今月の読本「列島の戦国史1 享徳の乱と戦国時代」(久保健一郎 吉川弘文館)都鄙を行き交い二つの引力がゆっくりと幕を開けるプロローグ

今月の読本「列島の戦国史1 享徳の乱と戦国時代」(久保健一郎 吉川弘文館)都鄙を行き交い二つの引力がゆっくりと幕を開けるプロローグ

近年、多くの一般書が刊行されて大いに盛り上がっている室町中期から戦国期に掛かる時代を扱った歴史関係の書籍群。本屋さんの歴史コーナーに並ぶ本たちの様変わり振りには感嘆とする事もありますが、あまりのハイペースで刊行されるそれらの書籍たちすべてに目を通すのは時間的にもお財布的にもちょっと厳しいのも事実。

そんな時に一般の読者として助かるのが「通史」としての本。数多に刊行される書籍へのアプローチとして、更には時代背景を理解する手がかりとしてシリーズで刊行される通史の本は貴重な存在といえます。

今回ご紹介するのはそのようなブームの真っただ中に企画され、足掛け3年を費やして準備が進められてきたシリーズの第一回配本となる一冊です。

今回は「列島の戦国史1 享徳の乱と戦国時代」(久保健一郎 吉川弘文館)をご紹介します。

吉川弘文館さんの新しいシリーズ「列島の戦国史」全8巻が予定されるシリーズですが、享徳の乱から始まり、予定される内容では徳川家康による政権掌握までを区切りとする時代を捉える内容(江戸開府で終わるのか元和偃武で終わるのか、現時点では分かりかねます)。編者のイメージとしては全体を4期に分けてそれぞれの執筆者に委ねる形を採るようです(なお、執筆者間で見解の相違が生じる部分も敢えてそのままにすると明言されています)。中核となるテーマも東国、畿内、そして西国、最後は全国政権という形で分割されますが、特定の地域、時間軸に偏った視点を置かず、表題にある、列島全体を俯瞰する時代史としての刊行を目指す事を念頭に置かれています。

「列島」を冠に置き、日本史の大転換点を多面的に示すことを目指したシリーズ。オープニングの第一巻となる本書は編集委員を共同で務める著者によるシリーズの導入、リファレンスとしての内容を求められる一冊ですが、著者は小田原北条氏の研究を主とされる方。本書で綴られる時代はご自身の専門分野ではないと語られていますが、それ故に通史シリーズに求められる歴史的な背景を前後の時代に配慮して著述する事に意を砕かれていることが感じられます。

戦国時代の始まりは何時だったのかというシリーズの一大テーマを掲げられて綴られる本書ですが、実際には三つのテーマが描かれていきます。近年、別の研究者の方による著作でも唱えられるようになった、戦国時代の幕開けであると指摘される享徳の乱を中軸に綴る前半。インターセクションとして配される、極めて史料の乏しい中で拾い出される、彼の地に蒔かれた文化や行き交った人物を描く事で東国の社会とその時代背景を導き出すことを主眼とする中盤。そして、近年飛躍的に研究が進み、その位置づけが大きく変化している、従来、戦国大名の発祥としての位置付けがなされてきた北条早雲(本書では史実に寄せて伊勢盛時・宗瑞の呼び名を使います)の出自から伊豆制圧迄を追う後半。

特に前半と後半については、近年意欲的な筆致を備えた一般書が次々と刊行されており、その刊行を好意的に捉えつつも、著述内容と著者の見解については文中の要所で引用を付ける際に、かなり慎重な配慮を加えた形で適時指摘を織り込んでいきます。

通史というスタイル上、特定の見解を前面に置き提唱する事を少し控えつつ、他の論調に対しての丁寧な指摘や他の見解との推移を加えていく穏当な筆致で描かれる本書。しかしながら大きな枠組と要所では著者の明確な見解が見えてきます。

遙か鎌倉幕府の崩壊から書き起こすことを求められる室町中期の東国の歴史。戦国時代と単純に言葉を使ってしまいますが、こと東国に於いては特定の画期を見出す以前に、長大な時間軸の中で徐々に変化していった結果であろうという点を改めて指摘します。本書で綴られる時代範疇全体を通して指摘される、京と鎌倉という二つの武士権力が有する引力。その引力の中心にあった将軍と鎌倉公方。彼らを支えつつも反目する管領と将軍の血縁者達。周囲を固める各国の守護と地方の管領、現地を取り纏める守護代、家宰そして鎌倉以来の系譜を継ぐ在地の有力者たちと一揆に対抗する京都扶持衆に堀越公方が連れ込んだ在京奉公衆たち。相互関係のバランスが複雑に動く中で、二つの引力とその周囲を取り囲む「包囲網」が激しく駆け引きをする中で時代が動いていく点を指摘します。東国の引力である鎌倉公方を囲む包囲網、著者は遙か蝦夷地にまで目を配りながらその姿を俯瞰していきますが、その後の動きから特に駿河と越後の地理的な重要性を指摘します。いずれも鎌倉幕府最末期まで関東御分国であった場所。東海道及び日本海海運の結節点として京都との関係も深く、安定した守護権力(もしくは守護代の現地支配)が比較的長く維持されていた場所。東国の動乱を軍事的に左右したのはこれら包囲網の戦力が重要なカギを握っていた事を改めて指摘します(逆に南朝勢力が強かったため、守護である小笠原家の威勢が浸透しきれない信濃や、それ以前の上杉禅秀の乱に続く介入により、守護が纏まった勢力を築けなかった甲斐はその包囲網の穴となった点も)。

前半のメインに据えられる享徳の乱へのアプローチと長享の乱終焉までの長い戦乱。記録の残る範疇での話となるのため、どうしても太田道灌の姿がクローズアップされてきますが、著者はその人となりを文人としては高く評価しますが、かの有名な「当方滅亡」を語る段に於いて、卓越した軍事的能力以上に毀誉褒貶さまざまに評される、人格面にかなり問題があった人物と想定していきます(自信家だったのではとの指摘も)。また、道灌のライバルとしても配される長尾景春に対しては、その粘り強い抵抗を半ば呆れ顔で綴っていきますが、一方で古河公方となる足利成氏による庇護は、その軍事的才能のみならず、関東管領家に繋がる家宰の息子として、京の幕府要路への交渉チャンネルを期待した点に存在意義があったのではないかと指摘します。

そして著者の筆致で印象的であった東国、伊豆に散らばった歴代公方たちと関東管領としての上杉氏、その中でも印象的に語られていく上杉憲実。

鎌倉公方の藩屏を期待されて南奥州に送り込まれた公方たちは逆に東国包囲網へ在地勢力を引き込む側へと立場を変える一方、京から送り込まれたにも関わらず伊豆に留まり続けた堀越公方、足利政知の動きは、元来、複層的な支配が行われてきた南関東で更なる支配関係を増やし混乱を助長しただけで最後まで明確ではないと首を傾げます。また、歴代の鎌倉/古河公方たちが、改元以降も以前の年号を使うことで反抗の旗幟を鮮明にしたと称される点について、強固な意志の表明や反旗を翻した確証という断定的な捉え方は適当ではなく、たとえそれが意志の表明であれ、どのような状態においても全面的な対峙を望んでいたわけではなく、常に京側との交渉、和睦を模索する立場を堅持し続けていたとします。その上で、鎌倉に戻ることが出来ず古河を拠点としながらも、粘り強くその機会を窺い続けた足利成氏の政治手腕に評価を与えていきます(但し、失墜した鎌倉公方の権威は以降、決して取り戻すことは出来なくなったとも)。

鎌倉公方以上に著者がキーパーソンとして前半を通じて挙げ続ける人物、上杉憲実。本書を通貫するテーマである二つの引力を繋ぎ合わせ、京側の意向を東国に示す役割を果たし続けた関東管領、上杉家。本人の政治力や人格、出奔に際して子供たちへ残した指示などを通じて様々に語らえる憲実の姿ですが、著者はその息子を謀殺しておきながら、足利成氏が後に添えた書状の文面に憲実の名前を引く点を捉えて、その存在が遙か以前に失われても尚、隠然たる意義を持ち続けた、京と鎌倉双方にとって、その間を取り次げる人材の欠如(自ら葬り去ったともいえますが)こそが、東国の大乱を惹き起こし、その収拾に長大な時間を要する原因となった点を暗示させます。

通史の中に個別の人物像を織り込み描き込む前半。主題に北条早雲(伊勢宗瑞)を掲げ、その生い立ちから綴る後半についても、通史に立脚した著述となっており、京の政治状況と東国の軍事情勢との関連を示しながら宗瑞の動きを綴っていきます。最新の研究成果を織り込みながら綴られる遠江、駿河、そして伊豆の情勢の中を動く宗瑞(この時点では今川側から甲斐への介入は限定的で、その視線は常に遠江の併呑にあると)。その中で著者は一部に指摘のある、堀越公方の動きを起点に捉えた、列島を縦断する大掛かりな勢力が生まれつつあり、その動きの中で先兵としての宗瑞の伊豆打ち入りと平定戦を位置づける説について疑問を挟んでいきます。打ち入り時点での動きまでは肯定的に捉え、動機付けとして伊豆の権限を与える内意があった可能性を認める一方、足利茶々丸の強硬な抵抗(一度は伊豆七島に逃亡した後、再度上陸を果たしていたと)と在地の守護の権限を否定する形となる平定戦を6年にも渡って続けた点を鑑みると、前述の構想を組み立てた際に宗瑞に与えられるであろう役割に対してその行動は過大であるとして、ある段階で独力による平定、即ち戦国大名化の第一歩を踏み出した可能性を滲ませます。

巻頭に述べられた、東国を舞台に戦国到来のきっかけとそのタイミングを探る本書のテーマ。直近に刊行された、同一テーマを扱った本に対する著者の見解を述べる形で意図する所を示す巻末ですが、あとがきでの内容を含めて、極めて微妙な見解を示されます。戦国大名の一歩手前の段階として、散在した所領を戦陣や主たる拠点に近い場所へと集めつつ成立していく戦国領主という存在(当初の言葉の定義と変わってきている点を注意するように求めながら)を肯定的に捉える著者。その一方で、当該書では「上克下」と称された姿と言葉にやや否定的な見解を示し、本書で扱われる時代に於いて、確かに自らの上位者である守護代や守護、公方の位ですら恣意的に挿げ替える事実があった事を認める一方、完全に廃する事が出来なかった、それだけ旧来の権威が依然強かったという点をもう一つのテーマに重ねていきます。

本書が通史であることを明瞭に示す中盤。鶴岡八幡宮の社領支配や僧侶、社人の記録から、誰しもが武力を威嚇の手段としながらも、それらを調整する権能として期待された、旧来からの寺社勢力や領主層の存在、彼らの執行役としての守護代家、家宰家の存在。超越的な力を発揮し続けた神意への少なからぬ畏敬の念。在地の動きは、依然としてその相互依存体制の中にあった点を文献史料を引きつつ再度指摘していきます。

そして、限られた史料の中で語る文化的な側面。特に都を離れ東国に下向した連歌師達が残した歌や書き残した随筆からある点を明確にしていきます。特に応仁の乱による京の戦乱と荒廃から東国に「逃れてきた」ように捉えがちな彼らの姿。更に時代が進むと明らかに金銭目的での下向も現れていきますが、この時代の姿からは地方の側から積極的に誘う形で訪れる、京と地方を繋ぐ商業的な繋がり、前述の乱の終息が大きく滞った原因としても捉えられる幕府の要路との人的、文化的な繋がりの中で彼らが行き交っていた事が見えてきます。その上で、野卑な東国では富士山を愛でるくらいで彼らは何も得る事が無かったのか、そのような視点に対して敢えて、彼らの思索を深めるだけの素地が彼の地にも確実にあった事を指摘し続けます。

本書がその表題に「列島」を掲げる意義。昨今のブームともいえる中世史の書籍が多く刊行される背景には、本書の後半で詳述される北条早雲の出自に関する大転換となる知見の見直しに代表されるように、そのバックボーンとなる研究者層が旧来になく厚みが増し、これまで未整理、未発掘だった数々の文献資料に対する検討、解釈が大きく進んだ点にあるかと思います。一方、本書でも述べられるように、辺縁に位置する東国、そしてシリーズで今後取り扱われるもう一方の西国、九州。限られた史料、(本書では扱われませんが)発掘成果を改めて見つめなおし、史料集積の絶対的な格差から、どうしても中央から地方へという視線に陥りやすい文献史学の成果に対して、翻って地域が相互に与えた影響、発する姿にも配慮していこうという意義を、そのリファレンスたる1巻目として示す一冊。

本書でも要所で繰り返し引用される2冊。

同じ吉川弘文館さんのシリーズから、幕府による鎌倉府包囲網のうち、語られることの少ない「もう二つの御所」の姿と、南奥州の勢力と幕府との関係を詳述する貴重な一冊「動乱の東国史5 鎌倉府と室町幕府」(小国浩寿、特異な見解を示す上杉憲実の描かれ方にも注目)。

題名からは意識しにくいですが、時間軸は若干手前で終わりつつも、同一の題材を通して、通史としての前駆する東国の姿を描く。文人、歌人としての道灌が持つ横顔への指摘や、東国を巡った文人を代表する万里集九の姿から東国の経済、文化面の存在意義を示す点など、本書にも多大な影響を与えていると思われる「敗者の日本史8 享徳の乱と太田道灌」(山田邦明、著者の手による、複雑な経緯の筋立てをまずはっきりとさせてから時間軸を追って綴る通史の描き方は非常に魅力的でもあります)を。

後半部分で随所にその指摘が取り上げられる、最新の研究成果を織り込み、治世面を含め現時点で理解される最新、最良と思われる北条早雲の人物像を提示する一冊「日本史リブレット人042 北条早雲」(池上裕子 山川出版)

そして、本書の著者をあとがきに至るまで悩ませ続けた、その乱の名称と枠組みを提示したとする著者による、最後と称された著述と新たに提示される内容。その見解は是非、両書を手に取られて、お考えいただければと思います「享徳の乱」(峰岸純夫 講談社選書メチエ)

最後に、昨夏に横浜市歴史博物館で催された、本書がカバーする範囲の後半からシリーズの最後に至るまでの時代背景を、道灌の子孫たちと関係する人物たちが残した「ほぼ書状の展示だけで」描き出していくという、到底一般受けするとは思えない企画展。ひっそり静かに見れるだろうなと思い夏休みの昼前に伺った際に衝撃を受けた、展示室に列を成す小学生からご老人まで。グループで訪れる歴女の方々に家族連れからSNSコーナーで楽しそうに自撮りに励む学生の皆さんまで。展示室内では真剣に書状と解説文を読みふける方々があらゆるガラスケースの前でじっと立ち止まり、傍らでは学芸員さんへ質問を次々と問いかけていく。地元の歴史への熱い思い。皆さんの熱意がある限り、日本史の研究、研究者層はまだまだ厚くなっていくという実感を得たひと時を思い出しながら。

今月の読本「新しい古代史へ2 文字文化のひろがり-東国・甲斐からよむ」(平川南 吉川弘文館)地域史を越えて広く北東アジアへ、考古学と文字が結ぶ歴史の架け橋

今月の読本「新しい古代史へ2 文字文化のひろがり-東国・甲斐からよむ」(平川南 吉川弘文館)地域史を越えて広く北東アジアへ、考古学と文字が結ぶ歴史の架け橋

本屋さんに並んでいる日本史の書籍。時代史であったり、著名な人物像を描く内容が多いかと思いますが、特定のテーマ、地域に絞った内容の書籍もまた多く並んでいます。

所謂郷土史、地域史とも呼ばれる分野ですが、読者にとって最も身近な歴史を伝えてくれる本達。そのようなジャンルの一冊として、少し珍しい切り口を持ったシリーズが刊行されました。

新しい古代史へ2文字文化の広がり

今回ご紹介するのは、山梨日日新聞の紙面に連載されたコラムを全三冊のシリーズとして刊行(予定)される「新しい古代史」の中から「新しい古代史へ2 文字文化のひろがりー東国・甲斐からよむ」(平川南 吉川弘文館)をご紹介します。

前述のように、2009年から2018年までの約9年間に渡って新聞紙面上に連載されたコラムを増補、再編集して刊行されるシリーズ。全編を前山梨県立博物館館長の平川南先生が一人で執筆されています。著者の専門分野である古代史に特化して、テーマ毎に3巻に分けて刊行される予定のうち、本書はその中軸を担う1冊。著者は「自治体史」の可能性を願って綴った事を冒頭に記していますが、副題に示されるように「東国・甲斐からよむ」とされており、地域史としての領域を逸脱することが想定されています。

各都道府県、市町村にそれこそ数多存在する歴史館、考古館、博物館の展示を見ていて常に疑問に思う点。特に考古学的なテーマを前提に置いた展示で首を傾げる事が多い事として、出土物自体の解説には他の地域との連携性や時代の前後性を強く示す一方、「おらが村のお宝」ではないでしょうが、その中で如何にも中核や枢要を担っているかのような、他と比べて突出的な出土品であるという表現を付されている点、自らの地域性に殊更の優位性を綴る(京都、奈良、大阪は別の意味もあるので)解説に奇妙さを感じないわけではありません。

本書も県域紙である山梨日日新聞の連載記事(なぜこの本が出版部も持つ同社から刊行されなかったのかは首を捻る点ですが…愛読している版元さんから刊行された事に感謝しております)、しかも他県と比べても強固に纏まった郷土意識を有する土地柄故に同様の懸念があったのですが、むしろそのような懸念を大きく裏切る内容の幅広さを具えています。

新聞の連載記事という事で一つの話題について僅かに4~10ページ程。フルカラーで非常に多くの写真も併せて掲載している事もあり、特定のテーマを深堀出来る構成ではありません。むしろ博物館の展示と解説ボードをそのまま本に収めた様な感もある本書ですが、テーマに挙げられた「文字」という着目点(帯の書体にも滲み出ています)が自治体史という範疇を許さない、広大な視点を与えてくれることを明瞭に示しています。

全3章で綴られる内容はテーマ毎に纏められている一方、連載時期が前後している部分もあり、一貫した通読性がある訳ではありません。更に、シリーズを通貫する筈の甲斐、山梨をテーマとした内容は本書の半分を割り込み、北東アジアから広く日本国内、南は大宰府から北は多賀城までという広範な地域を舞台に描かれていきます。もちろん著者にしてもそれでは自治体史の体裁を逸脱しすぎてしまうと考えられたのでしょうか、山梨県内の出土例/事例についてはご自身も現地に赴いて、発掘内容や心象を添えながら丁寧に著述されています。

山梨県の古代史を綴る一方で、その通貫するテーマを描くためには是が非でも必要であった文字文化の「ひろがり」。コラム形式のために重点が見えにくいのですが、著者が研究に直接携わった部分には相応の力点が注がれており、その著述からある程度テーマの要点が見えてきます。

第一部として纏められる「文字を書く」。文字を書くためのフォーマット、素材となる木簡や筆、硯。単純な文字が書かれた土器に込められた想いは甲斐の出土物単独で理解することは出来ず、その伝来から変化と言った考古学が最も得意とする形態的な編年分類を重ねて理解することが求められます。中でも非常に興味深かったテーマは、徳川光圀を引き合いに出しながら、土器に記された墨書に残る特殊な漢字、則天武后が定めたとされる則天文字が其処に残されている例を紹介する段。出土品の時代確定に用いるだけではなく、その背景を金石文から篆書、隷書へと繋げながら為政者による権力の存在を指摘する点は、出土物の歴史的背景を矮小化せずに広く視点を持つ事を求める考古学らしい読み解き方を感じさせます。また著者の研究テーマでもあった定木の利用法解明とその背景となる和紙と硯、墨の利用に対する歴史的な展開は、専門的な研究書はもちろんあるのかと思いますが、このような一般向けの書籍でその一片を見せて下さる点はとても貴重かと思われます。

文字を綴るための前提を記す第一部を受けた第二部は、少し寄り道気味な内容も含まれる「人びとの祈り」。経典埋納の壺に刻まれた人物名の驚くような広がりや相撲人とアーリア人系の顔が描かれた木簡(本当に甲斐に在住していたとすると、その背景含めて実に愉しいですね)といった文字として残された記録の側面も綴られますが、主に文字に込められた呪術的な側面を取り上げていきます。特に山梨県在住の方には興味深いであろう道祖神としての丸石、男根のお話は、文字からはやや離れてしまいますが、仏教伝来以前の日本の在来信仰的な捉え方や仏教受容後の変形ではなく、韓国、扶餘の出土例を通じて、仏教文化と並立する大陸文化に通じる点を指摘します(私も現地を訪れた事があります)。その上で、朝鮮半島で出土した椀に鋳出された文様も、国内で出土した土器に刻まれ、墨で書かれた文様も、民俗学で述べられる五芒星や海女の呪い模様と同じものであり、道教に繋がる点を指摘することで、古代史から認められる姿が、広くアジア各地で遥か現代にまで繋がっている事を示していきます。

そして、本題の舞台から遥かに離れた多賀城碑と上野三碑から綴り始める第三部「文字文化のひろがり」。著者の専門分野が存分に発揮される、3回連続で綴られた多賀城碑偽作説の再検証から重要文化財への指定の根拠となった周辺の発掘調査の結果と、上野三碑を世界記憶遺産へと推す根拠とした、半島文化と大和王権、北方文化が交錯した事実を現在まで伝え続ける石碑がなぜピンポイントにこれらの土地に残されたのか(意外な事に、戦後の高度成長期から現在に至るまで、日本国内で新たな石碑の発掘例は皆無との事)を説き起こしていきます。また、著者の専門分野でもある漆紙文書がなぜ時代を越えて残る事が許されたのか、更にはその分析に威力を発揮した赤外線カメラによる古文書分析の威力を綴る部分は、考古学の研究が発掘や類型調査だけではなく、最新の測定、分析技術を巧く活用する事で更なる進化を得られる点を明確に示します(お線香で煤けた先祖のご位牌の文字を確認して欲しいという地元の方からの依頼も。県立博物館も色々大変ですね)。

限定的な碑文の分布から文字文化が明らかに遅れて伝わったと想定される日本列島。その後に生み出された万葉仮名と平仮名への変遷を綴る段で本書は終わりますが、大幅に加筆された最終盤の内容が本書のハイライト。ニュースでも大きな話題となった、ほぼ完全な形で出土した仮名文字による歌が刻まれた土器(甲州市ケチカ遺跡出土「和歌刻書土器」)。この土器の読み解きを行った解読検討委員会の委員長を務めた著者によるその検討結果と、併論となったいきさつが前後約30ページに渡って綴られていきます。

既に文字資料が揃いはじめた時代の出土物ですが、僅か31文字の来歴を知るには余りにも不足。しかしながらこの読み解きを果たす事は、日本における仮名文字の発達の過程を知るため極めて重要な契機。土器編年法から始まり文字の形、綴られた歌の内容とその読み解きといった、考古学と文献史学、美術史と国文学がまさにがっぷり四つで組み合った結果が初学者にも伝わるように丁寧に説明されていきます。未だ歴史書の中で本件を扱った具体的な著作が無い中で、唯一無二の一般向け解説。本書の巻末、実は本連載の掉尾を飾る(翌月の2018年3月掲載分を以て館長離任により連載終了)、地域史を開拓する地道な発掘成果はまた、全体史を大きく動かす力を持っている事を雄弁に示す紹介内容。

甲斐、山梨という山深く狭い地域で語られる歴史が、その範疇の中だけで語られるのではなく、広く世界に繋がっている事をまざまざと示すシリーズ中でも白眉な一冊。甲斐・山梨の古代史に興味がある方だけではなく、広く古代史、考古学がどのように歴史を捉えようとしてるのかを理解するためのきっかけを、文字という共通な文化の基盤を通じて具体的な事例から多面的に、しかも判り易く、丁寧に教えてくれる一冊です。

今月の読本「海辺を行き交うお触れ書き」(水本邦彦 吉川弘文館)著者と全国を巡る古文書の蓄積から見出す情報ネットワークの変遷

今月の読本「海辺を行き交うお触れ書き」(水本邦彦 吉川弘文館)著者と全国を巡る古文書の蓄積から見出す情報ネットワークの変遷

近年、江戸時代の行政システムや市民生活に対する積極的な再評価が行われつつありますが、これら再評価の大前提となっているのが、各地に集積、翻刻されつつある古文書の蓄積、その分析にあるかと思います。

幕藩体制と呼ばれる江戸時代、統治機構は御領と私領、寺社領の縦割り的な分断、身分制度は武士を頂点とした垂直・固定的と評される事が多いですが、これらの認識も近年の研究により大分異なる様相が見えてきています。

今回ご紹介するのも、そのような旧来の視点に立脚した江戸時代の統治機構に対して、横断的な検討からその変化を読み解こうとする一冊です。

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館の歴史文化ライブラリー最新刊から「海辺を行き交うお触れ書き」(水本邦彦 吉川弘文館)のご紹介です。

著者の水本邦彦先生は近世幕藩体制下における村落行政史研究者の方。既に第一線の教壇から降りられた方ですが、一般向けの書籍を含めて、現在に至るまで多くの著作を有されています。

非常に手慣れた筆致で描かれる本作。本書で描かれる内容を手掛けるきっかけとなった伊予、大洲と三河、刈谷に残された古文書に書かれた、長崎へ渡航する筈が遥か銚子に流されてしまった清からの貿易船乗組員を帰帆させるために行われた長崎への回航と沿岸各集落に対してその航海への援護を求める一文。「浦触」と呼ばれたその書面の文面が全く同一であることに驚く一方、付けられた発送元と廻覧先に興味を抱いた著者はその送付ルートの変化に着目していきます。

この南京船の漂流と帰帆の物語については、別の書籍(書名失念)で読んだ際にその経緯や帰帆するまでの足取を追った記録に大いに興味を抱いたのですが、本書では事情を知らせる浦触、その文書自体に焦点を当てていきます。

流石に多数の著作を有する著者と版元さんの連携が産んだのでしょうか、ここで本書はその発送ルートや廻覧方法の時系列変化やイベントに対して章を設けるのではなく、著者自らがその変化を探るために全国の古文書の原本や翻刻、研究者達の元を訪ね巡るというスタイルを用いていきます。

愛媛大学に籍を置いていた著者にとって馴染みの深い伊予、大洲を旅立ち、四国を巡り南の九州からもう一つの文書と巡り合った刈谷を経て北へ。陸奥、津軽藩と松前との関わりを追った後は日本海を下って西へ廻り瀬戸内海へ至る。浦触を探し求める旅を著者と共に続けることで、浦触のはじまりやその目的、廻覧されるパターンの変化を辿る事になります。各地に数多残る古文書、それらを翻刻する地元の教育委員会や研究者達が積み重ねてきた研究成果、著者と同世代の研究者達による古文書研究の過程で見出された浦触に関する情報を集めながら、事例を重ねながら全国を通じて行われた文書行政の変化を丁寧に紐解いていきます。

著者が見出したその変化、所謂幕藩体制の中核をなす、幕府、老中から各藩(留守居などを通じて)、所領に対して下達という形で伝えられ、各藩が有する藩内の伝達ルートを伝わっていく垂直型の伝達ルートに対して、特定の幕府職制、又はその業務を請け負った大商人や特定の藩が発信元となり、指定された廻覧ルートを辿り連判状のように各集落毎に印をおしていく(時には印を集めておいて藩庁や郡奉行所で一括押印、到着時刻表記の捏造?いえいえ、ISO運用にも見える日本の文書システムらしい形式主義を端から見透かす現場主義が掲げるルーズさまで…)姿が出来上がっていく事を見出していきます。

本来であれば支配違いの領地を跨ぐ行政文書の受け渡しなど想定しにくい江戸時代の支配制度ですが、多い時には年に数回と言う頻度で昼夜を問わずこれらの文書を所領を越えて隣り合う集落間で受け渡し、藩庁側の確認が後手に回る事すらあったことを古文書から見出していきます。浦々を伝わってそれこそ全国の海岸線を巡った文書行政の通達システム、浦触。徐々に完成を見た、浦々を継ぎながら繋ぎ合わされて押印された膨大な請印帳を見ると、その貫徹振りに、幕藩体制のもう一方の側面、全国政権であった徳川幕府の支配領域を超えて発揮、駆使された行政能力(実際に受け持つのは末端の各名主層と郡奉行たち)に感嘆させられます。

最後に著者は浦触の類似の姿としての広域行政文書の伝達例として、街道を継がれた伝達や海陸を含めた好事例である伊能忠敬の全国測量に伴う伝馬証文に続く先触の文書を示すことで、海陸を含むこのような文書行政による所領支配を越えて地域を水平に繋いでいく全国的な指示系統が存在した点を認めていきます。また、最後の指摘として、幕末の長州征伐中に発送された浦触に添えられた文書と配送結果から、その後の中央集権的な近代国家に脱し得ない幕藩体制の限界も併せて示していきます。

幕府による全国的な行政システムの実例を示す「浦触」の推移を著者と一緒に海岸線を巡りながら理解を深めていく本書。実例を理解しつつ網羅的に変遷を追いかけたいと願う読者にとって非常に楽しく、興味深く読む事が出来る内容なのですが、ひとつ、とても残念な点があります。

浦触れの伝達形態が各領地の行政権に委ねられる下達型から直接住民が携わる著者曰くの横断型へ、発信元が老中から勘定奉行や各地の代官所、大阪船手等の実務部門、現地部門へと移っていく点は、正に権限と運用が実情に合わせて現場へと委譲されている姿を明確に示しているのですが、惜しい事にその移譲の経緯や該当する幕府内での議論の推移に対して、本書では殆ど言及が為されていない事です。

著者には主著として「近世の村社会と国家」(東京大学出版会)があるので、前述のような疑問であればそちらを参照せよという事なのかもしれませんが、本書の帯にも描かれた、副題にも掲げられた「徳川の情報網、国家統治システム」を描くにあって、上位の為政者である幕府の動きをほぼスポイルしてしまった上で、終盤で「公儀」が与る情報伝達への言及がなされても、その背景が見えてこないようにも思われます。

主題である浦触の姿を著者と一緒に全国を追いかけるという文意に沿った内容としては素晴らしいと思いますが、掲げられた表題からみると、ちょっと片手落ちの感が否めなかったのは致し方ないのでしょうか。

 

今月の読本「大道 鎌倉時代の幹線道路」(岡陽一郎 吉川弘文館)考古学と文献史学が明滅する先に道の社会学を想う随筆

今月の読本「大道 鎌倉時代の幹線道路」(岡陽一郎 吉川弘文館)考古学と文献史学が明滅する先に道の社会学を想う随筆

日本の中世史を扱った書籍では通史としての大きな歴史と言うべき政治的な動きや、武士や公家、僧侶と言った個人、武士団、寺社などの集団をテーマにした歴史を扱った本が大多数を占めるかと思いますが、近年、それらの境界領域ともいえるテーマを扱った書籍も一般書として徐々に出回るようになってきています。

史料的な限界のある中世史という時代区分において、この分野では最も成功しているのではないかと思われるテーマとして、近年の進展が著しい考古学を援用した街道やその道を使った人々の動きを軸に歴史的な展開を描いていく著作群がありますが、更に一歩進めて「道」自体をテーマにしたこの一冊。非常に興味深いテーマではありますが、少々難物な読み物でもありました。

今回ご紹介するのは、吉川弘文館の歴史文化ライブラリーの最新刊より「大道 鎌倉時代の幹線道路」(岡陽一郎 吉川弘文館)です。

冒頭で提示される「かまくらかいどう」「あずまかいどう」という呼び名に対して、数多に溢れているこれらを呼称する古道達に対する著者の大きな疑念。それらを結び合わせても一筋の道が描けない事からも判りますように、後年の人々がある仮託を込めてそれらの名前で呼び習わし、現在に伝わった道筋たち。本書がこれらの道筋がどのように変遷したのかを辿りながらその道を作り使い続けた人々の姿を描いていく、考古学と文献史学をベースに歴史地理学と社会学が交差するテーマを深化させながら綴られる事を期待して読み進めていくと、ある意味大きな失望を受けることになります。

このように表現することは珍しいのですが、あとがきに書かれた著者の懸念と抱え続けるわだかまりがそのまま文中一杯に散りばめられてしまったかのような内容が展開する本文(著者より若輩ですが老婆心から述べさせていただくと、本書だけは「あとがき」は最後まで読まずに、とにかく本文を冒頭から追われる事を切に願う次第です)。

「大道」という名称の位置付けを語るかと思うと疫病と怨霊が渡る異界の扉としての道の話に飛ぶ。道の変遷を語り始めると近江の葛川から一気に現在の著者の研究フィールドである須川峠の山懐にある開拓地と領家を繋ぐ道の変遷の史料検討へ繋ぎ、更には学生時代に携わっていた鎌倉、犬懸坂、杉本寺の考古発掘調査の考察へと変転しながら東国の首都、鎌倉の盛衰を語る。鎌倉に話を飛ばすと、今度は大道や橋の維持に対して当時の公儀である幕府にその代行を買って出る事になる宗教者達、特に真言律宗の存在との共存関係から、重層的な支配関係の元にある当時の姿と政と聖の相互関係に思いを馳せる。

大道という言葉を頼りに、数頁から10数頁程度の小テーマが著者の思い至る範疇で書き連ねられ、これまでの検討や議論に対する著者の考察とも懸念とも取れる内容が随筆のように綴られていく本書。200ページを切る事もある歴史文化ライブラリーのシリーズとしてはやや過大とも思える全編294ページと言うボリュームで、これまでの研究者として歩んできた路傍に散らばり播かれた種を拾い集め愛おしく抱き抱えていく様な著者初の単著。散文的なその内容の要所には実に興味深い思索が含まれています。

「中世」の大道には古代王朝が生み出した大道とは異なる意味合いを考慮すべきであるという点。地形を穿つようなものではなく、多数の支配関係の間を縫うように繋がり、村と村、山村と市が立つような集落がある拠点の間を馬が通える道が通じれば、それは大道と呼ばれると指摘します。また中世の道の成立が交通の便宜、即ち軍旅であったり年貢や貢納の輸送の為に必要に応じて変遷していく点が古代の大道と大きく異なると指摘します。

その指摘の先に見出すのが、中央政権ではない鎌倉幕府の組織成立上の限界点。著者は為政者はその支配機構としてインフラ整備を行う者であり、それが当然であるという視点に大きな疑問を呈し、幕府として纏まった彼らが中央政権からスピンオフした軍事・警察機構に過ぎない点を忘れて、為政者としての過大な評価と期待を抱き過ぎて観ているのではないかと強い懸念を示します、その先に「鎌倉街道」を代表とした、当時の文献では使われる事のない単語を用い、我々を含めた後代の人々が中央に繋がるものへの憧れ、憧憬としての「大道」という幻想を抱いているのではないかと指摘します。ここで、鎌倉より北方の人々が抱く「中央感」と、より東国の中核に住む人々のそれが異なる点を「かまくらかいどう(鎌倉街道、かまくらみち)」「あずまかいどう」の呼び名の違いに見出す著者の視点は実に刺激的です。

更には、著者自身議論を控えているようですが、奥州の深部、奥大道の終着点で研究を続けられる方らしい視点ともいえる、当時の文物はいずれも京を交点に取り交わされるという如何にも一般的な視点を強く意識された見解が僅かながら語られます。近江の杣に当時の金額としても大きな十五貫文の銭を携えて木材を買い付けに美濃からやって来た地頭の下人の姿や、常滑焼の出土分布の向こうに、中央や鎌倉と地方と言う二元的な交流だけではない、物産を生み出す産地である地方と地方同士の交流史が見出せる素地があるのではないかという想いを滲ませていきます。

その上で著者が願う、考古学とも文献史学とも異なる、大道をテーマにした中世社会史と言う姿が描けるのか。研究者として既にベテランの域に達しつつある著者に、抱え込んだご自身の課題を解消された先に、一般書とはいえもう少しテーマを精査された一作も期待して。

同じ吉川弘文館の書籍の中には、前述の交流史を念頭に置いた多数の書籍が揃っています。頭の中に地図を思い浮かべながら、どのような人々が何を求めて行き交ったのか、現在の姿と重ねながら考えてみると、歴史を見る視点が更に広がるようです。

今月の読本「平氏が語る源平争乱」(永井晋 吉川弘文館)地理院地図と脇役達で淡々と描く、敗れ往く者達で綴る平家物語

今月の読本「平氏が語る源平争乱」(永井晋 吉川弘文館)地理院地図と脇役達で淡々と描く、敗れ往く者達で綴る平家物語

日本史に関する書籍の新刊が大挙して本屋さんに並ぶようになったここ最近。特に研究者の方が執筆される、これまでの歴史著述や教科書に対して議論を提起し、明確な訂正を求めていく筆致で綴られる書籍が多く見受けられるようです。

比較的若い研究者の方々によるこれらの著作。好評を以て読者に迎えられているようですが、読み物としてはやや背景描写の広がりに乏しいと感じる事があるのもまた事実。今回ご紹介するのは、それらの著者より一世代前に研究者としての足跡を刻み始め、豊富な著作歴を有する研究者の方がある疑問に対しての答えとして書かれた一冊です。

昨年末に読んでいた、吉川弘文館さんの歴史文化ライブラリー、12月の最新刊より「平氏が語る源平争乱」(永井晋)のご紹介です。

著者の永井晋先生は、長らく金沢文庫及び神奈川県立歴史博物館で研究活動に従事されていた方。近年、地元の関東学院大学に籍を移されています。主に源平合戦から鎌倉初期の鎌倉、関東をベースにした研究で知られる著者は、前述のように一般向にも多数の著作を有される方。本書も2015年に刊行された前著「源頼政と木曽義仲」(中公新書)の内容(と、今回と同じ版元さんから刊行された「相模武士団」に寄稿された論考)を受けた続編を意識された事をプロローグで述べています。

前著ではチェスのコマを動かすようにと自らを評された、著者にとっては手慣れた源平合戦が今回もテーマ。しかしながら、本書では詰将棋的な著述に陥らないようにと、偶然性や不確実性を織り込む事も念頭に置いていると述べています。また、著述のベースには平家物語を置いていますが、敢えて著者にとっては専門分野である筈の吾妻鏡からの引用を極力排除し、逆に京における公家の記録、特に玉葉の記述を重視し、史実としての主たる補正に用いています。

その目的は本質的に平家視点で描かれる平家物語を捉えるためのアプローチ。戦いを主導したいずれの勢力も武力による全国統一、全国の武権の結集を目指していた訳ではなく、あくまでも源平並立が成らなかった過程の積み重ねが武権の確立に至ったに過ぎない事を明確に提示し続けます。源平合戦を武士の時代の幕開け、武士の伸張の画期として捉える史実から遡るイメージからの脱却を図るために用いられた手法には、前著に続いて去りゆく者の視点へ心情的に寄り添う著述が伴われていきます。

研究者の方が書かれる日本史の一般書著述としては例外的な、本文中に於いて殆ど他の研究からの引用を明示せず(鵯越の逆落としの部分では、驚くような文献から傍証を引いていますが)、要所で援用される多くの研究成果を咀嚼した形で著者特有の淡々としたペースで綴られていく、平家を軸にした頼朝挙兵から壇ノ浦までという時間軸で描かれる本文の描写。そこには前著同様に八条院人脈を一つの軸に置く一方、平家視点という著者の狙いを具現化する為に、小松殿、小川殿、池殿といった一族内部と宗主宗盛との意識、距離感の違いが、八条院、頼朝、後白河等のキャスティングボードを握る人々(庇護者、複数に仕える主人のひとりであり授権者)と彼らの距離感から生み出されている事を繰り返し述べていきます(本書における平家内部を描く著者の考察と描写を読んでいくと、演出よりなにより、この部分における文芸的に見立てた際の判りにくさこそが、大河ドラマ「平清盛」不評の原因ではなかったかと思えてきます)。

心象的な駆け引きを持ち出すことで、繋がりや教養を有する事が何よりも大切だという暗喩すら感じられる登場人物たちの描かれ方。その結果、本書では頼朝や後白河といった大立者は完全に脇に置かれる一方、名だたる東国武士たちを宥めながら、兵糧に苦労しつつも九州まで着実に戦線を伸ばしていく、兵法にも明るかったはずと見做す範頼や、宗盛から疑心の目で見られ続けた末に八条院を通じて救いの手が差し伸べられた頼盛を好意的な眼差しで採り上げていきます。その一方で、一族の連携に疑念を抱かせる采配を執り続けた平家の宗主である宗盛や、強行突破攻勢の繰り返しが手勢の損耗から軍団の破たんをきたしている事を顧みず、自らの勝利だけに突出した義経、武人の境地と雅の心を踏みにじる東国武士たちの無粋な動きに対して明確な嫌悪感を示していきます。

そして通史としての源平合戦の推移。軍制の変化や平氏と源氏の軍事指揮権と率いた軍勢の逃散、揺れ動きの違いといった大局的な推移の記述は既にこの時代の歴史に詳しい方であれば、新たな知見や旧来の見解を明白に否定するような著述はあまり見当たらないかと思います(争乱終結後の武家に対する訴訟激増の遠因など、提起される内容が散発的に挿入されてはいますが)。その代りに持ち出されるのが、その年の気候条件による兵糧の集散やふんだんに掲載された地理院地図を用いた合戦場所の地形的な検討。そこには戦略面を綴る一方で、戦術面でその選択を行った背景を当時の軍制や輜重体制に問い、戦闘に至る経緯へ必然性と偶然性の双方を添えていきます。

闘う覇気が最初からなかったという旧来から述べられる見解を継承しながら、その背後にある過程を軟弱化ではなく、公卿を輩する家柄となった事による家職相応の姿からの乖離と捉え、彼らに従った家人たちの仕え方が軍制と合戦の経緯を通じて変化した結果が次の時代を生み出したのだというニュアンスを多分に含みながら。その流れの中で、玉である安徳天皇と三種の神器を奉ってしまったが故に源平並立と言う姿に立ち戻れず、繰り返し勢力を盛り返し、強力に抗いつつも西海に沈みゆく平氏への哀愁を、研究者としての筆致とのぎりぎりの狭間で描く本書。

著者の心象や偶然性の扱い方にやや疑問を持たない訳ではありませんが、史料だけではなくその背景までも描写しようと心掛けた著者の筆致による平家物語を描く本書。

一部の平氏の名のある武将たちが都度に死に場所を求めたために、特に撤兵時に纏まりに欠けた戦闘を強いられ続けたと見做すような見解や、これまでであれば後白河の風見鶏的な振る舞いが指摘される部分が逆に頼朝と後白河の提携が一貫して当然として取り扱われる一方、義経の突出の背景に彼が範頼に強い敵愾心を持っていた事を前提として西国での戦線進捗の背景を描く点など。

プロローグとエピローグで丁寧に述べられる著者が描きたいと望んだ叙述や疑問と実際の筆致を比較しながら、考えながら読みたい一冊。歴史を背景を含めて描いていくという命題と、それを研究、史実として扱うという筆致のバランスを再び考えされられる著者の手による平家物語の先には、どんな歴史描写を見出されるでしょうか。