今月の読本「セルデンの中国地図」(ティモシー・ブルック 藤井美佐子:訳 太田出版)訳書の魅力が存分に詰まった、東洋で作られた地図を介して東西文化の歴史地理学の幕が上がる

今月の読本「セルデンの中国地図」(ティモシー・ブルック 藤井美佐子:訳 太田出版)訳書の魅力が存分に詰まった、東洋で作られた地図を介して東西文化の歴史地理学の幕が上がる

豊富な訳書のラインナップを誇る、太田出版。

中でも、現在シリーズとして刊行を続けている「ヒストリカル・スタディーズ」には、地理や歴史が好きな方には興味深いテーマを扱った作品が多くラインナップされています。新刊本として面陳されやすいこともあって、比較的目にすることも多いこのシリーズは、読みやすい内容の作品が多いのですが、今回は価格面を含めて少々歯ごたえのある一冊のご紹介です。

セルデンの中国地図セルデンの中国地図」(ティモシー・ブルック 藤井美佐子:訳 太田出版)です。

既に表題の「セルデン」という単語でまごついてしまうこの一冊。16世紀末から17世紀初頭にかけてイギリスで活躍した法律家にして政治家。海洋法や航海に関する歴史に詳しい方、またはオランダの東インド会社の貿易史にご興味のある方なら聞いたことがある名前かもしれません。オランダの自由貿易推進の根拠として論考された、グロティウスの「自由海論」に対抗するように用意された、現在の航海法の基礎ともいえる「閉鎖海論」(国土に隣接する海域においては、海洋航行に於いても国家による管轄権が認められるという、領海法の基礎となった考え方)を提唱した当時のイギリス(訳者の正確な表記に従うと、イングランド)を代表する法律家です。

彼の遺言によりオックスフォードのボドリアン図書館に収められた17世紀初頭に作られたとみられる中国地図。2011年に行われた修復作業の結果、美しい姿を取り戻したこの地図を巡る物語を、同じオックスフォードで教授を務め、現在はカナダのブリティッシュ・コロンビア大学で東アジア史の教鞭を執る著者が描いていきます。

著者が最初にこの地図に興味を抱いたのは、セルデンの著作である「閉鎖海論」の理論的傍証、即ちオランダの東インド(香辛諸島)における、自由貿易の根拠としてのかの地の占有性の有無を検証するための素材として見做していたようです(ちなみに現代のそれに対しては、きっちりと釘をさしていますので、あしからず)。その延長として、冒頭では著者の体験に基づいた地図にまつわる国際関係の話が続きますが、本書の中盤を待たずして、早くもその考えは崩れてしまいます。その代りに著者が引き込まれていったのは、この地図の成立と、ボドリアンに収められるまでのストーリーそのものへの興味。

漢字で地名が書かれ、中国大陸を中央に置いた地図は明らかに東アジアの何処かで作成されたもの。しかしながら、その図法は当時の東アジアで一般的であった図法とはかなり異なり、海図に用いられる方位線が書き込まれ、コンパスローズの代わりに羅針盤、そして縮尺スケールまで描かれるヨーロッパ的なもの。最も特徴的な点は、アカプルコへ至るルートへの注記と、カルカッタと思われる点で途切れる地図のその先に至る、アデン、ドファール、ホルムズまでの航程が方位と日数で記されている、明らかにヨーロッパ方面への航海を意識した標記。そして、驚くほどに正確に描かれた航路に対して、かなりあやふやな陸上の表記。

本書の後半では、これらの記述の秘密について、著者の調査結果(まだまだ知りえない事が沢山あると述べていますが)と見解が述べられていますが、その結果は本書を彩るほんの一部分に過ぎません。

本書の最大の魅力は、その結果に至るまでの著者のアプローチ。単に地図の記述の謎を解くだけであれば、これだけの著述は必要ではなかったはず。それでも、著者は描かれた事の本質に迫るために、余りに迂遠とも思えるアプローチを仕掛けていきます。

其処には、入手者であるセルデン自身の物語だけでなく、親友であったベン・ジョンソンと彼の仮面劇に秘められた、イギリス特有の洒脱と皮肉の物語が語られていきます。そして、彼の東洋の文物に対する収集(東洋学の始まりといってもいいかもしれません)に興味を持って、当時の文壇に花を添えたパーチャスの「パーチャス廻国記」と、ジョン・スピードやメルカトルといった地図製作者たちの物語も散りばめられていきます。その記述は、16世紀末のスチュワート朝イギリス史、更には文化史をある程度理解している事を読者に求めてきます。

セルデンの研究上の遺産を引きついだ、ポドリアン図書館の初代館長であるトマス・ハイドと、数奇な運命の末に彼の元にやって来た中国人の沈福宗。セルデン地図の上で、彼らが交わしたであろう言葉が、ヨーロッパにおける東洋学の息吹を見せ始めますが、彼が研究を纏める頃には、時代の変遷による文化の多様性を相対化するための東洋史から、パーチャスに見られるような所謂東洋趣味の波に呑まれていく悲哀さすら述べていきます。

ヨーロッパをベースに著述している本であれば、此処までの著述で終わっていたかもしれませんが、著者は東洋史の専門家。セルデン地図の内容を追うその筆致は、ヨーロッパを飛び出して同時期、更にはそれ以前の東洋における航海史を跋渉する世界に漕ぎ出していきます。当時のあやふやなヨーロッパ諸語と中国語表記の変換の先にある、羅針盤の動きをベースに中国語で著述された航海録を読み解くことで、この地図に描かれた東アジア、東南アジアの航路が極めて正確であった事を、それこそ推理小説のように突き止めていきます。更には、これらの中国語書籍の成立した理由と、その著作の根底にある官僚制(科挙)や、文化の担い手としての重厚な士人層への眼差しが語られていきます。著者の研究者としての視野の広さは、本書を単なる地図をテーマにした地理史に留めることなく、東西の文化、思想が共演する文化史へと大きく広げていきます。

ヨーロッパを飛び出した地図を巡る物語は、更に紙の地図と書籍を飛び出して、東アジアを巡る航海と地図の物語へと進路を取っていきます。羅針盤の方位記述の読み解きや媽祖や火長といった中国由来の民俗学的な航海術を語りながら、イギリス東インド会社の貿易についての物語が編み込まれていきます。

ウィリアム・アダムスと平戸と徳川将軍という、我々にとっても馴染みのお話も語られていきますが、メインは中国、そして東南アジア貿易(北洋航路だけでは貿易が成り立たない事をはっきりと明記しています。オランダが長くアジアで貿易を続けられたのも、南方の物資拠点を抑えていたことによる、アジア航路内における南北貿易を成立させられたが故)。平戸をベースにしたイギリス東インド会社の交易における中国ルート開拓にまつわる悲喜こもごもの物語と、スペインそしてオランダとの香辛諸島での貿易競合の物語も語られていきますが、この部分は少し前後と脈絡なく登場してきます。実は、セルデン地図の最後の謎に迫る重要な秘密がここに隠されているのですが、その答えは本書をお読み頂いて、納得して頂ければと思います。

イギリスと中国の文化が交差する本書。それは歴史と文化を地勢の上で語るという地理学の本質が、それこそ大陸を越えて、ダイナミックに展開していきます。片方の知識だけでは決して読み解けない、文化の交差点としてのセルデン地図の特異性と、秘められたストーリーが存分に語られていきます。イギリス、そしてヨーロッパで刊行される作品におけるセオリーに従った、豊富な文化的、歴史的バックボーンに基づいて本題を解き明かしていく記述は、ちょっと迂遠な感じもするかもしれませんが、著者の驚異的な知識力、学術成果を丁寧な翻訳によって誘ってくれる、知的探究の面白さが存分に味わえる、訳本ならではの面白さが詰まった一冊。

イギリスの作品らしい、強烈な皮肉を込めた序文のヴァルトミューゼラーの「アメリカ」が初めて記述された地図と、海南島事件に関する話題から始まり、王子ジローとセルデンの墓所の物語(このオチには、更に何かを伏してるのですが、私の知識力では追い付きません)で終わる本書。著者の熱心な研究成果に耳を傾けながら、ある意味営々と築き上げてきた慣例法を規範に持つイギリスという国のしたたかな思考法の上に立つ、少し醒めた歴史感をじっくりと味わうかのような一冊です。

<おまけ>

本ページでご紹介している、本書に関連する書籍を。

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今月の読本「オン・ザ・マップ 地図と人類の物語」(サイモン・ガーフィールド:著 黒川由美:訳 太田出版)マッパ・ムンディから広がる、地図という名の人々の物語達を

今月の読本「オン・ザ・マップ 地図と人類の物語」(サイモン・ガーフィールド:著 黒川由美:訳 太田出版)マッパ・ムンディから広がる、地図という名の人々の物語達を

地図を見るのは好きですか。

美しい色彩の地図の中で旅をする。見た事もない土地に想いを馳せ、道のりにワクワクする。複雑な地形に感嘆し、雄大な山並みや広大な平原に圧倒される。

地図を眺める事そのものが旅をしているかのような錯覚を受ける事もあるかもしれません。その時、ご覧になっている地図を作った人達の想いに、ほんの少し触れているのかもしれません。

全ての地図は、誰かが何かの為に作るもの。今回は、歴史上、営々と作られ続けたそんな地図の物語を怒涛の如く詰め込んだ一冊をご紹介します。

オン・ザ・マップオン・ザ・マップ 地図と人類の物語」(サイモン・ガーフィールド:著 黒川由美:訳)です。

著者はイギリス在住のジャーナリスト、作家の方で、地図の歴史に関する専門家でも、地理学の研究者でもありません。従って、読者の方がちょっとだけ緊張するかもしれない、難解な図法のお話は殆ど出て来ません(メルカトルの紹介の部分で、比較として扱われるだけです)。

総ページ数418ページ。図表100点以上という、大ボリュームで地図にまつわるあらゆる物語を、それこそ絨毯爆撃のように語っていきます。そこに は、訳本ならではの共通する知的教養を下敷きに展開する、著者と読者との知的好奇心のせめぎ合いが展開していきます。訳者の手により丁寧で優しい文体に均されてはいますが、この広大に広がる地図にまつわる物語達についていけるか、楽しめるかはひとえ に読者の好奇心の広さとその基盤にかかっています。

本書では全時代の世界を股にかけた広範な物語が描かれていきますが、一方で、英国基準で描かれる訳本ゆえの限界もあります。従って、本書から日本での事例や雰囲気を味わうことは全く出来ない事も、併せて述べておく必要があるかと思います(言及としては、僅かに3か所。ロンドン在住のタイポグラフィックデザイナー河野英一が、ロンドン地下鉄の路線図を使って遊んだ「書体の路線図」(本書で登場する唯一の日本人)。慣性航法型とGPS型のカーナビがいずれも日本で実用化された事と、Googleストリートビューの取材車がsubaruである事)。そのため、地図は大好きでも、ヨーロッパの地理や歴史に興味が無い方にとっては少々つまらない一冊になってしまうかもしれません。

そして、本書の特徴は地図の歴史を描く以上、プトレマイオスの「ゲアグラフィア」から物語をスタートさせますが、流石に英国人らしく、もっと別の地図を物語の中核に置いていきます。ヘレフォード大聖堂に収められる「マッパ・ムンディ」です。

この、方位も地形もあいまいな地図。しかしながら、非常に微細に描かれた建物、珍妙な動物たち、そして、びっしりと書き込まれる道程と地勢の解説文(もちろん内容は大幅に歪んでいます)。この地図こそ、旅をするための道筋を辿るもの。地図の図法も、描画方法も、記述もすべて本来は旅をする人の便の為に作られたことを、またはその地図を眺めながら旅程に想いを馳せるために作られることを明快に表してるようかのようです。

本書はこの「マッパ・ムンディ」の数奇な物語を起点として、西洋における地図に纏わる物語を紐解いていきます。ただ、何せ22ものストーリーと、ポケットマップと称される15本のコラムが山脈の如く連なっていますので、本書の全容を一気にご紹介することは少々難しいところです。

まだ世界を描き切れていなかった頃の物語と、幻の土地たち。そして、その幻の土地を描くために格闘した人々と、そのれにまつわる、現代まで続く極めて人間臭い物語(アメリゴの売名行為に始まって、世界最大の地図帳の記録更新(但し、使い物にならないとのギネスの烙印付き)、ヴィンランドが描かれた地図の真贋やアンティーク地図取引と盗品売買)。人の欲望と疑念渦巻く幻の地図たち(宝島や幻の山々、南極点への地図、更にはモノポリーやリスクといったゲーム中のマップ)。多くの人々に愛されるようになった地図たちの作成者の想い(ロンドンAtoZに旅行ガイド、芸術品となった大型地球儀)。そして、地図を通して事実を表していく大切さ、難しさ(メルカトルが開いた「アトラス」への道程。三角図法とシティマップの作成。その上に展開させたコレラの感染地図)。中には、女性がなぜ地図を読めないかという問題とカーナビの普及に関する論考などという、皆さんが興味津々となるテーマも扱われています。

地図によって物語が広がり、地図によって人々は旅の足掛かりを得て、そして地図の中を旅していく。本書の巻末まで読み進めていくと、その旅路は紙の地図はおろか地球をも飛び出して、火星の運河から火星人の話、ネバーランドの地図、ゲーム中のバーチャルマップを旅する想い、更にはそれらを想い描いていく人の脳内マップまで突き進んでいきます(この辺りの著者の興味の広さは、流石に訳本ならでは)。

人類の歴史と同じくらいの長さを有する、人が自らの場所を示し、旅する想いを描き続けた地図という名の物語は、カーナビとデジタルマップの普及により、そのような自らの力で探し当てるという行為自身が無くなってしまうのではないかという、著者の若干の危惧を添えながらも、その地図の中を旅する人々と共に、今も果てしなく広がり続けているようです。

<おまけ>

本ページで扱っている、地図にまつわる本や、関連するテーマの本、訳本のご紹介を。

今月の読本「タコの才能」(キャサリン・ハーモン・カレッジ著,高瀬素子訳 太田出版)研究者たちの「タコに魅せられ自慢話集」

今月の読本「タコの才能」(キャサリン・ハーモン・カレッジ著,高瀬素子訳 太田出版)研究者たちの「タコに魅せられ自慢話集」

生き物を扱った本、特に魚類を扱った本は日本が独壇場のように感じますが、実は海外で刊行された書籍の方が充実した内容と、深い洞察に溢れていたりする事が多々あります。

具体的なデータを扱った書籍ではそれほど大きな差はありませんが、哲学的記述となると海外の書籍の独壇場。その代り読むのも骨が折れるので、訳本でも特に興味深い本に限って読むようにしているのが現状です。

今回ご紹介するのは、そんな訳本らしい構成で組まれた本でありながら、哲学的とはちょっと違った観点で纏められた面白い一冊です。

タコの才能タコの才能」(キャサリン・ハーモン・カレッジ著,高瀬素子訳 太田出版)です。

この手の作品には珍しく、著者は海洋生物学者や所謂ナチュラリストのような方ではありません。紹介文によると、科学系雑誌の編集者兼、執筆者という、日本で謂うところのライターさんのような方です。また、本書がキャリア初めての著作で、いきなり邦訳が刊行されるというのも珍しい事例だと思います。

従って、綴られている文章も研究者の方が書かれるような、生態学であったり、水産学などの詳細な内容は全く出てきませんし、資源や環境保護関係の方が書かれるような、タコ類に関する生息環境や資源保護に対する提唱も出てきません。

更に、冒頭には紀行文的なスペインやギリシャでの取材記事が出てきますが、漁獲されるタコの過半数を消費する日本に関する著述は全くと言っていいほど出てきません。唯一出てくるのは、呆れ返るばかりの「フジヤマゲイシャ」のノリで書かれる、タコと戯れる女性の浮世絵?に観られる風物と、アニメでたまに見受けられる「触手系」と対比して、ニッチなエロチシズム表現である事を揶揄する程度です。

本書は、そのような「タコ学」や「タコの文化論」といった研究書や文芸書が担う分野を狙って書かれているわけではありません。著者の略歴にはWiredに投稿している事が記載されていますが、まさにその部分がメインテーマ。

Wiredが得意とする、ネット上で流れている面白いタコの映像や、不思議な生態に関する記事を再編して流す「まとめ系」サイトのノリそのままに、タコに関する面白ニュース発信主の皆さんに直接お話を聞いて歩いた取材録を集めた、インタビュー集といった体裁が本書の中核を担っています。

一応、冒頭の2章分は、本人の直接取材によるスペインでのタコ漁同乗と、ブルックリンのタコ卸業者、ギリシャにおけるローカルなタコ料理の話題に費やしていますが、著者の胃袋の満足を満たす以上には、そこに本題はありません。

本書では、著者の専門分野である、今やネットに溢れるタコの驚異的な能力を示す映像や資料の元となる研究に没頭していく「タコをテーマにする研究家」たちの、タコへのめり込み具合を、これでもかと謂わんばかりに集めることで、どれだけ皆さんがタコに魅せられているのか、その魅せられ具合を取り上げることで、タコの驚くべき能力の片りんを紹介していく事を主題にしています。

本書を読まれると、タコの研究には魚類学者だけではなく、医学から電子工学、材料科学まで、幅広い分野の研究者が参加していることに驚かれると思います。人とは違った進化の体系を採ったことで、人には理解できないさまざまなスーパーテクニックを有するタコたちから、研究者たちがどのように学んで、そのテクニックを盗んでいこうとしているのかを、本書は研究者たちのタコに対する驚嘆(もしくは愛憎)の声と共に余すところなく述べていきます。

登場する研究者たちの立場はそれぞれ異なり、タコの生体に対して、どの部分を研究のターゲットにしているのかも全く異なりますが、想定を簡単に裏切って、容易に答えに近づくことを阻むタコの生体の複雑さには異口同音に驚き続けていることをすべての研究者たちが訴えていきます。

パワフルな吸盤を持った自在に動く八本の手足と、三つの心臓を持ち、小さな頭とは裏腹に、人の目にも匹敵する高精細な目と、全身これ感覚器官というべき、分散処理をこなす受容系。その受容系からの伝達をこれまた分散処理することで、色を変え、姿を変え、時には音や光まで放つという、ダイナミックな形態変化。そして、意外なほどに細やかな愛の表現と、僅かな命の滅び。更には、古風な循環系がもたらす、意外な環境適性の低さ…。

本書では、研究者たちの溢れるばかりの好奇心と、それをあざ笑うかのようなタコたちの秘められた能力の追っかけっこの姿に、著者の好奇心を載せた物語が、豊富に語られてきます。

そして、それらの研究分野に深く参入してる「軍」の影響に驚かれるかもしれませんが、これはアメリカでは当たり前のこと。むしろ、軍をバックボーンにした研究においては、一見、商業的には無意味でも、これらの研究成果が役に立つ素地があることを、本書を通じてまざまざと見せつけられることになります。

本書は、タコに魅せられてしまった著者をはじめとする研究者の方々の、苦労話、いや、どの位魅せられているのかの自慢話を楽しみながら、タコの不思議な生態をほんのちょっと垣間見せてもらえる一冊かもしれません。

ちなみに、本書を通じて、現代の研究者たちの七転八倒ぶりを、傍らでにやにやしながら眺めていらっしゃる、はるか昔にタコに魅せられてしまった、彼らの大先輩でもあるアリストテレスは、きっと「まだまま魅せられ方が足らん」と仰っているんじゃないかと、等と想像しながら。

<おまけ>

本ページで紹介している、ほかの魚類に関する本を。