今月の読本「天を相手にする 評伝 宮崎市定」(井上文則 国書刊行会)古代ローマ史研究者が敬愛してやまない宮崎史学の魅力を個人史に辿る

今月の読本「天を相手にする 評伝 宮崎市定」(井上文則 国書刊行会)古代ローマ史研究者が敬愛してやまない宮崎史学の魅力を個人史に辿る

東洋史学というジャンルを大成された所謂京都学派の巨塔にして、戦後から平成に入る頃まで、多くの読者を魅了してきた文筆家。京都大学教授、文化功労者の宮崎市定先生が鬼籍に入られてから、もう20年以上が経過しました。

既に過去に過ぎ去りつつある戦前派の歴史研究者なのですが、その著作は今も版を重ねて読み継がれ、2015年には『中国史(上下巻)』が岩波文庫へ収蔵、今月も『大唐帝国』が中公文庫で改版されるなど、近年に至ってもその著書が新刊、改版として送り出される、根強い人気を誇っています。

読書ファン、歴史好きな方にとって今なお魅力的な「宮崎史学」。その魅力に魅せられながら 京大大学院を経て古代ローマ史の研究者へと歩みを進めた著者が、自らの研究を放擲して(あとがきより)打ち込んだ、その筆致の魅力の源泉に迫る一冊をご紹介します。

天を相手にする 評伝 宮崎市定」(井上文則 国書刊行会)です。

まず本書をご紹介する前に、氏に対して色々と述べられている論争や歴史感、特に現代の考古学を含む学術研究成果に基づく視点に対する認識のずれについて議論することを本書は目指していません。

もちろん評伝なので、これらの議論の経緯やその応酬についても、触れられる範囲で最直近の研究者たちの発言まで拾って掲載していますが、特に研究史学的な論争については、著者は別分野の人間であると、明確に論証を行う事を否定します。

著者の想い、それは氏の著作に初めて触れた大学時代の想いを胸に秘めて、同じく歴史研究者の道を歩む著者にとっても極めて大切な、どのようにしてその視点を獲得していったのかを個人史から読み解いていく事。幸いなことに自跋の紹介文やエッセイ、同僚、子弟たちの記録が数多く残り、更には氏の高弟で数々の論考や著作の編纂を今も続ける、京都大学名誉教授の礪波護先生への複数回にわたる直接の取材が叶い、併せて資料の提供を受ける事で、記録に残る範疇における氏の生い立ちから死没に至るまでの全容を描き込んでいきます。

むしろ、第一人者である礪波先生自らも手掛けたかったのではないかと思われるテーマを、宮崎の史学そのままに敢えて東洋と正対する古代ローマ史を専攻し、私淑する著者が、評伝としてその執筆を手掛ける事の出来る嬉しさが行間を満たし、時に私的な想いも零れ滲み出る筆致。「読んでもらいたい人に分ればよい、学匠達に捧げるものではない」氏が残した言葉通り、天と読者を相手に真摯に研究と著述を進めた氏の作品に惹かれたファン、著作を手に取って興味を抱いた、多くの読書や歴史が好きになった方へ贈られる一冊。本編約370頁の更に先に50頁弱に渡って綴られる注記自体が、宮崎研究の索引にも相当する、丁寧な引用と確認を踏まえて綴られています。

東洋史の大成者であり、95歳で没する直前まで著述活動を続け、膨大な著作を有する氏の評伝(著者によると原稿用紙800枚分)のため、逐一ご紹介はできませんが、読んでいて興味深かった点をいくつか。

まず、巷間に伝えられるように、京都学派を代表する東洋史学者である内藤湖南の系譜を継ぐ存在であると云われる点について、宋を起点に近世が始まったとする認識を受け継ぐ程度で、京大在籍前後の湖南と氏の交流関係はかなり異なり、湖南の継承者とは言えないと言う点を、周囲の発言を含めて述べていきます。研究者として薫陶の受けた経緯、更には、信州の山奥、飯山出身で旧制松本高校を経た田舎者が京大での研究者としての地位を確立する強力な後押しをしたのは、むしろ桑原隲蔵であったとします。湖南のそれをシナ学と狭い範囲で捉える一方、特に著者にとって非常に密接となる東西交渉史としての視点を氏が早くから有する事になった点も、桑原の指導の先にフランス留学からその後の西アジアを歴訪する事で醸成されたようであり、後の『菩薩蛮記』へと繋がる源泉となったようです。フランス絡みと言う意味では、氏の代表作である『科挙』を書くように勧めたのは、フランス文化研究者で息子である桑原武夫であり、著者はそれを評して、親子二代続けて彼を世に送り出した名伯楽と評します(更には、退官パーティーの席上で、フランス留学時代に下宿で氏が探偵小説ばかり読み耽っていた事を暴露される一幕も)。

次に、国威啓発的な文人の従軍などではなく、意外な事に氏は一年志願兵を経て旧陸軍の少尉として実際に日中戦争時の中国大陸、そして終戦直前の本土防衛に士官として従軍していた点。時に豪胆な筆遣いで非難を恐れずに筆を進めた胆力の遠因もそのあたりにあるかもしれません。この話には更に興味深い内容が添えられており、戦後の一連の発言に繋がる一方、様々に論じられる「アジヤ史概説」の元となった、国策に従事した「大東亜史概説」を執筆する一方で、避戦、終戦も議題とした海軍の秘密会議にも参加していた(生前、礪波先生にすら話す事は無かった)事を紹介していきます。特に演習においてはその沈黙から学生たちに戦慄を走らせ、戦後の京大で政治的な活動にのめり込んでいく学生に対して非難を浴びせる一方、学部長として投獄された学生の保護にも尽力し、歴代の中国政治家として毛沢東に好意的な認識を持っていた氏の行動からは、単純に色分けできるような人物ではない事が窺われます。

そして、実証論的な研究を指向した桑原隲蔵に師事した氏にして、独自の史観を有することになる東西交流史の更に伏流に潜む、素朴民族と文明社会の対峙と言う視点。現代であれば非難を浴びるであろう見識かもしれませんが、当時の社会情勢や前述のように海外に居住し、旅した視点から得られた、文明間の摩擦や上下に列せられることを目の当たりにして来た氏にとっては、当時の日本もまた、素朴民族と認知すべき存在であった、その先に戦前日本の活動は是認されるという認識を持ち続けていた事は否定できないと、氏自身の発言からも認めていきます。

色々な側面を持ちながら、それでも多くの読者に愛される氏の著作。その面白さの源泉は、簡潔で明瞭、それでいながら時にダイナミックに持論を以て攻め立てる(『論語の新しい読み方』は金谷治訳版に親しんだ私も卒倒しっぱなしでした)筆致がぐいぐいと読者を引き込んでいく点では論を持たないかと思います。中でも、氏の著作と自跋を共に辿った著者にして述べる

「宮崎自身が本当に面白いと思っていることを面白く書いたからであろう。」

と察する、氏がその人物に惚れ込んだ『雍正帝』に最も現れているようです。

その上で、著者が氏の著作に興味を抱いた点と同じような部分がある事を、本書から見つける事が出来ました。

私が中国史の本を読むようになったのは、実はかなり遅く30歳を目前にした頃。そのきっかけは中公文庫への収蔵が始まった『中国文明の歴史(全12巻)』の1冊、貝塚茂樹先生の『春秋戦国』がきっかけでした。宮崎先生の著作に触れたのも、このシリーズの9冊目『清帝国の繁栄』(と、同じタイミングで刊行された岩波現代文庫版の「論語の新しい読み方」)という、氏の論点が一般読者向けの筆致として存分に振るわれている作品。そのいずれにも日本史や中国史と言った枠組みによる視点、個別の歴史研究分野に留まらず、広く社会全般、行政や経済、個人史や芸術に至るまでに渡る通史としての広大な視野が備わっている点に強烈な印象と魅力を感じたのでした(その後、中公クラッシック『アジア史論』(絶版)を暫し座右に留め続ける事に)。

今年の始めにご紹介した非常に興味深かった作品の著者を含むグループが近年提唱されている「グローバルヒストリー」という視点。何処かでこれと同じような読後感を感じたなと思って、本書をめくっていると、やはり著者も同じような印象を以て、氏の世界史に対する視点を言及されている箇所を見つけて、思わず嬉しくなってしまった次第です。

既に古典の領域に入りつつありますが、あらゆる読書が好きで、歴史が大好きな方にとって、畏敬の念を抱きつつも、今でも身近にその著作を手に取る事が出来る、今読んでも唸らせられるその筆致の神髄が生み出された経緯とバックボーンを評伝として纏められた一冊。

歴史を生み出すのは、史実と共にそれを描く歴史家の筆致があっての事。その史実の推移を広範かつ独創的な視点で(時に強烈な方向性を有しながら)構築した、三つの世界から並立する世界史を生み出そうとした足跡を人物史として追う一冊。万人向けの内容ではありませんが、歴史を描いていくというテーマにご興味のある方には、きっと興味深い内容の筈です。

2015年に岩波文庫に収蔵された、出版当時にその末文に驚嘆を持った事を、当時の読者として改めて解説で述べられている点も愉しい『中国史(上下)』と、没する直前の枕元で、上がって来た目次の原稿を最後に微笑みながら確認したという、氏の論考が濃密に収められた『中国文明論集』。どちらも一筋縄ではいかない一冊ですが、思わずのめり込んで読んでしまう本達です。

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今月の読本「渤海国とは何か」(古畑徹 吉川弘文館)「東洋学の挫折」の先に見る北東ユーラシアを描く軸

今月の読本「渤海国とは何か」(古畑徹 吉川弘文館)「東洋学の挫折」の先に見る北東ユーラシアを描く軸

年末年始のシーズン。

慌ただしい時間が流れる一方で、日常の喧騒を離れて、じっくりと何かに取り組める時間が巡って来る貴重な日々でもあります。

バタバタと年末の後始末を終えて、ほっと一息つきながら読んでいた一冊からご紹介です。

今月の読本、吉川弘文館さんの歴史文化ライブラリーから12月の新刊「渤海国とは何か」(古畑徹)をご紹介します。

まず、この渤海国という名称にどのような印象をお持ちになるでしょうか。ユーラシアの東端に忽然と現れて消滅した幻の王国、もしくは当時の古代王朝、王朝国家との交流史を有する、中華帝国、半島諸国とは異なる、第三の国というイメージでしょうか。近世、近代史にご興味のある方にとっては、後の清朝の揺籃たる女真が勃興した故地、更にはその後の満州へイメージを抱かれるかもしれません。

本書はこれらの日本人が抱くイメージが、実際には戦後の教育、歴史研究環境が生み出したものであり、渤海、更には北東アジアの地域史としての一側面しか捉えていない点への懸念を込めて綴られています。

学生時代からはじまり、40年の経歴を有する北東アジア史を専門とする著者は、それらのイメージがある時点を契機に生み出されたと指摘します。戦前日本の大陸侵攻と軌を一として生まれた「東洋学」が生み出した落とし子。敗戦によって一度は散逸した研究成果は、その後の日本に於いて、更にはかの地に於いて再構築される過程で、自らのイメージに合わせた歴史著述の一ページとして利用されてしまっているとの大きな懸念を抱いていきます。

「東洋学の挫折」という刺激的な表現を用いて、その経緯を綴る著者が本書で描こうとする内容、それは海東の盛国と称された謎の国、渤海をその後の歴史研究における位置づけの争奪から擁護せんと願い綴る、汎北東アジアの視点を掲げた検討過程から輪郭を示す事。

従って、題名に示される様な渤海の歴史のについての詳述を本書に求められる方には、少々残念な想いをされるかもしれません。前半は渤海の勃興から滅亡までの概略が時間軸を追って綴られていますが、著者がここに述べるほどにしかと感嘆されるように、そもそも渤海に関する文献資料は極めて限られています。その中でも彼ら自身が残した文献は僅少であり、殆どが周辺の国々の記録に語られるに過ぎません。

そこで、著者は逆にその周辺の国々の記録に残された点から、彼らがどのような位置にあったのかを見出していこうとしていきます。渤海国の概要をお知りになりたい方であれば、確かにwikiでも充分かもしれませんが、本書の魅力は後半で述べられる、その位置付けを北東アジアの中から浮かび上がらせるアプローチにあります。

日本の歴史教育で渤海を扱う時に語られる、唐を模した、ないしは日本の律令制や王都を参考にしたともされる律令や兵制、都の構造について、確かにその影響を強く受けている点を指摘する一方、唐における外藩と内属国の扱いと王に与える称号の違いから、契丹や遼などの北方騎馬系民族として包括される扱いとは異なる、比較的内属国に近い位置付けを与えられていた事を見出します。更には、彼らが独自の文字を持たず、漢字を用いた点からも、実質的には中華帝国の冊封体制に準じる(年号は独自のため)位置にある、北方騎馬系民族に対する東方からの牽制勢力の一翼を担っていたとの位置付けを見出していきます。

その一方で、遥かに三国志「東夷伝」まで遡り、伝統的に北狄と称されたその土地は、東夷と称された半島、そして倭の諸国とは決定的に認識が異なっていたと指摘します。この事実は、冊封を奉じた半島の諸国や高句麗、その後に統一を果たした新羅の勢力が及んだ範囲と、交錯する渤海とでは異なる民族的アイデンティティ、むしろ更に北方に存在した黒水靺鞨との類似性を示唆します。

中華帝国の一翼を担う一方で、更に北方の遊牧民側(但し、渤海が勢力を伸張させた時代は現在より温暖な気候であったとみられています)の立場に近い極めて微妙な渤海の位置付け。著者はその位置付けを雄弁に物語る手掛かりとしての、彼らが残した交易の跡を追い求めます。

東北地方に集中的に残る、7世紀の遺跡から発掘される錫製品。北方の地で育まれる体格の優れた馬、そして渤海と一時的に対立した唐の前線基地である節度使が、「熟銅」の交易だけは禁止しないように中央に対して請願を出していたという点を見出し、当時の唐王朝にとっても、渤海が重要な銅の産地であった事を指摘します。

北方の優れた産物を集散させる諸民族。更には、彼らが渤海使として日本に訪れた際に引き連れたとされる首領たちもその実は商客であるとの当時の認識も添えて、彼らの求心力が商業的なもの、交易による利を供せられるかによって支配体制が左右されるとの認識を提示ます。中でも本書では、他の研究者の指摘を引用して、その本質として、狩猟、漁撈民はその生産物の農耕民との交換の必要性から、一般的に交易民であるという、核心を突く一説を提示します。ユーラシア東方における政治的な求心力を農業的な集散と見るか交易による利益と見るかで分かれるという根源的な認識。一方で、同じ北方遊牧民族でも、独自の文字を持つなどアイデンティティの明確化を見せていた契丹は、後に燕雲十六州を得る事で、自らを中華帝国の一部へと転換させたと指摘します。

後に清朝を生み出すことによって、中華帝国としてのアイデンティティの一部として埋没していた「満州」を再発見した、戦前の東洋史が残した足跡を辿りながら、渤海をテーマに北東ユーラシアにおける位置付けの再構築過程を示す本書。複雑な歴史の推移同様に、複合的な内容が、それこそテーマを縦横に展開されるために、一度読んだ程度では容易に全容を把握できる内容ではありません(門外漢なので更に)。

この本を手掛かりに、巻末に掲載する関連書籍を跋渉しながらも、もう少し読み込んでみたい、歴史著述、理解の奥深さへと誘うような一冊です。

なお、著者は非常に寡作な方で、提示される参考文献を含めて、主著と見做せる一般書籍が見当たりません。中華帝国たる隋、唐自体また北方遊牧民族が発祥であるという視点は、契丹、奚の扱いを含めて、講談社学術文庫から現在刊行が続いているシリーズの一冊、「興亡の世界史 シルクロードと唐帝国』(森安孝夫)を、本文中で繰り返し引用されています。