今月の読本「こころはどう捉えられてきたか」(田尻祐一郎 平凡社新書)儒学が語らないテーマの研鑽から独自の思想開花を見出して

今月の読本「こころはどう捉えられてきたか」(田尻祐一郎 平凡社新書)儒学が語らないテーマの研鑽から独自の思想開花を見出して

儒学、儒教と読まれる方もいらっしゃいますが、本屋さんに行くと溢れるほどに並んでいるビジネス本や処世術を扱った本と、誰も近づかない思想史の棚で埃をかぶっている研究書や解説書との扱いの差の大きさに、何時もながら驚かされれます。

どちらがどうこうというつもりは無いのですが、そもそも日本人にとって儒学とはハウツーの類に位置する(私もそうかも)、そんなものなのかもしれません。では、もう少し歴史を遡って儒学(朱子学)が正当学問として扱われていた江戸時代の場合はどうだったのでしょうか。大量に本屋さんに並べられたハウツー本が仰々しく問うテーマは、何時の時代も同じような悩みを持っていたはず。そんな疑問点に柔らかめに応えようという一冊をご紹介です。

こころはどう捉えられてきたか今月の読本、「こころはどう捉えられてきたか」(田尻祐一郎 平凡社新書)のご紹介です。

平凡社新書は、毎月のように膨大に送り出される新刊新書シリーズの中でも、ちょっと硬派であったり、思想、哲学系に強いといったイメージを持たれるシリーズだと思います。本書もそのシリーズのテーマに沿った内容、著者も東海大学で近世思想史の教鞭を執られている方です。本書もその延長で、優しく江戸時代の思想史を解きほぐしてみましょうというテーマ(平凡社の雑誌「こころ」の連載記事が底本)に基づいて執筆されています。

思想史と書かれていますが、江戸時代に当該分野を担ったのは儒者と呼ばれる人々であったり、前述のようにすべての学問(医療や農学すら)の根本が儒学であった時代ですので、本書には多くの儒者の方が登場します(本当は僧侶も含まれる筈なのですが、本書ではほとんど語られません)。かなり丁寧にその辺りの系譜は説明が加えられていますが、抵抗感のある方にとっては冒頭から読むのが結構辛い事になるかもしれません。特に後半の仁斎、徂徠、宣長を扱った章では、著者自身がハードルを上げていると述べている事もあり、江戸文化史程度の事前知識ですと、ちょっと戸惑うことになるかもしれません。

江戸の儒者が総登場する本書が語るテーマ「こころ」。このテーマと登場人物を比べておやっと感じられる方もいらっしゃるかもしれません。鬼神を語らずという言葉を残した孔子の系譜を継ぐ儒者たちにとって、それらは語るに足らない事であったはず。本書は敢えて、その語らない筈の内容を江戸の儒者たちがどのように理解していたのかを突き合わせていこうという主題を置いています。鬼神、鏡と虚といった老荘に始まり道教や禅に由来する思考、そして自由、恋、愛…。一般的な儒学の解説書でもやはり語られない内容に対して、江戸の儒者たちがどのような解釈で挑んだのか、そして学問上のライバルたちが彼らの理解をどのように批判(時に攻撃)していたのかを、学統を含めて解説を加えていきます。

大陸の儒学が語らない内容。でも実際の生活にとっては身近なそれらの問題を解釈するために、本来の儒学とは異なる禅の思想であったり、阿弥陀教の信仰心や、伝統的な神仏混交の信仰心、伝説に依拠した解説を組み入れて理解していこうとした江戸の儒学者たちの姿と、その姿勢に対して明らかに批判を唱える儒学者たちの衝突を描くことで、初めて日本に思想と呼べる研鑽が生まれた事を見出していきます。

後半に登場する、江戸文化を代表する3人の著名な人物。ここでは既に思想家という言葉を使ってよいのかもしれませんが、著者が用意したこれら儒学が語らないテーマに対して彼らがどのように解釈したのか、その個別のアプローチを捉えていきます。

形を有さず、常に人を惑わす「こころ」という存在。仁斎の現在の日本人にも内面的に求められ続ける他者を慮りながら適切な距離を作り続けるというスタイル(その後、神道に傾倒する起源も)。一方で徂徠はそんなものは社会性が規定するもので、個々人の問題ではないと切り捨てる(正当な儒学の受容を徹底的に追及し、その社会性を規範するのは為政者であるという儒者の根本は外さない)。更に宣長に至っては、そんなものは移ろいゆくものであり規定すらできないと突き放す(もちろん医師であった宣長にしても儒学を具えており、その先に古典、古事記を読みぬく際の思想を重ねた結果として)。まるで現代の議論を見ているように纏めてられてますが、それはやむを得ない事。更に、本書で語られる儒学を規範として日本人の思想であったり文化にどのように定着していったのかという議論を続けていくと、それは宗教であると、現在であれば加地伸行先生の議論に行ってしまいそうなので(正直に言うと加地先生の著作は苦手なのです)。

一方で、これらの思想の展開に対して、仁斎や宣長(実際には徂徠も影響を受けている)の延長に国学の勃興を重ねて、儒学を脱却して国学に着目したことにより、日本が初めて儒学に基づいた思想から脱却した新しい思想を得るに至ったように見える筋書きを匂わせている点は、ちょっときな臭い感じもしてきたのですが、どうもこの部分は山本七平氏の著作にみられる流れと同じ伏線で書かれているようにも見えてきます。

江戸の儒者たちが挑んだ人のこころに対する解釈の問答とその変遷を綴る本書。実は読んでいくうちに、そのような想いに対して、全てを突き放して自らと外界との繋がりに向き合い、更には儒学の規範にすら疑問を呈することを良しとし、本質をひたすら追い続けようとした佐藤直方の思考に強く惹かれてしまったことに、如何にも私も現代人だなぁと、正直に述べておきます(入手可能な纏まった本が無いのが残念)。

<おまけ>

本書に関連する書籍を本ページよりご紹介

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今月の読本「江戸幕府と儒学者」(揖斐高 中公新書)師傅たらんと欲した儒家三代の物語

今月の読本「江戸幕府と儒学者」(揖斐高 中公新書)師傅たらんと欲した儒家三代の物語

梅雨空が続く6月末の週末。

本来の梅雨らしい天候であることは、喜ばしくもありますが、週末の数少ない楽しみでもある、緑の山々を愛でながらのお散歩も遠ざかってしまいがちになります。

そんな天気の週末の午後に読んだ一冊は、新書シリーズの老舗、中公新書の今月の新刊からのご紹介です。

江戸幕府と儒学者江戸幕府と儒学者」(揖斐高 中公新書)です。

まず初めに、この「儒学者」という言葉だけで拒絶反応が出てしまう方も多いのかもしれません。かび臭い書庫の奥で、中国の古典を跋渉しつつ、役にも立たないうんちくを垂らす輩…、もしくは湯島の聖堂に祀られている「神様?」の宗教…。そんなイメージが強いのでしょうか。

実際に、生活のシーンで儒学者の方に逢うことは全くと言っていいほどありませんし、その近しさから比較されるお坊さん(寺院)と比較しても、親近感どころか、そんな人、居るの?といった反応の方が一般的かもしれません。

その一方で、書店のハウツー本のコーナーに一歩でも足を踏み入れれば、溢れるばかりの論語や老子による生き方マニュアルや、孫子と戦略経営といった解説書が積み上げられています。このギャップには何時も驚かされるのですが、そもそも儒学の発祥を考えれば、決して驚くに値しないのかもしれません。儒学ほど本当の実学、人の生き方を説くことに近い「学問」はないのですから。

本書は、そんな普段は余りにも遠いにも関わらず、最も身近にあるともいえる儒学の日本での位置づけを決定付けたといってもいい、林家の祖でもある林羅山から、息子鷲峰、孫鳳岡の三代に亘る物語を綴った一冊です。そして嬉しいことに、冒頭で著者が述べているように、儒学的な思想における林家及び一門の思想論を語ろうという、一般読者から見たら堅苦しくて退屈となってしまう話を本書はテーマにしていません。林家の勃興から、儒家の使命ともいうべき国史に相当する歴史編纂を主導した鷲峰、羅山の宿願でもあった「官儒」としての地位を示す大学頭叙任を果たした鳳岡、そして凋落の始まりまでの林家三代の「儒家」としてのドラマを描きたいという著者の想いが全面に展開されています。従って、本書は歴史的な事実をありのままに把握するための本として捉えるのではなく、著者の30年にも渡る研究成果の上に構築された歴史ドラマとして読むと、とても楽しめると思います。

まず、本書は林家の祖、羅山の物語を語る前に、所謂方広寺鐘銘事件と羅山の関わりを述べていきます。ここで著者は、一般的に謂われる御用学者としての羅山の立場を擁護しながら、その経緯を検討していきます。その検討過程は羅山がこの決定に関与したことを認める一方、最終的な決定権はなかったとしています。しかしながら、著者はこれによって羅山を擁護する一方、儒者とその位置づけから非常に近い坊官との立場の違いを明確にしてきます。

日本仏教は在家信者との境界が低く、葬送儀礼に深く関与していたために、社会的活動と切り離せない状態になっていたとはいえ、その根本には決して失うことがない修行者(隠者)としての社会的隠遁性が秘められています。一方、儒家の祖である孔子の想いは、本人自体は叶えられることがなかったとはいえ、自己修身の先に、実社会の中で礼に基づいた改革を思想的に押し広げていく事をテーマ置いています。その押し進め方は、為政者を支える立場、すなわち師傅として立身することを厭わない事を、羅山の思想から明確にしてきます。

羅山自身が青雲の志を以て学問に打ち込んでいったことは事実でしょうし、そのような羅山の素地を受け入れた徳川家康も、戦国大名の中ではかなりの学問好きであったことは既に文献研究等で理解されている事実だと思います。そこで、羅山の立場が決して阿諛追従ではなく、為政者を支えるためのものであったと著者は訴えていきます。更に儒者の本文こそが為政者の横でより妥当性、普遍性の高い献策を呈し続けることであることを羅山やその後継者たちの言葉を借りて、著者は述べていきます。それが一般的には凡庸かつ扈従だと捉えれれても…。

祖である羅山が抱いた、そのような想いを家訓に持ったであろう林家の物語は、そのまま徳川幕府内での地位向上、すなわち「儒者」として幕府の政策に関与し、最終的には為政者の師傅の地位に到達するまでを描いたストーリーになっています。羅山の時代には儒者としての地位は得られず、忸怩たる思いを抱えながら法体での勤めに甘んじることになりますし、儒学(ここでは朱子学)を国学とし、儒者が国師たるためには相応の待遇、即ち護願寺や祈祷所に相応するような幕府公認の殿堂、学舎がどうしても必要だったはずですが、羅山の時代にはあくまでも私塾にすぎません。それでも、儒学に一定の影響力をあることを知らしめ、統一的な学問体系として江戸時代に儒学(朱子学)が広まっていくきっかけを作ったことは、そのあとの歴史的展開を考えると、非常に意義があったことだと思います。

羅山の息子、鷲峰の時代となっても法体での勤めは変わらず、私塾のままではありますが国史(本朝通鑑)の編纂が命じられたことで、儒家としてのもう一つの立場である、公的な歴史を編纂する地位を得たことになります。公的な歴史を編纂すると聞くと眉をしかめられる方も多いかもしれませんが、事実としてどんな歴史書の著者も、著述しようとしている時代とは異なる時間を生きており、著述される内容は、著述者が置かれた社会的状況や地位に大きく影響を受けることは逃れられないことだと思います。その中で起こる葛藤や著述の一貫性への疑問、当然のように起きえる為政者への偏向について、本書では鷲峰と水戸光圀との交流を通じて述べていきます。もしかしたら、鷲峰から光圀に託された想いは、歴史家としての著者が過去の研究者から託された想いと重なるところがあるのかもしれません。

そして、儒者としての存在意義を語る鷲峰の口述筆記は、今の時代にも多く存在し、それを生活の糧としている(私自身もその列に連なる一人と評されることがありますが)所謂アドバイザー、補佐官職と呼ばれる職務に従事するときに陥るジレンマに対する矜持を見事に表していると思います。儒者は決して実務者ではないかもしれませんが、基盤となる幅広い学識を有することは絶対であり、その上で、実務に当たっては実務者と遜色のない能力と知見を有し、為政者の時々の諮問に的確に応える、許される限りの公平性と、柔軟さを兼ね備えていなければならない筈です。その全てを揃えることに努力を払った結果は、技量は一芸に秀でているわけでもなく、更には師傅として国政に関与できない身を嘆いていますが、そこまでの矜持が無ければ事に当たるに足らないという想いの強さと、裏打ちされる自負心に強く心を打たれます。

鷲峰の想いは、綱吉の将軍就任によって息子である鳳岡によって叶えられることになります。幕府の手による湯島聖堂の竣工と、羅山が求めて止まなかった儒者として為政者に仕える形式としては望むべき最も妥当な形である「大学頭」としての叙任。名実共に官儒としての地位を得たことになりますが、もう一つの望みであった師傅としての地位はどうにも手が届かなかったようです。

皮肉にも、林家が距離を保った家宣の将軍就任によって侍講となった、鳳岡のライバルでもある新井白石が江戸時代、いえ日本の歴史上唯一といっていい儒者として師傅たる地位を得たことは、歴史の皮肉かもしれません。しかしながら、為政者を支える立場として自己実現を図ることを使命とする儒者にとって、為政者の変遷によってその立場が大きく変わっていく事は必然かもしれませんし、それ故に儒学が嫌われる最も大きな原因になっているのかもしれません。

そして、白石を生んだ江戸時代を通じての儒学の浸透自体が、祖である羅山による儒学の復興(藤原惺窩を継承しての)に起源を持つというと更なる皮肉になってしまいますが、結果として羅山の時代では考えられなかった、同時代に多くの儒者を生む結果となったと思われます。時代が下がるごとに林家だけではない、多様な儒学が講じられ、相対的に林家の地位が下落する結果となったのは、羅山の望みとは異なったかもしれませんが、為政者を支える立場であれば、儒学(朱子学)を規範とした文教主義が浸透した証でもあり、喜ぶべき結果だったのかもしれません。

更に、羅山の幅広い学識や興味(明暦の大火の中を避難する時まで通読中の書物を離さなかった、そして蔵書焼亡のショックで亡くなったと伝えられる、無類の読書家)が生んだであろう、白文の知識や徒然草をはじめ、和文に対する強い興味が和学を含む、林家をして官学としての総合性を有することになります。そして、儒学同様、和学においても学塾を置くことによって生じる学問の広まりによる専門研究の深化、即ち荷田春満から始まる国学勃興の揺籃にも寄与したことになるかと思います(白文に関しては、化政時代の文人サロン仕掛け人達の経歴にしっかり現れていますよね)

そのような江戸時代の学問や文化に大きな影響を与えた林羅山から始まる林家の歴代当主たち。本書では儒者としての彼らの動きとともに、学者一族としての彼らの想いも伝えようとしています。戦国の気風漂う時代を生きた羅山の、高く掲げる青雲の志と他者に対する峻厳さ。少し時代が落ち着いてきた鷲峰の、早世した長男に対する深い想いと、細やかな心遣い。羅山をも凌ぐ硬骨さ。そして、地位を確立し祖廟を得た鳳岡の、弟としてのトラウマと数多く表れるライバルたちに対する葛藤。政治の中枢に近づくことで折らざるを得ないこともある儒者としての矜持をなんとか保とうとする想い。

著者の林家歴代に対する想いが投影された本書は、そのまま林家に対するオマージュ。そして、林家歴代が抱えた想いの通りに、処世術、経世術としてはもてはやされても、決して好まれることの少ない儒学、そして儒学者対するこれまでの見方に対する、著者のほんの僅かな抗弁の書なのかもしれません。

<おまけ>

本ページでご紹介している、近世をテーマにした本を。