長野県立歴史館「自然を見つめた 田淵行男展」(終の棲家、信州・安曇野で見つめたもう一つの姿を)2019.1.4

長野県立歴史館「自然を見つめた 田淵行男展」(終の棲家、信州・安曇野で見つめたもう一つの姿を)2019.1.4

安曇野のナチュラリストと呼ばれた田淵行男氏は、日本における山岳写真の第一人者であり、昆虫、特に高山蝶の研究でも知られる人物です。

没後30年を迎える今年、終の棲家があった豊科(現:安曇野市)に建てられた田淵行男記念館の全面的な協力により、彼の足跡をたどる展覧会が長野県立歴史館で開催されています。美術館ではなくなぜ歴史館で開催される事になったのか、図録の冒頭に笹本館長が綴られた経緯を是非お読みいただきたいと思いますが、彼の足跡から第二の故郷ともいえる信州、安曇野の地で想い描き、写し、描き残していった作品たちに着目した展示を目指しています。

エントランスにまだ雪が残る、屋代にある長野県立歴史館。約73000点にも及ぶ氏の残した写真、絵画、資料は、小さな田淵行男記念館ではとても紹介しきれない分量ですが、より大きな展示スペースを持つ当館における展示でも、前述のとおりその全容のうち信州、安曇野に関係する僅かな作品、資料およそ80点ばかり(写真機材等を含めると100点程)が紹介されるに過ぎません。それでも2005年に東京都写真美術館で開催された生誕100年記念以来の規模となるであろう展示。まだお正月休みが残っている方も多い金曜日の午後に訪問させて頂きましたが、会場には途切れることなく来館者が訪れていました。

来館された皆様がまず注目される氏の出世作「冬の浅間 黒斑山の中腹より」からスタートする展示順路。この作品が太平洋戦争開戦一年前の昭和15年(1940年)に撮影されたと聞くと驚かれるかもしれません。

冬の浅間らしい足元に広がる筋を描く雪渓と礫のリアリティ、遠くに湧き上がる噴煙の手に届きそうなほどの立体感を同時に収め込む驚異的な描写。当時の写真機、レンズ、フィルム解像度を考えると驚嘆に値する描写力は、氏の作品に通底する写実を越えた実体感を映し込んでいく姿勢に繋がっていくようです。

来場者に強烈なインパクトを与える山岳写真で始まるエントランス。このまま氏の代表作である山岳写真が続く様に思えますが、著名な山岳写真作品の中から今回展示されるのは冒頭の僅か2枚だけ。この後は本展が歴史館で開催される意義を問う「安曇野を見つめる」をテーマにした展示が続いていきます。

一つ目には氏の代表作である蝶の写真と絵画。本展では保存コンディション維持の関係で公開される機会が極めて限られるカラーによる蝶の精密写真と主に不透明水彩を用いた氏の絵筆による10倍以上の拡大という大きなサイズの蝶の絵画がそれぞれ10点以上展示されています。高山蝶に限らず、安曇野の野を飛び交った蝶たちを精密に映し込み描いていく氏の作品たち。絵画をベースとした図鑑が一般的であった当時としても驚異的なち密さと正確さを兼ね備えた(写蝶と呼んだ作品たち、それでも氏はその絵を写実とは言わず抽象的であると述べています)蝶の絵画。デジタル全盛の現在、細密さとリアリティを競い合う標本写真と比較すると確かにディテールも発色も甘いですが、それらの突き放すほどの実体感を強く印象付けるモノクロ、そして登場初期のカラー標本写真。博物学を修め、科学的であることを何よりも重んじた氏の作品に対するリアリティには圧倒されるばかりですがそれだけではありません。透徹な眼差しを向ける中で、その姿や色合い、飛び交う姿からユニークなあだ名を付けたり、山に向かえば、その山の形に似た大きな石を気に入った物が手に入るまで探し続け、歩き続ける。手作りの写真集で用いられる切り貼りや凝ったデザインのフォント、商業作品でも装丁や構成、構図、レイアウト、添えられる文面や紙質(自らの遍歴を綴る文章にまで当時絵を描くために使っていた用紙の名称を書き記すほど)にまで徹底的に自らの主義を貫き拘る。氏のユーモアと入れ込んだテーマに対する何処までも貫かれる真摯さが伝わってくる作品たち。展示内容も氏の作品を印象付ける細密に描かれた絵画や写真が続きますが、実は展示されている中で一番気に入ったのは、パンフレットや図録の裏表紙にも採用されている、モノクロフィルムで撮影された上高地のミヤマシロチョウ。精密な標本写真と比べると明らかに緩い映りなのですが、フォーカスが落とされた羽の燐と地面との相対で生み出す光線感や蝶が生み出す陰、フォルムの捉え方が何とも言えない味わいを出しています。

二つ目には本展の中核をなす安曇野、信州の山里を収めた写真たち。主に2015年に刊行された「田淵行男が愛した安曇野-田淵行男作品集」に収められた作品のプリントが展示されていますが、現在の風景との比較や、なぜ風景が変わってしまったのかと言う理由をしっかりと提示する点は、古代から近代まで全ての時代に渡ったテーマを扱う歴史館という施設、学芸員の方々の面目躍如。氏の作品の中では顧みられる事が決して多くない路傍の石仏を捉えた作品や北アルプスをバックにレンゲ畑を収めた写真など、精細な描写と繊細な構図設計の中に、氏のかの地への愛おしさを感じさせる作品が並んでいます。雪を戴く北アルプスの姿は変わらないかもしれませんが、緩やかな時の流れが感じられる今は失われてしまった安曇野の田園風景を人と自然が織りなす人工美として美しく切り取る氏の作品たちと、その変化にしっかりと目を向けて欲しいと願う企画者の想い。展示室内で足を止める事、度々でした。

そして、本展の白眉と言うべき雪形が結んだ民俗学者、向山雅重氏との交流を扱った展示。この展示主体が歴史館であることを象徴する様なテーマ設定と展示内容ですが、私が括目したのは実は向山雅重氏が綴った、氏が記念講演で語った内容の速記メモにある写真に対する姿勢。


美しなくてはいかん

美しい物を見つけ出す、その美しさをどう表現するか(抜粋)


写実だけではない、作品を作り上げていく過程における、氏の強い矜持に打たれる言葉の数々が綴られています。

実はこのメモの続きにはもっと苛烈な言葉が綴られているのですが…是非本展で実物をご覧頂ければと。

山岳写真家、昆虫、高山蝶の研究者、ナチュラリストという一般的に捉えられる氏のイメージでは語り切れない側面を、安曇野と言う地を軸にして歴史館という別のスコープを通じて見せてくれる今回の展示。

展示全作品の写真が収められた図録。

お値段は少し高いのですが、長野県立歴史館の図録は県立博物館に相応しい美しい装丁と目を見張る高品位な写真印刷品質を有しており、保存版としても極めて価値のある一冊。特に今回の図録では氏の作品にとって命でもある細密さを限りなく引き出すことを目指したと思われる、展示されるのプリント以上に精細なモノクロ作品の印刷化を達成しており(少々やり過ぎな程)、会場で観て、気に入った作品のディテールの隅々までをご自宅で心行くまで堪能する事が出来ると思います(個人的には日本の里山の新緑を箱庭を思わせる構図の中に全て納め込んでしまったようなNo24が一番のお気に入りです。クリアーでち密な絵作りだけではない、画面全体に張りつめたまだ少し冷たい山里の凛とした空気すら感じさせる作品。何時かこのような写真が撮れるようになりたいと願いつつ)。

歴史館の正面から望む、うっすらと雪を戴く黒姫山。常に山と人の営みが眼前で交わる信州の風景。田淵行男が残したもう一つの姿を想いながら。

来週日曜日(1/6)には日曜美術館で田淵行男氏が紹介される事になっていますが、この機会に多彩な側面を持つ氏の作品を多くの方に知って頂き、見て頂けると嬉しいです。

平成30年度 長野県立歴史館冬季展

自然を見つめた 田淵行男展

2018年12月15日(土)~2019年2月17日(日)

今回の展示作品の大多数を収蔵する旧豊科町(現:安曇野市)の田淵行男記念館では、連動企画展示を実施中です。氏の山岳写真にご興味を持たれた方は是非訪れてみてください。

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諏訪に生き、色彩をデッサンし光を刻み込んだ「描き続ける人」を(安曇野市豊科近代美術館と生誕120年・宮芳平展)

諏訪に生き、色彩をデッサンし光を刻み込んだ「描き続ける人」を(安曇野市豊科近代美術館と生誕120年・宮芳平展)

New!(2014.12.14):この夏、NHK教育テレビで放送される「日曜美術館」で紹介された宮芳平。例年お馴染みの年末アンコール放送で再度、取り上げられることになりました。放送は12/21(日)午前8時より。未見の方は、是非ご覧頂ければと思います(下記の通りで、私も未見です)。

夏休み。毎年のように出かける日本海に向かう途中、何時も安曇野を通過するのですが何故か素通り。

写真撮りとしては、盛夏の褪せてくすんだ夏空では北アルプスの山は映えず、一面に広がる水田も黄金色に輝く田圃にはまだ早いため、夏の安曇野にはあまり惹かれるところがないのが実情だったりします(避暑なら、こちらの方が標高高いので…)。

そんな中、ふと舞い込んできた豊科近代美術館で特別展が開催されているという案内。よくみると、忘れかけていた、昨年のNHK日曜美術館のアートシーン(開催中の展覧会案内を放映する番組内のコーナー)で衝撃を受けた、生誕120年を記念して全国を廻っていた宮芳平展の凱旋展示が行われているという案内でした。

昨年NHKで紹介があった際には、既に茅野での展示は終了。練馬での展示に移っていたために観に行く事が出来ず、安曇野に戻ってきたら行きたいなと思っていながら、すっかり忘れていた中、ちょっと驚きを(忘却気質に呆れて)もって、案内を見ていました。

更に今年の8月には、NHK日曜美術館の本編で展示が紹介されたという(再放送含めて完全に見忘れたという、痛恨のおまけつき)事に気が付いてしまった以上、行くしかないと腹をくくって、糸魚川に抜ける途中にちょっと寄り道を。

安曇野市豊科近代美術館と宮芳平展北アルプスをバックに建つ、安曇野市豊科近代美術館。正面はこじんまりとしていますが、建屋の右側が本来の展示スペース。南欧風の軽やかなデザインと色使いが特徴的な建物ですが、中庭を含めて各所に配されたこの美術館のもう一つの主要展示品である高田博厚のブロンズ像が、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

宮芳平展パンフレット入館時に頂けるパンフレットを。

館内は全面撮影禁止ですので、残念ながら展示の模様を写真でお伝えすることはできません。

文章で雰囲気がお伝えできるかどうか…。

展示は2階の全スペースと1階の一部を用いて行われていますが、1階に関しては通常非公開の作品(キャンバスにヒビが入り始めてしまっている作品を含む)を今回特別に展示しています。

メインの展示は2階となりますが、10畳ちょっとの各展示室と展示室を繋ぐ廊下、メインの大展示室、多目的交流ホールの全てを使って、全246作品(その他、参考出展もあり)という、非常に多数の作品が揃えられており、画家の全画業を追いかけながら見る事が出来る、極めて贅沢な展示内容となっています(おかげで、全ての作品を観るのに休憩なしで3時間ほどかかってしまいました。後の予定がちょっとピンチになったのは…)。

安曇野市豊科近代美術館館内案内館内展示室案内。グリーンのエリアで展示が行われています。一階には常設のアトリエ再現室もあります。

第5展示室から、大展示室、第8展示室をぐるっと一周することで、画学生時代から晩期までの画業を一覧することが出来るように配置されています。

第7展示室には初期のペン画と、もう一つの作品群でもあるエッチング。多目的ホールを挟んで、手前の廊下には自画像、そして出口までの廊下にはパステルを中心としたスケッチが展示されています。

展示作品の過半は本館に収蔵されている作品ですが、メインの大展示室に展示されている連作「聖地巡礼シリーズ」は新潟県近代美術館・万代島美術館に収蔵されていますし、第7展示室で展示されるエッチングはすべて練馬区立美術館の収蔵品。人気の高い、大正ロマンを感じさせるペン画は個人の方の所蔵品ですので、このような機会でないと一挙に見る事は出来ません。

特に、第6展示室から大展示室への廊下にかけて飾られている諏訪の景色を印象的に捉えた作品群は(一部は大展示室内)、地元の高校や私営施設、団体で収蔵しているので、通常観るチャンスは全くなく、このような機会でなければ決して見る事が出来ない作品も多数出展されています。

また、各所に配され、特に第6展示室に集中して掲示されている文集「AYUMI」その他から採られた言葉達は、森鴎外をして可愛がらせた程、極端に一本気でちょっと神経質、でも優しさの溢れる画家の想いが文章からも見て取れるようです。

作品の論評に関しては、美術的能力が欠落している(墨筆を含めて、デッサンや模写が全く出来ないという致命傷)人間なので避けますが、印象だけは語らせて頂こうかと思います。

謂われているように、大正ロマンを感じさせる、最も有名な作品のひとつ「椿」にあるように、点描から始まっている画業(第5展示室)は、厚いタッチを持った油彩(廊下に飾られる「砂丘(平塚)」の波を打つような砂丘のタッチと寂寥とした海と空のうねりが印象的)へと変わっていきます。暗緑色が多かった初期の作品と比べると、諏訪時代の山野の風景は、空の鮮やかさと枯れた冬の寂寥感、更には土の息吹を感じさせる色彩が加えられていきます(第6展示室、氏の作品に興味を持った「諏訪湖(立石より)」や「茜さす山」、「荒土を耕す」)。この辺りの作品から、描画は筆のタッチをそのまま生かしたような抽象的な雰囲気になっており、更には代表作「母と子」にあるようなモザイク画を想わせる輪郭を描かない絵になっていきます。

茜さす山ポストカードより「茜さす山」(諏訪二葉高等学校所蔵)

荒土を耕すポストカードより「荒土を耕す」(ホテル鷲乃湯所蔵)。「諏訪湖(立石より)」と「八島」のポストカードが欠品で少しショックを受けています。美術館側もあまり商売気がないようですし、ポストカードも不思議なことに、美術館とは別名義の物が混ざっています

大展示室に並ぶ「聖地巡礼シリーズ」に至ると、遂に輪郭線は失われ、厚く塗られた油絵具がうねる様に心証を色彩に表すような抽象性。更には旅の機内で得たといわれている、白く輝く太陽の光を織り込んだ作品が目立つようになり、最後には重厚さを越えた、まるで溶岩のように厚く塗られた抽象画に至っています(第8展示室)。

特に後期、晩期の作品を観ていると、官能的にすら捉える事が難しいくらいの抽象性をもっているため素人目で観てしまうと「画力って何だろう」と複雑な想いを持ってしまうのですが、最後に展示される自画像達、そして別コーナーとして纏めて展示される初期のデッサンや、会場の出口へと誘うように飾られるパステルで描かれたスケッチの展示を観ればそのような疑問はすぐに氷解すると思います(そのように順路を並べられた、展示者の方の配慮でしょうか)。

圧倒的なデッサン力と正確な線描。初期の点描やエッチング作品に見られる非常に微細な書き込み。柔らかくも的確なパステルで描かれる諏訪の風景を切り取ったスケッチ。「聖地巡礼シリーズ」」の下絵に見られる的確なコンテの線描によるスケッチと、色指定と思われる謄写紙への輪郭とNoの指定。既に輪郭は失われ、厚く厚く塗り込まれた絵の具の色しか残っていないような絵も、すべては正確な観察力による的確なデッサンと下絵の上に構築されていると考えられます。

最後の展示室に飾られている画家の自画像はバックに溶け込むほどに輪郭はありませんが、まぎれもなく画家その人の今を正確に描きこんでいる。機内からの風景を描いた作品は厚塗りで何を描いているのか判らないようにも見えますが、観る人には機内の窓から遠く眺める地上の風景、光であることがハッキリ判る。遠く眺めていても絵の中に誘ってくれる。ハッとさせられるものがそこにある。

輪郭もあいまいで、遠近感も、縮尺も、縦横比も怪しい諏訪の山々、諏訪湖の湖畔の景色も、間違いなくそこである事が判る、その場に立った人間であれば納得できる印象を更に昇華させて描き込んでいる。その印象とは何なのか。

第6展示室に掲げがれている、画家自らの言葉に印象的に綴られているのですが、私の勝手な心象だけを申し上げると「色彩をデッサンすること、光をキャンバスに刻み込んでいく事」。圧倒的なデッサン力を以てしても叶えられない、光と色を捉え切ることに画業を積み重ねたのではないでしょうか。色すらも交わり込んでいく強烈に積み上げられた油絵具から発する複雑な陰影と、その表面を照らし出す光によって複雑に発するキャンバスからもたらされる心象。それはまるで、光をキャンバスに刻み込んで留めようとしているかにも思えてくるのです。光の陰影には色の境界も線画もなく、水墨画が和紙の白と墨跡自体の陰影を以て光の陰影を表すように。それは点描から始まった色と光への拘りが遂には渾然一体となった証。

絶筆となった「黒い太陽」にはまぎれもなく、画家の生涯に渡って築き上げてきた色彩がすべて備わっているように思えるのです。初期の作品で到達した暗緑色やコバルトブルー。諏訪の大地と空から心証を抜き出したかのような土くれ色と淡い蒼、そして緑。巡礼の旅がもたらしたオレンジ、黄色、そして白に至る太陽の輝きへと、それらの色は螺旋を描くように天上に昇っていく筆跡で描かれる。黒い太陽の秘密は、是非作品をご覧になられて感じて頂きたいのですが、そこには画業の全てが宿っているように思えたのでした。

どちらかというと薄幸ともいうべき画業だったのかもしれません。でもけっして一人ぼっちではない。厳しくも大らかな諏訪の大地と、多くの人に温かく見守られながらその画業の信念を貫き通した、彼の生き様に想いを馳せるところです。

安曇野市豊科近代美術館広々とした中庭の向こうに北アルプスの山々を望める、素晴らしいロケーションの安曇野市豊科近代美術館。

パンフレットにある「野の花のように」という優しくも凛とした印象というより、敬虔に、繊細に、かつ雄々しくも自らの描く心と向き合いながら、描き続けた方のように思えています。

また、じっくりと見に来たいと思います。

宮芳平のポストカードと蓼科山夕景お土産のポストカードと蓼科山の夕景の写真を眺めながら。

ポストカードと同じロケーションも何枚かあったりするのですが、見つけられず。おいおいゆっくり探そうかと。

宮芳平画文集どうしても欲しくなって買ってしまった画文集(求龍堂)です。東京まで出向いた際に、立川随一の書店、オリオン書房様で漸く見つけました。

印刷物である以上、実物の絵画とは色合いもタッチも異なると物だと理解した方が良いのですが、それでも添えられている文章を見る度に、展示内容そのままに掲載されている絵画の写真を眺める度に、本物の絵画を前にして感じた想いが甦って来るようです。詳細な解説文と本人の手による、ぐっと考えさせられる文章を読みながら絵と共に想いに浸ることが出来る、ちょっと素敵な「画文集」です。