今月の読本「源頼朝 武家政治の創始者」(元木泰雄 中公新書)新恩から官位へ、武家政権成立の鍵を示す通史とある違和感

今月の読本「源頼朝 武家政治の創始者」(元木泰雄 中公新書)新恩から官位へ、武家政権成立の鍵を示す通史とある違和感

歴史研究者の方々が著述される一般向けの歴史概説書がブームになって久しいですが、その著者の多くは私の年代の前後に近い方や、より若い方になるでしょうか。

ある意味、研究職としての文系の存在意義を常に社会から問われ続ける中で研究を続けられ、成果の一端を世間に問うという形で執筆を続けられている方々。その内容は、時に過去の研究史や史観に強い違和感を述べ、通説を生む元となる、現行の歴史教育や教科書の内容に対して強く是正を求める指摘が散見されるようです。

中世後半から戦国時代をテーマに扱った書籍から始まったこれらのブーム。最近ではより時代を遡って南北朝や鎌倉時代、更には古代史へと広がりを見せていますが、その中でぽっかりと穴の開いているのが平安時代中盤から鎌倉開府まで。

今回ご紹介するのは、西の筆頭に位置する大学で長く教鞭を執られ、ブームの遥か前から当該する時代の歴史に関する数々の一般書を著述されてきた研究者の方が、敢えてこのタイミングで渦中に投じた一冊をご紹介します。

今回は「源頼朝 武家政治の創始者」(元木泰雄 中公新書)のご紹介です。

著者の元木泰雄先生は京都大学で中世史の研究を長年に渡って続けられてきた方。中世史の大家でもある上横手雅敬氏の直系に位置する研究者の方で、前述のように数々の一般向けの書籍も上梓されています。

今回の一冊も2011年に同新書から刊行された「河内源氏」の続編として企画されたもの。その筆致も、京側の視点で通史としての軍事貴族である河内源氏の推移を述べる前著を継承したものですが、冒頭から巻末まで在る点をしきりに気にされた著述がなされていきます。

それは、近年の研究に於いて所謂東西対立的な視点、公家と武家の二項対立的な歴史感が再び強まっている(特に武家側に偏った認識)という危機感と、前提となる同時代の研究で用いられる代表的な史料群の読みこなし方に対する強い疑念。本文中の各所で具体的な指摘を伴ったこれらの懸念に対する強い憤りを述べながら綴られていきます。

直近で数多く刊行される書籍たちの著者と比較して、恵まれた研究環境と豊富な実績を積まれた研究者の方らしい、比較的穏当な筆致で綴られる事を予想しているとある意味大きく裏切られる、時に憮然とした態度を隠さず、流人の奇跡と称し、一般的に頼朝の評価は芳しくない(???)と述べ、武家政権のその後にややもすれば暗澹さすら漂わせる著者の筆致。

前述の著者の懸念を自ら払拭せんと綴る内容は頼朝の生誕から没後の源氏将軍滅亡までの時間軸で描かれますが、本書では二つの視点を重視しているようです。著者のこれまでの書籍のスタンス同様、人物史であってもどちらかといえば通史的、更には当時の院や権門を核にした京側の視点で描かれますが、前著である「源頼義」(人物叢書 吉川弘文館)同様に、東国武士たちの動き、特に京の権門と在地の武士たちの結び付きを補強する為に野口実先生の研究成果を大幅に取り入れて描いていきます。その結果、彼ら東国武士が権門と鋭く対峙する関係であったり一方的な権門に従属する関係にあった訳ではなく、在地領主と権門やその家人との相互依存関係の中で推移していた事を示していきます。

更に、東国における河内源氏の地盤自体が、摂関家、更には武蔵国守であった信頼との関係の上で構築された物であり、前九年、後三年の役から繋がる累代の家人というのは、その後の奥州合戦の際に演出されたイメージを各家が引き継いだものである点を、石井進氏や川合康氏の見解を逆用して指摘します。

では父祖の地である河内から遠く離れた流刑の身で累代の家人など殆ど存在しえなかった頼朝が何故武門を掌握し、戦いを勝ち残れたのか。平家との軋轢を生じた東国武士たちの受け皿と言う一般的に述べられる視点から、著者は更に一歩踏み込んだ姿を示します。

京側の視点を軸に置かれる研究者としては珍しい、東国(この場合、常陸や陸奥、北陸道、箱根以西は含めない、主に南関東)に独自の施政権を確立した上で、受領や目代が任命されず、空白地帯となったかの地に於いて、新恩としての地頭の任免を自らが主宰したことによって、京の権門の意向を取次、代弁するのではなく、独自に武家を統制する術を手に入れた点に着目します。

即ち、寿永三年十月の宣旨こそが、受領への補任を経ない異例の「地域政権」として公認されたとして、武家政権へ至る起点で有る事を敢えて指摘します。著者が以前に提示した平清盛に対する高い評価に訂正を加える、遥か遠方に位置する東国の、更に僅かな南関東に過ぎないが、実力で権力の分立を果たした頼朝による東国武士たちの掌握過程を再評価します。

累代の家人と狩り武者と言う二段階徴用を採る平家に対して、内部分裂を抱えある意味恩賞で釣る形でしか纏まる術を持たない頼朝と東国武士たち。それ故に、少ない一族閨閥をある時点まで極めて大事に扱う一方、御家人たちに新恩を与え続けなければならない、全盛期の秀吉にもみられた一門という姿の生成と、戦い続ける相手を探し続けなければ解体の危機に瀕してしまう、武門の危うさも滲ませていきます。

戦い続ける理由(ここで王権を支える唯一の武力という言葉が出てきますが)を求めて列島を西へ、北へと転戦を続ける頼朝と武士たち。前述のように頼朝と弟達はこの時点では決裂する関係にもなく、頼朝の指揮の下でそれぞれの当初の目的(情報伝達の遅れによる齟齬はあるにせよ)に従って軍を進めていた事になり、特に屋島の戦いについて義経が突出した軍功を目指して抜け駆けしたわけではないと指摘します(ここで、ある見解について著者はかなり強い否定を述べています)。

結果としてより大きな軍功を得ることになった義経が御家人から嫉妬の対象となった点は否定できないようですが、彼が貶められたのは従来述べられる無断任官(この事自体、誤認であり頼朝も同意の上であったとし、黙認できなかったのは在京が求められる院御厩司に後白河が任じた事であると)とは異なり、範頼同様に実の息子である頼家への脅威だったと見做していきます。この流れの中で、北条時政の京都への代官としての派遣を織り込む事で、頼朝が頼りにする相手が兄弟から、諸大夫ではなかったが伊豆に在住していた頃から京都との繋がりを有していた、自らの息子への継承という点で利害が一致する北条一門へと遷っていったことを印象付けていきます。

制止を振り切っての奥州合戦の後に後白河と漸くの対面を果たすことになった頼朝。ここでも著者は玉葉の著者でもある時の摂政、九条兼実と頼朝が盟友関係にあったとされる指摘に対して、その玉葉の読みこなし自体から指摘しつつ、否定的な見解を述べていきます。著者の指摘、それは平清盛同様に、頼朝も入内工作を進める事を前提に入京を果たしたと考えており、その中で競争関係を生じる兼実とは本質的に相容れない関係に入っていた事を指摘します。

著者が繰り返し読者の見識に懸念を抱く(???)頼朝の入内工作の狙い、それは御家人たちを掌握する唯一の手段である新恩が「王権を支える唯一の武力」となってしまった事で新たに与える余地が無くなった矛盾の相克。後の世まで武門を統制する二つの利権となる領地と官位の両輪を自らの統制下に置くための算段を打つ活動を、死去する直前まで進めていたと想定します。

その上で、前述の義経同様、京に在住することを求められる右大将ではなく、同じ位階であっても従軍中に帯びる官職である「大将軍」号の請求に至ったと逆説的に指摘します(実朝の時には既にこの制約が無くなっており、25歳で摂関家に準じて右大臣に昇ったのは至極当然だとも)。

結果として大姫、三幡と自らの死去によりこの目的は果たされる事が無かった訳ですが、関西系の研究者の方が書かれる著作に度々見受けられる「もしあの時」という想いが強く滲み出る筆致(本書の場合は敢えてと述べて書いてしまいますが)を繰り返し残して、その後の政子と京の関係までを描いて筆を置く本書。

鎌倉に武家政権が建ち上がったのは必然なのか偶然なのか(むしろ最近の風潮はこちら?)という議論に此処では立ち入らない事にしますが、これまでの著者の筆致を崩してまでも、読者に対しての不可思議なまでの懸念と、ある強い想いを要所で述べていく本書。

直近の著作である「源頼義」と互いにエールを送るように元木先生の成果を援用して綴る野口実先生の「源義家」(「河内源氏」は書庫の何処かに埋もれてしまい見つける事が出来ず…)の河内源氏人物シリーズと、同じ中公新書から直近で刊行された、もう一つの源氏たちの姿を平家物物語の読みこなしから文学的な視点も織り込んで綴る「源頼政と木曽義仲」も併せて。

「一般の」読者にとって、専門家の方々による様々な研究成果の一端とその見解を手軽に書籍として読ませて頂ける環境が未だに続いている事は、出版不況が長く叫ばれる中でむしろ喜ばしい事(よもや承久の乱が新書で2冊同時に出てくる時が来るとは…)。

様々な視点から歴史の推移を見つめる楽しさを与えてくれる著作たちに感謝を。

 

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今月の読本「宣教のヨーロッパ」(佐藤彰一 中公新書)二人の改革者の先に世界を周回したカトリックは日本から太平洋を越えて

今月の読本「宣教のヨーロッパ」(佐藤彰一 中公新書)二人の改革者の先に世界を周回したカトリックは日本から太平洋を越えて

昨年は宗教改革500年と言う事で、日本でもルターを始め中世キリスト教に関する多くの書籍が刊行されています。

日本人にとってはどうしても馴染みの薄いキリスト教世界とその歴史。今回ご紹介するのは、長くその研究を続けられ、日本にその姿を紹介され続けてきた研究者の方による一冊です。今回は「宣教のヨーロッパ」(佐藤彰一 中公新書)をご紹介します。

本作は、同じ著者の方による執筆で2014年から刊行が続けられている「ヨーロッパ」シリーズの最新作(次回作もあるらしいです)。これまでに以下の3冊が刊行されています。

今回の一冊も副題に[大航海時代のイエズス会と托鉢修道会]という副題が添えられており、シリーズに一貫した著者の専門分野である中世修道院の世界を軸に描いていくように見えますが、内容は少し異なります。

研究テーマ故かと思いますが、カトリックに対して強い思い入れがある事が明瞭に判る著者の筆致。しかしながら本書の前半はその教会を永遠に分かつことになってしまった、ルターからカルヴァン、そして英国国教会に至る宗教改革の推移を歴代の教皇や世俗の君主たちの動きと対比しながら綴る事に注力していきます。

此処で著者が指摘する点が、所謂贖宥状に対する義憤的な表現がなされる宗教改革の発端について、それ以上に各地の司教職を兼任し、その収益である膨大な聖職禄を運用する聖職者たちが金銭行為に携わる事の憤りと、兼職により教会で満足な礼拝も行われなくなったことによる、信仰心の希薄化と教会の本義である、信徒に対する霊的な救済がおざなりにされていく憂いである事を指摘します。

修道院の研究者である著者が明確に指摘するように、ルター自身も自省的な修道的生活に明け暮れた先で聖書に立ち返る事を見出した事は良く知られており、決して新たな宗派を求めていた訳ではない筈でした。しかしながら前述の聖職者たちの姿とモザイク模様であった神聖ローマ帝国、教皇権力との駆け引きの先に、本人の意思を越えて、その改革が広がっていく姿を、当時のヨーロッパ世界の複雑な政治状況を含めて丁寧に書き起こしていきます。

外から見るとキリスト教内部の世俗を巻き込んだ主導権争いにも見える一連の宗教改革の推移。しかしながらカトリックの視点で描いていく著者はもう一つの見方を示していきます。宗教改革によって進取の精神を持ったプロテスタントと旧態依然なカトリックと言う誤解しがちな視点を明確に否定するもう一つの改革。宗教改革期を含む18年にも渡り続いたトレント公会議がもたらした、ルターを始めとしたプロテスタントから投じられた疑問に対して明確な反論を示す、カトリック改革としての宗教的覚醒(聖職禄の問題を残しながらも)。それこそがキリスト教、カトリックが世界に羽ばたいていく起点となった事を示します。

そして、我々日本人にとってキリスト教(カトリック)と接触する発端にあったザビエルと彼も創設に携わったイエズス会。ここで著者はもう一人のキリスト教を改革した人物として、その創始者であるロヨラの出自をイエズス会の成立に添えて述べていきます。ユーラシア東方世界で大きな足跡を残したその布教と信仰はカトリックの本質を伝えているように思われますが、前述のルター以上にとても興味深い内容が示されていきます。

騎士を目指し、戦傷で右足が不自由になった後で巡礼者から求道の道に入ったロヨラ。ラテン語の教養不足を補うために学び続けることになるきっかけが、東方、聖地巡礼への強い想いからであったことを示していきます。そしてイエズス会の根幹を成す、彼の信仰の実践を認めた『霊操』。新書としては極めて珍しいかと思いますが、本書ではこの内容を丁寧に解説することで、一度はドミニコ会の異端審問にも掛けられ投獄もされたロヨラとその仲間たちが実践した特異な信仰の姿(ドクマティックとも)を示します。そこには彼が決別したはずの騎士としての残影が会則の根底にある「神の戦士」として活動する姿に映り込んでいるようです。

強い信仰心の先に異端と断じられてもその想いを綴り、実践し続けてきた二人の改革者が強く押し広げた、キリスト教信仰の復興と激しい論争の過程。その先に大航海時代を迎えたポルトガル、スペインの動きを重ねていきます。

十字軍の逼塞に対して期待された、モンゴルの西方進出とプレスター・ジョンの登場を願う想いを受けて送り出された、草原の道を経て東方へと向かった托鉢修道会の活動と挫折(ここで宣教師たちの人的資源の不足がその布教拡大の足枷となったという興味深い指摘も)。その後に登場することになる、喜望峰を越えてゴアに拠点を置いたポルトガルの貿易路に乗って東方へと向かった、托鉢修道会の後を追ったイエズス会とザビエル。

後半ではコロンブスに始まる新大陸の「発見」、両国の征服的な活動とその道筋を辿るカトリック伝教の様子を通史に添えて述べていきますが、終盤に掛けてはザビエルとその後に続いたイエズス会、托鉢修道会による日本布教の推移を綴る事に注力していきます。

貿易のルートに乗って陸上の拠点を築いた先に布教を拡大したインド、侵略と征服の後に進む事になる新大陸(特に中南米)と異なり、貿易と言う橋頭堡を持たないままに進む事になる日本における布教。その姿は為政者の貿易に対する熱量と入港する貿易船の推移によって常に揺れ動いていく事を示していきます。不安定な日本における宣教の成果を詳細に綴る中で、本書に通底する、シリーズの副題にも繰り返し用いられてきた禁欲と清貧という、著者が修道者に映し出す姿とは相反する、自ら生糸貿易に携わり膨大な利潤を挙げつつ、その利潤を以て布教活動を継続せざるを得なかった宣教師たちの姿と活動に、大きな疑問の念を滲ませていきます。

結果として、その後の禁教により日本におけるキリスト教の伝道は途絶え、僅かに潜伏キリシタン(カクレキリシタン)として姿を変えつつ信仰が伝えられていく事になりますが、著者は最後に二十六聖人の遺骸が運ばれ、その後に支倉常長が訪れた、メキシコ・シティでアステカの言葉で綴られた記録を引用して、カトリック、キリスト教が世界の周回を成就させたことを印象付けていきます。

宗教改革、大航海時代そして世界を廻るカトリックの伝教。密接に関わり合う三つのテーマを二人の修道者を軸に書き起こして新書として纏めるという稀有なアプローチを成す一冊。それぞれのテーマごとにやや離散的な部分もありますが、カトリック視点で描く大航海時代前後のヨーロッパ史、日本のカトリック伝教史としても興味深い一冊かと思います。

 

今月の読本「トラクターの世界史」(藤原辰史 中公新書)大地を駆る鉄馬に連環する3つの筆致と農への想いを乗せて

今月の読本「トラクターの世界史」(藤原辰史 中公新書)大地を駆る鉄馬に連環する3つの筆致と農への想いを乗せて

New!(2017.11.22):著者である藤原辰史さんへのインタビューが、中央公論社のサイト「著者に聞く」に掲載されています。本書にご興味のある方は、まずはご覧頂ければと思います。

題名からして惹かれる一冊、しかも著者は近現代の食と農に関する論考を近年積極的に発表されている気鋭の研究者とくれば、当然期待も高まります。積読溜まり気味の中ですが、細かい事は考えずにとにかく読むが先決と、発売直後に手に取った一冊(書店様、いつも入れて頂きありがとうございます)。

今回は「トラクターの世界史」(藤原辰史 中公新書)をご紹介します。

本州における機械化農業の先駆地でもあり、各施設でも大切に往年の車体たちが飾られる清里(晩秋のポール・ラッシュ祭にお越し頂ければ、現役の車両たちへの乗車体験もありますよ)、そして日本に於けるトラクターのスケールを遥かに凌駕する大陸的なビックサイズのトラクター(やはりジョン・ディアが多い!)がそれこそ国道を縦走する風景が日常に溢れる野辺山を目の前にする場所に住する身にとって、トラクターは特に身近な「道具」。そんな道具達の歴史が綴られる本書ですが、そこには著者のこれまでの著作との強い関連性が認められます。

本書の著者は、近代史において、日常の生活の中に見出される政治的な指向性を浮かび上がらせる事に成功した、快作の呼び名の高い「ナチスのキッチン」を著し、その後も戦前の旧大日本帝国におけるジャポニカ米の品種改良と植民地における農業政策を結びつけた「稲の大東亜共栄圏」、食に関する広範なテーマを扱ったエッセイ集「食べること考えること」と立て続けに上梓されています。

農学者ではなく、農業史を標榜する人文学系統に属する研究者ならではの筆致に惹かれる方は多くいらっしゃるかとおもいますが、本書に於いても「トラクター」を題材として、近代史における農業の変化する姿を、上記の3冊のエッセンスを存分に注ぎ込んで描いていきます。但し、あくまでも人文学的見地に立った議論であり、トラクター自体のメカニズムや機械化農業(農耕)効果に対する詳細な検討といった工学及び農学的な視点は余り言及されていない点には理解が必要です(この辺りの釈明は、ご自身の生い立ちを添えてあとがきに述べられています)。また、本書は世界史と題されていますが、扱われるテーマとその地域はかなり限定されます(多くのトラクターが活躍している感もある南半球は全く扱われません。北半球のトラクター史ですね)。更には、本書では著者の研究テーマに沿ったトラクター発祥、導入からの物語が描かれるため、それぞれの舞台によって明確に異なる筆致で綴られていきます。

当時の文学作品や風刺から見る、農家の生活とその中に進出してくるトラクターを農民たちがどのように受け止めていたかを描く事に注力する、発祥と発展の地、アメリカ。その強力な能力と引き換えに大きな投資と維持にコストが掛かる点を逆手にとって、小農や富農を集団営農へと転換させる起点、象徴としてのトラクターをプロパガンダ、更には実際の集団化に用いようとしていく反動の暗側面を描き出していく、旧ソビエト、そしてナチス・ドイツ。幻想の集団営農と強靭な東側のトラクターに魅せられる農業指導に渡ったアメリカ人の視線と、毛沢東の集団営農への想いと文革後に再び小農体制へと後退を綴る中国。そして、牧歌的に偉人伝と企業史としてのトラクター開発物語が語られる日本。

対応する国、地域、政治体制それぞれに呼応するように、これまでの著作の筆致そのままに当てはめられて描かれていくストーリー。それぞれは全く異なるストーリーにも見えますが、著者の筆致の魅力でもある、通読していくと一本のストーリーとして繋がっていく、連環する筆致が本書でも見出されていきます。本題でもあるトラクターの歴史、アメリカで勃興したトラクターを軸とした産業としての農業機械は、その系譜を受け継ぐ世界中の合従連衡の上に現在も発展している事に気が付かれるはずです。

発祥のアメリカを今も地盤として、農家と向き合い、改良を重ねて巨大化と多彩化の波を生き抜く、農業機械の巨人、緑のジョンディア(日本ではヤンマーが扱い)。巨大資本と自動車産業の効率的な製造手法を持ち込み、更には政治力で世界の市場を席巻したブルーのフォードとニューホランド、伝統と技術力を誇り、北米で確固たる地位を築く赤いIHにシルバーのランボルギーニの各社は、それぞれのブランドを維持したままオレンジのフィアット資本の下に国際企業として集約。プラウの三点支持を生み出したファーガソンシステムの祖、マッセィ・ファーガソンはAGCOへ(野辺山、川上界隈では最近この真紅のボディが目立ってきた。大型は井関にOEM供給も)。ディーゼルをリスペクトする、狭隘で硬く締まった圃場に特化した小さな歩行用トラクターから始まった日本のトラクターたちは、彼らと提携しつつも、その雄たるクボタは彼らの故郷の地、アメリカと多様な機種が展開されるヨーロッパを目指して巨大化の道へと歩み出し、世界の農業機械産業一角を占めるに至ります。発祥は違えども、大地を駆り耕すという同じ役割を与えられたトラクターたちは、時に戦車に、更には産業そのものが軍需に転用されながらも、地域を問わず世界中に展開していきます。

そして、著者のこれまでの作品とも通貫するテーマ。トラクター発明以前の農耕から語り始める冒頭から述べられる、農業と大地への想いがそれぞれのストーリーの中でも綴られていきます。

強力な耕耘力が生み出す深耕と、過大な重量が生じさせる土壌の破壊に対する憤り。巨大な力と引き換えに世界経済に巻き込まれる事になる燃料と大地へ化学肥料を与え続ける事への負担。人と大地を繋ぎとめ、地力を与える存在であった役畜(農耕馬・牛)への農民たちの想いと、トラクターに対する懐疑の眼差し、対比されるトラクター運転手へ憧れる若者の描写。そして、農業の産業化の象徴となったトラクターが生み出す、営農集団化の足取と挫折の物語に随伴する農業政策への眼差し、プロパガンダとしての女性が農業で活躍する舞台道具に設定されたトラクターというアイコンと現実の深いかい離。

トラクターという存在を少し離れて終章で一気に畳み掛けていく物語の先には、著者の想い、農業を基盤とした大地と人の繋がりの受け皿となる営農集団と、その鎹としての協業の象徴、トラクターというイメージへの飽くなき想いが情景として滲んでいるようです。

著者の想いとそのイメージは、既にダストボウルの先に消え去った幻影に過ぎないかもしれません。特に日本に於ける現代の農業の姿とは、なかなか相容れるものではないかもしれませんが、トラクターをテーマに、これまでの著作同様に、農業と大地との絆に対する深い想いを込めて描く一作。ちょっと薄味気味かもしれませんが、トラクター、農機具ファンの方にも歴史物語として楽しめる一冊かと思います。

今月の読本「源頼政と木曽義仲」(永井晋 中公新書)日本で一番頼政を執筆した著者による、八条院人脈を軸に語るもう一つの平家物語を

今月の読本「源頼政と木曽義仲」(永井晋 中公新書)日本で一番頼政を執筆した著者による、八条院人脈を軸に語るもう一つの平家物語を

近年続々と刊行される日本史、中世史を扱った書籍たち。

歴史書籍を得意としている版元から刊行される作品を追いかけるだけでも、結構大変(時間はもちろん、お財布を含めて…)なのですが、新書や文庫からもどんどんと新刊が送り込まれてくるので、どれから読もうか困ってしまう時も珍しくはありません。

そんな選ぶのに困るぐらいの今月刊行された日本史関係を扱った新刊で、全くのノーマークだった、珍しい組み合わせの主人公を扱った一冊をご紹介です。

源頼政と木曽義仲源頼政と木曽義仲」(永井晋 中公新書)です。

著者は長く県立金沢文庫に所属されていた、中世史の研究者。金沢文庫に関係の深い、鎌倉北条氏に関する多数の著作を書かれています。そのような著者が今回手掛けるのは、鎌倉幕府成立の前駆となる源平合戦(本書では、一般的に親しみやすい、こちらの用語を一貫して用いています)。そして、前半のメインに扱うのは同じ源氏でも最もメジャーな河内源氏ではなく、敢えて摂津源氏、歌人で大内守護でも知られる源頼政を据えています。更に物語後半、源頼政が敗死した後を引き継いで描かれるのは、河内源氏でも敗者の立場となる木曽義仲。

この二人に何の繋がりがあるのか、お判りになる方であれば納得かと思いますが、その繋がりの要に存在するのが、二条天皇の系譜を継ぐ八条院とその家族、近臣たち。そして、この物語を生み出す駆動力となる以仁王の存在。

本書は近衛天皇の崩御から木曽義仲の敗死までという、この種の本としては珍しい時間軸で、その間に活躍する二人の主人公の動きを描いていきますが、両者の直接的な関わりが描かれる訳ではありません。また、両者の人物史を描くようにも見えますが、どちらかというと、平家物語(ないしは時代史)の流れの中で彼らを描いていきます。

日本で一番、源頼政の著作を手掛けたとあとがきで語り、ゲームの駒を動かすようにと述べられるほどに、著者にとって手慣れたテーマを描く本書。その筆致は研究者の方が書かれた一般向け書籍としては、ちょっと拍子抜けした感じすら受けます。文中に際立った議論のポイントを設けず、深堀する訳でもスルーする訳でもなく、漏れなく淡々と描かれる時代背景、権力闘争のエスケープゾーンとしての八条院に集う人々とその要点を述べる著述。大内守護として、そして武家源氏、平氏並立の要求に応える頼政の立ち位置への言及。そこには、自らの研究成果を全面に打ち立てたり、他の研究者の見解に対しての反論を明確に述べる事もない、拘った展開すら持ち込む事もなく、読み物に徹した淡泊とも思える筆致に終始します。

平家や王家(鳥羽、崇徳、後白河)、そして河内源氏を中核に描く平家物語を解説した類書とは一線を画す、微熱な筆致で描かれる、八条院に集う人々を軸に描く、もう一つの平家物語。そこには、平家物語を読み本系と語り本系に分けて著述を比較したり、登場人物たちの心象から物語を描こうとする、歴史研究家の方が書かれる書籍とは少し違った、文芸作品を思わせる雰囲気すら感じさせます。

著者のその想いが色濃く感じられるのが、前半の主人公である源頼政の蜂起の理由と、そこに至った想いを綴る段。唯一、他の研究者の見解に直接言及する、以仁王の挙兵理由自体が、誰にとっても挙兵、討伐する理由がなく、単に八条院周囲に皇統として担ぎ出される事だけを排除する意図しかなかったとみなしながらも、結果的に流れによって(この辺りの解釈は殆ど文学的)蜂起に与した、従三位という空前の位階を得ながら、大内守護という、武人として二流の立ち位置であった、源頼政の空しさへの想いを切々と述べていきます。

その著述には、当時の摂津源氏が河内源氏より圧倒的な勢力を有していた事(頼朝が流されていた伊豆国自体、彼の知行国)を示す一方、どんな煌びやかな立ち位置にあっても、滅びの時がやって来るという、平家物語自体が描く、無常感を漂わせていきます。

その想いが更に強まって来るのが、木曽義仲を描く後半。平治の乱によって瓦解した各地の源氏勢力を掻き集めながら上洛を果たした義仲の勢力。類書にある様な、一方的に田舎者の烏合の衆と蔑むのではなく、中核は少数の勢力ながら良く錬られて、主従の固い絆で結ばれた東国武将たちという、ちょっと古めのステレオタイプで描いていきます。義仲自身も、京に上った後は田舎者であることを逆手に取った立ち回りを演じられるほど知略に優れていた事を紹介する一方、玉であった北陸宮一行を一緒に連れずに入京し、処世術に長けた後白河の近臣たち(ここで後白河を評して、彼らのような政治向きの近臣は簡単に切り捨てるが、財務等を預かる官吏たちを大事にした事から、信西と同じく強い国家観を有していたと指摘します)と渡り合える近臣が決定的に不足していた事を明確に評していきます(そのような弱点を、いいように行家に弄ばれることになるのですが)。

京に入ってから孤立感を深める義仲とその郎党たち。その最後は、源頼政が以仁王に仕掛けられた運命に巻き込まれる形で自ら滅亡の道に突き進んでしまったように、頼朝と後白河によって仕掛けられた窮鼠と化す命運に呑みこまれるように滅亡の道を突き進んでいく事になります。最後の最後まで力戦を続ける義仲主従。平家物語の描写を借りながら滅びの美学とまで述べるその筆致には、時に歴史小説を思わせる語りが添えられていきます。そして、後継者に次々と先立たれる八条院と、大姫の悲劇に繋がる終章に描かれる、所縁の者たちのその後の物語も、頼政の段と同様に無常観を強く感じさせる結末を綴っていきます。

極めて読みやすい手慣れた筆致で描かれる、歴史物語として綴られた八条院という第三局を軸にした新たな視点による平家物語。そこには、平家物語に通底する想いそのままに、著者の歴史に対する儚い想いが淡く映し出されているかのようです。

<おまけ>

本ページより、関連する書籍のご紹介。

源頼政と木曽義仲と類書たち

今月の読本「日本史の森をゆく」(東京大学史料編纂所編 中公新書)史料を紐解き歴史を描くプロが集うアンソロジーは思索の叢林へと誘う

今月の読本「日本史の森をゆく」(東京大学史料編纂所編 中公新書)史料を紐解き歴史を描くプロが集うアンソロジーは思索の叢林へと誘う

異色の一冊と言っていいでしょう。

白亜の巨塔の総本山。しかも、研究と併せて講義を行う事をもう一つの生業とする大学教員とは一線を画す、史料の研究こそを本職とするプロ集団が一堂に会して書き下ろす、歴史史料アンソロジー(このアンソロジーという表現。どうしても、某ビックサイトで行われるイベントに大量に出展される「薄い本」を思い起こしてしまうのですが…)。

しかも、42名もの執筆陣を束ねるのは、中公新書の編集グループではありません。

はじめの言葉は所長自らが筆を執り、「編集後記」と銘打たれた、あとがきに書かれる「新書」編集小委員会という命名からも、執筆陣、そして当組織の本書に対する本気度が伝わってきます。あまり表に出てくることはない。でも、あらゆる日本史研究分野の底辺を支える(時には、NHKの大河ドラマや歴史番組を支えていたりもしますが)、日本史専門の史料研究機関「東京大学史料編纂所」が放つ、本気のアンソロジーが手軽に読める新書が登場です。

日本史の森をゆく 「日本史の森をゆく」です。

何分、多数のテーマを扱っていますので、各研究者の方に与えられたページ数は10ページにも足りません。従って、内容自体をじっくり読むような体裁ではなく、気に入ったテーマをつまみ食いするような形で読まれることを想定しているようです。ただし、テーマ毎に区切られた範囲では、歴史の古い順に並べて掲載されていますので、テーマの中は通読される方が良いかと思います。各テーマの名づけ方も、例えば天皇の事跡を扱った章では「雲の上にも諸事ありき」などと、捻りを効かせており、編集グループのちょっとした拘りが伺えます。

各章のラインナップです。

  1. 文章を読む、ということ : 史料編纂にまつわる話題
  2. 海を越えて : 海外と日本との関わり合いを示す史料から
  3. 雲の上にも諸事ありき : 天皇、貴族の記録、日記から
  4. 武芸ばかりが道にはあらず : 武家政権が遺した史料より
  5. 村の声、街の声を聞く : さまざまな史料に見え隠れする民衆の姿を拾って

そして、はじめにで、現在の編纂所長である久留島典子氏が述べている言葉が、本書の目的、伝えたいことを雄弁に物語っています。

—引用ここから—

このようにして書いてくると、史料編纂は個性を殺した職人仕事のように理解されてしまうかもしれません。

<中略>

しかし、史料編纂は、それに携わる者が研究者としての多様な問題関心、個性を持つからこそ、高い水準を維持できるのだと断言できます。

—引用ここまで—

時に、歴史編纂作業、史料編纂作業は正確さを重んじ、事実をありのままに記録し、伝える事が求められる場合があるかと思います。中には、著者の私的な判断を一切排除することを求められることもあるかと思いますし、歴史研究の分野には、そのような著述者の思想や思考を取り上げて研究される(時には指弾される)方もいらっしゃるようです。

しかしながら、最も古典的な歴史編纂物である史記ですら、そこには著者であり、歴史編纂者でもあった司馬遷の思想や時代認識が色濃く反映されています。

歴史は著述者によって描かれるもの。その描かれた歴史を多方面の史料を読み込むことによって立体的に理解し、自らの知見を踏まえて、より妥当であるという解釈を添えていく行為を繰り返し続ける事そのものが、更に新たな歴史を描いていく事に繋がる。そのような作業を営々と続けていらっしゃる歴史研究者の方々の更に下地を支える、編纂所の研究者の皆様が持っている、歴史研究者の好奇心の「ツボ」に触れられる一冊です。

扱われる時代は近世までですが、扱われるテーマは史料であれば何でもあり。テーマの中には、こんな研究していて何の役に立つのだろうかと、首を傾げてしまう内容もあるかもしれませんが、そのテーマの広さは、歴史ファンにとっては正に挑戦状。史料の繋ぎ合わせ方から、断片的な史料から読み解く発言の変化の考察といったテクニカルな話題。意外な広がりを見せる日本人と海外との関わり合い(実は、このテーマが本書で一番楽しかったりしました)。史料に見え隠れする人物の追跡記や記録に僅かに残る内容から当時のシーンを再現する手法。更には花押を読み解いて自分の花押を書いてみようといった読者への挑戦テーマに、宮さん宮さん…の歌が実は猥雑唄だっという衝撃の考察まで。これら多彩なテーマについていけるかどうかは、ひとえに読まれる皆さんの好奇心にかかっています。

確かに、これらの研究が無くても誰も困らないかもしれません。そもそも歴史研究の目的や意義そのものが問われている中で、それらの研究の下地となる史料編纂の意義となると更に疑問を呈されることが少なからずあるのかと思います。そのような危機感の中で生まれたであろう本書をご覧頂いて、少しでも興味を持たれるテーマがあるならば、その目的は充分に果たされているのではないでしょうか。

何かを遂げるための研究ももちろん必要ですが、史料の叢林を跋渉し、その中からより幅広い知見を得る事で、更なる豊かな発想、知見に繋げていく事も、研究としてはとても大切なことだと思います。

時に、プロの絵師や作家の皆さんが、息抜きとも思えないような本気の作品をビックサイトに送り出してくるように、史料編纂のプロの皆さんが、少し息抜き込みで描くアンソロジーとしての本書は、そんな研究者としての視点と思考のエッセンスが濃厚に詰まっているように思えます。

<おまけ>

本書にご興味を持たれた方。お読みになった方で、もっと各テーマの内容をじっくり読んでみたいと思われた方へ。歴史書専門の出版社である吉川弘文館から刊行されている叢書シリーズ「歴史文化ライブラリー」をお勧めします。本書の参考文献にも頻繁に引用される吉川弘文館さん。山川出版と並ぶ、日本史関係の論考集を出版される際に、研究者の皆さんがお世話になる版元さんが、一般の読者に向けて、比較的リーズナブルな価格(2000円以下)で、研究者の方々の歴史研究の興味とエッセンスにテーマを添えて送り出すシリーズです。この度、刊行400冊を達成するとの事で、こちらでちょっとご紹介させて頂いております。

今月の読本「明治維新と幕臣」(門松秀樹 中公新書)3つのプロローグと函館戦争通じた旧幕臣の行く末は、やはりキャリアの力が

今月の読本「明治維新と幕臣」(門松秀樹 中公新書)3つのプロローグと函館戦争通じた旧幕臣の行く末は、やはりキャリアの力が

あまり読書が出来なかった今月。20日を過ぎて各社の新書が出揃う月末になって、買い込んだ本を少しずつ読み始めています。

毎月のように矢継ぎ早に出される新書の数々。驚くようなテーマの本が出てきて喜ばしい反面、テーマの選定から執筆までのサイクルが非常に早くなっていて、内容的に苦しい本が増えてきているのではないかと気がかりになりながら読んだ今回の一冊。

明治維新と幕臣

明治維新と幕臣」(門松秀樹 中公新書)です。

本書は副題に「ノンキャリア」の底力とあるように、江戸時代の幕府を支えた、旗本、御家人たちが明治維新や新政府の中でどのように活躍していったのかを全編を通してがっつりと著述しているように思えます…が、その想いは早くもまえがきで打ち砕かれてしまいます。

本文では、表題にあるように幕臣、特に幕臣の身分体系に配慮した記述で綴られていきますが、一方で全体の半分は明治維新期の幕臣の話ではなく、そのガイダンスというべき体系や政局の説明に費やされています。

著者がはじめにで述べているように、多少なりとも江戸時代の歴史にご興味のある方であれば、1章の江戸幕府の老中制確立までの歴史と、2章の旗本、御家人の職制、身分、収入制度のお話は既にご承知の内容かと思います。

更に、幕末の歴史がお好きな方にとっては、3章の幕末政局の部分も既知の内容で綴られていますので、ある程度ご存じな方にとっては新たな知見が出てくるわけではありません。

ここまでで本書は全ページ数の半数以上を費やしており、バックボーンとなる知見を有しないままに読まれる方に配慮されたことは充分に理解しますが、一方で本来のテーマが描かれるまでのプロローグが如何にも長すぎるきらいがあります。

そして、本書の中核となる旧幕臣の明治維新期における活躍は4章以降の後半戦で述べられていきます。明治維新という権力の空白期を迎えたにもかかわらず、なぜ統治機構が崩壊する事もなく、複雑を極めた外交関係も維持できたのかの理由を、勝海舟の書上げを用いて、財政、外交を司る旧幕臣が上部機関の政権交代による着任、指揮を待つことなく、業務をそのまま横滑りしたことによって維持されたことを指摘していきます。

その際に用いられるキーワードが「朝臣」の称号。幕臣への懐柔策と共に、反乱を抑える手段として用いられた、新政府に対する忠誠を誓わせる代わりに、収入と仕事を約束するこの称号の効用と、それでも静岡に付き従った旧幕臣たちの動きを通して、旧幕臣たちの複雑な心情を表していこうとします。更には、一旦は静岡に引き下がりながら、再び新政府によって呼び出された渋沢栄一の話を通じて、当時の新政府に仕える藩閥出身の行政官と、旧幕府体制下で研鑽を積み上げた旧幕臣たちの行政能力の実力差を語っていきます。それは、外交接受組織としての能力、全国規模での行政経験の有無をまざまざと見せつけるかのようです。

幕臣たちの転身と矜持、この複雑な心情を具体的な史料から説明しようと著者が用意したのが、明治維新期最後の戦闘の舞台となった函館戦争。著者は函館戦争前後の函館奉行所、函館府、そして開拓使へと続く一連の流れの中で翻弄され続ける旧幕臣たちの物語を通じて、幕臣たちの実務官僚としての動きを追っていきます。

後に開拓使の属僚として復帰することになる当時の函館奉行の幕臣たる矜持。上司である函館奉行の説得に応じて、函館奉行所の業務を継承し、新政府の官僚となった属僚たちの活躍。函館戦争を通じた旧幕臣の身の振り方とその後の顛末。

著者は此処でも、キャリアである奉行を始めとした旗本層と、ノンキャリアと定義づけた御家人層のその後の推移を対比していきます。そこにはかっこいいノンキャリア像を期待されるであろう読者の想いを冷静に受け止めつつも、実際には生き抜くために選択していく、下級官僚層の厳しい現実を描いていきます。

本書では開拓使に至る、旧函館奉行所に所属した幕臣たちのその後を追っていきますが、著者は奇妙なことにあるタイミングを以て、旧幕臣の構成人員が激減することを突き止めます。それは黒田清隆が開拓使を辞するタイミングと軌を一にしていますが、原因についてはそれと異なると著者は考えていきます。

そのタイミングは、期しくも新政府の体制が確固となった時期。旧来の幕臣層やその子弟に頼らなくても、新政府が漸く整備の途に就いた新しい学制によって得られた気鋭の官僚層と、新たに全国から採用した属僚たちによって行政運営が可能となったことが、旧幕臣に頼る必要性を低減化させ、併せて旧来の慣行に囚われない、新しい行政システムを構築することに繋がったと指摘します。ここで、黒田清隆が旧幕臣出身者に対して朝臣としての身分を獲得させようと奔走する姿を描くことで、ノンキャリア層が厚遇されていた事を描こうとしていますが、その想いとは裏腹に実際には特典は得られることはなく、逆に現実の厳しさを見せつけさせられます。

ダイナミックに時代が動いた幕末維新期。本書の表題とは異なり、著者の筆致は旧幕臣の能力の高さ、幕府の先見性を高く評価しながらも、その身分体制(世襲制)が足枷となって、キャリア層でもある旗本がその学力と素質を以て新政府に藩閥と並ぶ勢力を確保していく一方、ノンキャリア層が新たな体制下に埋没してく姿を描いていきます。

ノンキャリアの活躍を描きたいと願いながらも、結果としてはキャリア層の学力と地位、それによって勝ち得た知見、能力が体制に囚われない生き抜く底力になる事を見せつけられる本書は、その表題と著者のあとがきまでに書き込まれた想いとは裏腹に、まざまざと現実を直視させられる一冊でもあります。

<おまけ>

本ページより、本書で扱っているテーマ、時代と類似の書籍のご紹介を。

今月の読本「江戸幕府と儒学者」(揖斐高 中公新書)師傅たらんと欲した儒家三代の物語

今月の読本「江戸幕府と儒学者」(揖斐高 中公新書)師傅たらんと欲した儒家三代の物語

梅雨空が続く6月末の週末。

本来の梅雨らしい天候であることは、喜ばしくもありますが、週末の数少ない楽しみでもある、緑の山々を愛でながらのお散歩も遠ざかってしまいがちになります。

そんな天気の週末の午後に読んだ一冊は、新書シリーズの老舗、中公新書の今月の新刊からのご紹介です。

江戸幕府と儒学者江戸幕府と儒学者」(揖斐高 中公新書)です。

まず初めに、この「儒学者」という言葉だけで拒絶反応が出てしまう方も多いのかもしれません。かび臭い書庫の奥で、中国の古典を跋渉しつつ、役にも立たないうんちくを垂らす輩…、もしくは湯島の聖堂に祀られている「神様?」の宗教…。そんなイメージが強いのでしょうか。

実際に、生活のシーンで儒学者の方に逢うことは全くと言っていいほどありませんし、その近しさから比較されるお坊さん(寺院)と比較しても、親近感どころか、そんな人、居るの?といった反応の方が一般的かもしれません。

その一方で、書店のハウツー本のコーナーに一歩でも足を踏み入れれば、溢れるばかりの論語や老子による生き方マニュアルや、孫子と戦略経営といった解説書が積み上げられています。このギャップには何時も驚かされるのですが、そもそも儒学の発祥を考えれば、決して驚くに値しないのかもしれません。儒学ほど本当の実学、人の生き方を説くことに近い「学問」はないのですから。

本書は、そんな普段は余りにも遠いにも関わらず、最も身近にあるともいえる儒学の日本での位置づけを決定付けたといってもいい、林家の祖でもある林羅山から、息子鷲峰、孫鳳岡の三代に亘る物語を綴った一冊です。そして嬉しいことに、冒頭で著者が述べているように、儒学的な思想における林家及び一門の思想論を語ろうという、一般読者から見たら堅苦しくて退屈となってしまう話を本書はテーマにしていません。林家の勃興から、儒家の使命ともいうべき国史に相当する歴史編纂を主導した鷲峰、羅山の宿願でもあった「官儒」としての地位を示す大学頭叙任を果たした鳳岡、そして凋落の始まりまでの林家三代の「儒家」としてのドラマを描きたいという著者の想いが全面に展開されています。従って、本書は歴史的な事実をありのままに把握するための本として捉えるのではなく、著者の30年にも渡る研究成果の上に構築された歴史ドラマとして読むと、とても楽しめると思います。

まず、本書は林家の祖、羅山の物語を語る前に、所謂方広寺鐘銘事件と羅山の関わりを述べていきます。ここで著者は、一般的に謂われる御用学者としての羅山の立場を擁護しながら、その経緯を検討していきます。その検討過程は羅山がこの決定に関与したことを認める一方、最終的な決定権はなかったとしています。しかしながら、著者はこれによって羅山を擁護する一方、儒者とその位置づけから非常に近い坊官との立場の違いを明確にしてきます。

日本仏教は在家信者との境界が低く、葬送儀礼に深く関与していたために、社会的活動と切り離せない状態になっていたとはいえ、その根本には決して失うことがない修行者(隠者)としての社会的隠遁性が秘められています。一方、儒家の祖である孔子の想いは、本人自体は叶えられることがなかったとはいえ、自己修身の先に、実社会の中で礼に基づいた改革を思想的に押し広げていく事をテーマ置いています。その押し進め方は、為政者を支える立場、すなわち師傅として立身することを厭わない事を、羅山の思想から明確にしてきます。

羅山自身が青雲の志を以て学問に打ち込んでいったことは事実でしょうし、そのような羅山の素地を受け入れた徳川家康も、戦国大名の中ではかなりの学問好きであったことは既に文献研究等で理解されている事実だと思います。そこで、羅山の立場が決して阿諛追従ではなく、為政者を支えるためのものであったと著者は訴えていきます。更に儒者の本文こそが為政者の横でより妥当性、普遍性の高い献策を呈し続けることであることを羅山やその後継者たちの言葉を借りて、著者は述べていきます。それが一般的には凡庸かつ扈従だと捉えれれても…。

祖である羅山が抱いた、そのような想いを家訓に持ったであろう林家の物語は、そのまま徳川幕府内での地位向上、すなわち「儒者」として幕府の政策に関与し、最終的には為政者の師傅の地位に到達するまでを描いたストーリーになっています。羅山の時代には儒者としての地位は得られず、忸怩たる思いを抱えながら法体での勤めに甘んじることになりますし、儒学(ここでは朱子学)を国学とし、儒者が国師たるためには相応の待遇、即ち護願寺や祈祷所に相応するような幕府公認の殿堂、学舎がどうしても必要だったはずですが、羅山の時代にはあくまでも私塾にすぎません。それでも、儒学に一定の影響力をあることを知らしめ、統一的な学問体系として江戸時代に儒学(朱子学)が広まっていくきっかけを作ったことは、そのあとの歴史的展開を考えると、非常に意義があったことだと思います。

羅山の息子、鷲峰の時代となっても法体での勤めは変わらず、私塾のままではありますが国史(本朝通鑑)の編纂が命じられたことで、儒家としてのもう一つの立場である、公的な歴史を編纂する地位を得たことになります。公的な歴史を編纂すると聞くと眉をしかめられる方も多いかもしれませんが、事実としてどんな歴史書の著者も、著述しようとしている時代とは異なる時間を生きており、著述される内容は、著述者が置かれた社会的状況や地位に大きく影響を受けることは逃れられないことだと思います。その中で起こる葛藤や著述の一貫性への疑問、当然のように起きえる為政者への偏向について、本書では鷲峰と水戸光圀との交流を通じて述べていきます。もしかしたら、鷲峰から光圀に託された想いは、歴史家としての著者が過去の研究者から託された想いと重なるところがあるのかもしれません。

そして、儒者としての存在意義を語る鷲峰の口述筆記は、今の時代にも多く存在し、それを生活の糧としている(私自身もその列に連なる一人と評されることがありますが)所謂アドバイザー、補佐官職と呼ばれる職務に従事するときに陥るジレンマに対する矜持を見事に表していると思います。儒者は決して実務者ではないかもしれませんが、基盤となる幅広い学識を有することは絶対であり、その上で、実務に当たっては実務者と遜色のない能力と知見を有し、為政者の時々の諮問に的確に応える、許される限りの公平性と、柔軟さを兼ね備えていなければならない筈です。その全てを揃えることに努力を払った結果は、技量は一芸に秀でているわけでもなく、更には師傅として国政に関与できない身を嘆いていますが、そこまでの矜持が無ければ事に当たるに足らないという想いの強さと、裏打ちされる自負心に強く心を打たれます。

鷲峰の想いは、綱吉の将軍就任によって息子である鳳岡によって叶えられることになります。幕府の手による湯島聖堂の竣工と、羅山が求めて止まなかった儒者として為政者に仕える形式としては望むべき最も妥当な形である「大学頭」としての叙任。名実共に官儒としての地位を得たことになりますが、もう一つの望みであった師傅としての地位はどうにも手が届かなかったようです。

皮肉にも、林家が距離を保った家宣の将軍就任によって侍講となった、鳳岡のライバルでもある新井白石が江戸時代、いえ日本の歴史上唯一といっていい儒者として師傅たる地位を得たことは、歴史の皮肉かもしれません。しかしながら、為政者を支える立場として自己実現を図ることを使命とする儒者にとって、為政者の変遷によってその立場が大きく変わっていく事は必然かもしれませんし、それ故に儒学が嫌われる最も大きな原因になっているのかもしれません。

そして、白石を生んだ江戸時代を通じての儒学の浸透自体が、祖である羅山による儒学の復興(藤原惺窩を継承しての)に起源を持つというと更なる皮肉になってしまいますが、結果として羅山の時代では考えられなかった、同時代に多くの儒者を生む結果となったと思われます。時代が下がるごとに林家だけではない、多様な儒学が講じられ、相対的に林家の地位が下落する結果となったのは、羅山の望みとは異なったかもしれませんが、為政者を支える立場であれば、儒学(朱子学)を規範とした文教主義が浸透した証でもあり、喜ぶべき結果だったのかもしれません。

更に、羅山の幅広い学識や興味(明暦の大火の中を避難する時まで通読中の書物を離さなかった、そして蔵書焼亡のショックで亡くなったと伝えられる、無類の読書家)が生んだであろう、白文の知識や徒然草をはじめ、和文に対する強い興味が和学を含む、林家をして官学としての総合性を有することになります。そして、儒学同様、和学においても学塾を置くことによって生じる学問の広まりによる専門研究の深化、即ち荷田春満から始まる国学勃興の揺籃にも寄与したことになるかと思います(白文に関しては、化政時代の文人サロン仕掛け人達の経歴にしっかり現れていますよね)

そのような江戸時代の学問や文化に大きな影響を与えた林羅山から始まる林家の歴代当主たち。本書では儒者としての彼らの動きとともに、学者一族としての彼らの想いも伝えようとしています。戦国の気風漂う時代を生きた羅山の、高く掲げる青雲の志と他者に対する峻厳さ。少し時代が落ち着いてきた鷲峰の、早世した長男に対する深い想いと、細やかな心遣い。羅山をも凌ぐ硬骨さ。そして、地位を確立し祖廟を得た鳳岡の、弟としてのトラウマと数多く表れるライバルたちに対する葛藤。政治の中枢に近づくことで折らざるを得ないこともある儒者としての矜持をなんとか保とうとする想い。

著者の林家歴代に対する想いが投影された本書は、そのまま林家に対するオマージュ。そして、林家歴代が抱えた想いの通りに、処世術、経世術としてはもてはやされても、決して好まれることの少ない儒学、そして儒学者対するこれまでの見方に対する、著者のほんの僅かな抗弁の書なのかもしれません。

<おまけ>

本ページでご紹介している、近世をテーマにした本を。