今月の読本『信州を学ぶ 日常生活からひもとく信州』(長野県立歴史館編 信濃毎日新聞社)信州学のスタートは郷土史を越えて広がる視点を添えて

今月の読本『信州を学ぶ 日常生活からひもとく信州』(長野県立歴史館編 信濃毎日新聞社)信州学のスタートは郷土史を越えて広がる視点を添えて

連年オリジナル企画を送り出してくる、長野県を代表する新聞社であり出版も手掛ける信濃毎日新聞社。

今年の新企画は、新たに「信州学」をテーマに据えたシリーズを刊行するようです。

シリーズの概要は明らかにされていませんが、スタートとなる本書は、その入口となる「衣食住」をテーマにした一冊。

今月の読本『信州を学ぶ・足元を探る編 日常生活からひもとく信州』をご紹介します。

本書の編者は長野県立歴史館。前の信州大学副学長で館長を務める笹本正治先生は数多くの中世史に関する著作で知られる方ですが、館長として着任して以来、積極的に県内各地の博物館や美術館での公演を行ったり、これまでの歴史館としては初めての、収集品以外に武田信玄直筆の書状を県の予算で古書店から購入するなど、積極的な歴史普及活動を続けられています。

今回の一冊も、はじめにで書かれているように、大きな歴史の流れに対する単なるパーツとしての地方史、郷土史ではなく、信州の地に生きた人々を主人公とした歴史を記したいとの強い想いを述べられています。

笹本館長率いる歴史館のスタッフ総勢20名を擁して三つのテーマに振り分けて描く本書。流石にこれだけの人数が手掛けますと、内容や記述についてかなりばらつきが出ますが、その中でも一貫した執筆方針を採られているようです。

一つ目には、その記述がどんな時代、テーマであれ、身近な生活と密着した内容であること、二つ目として、特定の時代、専門分野の叙述に留めず、時間的、空間的な俯瞰性を持たせることを意図していることがはっきりと見えてきます。

「衣」であれば、今の地名に繋がる、律令時代の麻の生産から始まり、女子高生の埴輪ルックと寒冷地信州における衣服の特徴へと繋いでいく。「食」であれば、もちろんジビエと諏訪信仰における鹿免食を繋げますが、遥か長崎の卓袱料理と諏訪神社へと着目する。そして本書で出色なのは「住」の項目。古代から近代まで、居住空間や生活拠点に関する内容の中でも、特に近世初頭から近代に着目した部分の筆致は実に魅力的。流石に主編者となる笹本先生が書かれた項は一発で判りましたが、それ以外にも、佐久平を起点に全国に広まった踊念仏と善光寺から始まる信州の芸能と建築の伝統や、山への信仰と街路の方角、雪国における特異な建築条件、特産の菜種油と照明のテーマでは日本で初めての商業油田が長野で成立したことから繋げるなど、歴史的な経緯を近現代に延長させることで見えてくる意外なテーマが目白押し。そこには、人は何故其処を住居としたのかという着目点を突き詰めた先に、雪と山間に閉じ込められたどん詰まりに生きる貧しい人々という、近代までの信州に対するステレオタイプをどんどん打ち消していく様な内容が綴られていきます。

更には、本書が「歴史館」という、博物館や考古館、文学館、歴史民俗館とは異なるスタンスを持った、すべての歴史時代から現代までの時代背景を通貫して描けるスタッフが著述を手掛けたという事を明確に示す点が、要所に織り込まれたコラム。発掘土器は現代の会食のマナーにまで繋がり、信州ならではの塩イカの歴史も現在の製造(実は福井県の三社ですべて生産)や販売傾向といった現代の食文化に直結。そして、信州と長野の呼称に対する微妙な使い分けを歴史的な経緯から探り出すといった、県民の皆様ならちょっと冷や汗が出てくるような小論考まで。

歴史館という、ち密に細分化された現代の歴史研究環境に於いて、ちょっと中途半端にも思える位置付けにある、その場所で活動を続ける方々が思いを込めて綴る、信州を軸に時間と空間を広げていくオムニバスストーリー。本書の性格故に本格的な議論がなされる訳ではありませんが、この一冊をきっかけに信州のことをもっと知ってほしい、その先に広がる世界、時代と必ず繋がっているという事をはっきりと教えてくれる一冊です。

雑学もたっぷりの「信州学」を標榜するに相応しい、次回以降のシリーズも楽しみにしながら。本書が好評の暁には、県立歴史館だけではなく、他の研究機関、博物館、美術館、山岳や観光、技術や工業、スポーツの団体など、信州の歴史/文化全般に渡るシリーズになる事を期待してしまいます。

 

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