今月の読本「ウナギと人間」(ジェイムズ・プロセック:著 小林正佳:訳 築地書館)その神秘の魚は人と人が交わる中で密やかに物語を語り出す

今月の読本「ウナギと人間」(ジェイムズ・プロセック:著 小林正佳:訳 築地書館)その神秘の魚は人と人が交わる中で密やかに物語を語り出す

今年もこれから夏に向けて、あらゆる意味で再び話題となりそうな魚、ウナギ。

世界中のウナギを掻き集めて消費している日本人にとって、これから目の前で繰り広げられる狂想曲と、産卵場所探しや生育環境、更には人工養殖と飽くなき研究へのまい進。ウナギにまつわる物語の殆どがこの国にいれば把握できてしまうように思えてきますが、果たしてどうでしょうか。

サーモン、タラと並んで世界中の人々が好んで食する珍しい魚であるウナギ。その神秘に満ちた一生と特異な姿、人をも凌駕する長寿を誇る生態に魅せられたのは日本人だけではない筈。

そんな想いを改めて思い起こさせる一冊をご紹介します。

自然科学関連で、他の版元さんには見られないユニークな本を送り出してくる築地書館さんの最新刊からご紹介です。

ウナギと人間今月の読本、「ウナギと人間」(ジェイムズ・プロセック:著 小林正佳:訳)です。

本書を手に取られ、表紙や裏表紙に書かれた概要を読まれた多くの方は、おやっと思われるかもしれません。

著者があとがきで述べているように、そしてあとがきでまだ書き足らない想いを埋めるかの如く綴るヨーロッパにおけるウナギ料理の話や、ウナギのヤスのコレクションの雑感に観られるように、本書は当初、訳本に多くあるウナギをテーマにした広範囲な分野をカバーする文化史、生態学を纏めた一冊にする意図があったようです。日本の著作では珍しい、しかしながら訳本では当然とも見做される科学と文化の双方をカバーするウナギの概説書としての体裁。ところが、11年にも渡る取材の結果纏められた本書は、そのいずれにも当てはまらない内容へと着地しています。

著者は著名なアングラーであり、パタゴニアの創業者とコラボレーションを行うナチュラリストとしての側面も有する、自然科学関連ではかなり著名な方(本書の取材に於いても、ナショナルジオグラフィック協会の支援を受けた事が記されています)。多くの生物に関する著作を有する彼が本書で辿り着いた地平は、ウナギの物語ではなく、ウナギを挟んで語り合う著者と登場人物たちの人と人の物語。

冒頭と中盤に分けて描かれるサルガッソでの産卵場所の追跡や、シラスウナギのバイヤーの遍歴、中間に差し挟まれた、現:日本大学の塚本教授との語り合いの部分だけ見ていると、ライターの方が書かれた、良くあるウナギの不思議物語を読んでいるかにも思えてきます(塚本教授の印象を傍点付きで語る著者の視点には、氏の著作を複数読んだ身として深く同意するところです)。ウナギの生態や食材としてのウナギ、更には研究の物語など魚が好きな方なら思わず喜んで読んでしまう内容も豊富述べられています。

その一方で、3章から始まる(訳注を見ると、原著では3,4章で一つの章だったようです)マリオとウナギの物語を読んでいくと、その民俗学的なアプローチとルポルタージュ的な体裁の記述に困惑されるかもしれません。民俗学的なテーマを掲げた本では良く見られる、取材する側と取材される側の葛藤や迂遠に引きずり回させる回答への道筋、相手に徐々に呑まれていく著者とすっきりしない結末など、ウナギの生態や物語を知りたいと思われる方にとっては、時に苦痛すら感じる内容かもしれません。更には、アメリカの人里離れた川縁で大きな簗を毎年のように組み直しては、秋の増水時期に降下するウナギを待ち望む世捨て人のような燻製作りの男との会話、そして登場人物たちに誘われるように向かったポンペイでのウナギの伝説を追い求め、夜な夜なサカウに浸っていく著者と、そのアプローチに興味を抱き協力する若いCSPの職員。

ここまで読んでいくと、本書が単にウナギの物語を語っているとは思えなくなってきます。初めは乗り気ではなかった、あまり興味のなかった11年前の著者と、溢れるばかりの書き切れない内容をあとがきに綴り、それでも興味が留まるところを知らないと述べる著者。ウナギに魅せられていった著者と、おなじように著者が訪れた世界中の場所で、ウナギに興味を持ち、惹かれ、魅せられ、研究され、信仰し、神聖視し、恐怖し、稼ぎ、食し、育む…著者と交わった人々の物語。

春になると、金が舞い飛び密漁を含め多くのシラスウナギが東アジアに集結し、熱暑の時を迎えると、極東の島国に集められたウナギたちは鮮やかな手つきでかば焼きに仕立て上げられる。一方で、紫外線照明が降り注ぐ研究室ではシラスウナギの稚魚が水槽の中を舞い、雄ばかりの奇形ウナギにホルモン注射を与え続け、南の海では「科学者」でありつづけたい男たちが政府の資金でその産卵場所を嬉々として追う。

秋になれば、ニューヨークの奥地の川では黙々とひと夏をかけて巨大な簗を仕掛けた男が息子と二人、嵐の到来を待ちわび、南半球では、何十年もの間、川や湖で過ごして巨大に育ったウナギたちが満つる時を悟るかのように砂洲を越えて海に帰る時を男たちが見守る。その横で彼ら、彼女らが紡いできた物語に寄り添うかのように、窪地の水たまりに潜む巨大なウナギに餌をやり、時に手を差し伸べ、さするように愛おしむ人々。学問として語り継ぐことを決心した次の担い手たち。そして、南の島で自らの起源と生誕を来た道をその不思議な生き物に重ねて物語を編み、そっと伝えていく人々。

ウナギを介して交わった人と人の物語を編み重ねて綴られた本書は、その未だ生態の全容も判らず、生まれいづる場所すら容易に明かそうとしない、ウナギ自身の神秘のベールのように、著者の秀逸な筆致に載せて、大洋のようなその世界の広さを往きつつ、大海を渡って河口に辿り着いたシラスウナギを掬うかのように、僅かに捉えた事実をほんの少しだけ我々に垣間見せてくれるかのようです。

 

<おまけ>

本ページでご紹介している関連する書籍を。

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今月の読本「大洋に一粒の卵を求めて」(塚本勝巳 新潮文庫)研究者であり続けたいと望む第一人者の、鰻と研究のこれまでとこれからを

今月の読本「大洋に一粒の卵を求めて」(塚本勝巳 新潮文庫)研究者であり続けたいと望む第一人者の、鰻と研究のこれまでとこれからを

7月になると巷で騒がれる、土曜の丑の日。

ここ数年、資源減少に伴うレッドリスト掲載から始まった一連の騒動を経て、このシーズンになると、食べる事や値段の話題と併せて、資源や更には代用品の話といった様々なテーマが語られるようになってきました。

このような注目を浴びるようになってから、消費者、需要家、そして研究者と色々な分野の方が、それぞれの立場で意見を述べられるようになってきましたが、中でも第一人者と目される方がいらっしゃいます。

ニホンウナギの生態を長年に渡って調査を続けた結果、遂に産卵場所、そして卵の発見に辿り着いた塚本勝巳先生(現:日本大学生物資源学科教授、当時の肩書は東大海洋研究所教授)。

今回ご紹介する一冊は、塚本先生の著作の中で、これまでで最も入手性が良いであろう一冊。

毎年夏に全国津々浦々、あらゆる書店で行われる、新潮文庫のキャンペーン「新潮文庫の100冊」にもノミネートされた新刊をご紹介です。

大洋に一粒の卵を求めて大洋に一粒の卵を求めて」(塚本勝巳 新潮文庫)です。

本書は多くの文庫本の例に漏れず、書き下ろしではなく既刊の作品を収録したものです。著者の研究がその頂点を極めた時期に当たる2012年に複数の類書と共に刊行されたうちの一冊、「世界で一番詳しいウナギの話」(飛鳥新社・絶版)を底本にしています。

しかしながら、巻末の注記にあるように、今回の収録の当たって大幅な増補がなされており、巻頭の注記と文中に記述されている年号から察するに、第8,9章は今回刊行の為に新たに書き下ろされたようです。

自身の回顧録と研究にまつわるよもやま話が述べられていく、日本人の研究者の方が書かれる著書特有の筆致で描かれる前半戦の底本に書かれた内容は、類書やテレビ等でも何度も取り上げられている内容ですので、改めて説明する必要はないかと思います。ここでちょっと興味深いのは、著者がウナギの研究を手掛ける前に行っていたアユの遡上と回遊に関する研究成果。川魚全般にご興味のある方、脂鰭付きの魚達(サケ、マス類)がお好きな方なら、氏の研究成果は良く知られているところです。

水温や水質、生体ホルモンの働きによる、魚類の行動を研究してきた氏の研究テーマが一年で川と海を行き来するアユから、時に数十年を経て川から再び海に戻るウナギに変わった後でも、そのアプローチにはいささかの迷いはありません。

日本人であれば誰しもが注目する魚種。美味しくて、しかも希少で高額。さらには単一の魚種にも拘らず長い伝統と、深い専門性を有する職人から、漁師、養鰻業者が携わり、果てやナショナルチェーンから国際バイヤーまでもが群がり、跋扈するという他の魚種では考えられない特異性を持ったウナギ。

そのためでしょうか、潤沢とは言えないまでもかなり恵まれた(氏は反論するでしょうが)研究環境を確保しつつ、それまでの研究スタンスを大規模に展開した、時にはウナギ艦隊と称する大規模な調査船団を組織してのウナギの産卵場所を突き止める(そして産卵前の成魚を確保する)という、プロジェクトの成果は既に多くの皆様に知られている事かと思います。

アユを研究していた頃から抱いていた、回遊というメカニズムの神秘に迫りたいと願う研究者としての願望は、フィールドワークとしては前著を上梓された時点である意味、達成されていたのかもしれません。

しかしながら、大幅増補が加えられた本書ではその先のお話が綴られていきます。

氏の想い、それは研究者という生き物は、目の前の興味にまい進し続ける事が本分である事をはっきりと明言しながら(本書のあとがきがマリアナ沖を航行中の船中で執筆されているという事実だけで充分でしょう)、それだけでは済まされない状況に陥ってしまった現状に対して、何らかの情報発信を行わなければならないという強い危機感と、それでも研究者(著者は学者と研究者は異なるという、現在の日本に於ける高等教育/研究制度において極めて微妙な見解を披露しています)としての立場を堅持したいという複雑な想いが文中で交差していきます。

最終章に渡って、時に赤裸々に述べられるこれらの課題。本書を読まれると、中には「河川回帰するウナギは産卵に供する2割程度、しかも中国や台湾にも遡上するのだから、たとえ日本の河口や川でシラスウナギや成魚の漁獲が激減しても全体の資源に影響する比率は小さいのでは」という疑問を持たれるかもしれません。そのような統計データ上の議論に踏み込もうとすると、氏は研究と調査は異なると、更に微妙な発言(これは、自身は魚類の生態学者研究者であり、水産資源の研究者学者ではない)を述べた上で、これらの基盤情報の整備が整っていない点を指摘した上で、それらを組織できる団体(何処かは判りますよね)の努力に期待を述べていきます。その想いは、完全養殖への過度な期待(前述の団体が膨大な資金を半世紀にも渡って投じた末に、漸く実験室レベルで実現)への警鐘に繋がります。

氏の研究者としての矜持と研究へのアプローチが明快に述べられる前半とは対照的に、時に歯切れ悪く、時に自嘲気味に現状に対して模索を続ける、研究者としてウナギの未来への貢献を想う気持ちを込めて、近年このような想いを繰り返し述べられています。

どうせなら、美味しいウナギはハレの日に美味しく頂きたい。それが資源と食文化を守る第一歩になる筈だから。

以前は天竜川を遡上したウナギが豊富に獲れたことから、ウナギの食文化がしっかりと根付いている諏訪湖界隈の川魚文化(関東風と関西風のハイブリッドなので、関東人としてはちょっと、なのですが)。

それでも最初の土曜の丑の日を迎えた昨日の夜、既に夕飯の食材を調達するには遅い時刻のスーパーの魚売り場や総菜コーナーには、割引や半額シールの張られたウナギのかば焼きや、ウナギのかば焼きの載せられたうな重、僅かばかりにかば焼きの切り身がまぶされた丼に、巻き寿司などが、手に取る人も少なく、寂しそうに幾つも並べられていました。

もしも次の土曜の丑の日(8/5)、同じようなシチュエーションに巡り合われた時には、その魚類としてたぐい稀な長命に秘められた神秘的な生態と一緒に、ほんの少しでも、彼らの現状を思い起こして頂けますように。我々消費者の気まぐれなトレンドが、彼らの未来にとっての最終的な決定権を握っているという事を決して忘れないために。

そして、今度は氏の新しいフィールド(日本大学)における、より大きな視点でのウナギの物語が描かれることを期待して。

<おまけ1>

現在、日本大学生物資源科学部の付属博物館では、企画展「うなぎプラネット」が開催されています。場所が神奈川県藤沢市の六会(小田急江ノ島線、六会日大前駅すぐ)とちょっと不便な場所ですが、期間限定で極めて貴重なウナギ幼生レプトファルスの飼育展示も観られるとの事。なお、開催期間は12/19迄ですが、日曜、月曜休館、更に8月~9月中旬の土曜日と夏休み期間中も休館と社会人にはかなり高いハードル。それでもご興味のある方は是非どうぞ(目の前まで行ったのに、周辺に駐車場が無くて見学を断念した大馬鹿者が此処に一人…)。

(本展示についてご紹介されている、同じ学部に在籍されています、よこはま動物園ズーラシア園長の村田浩一先生 https://twitter.com/zooman_koichi のtwitterより。会期中に必ず行きますので…)。

<おまけ2>

大洋に一粒の卵を求めてと類書本書のテーマに関連する書籍のご紹介。