今月の読本「登録有形文化財」(佐滝剛弘 勁草書房)登録する事から始まる、地域と歴史を結ぶ文化財へ

今月の読本「登録有形文化財」(佐滝剛弘 勁草書房)登録する事から始まる、地域と歴史を結ぶ文化財へ

古民家ブームなどもあり、地域に残る古い建物などへの興味が高まる傾向にある昨今。そんな中で、立ち入りを規制して旧来の姿を維持し、本来の姿への復元を模索する物件がある一方、今も盛業中の施設であったり、大胆な改装で観光施設として、更にはカフェや物品販売のお店などへと転身を遂げる物件もあるようです。

同じ文化財なのに、何でこんなに扱いが違うのだろうかと首を捻った事がある方にお勧めしたい、単なる物件のガイドに留まらず、その多彩な姿を制度面や実際の利用面の双方からも教えてくれる一冊の紹介です。

登録有形文化財」(佐滝剛弘 勁草書房)のご紹介です。

著者は現在、京都光華女子大学の教授を務められていますが、本来は学術研究者や建築史を専攻された方ではありません。所謂、好事家と呼ばれる方の探究心が先鋭化した先にそのテーマを見出された方。本書のベースとなる、国内にある11000件以上(2017年現在)の登録有形文化財のうち、10000件近くを踏破されたという、正にマニア道を極めた先に綴られた一冊です。幼少時代、明治村に移築されてきた建築物に触れあったことが切っ掛けであったと述べる著者が踏破した中で好奇心を持った、登録有形文化財の面白ガイドにも見えてしまいますが、現在の著者の立場は「プロの」コンサルタントにして研究者。その矜持が本書の位置付けをより本質を捉える事に着目する筆致を採らせる事に繋がっています。

冒頭で述べられる、ある登録有形文化財の登録記念式典に同席した時の記録。僅かな記述なのですが、その中に著者が願う「登録有形文化財」という制度の姿を完璧に織り込んでいます。

国宝や重要文化財、地方自治体の側から行われる文化財の「指定」と、所有者や登録を働きかけた人々、団体からの申請に対して審査を行う「登録」という、制度の根幹から異なる点を指摘する事から始まる本書。そのため、登録される文化財は、あくまでも能動的に所有者や後押しをする人々の協力なくしては登録され得ない事を明示します。逆に捉えると、補助金制度と同じで、行政システムを熟知している自治体や団体にとっては極めて有利な制度(税制的な優遇措置もあります)であるために、その登録される物件や地域には著しい遍在性が認められることを著者は指摘します(おわりにでは敢えて苦言を呈していらっしゃいます)。

そのような中で、様々な立場の人々の協力を受けながら登録に至った物件たち。この制度の大きな特徴でもある、現住者への規制が指定文化財に対して緩やかであり、著しい外観の変更を伴わなければ内部構造の改変を認める(費用面の負担は別、逆に外観の改修にはインバウンドへの効果を狙った補助が出るようになったと)という、柔軟な制度運用。旧来の文化財としての固定的な維持、管理を目的とした制度から、保存を前提としながらも、活用される事で維持に繋げる制度である点を明確に示していきます。

そして、登録に至るために必要となるハードル。制作されてから50年以上が経過しているという前提条件は等しく同じなのですが、それに付随する部分は登録された文化財ごとに大きく異なります。全てで11000件以上もある登録有形文化財、本書にはその中から著者が選び抜いた文化財がテーマごとに掲載されていますが、何れの物件にももう一つの共通する部分があるようです。日本遺産と言う、これまたインバウンドを狙った登録制度がありますが、こちらの選定過程でも審査を行う文化庁サイドから述べられる「ストーリー性」。建築された経緯や、設計者、時代背景はもとより、現在の物件を維持されている方々がそれぞれに背負っている物語、歴史的経緯への配慮を前提に置くべきである事を伝えようとしていきます。

第二部で13のセクションに分けて綴られるテーマ毎の登録有形文化財の紹介。明治維新以降の海外からやって来た建築家とその系譜を建築物から辿るという建築史的な記述も当然述べられますが、著者の主軸は別の点に置かれているようです。建築史的な枠組みを超えて、利用者や目的別であったり、当時の産業に密着している物件(著者には富岡製糸場を始め、製糸産業に関する多数の著作があります)について、その背景となる物語が寄り添っている事を明確に示す事。その結果、特異な構造物である凱旋門やラジオ搭から戦中の掩体壕、明治維新以降に整備された神社と廃仏毀釈と大火を乗り越えようと開港地に移った大本山に新宗教の教殿、大観光地となった日光を紹介した外国人たちが造った別邸からその地を守る砂防堰堤群まで。著名人や個人の住宅を語る際と同じ視線で、それらの物件の背景にある物語へ等しく眼差しを向けていく事になります。

その中でも力を入れて紹介されているのが、明治以降の産業遺産に繋がる施設達。発電や鉄道と言ったインフラはもちろん、造り酒屋や醤油と言った伝統的な醸造業、特に著者の専門分野である製糸は、特異な建築様式で知られる養蚕農家の母屋から工業化された姿である製糸工場の建築群、更には当時の貿易の花形であったことを示す、海外からの顧客をもてなすために建てられた迎賓館まで。それらが一群として残っている事の意義を語りながら紹介を続けます。造られてからの年数が50年以上で、しかも文化財として「指定」されていない、今も変化を続ける物件にのみ与えられる登録有形文化財と言うシステムを象徴する産業遺産たち。それらは著者のテーマである地域の為に活用される文化財へとの想いに繋がっていきます。

ややもするとインバウンドにばかり目が行きがちですが、著者はそのような流れの遥か以前から地域と文化財というテーマを抱きながら全国の施設、物件を探訪し続けた方(全国の郵便局を廻った記録を綴った作品が出世作でしょうか)。日本が近代化と産業化の中で大きく変わり続けた中で残された、生活に密着していたそれらの文化財が、地域を結びつけるストーリーを宿したアイデンティティとして、新しい絆を結ぶ結節点として活用されて欲しいと願い、積極的な活動を続ける中で綴られた本書は、著者の身近な文化財とそれぞれの地域への想いが詰まった一冊。

万を超える膨大な物件は今も変わり続け、中には惜しくも解体、指定解除となってしまう例も散見されるようですが、地域のランドマークとして、その想いを伝える場所として、末永く活用される事を願って。

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今月の読本「国史大辞典を予約した人々」(佐滝剛弘 勁草書房)そのルーツ、此処にあります

今月の読本「国史大辞典を予約した人々」(佐滝剛弘 勁草書房)そのルーツ、此処にあります

時たま、こんな本も読んでみたくなる時があります。

何時も歴史書でお世話になっている吉川弘文館。超硬派な学術論文集や研究者の方々が学位請求の為に出版される学術書、研究目録といった一般人には無縁の書籍から、人物叢書のような長期(全巻刊行まであと何年かかるんでしょう)にわたる編纂物、歴史文化ライブラリーや時代や風物を取り扱ったシリーズもののような新聞の書評でも取り上げられる一般向け書籍まで、歴史書の大本山といった趣のある版元さんです(最近は大分柔らかい内容&価格帯の本も出されるようになりましたね)。

ここの出版物の頂点というと、そのあまりの規模(平均1000ページで15巻、17冊)、編集期間(30年近く)、執筆者数(3000名以上、全て署名記述)、価格(全巻揃えると20万円を超える)と謂われる出版界の奇蹟(完遂出来た事実だけでも既に菊池寛賞を受賞)、全国の大規模図書館必須の蔵書、索引づくりのための索引集(項目数は実に54000余り)、歴史研究家の登竜門にしてバイブル等々、数々の名声を誇る一大出版事業である『国史大辞典』があります(某所では「鈍器」とか「凶器」とか「司書殺し」「書棚制圧」…などとも揶揄されますが地震の時には本当に凶器になり得ます。ちなみに枕には向かないようです)。

そんな巨巻にはもう一つの歴史があります、明治維新の混乱が過去の話になり、文明開化もようやく落ち着きを見せ始め、日本が帝国主義へと邁進し始めた明治41年に刊行された『国史大辞典』の初版です。

ぎりぎりの綱渡りの末に日露戦争を終結させ、国際社会にアジアの小帝国として確固たる地位を確立した直後の時期、台湾や朝鮮半島を足掛かりにアジア大陸に深く進攻を開始した拡張期の日本において、本邦初を謳う網羅的な歴史百科事典が企画されました。

この企画を主導したのが、当時の国家機関や研究者達ではなく、幕末から続く一書店であった現、吉川弘文館だった訳です。

帝国主義への道を走り始めた当時の時代背景が、反動的に自らのアイデンティティを求めたのでしょうか、当時としては画期的な日本史の百科事典が成立しました。そして価格20円(予約で10円)という、当時の教員の月給にも相当する高価な書籍に対して、実に一万名を超える予約者が集まったのです。現代でさえも1万部の予約を確保するのは決して楽な話ではないのに、このような特殊で高価な本に対して、それだけの予約が集まったこと自体、版元の壮挙に対するエールであったのかもしれません(それ故に、一企業にとって余りにも荷が勝ちすぎている新版の国書大辞典刊行も、決して研究機関などではなく初版の意思を継承した「私企業」である当社が是が非でも手掛ける必要があったわけですね)。

版元である吉川弘文館もその予約者たちの心意気に敬意を払うべく、「予約者芳名録」なるものを同時に刊行しています。今回ご紹介する本は、偶然にもこの「予約者芳名録」を入手した著者が「予約者たち」の来歴を次々と見つけ出して、現代の「予約者リスト」を作り出していく物語『国史大辞典を予約した人々』(佐滝剛弘 勁草書房)です。

国史大辞典を予約した人々与謝野晶子でスタートする書き出しにまず驚かされ、その後も出て来る出て来る明治の有名人たち。著者があとがきで「必ず購入しているはずなのに」と書き留めている著名人もきっと読んでいたのではないでしょうか。そのくらい多士済々のラインナップです。

そして、本書のポイントとなるのが、予約者を所属する業種別に集めた事と、現代への繋がり(国史大辞典の残存調査を含めて)を地道に調べられてい事ではないでしょうか。

業種毎に集めてみたことで国史大辞典を通じた人脈や研究者、教育者の意外な系譜が浮かび上がってきます。当時の花形輸出産業であった生糸、繊維業(今回の芳名録自体も群馬の絹宿に系譜を持つ方が所有されていたものです)を縦軸に取ると群馬から横浜へ、大倉から原三溪、海を渡ってハル・ライシャワーへと繋がっていきます。そこには今となっては忘れられてしまっている群馬と横浜の密接な関係が浮かび上がってきます。

研究者であれば、家族ぐるみどころか一族親族こぞって購入している方々も散見されますし、現在の当主も同一分野ではないにせよ研究職に就いている点などは昔でいう「家職」ともいう気風が今も残っている事を感じさせます。

更に意外な事に、当時最先端の科学技術を身に着けた研究者の方々も多く購入されている点です。江戸時代までは、教育と言えばまずは四書五経と云われたこともあって、儒教と歴史的素養は教養の第一歩であった訳ですが、文明開化の学制改革を通してそのような風潮は既に過去の物となりつつあったはずなのです。しかし、何故か科学者やそしてこちらも先端技術を扱う軍人(特に海軍軍人)も多く予約しています。

この辺りを見ていくと、当時の知識人たちは決して自己分野の知識偏重ではなく、幅広く学問を学んでいたであろうバックボーンがそのような知的好奇心(これなくして非常に高額な書籍を自費で買おうとは思わないでしょう)に繋がっていたと思えますし、現代の知識詰め込み重視、もしくは理系の場合は技術一辺倒な教育制度問題の弱点が見えて来るようです(私も論語を始めて読んだのは恥ずかしながら社会人になった後、30歳を目前にしたあたりでした)。

そして、予約者には前述のような専門的技量を持ち合わせた人々だけではなく、今に繋がる歴史を有する企業や学校、更には多くの個人購入者が続きます。

著者はこれら忘れられがちな人々の名前も丹念に追跡、現代への繋がりを探していきます。学校や企業の中には既に廃校、倒産に至ってしまった例も散見されますが(著者にとっては同業である出版社、書店についての項では昨今の書店廃業と絡めて憂いを持った筆致がみられます)、神谷バー(現オノエンホールディングス)や浅田飴、和光堂といった今に残る、特色のある企業も出てきます。中には苦しい財政の中で苦心して購入したであろう宮地裁縫女学校(後の神山学院、廃校)の例にみられるように、少しでも良書を以て教育に当たりたいという明治の教育者の気概も垣間見られます。

著者はこれら特定に至った方々のご子孫やその後の様子についても現地に赴いて詳しく調べられています。そこには明治の気概が今に伝わっている事がはっきり判る事も多かったようです。

著者のあとがきによると、芳名録に記載された人物の調査は道半ば、まだ半数は不明なままとなっているようです。国史大辞典の追跡調査についても主要な蔵書は追跡済みのようですが、小中学校や購入者の子孫の方々が所蔵しているであろう蔵書については残念ながら手つかずのようです。今後、著者が調査を続けられるのかどうかは判りませんが、この芳名録にはこの先どんな物語が紡がれていくのでしょうか。ある著名な一冊を起点として繋がっていく人々の物語はまだまだ続きそうです。

<おまけ>

  • 横浜で育った身としては、書中で良く知っている名前が頻繁に出て来るのはちょっと嬉しい事です(横浜市歌、今でも歌えますよ)。原三溪は横浜市民にとって貿易港横浜発展の礎を築き、文化的には三溪園を残してくれた歴史的な偉人ですし、有隣堂はすでに神奈川県内や首都圏南部では有名な書店ですが、面白かったのは横浜銀行と群馬県の関わり合いでしょうか。実は横浜銀行の支店網は有隣堂同様、東京と神奈川に集中していて、埼玉県や千葉県には支店がありません。そんな中で群馬県には何故か3店舗も支店(出張所じゃないんです)を有しています。この繋がりは横浜銀行成立の過程で群馬にあったローカル銀行を吸収していった経緯があり、その繋がりの元となったのはもちろん当時の最先端産業かつ、花形輸出品目であった養蚕と製糸業の深いつながりによってもたらされたものである事はご理解いただけるかと思います。本書の第6章と第9章にはその辺りの繋がりを示唆する物語が織り込まれています
  • 本書は主に業種別に予約者たちを描いてくのですが、地域別の購入者の傾向も調査しています。その中で、流石と思わされたのが当時の小学校の購入冊数で長野県が突出していた点です。教育熱心な土地柄で、開知学校や中込学校といった、今に残る明治の豪奢な学校建築でも知られますが、このような書籍購入の点でも配慮を怠っていなかった点は、箱モノ行政を指摘される昨今の公共事業と違って、当時の学校の多くが地元人士達の浄財に支えられていた点を表す好例ではないでしょうか。そして、教育に多くの投資を惜しまなかったその財源として前述の養蚕があった点でも、国史大辞典という知的ツールが当時最先端の人士ネットワークで繋がっていたと考えられるのではないでしょうか(これら長野県内の国史大辞典残存状況は調査されていないようなのが残念なのですが)
  • 国史大辞典が書物としての明治の気概を表すのであれば、建築物に明治の気概を表す方々もいらっしゃいました。そんな建築物たちの今を伝える素敵な写真集が こちら『浪漫あふれる信州の洋館』(文:北原広子、写真:大澤敬子、佐々木信一、田北圭一、山本忠男 信濃毎日新聞社)です浪漫あふれる信州の洋館1
  • 本書と同時に購入したのですが、長野県内に残る歴史的建造物の美しい写真に魅せられます。本書でも取り上げられている旧筑摩郡松本区裁判所(現、日本司法博物館)も掲載されていますし、戦前の製糸業では外せない大倉財閥に関する建物も紹介されていいます旧松本裁判所OLYMPUS DIGITAL CAMERA 片倉館
  • 文章で明治の気概を感じた後は、建物からも明治の気概を感じてみるのは如何でしょうか。暑い夏の都会を離れて、涼しい信州で明治の人々に思いを馳せながら歴史的建築を巡る旅というのもちょっと素敵かもしれませんね旧中込学校