今月の読本『信州を学ぶ 日常生活からひもとく信州』(長野県立歴史館編 信濃毎日新聞社)信州学のスタートは郷土史を越えて広がる視点を添えて

今月の読本『信州を学ぶ 日常生活からひもとく信州』(長野県立歴史館編 信濃毎日新聞社)信州学のスタートは郷土史を越えて広がる視点を添えて

連年オリジナル企画を送り出してくる、長野県を代表する新聞社であり出版も手掛ける信濃毎日新聞社。

今年の新企画は、新たに「信州学」をテーマに据えたシリーズを刊行するようです。

シリーズの概要は明らかにされていませんが、スタートとなる本書は、その入口となる「衣食住」をテーマにした一冊。

今月の読本『信州を学ぶ・足元を探る編 日常生活からひもとく信州』をご紹介します。

本書の編者は長野県立歴史館。前の信州大学副学長で館長を務める笹本正治先生は数多くの中世史に関する著作で知られる方ですが、館長として着任して以来、積極的に県内各地の博物館や美術館での公演を行ったり、これまでの歴史館としては初めての、収集品以外に武田信玄直筆の書状を県の予算で古書店から購入するなど、積極的な歴史普及活動を続けられています。

今回の一冊も、はじめにで書かれているように、大きな歴史の流れに対する単なるパーツとしての地方史、郷土史ではなく、信州の地に生きた人々を主人公とした歴史を記したいとの強い想いを述べられています。

笹本館長率いる歴史館のスタッフ総勢20名を擁して三つのテーマに振り分けて描く本書。流石にこれだけの人数が手掛けますと、内容や記述についてかなりばらつきが出ますが、その中でも一貫した執筆方針を採られているようです。

一つ目には、その記述がどんな時代、テーマであれ、身近な生活と密着した内容であること、二つ目として、特定の時代、専門分野の叙述に留めず、時間的、空間的な俯瞰性を持たせることを意図していることがはっきりと見えてきます。

「衣」であれば、今の地名に繋がる、律令時代の麻の生産から始まり、女子高生の埴輪ルックと寒冷地信州における衣服の特徴へと繋いでいく。「食」であれば、もちろんジビエと諏訪信仰における鹿免食を繋げますが、遥か長崎の卓袱料理と諏訪神社へと着目する。そして本書で出色なのは「住」の項目。古代から近代まで、居住空間や生活拠点に関する内容の中でも、特に近世初頭から近代に着目した部分の筆致は実に魅力的。流石に主編者となる笹本先生が書かれた項は一発で判りましたが、それ以外にも、佐久平を起点に全国に広まった踊念仏と善光寺から始まる信州の芸能と建築の伝統や、山への信仰と街路の方角、雪国における特異な建築条件、特産の菜種油と照明のテーマでは日本で初めての商業油田が長野で成立したことから繋げるなど、歴史的な経緯を近現代に延長させることで見えてくる意外なテーマが目白押し。そこには、人は何故其処を住居としたのかという着目点を突き詰めた先に、雪と山間に閉じ込められたどん詰まりに生きる貧しい人々という、近代までの信州に対するステレオタイプをどんどん打ち消していく様な内容が綴られていきます。

更には、本書が「歴史館」という、博物館や考古館、文学館、歴史民俗館とは異なるスタンスを持った、すべての歴史時代から現代までの時代背景を通貫して描けるスタッフが著述を手掛けたという事を明確に示す点が、要所に織り込まれたコラム。発掘土器は現代の会食のマナーにまで繋がり、信州ならではの塩イカの歴史も現在の製造(実は福井県の三社ですべて生産)や販売傾向といった現代の食文化に直結。そして、信州と長野の呼称に対する微妙な使い分けを歴史的な経緯から探り出すといった、県民の皆様ならちょっと冷や汗が出てくるような小論考まで。

歴史館という、ち密に細分化された現代の歴史研究環境に於いて、ちょっと中途半端にも思える位置付けにある、その場所で活動を続ける方々が思いを込めて綴る、信州を軸に時間と空間を広げていくオムニバスストーリー。本書の性格故に本格的な議論がなされる訳ではありませんが、この一冊をきっかけに信州のことをもっと知ってほしい、その先に広がる世界、時代と必ず繋がっているという事をはっきりと教えてくれる一冊です。

雑学もたっぷりの「信州学」を標榜するに相応しい、次回以降のシリーズも楽しみにしながら。本書が好評の暁には、県立歴史館だけではなく、他の研究機関、博物館、美術館、山岳や観光、技術や工業、スポーツの団体など、信州の歴史/文化全般に渡るシリーズになる事を期待してしまいます。

 

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今月の読本 写真集「遥かなる遠山郷 The Utopia: Toyama Village」(塚原琢哉 Takuya Tsukahara 信濃毎日新聞社)救い出されたフィルムに刻まれた、清々しく天空に生きる人々の姿

今月の読本 写真集「遥かなる遠山郷 The Utopia: Toyama Village」(塚原琢哉 Takuya Tsukahara 信濃毎日新聞社)救い出されたフィルムに刻まれた、清々しく天空に生きる人々の姿

New!(2019.1.13)

昨日、訪問させて頂きました。

書籍では感じ得ない圧倒的な存在感と、豊かな人々の表情。天空の里の眩しい程の光溢れる情景を写し撮った、60年を経て奇跡的に助け出されたプリントの数々。

眩しい日差し溢れる畑の中で、立ったまま幼子を背負い子守をしながら読書に興じる少女を捉えた一枚。ご自身の姿を映し出されているのでしょうか、老境に差し迫った杖を突いたご老人の方(講演会の最後で質問に立たれた方だったかと)がずっと立ち止まって魅入られていたのが印象的でした。

約100名の方が集まった、前後2時間に渡る講演。

前半の塚原琢哉氏による撮影の経緯とそこに残されたフィルムを思い返す中で語る、長きに渡って欧米諸国、特に東欧で撮影してきた中で培われたであろう、民族と神との契約を次の世代へと受け継ぐことを求める想い。

民俗学者ではないのですがとの前置きの上で語る、遠山郷で生まれ育った飯田市美術博物館の櫻井弘人氏による、中央構造線を添って伸びる修験道の道すじの先に繋がる遠山郷と民俗芸能としての霜月祭りが塚原氏が願う継承の象徴として結び合うお二人の話。

質問に立たれた民俗学研究者の方が述べる、かの地は取材などを断る閉鎖的な背景があった筈、その中で何故このような写真を撮る事が出来たのかとの質問に対して、強くたしなめるように答える、写真家と撮影される人々との強い信頼関係が無ければその距離は縮まらないという、氏の写真家としての強い矜持。それに応えるかのように、氏が撮られた霜月祭りの面や振りを実際に舞って見せた写真に対して、現在でも祭りの時期以外に撮影を許す事はまずない(撮影は春と夏)と、驚嘆の意を示す櫻井氏。更には、その面の作られた時期から判明した、常に一纏まりであったかのように見える下栗の集落が、実は明治31年に大きな分裂を生じていた事を示し、祭りの類似性や時代の前後性を含めた周辺との繋がりと、集落毎の独自性を一連の歴史の中において丁寧な検証をする必要性を示唆する、民間芸能の研究者としての櫻井氏の解説。

写真で示される、車道が切り開かれる前には集落を埋め尽くすように育てられていた麦畑が、厳しい環境の中でも豊かな実りを具えていた事を強く印象付ける。行き止まりの侘しい集落ではなく、南アルプスを越えて井川にも、青崩峠を通じて遠州の秋葉山、そして地蔵峠を越えて南信に繋がる、豊かな山林資源にも恵まれた三遠南信、要衝の地。

いずれも、遠山郷に対する認識を大きく覆すお話がふんだんに語られていきました。

最新のデジタル技術も駆使したであろう、フィルムから起こし直したプリントデータ、全170点(実際には1600コマ程あったうちの助け出せた分だけです)は、飯田市美術博物館に寄贈されていますが、これだけの規模で一堂に会して展示されるのは今後あまりないかもしれません。展示は1/20まで、松本市内中心部に位置する、信毎メディアガーデンです。

 

<本文此処から>

何時とちょっと毛色の違う本のご紹介。

長野県を代表する郷土出版社としての顔を持つ信濃毎日新聞社さんは、これまでも何度かご紹介していますように、地元に密着した、刊行数があまり望めないようなテーマを扱いつつも、妥協のない編集、装丁を施した書籍を送り出されています。

今回のご紹介する最新刊は、そんな作品群の中でもとびきり白眉な一冊。ポーランドを中心に東欧を題材にした作品、特に黒いイコンの一連の作品で世界的にも著名な写真家、塚原琢哉氏が若かりし頃に撮影したフィルムから奇跡的に救い出されたプリントを纏めた一冊です。

写真集 遥かなる遠山郷 The Utopia: Toyama Village」(塚原琢哉 信濃毎日新聞社)のご紹介です。

写真集ですので、当然ですが内容をお見せする事は出来ませんし、私のつたない言葉で伝えられる範疇は余りにも狭いかと思います。

出来れば手に取ってご覧頂きたいと思いますが、お伝えできる範疇で内容をご紹介いたします。

映画や写真のフィルムを扱われた事がある方なら、話には聞いたことがあるかとは思います、現像後のフィルムが劣化し、溶けてしまったり、霜が降りたように白濁してしまう現象。長年の東欧を中心とした撮影活動を一段落した著者が古い未プリントフィルムの整理を始めた時に発覚した悲劇、その中から辛うじて救い出した400枚ほどのコマには、作品としては未発表ながらも、60年を経た今だからこそ留めておきたい貴重なシーンに溢れている事に気が付きます。

著者の想いに応えて刊行を決断した版元さんにとっても、決して部数が出る本ではない無い事は判っている筈です。しかしながら、本書のページをめくっていくと、単なるアーカイブ、記録写真という範疇を越えて、何だかとても清々しい想いに満たされてくる自分がいる事に気が付きます。

今からちょうど60年前、1958年の遠山郷、下栗。現代に於いても「日本のチロル」と称される、天空に昇らんという地に拓かれた極限の山村。南アルプスの山並みをバックに俯瞰で眺める姿は当時と何も変わらないように見えますが、実際にその地に踏み入れて撮られたプリントには、今とは全く異なる姿が焼き付けられています。

まだ自動車が入れる道は無く、麓の集落までは山道を住民であれば徒歩で1時間、間道の谷に掛けられるのは踏み抜いてしまうような細い間伐材を集めて辛うじて繋いだか弱い木橋。電気が通ったのは著者が訪れる2年前で、依然として主な動力は馬力。水田は僅かに一カ所、重要な収入源であった木材を伐り出す以外、山に張り付くように切り拓かれた段々畑を耕すのも、荷物を運ぶのも、もちろんほぼ全てが人力。

谷から吹き上げる風に抗するように軒先に重ねられた間伐した枝の束と、屋根に載せられた石、小屋のような質素な板張りの家に三世代が寄り添いながら、集落自体も寄り添いながら一体となって暮らす。

何処をどう見ても、厳しい環境に歯を食いしばりながら暮らしているように思えるシチュエーションですが、21歳の著者が40日にも渡って、その地に腰を据えて撮影を続け、辛うじて残った写真には、そんな想像とは正反対の姿が克明に写しだされています。

小さな子から年老いた爺、婆に至るまで、それぞれの役割をきっちり果たしつつも、時に楽しげに、寛ぎつつも、日々の仕事に打ち込んでいく姿。山で見つけた花を背負った木端や自転車に差し込んでお土産として持ち帰る姿には、生活の中に潤いを与えようと願う想いが映し込まれているようです。戦後10年を過ぎて漸く落ち着きを取り戻してきた時代を感じさせる、麓の集落に降りる女性たちの少しお洒落した姿(サンダル履きでよく往復2時間の山道を往けると)や、何でも屋さんに上がって来る商品を楽しそうに品定めする姿からは、どんな僻地の山村も決して孤立することなどなく、規模は小さいながらも、人と物の流れの輪に確実に繋がっていた事をまざまざと見せつけてくれます。

そして、ページの過半を埋める子供達。少し痛んでいますが、金ボタンの学生服にセーラー服の姿を嬉しそうに見せる小学生たち。スリムで足の長い中学生たちは学生服姿で親の仕事を手伝い、子守は女子には限らず、少し年上のお兄ちゃんから姉ちゃん、そして近所の爺まで、手が空いていれば誰でもかまってあげる鷹揚さ。

桃源郷と呼ばれる場所故に、まるで夢でも見ているような気分にさせられますが、まごう事なき60年前にかの地の姿を映した写真。特に、著者が「青い山脈」と述べた印象的な一枚の写真は、本当にモノクロ映画のワンシーンを観ている思いにさせられます。

翻って現在、昨今の「秘境」ブームの頂点に位置する様なこの場所も、実際には三遠南信道の部分的な整備によって、飯田からであれば比較的簡単に訪れる事が出来るようになりました。一方で、多くの子どもたちが行き交っていた集落にあった分校は、自動車が通れる道を整備する代わりに休校となり、現在の子供の数は僅か4人。麓の集落より多くの人口を数えた下栗の居住者も50人を割り込むまでに減少してしまいました。

写真集の最後に綴られる著者による解説文と飯田市美術博物館の学芸員の方による寄稿文。撮影の背景以上に濃厚に書き込まれる民俗的なお話を追いながら、峰々を越えた遥か先に切り拓かれた「神宿る豊かな地」に生きてきた人々を、飾らずに、ありのままにワンシーンとして収めた、この写真集を刊行された意義を想わずにはいられません。

奇跡的に救い出されたプリントたちは、今を生きる私たちに、どのような想いを語りかけてくれるでしょうか。

 

 

今月の読本「信州の縄文時代が実はすごかったという本」(藤森英二 信濃毎日新聞社)信州の縄文研究系譜を継ぐ研究者が挑んだ、美しく丁寧に描かれた机上の八ヶ岳縄文ミュージアム

今月の読本「信州の縄文時代が実はすごかったという本」(藤森英二 信濃毎日新聞社)信州の縄文研究系譜を継ぐ研究者が挑んだ、美しく丁寧に描かれた机上の八ヶ岳縄文ミュージアム

New!(2018.7.5) : 今月から始まった東京国立博物館の縄文展。著者である藤森英二さんが制作された、本書にも掲載されている縄文人たちをイメージしたフィギュアが展示されているそうです。

国立博物館の展示で著者の作品をご覧になられた方にも是非お勧めしたい一冊です。

<本文此処から>

版元さんからの刊行案内が出て以来、心待ちにしていた一冊。

金曜の晩に漸く地元書店さんの店先(何時の間にか郷土本コーナーが店舗の奥の方に移っていて、危うく見つけそこなうところでした)で見つけて読み始めましたが、予想を超える素晴らしい仕上がりに、一気に読み進めてしまいました。

地方出版社の衰亡が続く中、まだまだやれる事はあると、意欲的な企画と、地方だから、少部数だからとの妥協を許さない丁寧な制作、編集。大手出版社さんにも全く引けを取らない美しい装丁を施した本を次々と送り出していく信濃毎日新聞社さんが、これまでのコンセプトを更に推し進める形で新たに送り出した一冊。狙ったようなインパクト重視でキャッチーな表題の裏側に描かれる、本当に版元さんの良心に溢れる一冊のご紹介です。

信州の縄文時代が実はすごかったとう本今月の読本「信州の縄文時代が実はすごかったという本」(藤森英二 信濃毎日新聞社)のご紹介です。

本書の著者、藤森英二さんは、八ヶ岳の東麓、北相木村の考古博物館で学芸員を務めながら、主に長野県下の縄文遺跡に関する研究に従事する研究者。このお名前をご覧になって、本書にご興味を持たれた方はピンとくるのではないでしょうか。縄文研究に大きな足跡を残し、今に至るまで学界において議論を呼び続ける、ある意味において、日本の古代史の視点が世界的な考古学の流れと決定的な違いを見せる結果となった論考を残した人物。在野の考古学研究家と呼ばれた、縄文農耕論を著した藤森栄一氏に繋がる方です。

こう書いてしまうと、まるで縄文農耕論の継承者が描く、本格的な縄文文化論が展開される本のように見受けられてしまいますが、さにあらず。更に言えば、このような紹介自体、あくまでも本書を売り込むためのセールストークのようなものであり、著者の意図する所とは異なっている事を予め述べておかなければなりません。

本書が本当に素晴らしい点、それは八ヶ岳西麓に広がる縄文遺跡をテーマに、学芸員とモデラー(掲載されている写真のフィギュアは全て著者の自作です)という、二つのキャリアを存分に注ぎ込んだ、美しくも丁寧に纏められた、ページの上に描かれる縄文ミュージアムを見事に作り上げた事です(注記:信州と表題されていますが、前述のように八ヶ岳西麓がメインテーマです)。

信州の縄文時代が実はすごかったという本巻末に掲載された多くの協力者の皆様の手助けを受けながら、信州の息の長い学研的な伝統が培ってきた研究者の系譜に連なる著者(出身の明治大学において、戸沢充則氏の薫陶を受けています)が、その中心地からほんの少し離れながらも息吹を肌身に感じるであろう八ヶ岳東麓から俯瞰する、数千年に渡ると云われる八ヶ岳高原で大繁栄した縄文時代の主要な研究テーマを丁寧に解説していきます。

執筆協力の皆様によって集められた美しい画像や、良く錬り込まれた豊富な図案。著者自身の制作によるフィギュアによる美しくも可愛らしいフルカラーのページたち。ページに添えられたキャッチーなフレーズを眺めていると、一見して小中学生向けの所謂副教材ではないかと思えてしまいますが、それは大きな誤りのようです。低年齢向けの語法はあえて避けて、一般の読者を想定した文意と、博物館等の刊行物では当然の配慮である、時代感の指摘やキャプション、補記への配慮は、正に本書が学童向けの入門書に留まることなく、より広範な読者、好事者、歴史ファンの皆様に向けて書かれている事の証。多くの皆様が感じているかもしれません、大好きな博物館、美術館を訪れた後、この感動をそのままに収めた一冊の本が欲しいと思う感触そのままに、本書は仕上げられているかのようです。

信州の縄文時代が実はすごかったという本そのテーマ故に入門書としての体裁で纏められていますが、要所に書かれた内容は最新の学術成果も盛り込まれています。本書を読まれる方であれば、一番気になる点についても、最先端の圧痕法(レプリカ法)による知見が盛り込まれており、この一冊で最新の縄文研究の一端に触れる事が出来るように配慮されている点は、更に嬉しいところです。著者はあくまでもこれらの議論に対して、距離を置いた発言をされていますが、その検証手法の発展と新たな知見が現れる事を密かに期待されているようです。

信州の縄文時代が実はすごかったという本そして、八ヶ岳の裾野に広がった縄文時代の遺跡で繰り広げられた物語について、考古学的成果から俯瞰していきます。特異な文様を持った縄文土器の分布と伝播、八ヶ岳の縄文文化を象徴する二つの国宝土偶の物語(二つの間の時間軸的な断絶についても)。そして、発展を支えたであろう豊かな生産性と、交易物としての黒曜石からみる、海をも超えて東日本を広く包み込む、広範な縄文人たちの移動する姿。これらの内容は博物館でじっくり見たつもりでも、改めて本という形で眺め直すと、別の見方が生まれて来るようです。そして、現代に生きる私たちもその大きな流れの中で生きている事を実感させられる、縄文海進とあれほど繁栄した八ヶ岳西麓に生きた人々が残した痕跡の消滅。

ここから先は、是非現在の八ヶ岳山麓に訪れて、その息吹を感じて欲しいとの想いから、多くの類書では決定的に欠けている、各所に点在する博物館の展示紹介や訪問ガイドにページを割いている点は、本書が博物館関係者が著述されている点以上に、地元に在住する人間として、更には本書を通じてその地を訪れたいと思う多くの歴史ファンにとって、極めて嬉しい配慮である事を重ねて述べておきたいと思います(双方に於いて絶対的に断絶して扱われる事が多い、隣県の博物館に関しても、特段の配慮を以て記載をして頂いている点については、深い敬意の念を述べさせていただきます。八ヶ岳山麓は東西南北みんな一緒)。

SNSや著者のブログに残された刊行前のコメントを拝見すると、研究者のキャリアとして本を出すのが早すぎたのではないか、刊行自体に無理があったのではないかと悩まれている様子が伺えますが、そんな想いは多分杞憂だったと思いますよと、お伝えしたいです。

これまでになかった、八ヶ岳山麓の縄文時代を美しくも丁寧に綴られた読むミュージアムとして、多くの歴史が好きな方の机上に届けられることを願って。そして、今度のお休みには、その足跡を訪ねて美しく整備された博物館たち、史跡へ訪れてみませんか。

八ヶ岳ブルーの下で4

信州の縄文時代が実はすごかったという本

P1060493<おまけ>

本書に関連する内容を扱ったページをご紹介します。

今月の読本「信州人 虫を食べる」(田下昌志ほか:著 信濃毎日新聞社)虫食王国から贈る、決して無駄にしない究極の地産地消ガイド

今月の読本「信州人 虫を食べる」(田下昌志ほか:著 信濃毎日新聞社)虫食王国から贈る、決して無駄にしない究極の地産地消ガイド

虫食、この言葉の響きから心地よさを感じる方は決して多くない筈です。

ゲテモノ、未開の食文化、飢えを凌ぐサバイバルフード?どちらにしても、良いイメージがない方の方が圧倒的でしょうか。

そんな中で「わっ、ご馳走だ」と喜んで飛びついてしまう殆ど唯一の人々が信州人。

お土産物屋さんはもちろんの事、普段買い物をするスーパーにすら、佃煮や缶詰が当たり前のように並んでしまう程、ポピュラーな食材です(あ、あと塩烏賊と鯉の煮物or洗いが並べば完璧)。

そんな日本を代表する虫食王国、信州を代表する虫好きがこぞって執筆する、極めてユニークな一冊、信州を代表する地方紙、出版社でもある信濃毎日新聞社が、何と副知事の巻頭言まで取り付ける程の総力?を挙げて挑む快作のご紹介です。

信州人虫を食べる今月の読本「信州人 虫を食べる」(田下昌志、丸山潔、福本匡志、横山裕之、保科千丈:著 信濃毎日新聞社)です。

熱のこもった太田副知事の巻頭言から既にボルテージ全開、全員信州在住の著者グループが分担制で執筆する本文は、編集段階である程度均質になるように校正されていますが、それでも時に脱線しつつ、信州の食文化の最右翼というべき虫食への想いに溢れた筆致で埋め尽くされていきます。

登場する虫食い物語は全18話。四大珍味と称する、信州人にとってはご馳走ともいえるジバチ(私の住んでる場所では、ヘボと呼びます)、イナゴ、ザザムシ、カイコから始まって、ちょっとありえなそうなイガラやスズメバチ、最終章は信州人でも跨いで通る、普通なら逃げ出してしまう昆虫にも敢えて筆を進めています(巻末の日本で食される昆虫一覧は本邦随一?の珍史料)。

バラエティに富んだ虫食の話題に溢れている本書。表題だけ見ると、極々稀に見かける虫食の本にあるような、ゲテモノ食いチャレンジであったり、食文化的な考察で終わってしまうような感じも受けますが、流石に虫食の公式ガイドブックたる本書はそんな軟弱な内容ではありません。

本書で取り扱われる昆虫たち、そのほぼすべてについて、昆虫類が専門分野である著者達による生物学的な解説と、伝統的な調理法、食し方、現在までの伝承を語るにとどまらず、実際に捕えて、調理して、食すという一連のプロセスをきっちり実践した上で、最後にお味の話と考察に繋がるという、極めて実践的かつ、食べられる昆虫ガイドといった体裁すら有する、ちょっと他ではありえない本格的な虫食いガイドブックとなっています(ちなみに、皆さんが決して食べない、子供たちが大好きな昆虫の王者の試食記は…笑って読みましょう)。

これだけでも充分にお腹いっぱいの内容なのですが、信州人にとっては美味しく頂かなくては済まされない虫食。食べ方にも独特の拘りが見え隠れします。さなぎを食するのは変態を開始する前でなおかつお腹に残った排泄物を出し切った後が良い。昆虫を食べる場合でも、一晩おいて糞を出すのが肝要(これをカマキリなどの肉食系の昆虫が混ざった状態でやると…パラダイス状態に)と熱っぽく語り、スズメバチは怒らせた時が最もおいしい(そんな恐ろしい事を平然と…しかもやっている人たち)と豪快におっしゃる。しかも巣をひっくり返した後は早く食べないと…成虫が巣からにょきにょきと(ぎゃー!)。ザザムシは厳冬期が最も脂がのっているので、寒さをものともせず、氷点下の天竜川の河原で石をひっくり返し続ける。更には昆虫の足は残しておいた方が海老みたいで香ばしい…等々、虫食に嫌悪感をお持ちの方なら呆れる前に卒倒してしまう内容のオンパレードです。

このような書き方をすると、やはりゲテモノ食い本に見えてしまいますが、著者達は一線の研究者でもあり、いずれも信州をこよなく愛していらっしゃる方々。一見ふざけた内容にも見えますが、その中でも注目すべきポイントがあります。それは、味そのものへの想いと共に、昔から虫食いがタンパク質の補給であったり、子供のおやつ代わりであった点は認める一方、所謂カルシウム補給には何の役に立たない(骨、ありませんから)事を指摘した上で、信州人がなぜ虫食に拘るのかを追求している個所でしょうか。

各執筆者それぞれに見解を述べていますが、その根底には、決して物を無駄にしないという信州人の素質が脈々と受け継がれているように思えてきます。田圃の畔に豊富に居たイナゴ、ゲンゴロウ。厳冬期の河原に潜むザザムシ。薪を割り、山林で作業をすれば易々と出会う事が出来る、害虫でもあるカミキリムシ。恐ろしいながらも魅力的なハチたち。そして、養蚕と切っても切れないカイコ、ヤママユガ。いずれも、信州における生活の身近にあって、何時も目の前に一緒にいた昆虫たち。そんな昆虫をちょっとしたおやつとして、そして大事なご馳走として大切に食べ続けてきた、身近なもので使える物は何でも活用しよう、美味しく頂こうという、その土地に寄り添って生きてきた生活の知恵の結晶が虫食い文化であるように思えてきます。

ヘボの巣作り競技(この辺の事情にご興味のある方は、地理学マンガという風変わりなテーマで日本地理学会賞を受賞した「高杉さんちのおべんとう」3巻がお勧め)として扱われる以外、すっかり減少してしまったジバチ(茅ヶ岳の麓では、ヘボを獲らないでくださいという看板がそこかしこに出ています)。今や多くが東北地方から送られてくるイナゴやレッドデータブックに掲載されてしまったゲンゴロウ。僅かな職漁師が細々と採取を続けているザザムシ(僅か25gで1000円以上に)。そして、産業自体が消滅寸前となってしまった製糸の元となるカイコと桑畑。そんな失われつつある信州の環境、文化を継承し、象徴するものが虫食いなのかもしれません。

豊かな虫食い文化を育む信州と信州人の心意気がこもった本書。もしその心意気に胸を熱くされた方は、今度、信州にお越しの際には手始めに、諏訪湖の遊覧船乗り場でバッタソフト辺りからチャレンジしてみては如何ですか?

信州人虫を食べると類書たち<おまけ>

本ページより、関係する書籍のご紹介を。

今月の読本「ぶらり信州味噌蔵めぐり」(北原広子:文 中沢定幸:絵 信濃毎日新聞社)味噌屋さんの長生きの秘訣は、味噌は自由!の合言葉と共に

今月の読本「ぶらり信州味噌蔵めぐり」(北原広子:文 中沢定幸:絵 信濃毎日新聞社)味噌屋さんの長生きの秘訣は、味噌は自由!の合言葉と共に

信州の郷土に根差したテーマで楽しい本を多数出版されている信濃毎日新聞社。

大手出版社にも全く引けを取らないセンスの良い装丁と丁寧な編集。地域の特色を巧く取り込んだ題材の選定が何時も嬉しいのですが、そんな嬉しいラインナップに新たな一冊が加わりました。

ぶらり信州味噌蔵めぐりぶらり信州味噌蔵めぐり」(北原広子:文 中沢定幸:絵 信濃毎日新聞社)です。

信州味噌を製造している約100の蔵のうち、大企業から個人経営的な蔵まで、厳選した30の蔵について、フリーライターの北原広子さんの取材記と、 イラストレーターの中沢定幸さん(いずれも長野をベースに活動をされている方々です)によるちょっとノスタルジックでほのぼのとさせてくれるイラストで綴 られていきます。

ぶらり信州味噌蔵めぐりイラストページイラストページの例。すべての蔵が同じように見開きで紹介されています。

規模の大小に拘わらず見開きのイラストと、各蔵の歴史と成立の時代背景を必ず織り込んだ6ページの取材記という、統一したフォーマットで編纂されている点は好感が持てますし、途中に 挟まれるコラムには、信州味噌を知るためには必読のテーマが用意されてます。また、大きく3パターンに分かれる信州の味噌蔵成立の背景には、歴史に興味がある方なら強い関心を持たれるかと思います。

本を手に取って、まず気になる装丁のポイントは、油紙(よく、ブーブー紙なんて呼んでいました)にも似た、光沢のある味噌をイメージしたであろう色合いの表紙の用紙に魅了されます。

中沢定幸さんの味のある手書き書体で書かれた表題と、土蔵をイメージした瓦の模様も可愛いです。

更に、「味」マークと味噌樽アイコンが並ぶ裏表紙のデザインは、このアイコンを信州味噌(「信州味噌」は長野県味噌工業協同組合所有の団体商標です…って、ちゃんと書いておきます(笑))のPRに使っても良いのでは、と思わせる可愛さです。

ぶらり信州味噌蔵めぐり裏表紙この可愛らしい装丁と共に、以前に刊行されていた同じ版元の「酒蔵で訪ねる信州」や「浪漫あふれる信州の洋館」で用いられた、ガイドブックとしての用途にも応えた、解説とガイドマップ付き写真集といった体裁と違い、本書はイラストと取材記が主体となっています。その理由は、本文から拝察すると、蔵の中自体はあまり見学に向かない環境(液体と違い、練物の味噌に異物が混入してもろ過や除去が極めて困難)のため、撮影もままならない事が考えられます。

その代わりと言っては失礼ですが、中沢定幸さんのほのぼのとしたイラストが取材風景を彷彿とさせてくれます。表紙とのマッチングも兼ねて、黄味を帯びさせた、少し肌地にシボを入れた用紙も、中沢さんのイラストの味わいをより一層引き立てているようです。

ちょっと面白い点は、それぞれの蔵での取材の様子がイラストページのレイアウトから垣間見えてくる点。

オーナーや取材を受けられた方が訥々と、もしくは雄弁に語り続けたであろう蔵では、シンプルなイラストと一押しのテーマで。中規模クラスの蔵で複数の方に取材されたページでは、比較的にぎやかな雰囲気とバラエティを富ませたイラストで。そして、大メーカーでの取材では、圧倒的な規模感を、むしろシンプルに表現する。

イラストと文章が絶妙にコラボレーションすることで、どんな雰囲気の取材であったかが、とてもよく伝わって来るようです。

そして、どのメーカーさんも同じように語られている事があると思います。少し厳しい話では、先細りの需要の話がありますが、本書ではむしろポジティブな話を拾う事に重点を置いています。

それは、味噌という一見普遍的な調味料が、実は同じような日本食の調味料の中でもかなりの自由度をもって作られている事。JAS法で厳格に製法が規定化されている醤油に対して、同じ発祥を持つ味噌の方は、製法自体には業界基準の呼称が定められていますが、麹にしても、材料の調合具合にしても、ベースとなる大豆の処理方法、更には熟成方法についても、同じ信州味噌でも各蔵で全くポリシーが異なる。更には、山吹色が信州味噌のトレードマークといったのも今や昔。熟成度合いや店頭での量り売りまで含めれば、色どりもさまざま。むしろ、各蔵が「信州味噌」という共通ブランドの上で、個性と独自性を競い合ったことが現在のシェアの高さ(全国の40%を占める)を生んだのではないかと思えてきます。そして、醤油では絶対ありえない、手前仕込み(お客様に届けた後に熟成を進ませる、お好みのタイミングで食べて頂く)まで用意されている自由さ。基本的にはシンプルな発酵過程なので、発酵状態を作り出しておけば、あまり場所を選ばず熟成を図らせる事が出来る柔軟性(小学校などの、出張授業で作ったお味噌を後で食べられるなんて、何と贅沢な)。

更に、どの蔵の方も同じように答えられるのが、お味噌は健康食、長生きの秘訣だと確信されている事。

全国で一、二を争う長寿県に生まれ変わった長野県。その理由を減塩食運動に求めるのが一般的ですが、味噌蔵の皆様の意見はちょっと異なるようです。減塩結構、でもそれだけじゃない。バランスの良い食生活の底辺に、完全食ともいえる味噌を豊富に食べていることがあるのではないか(長野県の一人あたりの味噌の消費量は全国一)とにじり寄ってきます。確かに、お味噌汁を食べた後は、なぜかホッとできる、元気になれる。そんな気分にさせる事自体が健康の第一歩、そして発酵食品でもあるお味噌と一緒に、バラエティに富んだ具材も食べる事でバランスの良い栄養を取る事が出来る。味噌蔵のオーナーの方々が、重労働にも拘わらず長生きをされているのは、決して偶然ではないのかもしれません。

味噌の可能性を信じて、個性的な味噌蔵が自由な発想とそれぞれのスタンス、ポリシーで自分たちだけが造り得る味噌を提供し続けてくれる限り、順風満帆とまではいかないけれど、信州味噌の未来は決して暗くはない筈。

更に本書では、醤油や日本酒と比較して海外展開がやや低調な味噌の海外での販売や生産の事例も述べられています(全農系のメーカーさんである点が興味深いです)。そして、自給率の点で最も着目されるであろう大豆の調達ルートについて、本書をご覧頂くと驚くような事例に触れられることになるかと思います。日本食の根幹、ローカルフード、made in japanの食材のように見られがちな味噌ですが、その原材料まで見ていくと、信州を離れて、まさにグローバルフードである事が実感できると思います。

ほのぼのイラストと、丁寧な取材で描き出す、信州味噌の驚くほどの個性を是非、本書と共に味わっていただきたいと思います。

さて、お味噌汁、作りますか。

<おまけ>信濃毎日新聞社の刊行物

本書に関連するテーマ、そして同じ信州をテーマにした本、信濃毎日新聞社の刊行物のご紹介を。

今月の読本(特別編)「御嶽山 静かなる活火山」(木股文昭 信濃毎日新聞社)緊急再版のご案内

今月の読本(特別編)「御嶽山 静かなる活火山」(木股文昭 信濃毎日新聞社)緊急再版のご案内

既に版元在庫なしとなっていた、元:名古屋大学地震火山・防災研究センター教授で、現:東濃地震科学研究所の副首席主任研究員である、木股文昭氏の著作である「御嶽山 静かなる活火山」(信濃毎日新聞社)が急遽再版されることになりました。

信毎のホームページをご覧頂ければと思いますが、11月には各地の書店に入荷すると思われいます。

<信濃毎日新聞社オンラインショップの紹介文追記より>

※2014年9月の噴火を受けた緊急増刷版ですが、本の内容は2010年6月刊行のものです。ただし、帯を新装し、グラビアには2014年の噴火写真、また、巻頭に著者の言葉を追加しました。

—引用ここまで—

(著者は、現在欠品中で緊急増刷中の「緊急報道写真集 2014.9.27 御嶽山噴火」にも寄稿されています)

御嶽山を単独で扱った数少ない書籍の再版実現。このような事故の発生を受けての再版とは大変残念ではありますが、ご興味のある方は、是非ご一読頂きたいと思います。

御嶽山 静かなる活火山

(上記の写真は、私が所蔵する初版本です)

本書が刊行されたのは2010年の6月。まだ東日本大震災も発生しておらず、噴火に関する記述は2007年の噴火自体を直接確認できなかったこと、最後の地震に関する記述は宮城県内陸地震と、その後激変してしまった状況と大きくかい離している部分も見受けられます。

読み手である私自身も、最初に読んだときには、書かれている内容自体に対して、自身の切迫感もなかったこともあり、あまりピンとくるところが無かったのが実感です。むしろ、繰り返し述べられる苦言に、やや食傷気味だったと事を覚えています。

しかしながら、現在の御嶽山で発生している状況について、改めて本書を読みなおしてみると、現在議論となっているほぼすべて点に対してカバーしている事に驚かされます。

まず、研究レベルの話としては、御嶽山自体の活動実態が、実質的に1979年の噴火以降、僅か30年ほどのデータしかないため、全く以て活動の予測が困難であることが挙げられています。更に、地中のマグマの動きが極めて特異であり、他の活火山でのモデルを適用することが難しいこと、また火山活動がマグマとの直接の関係が示唆されるにも関わらず、これまでの噴火ではマグマ起因の噴出物が無いという複雑さを有するため、当時としても火山活動のモデルを構築することが難しかったことが判ります。

更に、噴火モデルを検証するにも、火山活動を詳細に把握するためにも必要となる、最後の頼みの綱である地震計による観測も、気象庁の地震計は僅か1か所(これは現在も同じ)。実際の観測には、大学や県が設置する観測機器にも頼らざるを得ないこという厳しい現実(さらに言えば、2007年の噴火の際にも、長野県が管理する山頂の地震計は使う事が出来ず、今回も停止していたという、同じ問題を抱えてしまった)。特に標高3000mを超える独立峰である御嶽山の場合、モニタリングカメラもかなり長距離から狙わなければならず、常に噴煙を確認できないというジレンマも抱えています。

以上のような観測体制上、データ蓄積上にも課題を抱えながらも実施に移された、警戒レベルの導入について、活動実態の把握が不足しているために、その後の観測の充実が既に求められていましたが、実際には前述のように2007年の小規模噴火や、その後の大震災による見直しも間に合わず、今回の結果となってしまいました。

そのような中でも、これまでの知見で山頂付近で噴火活動が起これば、噴火による生活への影響はほとんどないが、火砕流や土石流が大きな被害をもたらす可能性が実際に把握されており、実際に噴火活動に伴う警戒レベルに応じた対応により、今回の噴火規模(現時点で)では一般生活への影響はほぼ出ておらず、地元への被害は最小限度に留まっています(現在では、観光面での風評被害や他の活火山におけるリスクマネージメントの方が大きくクローズアップされています)。

この点は、1979年の噴火の時と同じく、今回の噴火でも不幸にして登山中の方が撮影された多くの写真や動画が噴火の様子を把握する第一次情報と なってしまったことからも明らかなように、集中型の観測体制における機動力の弱さを露呈してしまった感があります。この機動力の違いに対して、本書の刊行 当時には地元測候所の閉鎖を疑問視していますが、それから4年を経てSNSが大きく普及した現在では、気象庁や関係機関による情報発表の前にSNSで噴火 の情報や登山者による直接の投稿写真が配信されるという、更なるかい離が生じる結果となっています。

本書では、このような後手に回っている観測、監視、情報共有化への対応策として、2007年の噴火事例や、当時活発な噴火活動を起こしていた浅間山の例を取り上げて、ネットによる火山情報の共有化にまで踏み込んだ提起を行っており、その先進性には驚かされるばかりです。

この度の再販を機会に多くの方が本書を手に取られ、研究の最先端に就かれていた方の火山噴火、防災に対する想いを少しでも知る機会が増えることを願ってやみません。

御嶽山噴火緊急写真集

木曽馬の里のシンボルと御嶽山再び、のんびりと木曽駒達と戯れる、穏やかな日々が戻って来る事を願いながら(開田高原、木曽駒の里より御嶽山を遠望。2014年5月)。

<本ページ内の関連リンク>

今月の読本「ウェストンが来る前から、山はそこにあった」(菊池俊郎 信濃毎日新聞社)杯片手に気軽に読みたい、信州の山々をつまみにした岳人たちの飲み屋話を

今月の読本「ウェストンが来る前から、山はそこにあった」(菊池俊郎 信濃毎日新聞社)杯片手に気軽に読みたい、信州の山々をつまみにした岳人たちの飲み屋話を

全国的に出版社や書店の廃業が続く中、地方ではありますが頑張って面白い書籍を出し続けている版元さんも、まだまだいらっしゃいます。その中でも、全国的に見ても読書人口に恵まれているのでしょうか、長野県にはその人口規模に似合わず、郷土に立脚した出版物を手掛ける版元さんが今でも複数社活躍されています。

長野の郷土出版社の筆頭に挙げられるのは、地元地方紙の雄でもある信濃毎日新聞社。全国規模で展開する大手出版社の作品をも上回る優れた企画力と、丁寧な編集。価格を抑えながらも綺麗な装丁で仕上げられた刊行物の数々は、読んで楽しく、手にとっても満足という、嬉しいラインナップが多数揃っています。

そんな信濃毎日新聞社が昨年ごろより始めた新企画が「信毎選書」。所謂選書シリーズと同じ版型を用いて、以前刊行されていた書籍の復刻版や単著としては扱いにくい内容のテーマを比較的安価に提供するという、大手出版社顔負けの刊行形態を地方出版社が手掛ける珍しいケースかと思います。

既にシリーズは十数冊を数えていますが、今回はこの中から描き下ろしとなる、それも信州らしいテーマに拘った一冊のご紹介です。

ウェストンが来る前から、山はそこにあったウェストンが来る前から、山はそこにあった」(菊池俊郎・信濃毎日新聞社)です。

著者の菊池俊郎氏は信濃毎日新聞社の元記者であり、写真に載せています、信濃毎日新聞社が誇る山岳写真集シリーズの一冊でもあり、圧巻の写真が畏敬の念すら感じさせる「北アルプスの渓谷をゆく」の解説文も担当されています。この写真集、余りの美しさと渓谷の厳しさに目を奪われるのですが、同時に菊池氏の歯切れの良い、かつ常に批評的視線を忘れない、元新聞記者の方らしい筆致が極めて印象的でした。

そんな著者の手により、あとがきにもあるように、山で一緒になった方々との呑みを含めた雑談の中から生まれたのがこの一冊。インパクトを与えようとして、やや挑戦的な表題を掲げていらっしゃいますが、ざっくばらんに書かれた本書の中で表題にあるウェストンの話題が出てくるのは全体の1~2割程度。決して本書の中核をなす話題として取り上げられているわけではありません。また、著者も繰り返し述べていますが、突っ込んだ議論を求めているわけではなく、信州に暮らす岳人の一人として、信州の登山に関する話題に対する疑問点を投げかけることで、東京中心、有名人の伝記中心の所謂ステレオタイプに対して一石を投じたいという想いで書かれており、目くじら立てずに、著者が雑談していた状況そのままに、軽く一杯傾けながら読むのがよさそうです。

そんな気軽に読みたい一冊ですが、冒頭から3章辺りまでは、素面で読んだ方がよさそうです。

信州の学生にとっては忘れられないであろう学校登山の経緯と変遷や、歴史に埋もれつつある峠を通じた他県(時代的には他国ですね)との交流、そして開山伝記の検証など、山を通じた生活という視線で見ると興味深い話が満載です。特に、学校登山の悲劇的な側面として取り上げられる西駒遭難事件について、映画で象徴的に取り上げられる、薪として燃やされてしまったことになっていた、山小屋の屋根(子供の時にテレビで見て以降、このシーンはトラウマになっています)が実は新田次郎の創作であり、資材運搬の限界で、当時の高山帯に位置する山小屋に屋根が無いのは当たり前、自分たちで持ち込んだ筵やコートで仮設の屋根を作るのが当然の事であったという著者の記述に、驚愕したと同時に、映画や作家の著作はフィクションであり、実際と異なっているという事実を改めて本書を通じて見つめ直させられたのでした。

そのような地元ならではの視点による山の物語への批評は、中盤戦に入ると表題に現れるウェストンを始め、明治以降の山の物語で欠かすことのできない人物の批評が繰り広げられます。内容は極めて興味深く、じっくりと改めて見つめ直してみたくもなりますが、如何せん前述のように批評精神旺盛な元新聞記者の方による筆致。この辺りからは批判の内容に耳を傾けながら、杯も一緒に傾けながら聞き入った方がよさそうです。

人物評に挟まれるように、地元に住んでなければ知る由もない、入会や財産区、水利権といった山にまつわる利権関係の複雑さを物語るちょっと真面目なお話も出てきますが(諏訪の一大観光スポットである霧ヶ峰や蓼科山中の殆どは「財産区」が管理する共有地。かの有名な白樺湖に蓼科湖、あの御射鹿池も、地元財産区が所有する「農業用ため池」だったりするのです)、基本的には楽しみながら読みたい内容が続きます。特に、登山の歴史や登山ガイドに興味のある方には貴重なお話が満載です。

最後の方になると、内容も筆致も完全に酔いつぶれ気味。山にまつわるよもやま話は信州を飛び出して、四方八方に飛び散っていきますが、それも飲み屋話の醍醐味。

ちょっと笑える話題から、固い話も少々きつい批評も交えながら脱線し続ける、信州を中心にした山々に関する話題を酒の肴に、ほろ酔い気分で楽しみたい一冊です。

<おまけ>

本ページで扱っている、信濃毎日新聞社の刊行物および、同じようなテーマからいくつかをご紹介。