地域の記憶と想いを繋ぐ場所から日本のシルクロードへと繋がる記録達を(北杜市郷土資料館と企画展「北杜に汽笛が響いた日」)2018.8.19

地域の記憶と想いを繋ぐ場所から日本のシルクロードへと繋がる記録達を(北杜市郷土資料館と企画展「北杜に汽笛が響いた日」)2018.8.19

毎朝、その日に合わせた内容で所蔵する資料の紹介をSNSで発信されている、国立公文書館さん。ある日、こんな内容の投稿をされていました。

すぐ近くにある施設で開催中の企画展の紹介を添えた所蔵史料の紹介。近隣に住んでいてもこれらの企画展の開催情報は広報(観れる方は限られる)以外で全く告知される事は無く、ローカルニュースででも扱われない限り、実はこんな形でしか知る由が無いという非常に情けない状況ではあるのです。

各施設に訪れると、ロビーにそれこそ溢れ出しそうなくらいに並べてあるフライヤーと称される、各展示施設が発行している開催告知が掲載されているパンフレット。実際にこれらのパンフレットを手に出来るのは、公共施設やごく一部の観光案内所に限られるため、多くは一般の地元民や観光客の方には全く知られる事が無いままに開催されて閉幕してしまうであろうという悲しい現実を、今回も再び見せつけられることになりました。

実に8つの町村が合併してできた北杜市。旧町村が収蔵していた文化財、史料再編成のために集約された資料館の一つが、旧長坂町の清春芸術村の向かい側に建てられたこの北杜市郷土資料館。旧大泉村の谷戸城跡に建てられた考古資料館とペアで運営されています(北杜市のHPは悪夢のような非階層パラレル分岐構造をしているので直リンクで)。

綺麗で立派な建物ですが、写真の左手に少し映っている低層部はバスケットコートを有する体育館、本館のスペース約半分も市民向けの貸フロアと、やや実が備わらない嫌いもありますが、北杜市の学術課も設置される、市民教育の中核施設として位置付けられています。

エントランスを進むと、この館のメインテーマを伝える、長坂町から八ヶ岳を望む、東山魁夷の第10回帝展入選作である「山国の秋(試作)」複製画が出迎えてくれます(本番作は逸失、実物は兵庫県立兵庫高校武陽会所蔵)。

本館1階部分に押し込まれるように作られた、山国の秋に描かれた民家を完全に再現したセット。

馬屋を取り込んだ土間から座敷に直接上がる事も出来ますし、備え付けられた調度品は資料館が収蔵した当時の物。建物自体は全くのフェイクですが、座敷に囲炉裏、馬屋や竃まで(絵馬や秋葉様の札が添えられているのはとても嬉しい)細部に至る丁寧な作り込みがされており、本館のテーマの一つである、昭和初期の生活環境を伝える教育資料として、とても良い出来だと思います。

前述のように1階は主に市民向けの貸しスペースで、展示のメインは民家のセットを望みながら階段を上がった2階。

3つの展示フロアからなる展示室のうち、2部屋が常設展示。入口側の「通史の杜」と題されたスペースは旧石器時代から前述の町村合併までの地域の歴史を時代とポイントを絞って紹介しています。

考古資料館の展示内容と重複しないように配慮がされていますが、やはり重複の感も否めないのは事実。一応、金生遺跡を軸に縄文から古代までの考古学的な解説と、谷戸城を軸とした中世、近世初頭までの解説は考古資料館、地域の外縁部と近世以降はこちらという役割分担が為されているようです。

本館のメインテーマとなる、地域における生活の記録を残す点で印象的な二つの国指定重要文化財の紹介と添えられた屋根の修理道具。厳しい気候と、近世における殆どの期間、甲斐一国は天領であったため、今に至る博徒風儀の荒っぽい気風が培われた一方、天領故の税率の低さから豪農が成長する余地が大きかったことの一端を、現存の建築物から垣間見る事が出来ます。

何枚かある展示パネルの中で、非常に興味深い解説が述べられている部分。

養蚕が盛んになる前、切妻造りの家作は麦藁、入母屋造りの家作は茅掛けという、自然環境と作物が家作と密接に関わってきたことを示す解説です。また、稲藁葺きが甲府等の低湿地に限られる点も、甲州に於いて稲作を中心とした農業生産性は非常に低かったことを暗示させます。

もうひとつの展示室は「産業の杜」と題された、近現代をテーマにした展示(当日は展示スペースの一部が鉄道模型を置くために避けられていましたが)。主に農耕関係の解説が中心となりますが、実際に使われた道具をじっくりと眺める事が出来ます。標高1000mに至るまで水田の開墾を進めようとした、先人たちの稲作に対する執念の軌跡も綴られています。

現在は梨北米というブランドを打ち立てるまでに稲作が普及しましたが、やはり峡北は馬の里。平安時代まで遡る馬と人の歩みが近代に至ってどのように変化したのかを解説していきます。

とても珍しい「馬の鼻ネジリ」と称される、馬の鼻に差し込んで捻り上げると馬が大人しくなるという、獣医(当地では伯楽と呼ばれた)が使っていた道具も展示されています。

高根町の鎧堂観音で初午(この行事、構内に祠を構える地元の施設や工場などは今でも行うのです)の際に売り出された、馬屋に貼る御札。東西で向きの違う絵柄が用意されてるとの事。今でも牛の御札は頂けるそうです。

そして、この資料館が本邦唯一であろう展示内容がこちらの「国産ホップ・かいこがね」開発の歴史と峡北におけるホップ生産から一旦の終焉までの歴史を辿る展示。

キリンビールからの委託生産により、昭和20年代の末まで、全国屈指の生産高を誇ったホップ。その中から生み出された突然変異種を系統選抜した「かいこがね」は東北地方に生産拠点を移しながら、現在でも国産ホップとして作り続けられている事が紹介されています。なお、展示ボードでは平成6年(1994年)に県内でのホップ生産が終了したと書かれていますが、図録にあるように、その後2011年に地ビール向けとしての生産を再開、自ら醸造まで手掛ける事を目指した就農者も誕生したことは、今年の春に全国放映された番組でも紹介されている通りです。

二つの常設展示室に挟まれた形になる企画展示室。

今回のメインである企画展「北杜に汽笛が響いた日」の会場です。

ゆったりとしたスペースに展示された史料。期間中入れ替えながら1点ずつ貸与展示される国立公文書館収蔵の貴重な史料を含めて目録では全164点の展示とありますが、うち約60点は直接の関連性が薄い鉄道模型や鉄道趣味者のコレクション(廊下側に展示)で、実際の史料としては100点弱の展示。ここで本館と本企画展の立ち位置を明瞭に示すのが、大多数の展示史料の所蔵が地元の個人に委ねられているという点です。

地方ではまだまだ多く残る、近代に至り名士と呼ばれた地元の有力者、名望家の子孫の方々が継承されてきた古文書、史料を地域の歴史を伝える一環として広く公開することも命題とする、本資料館の存在意義を存分に示す企画展示であると思えました。

今回の展示のテーマとなる、日野春から小淵沢までの鉄道ルートと周囲の交通路の3Dマップ(地理院地図+陰影図+赤色立体地図の合成で作成)展示のメインは、今年開業100周年を迎えた、本館の所在する長坂駅が何故、中央線開通時に設置された日野春、小淵沢両駅に遅れて開設されたのかを、中央線敷設の背景から説き起こしていく事。地元の請願書面や、開業前の測量図。新たに開拓された長坂駅近辺への入植に関する書面や開業に関する祝辞、祝電。地元有力者が残した書面などが豊富に展示されています。

中央線のルート選定自体に、当時の輸出産業の原動力であった蚕糸の一大拠点である諏訪と横浜への積み出しにおける集積地であった八王子を結ぶことを強く求められていた点はよく知られている事かと思います。

日本のシルクロードと言うべき、横浜から内陸の製糸工場へと向かう鉄道網。その中でも最大の物量を誇った諏訪の製糸を支える養蚕、繭の集積は全国から行われましたが、至近であった伊那谷や峡北からも鉄道を通じて集積を行っていた事が知られています。

旺盛な繭の需要に応えるために沿線農家の開発にも意を注いだ諏訪の製糸業者たち。釜無川沿いを通る旧来の甲州街道から、花水坂を通って七里岩台地の上を走る信州往還、その後の中央線への荷受け地として成立した日野春。江戸時代から続く番所が林立する国境の集落、信州往還の継宿として成立していた小淵沢からの集荷だけに飽き足らず、その中間に位置する長坂への信号場開設に便乗しての駅設置に資金面(地元清春村に次ぐ出資率)でも多くの援助を与えた事が史料からも把握されてきます。

展示室の中央に飾られた、Nゲージのジオラマとして組まれた長坂駅と、駅開設と共に拓かれた長坂の街並み(奥側が小淵沢方向、傾斜を下る手前側が日野春方向)。

現在はスイッチバックが解消されて、ジオラマの手前に走る本線上にホームが設けられていますが、現在でも保線基地として残存している引き上げ線の跡と現在は商店街に転じた、鉄路から離れて台地の縁に切り拓かれた街並みが明瞭に判ります。

 

同じ場所を地理院地図を利用した3D地図で。

勾配を嫌う鉄路は今でも人家の少ない丘陵の低い場所を縫うように伸び、駅が開かれた後に成立した集落は鉄路より高い尾根筋、旧来の集落や田畑は更に鉄路から離れた尾根の外側に広がっている事が判るかと思います。

主な出資者であった清春村(本館の所在地、手前下側の博物館マークが本館の向かいにある清春白樺美術館)の集落は大深沢川の深い谷筋の西側に広がっており、駅からはかなり遠くに位置していました。

鉄路から離れた村々と諏訪地方の製糸業者からの出資、請願によって開設された長坂駅。大正7年と言うやや遅れたその成立において、旧来の集落に鉄路を引き込む訳ではなく、むしろ現在でも住居がまばらな中央線沿線の開拓、その拠点としての人工的に拓かれた開拓地、人工集落としての長坂の姿が映し出されていきます。

今でも市の中核が何処にあるのか判らないと評される峡北、北杜市ですが、その遠因が長坂駅の開設の経緯からも見て取れるようです。市の中心に位置し、高速のインターと各県道、広域農道が交差する峡北の交通の要衝である長坂ですが、市政の中心は七里岩の東端、塩川沿いの須玉にあり、観光の拠点は小海線の起点で特急も多く停車し、高速のインターを併せ持つ北端の小淵沢。域内でも唯一、商店街と称せる規模の街路を持つ、纏まった居住地域が存在する長坂の成立が、旧来の村落の成立とは乖離した、駅の開設と不可分の存在であったことを改めて教えてくれます。

更に、長坂駅が養蚕の為に作られた事を雄弁に示す、駅と共に開設された、小淵沢と長坂の繭取引所の存在。取引所に集まる人々の便を満たすために商店が集積され、繭だけではなく、農村の女性たちを職工として諏訪方面に送り出す為にも大いに活用された事を示す、自宅に届けられた製糸工場が仕立てた臨時列車への乗車を指示する案内等も展示されています。

周囲を歩いても、養蚕の名残など全く分からなくなっていますが、歴史を辿ると、峡北の発展もまた養蚕と深く結びついていた事を知る事となった今回の企画展。

発掘史料に特化した考古資料館に対して、むしろ産業館としての側面で地域の産業や歴史に寄り添い、掘り起こしていく位置付けを明瞭に見せてくれた考古資料館と今回の企画展。

外部の者にとっても非常に興味深い展示内容。しかしながら、タイアップイベントなどが日曜日を中心に組まれているとはいえ、お盆休み中の土曜日の午後にも拘らず、約2時間程の見学中に入館された方は、私のほかに地元の老人の方1名のみという、大変残念な状況。広報活動についてはHP編成の悲惨さを含めて改めて懸念を抱きますし、添えられる展示解説の文章表現には首を捻る点も散見されますが、地元に徹した、地元の記憶を伝え繋げていく施設から更に発信できる拠点として活用されていく事を願わずにはいられません。

広告
さようなら、小さくとも全てが揃っていた趣ある山間の駅舎(今日で利用終了となる小淵沢駅、旧駅舎)2017.7.2

さようなら、小さくとも全てが揃っていた趣ある山間の駅舎(今日で利用終了となる小淵沢駅、旧駅舎)2017.7.2

昨日から信州DCが始まり、小海線には久しぶりの専用観光列車「HIGH RAIL」運行も始まった、中央本線の小淵沢駅。

実は、本日(7/2)を以て、長らく使われてきた駅舎の利用が終了、隣接地に建設された新しい駅舎に移転することになりました。

中央本線の特急停車駅でもひときわ小さな駅舎。

つい数年前に駅舎右側に建てられた、お土産物を扱うショップが出来るまでは、待合室と駅蕎麦しかない、本当に小さな駅でした。左側は駅事務所です。

2014年の豪雪直後の小淵沢駅。まだ除雪が進んでおらず、駅前には雪が積み上げられています。

駅前には小さなロータリーが設けられており、すぐ隣にあるタクシー会社の車が常に配車されており、こんな状態で駅に降り立っても、すぐにタクシーで移動することが出来る点は、誠に心強い限りでした。

山間の小駅ですが、小海線の始発駅でもあり、中央本線の山梨と長野の境界に位置する駅。普段の列車運行でも、この駅で多数の折り返し列車が設定されており、深夜に渡る貨物列車の交換、そして特急「あずさ」は1本を除いてすべて、「スーパーあずさ」も半数は停車する、中央本線における運転の要衝でもあります。スペースは狭いですが、5本の発着線を有する本格的な交換駅です。

小さな待合室スペースと使い込まれたベンチ。

冬場になるとストーブが置かれるために、ベンチの前にはスペースが空けられています。降雪や大雨、強風などの気象条件で頻繁に遅延が発生する、高尾以西の中央本線。付近の学校に通学する生徒と併せて、この待合室が一杯になってしまう事も少なくありません。

小さいとは言いながらも、有人改札を有し、みどりの窓口もちゃんとある小淵沢駅。列車の接続や運行トラブル時の説明、不慣れな観光客の方に丁寧に対応する駅員さんの存在は実に頼もしいです。みどりの窓口開設時間外でも指定席を取れる指定券自動券売機は、あずさ回数券を常用する地元民にとって、急ぎの上京の際に何時でも指定席を取れる貴重な存在でもあります。

駅弁を販売する「丸政」が運営する駅蕎麦のお店。

こんな山間の小駅ですが、駅を行き交う人を温かく迎えてくれています。

駅蕎麦の食券機。こんな山奥の駅にも拘らず、下の方にずらっと並ぶトッピングメニューに驚かされます。そして、一番右下に設けられた「持ち込み容器」のボタン。こちらで購入した蕎麦を列車内に持ち込む事が出来るのです(地元の方はおかずとしてトッピングだけ買って持ち帰るという技も)。実は駅舎の新築工事が始まる以前には、ホームにも駅蕎麦の売店があり、旅行客の方や地元の高校生などが、持ち込み容器を手に慌てて列車に乗り込むシーンが良く見られたものです。

山間の小さな駅ながら、小淵沢駅の知名度を全国的に高めているのが、こちらのお弁当「高原野菜とカツの弁当」駅弁としては異例の生野菜のサラダをメインに据えるという英断が大人気となり、昭和40年代から現在でも販売が続く、全国的にも長寿を誇る名物弁当です。

小さな駅舎ながら、特急列車が1~2時間ごとに停車する小淵沢駅。駅前には終電までタクシーが待機し、みどりの窓口では駅員さんが直接乗降客の応対を行い、駅蕎麦と駅弁が揃う、昔ながらの旅行するための駅としての全てが揃った、現在の縮小を続ける地方の鉄道事情から考えると、とても恵まれた駅であった事が判ります。

新しい観光列車の運行が発表され、鉄道による観光の復権が唱えられる一方、地方の鉄道利用には厳しい側面もあります。今回の小淵沢駅新駅舎運用開始と足並みを揃えるかのように実施された周辺駅の無人化、委託解除。お隣の長坂駅は一日の乗降客数では小淵沢駅と遜色が無く、3月までは特急停車駅でみどりの窓口も設置されていましたが、いずれも廃止となり、無人駅となってしまいました。

そして、新しい駅舎が完成を迎える小淵沢駅。

広くなったエントランスとアプローチを得た代わりに、これまでの商店街と離れた場所に設けられた入口。今日執り行われる竣工式典準備が進む土曜日の夕方、傍らで感慨深そうに駅舎を眺める地元商店街の方が印象的でした。私がこの駅に降り立った頃には既に俎上に上り、非常に長い間、紆余曲折を経てきた小淵沢駅の新駅舎建築。その間の経緯は此処では述べません。

竣工前日となって駅名標に火が灯された小淵沢駅新駅舎。これまであった駅蕎麦のお店と待合室は、改札が設けられる駅の2階となり、丸政直営となる売店と市の観光案内所は1階に入居することになっています。

元々1日1000人強の乗降客。建屋は大きく立派になりましたが、駅を利用される方が使われるスペースは、これまでとそれほどには大きく変わることは無い新しい小淵沢駅です。

木の温もりと甲斐駒と八ヶ岳の両方のパノラマが楽しめる事をウリにした、この新しい駅舎が、訪れる多くの方々に愛される事を願いながら。

明日の朝には目の前のロータリーと共に閉鎖される小淵沢駅の旧駅舎。上記のリンクで朝日新聞さんが取り上げていますように、この駅舎は解体される運命にあります。

見納めとなってしまう今日、中央本線開業以来とも伝えられる山間の小さな駅舎にお別れを告げに訪れようと思います。

7/2午後10時35分、お迎えで訪れた、最後の小淵沢駅、旧駅舎待合室の姿を収めました。既に指定券券売機は取り外され、構内には引っ越し作業に携わる工事関係者の方々が多数集まってきています。

この後、11:14発の上り甲府行き最終列車が出発の最終、0時38分着の小淵沢止まりの下り終電を迎えて、この駅舎は利用終了となります。これまで長らくの間、ありがとうございました。

最終の甲府行き上り列車がプラットフォームに到着した小淵沢駅。新エントランス側から新しい駅舎を遠望。明日の朝、この場所から新しい旅の物語が育まれ始めます。

<追記:2017.7.6>

旧駅舎が閉鎖になって4日、当初の混乱も少しずつ収まり始めた小淵沢駅前。

車の通行量がめっきり減った、旧駅舎前を通り過ぎようとすると、ちょっと様子が変わっていました。

子供の手で書かれたであろう色とりどりのイラストと、「ありがとう」の文字。

気になって、ネットを調べてみると、こんな記事がupされていました。

昨日のうちに地元の幼稚園の園児たちが描いたようです。既に今日の朝から解体準備工事が始まった小淵沢駅の旧駅舎。9月の末までの予定で解体が済んだ後、新しいロータリーと駐輪場(計画図ではバスの発着場もこちらに出来ます)が整備される予定になっています。

旧駅舎最後の一枚として。

田舎の「本線」も春からちょっと模様替え(suicaとほんのちょっと新しくなった列車たち)

田舎の「本線」も春からちょっと模様替え(suicaとほんのちょっと新しくなった列車たち)

New!(2017.3.4) : 本日からJRは2017年度ダイヤに改訂されました。長坂駅へのあずさ停車廃止、更には無人化など、縮小傾向も見受けられますが、韮崎以西で一部駅のみ利用できたsuicaのサービスが、4/1より中央本線の松本駅まで全駅でサービス開始となります。

suica中央線長野拡大.png

これまでフルサービスとなっていなかった各駅(簡易入場機のみ設置)や、今回新たにサービス開始となる駅のうち、無人駅、簡易委託駅についても、指定席券発売機ないしは多機能券売機を設置してフルサービスの対応を開始するようです(近隣では新府、穴山、信濃境、すずらんの里、青柳、みどり湖の各駅が対象)。サービス開始は4/1ですのでお間違いなく。なお、小海線の清里、野辺山の両駅はこれまで通り、残額範囲内での入出場のみ可能な限定サービスのままです。ご旅行の際にはご注意を。

注記(2017.5.9) : 上記のサービスガイドの解説とは異なり、既にサービスインしている地区の駅同様「無人駅及び業務委託駅ではフルサービスが実施されない駅があります」。今回のサービスインエリア(韮崎-松本)では以下の対応になります。

  • 入出場のみ対応 : 新府、穴山、信濃境、すずらんの里、青柳、みどり湖 
    • 信濃境、青柳、みどり湖の各駅に券売機はありますが、suicaは使えません
    • 新府、穴山、すずらんの里の各駅には券売機もありません
  • 券売機でチャージ可能 : 日野春、長坂 
    • 残額が不足した場合、一旦改札を抜けて、券売機でチャージした後で出場処理を行います
  • みどりの窓口あり : 小淵沢、富士見、茅野、上諏訪、下諏訪、岡谷、塩尻から松本の各駅

すずらんの里駅のSuica入出場機です。ご覧のようにそれ以外の機能、端末は用意されていません。残金が不足の場合は、最寄りの有人駅での対応となります。

今回のサービスに合わせるかのように特急停車駅(みどりの窓口あり)から一気に無人駅で落とされてしまった長坂駅。既に有人改札にはシャッターが下ろされてしまっています。なお、乗車証明書発行機が設置されていますが、自動券売機はこれまで通り稼働しています。指定席券の発券は不可能ですが、きっぷの購入やSuicaのチャージを行うことは可能です。

New!(2016.12.3) : これまで韮崎以西は特急「あずさ」停車駅と小海線の清里、野辺山駅のみで使用可能だったSuicaですが、来春の4/1より中央本線の新府-塩尻間の全駅と塩尻-松本間の篠ノ井線全駅で入出場フルサービスが使用できるようになります(中央本線でも岡谷-辰野-塩尻間の通称、大八廻りはやはりエリア外です)。

Suica使用可能エリア拡大2017年4月

また、これまで入出場のみ使用できた「あずさ」停車駅では、新たに払い戻しや再発行などのフルサービスが提供される事になります。詳しくはJR東日本のプレスリリース(PDFファイル)をご覧ください。あずさが運行される各駅でSuicaの出場が可能になった事で、これでいよいよ「待て」の状態にされていた、自由席が座席毎でSuica清算対応となる予定の新型特急車両E353系導入の障害がなくなるようです。

なお、今回のサービス開始区間には複数の無人駅(新府、穴山、すずらんの里、青柳等)が含まれていますが、残額が不足した場合、出場処理が出来ません。降りた際に残額不足の表示が出た場合には、早めに有人駅に行って清算を行うか、履歴をロックしてもらった(上記エリアで赤丸で示された駅には、有人であっても前述のようにフルサービスに対応せず清算が出来ない駅もあります。ロックしてもらうと証明書を発行してもらえます)上で、清算可能な駅で処理してもらいましょう。

東日本地域を広範囲にカバーするJR東日本の路線網。

中でも、「本線」という名称が付けられている路線は、旧国鉄の時代から重要路線として位置づけられています。

しかしながら、現代は車社会。首都圏の中核部でも無い限り、列車の本数は1時間にほんの数本。中には昼間は殆ど走らない「本線」路線も珍しくありません。

そんな中核部からは大分離れた、ここ八ヶ岳の南麓の鉄道路線ですが、この春からちょっとした変化が生まれました。

suica利用範囲拡大のパンフ駅で配られているパンフレット。これまで韮崎止まりだったsuicaの利用範囲が、4/1から大幅拡大、篠ノ井線の松本までカバーされるようになりました。

但し、ちょっとした問題点もあったりします。パンフレットをよーく見てみると、首をかしげたくなる点がいくつも出てきます。

ポイントがは利用可能駅とサービスの内容です。

suica新利用可能駅のmap新たに利用できるようになった駅のmapをご覧いただくと、奇妙なことに気がつきます。

現在のsuicaエリアでは、エリア内で利用不可能な駅は存在せず、すべての駅で利用することが出来ます(これは無人駅も含まれます)。

ところが、韮崎から先の新たに利用可能となった駅は、エリアすべての駅をカバーせず、特定の駅だけ利用可能になっているのです。

新たに利用可能となった駅のラインナップを見ていくと、JR東日本の意図が見えてきます。そして、下欄にご注意くださいと書かれている部分を眺めると、更にその意図が明白になるのです。即ち、「特急利用客、特に東京方面から乗車する乗客の利便」だけを考慮した今回のエリア拡大なのです。

  • 今回利用可能となった駅は特急停車駅か東京方面からの観光客の多い駅に限られる(特急乗車客を念頭、有人駅の日野春や信濃境すら適用外)
  • 何とsuicaカードの発行、suica定期券の発行には対応しない(地元利用客の便は考慮していない)
  • 一部の駅ではチャージにすら対応しない(元々は、すべての駅でチャージには対応しない案だったようですが。乗車する側で使われることは考慮していない)
  • JR東海との乗り継ぎには使用できない(対東京方面での利用しか念頭にない)
  • なんと言っても、県庁所在地で新幹線も停車する長野駅より先に、松本側でサービスが開始された

来年から、老朽化と振り子車両のため、車両、路線共に維持費が高いことがネックとなっている、現在使用されているスーパーあずさの車両が更新されることが決定しています。この新型車両では、首都圏の他の特急と同様に、各座席にsuicaの自由席加算用タッチパネルが取り付けられることは間違いないでしょう。

今回のsuica利用範囲拡大は、正に来年からの新しい車両を受け入れるための下地作り。東京方面からsuicaを利用して乗車する利用客だけにフォーカスした、ちょっと残念なサービスインだったりします。

もっとも、suicaが利用できる各駅間での乗車では、例の「1円単位ルール」が適用されるため、積極的に使うことで運賃を抑えることも出来ますので、東京や甲府などでsuicaを発券、もしくは携帯チャージをお持ちの方であれば、使える限りは使った方が良いことになりますね(suica対応のおまけで付いてきた、きっぷの利用期間1日制限は、観光でお越しの、こちらも東京方面からの利用客の皆様に対する利便性の代償でしょうか)。

小淵沢駅のsuica簡易端末そんな訳で、使えるものは使いましょう!と、小淵沢駅から利用してみます。

元々、自動改札機などと言う現代的な設備が無かった駅ですので、大して邪魔にもならず、有人通路にすんなりと置かれています。

メンテナンスコストを考慮して、既設の韮崎駅同様、有人駅にも関わらず簡易型の端末です。

自動販売機もsuicaチャージ対応に変更されたのですが、筐体やパネルがちょっとお疲れ気味。どうやら、どこか首都圏の駅で利用されていた「お古」が廻されてきたようです。この辺りも、田舎の悲哀を感じさせます。

長野色211系の半自動扉扱いポスターそして、この春からもう一つの変化が。

これまで長らくの間、普通列車で使用されてきた車両(115系)に新たにラインナップされた車両(211系)の利用案内のポスターです。

この地では初めての「半自動ドア」列車の登場です。

すでに、長野側では利用されていた車両ですが、この春から小淵沢を超えて、今回は甲府駅まで運用が拡大されました。

将来的には立川駅から松本駅、飯田線や大糸線の広い範囲で運用されることが予定されています。

これまでの列車では、冬場は完全手動、夏場は車掌さんの操作による自動開閉で扉操作が行われていましたが(特急通過待ち時は手動)、首都圏のローカル路線(相模、五日市、青梅、八高、房総、茨城、北関東の各路線)と同様に、通年で乗客のボタン操作による開閉に変更になります。

このボタン方式、小淵沢駅を発着する小海線ではおなじみのシーンなのですが、本線だけを利用する多くの乗客にとっては初めてのこと。ちょうど、この車両を使った列車に乗り合わせることになったのですが、まだまだ慣れない様子。昔から冬場の乗降の際には手で扉を開け閉めしていたので、扉を開けること自体は違和感が無いようなのですが、開け方が判らず、扉の前で立ちすくんでしまったり、自動で閉まるだろうと考えて、開けたまま乗り降りしてしまったり(首都圏の他地域では自分で開け閉めのルールが自然と出来ていますよね。開けっ放しなのは、むしろ甲州人の特性かな?)と、慣れるまでは時間がかかりそうです。

そして、これまでとは全く異なる、長大なロングシートが広がる車内。これまでであれば、それぞれにクロスシートに散らばっていくところが、乗った後も皆さんドアの辺りでうろうろと。首都圏の乗客であれば「特等席」として真っ先に埋まる、ロングシート隅っこの席も、クロスシートに慣れた皆さんにとっては、すきま風吹き込む「下等席」。しばし思案した挙げ句に、隅の席に収まってみたり、ロングシートの真ん中辺りに申し訳なさそうに座ってみたりと、ちょっとした人となりが現れるシーンが繰り広げられます。

そして、首都圏の列車では数十年前から問題となっていた「定員着席」の問題も、ロングシートが初めてのこの地では始まったばかり。空いているので別に迷惑にはならないのですが、豪快に足を広げたり、シートの両方にお店を広げられるのも、ロングシート故の風景。

これから車両の入れ替えが進んでいくと、このような風景もすっかり日常のワンシーンとして、根付いていくのでしょうか。

甲府駅で211系長野色乗車してきた車両を、現在の終着点でもある甲府駅で。

新しい車両と書きましたが、東海道線や東北、高崎線では既におなじみの車両。東海道線からは既に引退しています。

今回導入された車両も、上記の路線や房総地区で使用されてきた車両の「お古」。地元の方にとっては新しい車両でも、デビューは何と旧国鉄時代の1985年。実に30年前に登場した車両だったりします。

自家用車なら、あのバブル時代を象徴するデート車としてもてはやされた2台目ソアラ(1986年)よりデビューは古いのです。

今時、あの車なんて走っていませんから、鉄道車両というのは何とも寿命が長いものですね(現在も使用されている115系の元となった401系のデビューは何と1960年、50年以上前の設計・デザインです)。