今月の読本「よみがえる古代の港」(石村智 吉川弘文館)シーカヤックを漕ぐ古代ラピタ人研究者がGISから描く、ラグーンから始まる古代史

今月の読本「よみがえる古代の港」(石村智 吉川弘文館)シーカヤックを漕ぐ古代ラピタ人研究者がGISから描く、ラグーンから始まる古代史

近年積極的なコラボレーションが行われる、歴史研究における人文系と情報技術系分野。

でも、その成果を喧伝されたり、積極的に発信されるのは、どちらかというとサプライヤーサイドとなる情報技術系の皆様で、実際にそれらを成果として活用されている人文系の皆様のレスポンスは、利用させてもらっています、もしくはこんな事も出来るんですねと言った、ある意味、受け身な反応の方が多いような気がします(すみません、私自身が技術系の人間なので余計に)。

そんな中で、人文系の研究者の方が、自ら積極的にこれらのツールを使用されている事を全面に掲げて執筆された一冊が上梓されました。

今回は、何時も新刊を心待ちにしている吉川弘文館さんの歴史文化ライブラリーより、10月の最新刊「よみがえる古代の港」(石村智 吉川弘文館)をご紹介します。

冒頭に述べましたように、本書では地形的な検証過程に於いて、著名な地図、地形表示ソフト(GISの一種と称しても誤解は無いでしょう)であるカシミール3D®を全面的に利用し、著者自身が現地に赴いた際の写真と、考古学的な知見を重ね合わせる事で、より実体感のある著述を行おうという意図が全編で貫かれています。

このような著述を可能とする所以は、著者の現職(無形文化財の音声映像記録研究室長)からある程度理解できます。考古学者としては少し異色な、デジタルを含むメディアによる文化財の記録と保存を専門とされる研究者。それ故に、これらのツールを利用することに対する敷居の低さが当初よりあったようです。

そして、元々は南太平洋の失われた民族であるラピタ人の研究という、日本の考古学者としては異色で極めて貴重なキャリアを有し、広くアジア圏で考古学に関する活動に携われた上で、その後に共同研究として参加した、日本の考古学についての成果を、補足すべき雑感を纏めて一書を著したという点。

日本の考古学者としては極めて特徴あるキャリアを有する著者は、更に前述の研究テーマを直接体現するかのように、シーカヤックによる海からのアプローチにも長じており、それら全てを包括する著者ならではの独創的な視点が本書には溢れています。

日本の考古学、歴史研究において常に核心として扱われる、稲作農耕と、大陸、半島との関わり。その反動ともいうべき南方からの伝播や北方への移転といった議論を超越して、古代ポリネシアの人々同様に、そもそも人は目の前に海があれば、その海原を渡り、行き交うものという、極めてシンプルな立ち位置で議論を進めていきます。その想いは、著者がミクロネシアで伝統的な航海術を継承する方に高松塚古墳の天文図を紹介したときの、彼の感慨へと繋がっていきます。

そして、著者の着目する海からの視点、そこには現代と異なる、丸木舟の延長であるカヌー(カノーと軽野の語源についての極めて興味深い一文も)のような、構造船が登場する前の段階とその後で、船底構造と喫水線の違いから、現在の港湾として良港と見做される、水深があり、深く切り込んだリアスや湾ではなく、ラグーンと呼ばれる、葦等の植物が生い茂り、水深が浅い、遠浅の入り江、遡上する川縁こそが彼らの舫う場所であったと考えていきます。

瀬戸内海(この名称自体、明治維新時に欧米人に説明する為に用いられた用語であるという意外な紹介も。それ以前は「灘」と「瀬戸」が繰り返し現れる場所)及び、丹後、若狭地方における、古墳時代における集落遺跡の分布と古墳の位置関係を地図上に落とし込むと、交錯はあるものの、時代を経るに従って、その分布がラグーンから水深のある湾へと遷っていったことを見出していきます。そして、現在では内陸に存在するように見える巨大古墳の配置が、実はラグーンの畔、海側から望める格好の場所に位置している事をカシミールの図上で示していきます。

まるで、その姿を航行する人々に見せ付けるために海岸に添うように配置された巨大古墳とその葺石(ここでカヤックから陸上への視点と地球の円弧の影響という、操船経験のある方なら実感の解説も)。著者は、その配置の変化や船底構造の変化を併せて考える事で、当地における社会構造の変化、居住する人々の交流する対象に変化があったのではないかと想定していきます。そして、ラグーンを拠点に発展していった氏族の中に、後の内膳司となる御食国としての、膳氏と安曇氏という古代の「食と猟」を司った氏族の動きを重ねていきます。

ラグーンから望む海で繋がる人々。著者の視点は、その海流に乗って、更に西へと進んでいきます。遣唐使、新羅使が航海した瀬戸と灘。現在の動力船でも充分影響を受ける、急激な潮流変化が絶えず繰り返す瀬戸内の海を航海する為に各地に設けられた泊の変遷を訪ねながら、鞆の浦から厳島と音戸の瀬戸の謎を追い、周防灘を渡るルートを探り、宇佐、宗像の神々と、何故海神、そして八幡社がいずれも三女神(三柱)なのかを波間に問いながら、玄界灘を世界遺産の地、沖ノ島へと渡っていきます。

ここで、東南アジアの考古学に精通する著者は、此処まで辿ってきた海路沿いのラグーンに残された遺跡の発掘物に見出される、東南アジアで作られたであろうガラス器を示しながら、海のシルクロードへの想いを馳せていきます。列島の中に閉じ込められたかのような、あるいは一方通行的な、僅かな窓口を介したように綴られる歴史展開に対して、はっきりとそうではない、遥か先史時代からこの列島は広大な海の世界に脈々と繋がっていたのだと述べていきます。

その想いを抱きながら綴る後半。瀬戸内海を中心に纏まって描かれた前半から大きく飛躍して、その道筋は、海の都である難波宮と陸の都とのダブル、マルチメトロポリス論を挟んで、伊豆半島、北海道、そして先島諸島へと続いていきます。著者の専攻であったポリネシアとの繋がりすら想定させる、伊豆半島の南端に点在する入り江とラグーンを拠点にした古代の賀茂氏と弓ヶ浜、源平合戦期の伊東氏の交易拠点だった河津を梃に望む、伊豆七島、小笠原、その先まで続く大海原の道筋。まだ手つかずのままに発掘される時を待つ、広大なラグーンに存在した幻の街と其処に集ったアイヌの人々は、北方アジアと海を通じて繋がり合い、今は廃村となって船でしか訪れる事が出来ない西表島の網取に残る最後の風俗から、遥か南方の人々が行き交ったであろうとの想い描く。

地上における推移と発掘成果、記録を残した側の視点で描かれる、ややもすれば二元的、対峙的な歴史の叙述に対して、全く別次元で列島の人々同士が、更には世界へと繋がっていた事を海の視点を踏まえて捉えようとする著者。

その視点を描き込み、歴史の交点となるその場所を探り出すために、著者はラグーンと湊の跡を求めて、海ではシーカヤックを漕ぎ失われた姿を想像し、丘に上がってはGISを積極的に活用してその実像を示そうとしていきます。

歴史文化ライブラリーに相応しい、新しいアプローチに満ちた考古学の可能性を示してくれる本書。著者が述べるように、GISによって見出される古代のラグーンだった場所には、まだ手つかずの遺跡が多く眠っている筈。それらが見いだされた時、我々の知っている「陸上」の考古学とは全く異なる姿を見せてくれるかもしれません。

こちらに載せています歴史文化ライブラリー既刊の数々。意外かもしれませんが、全てが本書の内容と直接、間接的に繋がっているのです。

繋がる歴史の面白さを是非皆様にも。

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今月の読本「シリーズ古代の東国1,2」(若狭徹、川尻秋生 吉川弘文館)考古学と文献資料が交差する時、古代から続く尚武の地、坂東・東国の輪郭が浮かび上がる

今月の読本「シリーズ古代の東国1,2」(若狭徹、川尻秋生 吉川弘文館)考古学と文献資料が交差する時、古代から続く尚武の地、坂東・東国の輪郭が浮かび上がる

毎年、意欲的に新たなシリーズを送り出してくる吉川弘文館さん。

本年も、既に「天皇の美術史」が各方面で話題となっていますが、その陰に隠れてしまってちょっと存在感が薄くなってしまったシリーズとして「古代の東国」全3巻が刊行されています(刊行中です)。

これまでになかった通史としての東国の古代を扱う、東国の歴史ファンとしては待望久しいシリーズ。山奥の為に遅ればせながら何とか入手して読み続けていましたが、シリーズが2巻までで一休みとなったこのタイミングで少し纏めてみたいかなと考えています。

今月の読本は2巻セットでご紹介です。

古代の東国1 前方後円墳と東国社会」(若狭徹)と、「古代の東国2 坂東の成立」(川尻秋生)です。

このシリーズ、編者となる2巻の著者である川尻秋生先生のシリーズ巻頭辞を読むと、極めて特徴的な位置づけを狙っている事が判ります。まず、中央からみた地方という視点に拘ることなく、あくまでも「東国」の古代史を叙述する為に必要なアプローチをとる事を明確に示している点。そして、古代史故に絶対的に限界のある文献資料、特に文献を残せた側の視点を補う事を目指した、著者グループ全員が考古発掘にも精通し、博物館の展示に携わってきた経験を最大限に生かした叙述を目指す事を明確に表明している点です。

その結果、本シリーズはこれまでの教科書などで扱われる古代史の切り口とは大きく異なるアプローチ、視点を読者に与えてくれます。北関東を中心に展開する古墳の年代評価や出土物、特に豊富な地図による解説を加えた古墳の分布の年代推移を見ていく事で、その後の東山道経由による中央との結び付きを明確に認める一方、出土物の状況から、中央政権と見做せる倭王朝から遥か東方に離れた地でありながら、半島との直接的な結び付きや、直接半島に出兵し、倭の五王の時代には半島からの来訪者の集団が既に定住していた可能性すら見出していきます。東夷として制圧される、後進的な地域ではない、同時代で同じような規模の古墳群を有するのは東国以外では極僅かで、その規模も、副葬品も強く倭王朝の影響を受けながらも、独自の様式も保持していたと見做していきます。残念ながら、この時代では文献資料と出土物が交差する個所はほんの僅か。それでも、考古学が得意とする膨大な様式年代検討に基づき、僅かな接点を見つけながら、記紀の神話をも援用しながら、その先に考古学特有の雄弁な議論を展開していきます。その議論の先には、国内でも極めて稀な古代碑が残り、先進的な仏教寺院の造営や戒壇の設置に見られる、後の時代に現れる下野の先進性の起点が既に古墳時代にあった事を示唆していきます。

著者達が最初に認める東国の姿、それは武勇を以て倭王朝と提携する関係を構築した部族が旧河川筋に勃興、競合していく活気あふれる大地。現代より大幅に広かった低湿地と頻繁に変わる流路、浅間山等の火山噴火によって目まぐるしく変わる地勢の中で、拠点を移ろいながらも巨大な古墳群を残せるだけの実力を有していた事を膨大な発掘成果から見出していきます。その形式は確かに倭王朝から許された形式の模倣であったかもしれませんが、実際に構築する実力を有していなければ実現できないもの。精巧な埴輪や馬具、武具、そして南東北まで伸びる出土物の傾向から、既にこの時点で更にその北に居住する人々との交流、相互の進出があった事を見出していきます。

倭王朝に従属する形ではなく、緩やかな提携と受容の関係にあったと見做す1巻から、中央政権側の文献資料が見いだされはじめる2巻に入るとその枠組みは微妙に変化していきます。シリーズの編者である著者が冒頭でそのような視点に対して「二つの東国像を克服するために」と題したプロローグを用意して議論の帰着点を探っていますが、本シリーズを読まれる多くの皆様にとって、この論考は最も興味を引くのではないでしょうか。3巻の刊行を前に少し前倒しに結論めいた記述もありますが、歴史が好きな方、特に東日本に住まわれて、その地で歴史教育を受けてきた方なら誰しも疑問に持たれる点について、実に示唆的な提示が行われていきます。

蜜月時代と述べる奈良時代迄の東国と古代王朝との関係。その関係にはやはり前時代と同様に特別な関係があったと見做していきます。下野を中心とした先進的な仏教の受容や武蔵に至る大路の構築も、白村江の戦い以降の半島亡命氏族の影響や入植や古代王朝側から見た統一的な中央集権国家の施策と見做す一方で、西国との比較で、更にその先に広がる辺境へ対する入口としての古代王朝の威勢を見せつけるために整えられたとの見解を示していきます。その推移は防人と北方政策の重点がお互いに入れ替わるように行われていく点からも認められるようです。

北方と西海の双方に武力を以て仕える東国。坂東と呼ばれた地域の特異性を見出すために、著者はその研究フィールドである安房国の成立と記紀に述べられる神話を援用しつつ、古代王朝にとって貢納を受ける場所、つまり直轄地ではなく祭祀を併合した地としての特異性を含み続けていたと見做していきます。古代王朝にとって辺境の入口にして兵站基地という、植民地的な様相を示す奈良時代の坂東。古代王朝の影響も強く受け、国分寺や国分尼寺の改築と伽藍配置の方位性から、より中央からの統制が強まっていく事を見出す一方、在地支配、国造や地方豪族の影響が強く残る東国出身者が逆に中央政権に采女や官吏として進出していく様子を文献資料と発掘成果の突合せから認めていきます。中央集権で語られる事の多い中、依然として豪族同士が牽制しあうような状態であった東国に対して、古代王朝が牽制、掣肘をした影響を古墳群の展開から見出し、徐々に増え始める文献資料と木簡などの発掘資料が偶然の交差を認め、列島を東西に動く東国の人々の驚きのストーリーが浮かび上がる時、考古学の醍醐味を味わってほしいとの著者の筆致は鮮やかに躍動します。著者の東国、坂東への想いの筆致は更に、平城京に集まる物資の記録や正倉院に残る品々や貢納物の規定から、坂東から送られた貢納物が決して遅れた産物ではなく、それらの生産を可能とする技能集団の存在や祭祀の面での東国の特異的な立場を改めて拾っていきます。

膨大な発掘成果と、文献資料とのたゆまぬ突合せが生み出す、古代東国を豊かな描写で紡ぎ出す本シリーズは残す所あと1巻。文献資料が大幅に減少し、歴史の空白点ともいえる平安初期に突入していきます。果たして自立する東国が頭をもたげていくのか、それとも中央集権の先兵として北へ北へと押し進む姿が描かれるのか。更には2巻でそのアウトラインが示された東国の姿が、実際にどのような形で中世に引き継がれていくのか。最終巻を楽しみに待ちたいと思います。

<おまけ>

関連する書籍を本ページよりご紹介します。

今月の読本「信州の縄文時代が実はすごかったという本」(藤森英二 信濃毎日新聞社)信州の縄文研究系譜を継ぐ研究者が挑んだ、美しく丁寧に描かれた机上の八ヶ岳縄文ミュージアム

今月の読本「信州の縄文時代が実はすごかったという本」(藤森英二 信濃毎日新聞社)信州の縄文研究系譜を継ぐ研究者が挑んだ、美しく丁寧に描かれた机上の八ヶ岳縄文ミュージアム

版元さんからの刊行案内が出て以来、心待ちにしていた一冊。

金曜の晩に漸く地元書店さんの店先(何時の間にか郷土本コーナーが店舗の奥の方に移っていて、危うく見つけそこなうところでした)で見つけて読み始めましたが、予想を超える素晴らしい仕上がりに、一気に読み進めてしまいました。

地方出版社の衰亡が続く中、まだまだやれる事はあると、意欲的な企画と、地方だから、少部数だからとの妥協を許さない丁寧な制作、編集。大手出版社さんにも全く引けを取らない美しい装丁を施した本を次々と送り出していく信濃毎日新聞社さんが、これまでのコンセプトを更に推し進める形で新たに送り出した一冊。狙ったようなインパクト重視でキャッチーな表題の裏側に描かれる、本当に版元さんの良心に溢れる一冊のご紹介です。

信州の縄文時代が実はすごかったとう本今月の読本「信州の縄文時代が実はすごかったという本」(藤森英二 信濃毎日新聞社)のご紹介です。

本書の著者、藤森英二さんは、八ヶ岳の東麓、北相木村の考古博物館で学芸員を務めながら、主に長野県下の縄文遺跡に関する研究に従事する研究者。このお名前をご覧になって、本書にご興味を持たれた方はピンとくるのではないでしょうか。縄文研究に大きな足跡を残し、今に至るまで学界において議論を呼び続ける、ある意味において、日本の古代史の視点が世界的な考古学の流れと決定的な違いを見せる結果となった論考を残した人物。在野の考古学研究家と呼ばれた、縄文農耕論を著した藤森栄一氏に繋がる方です。

こう書いてしまうと、まるで縄文農耕論の継承者が描く、本格的な縄文文化論が展開される本のように見受けられてしまいますが、さにあらず。更に言えば、このような紹介自体、あくまでも本書を売り込むためのセールストークのようなものであり、著者の意図する所とは異なっている事を予め述べておかなければなりません。

本書が本当に素晴らしい点、それは八ヶ岳西麓に広がる縄文遺跡をテーマに、学芸員とモデラー(掲載されている写真のフィギュアは全て著者の自作です)という、二つのキャリアを存分に注ぎ込んだ、美しくも丁寧に纏められた、ページの上に描かれる縄文ミュージアムを見事に作り上げた事です(注記:信州と表題されていますが、前述のように八ヶ岳西麓がメインテーマです)。

信州の縄文時代が実はすごかったという本巻末に掲載された多くの協力者の皆様の手助けを受けながら、信州の息の長い学研的な伝統が培ってきた研究者の系譜に連なる著者(出身の明治大学において、戸沢充則氏の薫陶を受けています)が、その中心地からほんの少し離れながらも息吹を肌身に感じるであろう八ヶ岳東麓から俯瞰する、数千年に渡ると云われる八ヶ岳高原で大繁栄した縄文時代の主要な研究テーマを丁寧に解説していきます。

執筆協力の皆様によって集められた美しい画像や、良く錬り込まれた豊富な図案。著者自身の制作によるフィギュアによる美しくも可愛らしいフルカラーのページたち。ページに添えられたキャッチーなフレーズを眺めていると、一見して小中学生向けの所謂副教材ではないかと思えてしまいますが、それは大きな誤りのようです。低年齢向けの語法はあえて避けて、一般の読者を想定した文意と、博物館等の刊行物では当然の配慮である、時代感の指摘やキャプション、補記への配慮は、正に本書が学童向けの入門書に留まることなく、より広範な読者、好事者、歴史ファンの皆様に向けて書かれている事の証。多くの皆様が感じているかもしれません、大好きな博物館、美術館を訪れた後、この感動をそのままに収めた一冊の本が欲しいと思う感触そのままに、本書は仕上げられているかのようです。

信州の縄文時代が実はすごかったという本そのテーマ故に入門書としての体裁で纏められていますが、要所に書かれた内容は最新の学術成果も盛り込まれています。本書を読まれる方であれば、一番気になる点についても、最先端の圧痕法(レプリカ法)による知見が盛り込まれており、この一冊で最新の縄文研究の一端に触れる事が出来るように配慮されている点は、更に嬉しいところです。著者はあくまでもこれらの議論に対して、距離を置いた発言をされていますが、その検証手法の発展と新たな知見が現れる事を密かに期待されているようです。

信州の縄文時代が実はすごかったという本そして、八ヶ岳の裾野に広がった縄文時代の遺跡で繰り広げられた物語について、考古学的成果から俯瞰していきます。特異な文様を持った縄文土器の分布と伝播、八ヶ岳の縄文文化を象徴する二つの国宝土偶の物語(二つの間の時間軸的な断絶についても)。そして、発展を支えたであろう豊かな生産性と、交易物としての黒曜石からみる、海をも超えて東日本を広く包み込む、広範な縄文人たちの移動する姿。これらの内容は博物館でじっくり見たつもりでも、改めて本という形で眺め直すと、別の見方が生まれて来るようです。そして、現代に生きる私たちもその大きな流れの中で生きている事を実感させられる、縄文海進とあれほど繁栄した八ヶ岳西麓に生きた人々が残した痕跡の消滅。

ここから先は、是非現在の八ヶ岳山麓に訪れて、その息吹を感じて欲しいとの想いから、多くの類書では決定的に欠けている、各所に点在する博物館の展示紹介や訪問ガイドにページを割いている点は、本書が博物館関係者が著述されている点以上に、地元に在住する人間として、更には本書を通じてその地を訪れたいと思う多くの歴史ファンにとって、極めて嬉しい配慮である事を重ねて述べておきたいと思います(双方に於いて絶対的に断絶して扱われる事が多い、隣県の博物館に関しても、特段の配慮を以て記載をして頂いている点については、深い敬意の念を述べさせていただきます。八ヶ岳山麓は東西南北みんな一緒)。

SNSや著者のブログに残された刊行前のコメントを拝見すると、研究者のキャリアとして本を出すのが早すぎたのではないか、刊行自体に無理があったのではないかと悩まれている様子が伺えますが、そんな想いは多分杞憂だったと思いますよと、お伝えしたいです。

これまでになかった、八ヶ岳山麓の縄文時代を美しくも丁寧に綴られた読むミュージアムとして、多くの歴史が好きな方の机上に届けられることを願って。そして、今度のお休みには、その足跡を訪ねて美しく整備された博物館たち、史跡へ訪れてみませんか。

八ヶ岳ブルーの下で4

信州の縄文時代が実はすごかったという本

P1060493<おまけ>

本書に関連する内容を扱ったページをご紹介します。

今月の読本「日本古代の歴史5 摂関政治と地方社会」(坂上康俊 吉川弘文館)摂関政治を支える地方の変容と受領

今月の読本「日本古代の歴史5 摂関政治と地方社会」(坂上康俊 吉川弘文館)摂関政治を支える地方の変容と受領

中世の歴史に興味があると、どうしても遡りたくなるのが、武士の発祥とその下地となる社会構造が古代から中世に向かってどのように変化していったのかという点ではないでしょうか。

中世側からのアプローチでは数多くの書籍が登場しており、既にある議論に帰着しつつあるようですが、では古代側から見た場合に、その行く末はどのように見えてくるのでしょうか。そんな疑問に応えてくれる一冊が、この度、遅ればせながらも、漸く刊行に漕ぎ着けたようです。

摂関政治と地方社会吉川弘文館の歴史シリーズの中から「日本古代の歴史5 摂関政治と地方社会」(坂上康俊)をご紹介します。

平安時代初期を扱った4巻から時を経る事2年、シリーズが途絶えてしまったのかと思う程に待たされた感のあった5巻目ですが、通史を判りやすく叙述することを目指した本シリーズにとって、日本史の中でも史料が最も乏しくなる時期に相当する9~10世紀を叙述するにあたって、相当の苦労をされたであろうことが行間からも伺えます。また、通読性を犠牲にしてでも引用文献への引用をこれでもかと括弧付で記述していく点には、中世史の側から見た場合、既に議論は済んでいるとの認識を肯定しつつも、それでも新たな見解を提示する余地のある、面白い時代であるとの著者の認識から、それら多彩な見解にも目を配って欲しいとの想いが伺えます。

本書は清和天皇の即位から後三条天皇の実質的な院政開始までの時代を扱いますが、表題にありますように、通史を描きながらも主に3つのテーマを掲げていきます。一つは中央政治としての摂関政治、二つ目には地方支配としての受領、三つ目には精神文化、そして海外との関わり合いに着目した浄土信仰。

これら三つのテーマは切り離されることなく、連動して動いていく事になります。そして、本書が通史たる所以は、これらの繋がり合いによって古代史の社会構造が中世へと向かっていく事を描き出す事。

藤原北家の伸張により朝廷における力関係が後の摂関家へ収斂していく様子は、そのまま地方支配における受領を中核とした負名体制への転換と軌を一にしていきます。その流れの中で、中央に流入する膨大な利潤が生み出した資産は、豪華な王朝文化を花開かせ、同時に交流が閉ざされたかに見えた北方アジア、中華圏との貿易関係は貿易商と公式な交流を補完する僧侶を通じてますます発展し、彼らのもたらした浄土信仰は受領たちからもたらされる豊富な資産の上に建立された豪華な仏像、寺院群として歴史に記録されることになります。

どれ一つ欠けても成り立たない中世への足取り。その中で著者はその足取りの前提として、これまで言われてきた議論に対して、改めて検討を加えていきます。

班田収受をなし崩し的に荘園公領制に転換したのは王家や摂関の意向ではなく、当初は摂関にしても班田による収入を期待していた事、それ故に新たな地方支配体制として貢納の完遂が望める受領というシステムを作りだしたことが最初に述べられます。出来るだけ前例主義に則りながらも実利を目指す、令の運用による改善。摂関等の為政者を追い詰めていった、彼らの収入の基盤となる班田、そして人と土地を結びつけた支配システム崩壊過程を受領の登場を軸に解説していきます。

ここでポイントとなるのが、前世代の奈良、平安時代前期の地方行政が所謂中央集権的に京から派遣された四等官達によって支配されていたという前提ではなく、多くの国において地方行政はそれ以前の国造に由来する地方豪族たちによって支えられていたという点。此処を見誤ると、受領の登場が支配体制の弛緩を引き締めるための中央集権制の強化に見えてきてしまいますが、著者は班田制度の崩壊による地方豪族たちの没落に着目していきます。

受領による国衙支配体制と並行して生じる班田に拠らない、負名と呼ばれる徴税可能人員による納税の請負と貢納の集約化。ここで、従来の中世地方社会を描写する際にトリガーとなっていた、負名の存在と発祥を、それ以前の国造に由来する地方豪族たちやその後に現れる富農と呼ばれる、農耕地集積者ではなく、単に班田という土地と対になった耕作者としてではなく、土地と切り離されて個別収納化された納税者の納税単位を表すに過ぎないと看破します。

地方豪族の末裔でもなく、所謂墾田永年私財法による私有地の集積でもない、農民たちを取り纏めて、後の武家の発祥となる中核とはなり得なかった、個別の徴税請負者である負名。そこには、地方の農民たちこそ武士の萌芽であったとする、旧来の見方を根底から覆す理論が展開されていきます(今や既定の理論ではありますが)。このアプローチに於いて、開発領主の土地に対する権利は極めて限定的であり、所謂土地私有が何処まで下っても大寺院や中央の権力者にしか許されない(のちの寄進型荘園)、封戸から続く奈良以来の律令制の建前を崩さずに運用でカバーしようという、前例主義に基づく当時の摂関政治が彼らに有利に働いた事が判ります。

強力な国内支配権を委ねられた受領。その支配権を確固たるものにするためには実効力のある支配体制を築ける武力と徴税史を確保する事が求められます。そこに生じたのが、都で受領になる事を願う中小の貴族たち。受領郎党と呼ばれた彼らこそが、その後土着して負名達を束ね、ある時には反乱への対処として、ある時には文士とし、後の在庁官人や地方武士団に繋がっていったことを暗示させます(実は、この部分について本書では明確に記載されていません。本書で一番惜しいと思う点)。更には、彼らの血縁者、妻たちが王朝国家に彩を加え、時には実質的な権力を掌握するもう一方の役割「イエのなかの女性たち」を兼ねていた事も漏れなく述べていきます。

律令制崩壊の過程で発生した、摂関と受領。方や平安期までのイエの形式としては普通であった、母系の血脈によって皇位を制御しつつ朝議における発言権を固める摂関(摂政と関白の朝議に関する扱いの違い、官位の逆転時における沙汰、太政大臣は何処までも名誉職であった点など、後もう一歩知りたかった内容がふんだんに述べられています)。方や地方行政を集権的に掌握することで徴税を確保していく受領。受領の横領に対して権門や摂関に近づく事で緩和を図ろうとする地方と、両者の利潤の上に成り立つ浄土信仰。ある意味、矛盾の上に矛盾を重ねる様な循環を見せる構図ですが、根本にはやはり地方行政を受領に委ねる事で実質的に国政を放棄した、イエの集合体として縮小化していく当時の中央政権(=王朝国家)の在り方が問われていく事になるかと思います。

そのような中央政権の在り方を検証する事例として、本書では平将門、藤原純友の乱を以て国内事情を、刀伊の乱入事件と大宰府における大陸との交渉過程を以て海外事情に対する対応を検証していきます。いずれも、本来であれば中央政権が主体的に活動すべき事柄にも関わらず、反乱の鎮圧であれば出先である各受領が有する権能において勇士を募り、押領使を任命して任せるが、褒賞に当たる任官処遇は中央が行う。大宰府に対しても、舶来品の調達には積極的に乗り出す(横流しも)一方、外交文章のやり取りは行わず、前述のように僧侶の渡来に任せたり、大宰府から返牒を出させるなど、地方分権と言えば聞こえがいいですが、どちらかと言えば消極的態度の方がより強く感じられる政策と言えるかと思います。

本書でも述べられるように、これらを穏便な外交政策として語り、中央政府が貢納の不足や荘園の増加に対応して積極的に自らの政体を柔軟に変えていった結果であると述べる事も可能かと思います。しかしながら、本書を読んでいくと、後の清盛の外交政策や知行国主に帰着していく、実を伴わない前例主義を前面にして、その上で利潤や貢納だけを追求する、極めてエコノミックな政体に収斂していくようにも感じられます。更には、その体制を背景に伸張する浄土信仰が次の時代により大衆化を目指す理由が見え隠れしているようです(ここで、著者が京都御所の年中行事御障子成立の由来や皇朝十二銭の途絶に言及したり、空也と勧学会を持ち出して中小貴族の刹那主義を語らせる点は出色です)。

本書でも述べられているように、既に草深い田舎の自営農民から中世が生まれたという歴史的叙述は過去のものとなりつつあるかと思います。一方で、王朝国家体制によって生じた矛盾に向き合った、地方へ下向した受領、その属僚たちの末裔が地方行政の混乱を掌握する為に乱発された賞典を得て、自らのステータスを引き上げ、地盤となる拠点を持つことで、王朝国家に寄生しながら経済的にも実力を備えていったと考えると、やはり王朝国家が自らの意思を以て体制を柔軟に作り変えていったという議論にも疑問を持たざるを得ない事も事実。

中世史に入ると文献資料が揃い始めるため、勢い文献重視で組み立てていく事でこのような「定説」が導き出されるようですが、本書の前半に書かれているように、平安時代前半から中盤までの考古学成果は驚くほど少なく、文献も空白期に当たるため、どうしても検証が難しくなるようです。それ故に、古代史が得意とする、正に考古学的な物証から新たな知見が得られる可能性が高いのではないかと考えるところです。

古代史からアプローチする中世への架け橋となる時代を扱った一冊。まだまだ分からない事が多々ありますが、それでも貴重な現在の歴史研究の水準で時代史を俯瞰で見る事が出来る本が登場したことを素直に喜びつつ、この空白を打破するような平安前期の考古学的なアプローチが(マイナーの極みでもありますが)今後進んでいく事に強く期待したいと思った次第です。

<おまけ>

摂関政治と地方社会と類書たち本ページでご紹介しています、同じようなテーマを扱った本のご紹介。

今月の読本「タネをまく縄文人」(小畑弘己 吉川弘文館)最新分析手法が語りかける、拘りのない考古学への誘い

今月の読本「タネをまく縄文人」(小畑弘己 吉川弘文館)最新分析手法が語りかける、拘りのない考古学への誘い

日本で最大の縄文遺跡の集積地、ここ八ヶ岳山麓に居住していると、縄文遺跡は極めて身近なものです。

そして、周囲には多くの縄文ファン、古代史に興味のある方が住まわれています。

溢れるばかりに存在する遺跡に出土物、それらを綺麗に収蔵、展示している自治体ごとに存在する考古館。収蔵される発掘成果の多くが古代史への扉を開くカギとして貴重な品の数々なのですが、展示物に付される説明を読んでいるとどうしても解せない点が出て来ます。

縄文時代にも拘らず農耕への道筋、特に稲作との関連性をしきりに模索する点(and否定する点)、そして古代史の展示や資料を眺めていると不思議に思えてくるのは、発掘成果から徐々に乖離して研究者の方々の持論と思想がないまぜに語られる文化論。史料との直接的な関係性を観たいと思う私にとって古代史がどうしても好きになれない点でもあるのですが、そのような疑問にストレートに答えてくれる一冊が登場しました。

縄文遺跡のメッカ、中部高地から遥かに離れた南九州を研究のベースに置かれる著者による、最新の知見と研究手法をふんだんに盛り込んだ一冊です。

タネをまく縄文人

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館の歴史文化ライブラリー最新刊より「タネをまく縄文人」(小畑弘己)のご紹介です。

本書の表題を見ると、一部の方は「何だ、また縄文農耕論の本か」と思われるでしょうが、表紙のイラストを良くご覧ください。収穫しているの物は何でしょうか、米ではありません。縄文農耕論が辿っていくパターンに従って観た場合でも、麦でも、雑穀でも、エゴマでも、ソバでもありません。もちろん照葉樹森林文化論で出てくるイモ類でもありません。その絵に描かれているイメージは豆の莢。著者の提案する新しい縄文農耕のカギとなるのは、これまでの稲作文化との相対や前身性の議論から離れた新しいアプローチによる提案。そして、提案に至るキーパーツたちを捉えるきっかけとなった分析方法を本書は詳しく述べていきます。

本書は大きく分けて4つのパートに分かれています。縄文農耕の作物としての豆(ダイズ、アズキ類)への着目。そしてこれらをエサとしたであろうコクゾウムシと豆類の生育の関係。避けては通れない稲の移入と縄文期の歴史的展開の話(ここは最大公約的な結論ですが、大陸の出土物との関連性で述べる点は注目で)。最後にこれらを導き出す手法となった、レプリカ法から繋がる圧痕法の解説とそれに続く新しい分析手法の紹介。

著者は史学科に属していますが、所謂考古学者とはちょっと毛色の違った経歴をお持ちのようです。参考文献に豊富に掲載される英文、韓文、漢文の引用論文。X線CTや軟X線スキャナ、光学3Dカメラの解説に圧痕法使用樹脂の解説。そして、極めて細密なダイズの寸法評価やコクゾウムシの形態分析。文学博士の称号をお持ちですが、どちらかというと分析屋さんに近い系統の仕事のされ方をしています。

ある意味発掘や思索を専門とする考古学者とは別のアプローチによる、分析重視の出土物調査の集積。その結果は、土器や土偶等の発掘物の精緻な分類や比較文化論による文化的な側面を重視した時代構成を描く、次に来る弥生時代との峻別や先進性を訴求せんが為に、その痕跡をひたすら追い求めて袋小路に入っていく多くの古代史の研究成果に対するアンチテーゼ的な結論を導き出していきます。その為でしょうか、著者の筆致には考古学者の方へのやるせなさや研究の停滞への想いを隠さず、時に判断を促さんと欲する突き放す様な描写すら見せます。

所々に傍観者的な雰囲気を漂わせる、分析屋さんのちょっと悪いパターンを行間に垣間見る感もありますが、その指摘には興味深い内容がぎっしりと詰まっています。

発掘された土器の表面に残る圧痕をシリコーン系の樹脂で型を取って、電子顕微鏡で観察するという、当時の形態をそのまま取り出す事が可能な手法であるレプリカ法、その後継手法として陽刻としての3次元形状を捉える事を目的とした圧痕法。従来の考古学的手法による種子類の抽出を行っていた著者が新たに取り組んだ手法を用いた膨大な分析結果を俯瞰していくと、これまで着目されなかったマメ類、それも在来種と思われる種子が土器に多数の圧痕として残っている事が確認されていきます。そして、分析結果の中に、本来であれば穀物類をエサとする筈のコクゾウムシの圧痕を見出していきます。マメ類の圧痕は関東や中部高地から西へ向けて、そしてコクゾウムシの圧痕は稲作が遥かに遅れて伝わったとされる薩南諸島で出土した縄文期の土器からも見出されていきます。この結果は従来的な縄文時代の推移を学んだ者にとっては驚きの結果。狩猟採集の縄文文化は半島から来た稲作文化に追いやられて南北の端に追いやられた。穀物を主食とする害虫であるコクゾウムシなどの発生は、穀物生産=稲作文化の伝播と並行して起こったという認識を根本から見直さなくてはならない事を痛感させられます。更には栽培植物化による種子の大型化と、種子の中で幼虫が育つ必要があるコクゾウムシのサイズ変化(むしろ小型化する)からの考察として、縄文期に食されていたものが穀類(≒稲)ではなく、クリやマメ類であったであろうという点にまで議論を押し広げていきます。

この議論は、八ヶ岳西麓に住んでいる者にとっては非常に大事な話。所謂藤森縄文農耕論が唱える先駆的な農耕の先には常に「稲作=水田」が付いて廻っていました。その結果、お隣の阿久遺跡の発掘に於いては、農耕、即ち水田に類する痕跡を求めて、台地上からはるか下に流れる川の付近まで発掘調査を行ったが、水路に相当するものは最後まで発見できなかったとのお話を、発掘40周年を迎えた今年の記念講演で当時の担当者の方から伺ったことを思い出しました。

ステレオタイプかもしれませんが、何としてでも文化的に弥生時代の先駆が縄文であった事の痕跡を探すことに躍起になる縄文文化。その度に稲作のない縄文の農耕は農耕とはいえず、縄文の後進性と大陸文化=先進文化の受容というスキームで臨む弥生文化。更には、それらに輪をかけるように展開されるxx文化論的な物証論からやや逸脱する、精神論的な部分も垣間見れる議論。更には考古学者の全てが目を伏せて逃げ出したくなる、解消されないあの事件のトラウマ…。

これら部外者には俄かに判りかねる魑魅魍魎的な古代史の議論に対して、分析屋さんらしい切り口、そして海外からの視点を重ねながら、文化ではなく、発掘史料が語りかけてくる結論に対して真摯であろうとする著者の姿勢。

土器の表面という限られたポイントからすべてが把握できる訳がない点は充分に承知している。更に、なぜ土器の表面にそれほどまでにマメ類やコクゾウムシの痕跡が残っているのか想像は出来るのだが、物証から確証には至れない(ここで、前 長野県考古学会の会長でもある会田進氏の「やればいくらでも種実圧痕が出てくるので、もはやマメはあって当然のことと思っています」という発言を拾っている点に、著者の想いが帰結していると思います)。それでも他の分析手法に対して、当時の形態を確実に保存しているという明らかなメリットを前面に掲げて分析結果を積み重ね、議論の深まりを模索する著者の姿勢には大いに賛同したくなるところです。

全国各地に数多ある縄文遺跡とその発掘成果。著者の言葉を借りれば「第二の発掘を待つ宇宙の星の数にも等しい土器たち」が各地の博物館や収蔵庫に眠っています。著者が一人でその全てを調査することはもちろん不可能でしょうが、そこにはまだまだ新しい発見が眠っているはず。より多彩な分析方法を駆使して、これまでの研究分野の枠組みを外してほんの少し見つめ直せば、縄文の研究分野はもっと広がり、もっと楽しいものになると実感させられた一冊です。

井戸尻考古館の炭化麦出土品全ての議論の起点である、植物性炭化物出土品の数々(藤森縄文農耕論のゆりかごでもある、諏訪郡富士見町信濃境の井戸尻考古館にて)

 

<おまけ>

本書とほぼ同じタイミングで刊行された、縄文時代を扱った一冊「つくられた縄文時代」(山田康弘 新潮選書)をセットで。こちらの本も従来の縄文時代感を是正することを狙った内容ですが、正直に言って上手くいっていないように思われます。1,2章の戦前、戦後の考古学への認識と、それに対する歴史教育分野での行政の介入部分は後付け的で、内容も考察不足ないしは、引用と帰結が余りにも大振り(モースとシーボルトの件以外は「考古学とポピュラー・カルチャー」(櫻井準也 同成社)を読まれた方が良いかと)、5章は本論とはあまり関係のない、著者の持論展開であり(こちらは同じ歴史文化ライブラリーの「老人と子供の考古学」の焼き直しである事を明言しています)、実質的には3章で述べられる、著者の奉職先である民博の展示入れ替えに際しての考察である、時間軸と空間軸に於ける縄文時代の枠組みの是正の部分だけが本題です。

タネをまく縄文人と、つくられた縄文時代

<おまけの2>

本ページより関連書籍、テーマのご紹介

今月の読本「倭人への道」(中橋孝博 吉川弘文館)彷徨う古代史研究の足取りを未来に託して

今月の読本「倭人への道」(中橋孝博 吉川弘文館)彷徨う古代史研究の足取りを未来に託して

偶然にも2冊同時に古代史の書籍が刊行された5月。

ちくま新書の「骨が語る日本人の歴史」の方は、ちくま新書らしいといえばその通りなのですが、表題と内容とのギャップと、首を傾げてしまう後半の脱線ぶり(この手の本で議論してほしくない、別の話を始めてしまう)に少々戸惑う結果となって早々に退散してもう一冊の方を手にしたのですが、こちらもなかなかに考えさせられる一冊です。

倭人への道

倭人への道」(中橋孝博 吉川弘文館)です。

著者は医学博士であり、九州大学の名誉教授を務められる方で、これまでも複数の古代史、古代人に関する書籍を上梓されています。本書はその最新刊に当たりますが、一方で、著者にとって奉職中に執筆する最後の一冊にもなるような雰囲気を感じさせる一冊です。

本書では、その冒頭から巻末まで一貫して述べられている事があります。それは、古代史の研究において、更には日本人の起源について、現時点においても定説といえる学説は成立していないという事です。

いきなり冒頭から本書の表題を覆すような話で始まりますが、同時に刊行された「骨が語る日本の歴史」でも、著者の片山一道氏が同じ事を述べていますので、古代史研究の一般論として理解して良さそうです。

その原因として影を落としているのが、あの事件。本書の全般に渡って背景に流れる、あらゆる研究結果に対して著者が投げかける疑心暗鬼とも思われる旋律のピークとなる物語から本書は始まります。その結果、本書は殆どのテーマについて明確な回答も、結論も述べてくれません。ただ、現時点で把握された事象と、それに対する著者の見解が相対的に述べられていきますが、そこには常に疑問符のついた語り口が付されていきます。

一般的に謂われている、アフリカから広がった人の拡散についても、アフリカにその原始が存在している事自体には疑問を呈していませんが、その後の拡散に関する見解については、著者の専門分野である骨格、体格変化から見た拡散の過程と、4人のイブで話題となったミトコンドリアDNA、核DNA、更にはY染色体による分析結果で大きく異なり(ミトコンドリアDNAの方が効率的に分析数を稼げるという点も指摘)、海外で広まっているアフリカ大陸を離れた旧人の後に、更に新人が置換していったとの学説にも疑問を投げかけていきます。

但し、著者が専門としている骨格による分類研究については、思うところもあるのかと思いますが、明確に把握できる部分もちゃんとある事を示しています。その中で、頭蓋形状による判断が時に当てにならない点(中世から近世、現在に至っても、幼児期の姿勢や矯正によって、容易に頭蓋形状が変えられてしまう事を実例で示しています)と、それでも明確な女性の骨盤形状(出産跡が骨盤に残るとは知りませんでした)から、男女の判断は保存状況さえ良ければ殆ど正確に出来るという点は意外でしたし、著者の自然への敬意の念を感じさせるところです。

その上で、日本人の起源について、従来から唱えられてきた南方からのルートと共にユーラシア北方からのルートについても検討を加えていきますが、この分野に関しては、北東アジアにおける発掘成果の少なさに結論を阻まれているようです(ここで述べられるネイティブアメリカンの遺跡発掘に伴う話題は、非常に考えさせられる点が多い一方、結果として北米大陸ルートでの北方ルートの研究が事実上不可能となっている一因である事は非常に残念です)。

そして、誰もが気になる縄文人と弥生人の交代と呼ばれる一大転機、所謂縄文顔と弥生顔の交代に関する議論が始まりますが、著者はその前に両者の生活の違いを骨格や残された遺骨の傾向から見ていきます。

穀物食による虫歯の増加や、乳幼児の遺骨の比率から見た、未成年者の死亡率(実に7割、しかしながら明治時代でも3割だった点にも注目)、足腰の酷使による骨格形態の違いなど、人骨を調べるだけで生活状況まで推測できる点は非常に興味深い所です。実は、このお話にはおまけがあり、現在のシリア、歴史時代におけるパルミア人の歯と、現在この地に住んでいる人々の歯を比べて、双方ともおしなべて茶色に変色している点に着目した結果、飲用している水のフッ素濃度の高さが原因である事を突き止めただけではなく、その結果として発掘した人骨の歯の虫歯率が極めて低い点と、そこから骨の石灰化による異常が非常に多い点を導き出すという、医学研究者としての着目点にも興味を引かれます。

その上で、弥生人登場初期の発掘成果、特に農耕との付随性について、九州北部周辺にしか認められず、依然限定的だとの認識を示しています。その結果として、ステレオタイプで述べられてきた、渡来人が農耕を以て生産性の低い狩猟系縄文人を駆逐、置換していったという議論に対して否定的な論調を唱える一方、その拡散については、最新の研究成果を踏まえて、弥生人以前に日本列島に居住していた人々(≒縄文人)が徐々に列島の南北に移動していきアイヌと琉球という形に収まったとの認識に理解を示しています。

このように、確定的な事は殆ど述べられない本書。その中で、著者は古代史特有の事情、ある一つの発見や新しい分析機材の登場によって簡単にこれまでの議論が覆されてしまう点に切なさを感じながらも、それを受け入れてなおも前に進んでいく事を望む後進たる研究者に託した、現役最後の研究者からのエールを込めた一冊のように思えています。

願わくは、著者が存命のうちに、その意思を継いだ研究者の方々によって、本書に描かれた僅かに一項目でも学説として通説が生まれる事に繋がる事を期待して。

 

今月の読本「日本の古代道路」(近江俊秀 角川選書)官道たる駅路を語る背景に映る律令制中央集権国家への憧憬

今月の読本「日本の古代道路」(近江俊秀 角川選書)官道たる駅路を語る背景に映る律令制中央集権国家への憧憬

最近積極的に古代の交通路に関する著作を発表されている著者の最新作。

これまで発表されてきた著作の集大成的な内容を念頭に置いた作品との事もあり、初めて読んでみる事にしました。

日本の古代道路日本の古代道路」(近江俊秀 角川選書)です。

著者は現役の文化庁職員。埋蔵文化財の調査を専門とされている方でもあり、本編にも要所で古代道路発掘成果の紹介が出て来ます。その成果から求められた今回のテーマは「過去から現在に続く駅路とその変遷の物語」。

古代王朝の最盛期に作られ、全国を通じていたと考えられる官道たる駅路について、その利用方法や変遷をいくつかのテーマに基づいて著述していきます。

駅路を実際に使用し、そこで使役されてきた農民や駅子たち。海上との結節点としての駅路。律令制が崩れつつある平安時代に入ってからの駅路のその後と、往来への想い。そして、現代に繋がる駅路の発掘結果と、史跡と現在の交通路との交わり合い。これまでの著者の著述の範囲からテーマを大きく広げて、縄文時代から現代に至るまで幅広い時代背景のもとで、古代道路との関わり合いを述べていきます。

平将門や最澄と徳一といった判りやすいテーマの導入から本題に綺麗に繋いでいく。発掘結果や現地に訪れた心象に基づく紀行文に歴史的著述を織り込んでいく、そのこなれた筆致には非常に好感が持てるのですが、読んでいくとどうしても引っかかる点が出て来ます。

本書では、それぞれのテーマーごとに、地方、そして道路を作る事となる為政者の置かれた立場と、実際にこの駅路とその名残を使ったであろう登場人物たちの物語が語られていきますが、その背景に語られてく視点は常に一定しています。たとえそれが縄文時代の会津と浜通り、日本海側との繋がりでも。坂東を縦横に動き回った平将門の活躍でも。ラグーンと駅路が交わる場所で活躍したであろう郡司たちでも…。交通路を伝わって文化や文明は「中央から地方へ」と一方向的に送り込まれていくという感覚。その感覚と同居する、為政者たる律令制中央集権国家の強力な統制と制度に対する一種の憧憬とも思える描写。そして、その後の律令制崩壊によって失われた律令制度やその高度な構築、管理体制であったと思われる駅路の残滓へ寄せる想い。想いの強さゆえでしょうか、時にその筆致には研究者の方とは思えない、解釈抜きでの指摘を伴った著述がなされていきます。

そのような著述が若干気になっていらっしゃるのでしょうか、時に補正するかの如く、古代律令制と地方支配体制を述べる際には、繰り返し郡司以下の地方行政官たちは中央から派遣される訳ではなく、地方豪族が就任したことを明記していきます。但し、その記述自体が中央から派遣された国司による支配体制確立の前段階としての認識であり、最終的には中央集権体制に収斂する=駅路を通じてという論述に繋がっていきます。

そして、古代道路たる駅路の終焉について、本書では、平将門の進軍ルートと常陸国の駅路の変遷を通じて、交通目的に応じて経路が変わっていく事自体は解説されていますが、なぜ維持されなくなったのか、なぜ駅路制度が終焉してしまったかについては明確に答えてくれません。宇佐八幡の例を取り上げて、朝廷による勅使が続いていたからこそ古代の駅路の跡が今も道筋として使われていると述べるにとどまります。そこには現代と律令時代との歴史的な繋がりを強く希求する一方、その中間に位置する時代がすっぽりと抜けているかのようです。

発掘成果が物語る、あまりにも立派な駅路。そして、それを成し得た古代王朝の律令制中央集権国家に対する著者の想いの強さに、いささか当てられ気味にもなる一冊です。

<おまけ>

本書より僅かに先に刊行されたこちらの一冊は、偶然にも同じ石川県の加茂遺跡から発掘された木簡をテーマに採り上げています。全く同じテーマでありながら、逆の視点から著述される本書を併せてお読みになると、その視点の違いに意外な発見があるかもしれません。実は双方の著者の略歴が非常に似通っている(時期は異なりますが、同じ機関に所属)点でも極めて興味深い2冊です。

本書と同じようなテーマの書籍を本ページよりご紹介。