今月の読本「日本の品種はすごい うまい植物をめぐる物語」(竹下大学 中公新書)先鋭と多様性、花卉ブリーダーが説く篤農家と育種家が手を携えて進む商品作物の未来

今月の読本「日本の品種はすごい うまい植物をめぐる物語」(竹下大学 中公新書)先鋭と多様性、花卉ブリーダーが説く篤農家と育種家が手を携えて進む商品作物の未来

本屋さんに魅力的なタイトルの作品が大挙して入荷してくる年末のシーズン。

じっくり読む時間が取れるとはいえ限られた読書時間の中、どれを読もうか何時も迷ってしまいますが、まだ仕事納め前だし、まずは軽めに新書でもと思って手に取ったこの本。軽めなその表題を裏切る印象的な一冊となりました。

日本の品種はすごい

今回は「日本の品種はすごい うまい植物をめぐる物語」(竹下大学 中公新書)をご紹介します。

副題を添えないと趣旨が判らないくらい、如何にも流行の表題の付け方ですが、更に綴られる内容はその表題からはかなり異なる印象を受けます。著者は元、大企業(キリン)の花卉育種部門を立ち上げられた方。現在は団体職員を務められていますが、社会人人生の大半を企業の「育種家」(ブリーダー)として過ごされた方。副題に表される「うまい」、即ち食用農作物(作物)のお話ともかなり離れた経歴をお持ちの方です。

花卉ブリーダーの方が何故に作物のお話をと、表題と副題を見ただけでは首を捻ってしまいますが、著者の執筆意図は明白です。その「うまい」作物たちの元を生み出す「育種家」と、商品作物として市場に送り出す事に尽力した「篤農家」達の物語を綴る事。

本書は、専門書籍以外ではかなり珍しい、農作物生産を影のように支える育種家と種苗メーカーサイドの視点で、商品としての農作物の発展を捉えていきます。

大学の研究者や公立の農業試験場関係職員の立場では忖度もあって書きにくい、作物の商品名(種苗品名)や種苗メーカーの名前をストレートに書くことを憚らない、種苗商品としての価値やその趨勢を統計資料や歴史的な記録から語りながらも一歩引いた視点で評価する事が出来る。同業者であっても育成する植物の種類が大きく離れる著者所以の視点で描かれていきます。

本書で紹介される「作物」たち。前半はジャガイモ、ナシ、リンゴ。世界的な作物と果樹、日本固有の果樹が取り上げられていきますが、何れも著者のブリーダー経験に近い分野。花卉ブリーダーに与えられる世界的な賞を受けた事もある著者ならではの、世界市場における農産品改良の歴史を見据えた視点を添えて綴られる内容は、同種の本でもなかなか語られない内容。農産物輸入自由化という外圧に抗し続ける、各地の農業試験場による効率的で収量が得られる品種への改良と、それを上回る規模とスピードで育種と配布を行う、日本のジャガイモ農業を支える柱石ともなっているカルビーの存在。江戸時代から続く果樹育成者達の品種改良への意欲は、文明開化を迎え、海外からの品種と改良技術の導入によって大きく花開く一方、研究者、育種家達が作り出した「作品」を、商品作物として作りこなして実際に収穫し、利益に結び付ける事が出来るようになるまで粘り強く向き合い続けた「篤農家」達の存在があった事を示していきます。

どんなに筋の良い品種でも、育種家と篤農家のコンビネーションによる成果が多くの生産者に受け入れられた時に初めて「農作物」に成り得る。更には彼らがどんなに良い品種だと思っていても、色味や食感、サイズと言った市場であるバイヤー、購買する人々のニーズに合わなければ「商品」として成功を収める事はない。企業ブリーダーとして育種の最前線に居た著者ならではの視点でその趨勢を綴っていきます。その上で、近年特に問題視されている農産品の原種流出に対して、日本を代表する世界的な品種となった一方、中国での生産量が日本国内の実に35倍にも達した「ふじ」を例に採り憤りを示しつつ、何故種苗法の改正が必要であるのかを論じていきます(ここで、育種家の皆様には品種交換という理論がある事を伺わせます)。

著者の専門分野の周辺に位置する前半から、後半は少し離れた作物へと移っていきます。ダイズ、カブ、ダイコン。伝統野菜としての品種や味覚、利用法を紹介する一方、前半のような育種家達、公立の農業試験場(ダイズの「エンレイ」(塩嶺ですね))の活躍の物語から、今や大企業となったタキイ、サカタといった種苗メーカーが送り出す種苗品種の話へと移っていきます。

著者が勤めていた企業がブームの後押しをした「だだちゃ豆」の栽培拡大。僅かにしか収穫されない「丹波黒大豆」に対して県外で大量に生産される同系品種たち。そして、僅か数%の生産にまで縮小した「三浦大根」に取って代った、西からの刺客「青首大根」普及の理由と、それでも満足しない、コンビニという名の巨大バイヤーの意向に合わせた「青くならない」青首大根の開発。伝統野菜と称される品種の中にも、数多くの品種が代替としてのF1品種へ入れ替わっている事を明示します(諏訪の伝統野菜、上野大根も、F1品種化する事で一定規模の品質/収量を確保している点は否定する事は出来ません。詳しくは本書も参考文献として用いている「地域を照らす伝統作物」(川辺書林)もご参照ください)。

商品であることと同義的に農家にとっての収入源たる農作物について廻る厳しい課題。安定した収量とブレの少ない品質、害虫への抵抗力と早生化の強い要望。時代と共に移り変わっていく顧客の嗜好、栽培する側の労力や収入、地力の維持。このお話に差し掛かると、当然のようにF1品種(雑種強勢)による種苗品種化の話へ進む事になるのですが、ここで少し興味深い点が著者が雑種強勢(F1)の農業分野における最初の適用例として養蚕と外山亀太郎を取り上げる点。養蚕に多少ご興味のある方であればご存知かと思いますが、著者は意外にも植物研究者達がその事を軽視しているのではないかとの指摘を添えています。

そして、F1品種を語る際に避けて通れない事象について、著者は二つの点を指摘します。まず、F1品種が在来品種を駆逐してしまうのではないかという疑念について、雑種強勢を生み出すためにはその親となる世代の多様性と精緻な育種技術こそが大事であり、在来品種の遺伝多様性の重要度を最も理解しているのはむしろ育種家達であると断言します。その上で、F1品種に嫌悪感を示す方々に対して、商品作物の価値を論じえない「アンチ」なだけだと評してしまいます。もし本書の副題を伝手に、伝統作物、品種への思いや育種政策に対する何らかの反論が描かれていると考えられて手に取られた方には失望を通り越して不満を呈されるかもしれない著述ですが、その原因が著者が指摘する在来品種がF1品種に駆逐される事へ危機感を感じているのではなく、著者が明らかにしているように、F1品種が精緻な栽培技術と豊富な原種のコレクションなくして作り出す事が出来ない、それ故に種苗を管理し提供する主体が公から民へと移る事に強い不安を感じているのではないかと…閑話休題

種苗家、種苗メーカーという主に作物の品種を作り出す側の視点で描かれてきた本書ですが、最後の1章はかなり様相が異なります。野菜という範疇にも捉えにくい「ワサビ」。伝統的な生産地においても、累代の篤農家であっても御し得る事が極めて困難、いえ、未だ作物として安定的な品種となっていないのではないかとの疑念を滲ませながらその推移を綴る著者。実際に現地の農家の方との話しを織り交ぜながら、その気難しさと不安定な品質理由について判っている範囲での技術的な見解を示していきます。その中で、著者の専門分野であるクローン育成苗を利用して農業分野外から参入した「海の見えるワサビ園」話の先に乱立したワサビクローン苗ビジネスの実態を添えて、農業生産者と商品作物に何が求められるかを冷静に見つめていきます。

著者の経験がふんだんに生かされた本書は、単なる美味しい作物の物語に留まらず、広くアグリビジネス、種苗ビジネスの一端を伝える内容を中軸に織り込んだ、新書という一般の読者に読まれる本としては極めて珍しい一冊。年々美味しくなる果物、野菜たちの裏側にある、ビジネスとしての商品作物創出という過酷な世界の中で、種苗家と農業を支え続ける人々が紡ぎ出すもう一つの物語を教えてくれるようです。