縄文の街で映画「縄文にハマる人々」を(私だけの自分を映し出す1万年のドキュメント)2018.11.25

縄文の街で映画「縄文にハマる人々」を(私だけの自分を映し出す1万年のドキュメント)2018.11.25

New!(2018.11.26) : 今週末30日からの岡谷での上映が決定したようです。縄文を熱く語り続ける人々の言葉を是非スクリーンで。

今年は国宝土偶や各地の土器を一挙に集めて国立博物館で開催された縄文展に多数の来場者が押し掛け、マスメディアや書籍などでも多くの縄文に関するテーマが扱われた年でした。

主に美術やサブカルチャーサイドで大いに盛り上がった「縄文ブーム」とも呼べるムーブメント。その一方で苦言を呈される論調も出てくるのは、このテーマがより普遍的に扱われるようになってきた証拠。そんな中で登場したこの作品、パンフレットのデザインやPR内容からは正に今回のブームの落とし子のような感触を受けますが、果たしてどうでしょうか。

茅野駅に直結する形で建てられた、美術館とホールを兼ね備えた茅野市民館。

公開から4ヶ月を経た11月末の連休最終日。松本で映画上映活動を続けているプロジェクトが茅野に出張上映する形で実現した、映画「縄文にハマる人々」を観に、八ヶ岳南麓から足を延ばしてやってきました(とは言っても、茅野へは日常的に行き来しているのですが)。

収容780席を誇る、近年のミニシアターに慣れた人間からすると驚きの大ホールですが、2回公演の1回目で日曜日の朝10時開演と言う事で、観客は100人少々とこじんまりとした入り。多くは年配の方々ですが、如何にもな方もちらほらと…という形で上映スタート。

102分の上映時間の後に舞台に上がった、監督である山岡信貴さんのトークが30分ほど続きましたが、大変残念なことにトークの間もぱらぱらと席を立たれる方が続く状態に。12時には終わるだろうと踏んでいた方が多かったようなのでそのギャップからとも思われましたが、縄文文化の本拠地を自負するこの街の皆様とその上映内容のギャップもやはりあったようにも感じられます。

トークで述べられていたように監督は縄文遺跡や文化とは縁遠い、奈良県の出身。本作の制作も、何れ使えるだろうというスタンスによる折々のインタビュー蓄積の過程から映画化を視野に入れ始めたと述べられており、当初から本作を作るために取材を重ねてきたわけではない事を認めています。

13章に分けて、26人の「縄文」を自らのテーマとした人々の語りで、それこそあらゆる角度から「縄文」という認識を積み重ね確認していく、極めて真っ当な自己検証型のドキュメンタリー。そこには、縄文ブームに乗るかのようなカラフルなポスターや紹介されるコメントとは全く異なる、彷徨いながら帰着点を探す、制作者が自らに課したテーマを辿るロードムービーが描かれていきます。

自らの考え方、縄文への想いをそれこそ滔々と語り続ける登場人物達と対極をなす、水曜日のカンパネラ、コムアイさんの高いキーで甘く乾いたナレーションに乗せて響く、デジタルな傍観者としての醒めた視線。まるで縄文をテーマにしたドキュメント72時間を観ている気分にさせられる時間が過ぎていきます。次々と登場する方々が語る内容に、「縄文の」文化や考古学、「縄文」をモチーフとしたテーマにご興味を持たれている方であれば、余り疑問を持たれないかもしれませんが、その範疇の外にある制作者の視点は、熱っぽく語る彼らの話を積み重ねてもなお、疑問を抱えたままに進んでいきます。その疑問は縄文文化の核心とも称されるこの地に住む私にとっても依然として溶けないもの。解のない問題を解き続け、答える事のない世界に対して向けられる、如何にも解でありそうな事を事実であるとして語り、時に学問として述べ続ける事に対する素朴な疑問。

制作者の視点は上映後のトークそのままに、ラストカットに添えられた映像で表現されるように、作品中で常によろよろと揺れ動き続けているようにも見えますが、終盤に向けて徐々にピッチを伸ばしながら、キャッチーなフレーズのナレーションを減らしながら探し続けた着地点は映像作家らしい、言葉では届かないものとしての、自らが縄文からインスパイアされた現代を映し出す映像詩。

その結論に対してはご覧になられた方によって色々な意見があるかと思いますが、辿り着いた事を示す際に添えられた「言葉では届かない」というイメージとは真逆の、登場されてきた方々が雄弁に述べる言葉の数々を聞き続けてきた中でふと思った事。

縄文に魅せられ、縄文をテーマにされる方々が語るほどに「言葉では届かない」その先に、私にしか見えない、私だけの自分を映し出しているのだという感触。その中の一つとしての、制作者が縄文というテーマの向こうに、映像作家としての自らの世界を映しだすまでのアプローチを綴った作品だと思えてきました。

一万年の過去から未来まで、私だけの思いを私の形で映し出せる、時の向こうにあるもう一つの世界の入口へ。

 

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映画「この世界の片隅に」(2016.11.20)

映画「この世界の片隅に」(2016.11.20)

New!(2018.7.26) :

もう一つの片隅の物語がいよいよスクリーンに『この世界の(さらにいくつのも)片隅に』12月公開予定です。

 

New!(2017.2.3) : 公開からまもなく3ヶ月を迎える2月3日、これまでの観客動員130万人到達を記念して、新たに収録されたすずさんのナレーションによる、感謝を込めた「“すずさんのありがとう”動画』の公開が始まりました。どうぞご覧下さい。そして、宜しければ映画館に足を運んでくださると嬉しいです。

New!(2016.11.23) : 11/12から公開が始まったこの映画、次のプロジェクトとして海外展開が発表されていますが、作品紹介の為に監督を海外に送り出すためのクラウドファンディングが開始されました。

作品にご興味があり、趣旨にご賛同の方は、是非ご一読を(この文章を書いている時点0:10)で既に達成率80%を越えそうな物凄い勢いです)。

 

<本文此処から>

晩秋にしては妙に暖かい、土曜夜の立川。

何か、ぼーっとしたまま駅に向けて足を進める私の頭の中は、まだぐるぐるとこの2時間で起こった出来事が廻り続けている。そして、この文章を書いている今も、廻り続ける旋律は止まらない。

あれは何だったんだろうか、と。

まだぐるぐる回っている、自分自身の呟き。

制作支援メンバーとして、本ページのサイドバーに宣伝を載せている割には恥ずかしながら、クラウドファンディングに参加した際も原作の内容を知らず(上映見るまで原作も読まず)、監督に至っては、その作品性とは正反対の世界で著名かつ、世界名作劇場のファンとしては複雑な想いを抱いていた方だったので、かなりの躊躇があったのは間違いありません。

唯、なかなか世に出にくい、誰でもが観る事が出来る作品がアニメーション作品として世に出るために必要な、ほんの僅かな後押しをしたかっただけだったように思います。

でも、作品を観た今なら言えます、ほんの僅かでもその輪に繋がる事が出来て良かったと。

この世界の片隅に、クラウドファンディングお礼品クラウドファンディング参加者(制作支援メンバーズ)に送られたすずさんからの手紙と、メンバーズミーティング資料(残念ながら、遠方ゆえに参加できず。今回はあずさに乗って日帰りで)。

作品の内容は、あらゆる場所で述べられているかと思いますので、改めてこのページで述べる事はやぶさかかと思います。

こちらに掲載されている紹介記事を参考例として挙げておきます(他にもたくさんありますね)。

議論になっている部分や、セリフが入れ替えられた部分には、確かに映画を見ている際にも少し唐突感がありましたが(やはり原作未読でも判るところは判るのですね)、そこは、全体のストーリーとして監督が描こうとしているスタンスに則ったまでの事。

この世界の片隅に絵コンテ本とパンフレットある一人の女性が、色々な人と巡り合いながらも少女から大人の女になっていく物語は、営々と続けられる朝の連続テレビ小説そのものだと思います。ただ、一つだけ違う事、それはアニメーションとして、そして絵の中という本来虚構の世界ゆえに、更に現実に繋ぎこむために史実として、いえ、その時代を生きた方がいらっしゃる最後のタイミングで捉えられた事実を描き込みながら、物語の主人公であるすずさんが暮らしていた世界を築き上げた点。優しいBGMと温かみのある絵柄を用いて、観客を史実と物語の狭間に自然に誘ってくれる点に、最大の魅力を感じています。

細やかな人物描写、戦中に向けて厳しさを増し、少しずつ変わっていく日常を実に丹念に描く(それでも尺を詰めたと明確に判る部分があるのは、制作上やむを得なかったようです)その演出には、この世界にそのまま浸ってしまいたいと思わせる包容力を秘めています。少しおっとりしたキャラクターのすずさんのしぐさが起こす、時にくすっと笑わせるエッセンスを織り込む事も忘れていません。徐々に生活に慣れて、少し楽しみながらも、乏しくなり続ける資材や食料を色々と工面して乗り越えていこうと知恵を働かせ、近所の人々と協力して暮らしていく、すずさんや登場者達のコミカルな作劇には、大きな流れとは別に、そのような穏やかな時が、戦中、しかも軍都、呉を舞台にした人々の暮らしの中にもあった事を呼び起こしてくれます。

戦時下の薄暗い照明の室内や、日差しをいっぱいに浴びてスクリーンが客席を照らし出すほどに明るく描かれる夏の日。穏やかな瀬戸内海、軍艦が浮かぶ呉の海を遠望する山並みの美しい景色など、緩やかに移り変わる物語の世界にどっぷりと浸り込んでいると、突如、音響(特に鑑賞した立川のシネマシティは特別に音響調整がされていたようで、単なる迫力とは違う、むしろBGMに合わせた、ちょっとウエットで柔らかい音響)と監督がもう一つ得意とする真実味のある演出で、いきなり現実の世界に引き戻されます。場内を閃光で包む光と、その後に遅れてやって来る振動、激しい爆音、轟音、そして立ち昇る雲。本作品のもう一つの魅力であり、トラウマにもなりかねない、事実を突きつける厳しい場面が後半になると繰り返し押し寄せ、主人公のすずさんでさえその現実から逆らうことを許されません。女性原作者らしいといえば失礼でしょうか、自らに現実を突きつける事に対して妥協を許さない、それを乗り越えてもなお、日々が続いていくという事を自覚させようとする作品のテーマと、それをアニメーションならではの演出手法で表現しようとする演出、監督(ご夫婦です)。その厳しさに、館内のあちこちから、すすり泣く音すら聞こえてくるほどでした。

それでも、突き放す様な最後ではなく、その先に繋がる想いを示してくれるラストシーン、そしてエンディング(監督のオリジナルだそうです)へと繋がる物語には希望の色が色濃く描かれていきます。絶望する時も、悲しむ時もある。その原因が自らにある時、やりようのない想いを抱き、もう終わってしまいたくなる事もある。そんな時、自分の横に支えてくれる人がいて、周りのみんなが気に掛けてくれている事に気付いた時、まだ生き続けられると思える。繋がりを持てることは、他の人に対してもその優しさを分け与えてあげる事が出来る。

この作品を見て、もう遅いかもしれないけれど、そんなふうに、強く、しなやかに生きてみたい、そんな想いがしてくるのです。

この世界の片隅に、パンフレットのクラウドファンディング参加者リストパンフレットの最後に掲載された、製作委員会のリストとクラウドファンディングに参加された皆さんの名前リスト(エンドロールでも流れます)。

制作が実現した最大のキーとなった出資社さんのライバル新聞社の記者さんがこぞって公開前、更には公開後にも好評価を与える記事を書いているて事(普段は、お互いを貶しあうような某社さんでさえ)に、エンドロールの製作体制を観て改めて驚いたと同時に、この作品なら誰にでも観て欲しいと思わせる、素直に推せると思わせる魅力がある事は間違いありません。

決してドラマチックでも、アクションや華やかな恋愛模様もない地味な作品です(そのような意味で、往年の世界名作劇場のトーンも感じさせます)が、所謂新聞購読層と見做させる高齢者向きのノスタルジーな作品という訳ではありません。

一部の紹介で高年齢者が多く…と書かれていますが、実際に観に行った、土曜の夜に上映された満席の立川ではむしろ、お子さんを連れた家族、カップル、そして上演直前に続々と入ってくる女性の皆さんが目立つという逆のシチュエーション。

観て楽しいという作品ではありませんが、観て良かったときっと思わせる、前を向きたくなる、そんな世界がスクリーンと劇場に広がる作品でした。

そして、その世界の片隅にほんの僅かばかりでも繋がる事が出来た事に、素直に喜んでいます。

映画「この世界の片隅に」