厳冬の朝に、神が渡る湖上の道筋(諏訪湖の御神渡)2018.2.9

厳冬の朝に、神が渡る湖上の道筋(諏訪湖の御神渡)2018.2.9

厳冬と雪が繰り返される今年の八ヶ岳山麓の冬シーズン。

月曜日の5日には、諏訪の皆様が待ち焦がれた御神渡の拝観式が八釼神社の氏子の皆様が氷上に居並ぶ中、無事に執り行われ、諏訪湖の湖面を渡る氷の道が正式に御神渡と認定されました(この記録は、後ほど諏訪大社に報告され、更に気象庁と宮内庁へと報告があげられる事になっています)。

冷え込みが続いたために、一度凍った諏訪湖の湖面は容易には溶けることも無く、日々成長を続ける御神渡の氷の道。平日にもかかわらず、続々と湖畔に訪れる皆様をちょっと羨ましく思いながら、山懐に近い、こちら八ヶ岳南麓も厳冬の日々が続いています。

再び夜半にサラサラの粉雪が舞った火曜日の朝。

甲斐駒と周囲の山々も雪雲に覆われています。

朝8時を過ぎて、雪雲が離れつつある南アルプス、鳳凰三山。

雪煙を上げながら離れていく雪雲を眺める、節分を過ぎても厳冬の日々が続きます。

そして、週末の悪天候と気温の上昇が伝えられる中、やはりどうしても見ておきたいという欲望には勝てず、金曜日の朝に諏訪湖へと足を向けます。

諏訪湖の西岸、湊小学校前の船溜まり近くには、沖へと向けて伸びていく氷の道がくっきりと表れていました。

沖合を下諏訪方面へと延びていく氷の道。

船溜まりから伸びた氷の道は、沖合でもう一本の氷の道に繋がっています。

近づいていくと、八ヶ岳をバックに、昇りはじめた朝日を受けて、氷の道が輝いています。

湖畔の岸辺に降りてみます。

氷の道が岸辺へと寄り添うように伸びてきていました。

霧ヶ峰をバックに岸辺から沖合へとうねるように伸びる、氷の道。

道の先は、対岸の諏訪大社下社がある、赤砂崎へと繋がっていました。

肌が切れるほどに冷たい、気温-10℃を記録した午前7時過ぎの諏訪湖畔。

厳冬期に訪れた、冬の奇跡ともいうべき景色に、訪れていた多くの方が魅入っていました。

日が昇ってきて、氷の道が浮かび上がって見えて来る頃、御来光を目当てに訪れていた皆さんが徐々に帰られる中、少し静かになった湖畔から、南八ヶ岳の峰々を望んで。

厳冬を待ちわびた先で、再び見る事が出来た、素敵な冬の朝の一ページとして(あ、このあと車を飛ばしてぎりぎりでの出社となったのは言うまでもありません…というか、地元の皆様も「朝活」ご苦労様です)。

暖かな3連休最初の土曜日、夕方から「かみ雪」が降りしきる中、湖に浮かび上がった氷の道はどうなっているでしょうか。

注記:

本来の御神渡はこちらのリンクの図にありますように、上社側の渋崎から、今回ご覧頂いた氷の道の先に繋がって下社側の赤砂崎に弧を描く様に繋がる事となっており、写真で掲載している部分は「本当の意味での」御神渡ではない事をご承知おきください。

神事としての御神渡や諏訪大社の特殊神事にご興味のある方は、非常に有名な八ヶ岳原人さんのサイトをご参照願います(今回の写真も掲載されています)。

 

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Frozen days2(全面結氷を迎えた諏訪湖)2018.1.28

Frozen days2(全面結氷を迎えた諏訪湖)2018.1.28

朝から薄曇りとなった日曜日。

前日に再び全面結氷となったとのニュースを聞いて、夕飯の買い出しの序に諏訪湖まで足を延ばしてみました。

諏訪湖を一望できる立石公園。

足元の湖面は完全に凍結していました。

ニュースを聞きつけて訪れた多くの皆様が、口々に「凄いね」と声を上げていました。街中にある、これだけ大きな湖が全面結氷すると、何度観ても流石にインパクトは大きいです。

正面向かって左側、諏訪大社、上社がある渋崎側をアップで。沖に向かって筋が伸びています。

立石公園の正面反対側、岡谷市湊の周辺です。

御神渡の候補になるでしょうか、沖に向けてカーブをしながら筋が伸びています。

正面右側の岡谷市川岸から、諏訪湖唯一の流出河川となる天竜川の源流点、釜口方向を望みます。

川の流れがあるために凍結しにくいのですが、今日は綺麗に凍り付いています。

そして、立石公園の手前右側、諏訪大社の下社がある、下諏訪町赤砂方向です。

こちら側の湖面は白く凍結しています。それでは、山を下りて湖畔に行ってみましょう。

下諏訪町赤砂から、上社のある渋崎方向を望みます。

お天気が良ければ、正面に富士山が望める場所ですが、午後になってお天気がさらに悪くなってきました。

波打つ事のない、凍りついた湖面が沖に向かって静かに広がっています。

諏訪湖を囲う山並みを氷上に映す、岡谷側から湖面を望みます。

葦原に打ち寄せられた水が、そのままに凍り付いています。

 

立石公園の反対側、岡谷市湊に来ました。

山の上から見えた、沖合に延びる氷の筋が幾重にも折り重なっています。

湖畔に立つと、時折ピシピシという、氷がせめぎ合う音が響いています。

暫くすると、西の塩嶺から雪雲が迫ってきて、一面雪雲に覆われてきました。

この後、遠くに白く霞む霧ヶ峰を望む湖畔は、あっという間に吹雪になってしまいました。

地元の方々が願って止まなかった今シーズン2度目の諏訪湖の全面結氷。

吹雪のような雪が降り、今夜までは引き続き寒さが続くとの気象情報の中、果たして神様が湖面を渡ると言い伝えられる、御神渡への道は今週、開かれるでしょうか。

 

上社の建御柱が終わった後に少し歴史のお勉強も(諏訪市博物館の企画展「御柱を知る」)

上社の建御柱が終わった後に少し歴史のお勉強も(諏訪市博物館の企画展「御柱を知る」)

New!(2016.6.25):明日6/26(日)のNHKスペシャルで御柱の特集が組まれます。古代史ミステリー 「御柱」 ~最後の“縄文王国”の謎~番組ホームページはこちらです。

 

GW連休後半の三日間に渡って行われた、諏訪大社上社の里引き、そして建御柱。

上社の本宮、前宮の8本の御柱が新しい柱に建て替えら、これから6年間、この地を守り続けることになります。

諏訪大社上社本宮一之御柱建て替えられた本宮一之御柱。

来週末の下社の里引き、建御柱まで一休みとなった週末。折角の機会なので、ここで御柱の歴史について改めてお勉強してみましょうという事で、格好の企画展が催されている場所に行ってみました。

諏訪市博物館場所といっても、何の事はありません。上社本宮の道路を挟んで反対側にある、諏訪市博物館

諏訪博物館前の摸擬御柱中庭には今回本宮二之御柱を曳行、建てられた湖南、中洲地区の皆さんが用意した摸擬御柱が用意されています。

こちらで、御柱の開催を記念した企画展「御柱を知る」が3/12から開催されています。

諏訪博物館企画展「御柱を知る」パンフレット残念ながら企画展の展示室及びロビーに展示している写真と絵葉書は撮影禁止の掲示が出ておりましたので、パンフレットでお茶を濁させて下さい…。

今回展示されている史料は摸刻、模写が殆どですが、江戸時代の騎馬行列に使われた道具類は実際の物が展示されています。史料の系統はすぐ近くの神長官守矢資料館が守矢家に伝わる資料を中心に構成されているのに対して、大祝諏方家、権祝矢島家に伝わった史料を中心に、諏訪大社が所有する史料で内容を補う形を採っています。珍しいのは冠落としの手斧を担当する原家が実際に大正時代まで使用していた装束が展示されている点。侍烏帽子に大紋(素襖とも思える)なのですが、紋が丸に四つ目菱(現在の冠落としの際の写真を見ると異なる紋を付けています)なのが、その職を世襲された時代と照らし合わせてみると、とても気になる点ではあります。

ロビーで流れる御柱解説ビデオの大音響が館内に響き渡る中、崩し字読み特訓しながら展示を観ていると、学芸員さんの展示説明が始まりましたのでちょっと混ざって聞いてみました。

  • 歴史史料上の御柱 : 鎌倉時代より遡る史料は無く、巷間に云わる平安時代に遡るとの史料も鎌倉時代に書かれたものを引用している(持統朝に遡る日本書紀の記述は社の存在を示すもの)。そう考えると、現在の形態の元を築いたのは、やはり東国の武士たちという事になるが…
  • 御柱の氏子 : 本来は信濃一国総出で奉仕するものであった(ここで2階の常設展示フロアにある解説パネルを見ると、戦国時代より前の御頭郷はすっぽりと諏訪郡が抜けている事が判ります)が戦国以降、徐々に縮小して諏訪郡一円に収斂していく
  • 祭祀の推移と復興、縮小 : 戦国時代以前の奉仕の史料を見ると、柱を建てること以外に宝殿(これは現在でも行われる)やその他の境内各所の建築物の造営が都度行われており、現在より遥かに規模も大きく、それだけ負担も大きかった(取り立ての史料や収支報告書が残る)。戦国時代の混乱による祭祀の縮小(甲斐への出陣により祭祀の引き延ばしを図った事により祟りが起き、その再発を恐れて、急ぎ甲斐から出陣中の兵を引き上げるなどという記録さえ残る)は、武田信玄による諏訪氏滅亡後に息子の勝頼共々に社殿と祭祀の復興を図ったが、その後信長の息子、信忠による天正十年の上社の焼き討ちにより灰燼に帰したことが現在の祭祀の起点となっている
  • 縮小後今日までの繋がり : 天正十二年に再興された際には御柱と宝殿、神輿(これは現在も使われていると云われる)が漸く揃えられたに過ぎず、その後社殿の復興が徐々に進んだが、これ以降宝殿以外の建て替えは行われない現在の形となった。また、江戸時代の史料から祭りの文字が見えてくるが、それ以前は「造営」と呼ばれ、祭りではなかった。現在のような祭りとして執り行われるのは明治以降と考えて良い(これも常設展示室に造営の主体が経済的な理由で領主層から町民層へ移っていった事を示唆する解説が出ています)

今回の展示物で最もポイントが高いと思われる御柱絵巻模写の展示なのですが(原本は岡谷市在住の個人蔵で、諏訪市博物館が所有する模写は明治17年に諏訪市の個人の方が明治維新で廃絶した騎馬行列の姿を記録する為に前述の絵巻を借用して模写したもの)、残念ながら全体の公開はされずに五祝家と謂われた神官たちと御柱が描かれた部分だけの公開に留まっています(その他藩主の代役の騎馬、家老、奉行の部分は抜き取りで写真掲示)。この絵巻の写真集が出されたら、さぞかし興味深い考察と共に、きっと人気が出る事かと思いますが、個人蔵故でしょうか、容易に入手できる刊行物はないようです。

ちょっと煮え切らない部分もある展示ではありましたが、これだけの内容が一堂に揃うのは多分御柱の時だけ。ロビーに飾られている写真は別途写真集が刊行されていますので見る事が出来ますが、当時の史料を模写とはいえじっくり拝見できるのは、二次文献ではイメージできない点(and必死に崩し字読む特訓)を補う意味でもありがたい事です。

諏訪博物館常設展示室1-1学芸員さんの解説が終わると、殆どの皆さん(and本日は長野日報の記者の方が取材に入っていました)は退出されてしまいましたが、折角なので2階の常設展示室もじっくりと拝見させて頂きます。

こちらが常設展示室1の原始から古代のエリア。ダウンライトとブラックアウトされた落ち着いた雰囲気の解説板をバックに、広いスペースにゆとりを持った展示…と言いたいのですが、界隈の各市町村にある資料館や縄文関係の考古館の、これでもかという出土品のオンパレードと比べると、どうも展示物に事欠いている(いやいや、絞り込んでいる)イメージを持ちます。やや啓蒙的な解説板をじっくり読ませるイメージが強い展示内容。

諏訪博物館常設展示室1-2こちらは同じ展示室の中世から近世のエリア。中央に曲線状に配置された御柱の解説スペースを挟んで正対するレイアウトになっています。各時代につき、展示物を数個に絞り込むスタイルはこちら側も同じです。

諏訪博物館常設展示、徳川家光の朱印状御柱関係で特徴的な展示物を。

徳川三代将軍家光が与えた諏訪神社領の朱印状の模写とそれ以前の所領比較図。1500石と決して小さくない社領ですが、それ以前の広く信濃国内に点在していた所領と御頭郷による奉仕を考えると、御柱(祭)の造営規模が縮小せざるを得なかった事情が実感できるかと思います。

諏訪博物館常設展示、御柱略年表ちょっと見づらいのですが、御柱の略年表。

企画展には出てこなかったのですが、寛永十五年に高遠藩が騎馬行列への参加を拒否(高遠藩が保科家から改易後の鳥居家が移ってきた初代、忠春の治世)したことに対して、諏訪社が幕府に訴え出ている点に注目します。戦国時代の大祝が諏訪と高遠に分かれた後に諏訪の大祝に収斂された経緯をそのまま江戸時代まで引き継いでいた事が判ります。企画展で展示されている原家の記録にも、高遠藩が送り出してくる騎馬行列(藩主の名代だと思いますが)に対しても挨拶に出向いていた事が記されています。

ここでちょっと面白い話。知人の氏子さんに聞いたのですが、今回の里引きで高部の公民館前(里引きで一番標高が高い場所、八ヶ岳と両宮が遠望できる)では辰野(小野)の地酒「夜明け前」が振る舞われていたそうです。諏訪の酒蔵でなくてなんで小野なの?と思ったそうですが、実にこの場所こそ原家が高遠藩に挨拶をしていた場所。その昔は桟敷の設置場所で諏訪と争ったとの記録も残る、高遠藩にとって御柱の際に藩主の名代が訪れる場所だったのでした。

諏訪博物館常設展示室2常設展示室2です。打って変わって博物館の外観のイメージを踏襲する明るい造りに、スポーク状のオブジェとピラミッド型の展示ケース、そして展示内容は在野の考古学者、今なお縄文史研究を悩ませる発端となった、縄文農耕論を提唱した在野の考古学者、藤森栄一の業績を紹介するコーナーになっています。

残りの右半面は片倉館から寄託された考古発掘資料を展示するコーナーと、実は左側がシンプルながら凄くコアな展示なのです。

諏訪博物館常設展示、肥水くみ上げ風車主に民俗資料の展示なのですが、ここにしかないであろう一品。今もガラスの里の周囲に行くと警告板が建てられていますが、諏訪湖畔で行われていた天然ガスの採取とその副産物を肥料として用いていた「肥水」と呼ぶ井戸をくみ上げていた風車。かん水だと思いますが、肥料に用いていたというのも聞くのは初めてですし、このような形で諏訪の産業史の一ページを採り上げられている点に物凄く好感を持ちます。

諏訪博物館常設展示、御渡帳そして、諏訪市博物館に行く以上、是非観たかった御神渡の歴史を綴る御渡帳と当社神幸記..って、貸し出し中だなんて(涙)。

諏訪博物館、御神渡関連掲示ちょっと気を取り直して、2階のロビーに飾られている平成18年度の御神渡関連のパネル展示を眺めながら。ついこの間、雑誌natureの電子版にヨーロッパとの比較で地球の気候変動を示すバロメーターとして御神渡の記録が使えるという論文が出て、俄然注目を浴びている諏訪湖の御神渡ですが、情報センターとしての役目を果たす諏訪市博物館としては、ぜひこの機会に企画展やシンポジウムの開催をご検討いただきたいと勝手にお願いしてしまいます。

諏訪市博物館寄贈展示品ミニチュア御柱なんだかんだ言ってタップリと楽しんでしまった諏訪市博物館。

でも、一番楽しかったのは、休憩コーナーに展示されていた、地元の方が寄贈した手作りのミニチュア御柱セット。前回の前宮一の御柱の建御柱つり上げ構造を忠実に再現した模型と、上社と下社の御柱曳行方法の違いをこれまた丁寧に作り分けている模型を眺めているだけで、はっきりとそのシーンを思い出す事が出来ますね(館内に飾っている曳き綱を巻いたミニチュアオブジェと一緒にキットで売って欲しいです!)。

諏訪市博物館の資料類本日のおみやげ類(購入資料)。

御柱関係の古い写真を集めた写真集「御柱とともに」。今回の件についていろいろ仰る方もいらっしゃいますが、まずはご覧頂きたい写真集です。次に、隣の山梨の方にとっても特に興味深い内容が書かれている「戦国時代の諏訪」そして、江戸時代初期の諏訪藩主(三代忠晴)が描かせた諏訪藩領の屏風絵図「御枕屏風」の解説写真集。博物館に展示されている模写品は既に読み取りにくくなっているため、このような写真集はとてもありがたいです。次は是非御柱絵巻の写真集も…。

左下にちょっと置いていますのが、上社で頂きました御柱御守です。

この6年間で色々な事がありましたが、2度目の御柱をこの地で無事に迎えられた事への御礼として。

<おまけ>

本サイトでご紹介している関連するページを。