今月の読本「戸籍が語る古代の家族」(今津勝紀 吉川弘文館)反故紙を捲り音で読み解く、家と女、遥かなる記憶の断片

今月の読本「戸籍が語る古代の家族」(今津勝紀 吉川弘文館)反故紙を捲り音で読み解く、家と女、遥かなる記憶の断片

最近色々と騒がしかった「公文書」に関する一連の話題。

後年の人々にとって記録が残る事の大切さとその内容に対する興味深さ、時に恐ろしさは、歴史が好きな方であればご理解されるところかと思いますが、偶然に残ってしまった記録から辿られる歴史もまた興味深い一面を持っています。

今回ご紹介するのは、その偶然残った極めて貴重な記録から、より深く議論を掘り下げて語られる一冊です。

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館の歴史文化ライブラリー最新刊より「戸籍が語る古代の家族」(今津勝紀 吉川弘文館)です。

本書でメインに据えられる「戸籍」、著者はその制度や記録自体が古代の律令制以降、近代、実に明治に入るまで全国的な規模で整えられていない点をまず明示します。

巻末で「都市平安京の王朝政府」と述べられる、対外的な危機が遠ざかり、統一的な国内政策を行う必然性が薄れて地方行政が国司へと分権縮小化され、人身課税から土地課税へと転換した結果失われた「戸籍」をベースにした人身管理。明治以降に整備された戸籍法による人身管理まで大きく断絶するその制度の歴史的な空白を埋めてくれるものが、遥か過去に存在した戸籍、それも反故紙として偶然残された「裏紙」(コピーの裏紙も怖いのですが)に書かれた内容からの復元。

その保存過程から非常に断片的な内容(後年の整理で更に複雑化したとも)に留まる当時の戸籍、それでもこれまでの研究結果に基づき、他分野の成果も加える事で、当時日本列島に居住した人口を見出すことが(大まかにですが)可能となってきている事を示します。急激な人口減少に対して様々な警句が発せられる昨今ですが、歴史にご興味のある方ならご存知のように、明治初頭の人口は約3480万人と現在の人口の1/3程度に過ぎません。遡って近世初頭の人口はさらに減って1200~1800万人、著者の指摘する八世紀初頭の人口の推定はぐっと少なく僅かに450万人程度に過ぎないと指摘します。人口増加が年率1%を越えるのは漸く近代に入ってから、それ以前は0.1~0.2%という極めて低位な人口増加を示すに過ぎない点を、断片的に残った戸籍から見出す事が出来ることになります。

僅かな断片からでもその史料を繋ぎ合わせ、他に残された史料を突き合わせる事で復元されていく、古文献の検証による研究。著者は古代の戸籍が作られた事情とその形式から議論を始めますが、現在の戸籍の姿と大きく異なる点をまずは明確にします。当時の大陸との緊張した関係から生じた、兵力の確保と戦力の源となる生産力の正確な把握を目的とした極めて軍事的な色彩の濃い戸籍作成の経緯。そのため、記録される内容も兵士を供給できる単位としての「家」の姿を現している事を示します。古代の氏族制が徐々に形作られる中で編成された戸籍、家を構成する形にもその過程が色濃く反映されている事を示します。その結果、数値で復元された古代日本の姿は、典型的なピラミッド型年齢構成を取り、若年での婚姻と多産多死の傾向を明瞭に示す一方、残存する戸籍によって男女比が著しく異なるという奇妙な構成を示します。

残された戸籍の断片から見出す、現在の家族や親族とはかなり異なる様相を呈する「家」の姿。著者は其処に生きたであろう人々の姿をさらに掘り下げるために、戸籍に残された「家」姿からもう一歩踏み込んで、残された言葉の中にその核となる「男女」の姿を求めて踏み入っていきます。

兵站の基礎として整備された戸籍、徴税の元となる戸籍に残された成人男性を核に記録される家の姿。其処には妻と言う表現と共に付される女性と共に多くの妾、そして年齢がかみ合わない多数の子どもたちが存在する点を指摘します。多くは年長の男性に対して不釣り合いな若年の女性が複数含まれるという家の構成。経済力のある男性が複数の女性を妾として住まわせるという視点だけでは補正しきれない、明らかに連れ子と見做せる子どもの年齢。前述の婚姻傾向と高い出生率を添えてその主因を述べていきますが、著者は敢えてある問題について提起を行います。

現代に繋がる大きなテーマとなる「家」と「家族」という姿が、古代ではどのように構築されてきたのか。

近年まで続く家父長制が定着する前に、貴族の姿を綴る平安文学で語られる「通い婚」という形で男女が結ばれ、妻の住まいに夫が居住するという姿。貴族と言う限定的な範囲で残された記録から更に議論を発展させて「妻問婚」という生涯に渡っての通い婚という姿がそれ以前には存在していたのではないかと言う説に対して、その反証を試みます。

これまで述べてきた戸籍の内容を踏まえた上で、古代史を扱う者としては必須となる、万葉仮名(上代特殊仮名遣い)による音の読み分けを示した上で、これらの議論で着目される内容に対して改めて検証を加えていきます。本書の後半部分ほぼ全てを注ぎ込んで積極的に議論される、古代における男と女の関係から導き出されれる女性の一生、「家」が形作られる姿。その議論には当該する分野に強いご興味のある方にとっては看過できない論旨も含まれるかもしれませんが、著者はあくまでも古代史の研究家としての視点で、その姿の復元を述べていきます。

偶然の記録として残された断片から復元される、古代の「家」に示される姿。あくまでも断片である一方、最終章で語られる「改竄された戸籍」との対比から、明らかに当時の一側面を示す史料から述べられる内容は、これが全てであると言い切る訳にはいきませんが、現代的な家族と家というテーマにも一石を投じる内容。記録が残る事の大切さと、そこから何を読み解くのか、歴史研究者の方の視点を知る上で、興味深い一冊です。

同じく歴史文化ライブラリーより、本書と同じような経緯で残された史料、発掘される木簡から、その戸籍を綴る側の立場にあった官人、特に国造達の系譜に繋がる地方官人たちの姿を軸に、律令制、中央集権制という制度が日本に於いてどのようにローカライズされていたのかを再現する一冊「地方官人たちの古代史」併せてご紹介しておきます。

今月の読本「日本の古代道路」(近江俊秀 角川選書)官道たる駅路を語る背景に映る律令制中央集権国家への憧憬

今月の読本「日本の古代道路」(近江俊秀 角川選書)官道たる駅路を語る背景に映る律令制中央集権国家への憧憬

最近積極的に古代の交通路に関する著作を発表されている著者の最新作。

これまで発表されてきた著作の集大成的な内容を念頭に置いた作品との事もあり、初めて読んでみる事にしました。

日本の古代道路日本の古代道路」(近江俊秀 角川選書)です。

著者は現役の文化庁職員。埋蔵文化財の調査を専門とされている方でもあり、本編にも要所で古代道路発掘成果の紹介が出て来ます。その成果から求められた今回のテーマは「過去から現在に続く駅路とその変遷の物語」。

古代王朝の最盛期に作られ、全国を通じていたと考えられる官道たる駅路について、その利用方法や変遷をいくつかのテーマに基づいて著述していきます。

駅路を実際に使用し、そこで使役されてきた農民や駅子たち。海上との結節点としての駅路。律令制が崩れつつある平安時代に入ってからの駅路のその後と、往来への想い。そして、現代に繋がる駅路の発掘結果と、史跡と現在の交通路との交わり合い。これまでの著者の著述の範囲からテーマを大きく広げて、縄文時代から現代に至るまで幅広い時代背景のもとで、古代道路との関わり合いを述べていきます。

平将門や最澄と徳一といった判りやすいテーマの導入から本題に綺麗に繋いでいく。発掘結果や現地に訪れた心象に基づく紀行文に歴史的著述を織り込んでいく、そのこなれた筆致には非常に好感が持てるのですが、読んでいくとどうしても引っかかる点が出て来ます。

本書では、それぞれのテーマーごとに、地方、そして道路を作る事となる為政者の置かれた立場と、実際にこの駅路とその名残を使ったであろう登場人物たちの物語が語られていきますが、その背景に語られてく視点は常に一定しています。たとえそれが縄文時代の会津と浜通り、日本海側との繋がりでも。坂東を縦横に動き回った平将門の活躍でも。ラグーンと駅路が交わる場所で活躍したであろう郡司たちでも…。交通路を伝わって文化や文明は「中央から地方へ」と一方向的に送り込まれていくという感覚。その感覚と同居する、為政者たる律令制中央集権国家の強力な統制と制度に対する一種の憧憬とも思える描写。そして、その後の律令制崩壊によって失われた律令制度やその高度な構築、管理体制であったと思われる駅路の残滓へ寄せる想い。想いの強さゆえでしょうか、時にその筆致には研究者の方とは思えない、解釈抜きでの指摘を伴った著述がなされていきます。

そのような著述が若干気になっていらっしゃるのでしょうか、時に補正するかの如く、古代律令制と地方支配体制を述べる際には、繰り返し郡司以下の地方行政官たちは中央から派遣される訳ではなく、地方豪族が就任したことを明記していきます。但し、その記述自体が中央から派遣された国司による支配体制確立の前段階としての認識であり、最終的には中央集権体制に収斂する=駅路を通じてという論述に繋がっていきます。

そして、古代道路たる駅路の終焉について、本書では、平将門の進軍ルートと常陸国の駅路の変遷を通じて、交通目的に応じて経路が変わっていく事自体は解説されていますが、なぜ維持されなくなったのか、なぜ駅路制度が終焉してしまったかについては明確に答えてくれません。宇佐八幡の例を取り上げて、朝廷による勅使が続いていたからこそ古代の駅路の跡が今も道筋として使われていると述べるにとどまります。そこには現代と律令時代との歴史的な繋がりを強く希求する一方、その中間に位置する時代がすっぽりと抜けているかのようです。

発掘成果が物語る、あまりにも立派な駅路。そして、それを成し得た古代王朝の律令制中央集権国家に対する著者の想いの強さに、いささか当てられ気味にもなる一冊です。

<おまけ>

本書より僅かに先に刊行されたこちらの一冊は、偶然にも同じ石川県の加茂遺跡から発掘された木簡をテーマに採り上げています。全く同じテーマでありながら、逆の視点から著述される本書を併せてお読みになると、その視点の違いに意外な発見があるかもしれません。実は双方の著者の略歴が非常に似通っている(時期は異なりますが、同じ機関に所属)点でも極めて興味深い2冊です。

本書と同じようなテーマの書籍を本ページよりご紹介。