今月の読本「東大寺のなりたち」(森本公誠 岩波新書)聖武帝の華厳への想いを胸に、大寺の生み出された姿に時代史を映して

今月の読本「東大寺のなりたち」(森本公誠 岩波新書)聖武帝の華厳への想いを胸に、大寺の生み出された姿に時代史を映して

日本を代表する寺院であり、古い歴史と巨大な大仏を擁する南都の大寺、東大寺。

その歴史は決して平たんではなかったことは、度重なる兵火や大仏殿の焼失と復興、大仏自体も再建を繰り返している事からも知られています。そして、巨大な寺院につきものの強大な財力と政治力。時の政権を左右する程の力を有したその根源には、宗教的な信仰心以上に、その巨大な基盤があった事に論を待たないかと思います。

しかしながら、その巨大な信仰集団であり、最大の仏像を擁する大寺である東大寺も元を辿れば、何もなかったはず。では、どのようにしてそれだけの基盤を築いたのでしょうか。

今回ご紹介するのは、東大寺の別当を務めた長老がその源泉を広く時代史として解き明かしていこうという一冊です。

東大寺のなりたち」(森本公誠 岩波新書)のご紹介です。

著者の森本公誠長老は、元華厳宗の管長かつ、東大寺の別当を務められた方。現在も長老として山内に留まられています。東洋史にご興味のある方には、イスラム史の研究者としてご存知の方も多くいらっしゃるかもしれません。

京都大学で仏教とは異なる分野の学位を修めた研究者にして、東大寺のトップを務められた方が綴られる東大寺発祥の歴史。その経歴から、老齢の僧侶の方が書かれる法話にあるような、柔らかな物腰の筆致を想像されていると意外に感じられるかもしれません。

むしろ歴史研究者の筆致と言ってよい、硬質で透徹な筆遣いで綴られる、奈良時代から平安時代初頭(清和天皇)に至るまでの通史として描かれる一冊。あくまでも新書で描ける範囲の通史なのですが、その視点が東大寺を起点に描かれる点がとても新鮮に感じられます。

東大寺の発祥から現在の寺地に繋がる経緯の検討から始まる冒頭。既にその内容は国家鎮護としての寺であるという東大寺の一般的な見方から大きく離れた存在であったことが示されていきます。天皇家の私的な鎮魂、基皇子追悼としての山房から発祥した東大寺の寺地。その経緯に変転を繰り返した聖武帝の想いを重ねていくのですが、著者はより積極的に政治的意図に基づく変遷であったと示していきます。

既に聖武帝を扱った著作を有する著者が最も力を入れて綴る、帝の仏教、特に華厳経を下地にした政治姿勢を説く「責めは予一人にあり」から続く聖武帝の治世の展開と大仏開眼をピークに描かれる東大寺の発展。僧侶、それも東大寺の元別当の方が書かれた著作だと思って読んでいくと、明らかに歴史研究者としての筆致が勝ると感じられる部分。度重なる天候不順と飢饉に対する減免政策を綴る段には確かに宗教的な姿勢が見られますが、それ以外の部分、特に東大寺や大寺院と当時の政策との関係を綴る部分は極めて冷静かつ、括目される内容がふんだんに盛り込まれています。

大仏建立自体の位置付けを見出す部分で豊富に描かれる、近年の研究成果を取り込んだ当時の政策課題、困窮者の収容と土地政策の見直し。著者はこれらの解決策の一環としての大仏建立があった事を認めていきます。

墾田永年私財法による大寺院の田畑私有化や布施による奴婢の囲い込み、更には行基に対する態度の豹変。これらは全て連動した困窮民対策であり、彼らが擁する優婆塞としての技能者の囲い込み。その先に続く、彼らを正規の僧籍に移し替え、更には国家鎮護の核となる国分寺に配する僧侶へと変える養成機関としての中核寺院の確立。最終的には鑑真の招来によって達することになる、戒壇の設置による質的確保まで。その全てが華厳経を下地に大仏建立を軸にした聖武帝による一連の政策として行われていた事を指摘します。

国家鎮護と言う命題を遥かに超えて、国家戦略の根本としての役割を担う寺院として作り変えられた、平城京の地に再び戻った先に置かれた東大寺。開眼供養を目前にした遣唐使、新羅使の派遣と新羅王子の朝貢とも捉えられる開眼供養直後の来訪。そこには、広く当時の北東アジアに広まった政治的指針の中に織り込まれていた華厳経の受容を示す確固たる象徴としての役割も担っていたとしていきます。

本書のクライマックスでもある、開眼供養の準備段階から盛儀の様子を少し誇らしくもじっくりと述べ、その後の僧侶たちへの布施を述べた後(此処で開眼師でもある菩提僧正の扱いが、引導する官人の官位や布施からも一段低く見られている点が極めて興味深いです)、聖武帝の崩御で閉じられる前半。表題のように東大寺の成り立ちだけを綴るのであれば、この辺りで筆を置いても良い筈なのですが、本書は更に筆を進めていきます。それは東大寺が置かれた姿をしっかりと時代史の中に位置付ける為。

聖武帝が崩御した後に起こる、藤原仲麻呂の専横と称徳天皇(孝謙天皇)との確執、更には道鏡の寵愛に至る政局の混乱。女帝故の継承者問題を抱え続けた時代におけるキャスティングボードを、大仏建立に際して肥大化した財力とそれに伴う武力が温存された東大寺、俗世の権能である造東大寺長官が握る事になった事を示していきます。吉備真備の動きを軸に描いていく、天武系から天智系への王朝家系の交代による平安遷都と奈良に残る寺院への財政的な締め付け。自らが座する一山の事であっても、著者は冷静にその政策の意図を示していきますが、その先にある想いを乗せていきます。

最後に綴られる、平安初期の大仏頭部の落下による破損から復興に手を挙げた人々の物語。著者はこの事実こそ、今に繋がる東大寺の意義を示すものだという想いを述べていきます。最後は心情的に述べていく、聖武帝から発し、受け継がれる想い。一枝の草・一把の土を以てという、人々の想いが募って支えられるという本質に立ち返った時に、その結集点である大仏を擁する東大寺が生き続ける事が出来る。その後に繰り返される戦乱や災害の中でも繰り返し復興を遂げてきた拠り所としての発祥の想いを再び呼び起こしていきます。

京大時代の恩師である宮崎市定先生が述べた言葉をおわりに載せてその想いを述べる、著者が止住されるその大寺に委ねられた本当の想いを時代史の行間に織り込み描き込んだ本書。題名の印象と異なり、研究者であり宗教家の方が書かれた本として、一読して決して易しい内容ではありませんが、行間に込められたその想いが滲み出てくる一冊。

本書の前に読んでいた、著者の前の管長・別当であり、昭和の大修理を主導した平岡定海師の著作「大仏勧進ものがたり」(吉川弘文館)。本書で描かれた後の時代、その後も繰り返される修復の足跡と、その難事業に挑んだ歴代の勧進僧たちの苦心を人物史だけではなく、当時の為政者たちの視点や、建築史や技術史としての側面を踏まえて描く。本書同様に、広範な知識を積み重ねられる、歴代の東大寺別当の学僧として深い学識を有される一面が垣間見える一冊です。

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