今月の読本「食品サンプルの誕生」(野瀬泰申 ちくま文庫)そのアイコン化の華を生んだ日本人の感性

今月の読本「食品サンプルの誕生」(野瀬泰申 ちくま文庫)そのアイコン化の華を生んだ日本人の感性

最近は大分減ってしまいましたが、食堂やレストランの店先を賑やかに飾っていた食品サンプルの数々。今や食玩や河童橋のおみやげとしてのアクセサリーの方が有名になってしまっているかもしれませんが、バブル崩壊前後の頃は、ごくごく当たり前に街中のワンシーンとして溶け込んでいた懐かしいその姿を追った、本邦初とも言われる、食品サンプル誕生と発展の物語を語る一冊が、この度、文庫化されました。

収蔵されたレーベルは、居酒屋文化に関する多くの著作を収蔵する、ちくま文庫。流石だなぁと思いつつ、さっそく手に取って読んでみました。

今月の読本、7月ラストの一冊は「食品サンプルの誕生」(野瀬泰申 ちくま文庫)のご紹介です。

まず、本書の初版は2002年に刊行されており、今回の文庫化までに15年の歳月を経ています。従って、時代背景を綴る部分については、現在の状況とだいぶ異なっている点を理解する必要があります。特に四章で語られる、韓国及び中国における食堂の様子や提供される食べ物の傾向、食品サンプルへの取り組みなどは現在の状況と全く異なります。また、日本の外食産業における食品サンプルの比重や、店頭における文章によるメニュー説明と食品サンプルの比較の部分などは、当時の状況とだいぶ変わっているかと思います。上海の取材記で著者が述べているように、食べ物、特に外食のメニューは時代と共に変わっていく姿を端的に示すものでしょうから、この辺りの時代差は当然と考えなければなりません(表紙の写真自体が、既にノスタルジーを感じますよね)。

その上で、本書が極めて貴重なのは、日本独特の食品サンプルがなぜ生まれたのか、その誕生の経緯をほとんど唯一、検証を含めて明らかにした一冊である点です。

本書の著者は日経新聞の記者の方。元々は九州地方における地域毎のローカルフードの変遷を追いかけていた際に、実際の料理を確かめる手間を少し端折るために、食堂に飾られた食品サンプルの比較を始めたことがきっかけであったと、今回の文庫化に際して添えられたあとがきで述べられています。

全文に渡って通貫する「日経の文屋さん」らしい筆致が遺憾なく発揮される、食品サンプル発祥を追い求める物語。その後、現在の食品サンプル業界を牽引する会社の社長さんとの巡り合いから、解説用の小冊子を手掛ける事になった際に改めて追跡をし直した、その原点を探し出す取材記は出色と言える内容です。最終的な結論として辿り着いた三つの始まりの人物と、一つの始まりの展示場所。食品サンプルを商業ベースに乗せた大阪から始まった物語は、その発祥と言えるデパートの食堂を辿って東京へ、そして食品サンプルそのものの発祥を訪ねて京都へと舞台を移していきます。阪急、白木屋、そして島津製作所へと続いていく物語は、戦前の日本にも確かに存在した、現在と比べれば質素ではありますが、ちょっとしたぜいたくが出来るようになった、デパートにおける「お食事」、外食の繁盛を切り盛りするための、アイデアに溢れた施策の先にあった事を教えてくれます。

そのアイデアこそが、食堂でメニューを選ぶ際に、言葉や文章を駆使する訳でもなく、実物も用いずに、効率的にイメージを抱かせるための道具としての食品サンプル。更には、テーブルでの煩雑な収受を省く食券による事前購入との組み合わせて、狭い食堂のスペースで圧倒的に効率的な回転率を確保していたことを、当時の資料から分析していきます。

そして、著者はなぜ日本人だけがこのようなアイデアを受容しえたかを検討していきます。本書のもう一つの白眉、日本人の食事のメニューに対するこだわりの分析と食品サンプルの必要性を重ね合わせていきます。

そこには、大衆化と言えるメニューの汎用化の先に、複雑で難解なバリエーションをこまごまと作り出すことをオリジナリティと踏まえる、日本人特有の感性。同じ商品でも土地ごとに全く異なる名称を名付けてしまう、細やかなローカライゼーション。更には、文章を読まず、無意識のうちにイメージで物事を理解しようとする民族性が潜んでいると、ヨーロッパ、とくにフランス料理のメニューやオーダーの方法との比較から鋭い指摘を繰り出していきます。バリエーションと名称の説明を省く手っ取り早い方法、ビジュアルでその差を明確に示すために、本来は料理のイメージを迅速に持たせるための存在だった食品サンプルが、バリエーションの微妙な差を表現すべくどんどん先鋭化していったと事を見出していきます。著者はそれらの延長として、これも日本人特有と言われるロボットへの愛着(昨今の深層学習AIに対する衝撃を殊更唱えるのも日本人ですよね)と同様に、それらの鮮やかな技巧への憧憬の心が、食品サンプルの進化を更に推し進めたとしていきます。

確かに、食品サンプルも食玩も、そのような技巧に魅せられる点は多々あるかと思います。しかしながら、どちらもギミック。本書が上梓された直後から急激に進化を遂げた食玩も、当時は極めて幼稚な技巧に留まっていたはずです。そのように考えると、技巧に魅入る以前に、日本人にとってこれらのギミックが響く点がきっとあるのだと思います。それは、漫画やアニメーションと全く同じ、記号化、単純化された状態から元の姿を自在にイメージするベースを持った、アイコン化への共感。著者が述べるように、食品サンプルのラーメンに載せられるネギはビニールチューブの輪切りに過ぎず、浮かべられた海苔は黒いゴワゴワとしたビニールシートに過ぎません。食品サンプルを見た多くの欧米人の反応の通り、それらは凄くよく出来たギミックではあるが、ギミックであってそれ以上では決してない。しかしながら、私にも、確かに食堂のガラスケース越しに、スープに浮かぶシャキシャキしたネギの歯ごたえを思い起こし、海苔から発する海の香りを感じる事が出来てしまうのです。

デフォルメ化され、アイコンとなったその姿から、豊かなイメージを湧かせる一方、単なる単純化に飽き足らず、細々とディテールやバリエーションに拘り、微細な差異に一喜一憂する。折角単純化、記号化した物を、再び微細に先鋭に分別して仕上げていく日本人の両極端なその姿をまざまざを示す好例が食品サンプルなのかもしれません(逆に、プロトコルや標準規格の制定、デザインシステムや統一的なフォントセットの構築が大の苦手なのは、よく言われる通りですね。言葉を介さずイメージで語るため、共通認識に微妙なずれが常に付きまとう)。

終章で語られるように、本来は迅速にイメージさせるための記号化、デフォルメであった筈の食品サンプルは、冒頭の写真にあるように、もはや本物を超越するほど(本物では出来ないシチュエーションすら作り出す)のリアリティを有しており、その技術と同じような道筋に、現在の食玩たち、そして日本人が好む、限りなく現実で現実ではない、独特なリアリティの構築という世界観が存在することは論を要さないと思います。

日本人が作り出した、イメージをアイコン化する手法の華である食品サンプル。いまや食堂のガラスケースは空っぽというお店も多くなってしまいましたが(初期の食品サンプルは材質の制約もあり、照明や日射によって劣化することもあり、当初からレンタルが一般的だったそうです)、本書が刊行された時点では想定もし得なかった新しいステージを得たその技法は、日本人の感性が求める限りに何処までも先鋭化していくのかもしれません。

 

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今月の読本「タコの教科書」(リチャード・シュヴァイド著,土屋晶子訳 エクスナレッジ)醜悪と愛嬌が混ざりある美味しい隣人は異次元の知能を魅せつける

今月の読本「タコの教科書」(リチャード・シュヴァイド著,土屋晶子訳 エクスナレッジ)醜悪と愛嬌が混ざりある美味しい隣人は異次元の知能を魅せつける

日本は漁業大国だという事で、当然のようにお魚に関する文化も豊かに揃っています。最も重要な食べ物として、そして漁獲としての職漁、江戸時代ぐらいまで下ると、文化的なテーマも出てきますね。

魚食との深い関わり合いでは、世界有数の歴史の長さと幅広さを持つことを多くの方が日本人の矜持としていると思いますが、こと文化的なテーマの紹介になると、どうも海外に後れを取るようにも見受けられます。

今回の一冊も、なぜ日本でこのようなテーマ性を持った本が出されないのかと残念でならない一冊です。

タコの教科書 原題:Octopus」(リチャード・シュヴァイド著、土屋晶子訳 エクスナレッジ)です。

タコの教科書版元のエクスナレッジさん。元々は建築関係の書籍を専門に扱っていたようですが、近年では海外書籍の翻訳を積極的に取り扱われているようです。テーマ設定の秀逸さと、掲載されている写真の美しさでも話題となっている「世界で一番美しい/死ぬまでに見たい」シリーズの版元さんでもありますね。

本書もスペインはバルセロナに在住するジャーナリストの方が執筆された書籍の翻訳版ですが、驚いたことに本書の少なからぬページは、最大のタコの消費大国である日本のタコの事情、そして日本人の著者が本来書いてほしいと願う文化について解説するために費やされています。

そして、邦訳が「教科書」を標榜するように、本書は実に幅広い分野の「タコ」に関する知識を取り揃えています。中でもナポリの臨海実験所の開設の経緯(ダーウィンが支援していた事でも有名ですし、海洋生物研究の分野で最も伝統を有する研究施設の一つでもあります)と、研究所におけるタコの研究を取り扱っている点は出色ですし、タコの特性から、漁獲、食、生体研究、文化、飼育にまつわる話まで実に豊富なテーマを多くの写真や絵画を交えながらもコンパクトにまとめ上げている点は、手軽にこれらの知識に触れたい読者にとっては非常に魅力的です。その意味では本書の少し前に邦訳が刊行された「タコの才能」が、ネット世代の好奇心に依拠した、研究対象としてのタコに対する生体行動学、工学的な好奇心に重心を置いて著述されている点とは対照的に、日本においてはなかなか地位を得られない(荒又宏さんが唯一でしょうか)、博物学的な知見に基づいて著述されている点がちょっと古典的でもあり、貴重でもあったりします(著者は既刊でも食用魚類に関する著作がありますが、あくまでもジャーナリストです。魚をテーマにした書籍では、魚類/水産学の研究者や、官僚出身者、経済関係の方が執筆することが大多数の日本と、この点でも大きく異なります)。

本書では、タコに関するテーマを幅広く扱っていますが、そのいずれもが要点を押さえた記述と、各章に込められたテーマに対して明快に解説と著者の心象を込めていく点は、研究者と呼ばれる方が執筆した類書と明確な一線があります。

タコの習性と漁法では、擬人化したタコの習性に関する描写は滑稽ですし、研究者たちのタコの知性に関する研究では、ジャーナリストらしい研究者同士のタコの知性に関する研究成果に対する見解の反目をしっかり扱っていきます。北大西洋でのタコ資源の減少、特に北アフリカの西サハラ(世界でもほんの僅かな未独立地域)での過酷なタコ漁と周辺の政治状況、海外大資本(日本の大手水産会社を含む)の活動にもきっちりと言及している点は日本で刊行される類書では決して得られることの出来ない知見でしょう。南米のオクトパス・マヤがニューヨークで受け入れられない理由と、著者自身が現地で食した絶品のタコ料理(ものすごくシンプルな料理なのですが)のかい離に対して、西洋諸国でのタコ食に対する、ある種のハードルの高さ(タコ食への根源的な嫌悪感と高級食材としてのステータスの相反)がストレートに描けるのも、西欧の中ではタコ食を嫌悪しない南欧出身の著者ならではの視点です。

そして、日本の読者にとっても非常に嬉しい点は、南欧と並んで世界で最もタコを食している日本の事情を取り扱うことがテーマに叶うと考えたであろう、タコ食文化のページの多くを日本のタコ食とタコ漁に割いている点です。中でも「タコ焼き」と「明石焼」を明確に区別して解説している点は、著者の熱心なリサーチの成果でしょうし、大阪の家庭にあるタコ焼き器とカンザスのワッフルメーカーを比較している点はくすっと笑いが出てしまいます。一方で、日本が密かにタコの完全養殖に成功しているのではないかと疑っている筆致(また世界中の利益を収奪するのではないかとう、ジャパンバッシング論が見え隠れする)は、未だステレオタイプな「不思議の国、日本」健在だなと感じてしまうところです。

そんなやや偏見的(世界的に見れば至極当然?)な日本のタコ食文化への眼差しですが、タコを取り扱った文化史に入ってくると更にその筆致はパワーアップしていきます。「タコの才能」でも若干見受けられたこの傾向ですが、本書では一章を割いて全面展開されています。要は北斎の春画から始まる陰湿で内向的な性描写が、現在のアニメの描写で使われる抑制的な性描写への裏返しとしての「触手攻め」に繋がっている点を日本のエロ描写の特徴として見做していく事と共に、ユゴー(レ・ミゼラブルの著者ですね)の反発や印象派の画家たちへの東洋趣味に繋げていく論調なのです。この辺りの見解は日本人としては納得いかない点も多々あるのですが、ジャパニメーションを称揚される理解の根底がこのように捉えられているのかと考えると、妙に納得させられてしまう点もあったりします。

もちろん、日本の文化の範疇外にあるタコをモチーフにした美術や図案についても多く語られていくのですが、そのいずれもが特徴的な容姿と、不思議な生態への畏敬と愛嬌がないまぜになっている事が判ると思います。そこには、何時の時代でも、どの文化でも人を惹きつけてやまない、タコだけが持ち得る魅力があるようですね。

本書の最後は、多くのタコに魅せられた方々が異口同音に述べられる言葉で締めくくられています。

それは、脊椎動物が持つ知性とは全く異なるタイプのものなのでしょうが、確かにその眼には「知性」が宿っている事を目の当たりにすること。底知れぬ知性が宿ったそのまなざしは、スキューバー巡り合った水中でも、漁船のデッキに積まれたタコ壺の中でも、水族館のガラス越しても、きっとあなたをじっと観察しているはずです。

我々が知らないもう一つの「美味しい」知性への探求は人類史と同じくらいの長さを有しているのですが、それでも、まだまだ始まったばかりのようです。

<おまけ.その1>

本書より少し前に刊行された、同じようなテーマを取り扱った一冊。内容はずいぶん異なりますが、タコの知性に魅せられる点は全く同じですし、インタビューに登場する人物はオーバーラップしています。できれば、先に本書を読まれて、特にタコの研究に興味が湧かれたら、こちらを読まれるとよいかと思います

タコの教科書とタコの才能

<おまけ.その2>

本ページで取り扱っている、その他の食べ物をテーマにした書籍のご紹介

今月の読本「ヴァティカンの正体」(岩淵潤子 ちくま新書)バチカンを題材に採った「情報スクラップブック」

今月の読本「ヴァティカンの正体」(岩淵潤子 ちくま新書)バチカンを題材に採った「情報スクラップブック」

何故だか、バチカン関係の刊行物が続くような気がする昨今。

昨年の教皇交代は確かに印象的であったし、その後も色々と話題を提供し続けているバチカンとローマ教皇の周辺ですが、その影響が遥か極東のキリスト教にとっては未だ未開の地であり続ける、この日本の出版業界にも到達したのでしょうか。

そんなバチカン絡みの最新の出版物を、ちくま新書の今月の新刊からご紹介。「ヴァティカンの正体」(岩淵潤子著)です。

ブァティカンの正体まず、「正体」という引っかかり感が気になる題名ですが、内容の方も、ライトな内容に変化しつつある、ちくま新書の中でも、ちょっと弾けたラディカルな内容。

もし、帯にあるようなバチカンの情報戦略や、所謂謀略なんていう、ドラマ仕立てのストーリーにご興味がある方は、小説や別の書籍を当たられた方が良いかと思います。

また、文末に掲載します、他の新書シリーズで扱われているようなバチカンの歴史や、文化、教会組織や教化に関するお話、外交や歴代教皇の事績については、部分的には語られますが文中にモザイクのようにちりばめられていますので、それらをテーマに通読するにはちょっと困難です。

本書は表題こそ「バチカン(著者の記述に従えばヴァティカン)」を取り上げていますが、実際にはバチカンというお題目を用いて、著者が得意とている情報やコンテンツビジネスにおけるそれぞれのシーンで、彼らの考え方がどのように当て嵌められるのかを考察した散文を纏めた、スクラップブックのような内容です。もしくは「コンテンツ」と「バチカン」をテーマにしたマガジン形態の読み物と言っていいでしょうか。

一応、3章の前半くらいまではバチカンの話題が中心として取り上げられますので、1章のバチカンの図書館やIOR等、現代のバチカンの話題に触れる点は多々あります。しかしながら、2章の聖書と教会に関する話題から徐々にコンテンツ的な話題に脱線が始まりますが(ミッションスクールとヨハネとBLというぶっ飛んだお話も)、3章の歴代教皇の芸術に対する投資と、資金源としての贖宥状、宗教改革の部分を過ぎると、それ以降、バチカンは話題をエントリーさせるための介添え役として取り扱われるだけ。著者が得意としているであろう、コンテンツ分野における話題が中心となります。

逆に、本書をコンテンツビジネスや情報サービスの分析における、キリスト教価値観を持った著者による「バチカン」を切り口とした見方をちりばめた本であると理解すれば、すんなり読めるかもしれません。

そのような意味合いで、ちょっとバチカンを忘れて読み始めれば、4章はカウンターカルチャー論として楽しい読み物ですし、最後のクールジャパンに対しての言及もよく判りますが、ここまで来ると、終章で落としどころを探っているにも拘らず、「バチカンの話は何処に行ったの」といった感が出てきてしまいます。

なにせ、冒頭と文末がステーィーブ・ジョブズへのオマージュで彩られる本書ですから、ある種のカリスマ性を象徴するアイコンとして、バチカンを捉えているのかもしれません。

バチカン関連新書4冊プラスバチカンを扱った新書の近刊より。おまけで、本書で繰り返し言及される、カウンターとしてのマルティン・ルターも。

<おまけ>

本ページで扱っている近いテーマの書籍を

今月の読本「ウナギの博物誌」(黒木真理編著 化学同人)

今月の読本「ウナギの博物誌」(黒木真理編著 化学同人)

雪が降りしきるお休みの日。こんな日には読書が似合う。

週末以来、溜まりに溜まった本を片付けること3冊目(昨日2冊買ってるだろう…)。きょうはこちらの本を紹介。

昨夜のNHKで放送されたダイオウイカのハイビジョン映像、国立科学博物館の窪寺先生が為し得た快挙でしたが、それに勝るとも劣らない近年の水産/魚類学の快挙が「ウナギの産卵場所の特定とウナギの人工養殖成功」です。

産卵場所の特定は東京大学の塚本先生のグループが幾多の困難と国家規模での調査活動の末に達成した成果ですが、ちょっと疑問が湧きませんか。

「どうして、私たちはそんなに海洋生物に執着するの?」

そんな疑問に答えてくれるのが、所謂「文化史」というものではないでしょうか。

日本人が世界有数の魚食民族であることは既にご承知かと思いますが、何かをし続けること=文化だとすれば、魚食も立派な「文化」なのかと思いますし、この活動を研究することが所謂「文化史」になり得るのは当然の帰結ですね。

魚食一般が日本人の「食文化」なのであれば、その中で特徴的な「材料」に特化する文化史も当然成立するわけですが、「材料」である「魚たち」はそれ自体も生物/科学的研究対象となるため文化だけでは終わらない奥深さを有していることになります。

そのような分野をカバーする学問に「博物学」という学問分野があります(我々のような博物館を踏破する物好きの行動を研究する訳ではありません)。荒俣宏さんが著名ですが、その分野は歴史/民俗/地勢/気象/海洋/政治/商業…とおそよ人間が生活するに当たって関与するすべてを包括する膨大な領域をカバーする学問で、中途半端で修まる学問分野ではありません(参考までにこちらのマルハニチロホールディングスに掲載されているサーモンミュージアムをご覧頂ければ、どれほどの領域が含まれるかさわりだけでも判るかと思います)

ウナギの博物誌

と、前置きが長いのですが本日のお題は「ウナギの博物誌」(黒木真理 編著・化学同人)。著者は東京大学総合研究博物館で魚類生態学を研究されている方です。

著者の方から想像されるように、誌面の3/4はウナギの科学的研究に関する動向に費やされています。

特に世界で初めてウナギの産卵場所を特定された塚本先生が担当されている部分は興味深く読むことが出来るかと思います。また、完全人工養殖(人工ふ化で生まれた親から人工ふ化で2世代目を成長させる)の話を読めば、水産学としてこの魚種にどれだけ力を入れた研究が為されているかを実感されると思います(他著をお読みでない場合に限る)。

その一方、現在のウナギ漁問題、特にシラスウナギの漁獲高激減のグラフをご覧頂ければ驚きと供に、どうしてこうなってしまったの?との大きな疑問を持たれるかと思います。

残念ながら漁獲高減少に水産学も回答を示せていないのが実情のようですが、本文には僅かながらに理由が述べられています。

ところで、皆さんは子供の頃にウナギを食されたことがあるでしょうか?例えば恩師に連れられてとか、両親がお世話になっている方が来訪されているからとか、とにかく家族でとか自分でうなぎ屋ののれんを潜るとか出前を取るというのはそれこそ社会人になってからでも余程のチャンスが無いと出来ないことだったのではないかと思います。

ところが、最近では夏のシーズンになるとスーパーの魚売り場には調理済みの蒲焼きが並び、総菜コーナーには僅かながらの蒲焼きの「破片」を載せたお弁当が500円もせずに売られています。時にはコンビニのおにぎり売り場にまで天むすならぬ「蒲焼きのおにぎり」が並ぶことすらあるくらいすっかりウナギは大衆的な魚になってしまいました。

同じような事が、鰤でもあったと思いますし、鯖にしても、鮭にしても決して安い魚では無かった筈ですね。現在では鰤はハマチとなり、鯖はノルウェーから切り身で空輸され、鮭はチリの太平洋沖合で育てられています。

ウナギも同じような道筋を辿ったわけですが、これらの魚種と決定的に異なる点がある事を本書では多方面の推測に基づいて述べています。

ちょっと暗くなってしまうお話もありますが、後半には所謂「うなぎ文化史」的なお話も多々ありますので、まずはつまみ食いで読んで頂いても充分楽しめるのではないでしょうか(鰻と三嶋神社についての考察は一冊の本として読んでみたいですね)。

こんな風に「博物学」は時に「歴史/文学」といった文系学問や「消費経済学/マーケッティング」までも含んでしまう大きな学問分野なのです。

こんな風に書くと堅苦しい議論が延々と続く本なのではないかと懸念されるかもしれませんが、平易で読みやすく、文体も各章でなるべく揃えられており、編纂者の方がかなり気を遣わた事を伺わせます。

ちょっとウナギに興味がある方で、博物学という響きに惹かれてしまう(要は物好きさんですね)であれば、楽しく読めること間違いなしの一冊かと思います。

その上で、どうかこの貴重な魚種についてもっと興味を持って接して頂ければ幸いではないでしょうか。何せ「貴重」なのですから。

<追記>

もし、この本にご興味があり、かつウナギの資源問題についてまずはWEB上で確認されたいと思われた方は是非こちらのサイトをご覧いただきたいと思います。本書でも寄稿されてます共同通信社の井田徹治さんがナショナルジオグラフィックWEB版に寄稿された連載記事「ウナギが食べられなくなる日」です。2013.7.11に1年ぶりの更新となる第4回目が追記されました。

厳しい内容が綴られていますが、下記の塚本教授のコメントを是非一度考えてみて頂きたく思います。

「天然ウナギは食べない、とらない。安いウナギを頻繁に食べるのは控え、高くても、美味しいとびきりのうなぎを、晴れの日のごちそうとして、たまに堪能するようにしよう。それがウナギ保護の重要な一歩だ」

<追記の2>

2013年の土用の丑の日。ウナギの持続的利用を願う、研究者、行政関係者、マスコミ、漁業者、そして利用者である養鰻業者、蒲焼店が一堂の会して討論を行うという、画期的な試みが行われました。ニホンウナギの産卵場所の特定に成功した塚本教授が音頭を取る「東アジアウナギ資源協議会日本支部」が主宰する、うな丼の未来を考えるシンポジウム、「うな丼の未来・ウナギの持続的利用は可能か」の発表内容を一冊に纏めた書籍が刊行されています。

現在の鰻が置かれている状況を最大限漏らさず(意図して抜けている部分が有るとの指摘もあります、参加者の顔ぶれから想像してください)記録した一冊。本書にご興味を持たれた方ならきっと気になる内容かと思います(前述の井田徹治さんも登壇されています)。

うな丼の世界

うな丼の未来」(東アジアウナギ資源協議会日本支部 編、青土社)

<おまけ>

  • 文学書を思わせるデザインと鱗を思わせる用紙の装丁が目を引きますが、出版元は理系の皆様御用達の「化学同人」だったりしますので、もちろん本屋さんでは生物のコーナーにあります。手に取ったとき「えっ」と思わせられましたが、装丁がどれだけイメージを変えることが出来るかの好例ですね
  • 同じ著者グループによる「旅するウナギ―1億年の時空をこえて」(東海大学出版)がありますが、こちらも一般的な化学書と一線を画す綺麗な装丁ですし(大型本という所がまた凄い)、塚本先生の単著でもある「世界で一番詳しいウナギの話」も飛鳥新社らしい一般読者が手に取りやすい装丁です。もしかしてウナギの研究者の方は流石に江戸文化の香りを伝えるだけあって「粋」をお持ちなのかしらと…

併せて読んでいた本達

ウナギ大回遊の謎

ウナギの水産学、特にウナギの回遊に興味のある方はこちらの方がより詳しく述べられていますね(価格も安いし)「ウナギ大回遊の謎」(塚本勝巳 PHPサイエンスワールド新書)

新鮮イカ学(小)

今回紹介した本と同じようなコンセプトですが、より研究者の側面で述べられた「エッセイ集」的な構成で纏められている一冊。「新鮮イカ学」(奥谷喬司編著 東海大学出版会)話題のダイオウイカ研究の第一人者である窪寺先生も寄稿されています

鮪

本格的な魚類の文化論としてはこちら、そのものズバリ「鮪」(田辺悟 法政大学出版局)文化論として魚一匹でこれだけの議論が出来てしまうという例。

ウナギの博物誌(小)

「ウナギの博物誌」(黒木真理編著 化学同人)オリオン書房立川ルミネ店で購入