、地勢的にはちょっと微妙かなと)。

まだまだ描き足りない魅力的な登場人物が控えているこの時代の歴史物語はもっと深く楽しくなるはずと思わせる魅力を秘めた、もう少しその先も読んでみたい、そんなきっかけになる一冊として。

観応の擾乱と関連書籍<おまけ>

本ページでご紹介している、本書と関連する書籍から。

今月の読本「列島を翔ける平安武士」(野口実 吉川弘文館)遥か九州から武士の勃興を眺める時、その世界は京・東国を飛び出し列島を駆ける

今月の読本「列島を翔ける平安武士」(野口実 吉川弘文館)遥か九州から武士の勃興を眺める時、その世界は京・東国を飛び出し列島を駆ける

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館さんの「歴史文化ライブラリー」3月の新刊は、これまで多数の中世武士、特に東国の武士たちを扱った一連の研究と著作で知られる野口実先生の最新作からご紹介します。

今月の読本「列島を翔ける平安武士」(野口実 吉川弘文館)です。

まず、あとがきに目を通すと、著者の中における本書の微妙な立ち位置が言及されています。一度は完成した原稿が暫く日の目を見なかった事、最終的に著者の奉職先であった京都女子大学を退任された後の上梓となった事、更にはその記述には著者の研究者、教員としての生活に於ける様々な想いが込められている事。

既に著者の作品を読まれた事がある方であれば、その感触は判ると思います。千葉に生まれ、房総平氏の研究でも知られる著者のスタンスが、同時期の研究者の著作と比べると極めてニュートラルな立場を採っていた点に気が付かれるはずです。既に過去のものになりつつありますが、草深い東国の開拓農民から勃興してきた野蛮で無学な武力が、軟弱な京の公家社会を刷新して、新たな大地たる東国、鎌倉に清冽たる新政体「幕府」を築き、中世の幕が上がるという、私が学生時代には依然として通用した視点に対して、明確にそれを正す方向での著作を上梓され続けた点です。但し、このような点を採り上げると、ではやはり京都に拠点を置かれているから、所謂体制論的な立場なのですかと問い返されそうなのですが、そのような体制論であったり王権論とは一線を画した立場で議論を進める点が、著者の論旨の大きな特徴ではないかと思います。

本書はそのような大きな歴史論(体制論)に固執することなく、出来るだけ史料から読み解ける、実際の登場人物たちの動きからその流れを読み解こうとしていきます。従って、表題と異なり本書を通貫する様なストーリーであったりテーマが明確に設定されている訳ではありません。特に人物を離れて京都七条町の職人集住に関する記述は、全体のテーマから見ると大分かい離が認められますが、著者の提示しようとするストーリーを彩るためにはどうしても必要な内容だったようです。

著者が描こうとするテーマ、それは石井進氏の前述のような体裁の色濃い「辺境としての東国から勃興する」とする歴史展開を乗り越え、下向井龍彦氏の著作(日本の歴史07 武士の成長と院政 講談社学術文庫)にもみられるように、中央から下向し、その貴種性と地方の反乱を鎮圧する為に乱発された勲功賞で得た権能を加える事で、在地との強い絆と利権を築きつつも、引き続き中央での関係を維持しつつ勢力を積み上げていく、武士の姿を描く事にあります。

そこには、草深い無学の輩等ではなく、権門の家使としての側面と、在地における所領管理、いざという時には国衙の兵力や私兵を従えて戦闘に挑むという、極めて実践的な能力が試される、中央での出世には見放されたとしても、実務能力が極めて高い人々が集っていた事が判ります(本書の冒頭で描かれる藤原保昌のような簒奪者や、為朝のような正に暴れん坊ももちろん居ますが)。そして、本書で著者が最も描きたかった点。これまでの「東国」中心の武士研究に対して、前述の視点を相対化させる行為。東国の武士研究でも中核に位置した著者自身が、本書の成立に至るまでの20年近くに渡って取り組みを続けた模索の結果としての、九州、特に島津荘の成立と拡大における武士の動きと貿易の痕跡を現地で研究を続ける研究者と交流を図る事で、東国と京都という二元的な視点、又は、大宰府-京/福原-平泉という公家文化に対抗する東国、鎌倉の武家という対峙系とは異なる、より普遍的な武士の成長に対する視点を導き出すことです。

著者はこの視点を実証する為に、敢えて自らの長い研究テーマでもあり、如何にも東国武士の代表である千葉常胤を採り上げ、源平合戦における源範頼を支えながら転戦した九州における戦歴とその転戦地に設定された地頭職の成立、更には京都に戻った後の治安活動や、鎌倉に居を構え全国に広がった所領を管理する都市型領主となった後の千葉氏の活動を通して、名字の地たる在地にしがみ付く東国武士というステレオタイプを明確に否定していきます。

そして、九州の南端に構えられた島津荘を中心とした、摂関家の金城湯地となった南九州。この島津荘を始め肥後、南九州を席巻した為朝の所業を荒唐無稽と一刀両断することはせず、それ以前から下向していた薩摩平氏(平安武士という言葉と併せて本書で初めて出てくる呼称でしょうか)達による、東国と同じような騒乱が生じていた事を紹介していきます。結果として、それらの鎮圧を担った勢力が、東国同様にその後の武士として勃興していく事は論を待たないかと思います。列島の南北で勃発した反乱とその鎮圧。大宰府を舞台にした刀伊の入寇。これらの鎮圧に伴いもたらされる勲功による栄爵を纏っての在地への定着、国衙官職を含む利権化の流れは東国だけに限定して起きたわけではない事を遥か南九州の事例を示す事で明確化していきます。

在地化と足並みを揃えるかのように肥大化する南九州の荘園群。その成立以前に遡って、王朝国家内での摂関家の勢力推移を重ねる事で、時代が下がるにつれて極めて重要な収益源、貿易拠点として成長していったことが示されていきます。当時の交易品として極めて重要であった火薬の原料となる硫黄が取れるこの地が、大宰府、神崎荘と並ぶ海外、特に南洋貿易の拠点であった事を発掘成果から明らかにし、南洋特有の檳榔、螺鈿がこの地から京、そして平泉に至ったと考えられると述べていきます。勿論、平泉からはその代わりに、知られているように馬、黄金、そして海獣や毛皮や猛禽類の羽など武具として、交易資金として必要な物資が送られる訳ですが、ここで著者は東国における近年増えてきた中世期の遺跡発掘事例や、前述の千葉常胤が滞納していた貢納を一度に納めた際に積み上げた膨大な量の金を以て、これらの平泉文化に付随する王朝国家的な文化が東国やその交易路をスルーしてピンポイントに平泉に花開いたという、王朝国家の一種理想郷を平泉に見出し、東国、武家の文化的な低さを殊更に指摘する視点に対して明確に否定を示し、その交易路においても、同程度の文化的な浸透があったはずだとの認識を示していきます。

その上で、京を情報や文物ネットワークの交差点と見做し、京を起点に全国に向けて下向し、代を重ねつつも、色々な事情を以て武士としてこの地を行き交う事となった人々のネットワークの動き、悪い言い方をすれば欲望の離散集合の頂点に源平合戦があったと見做していきます。

京都で奉職し、第一線を退いた直後で上梓することとなった本書は、東国武士の研究者としての一方の史観と、自らが在する地におけるもう一方の史論に対する双方の疑念を九州の地に視点を置く事で、ネットワークという新たなテーマ設定によって相対化、より普遍的な視点を見出すことを目指した一冊。冒頭で述べたように各章ごとに別々の登場人物が語られるため、小テーマを集めたやや散漫な印象を受ける部分もありますが、昨今の地理学を組み合わせた繋がる歴史著述に対して、これまで培ってきた豊富な研究成果より具体的な視点を与える著述は実に楽しく、史論で語られる著述では欠落することが著しい発掘成果による史料補完への言及と併せて、中世の入口となるこの時代の著述がこれから更に発展していく事に期待を持たせる一冊です。

第一線の教壇から下る事で、今後は研究、著述により一層の注力を図る事が出来るであろう著者の更なる一冊に期待しながら。

<おまけ>

本書に関連する書籍を、本ページよりご紹介します。

今月の読本「中世武士選書36 三浦道寸」(真鍋淳哉 戎光祥出版)通史を描きたいという願いと相克する書名の行方

今月の読本「中世武士選書36 三浦道寸」(真鍋淳哉 戎光祥出版)通史を描きたいという願いと相克する書名の行方

2016年は初の年末商戦と称して、例年以上に多くの新刊が年末ぎりぎりまで送り出され、特に雑誌については31日発売で配本が行われているという話がある一方、これまで不振が叫ばれながらも長らく本屋さんの売り上げを下支えしていた雑誌が遂に書籍の売り上げを下回るという、衝撃のニュースが流れてきた年末。

本書もそんな本屋さんにとっての年末商戦に合わせてでしょうか、年の暮れになって地元の本屋さんに入ってきた一冊。そして、2016年最後の読書となった一冊です。

歴史関係書籍では吉川弘文館、そして山川出版に続く刊行ペースを維持しつつも、歴史に限らず独自の視点を掲げたテーマの作品を送り出している戎光祥出版さんの最新刊よりご紹介です。

三浦道寸今月の読本、年末最後の一冊から「中世武士選書36 三浦道寸」(真鍋淳哉 戎光祥出版)です。

著者にとっては実質的に初の一般向け単著でかつ、独りの武将の活躍を扱った本としては珍しいテーマ。しかしながら、冒頭や巻末、更には本文を読んでいくとある点に気が付きます。2015年の春に刊行された、吉川弘文館のシリーズ叢書、歴史文化ライブラリーの通巻400冊目として送り出された「三浦一族の中世」(高橋秀樹)と同じベースでの著述ではないかと思わせる点です。

それもそのはず、双方の著者は同じく横須賀市の歴史編纂事業に携わっており、あとがきにもあるように、著者の研究に対する先駆的な役割を果たしているのが前述の著者(文科省の教科書調査官が本職)であることを明確に記しています。そのためでしょうか、著者も繰り返し郷土史や郷土に所縁のある人物としての三浦氏、道寸としての著述を否定的に捉え、全体の歴史感、少なくとも東国の歴史における位置付けで描く事を明白に表明しています。その結果、本書は三浦道寸を表題に掲げていますが、実際に道寸自身が登場するのはページの半ばを迎えた後、更には終章として前述の書籍と同じような体裁で「三浦介」の後世における伝説的な扱いを紹介する事に頁を費やしているため、実質的に道寸自身の活躍を記す部分は全体の4割程度に過ぎません(全275頁中、120頁ほど)。残り半分は三浦氏の発祥から戦国初頭の三浦氏へと繋がる系譜を、東国の政治状況の推移から著述することに注力しており、その体裁は前述の書籍とほぼ同じく、通史を描くために三浦氏を足掛かりにしているに過ぎないようにも見受けられてしまい、表題が蔑にされる結果となっています(2冊を併せて読むと、通史としての不足部分が充当されると云えば少々皮肉でしょうか)。

帯に書かれるような、室町後期から戦国の冒頭に当たる、混乱する東国に登場して、北条早雲(本書では一貫して伊勢宗瑞を使います)との死闘の末に潰える相模武士最後の系譜を継ぐ存在としての道寸の物語を期待された方は、少々肩透かしを食らってしまうかもしれませんし、中世東国の政治状況に練達された方であれば、本書の前半分は少々三浦氏側の視点を加えていながらも、(三浦氏自体が南北朝期において既に中世東国の政治状況を左右する存在ではなかった点からも)既知のことかもしれません。

それでも著者が通史としての著述に拘る点、それは三浦氏の特異性がその視点を外すことを許さないからかと思われます。武士の都であった東国、鎌倉。その鎌倉から指呼に位置し、海路が開き、陸路からは複数のルートから至るに難しい半島という特異な地形。それ故に、相模、特に鎌倉に事が起きる度に抑えとして、更には次に送り込む戦力の兵站地として常に見做されてきた三浦半島に有する三浦氏と一族の戦力。そして、遥か昔の頼朝が鎌倉を目指す前から「三浦介」という国衙を扼する職制を自称する伝統に彩られた「家職」としての揺るぎない誇り。家名を2度も落としながら、各地に点在していた地頭所領を失い、三浦半島のそれこそ南端に押し込められていたように見えても、逆に国人領主の萌芽を見せるような一円支配の実現。更には海を挟んで房総や伊豆七島の末端にまで影響力を行使していたという、領主制としての先進性すら有していた三浦一族の独自の活動形態を浮かび上がらせるためには、歴史的な三浦氏の位置づけを、少なくとも東国の中世史の中に描く(量の過多は別として)事が、どうしても必要だったようです。

鎌倉開府以前まで遡り、同じ介を名乗る上総、千葉に匹敵する東国の名門でありながら、三浦半島の末端に僅かに所領を維持し、政治的にも軍事的にも既に守護であった事や「大介」としての名称すら実力に伴わない(時に兵力の不足を述べ出兵を拒み、五十子陣から引き揚げてしまう三浦時高の手勢が僅かに三十騎という少なさに象徴されています)零落ぶりですが、一方で、鎌倉から至近距離あったため常に警戒の目で見られた、在地の勢力拡大が困難であったとも考えられる訳であり、その不満が遂に暴発したのか永享の乱を決することとなった、公方持氏不在の鎌倉突入であったと見做していきます。

三浦氏を動きを制する存在でもあった武家の都、鎌倉。公方が古河に動座し、戦端が利根川を挟んで繰り広げられるようになると、真空状態となった鎌倉を含む南関東には新たな勢力が伸長することになるのは必然となります。その主役となったのが太田道灌、北条早雲、そして本書の主人公である道寸が漸く登場することになります。一度は利根川以西の安定化を図った道灌亡き後、公方と対峙、協調を繰り返す事で、お互いに拠点を利根川沿いに北上させる両管領家が去った相模の制圧を巡って、半島に押し込められていた三浦氏がここで漸く半島を抜け出して、名実ともに「相模介」としての恢復を狙って動き出すことになりますが、如何せんそのタイミングが余りにも悪く、前述のようにその戦力の乏しさは、既に伊豆を制圧していた北条家(伊勢氏)に対しては如何ともならなかったようです。

半島ゆえの独立性も、首筋を抑えられてしまうと逃げ場が無くなるという逆の結果を生む事は、家名を挙げた伝説的な義明の活躍にもそのまま投影されます。海上を房総半島へ逃れる手があったにも関わらず道寸と一族が滅亡の道を選んだのも、やはりその祖先へ通底する想いがあったのでしょうか(著者は伊豆七島、特に八丈島を巡る状況から勘案して、既にこの時点で三浦氏には相模湾、江戸湾の制海権は無かったと見做していますが、その後の海賊衆と見做させる三浦十騎の抵抗と整合せず、少々首を傾げます)。しかしながら、本書は通史を描く事を第一に標榜しているため、それらの心象や当時の相模、半島の状況について、特に地勢的な見地では殆ど述べるところはありません。だた、この戦いが著者が考える「時代の転換点」たる戦国時代の端緒と見做すに相応しい、国人領主の討滅による相模の統一であることが語られるだけです。

最後に述べられる、道寸の文化人としての側面と、その後の「三浦介」物語。道灌との関わり合いの延長で描かれる点から見逃されがちですが、半島の先を扼していたという事は海運も抑えていたという事。八丈島まで勢力を有していた三浦氏の配下が相応の海運力(特に相模湾に於いて)を有していた事は容易に想像できます。彼が賛を求めて(絵が描かれていない点が思わず笑ってしまいますが)差し出した紙が唐紙であった事からも、ある程度豊かな物産が辺鄙と云われる東国にもしっかり伝わっていた事が判ります。また「三浦介」の名称が東国武将のブランドとして用いられたという点を玉藻前伝説に繋げて述べる点と、道寸が京都に送ったとされる扇に記された賛への言及からも、家職とまではと、少し控え気味に述べていますが、中世家職制の一環として東国武士を位置付けていこうという著者(達)の研究史感が見えるようです。

主人公道寸を置いてでも、三浦氏を題材にとった中世史を通史として描く事に重きを置いた本書。帯に記された版元の想いと、シリーズの主眼、そして著者達の想いはなかなかに上手く交わらないのだなと想いながら、冒頭の書籍不振の根底にきっとある「読みたい、手に取ってみたい」という読者の想いと、著者達の想いの交差の難しさもまた考えさせられる年初。

img20161230215227本書とセットで読まれると宜しいかと思います。吉川弘文館の歴史文化ライブラリーより「三浦氏の中世」を。こちらは三浦氏が歴史に登場する時点から宝治合戦より前を中心に、本書よりも更に明白に「京を中心とした平安末期から鎌倉期の通史と、家職制に見られる三浦氏」という体裁で描いていきます。

同じく三浦氏をテーマに掲げながら、拭い去れない内容との乖離を示す本書の帯に対して、表題との乖離を何とか埋めようと意を砕く、版元さんが帯に記したコメントが逆にその位置づけを明快に示しているようです。

両書籍の立ち位置と異なり、もっとダイレクトに相模武士に特化した内容の書籍をお読みになりたい方は、同じ版元さんから刊行されている、相模全体をフィールドとする在野の研究家、湯山学氏の一連の著作(こちらはダイレクトに三浦一族)が地勢や史跡への配慮も圧倒的に豊富で、より相応しいかと思います。但し、如何せんかなり特徴的な著述(突如話が飛ぶ、終息せず前後が繋がらない、独自見解)かつ、特に「相模武士-全系譜と史蹟-」シリーズは図版や編集、版組も私家版相当で、一般流通レベルギリギリのかなり荒い作りなので、万人向けとは言い難いかもしれません。

 

<おまけ>

本書と同じようなテーマの作品をご紹介しています。

今月の読本「里山の成立」(水野章二 吉川弘文館)境界の地へと開発を推し進める荘園の歴史から里山を再定義する

今月の読本「里山の成立」(水野章二 吉川弘文館)境界の地へと開発を推し進める荘園の歴史から里山を再定義する

「里山」この流行語となったテーマに掲げた書籍が昨今、沢山出てきていますが、その多くが郷愁を誘うもの、経済活動や地域振興であったり、自然をテーマにした作品であったかと思います。

そんな中でも異色の一冊、歴史専門書籍出版社が手掛ける「里山本」は、ちょっと違ったアプローチで里山の本質に迫ろうとしています。

里山の成立今月の読本は「里山の成立」(水野章二 吉川弘文館)です。

著者は滋賀県立大学の教授で、中世の荘園、村落研究では極めて有名な、琵琶湖の畔にある菅浦をテーマにした研究をされている方です。先進地域でもある畿内の荘園研究スペシャリストが手掛ける里山本。本書はその殆どを近江、伊賀、山城、紀伊を中心とした畿内における荘園の成立から進展、隣接する荘園同士の競合に至る経緯を示しながら、荘園の付属地としての里山の成立を俯瞰していきます。

主に平安遺文、鎌倉遺文に掲載された事例から引用していく荘園同士、更には権門、神域を含む寺社地との競合の物語。その中で、著者はそもそも里山の重要なアイコンである後山や棚田が実際にはこれらの競合によって成長していった物であることを明確に示していきます。

里山の名称。その起源は、里山という名称に呼応する、林業地としての杣や中央政府(国府)が資源として預かる、公有地、無主の地が含まれる後山。そして人跡僅かで修行者たちが行き交うような神域とも見做されれる奥山との対比から生まれた事を史料から見出していきます。その言葉の成立を逆手に取れば、旧来から開発の進んでいた荘園内の水田、畑に対する次の拡張過程、更には収穫を維持する為に大量に必要となる水源、秣や草肥の獲得場所として、徐々に山裾へと開発の手が伸びていった結果、その場所を示す用語として発祥したと見做してきます。つまり、日本の原風景や自然景観といったファンタジックな表現とは全く逆の、農村開発の最前線に立つ地勢を表す用語であった事を示していきます。

そして、里山という言葉の成立とほぼ同じくして、現在に続く中世の村落形成が進行していったことを史料、そして発掘成果から見出していきます。古く班田収授まで遡って土地の利用法を検証した結果、荘園化による周囲の無主の地、未開発地、榜示で示される地を越えた山林への荘園の拡張、隣接する荘園との競合を続けながら、中世村落という現在に繋がる農村集落の形成に至った事を示していきます。居住跡が随時変遷してく王朝国家時代から、鎌倉期、そして室町期に至ると、居住跡の遺跡が減少する点を評し、村落の領域が固まっていく事で現在の集落と整合していく(現在の集落と同じ場所に集積されるため、遺跡とならない)と考察していきます。

更には、本来は荘園としての領域ではなかった牧、杣の地も荘園の開発の進展、更には山林伐採による木材供給地としての役割を終えた事で、荘園の付属地、即ち里山として農地の一部に組み込まれていった事を史料、そしてこの種の史料を重視した歴史関係書籍では異例ともいえる、遺跡から発掘される花粉の分析結果等から示していきます。

史料だけではなく、自然科学的な研究成果に基づく結果との整合にも配慮した荘園研究の結果としての里山の発祥と成立。そこには、著者があとがきで述べる、他分野の研究者との協業に於いて、人文系の研究成果がどうしてもおざなりにされたり、逆に史学が自然科学の研究成果を顧みないという歯がゆさを、少しでも改善したいという想いが込められています。

そのようなアプローチに立って述べられる、里山の開発とその景観の定義には興味深い考察も述べられていきます。所謂黒ボク土、日本の土壌を代表する草木類が炭化したことにより生成されると考えられている土壌ですが、これらの土壌の分布や利用方法を以て、日本各地に広大な草原が広がっていたとする、自然科学的な見解に異論を唱えていきます。縄文時代から継続的に草原として利用していたとの見解についても、縄文期当時の許容されるべき人口は僅かに20万人強であることから、これほどの広大な草原を維持する事は不可能であったと見做し、更に時代が下がって牧として用いられていた時代でも、全面的に草原が広がるのは例外的であり、残存している絵図や絵巻などを用いて、農閑期には田畑を用いて、それ以外の時期でも林間の下草を用いた放牧が為されていた程度であると見做していきます(この部分に関して、著述が牛耕中心の西国をベースにしており、軍馬や農耕馬は議論していない点に注意)。

また、森林伐採による水害の発生についても、禿山の表記が遡ったとしても鎌倉、南北朝から現れている点を指摘した上で、中世の水害や飢饉に対し、山林の過剰な開発が直接的に結び付く訳ではなく、最近述べられるようになってきた近世の山林における過剰な開発による禿山の発生に関しても、木材需要に応えるための山林開発よりむしろ(例示が無いのが残念ながら)照明用の松根油採取による、切り株まで根こそぎ掘り尽くしたことによる治山としての保水力の喪失が原因であると述べている点は、いち早く商品経済に包摂される事となる畿内の先進地における農村の一側面として、興味深い着目点です。

人と自然と交わり合う地としての里山ではなく、農村の開発における最先端地としての里山。それ故に、周辺村落との間では、近世まで続く利権関係の紛争や時には命懸けの闘争を伴う競合を常に強いられ、厳しい環境の中、乏しい資源の開発を迫られた里山の維持管理には村落を挙げて取り組まなければならなかったことを史料から導き出していきます。多くの皆様が里山に持たれる情景、里山云々主義のベースとなる持続可能な小さな経済活動への想いや地域共同体への依拠も、歴史的に見れば、開発の厳しさの裏返しとして出来上がってきたことを明快に示していくれる本書。時に、経済面や自然科学によるアプローチを飛び越えて、史学にその考察を委ねてみる事の大切さを示す好例の一冊として。

里山の風景

黄金色の景色2

里山の成立と類書<おまけ>

本ページで掲載している、本書の類似のテーマの書籍のご紹介を。

今月の読本「恋する武士 闘う貴族」(関幸彦 山川出版社)歌と人物から描く歴史の側面と、交錯する三つの筆致

今月の読本「恋する武士 闘う貴族」(関幸彦 山川出版社)歌と人物から描く歴史の側面と、交錯する三つの筆致

読み終わるまでに長い時間が掛かった一冊。

約400頁と少しボリュームがある事が最大の理由ですが、その微妙な読後感は著者があとがきで述べているように、一度はこのテーマで執筆した原稿をご破算にしている事からも、テーマ設定と、筆運びの難しさが垣間見えてきます。

今月の読本は、非常に微妙な一冊のご紹介です。

恋する武士 闘う貴族恋する武士 闘う貴族」(関幸彦 山川出版社)です。

著者である関幸彦氏は同時代に関する、数多くの著者を有していらっしゃることで知られています。

文中で物書きではないのでと語られていますが、所謂物書きの方々より余程多くの一般向けに書かれた自著を物にしていらっしゃいますし、中には同じ版元から出された「鎌倉殿誕生」のような、かなりの変化球(編集者と語りながら話を進めていくというスタイル)の一冊もあったりします。

そのような著者の新著にしても、初版にも拘わらず帯に「話題作」とややフライング気味なアピールを入れる版元さんの力の入れ具合にはちょっと驚いてしまいましたが(予約が好調だったのでしょうか)、実際に読んでみると、これは少々苦しいなあという感想でした。

表題が雄弁に物語るように、そして平敦盛を表紙の写真として掲げている点からも、本書が語ろうとしているテーマは明快です。前半は「恋する武士」、後半は「闘う貴族」と題して、平安末期から南北朝にかけての、従来捉えられてきた画一的なイメージとは異なる、個々の人物像に触れながら、それらの概念を取り外していこうという、明確な意図に基づいて描いていきます。

前後編を通じて(1,2部と振られています)多数の登場人物が出て来ますが、いずれも同じような紹介(出自、系図上の繋がり)、そして2つのテーマとの関わり合いが述べられていきます。武士の節では身分違いや立ち居振る舞いの粗忽さを滑稽に、多少の揶揄を含めて、貴族の章では闘いの敗者(これは、戦闘という意味だけではなく、闘争や暗闘も含む)への憐れみと気概を持ち上げる筆致を加えながらの人物評が述べられており、これだけでも一般読者向けの読み物としては充分に楽しめる内容になっています。あまり取り上げられない人物についても、少し深堀しながら、その人物の歴史的な立ち位置や背景についても織り込んでいく著者の筆致には、手慣れたものがあります(中には、長峯諸近、淡河時治といった珍しい人物や、闘う門流の中関白家といった、面白い切り口も)。

そして、本書を貫く大きな軸として「歌( 和歌)」が挙げられます。上流階級にとって社交上の潤滑剤であり、センスと学識が試される場。更には出世や人生をも左右する事となった和歌を通じた登場人物たちの物語も多く語られていきます。和歌によって教養の高さをアピールし、更には想いを伝えたり、恋心を成就させようとする武士たち。一方、和歌の力によって家運を高め地位を得、時には兄弟同士の熾烈な遺産争奪、家名の継承合戦をも繰り広げる公家たち。どちらにしても、当時の人々にとって趣味や教養を越えた、欠かせない(時には命がけの)コミュニケーションツールであった事を示していきます。

その一方で、読んでいて少々引っかかる点が、人物物語の集積だけでは良しとしなかったのでしょうか、かなりの部分が一般的な概説書と共有する内容で占められる点です。しかもその織り込み方が、コラムという形ではなく、本文中の端々に、時にぶつ切りのように人物の物語からいきなり導入し、人物の話の完結を観ないまま、次の節へと移ってしまうような構成が散見されるため、テンポが悪く、通読性もかなり悪化しています。著者はあとがきで「y切片」が高めと評し、媚びる事はしたくなかったと述べていますが、むしろその想いとは裏腹に、この程度の付帯する著述は必要であろうという著述(水割り風味を避けると)が、逆に大事なテーマである概念への偏向を見直すという、本書の立ち位置を見えにくくしているかのようです。

人物史には徹しきれず、かといって人物、そして武家と公家というテーマごとに時代背景が分散されているため、余りにも内容が分断化されており、通読するのが苦しい点は否めません(読み終わるまでにかなりの時間を要したもう一つの理由です)。従って、本書の読者層をどの辺りに想定したのかによって評価が大きく分かれそうです。

そしてもう一つの着目点、著者が他の著作でも度々述べている「研究者の歴史認識」に関する著述が本書でも散見されます。前半の恋する武士では丁度真ん中あたりで、東国国家論と権門体制論の話を持ち出してきますし、巻末では南朝功臣、特に北畠親房の北関東における浸透戦略、両日野氏に対する称揚と鎌倉における明治以降の顕彰、そして江戸中期の安積澹泊の大日本史賛藪からの引用の記述に少なからぬページを割いていきます。そこには、明治以降に成立した皇国史観に至る氏の歴史的展開への傍証が滲み出ています。

豊富な登場人物と平板にならない興味深い内容が手慣れた筆致で描かれる。しかしながら、読み手のイメージが今一歩見えてこない本書を読んでいると、著作の難しさを改めて感じるところです。

<おまけ>

恋する武士 闘う貴族と類書本書に関連する書籍を本ページからご紹介。

今月の読本「新田一族の中世」(田中大喜 吉川弘文館)地域史と時代史が交差する、武家の棟梁へと昇華した義国流清和源氏たちを歴史物語から汲み取って

今月の読本「新田一族の中世」(田中大喜 吉川弘文館)地域史と時代史が交差する、武家の棟梁へと昇華した義国流清和源氏たちを歴史物語から汲み取って

やはり8月は夏休みがあるためでしょうか、面白そうな新刊が各社から続々と登場。ついつい買い込んでしまった本達を読んであげる時間を確保するのも苦しくなる(そしてお財布も)月末を迎えています。

それでもお天気が悪い日々が続くので、多少読む時間を注ぎ込めるうちに読み切った、なかなかに楽しい一冊をご紹介です。

今月の読本、いつも楽しみにしている吉川弘文館さんの歴史文化ライブラリー新刊より「新田一族の中世」(田中大喜)のご紹介です。

新田一族の中世この表題をご覧になって、おやっと思われた方もいらっしゃるかもしれません。

シリーズを追われている方、中世史にご興味のある方なら、最近刊行された一冊に「三浦一族の中世」(高橋秀樹)という、同じような時代背景で、同じようなテーマーを掲げた一冊があった事に気が付くかと思います。続けて出された版元さんの意図は判りかねますし、一見すると一族を入れ替えただけで似たような内容で綴られているようにも思えますが、さにあらず。同じ東国の名門武家を扱っていますが、前書と対照的と言っていいほどの違いを見せています。そして、その叙述の違いが歴史研究者としての著者のスタンスと、本書の特徴を更に際立させます。

「三浦一族の中世」は通史あっての個別史であるという著者の強い想いに従って、在地での活躍、鎌倉幕府での位置づけの著述を差し置いてでも、京を中心にした鎌倉前期、中期における三浦一族の活動を通史の一端として描くことに注力していきます。一方、本書は新田一族に拘らない著述という点では前述の書籍と同じなのですが、通史(この場合は、太平記等のその時代を代表する歴史著述)自体が、描かれた歴史物語、すなわちこれらの著述には必ず著述者の描かんとする意図が含まれているという大前提に基づき、その描かれた著述(歴史物語)から一族の歴史の実像を読み解いていこうとします。

新田一族の中世と三浦一族の中世大きな歴史物語の流れの中に添えられる、個別の歴史というアプローチと、大きな歴史物語を動かす駆動力としての、個別の歴史をその中から読み下していこうとう、正反対のアプローチの違いをまずは読み比べてみると面白いかもしれません。

大きな歴史の流れの中から個別の歴史を読み解いていく本書。そのためには、正確にその交差するポイントを拾い込んでいく下地が必要となります。本書では、大きな歴史物語と繋ぐこととなる新田一族の在地での活動についても、多くのページを割いて検証していきます。

義国流清和源氏の在地への定着と名字の地への分派、繁栄を描く前半。そこには以前ご紹介した「動乱の東国史2・東国武士団と鎌倉幕府」で惜しくも欠落していた、北関東における武士の交流や、浅間山の噴火と復興に重ねた開発の様子が丁寧に描かれていきます。地域史の中で活動する義国流源氏の一門と、より早く在地化した在地領主との血縁や寄進、私領の荘園化。京との関わり合いを描きながら、どのような形でそれが在地に定着していったのかを、新田荘をはじめ、北関東に多く残る史跡、そしてこの手の本では珍しい、中世の発掘成果を解説しつつ(用水と荘園開発に関わる資本、技術としての京との関係性を指摘する点は注目)、当時の状況を俯瞰していく筆致は、文献資料に飽き足らない、著者の旺盛な研究心が伺えます。

旧東山道と鎌倉から越後に通ずる要路を扼する新田荘界隈。そして、石材の産出地を押さえていた事による豊富な財力を誇ったとする義国流清和源氏一門。なぜ新田本宗家(著者は他の一門と識別する為にこの表現を用います)だけが、鎌倉中期の歴史の中からすっぽりと抜けてしまったのか、その理由をいち早く頼朝、そして鎌倉幕府、北条家の傘下に入った事により御家人筆頭の地位を着実に固めつつあった足利本宗家に対して、新田本宗家の方は頼朝への帰参が遅れた事が最後まで響き、武家の名門として敬意は払われつつも、任官もままならず、地位的には一御家人に留まった点から検証していきます。そこには、新田一門内でも、より早く足利本宗家との関係を重視した山名、そして足利本宗家の後押しにより受領の地位を得た世良田家との確執の末に自由出家という、自ら没落へのトリガーを引いてしまった、悲しい本宗家のあり方を指摘していきます(この自由出家という言葉、足利家でもその後出て来ますし、尊氏については、それこそ事あるごとに出家すると言い出す訳ですから、義国流清和源氏のお家芸かもしれません)。

新田一族の中世関連書籍1

世良田、岩松両一門をして、総領としての地位を語られるほどに没落していた新田本宗家。著者の指摘では足利一門として庇護される地位にまで没落してたとされる新田義貞の代(それでも長楽寺への寄進所領の多さから、社会的地位は没落していたが、財政的に零落していたとの判断は早計だと指摘しています、そして本宗家としての求心力回復に努めていたとも)。なぜそのような義貞が表舞台に立つことが出来たのでしょうか。

本書の描くもう一つのテーマ、それは清和源氏嫡流としての新田家の復活に繋がる理由を追う事。その前段階として、元寇による危機を打破する為に北条家によって起こされた、宮将軍の一時的な源氏将軍化による、御家人への求心力回復活動があるとします。源氏将軍に奉仕する清和源氏筆頭としての足利本宗家の地位を北条家が認めた事で、図らずも足利家の地位が向上、それは源氏将軍、そして宮将軍の次の地位を担える立場は北条家ではなく、清和源氏の一門である事が自明となった点に帰着するとの認識を示していきます。

この著者の認識に従って鎌倉幕府滅亡、そしてその後の混乱への経緯を紐解いていくと、面白い結果に結びつくことになります。北条家の戦費取り立てにあい、やむを得ず挙兵に至ったと述べられる義貞挙兵の理由も、清和源氏筆頭で総領でもある尊氏の(当時は高氏)指示による、足利一門を賭しての決起。既に官職を帯び、三河を拠点に、西国を押さえに掛かる足利本宗家の尊氏に対して、無位無官ながら、同じく本宗家としての伝統を有し、敬意を払われていた新田氏の当主として、北関東に広く一族のネットワークを有する源氏一門、御家人を束ねる役割を担わされた新田本宗家の義貞。鎌倉陥落とという、見事にその役割を果たした義貞の力量もあって、急速に御家人たちに対する求心力を高めていったと指摘します。その根底にあるのが、清和源氏こそが武門の棟梁を占めるという、前述の伝説の再生成であったと見做していきます。

そして、建武新政後のわずかな期間で後醍醐と決裂する尊氏と、それを追討する義貞。ここで著者は、足利一門扱いに過ぎなかった新田氏が歴史の表舞台に引き出された理由を、太平記成立の過程から読み解いていこうとします。お互いに協調はすれども反目する理由がなかった尊氏と、義貞。後醍醐に反旗を翻したことで朝敵となった尊氏に対して、追討する義貞を花園院の院宣によって同じように朝敵に擬したことで、朝敵同士の争い、即ち足利一門同士の私戦から公戦へとの転換があったことを認めていきます。公戦の形式を整えるためのスケープゴートとしての朝敵、新田義貞。そのイメージはその後に語られる忠臣、新田義貞のイメージとは大きくかけ離れていますが、尊氏、そして室町幕府の正当性を語る太平記の著者にとっては必要だった手段。実際に湊川での敗戦後、それまでの君意を汲み取って徹底抗戦を唱える義貞は逆に後醍醐に遠ざけられる一方、恒良親王を伴って北陸へ落ちていきます。著者はその行動に対して、旧来からある賊軍とされないための配慮ではなく、「忠臣」である事を辞めと表現し、後醍醐と決別して、次の玉を握った上で抗戦を続けたと提起していきます。

表面的には公戦を唄いながら、実際には足利一門の闘争に終始する清和源氏の両宗家。建武新政とその後の混乱の中で位階を引き上げていく尊氏と、鎌倉陥落と、その後の尊氏追討の功績によって急速に位階を挙げていく義貞。戦乱の中、二人の源氏が戦いあう事で清和源氏の地位はどんどん上昇し、それに伴う自らの動員力の源泉、軍勢催促や見返りとしての軍忠状発行、そして安堵や仕置きといった権限を集積していきます。

戦いの中で積み上げられていった、両宗家の軍事的な地位と付随する権能。その行き着く結果としての尊氏の将軍就任。その流れは、主従制を規範として棟梁を仰ぎつつ結集を図るという、武家社会特有の結集核、求心力の成長の筋道そのものを観る様な思いを持たせます。そして、残された多くの史料が、その流れに連なろうとする御家人、武士にとって、繋がりに結びつくことを如何に重視していたかを改めて示していきます。歴史物語の中で描かれる新田一族の浮沈と、結集核としての棟梁の資格。結果的に新田本宗家は滅亡の道を歩むわけですが、その中で培ってきた物語、伝説は長く生き残り、その後の徳川江戸幕府成立の歴史的継承、義国流清和源氏、新田一族世良田氏という筋書きを再び蘇らせる下地になることになります。

大きな物語の中に組み込まれた一族の活躍を語り起こしていくことで、大きな物語の駆動力の源泉を解き明かしていこうという本書。巻末にあるように、それは単に一族の歴史を読み解く事だけではなく、物語として描かれる時代背景を改めて見直して、その中に織り込まれた想いを読み解き直す事を繰り返すことで、導き出されていくのかもしれません。

<おまけ>

本ページでご紹介している、本書に関連する書籍を。

新田一族の中世関連書籍2

今月の読本「源頼政と木曽義仲」(永井晋 中公新書)日本で一番頼政を執筆した著者による、八条院人脈を軸に語るもう一つの平家物語を

今月の読本「源頼政と木曽義仲」(永井晋 中公新書)日本で一番頼政を執筆した著者による、八条院人脈を軸に語るもう一つの平家物語を

近年続々と刊行される日本史、中世史を扱った書籍たち。

歴史書籍を得意としている版元から刊行される作品を追いかけるだけでも、結構大変(時間はもちろん、お財布を含めて…)なのですが、新書や文庫からもどんどんと新刊が送り込まれてくるので、どれから読もうか困ってしまう時も珍しくはありません。

そんな選ぶのに困るぐらいの今月刊行された日本史関係を扱った新刊で、全くのノーマークだった、珍しい組み合わせの主人公を扱った一冊をご紹介です。

源頼政と木曽義仲源頼政と木曽義仲」(永井晋 中公新書)です。

著者は長く県立金沢文庫に所属されていた、中世史の研究者。金沢文庫に関係の深い、鎌倉北条氏に関する多数の著作を書かれています。そのような著者が今回手掛けるのは、鎌倉幕府成立の前駆となる源平合戦(本書では、一般的に親しみやすい、こちらの用語を一貫して用いています)。そして、前半のメインに扱うのは同じ源氏でも最もメジャーな河内源氏ではなく、敢えて摂津源氏、歌人で大内守護でも知られる源頼政を据えています。更に物語後半、源頼政が敗死した後を引き継いで描かれるのは、河内源氏でも敗者の立場となる木曽義仲。

この二人に何の繋がりがあるのか、お判りになる方であれば納得かと思いますが、その繋がりの要に存在するのが、二条天皇の系譜を継ぐ八条院とその家族、近臣たち。そして、この物語を生み出す駆動力となる以仁王の存在。

本書は近衛天皇の崩御から木曽義仲の敗死までという、この種の本としては珍しい時間軸で、その間に活躍する二人の主人公の動きを描いていきますが、両者の直接的な関わりが描かれる訳ではありません。また、両者の人物史を描くようにも見えますが、どちらかというと、平家物語(ないしは時代史)の流れの中で彼らを描いていきます。

日本で一番、源頼政の著作を手掛けたとあとがきで語り、ゲームの駒を動かすようにと述べられるほどに、著者にとって手慣れたテーマを描く本書。その筆致は研究者の方が書かれた一般向け書籍としては、ちょっと拍子抜けした感じすら受けます。文中に際立った議論のポイントを設けず、深堀する訳でもスルーする訳でもなく、漏れなく淡々と描かれる時代背景、権力闘争のエスケープゾーンとしての八条院に集う人々とその要点を述べる著述。大内守護として、そして武家源氏、平氏並立の要求に応える頼政の立ち位置への言及。そこには、自らの研究成果を全面に打ち立てたり、他の研究者の見解に対しての反論を明確に述べる事もない、拘った展開すら持ち込む事もなく、読み物に徹した淡泊とも思える筆致に終始します。

平家や王家(鳥羽、崇徳、後白河)、そして河内源氏を中核に描く平家物語を解説した類書とは一線を画す、微熱な筆致で描かれる、八条院に集う人々を軸に描く、もう一つの平家物語。そこには、平家物語を読み本系と語り本系に分けて著述を比較したり、登場人物たちの心象から物語を描こうとする、歴史研究家の方が書かれる書籍とは少し違った、文芸作品を思わせる雰囲気すら感じさせます。

著者のその想いが色濃く感じられるのが、前半の主人公である源頼政の蜂起の理由と、そこに至った想いを綴る段。唯一、他の研究者の見解に直接言及する、以仁王の挙兵理由自体が、誰にとっても挙兵、討伐する理由がなく、単に八条院周囲に皇統として担ぎ出される事だけを排除する意図しかなかったとみなしながらも、結果的に流れによって(この辺りの解釈は殆ど文学的)蜂起に与した、従三位という空前の位階を得ながら、大内守護という、武人として二流の立ち位置であった、源頼政の空しさへの想いを切々と述べていきます。

その著述には、当時の摂津源氏が河内源氏より圧倒的な勢力を有していた事(頼朝が流されていた伊豆国自体、彼の知行国)を示す一方、どんな煌びやかな立ち位置にあっても、滅びの時がやって来るという、平家物語自体が描く、無常感を漂わせていきます。

その想いが更に強まって来るのが、木曽義仲を描く後半。平治の乱によって瓦解した各地の源氏勢力を掻き集めながら上洛を果たした義仲の勢力。類書にある様な、一方的に田舎者の烏合の衆と蔑むのではなく、中核は少数の勢力ながら良く錬られて、主従の固い絆で結ばれた東国武将たちという、ちょっと古めのステレオタイプで描いていきます。義仲自身も、京に上った後は田舎者であることを逆手に取った立ち回りを演じられるほど知略に優れていた事を紹介する一方、玉であった北陸宮一行を一緒に連れずに入京し、処世術に長けた後白河の近臣たち(ここで後白河を評して、彼らのような政治向きの近臣は簡単に切り捨てるが、財務等を預かる官吏たちを大事にした事から、信西と同じく強い国家観を有していたと指摘します)と渡り合える近臣が決定的に不足していた事を明確に評していきます(そのような弱点を、いいように行家に弄ばれることになるのですが)。

京に入ってから孤立感を深める義仲とその郎党たち。その最後は、源頼政が以仁王に仕掛けられた運命に巻き込まれる形で自ら滅亡の道に突き進んでしまったように、頼朝と後白河によって仕掛けられた窮鼠と化す命運に呑みこまれるように滅亡の道を突き進んでいく事になります。最後の最後まで力戦を続ける義仲主従。平家物語の描写を借りながら滅びの美学とまで述べるその筆致には、時に歴史小説を思わせる語りが添えられていきます。そして、後継者に次々と先立たれる八条院と、大姫の悲劇に繋がる終章に描かれる、所縁の者たちのその後の物語も、頼政の段と同様に無常観を強く感じさせる結末を綴っていきます。

極めて読みやすい手慣れた筆致で描かれる、歴史物語として綴られた八条院という第三局を軸にした新たな視点による平家物語。そこには、平家物語に通底する想いそのままに、著者の歴史に対する儚い想いが淡く映し出されているかのようです。

<おまけ>

本ページより、関連する書籍のご紹介。

源頼政と木曽義仲と類書たち