今月の読本「アカネヒメ物語」(村山早紀 徳間文庫)諦めかけた心に響く「ことば」へ込めた想いは今も

今月の読本「アカネヒメ物語」(村山早紀 徳間文庫)諦めかけた心に響く「ことば」へ込めた想いは今も

夜の帳が早くなり、ぐっと冷え込んできた年末。

自宅でほっこりとする時間が長くなるこのシーズン、そんな人たちへ向けて各出版社さんからは続々と新刊が本屋さんに送り出されています。

魅力的な新刊がずらりと並ぶ書棚から手に取った、今年の本屋大賞で最終選考にノミネートされた「桜風堂ものがたり」(PHP研究所)の著者、村山早紀さんが15年以上前に連作されていた作品を文庫として収蔵した一冊をご紹介します。

今月の読本「アカネヒメ物語」(村山早紀 徳間文庫)のご紹介です。

著者の村山早紀さんは、wiki等でご覧頂ければ判りますように、児童文学からキャリアをスタートされた方。本屋大賞への入選で、その名前や作品が多く紹介されるようになりましたが、一般向けの作品群の中で最も良く知られているであろう「コンビニたそがれ堂」(ポプラ社)シリーズ以前は、児童文学に主軸を置かれて執筆活動をされていました(コンビニたそがれ堂も、著名なアニメーター、名倉靖博さん装丁による初版は児童向けです)。

今回文庫に収蔵された作品も、原著は岩崎書店から児童文学のシリーズとして刊行されたもので、初回の刊行は2001年と今から16年前。その後も刊行を続けて2005年に完結したシリーズに、今回新たなエピソードを追加して一冊に収めたものです。

著者が児童文学者として最も充実していたとあとがきで述べている時代の作品。各版元さんも積極的に推される、所謂「癒し系」と評される現在の著者の作品群から入った方(私も)にはちょっと異色に感じられる作品かもしれません。

比較的ハードな作品も多い徳間文庫としては異例ともいえる、児童文学特有の綴りで主人公である「はるひ」の一人称で語られる冒頭。この手の文体が苦手な方には、字面を追っているだけでこそばゆくなってしまうかもしれませんが、そこは暫し堪えて読み進めて頂きたいところです(章を追うごとに徐々に大人びた口語体に変わっていくのは、著者の意図なのか、その後の執筆活動の影響なのかは判りかねますが、途中に挿入された描き下ろしのエピソードは、ちょっと「おとな」ですね)。

小学校4年生に上がる春に風早の街に引っ越してきた主人公である「はるひ」と、その街にある公園の桜に宿る小さな神様である「アカネヒメ」との出会いから始まる物語は、神様と人外の者たちが見える少女の交流から物語を拓いていくという、児童文学らしい、著者が得意とするファンタジー色が一際に強い作品ですが、暫く読んでいくとある点に気が付くはずです。

著者が描く物語の世界に共通の旋律。それは児童文学がベースであっても、大人の読者に向けた作品であっても不変であるという事。

一見すると可愛らしいファンタジーに見える作品ですが、綴られる全ての物語には共通したテーマが見えてきます。それは、著者の多くの作品で見られる「魔法」であったり、「特別な能力」や、たとえ神様の「奇跡」であっても、その力自身が全てを解決してくれることは決してなく、あくまでも物語の駆動力、ストーリーに添えられる「シーン」に過ぎません。更には、その力は、主人公を始め登場する人々が抱える、「諦め」や「滞った想い」を辿り、向き合った先に初めて導き出され、描き出される点でしょうか。

想いを抱え続けるのは主人公である「はるひ」や家族、登場する人々(登場人物たちのバックボーンは、他の作品をお読みの方であれば、おやっと思われるでしょうか)、神様である「アカネヒメ」も例外ではありません。そして、著者が物語に添える魔法や登場する「人々」は、その想いを解き放つためのエッセンスとして描かれますが、著者が描きたいと願っているのは、その前段階、想いに応えてあげる「ことば」で伝える事への、飽くなき希求のように思えます。

ちょっとした寂しさと好奇心の先に出逢った、「アカネヒメ」に諭されて物語の輪を動かし始める「はるひ」。道端でチョークで絵を描くパフォーマンスを続けながら絵描きへの夢を追う「青空」さんと、友達とけんかをしてしまった「はるひ」は、お互い同士の抱えている思いを分かち合う事で、物語全体を覆う想いが動き始める。小さな神様である「アカメヒメ」の本当の寂しさを知った「はるひ」は、偶然の力を借りて、その想いに応えようと動き出す。

二人から始まった物語は、風早の街に暮らす人々をも巻き込みながら、お互いに伝えられない想いを「ことば」へと変えていきます。若かりし頃に取り残された演出家と女優のすれ違う想い、それを十字架のように背負い続ける娘は、残された想いの力を背に受けて、前へと歩き出す。そして再び、「アカネヒメ」と「はるひ」はお互いの想いを「ことば」に込めて。

第二節「夢見る木馬」で著者は夢が破れそうになった登場人物に、こんな風に語らせます。

<引用ここから>

「世界にはきれいなものがたくさんある。それを、その美しさに気づかない人たちに教えてあげていたら、いつかみんな、世界には壊してはいけないものがたくさんあるんだって、気づかないだろうか?

<引用ここまで>

語りかける事で心が開き、秘めた想いが紡ぎ出され、言葉へと昇華する時、詩編を伴いながら、物語は終わりの時を告げていきます。「ことば」に込めたふたりの想いは、時を越えて、また。

その後に生み出された著者の多くの作品に共通するメッセージとストーリーエッセンスがそっと包み込まれた小さな作品たち。児童文学時代からの著者のファンの方であれば、懐かしさを込めて、一般書から入られた方であれば、その作品の魅力を辿る一ページとして、寒い夜をほんの少し温めてくれるものがたりの中へ。

 

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今月の読本「桜風堂ものがたり」(村山早紀 PHP研究所)本と書店員さんが織りなす6つの物語が編み上がる時、一冊の本へ想いは結ばれる

今月の読本「桜風堂ものがたり」(村山早紀 PHP研究所)本と書店員さんが織りなす6つの物語が編み上がる時、一冊の本へ想いは結ばれる

New!(2017.4.15) :

New!(2017.1.18) : ご紹介しております村山早紀さんの小説「桜風堂ものがたり」が、本年度の本屋大賞、最終ノミネートの10冊に選ばれました。

本屋さんの日常を応援したいと願って描かれた作品が、多くの書店員さんの心を動かしたようです。今度は本屋さんの事を愛してやまない、より多くの皆様に、本作品をご覧頂ける事を願っております。

 

 

夏過ぎに発売の噂を聞き、秋には本屋さんに並んだとの話を聞いていたのですが、この僻地では本屋さんを転々と巡っても手に取る事が出来ず。

テーマ故、いや本を買う時の矜持として、なるべく一度は目を通してから手にしたい、どんな想いでこの本を書かれているのか、エッセンスだけでも読み取って、チラ見でもいいから中身を見てから買いたいという想いには勝てず、いたずらに時だけがどんどん過ぎ去ってしまいました。

制作支援メンバーズとして応援していた、映画「この世界の片隅に」の完成を見届けるために、久しぶりに地上に降りた(八ヶ岳南麓から東京に向かうと、正に天空から地上に降りる心地)際に、漸く立川のオリオン書房(ノルテ店さん)で出会う事が出来ました。既に第3版まで進んでいた事に少々驚きながらも、面陳だったことにちょっと喜びながら手にした一冊。じっくり読ませて頂きました。

桜風堂ものがたり今月の読本、「桜風堂ものがたり」(村山早紀 PHP研究所)です。

常々、本屋さんや書店員さんへの想いをSNS等で発信されている著者。これまでも作品の中でその思いの片りんを描いていましたが、遂に本屋さんを舞台とした長編小説としての一冊に結実したようです。

長編小説と書きましたが、その様相はちょっと異なるようです。どちらかというと短編作品が多い著者ならではなのでしょうか、主人公である書店員の若者の物語と登場人物毎に組まれたエピソードが、章ごとに折り重ね、編み込まれるように綴られていきます。一つ一つがサイドストーリー的な体裁を持つ、本と本屋さんを巡る6つの物語。主人公が勤めていた街中の百貨店に構える古参の書店とその同僚が描かれる3つのストーリーと、主人公が向かう先となる、山里の小さな書店とそこに集う人々の物語。そして、物語の背景と軸となる、主人公に繋がる二人の人物の物語が織り込まれていきます。表向きには幼げで少しメルヘンチックなストーリーや、著者にしては珍しく男性同士のやり取りがメインとなるストーリーも出てきますが、それぞれの物語は、著者特有の旋律を奏でていきます。

諦念とその思いを禊ぐ、贖罪の物語。

物語は結末においても解放されず、その余韻を残したまま、次のステージへと向かうようなそぶりを見せています(これは、著者が何時も述べるように、続編への伏線を残すことを意図しているようです)。ある往年の名脚本家が久しく忘れられたころに刊行する、一冊の本への想いに編み上げられるそれぞれの物語。その発端となる主人公とその本との巡り合い、繋がりの起点がやや弱いかなとも思わせますが、どうやら本編において、主人公である青年の物語は、それぞれの登場人物によって語られる物語のキーシチュエーションとして、または橋渡し役、プラットフォームに徹しているとも思えてきます。

そして、物語を動かしていく駆動力、トリガーとしては、著者が日ごろお世話になり、憧れ、時として戦場とまで述べる「本屋さん、書店員さん」の舞台裏がふんだんに描かれています。実際に本屋さんにインタビューして描かれたその側面、書架やPOPへの入れ込みや日常的な仕事ぶりの描写はかなり力が入っており、非常に興味深い一方、例えば名物書店員さんとして…と言われても、はてと首を捻ってしまう、内輪話的に見えてしまう時があるのも事実です(文芸誌とかに疎いせいですかね)。

全編に流れる書店員さんへの熱い思いと、本と本屋さんへの危機感を滲ませながら、厳しい中でもそこを愛し、生活の場とする登場人物たちが一冊の本に結び付く時、物語は終点に向かって力強く動き出していきます。それぞれのパートに分かれたストーリーが一つの物語に収れんするとき。それぞれが抱き続けた諦念は決して解放されることも、赦しを受けることもないかもしれません。特に主人公は舞台すら新たなステージが与えられますが(SNSとブログという極めて薄い繋がり合いから描き起こす点は、正にファンタジーでしょうか)、背景に色濃く描きこまれた彼自身の物語は、そのまま著者の創作が集う場所、風早の街に、ほかの紡ぎかけた物語と一緒に留め置かれているようです。

貴方は決してちっぽけな存在ではない。貴方の想いに直接応えてあげる事は出来なくても、貴方の想いをあなたの側で分かち合ってあげる事が出来なくても、たとえ僅かで、か細い繋がりであっても、その先には貴方の事をこんなに想っている人たちがいるんだよと、伝えながら。

融けない余韻を残しながらも、みんなの想いを乗せた本が送り出されるフィナーレーの舞台を、それぞれの見せ方、アプローチで飾った登場人物たちは、次の物語へステップを踏んでいく。更に厳しくなる環境の中でも、本と本屋さんと書店員さんの日々は再び巡り続ける。

本と、本屋さんと、書店員さんがそこにいる限り続いていく物語に描かれたエピソードと煌めき、僅かばかりの奇跡を一冊の本として昇華した本書が、これからも、その「本屋さん」が育み続ける物語の一ページであることを願って。

<おまけ>

本ページでご紹介している、村山早紀さんの著作を。

今月の読本「かなりや荘浪漫 星をめざす翼」(村山早紀 集英社オレンジ文庫)その苛まれた想いを遂げる道筋で

今月の読本「かなりや荘浪漫 星をめざす翼」(村山早紀 集英社オレンジ文庫)その苛まれた想いを遂げる道筋で

クリスマスを越えて、周囲はすっかり年の瀬モードの週末。

少し華やかな雰囲気が漂う世間様とは裏腹に、風邪をこじらせ、頭痛に悩まされ、鼻水を垂らしながら布団を被り続ける状態に嫌気が差してくると、どうしても本に逃げ出したくなる。

布団を抜け出し、暗がりの中でストーブを抱えてがっつりと歴史関係の書籍などを読んでいたら、頭痛が倍増してきたので、鎮痛剤飲みつつ、少し気休めにと積読状態にしてあった一冊に手を伸ばしてみます。

かなりや荘浪漫 星をめざす翼新ジャンルノベル系の集英社オレンジ文庫に書き下ろされた、村山早紀さんの新作「かなりや荘浪漫 星をめざす翼」です。

本作は昨年春に刊行された、「かなりや荘浪漫 廃園の鳥たち」の続編となる一冊。著者のあとがき通り、一年を経ずして続編が登場しました。そして、本作のあとがきにもありますように、更にもう一冊の続編が予定されています。

かなりや荘に集う登場人物たちの紹介と、主人公となる茜音が、かなりや荘の一員となるまでを綴ったアプローチとしての一作目に続く、茜音とその周囲に集う人たちの物語を、主人公の茜音から少し離れて、親友であるモデルのユリカ、敏腕編集者の美月とその周囲の人物から描いてきます。

前作で語りきれていない登場人物がいる中、本作では更に登場人物が増えていくのですが、彼らの登場する舞台はこれまでの作品と少し様相を変えてきています。著者の作品で用いられる一貫した舞台である、かなりや荘がある風早の街をベースとしながらも、本作ではその舞台構成から少し離れて、出版社の会議室や、飲み屋のカウンター、そして神楽坂の小さな本屋さんと(エピローグではK王プラザホテルと思われる場所も)、更にコンパクトな舞台を用意しての、近接感のあるセリフのやり取りが前作以上に際立ってきます。

その中で、著者の作品に特有の、全ての登場人物がそれぞれに相手を想う心と、その想いの強さ故に逆に苛まれる自身との折り合い(邂逅)を求めていく物語が本作でも語られていきます。独白が続く、側に居てくれる人への溢れる想いと、それに応えられない、その事自体に委縮してしまい本心を明かす事の出来ない登場人物達。エピローグとして掲載された(3部作となったので、スペース的に余裕が出来たからでしょうか)茜音の母であるましろのストーリーは、ほぼ全編を通して彼女のそのような想いを独白で綴っていきます。許せない自分と、温かく許してくれて居場所を与えてくれる、かけがえのない人々と、それに対して冷淡と嘲笑を以て迎える人々。その狭間で苛まれながらも、生への眩しさを見せてくれる、何時も自分の側に居てくれる、もう一つのかけがえのない存在への想い。

しかしながら、これまでの作品と読み比べてみると、少し明るさも感じさせる本作。茜音を始めとする本編の登場人物、そしてましろのストーリーにしても、その旋律の過程と未来は決して明るものではないのですが、何処か未来を感じさせる、その先にある明るさを滲ませる筆致で描かれている点が、諦念だったり切迫感の中からストーリーを立ち上げて来た、これまで読んできた著者の作風と少し違ってきているように思えてなりません(私自身が、その間に著者が良く描く、逃げ遂せない「死」を目前にしたことも影響しているかもしれません)。

更には著者自身の独白でしょうか、編集者である美月の言葉を借りて、昨今の出版不況厳しさの中で本を送り出す人々に対する想いと、それを受け取ってくれる読者に向けたメッセージが織り込まれていきます。デジタルガジェットやSNSを好む著者らしい表現で、こう語っていきます。

「自分の好きな作品を買い求め、支持していく事で、作品を応援することができる。これは「魔法」なのかも知れない。ささやかで、でもたしかに、自分の望む、良い方へと世界を変えてゆく魔法」

その隣にいる大切な人を想うように、その想いに応えられない事を悩むより、僅かでもその想いが自分に向けられている事を心底感謝し、励みにし、そして再び前を向いて歩いていけるように。

その「想い」という小さな魔法は、あなたの側には居なくても、あなたには見えなくても、何処かであなたを励まし続けているのだから。

本作も続編が予定されているため、彼らの想いがどのように昇華されていくのか未だ不透明ですが(著者の作品の場合、続編が途絶える場合もあるので、全てが語り尽くされる事が無い場合もあります)、あとがきによれば著者の中では既にそのストーリーが着々と育ちつつあるようです。

P1060268八ヶ岳颪が吹き付ける、雪雲が晴れつつも雪が舞う真冬の陽だまりの午後に読んでいたその本の先に、登場人物達と共にゆっくりと育ちゆく新たなストーリーが、春の陽だまりのように暖かく、そしてしっかりと前を見据えた物語として、再び読者の前に現れてくれることを願いつつ。

kanariyasou_romanこれまで読ませて頂いた文庫本達と、ちょっとお遊びで…。

 

今月の読本(番外編)「かなりや荘浪漫」(村山早紀 集英社オレンジ文庫)新ジャンル文庫が送る一作目は、小劇場の舞台を観るような、想いが赦しへと昇華するストーリーのプロローグを

今月の読本(番外編)「かなりや荘浪漫」(村山早紀 集英社オレンジ文庫)新ジャンル文庫が送る一作目は、小劇場の舞台を観るような、想いが赦しへと昇華するストーリーのプロローグを

New!(2015.10.31):あとがきで著者より予告が出ていましたが、本書の続編「かなりや荘浪漫 星めざす翼」が11/20に刊行されることになりました。本ページが番外編とありますように、イントロダクション的であった本作。2巻目では徐々にストーリーの中核に進んでいくようです。

 

かなりや荘浪漫 星をめざす翼

2巻目「かなりや荘浪漫 星をめざす翼」のご紹介は、こちらから。

 

<本編此処から>

これまでも各社から複数のシリーズが登場していた、新刊としての文芸作品の文庫シリーズ。

これまでであれば、ライトノベルかファンタジーノベルとして扱われていたであろう、これらの作品群が、昨年の新潮社による大々的な参入を受けて、いよいよボーダレスになって来たようです。

そんな新ジャンル文庫に今回参入したのが集英社。新潮社が男性読者寄りでライトノベルタッチのラインナップを揃えてきた事に対抗したのでしょうか、女性読者寄りのファンタジーノベル基調のラインナップを投入するようです。

初回配本となった今回のラインナップのうち、こちらのページでもご紹介したことのある村山早紀さんの新刊をご紹介します。

かなりや荘浪漫かなりや荘浪漫」(村山早紀 集英社オレンジ文庫」です。

著者があとがきで述べているように、本書はシリーズ化を前提とした1巻目としての体裁をとっているようです。そのため、ストーリー的には主人公である茜音の物語の導入部分が語られるに過ぎません(そのような意味で、番外編です)。

著者の多くの作品が舞台とする風早の街。

本作品も、風早の街にある洋館を改装したアパート「かなりや荘」に集う、心にいくばくかの想いを抱えて暮らす人々の物語が綴られます(今後もそのはず、です)。今回のお話では、著者特有のゆっくりとした導入部で語られる、独白としての茜音の物語や風早の街に巡らされた伏線はあまり使われませんが、次回作以降で徐々に明らかにされていく事でしょう。

そして、ストーリーは明らかに以前の作品である「竜宮ホテル」のテイストを反映したもの。ファンタジーノベル系の読者層に合わせて、少し主人公たちの年齢層を下げて親しみやすさを与えてはいますが、描こうとしている方向性はほぼ同じ。

風早の街を舞台に、其処に居る事に疑問を抱えた登場人物たちの傷ついた想いと、願いと祈りが赦しへと昇華していく物語。

そんな姉妹のような両作品ですが、読んでいくと少し違った見え方もしてきます。舞台がアパートという事もあるのでしょうか、これまでの著者の作品より少し登場人物たちへの距離感が縮まっているような感じをうけます。竜宮ホテルがすこし大きな舞台かスクリーンに映し出される映画の演技を見ている感じがするのに対して、本作ではアパートのダイニングに、そして茜音がこの後に暮らすことになる部屋に入れ替わりで登場する人物たちの息遣いが感じられる、小劇場の舞台で演じられる群像劇を観ているような感触を受けます(本当は感触も息遣いも感じない筈の登場人物も)。これは後半に向かってテンポを上げていく著者の筆致に委ねられる点が大きいかと思いますが、読んでいて親近感が湧いてくる、嬉しい変化かもしれません。

そして、竜宮ホテルとは大きく異なる点。それは、竜宮ホテルが著者と同じ「文章(本)」を以てストーリーが開かれていくのに対して、本作では著者の憧れでもある「絵(漫画)」でストーリーを紡いでいく物語である点でしょうか。そこに重ねる想いは、著者の作品を通して語られる「時を越えて、想いを未来へ届ける事」。

本作の今後の展開は、作品の骨子としては出来上がっているようですが、著者のあとがきのようにまだ未確定のままのようです。著者の想いが、新しい文庫シリーズを支える作品として続いていく事を願いながら。

<おまけ>

本ページでご紹介している村山早紀さんの作品を。

今月の読本「魔法の夜 竜宮ホテル」(村山早紀 徳間文庫)今度は私が伝えてあげる

今月の読本「魔法の夜 竜宮ホテル」(村山早紀 徳間文庫)今度は私が伝えてあげる

New!(2016.2.15):竜宮ホテルシーズの最新刊「竜宮ホテル 水仙の夢」が刊行さました。

こちらにちょこっと紹介も書いています。

 

<本文此処から>

年末から続けていた村山早紀さんの著作シリーズも最後の一冊。

先に纏めのページを上げてしまいましたが、単巻としての感想も残しておこうかなと。

2011年に刊行された「竜宮ホテル」の続編。実際には2013年に徳間文庫に再収蔵された同作の続編として刊行された「魔法の夜 竜宮ホテル」のご紹介です。

竜宮ホテルシリーズ2冊本作は、クリスマスに関わる短編二編とエピローグが収められていて、一応、各編ごとに楽しむこともできるようになっていますが、やはりここは前作「竜宮ホテル」を読まれた後でご覧いただければと思います。

前作は、著者のシリーズ作品ではお馴染みの「風早の街」に建つ、竜宮ホテルの住人の一人となった主人公で小説家の響呼が、ホテルに住む不思議な住人との触れ合いを通して、自分自身の存在を見出していくお話となっています。

2013年の再収蔵時に追加された短編では、すっかり竜宮ホテルの住人の一人として馴染んでいる響呼と同居する、彼女を慕う妖怪の少女、ひなぎくの物語がモノローグとして語られていきますが、本作はこの追加短編を受ける形で、クリスマスシーズンをテーマにした物語が綴られています。本作でも、ひなぎく、そして響呼のモノローグが交差しながら物語は進んでいきます。

今回のゲストは元サーカスのピエロにして魔術師の佐伯老人と、ホテルのコーヒーハウスのアルバイトでもあり、ストリートミュージシャンでもある愛理ですが、二人に心を寄せる新しい登場人物や、響呼を竜宮ホテルに住むように誘った張本人でもある寅彦のお話も出てきます。

前作では、自分自身の居場所に不安を持ちながら、他人と接することが少なかった響呼ですが、本作ではまだまだ頼りないところを見せながらも、ひなぎくやゲストたちを見守る側の立場としての役割も演じていきます。

自分の能力に懐疑的て、自らを否定するように、自分の能力も否定してきた響呼が、自ら進んでその能力を発揮しようと動き出します。その目的は、自分の為ではなく、自分を必要としてくれる、自分を想ってくれる大切な人の為に。

本作はファンタジーなので、想ってくれている人が「人」であるとは限りませんが、それでも寄り添い、支え合う人がいることの大切さに改めて光を当てていきます。

そうしていくことで、響呼自身だけではなく、物語に登場してくるゲストたちの想いも少しずつ解き放たれていきます(登場人物の背景などに、同時期に書き下ろされた「ルリユール」の影響も見られますよね)。

逃げないこと、一瞬を大事にすること、時には演じ続けることで誰かの想いに応えること、それでも伝えたい気持ちを伝える事。

まだ、本当の意味で自らを解き放てたわけではない響呼を更に促すように、ちょっと厳しめな著者はこう語らせます

「知らないこと、気付かないことも罪だから」

響呼がもつもう一つの力「本を書く」は著者のものでもあります。物語のエピローグで、その想いをこう述べていきます(長文引用すみません)

—引用ここから—

人間は、魔法を使えないかもしれない。けれどきっと、ささやかな願いや、美しい祈りを未来に伝えて行くことは出来る。

遠い時の果てで、私たちの祈りは、未来の誰かを寒さから救い、その涙を乾かし、ふたたび微笑みを取り戻すための力になれるのかも知れない。

言葉は、傷を覆う薬になり、凍える体をふんわりと包む、優しい羽毛になるのかも知れない。

わたしの残したささやかな物語を、遠い未来の荒廃した日本で、日比木くんが喜び、その心の支えにしたように。

(言葉は、宇宙に残る・・・・・・)

だからわたしたちは祈る。そっと空に、星に願い事を託すのだ。

空を見上げて。星が灯るように輝く、この地上から。

街—わたしたちが生きる、大切なこの場所から。

—引用ここまで—

クリスマスをテーマにした作品らしい、想いの伝え方ですが、一方で著者がシリーズとして書き続けている「風早の街」への想いの一端をもここで伝えてくれています。

大切な場所、大切な人と一緒に。

<おまけ>

村山早紀さんの著作とSNSと伝えたい想い(コンビニたそがれ堂からルリユール、竜宮ホテルへ)

村山早紀さんの著作とSNSと伝えたい想い(コンビニたそがれ堂からルリユール、竜宮ホテルへ)

New!2015.3.3:著者の代表作でもある「コンビニたそがれ堂」。これまでのシリーズ作品からの選りすぐりと、新たな描き下ろしを加えた愛蔵版がこの度刊行されることになったようです。既に著者の村山早紀さんがtwitterで書影の見本を公開されています。ご興味のある方はこちらもどうぞ。

 

<本文此処から>

ルリユールをきっかけに、年末から年始にかけて、昨年刊行された村山早紀さんの著作を連続して読み続けること三作品。

村山早紀さんの著作達子供の頃から本が大好きで、手元に読みかけの本が途絶える事など考えられないような生活を続けてきたのですが、物語や小説だけは殆ど読むことはなく(星新一だけ例外)、只々、活字によって、底なし沼な知的欲求の飢えを潤してきたような気がします。

そんな、偏執的活字中毒者にとって、児童文学は禁断の世界。本屋さんに山籠もりするのは大好きですが、児童書のコーナーだけは例外。popなカラーが溢れ、子供たちの歓声がこだまする暖かそうなその空間には、決して近寄ろうなどという事を考えもしなかったのです。

そんな児童文学の世界を舞台に活躍されていた村山早紀さんの著作が、たとえ一般書として刊行されたとしても、巡り合う事はまず無かった筈なのですが(書棚をぱっと眺めても、著者が女性の本は指折り数えられるほどなのですから尚更です)、SNSの意外な効用なのでしょうか、こうして何冊かの著作を手にすることになったのでした。

丁度、毛色違いの仕事を一人で取り仕切るという厭な関門にぶつかっていた時、SNSで流れている書評に多く見られるように、そして最初に手にした「コンビニたそがれ堂」の帯にあるように「心の疲れをほぐします」という言葉に惹かれたのかもしれません。

その一方で、最初に著者を知ったきっかけとなった某作品の設定協力に関するコメントで、「もう少し暗い話だった」と述べられていたのが、妙に気になったのです。

その作品は販促用として製作された物でしたが、1年間というロングスパンを活用して、一人の少女の成長を丁寧に描写していったことで、一部で非常に高い評価を受けたいました。そのベースとなっていたのが、製作陣の丁寧な作業による美しい映像と、時に厳しい視線すらを厭わない、ベテラン女性脚本家の方による、しっかりと道筋の通った構成であった事は皆さんの一致する意見かと思います(放映前後のSNSを通じた製作陣のトークや、制作側の熱意もあり、不可能とも思われたBD化の際に新作映像まで制作されたこともSNSによる波及効果の一例ですね)。

そんな、販促番組としては異例の高水準で組まれ、子供向け作品にしては少々厳しめの内容にも思われた構成に対して、更に暗い話であったとは、どのような意味を持つのであろうか、そもそもナイーブな子供を相手に読後の満足感を得させることを生業とする児童文学者だぞ…と、更なるギャップを抱えたまま、「コンビニたそがれ堂」を手に取ったのでした。

そんな気楽さ半分、ちょっと心配半分で読み始めて僅か数分、既に私の心は氷のように固まり、字面を追う目と思考は緊張感に苛まれ続けていました。その本の中で語られていく物語の背後に流れる旋律が余りにも暗く、沈没してしまうようにも感じられたからです。そう、登場人物たちの背景を徹底的に突き落としていくような、そんな設定に戦慄を覚えたのでした。

強くまっすぐ願うこと。誰かを気にかけ続ける事。誰かの想いに答え続ける事。想いを強く強く馳せ続ける事。そんな聖人とも思える登場人物たちの真っ直ぐな想いとは裏腹に、著者によって彼らに与えられるのは、それほどの強い想いすら簡単に叩き潰してしまう程の暗い影、心の闇。そして根底に流れ続ける死への視線、死者への想い。

多くの読者の方は「心が温められた」「安らぎが得られた」と感じられるようなのですが、私にとってはひたすら崖っぷちに立たされた思いが残る作品だったのです。

なんで、そこまで潔く生きることを選択できるの、そんな絶望の淵でも希望を口にできるの、と。

その世界観は、キリスト教の「罪と赦し」の説話に通じる事は直感的に判っていたのですが、登場人物たちの真っ直ぐな想いの裏返しとして、正面から向き合わされることになったのです。

珍しく買った小説、それも癒し系なんだろなと思って、へとへとに疲れた出張帰りの車内で少し潤いが欲しかった最中の、決して後味が良い読み終わりではなかった私を辛うじて救ってくれたのが、巻末の瀧晴巳さんによるちょっと長めの解説文だったのです。作中では見せない著者のもう一つの想い。

それ以来、再び著作を手に取る事もなく、相変わらず好きな実録と歴史書で知識と活字への欲求を満たし続けていた中で、再び著作に巡り合うことになります。

一般向け書籍では文庫本の形態が多い著者の作品では珍しく、新書版として上梓された「ルリユール」。美しい装丁と、本を修理する事をテーマに扱ったこともあり、本屋さんの店員の皆さんや、読書ファンの皆さんの中でもかなりの評判が上がっていた事を、再びSNSを通じて知る事となったのでした。

最初は手に取るつもりはなかったのです。多分、読むと絶望の淵に再び立たされるのだろうな、と。ただ「本を愛する人の想い」というフレーズに心惹かれて再び手元にやってくることになったのでした。

文庫でも小説を買う事はまれ、更に言えば新書版自体も多くは買わない身としては、美しい装丁の女性作家の小説など遠い世界の物語、の筈だったのです。ところが、ある方の書評に対してコメントを入れてリプライした後に、ふとTLを眺めると、著者である村山早紀さんからのFavoが入っていてびっくり。もはや読むしかないと腹をくくって本屋さんに探しに出たのでした。

SNSが取り持った、ささやかな繋がりの末に手元にやって来た「ルリユール」。読み始めてみれば「コンビニたそがれ堂」で感じた著者特有の世界観が、本を直す仕事という、作家である著者により近い舞台故に、更に濃密に織り込まれて展開されている事を知る事になります。そう、心温まる物語の裏側に流れる、暗く深い闇夜のような旋律も含めて。

でも、一つだけ違って見えた事があります。登場人物に仮託する形ではありますが、著者のもう一つの想いが、少しずつ述べられ始めている事に気が付くのです。

その想いを誰かに伝えたい。本という箱舟に載せて、未来へ船出させたい。物語の後半に進むにしたがって、そんな想いが随所に述べられていきます。

「ルリユール」を読んだ後に感じた変化を更に確認したくなって読み始めたのが、同年にリニューアルと追加のエピソードが加えられた「竜宮ホテル」シリーズ。

こちらの主人公はストレートに女性小説家。綴られてく内容には、もちろんファンタジーとしての脚色がふんだんに盛り込まれていますが、「ルリユール」より踏み込んだ形で、著者のもう一つの想いが語られていきます。

物語作りという裏方に徹する女性小説家。ファンタジーが得意で、でも自身のいきさつにより、そんな部分に拒絶反応すら示していた私。それまでは物語を描く立場であった私が、今度は私の物語を演じ始めることになります。

最初はぎこちなく始まった私の物語も、周りの多くの人たちの支えによって、少しずつ世界が広がっていきます。私の世界が広がると、知らないうちにみんなの世界に私が繋がっている事を知っていきます。みんなの世界にとって、私がかけがいのない存在であった事を言葉を通して知って行く事になります。独りで生きいるんじゃない。みんなが居てくれるから、私は此処にいられる。

まだ、心の奥底には許せない自分が潜んでいるのかもしれません。それでも著者は登場人物たちに演じ続けさせます。その想いが誰も知らないものになってしまわないように、誰かの想いも失われないように、誰かに伝わるように…。

「私は誰かの言葉を聞くようにしよう、誰かの姿を見ているようにしよう」

今度は私が誰かの想いを支えてあげる。僅かだけど私の力「本を書く事」「未来に伝える事」を通して、今度は私があなたに伝えてあげたい。まだ見ぬ未来のあなたに伝えてあげたい。

「あなたは、この世界に生きていてもいいよ」

と。

本と、SNSは媒体は違えど「文章」を伝え合うツール。文章に込められた想いが、誰かの心に届くと信じ続けられれば、きっとあなたの想いも通じるはず。そんな妄想めいたことを考えながら3作品目の「魔法の夜 竜宮ホテル」のページを閉じたのでした。

<おまけ>

  • 村山早紀さんの著作の根底にある想いを考えた時に、どうしても思い出してしまうのが、古い作品で申し訳ないのですが「灰羽連盟」という安倍吉俊さんの同人誌を元にしたアニメーション作品。製作されてから10年以上が経過していますが、今でもカルトな人気を得ている作品となっています。物語の底流に流れている暗く、深い死の旋律と、物語の随所に現れるキリスト教的価値観からの援用だけでも充分相似性を感じさせるものですが、登場人物達が背負わされている背景や、主人公のお姉さん的立場で描かれる人物の振る舞いまで、村山早紀さんの著作に登場する人物たちと相通じるイメージがあります
  • 最近の作品で、同じようなシチュエーションを丁寧に描いてるのは「人類は衰退しました」における私と友人Yの物語でしょうか。主人公である「わたし」に独白させる「本当は一人ぼっちでいるのは寂しい、本当は仲間と和気藹々うまくやりたい、本当は…本当は、笑われたり馬鹿にされたりすることは死ぬほど辛い…」そして、独白の後に続く「独りは嫌です…ああ、言葉にしてしまった、言語化してしまった、そんなことをしたら、どんな強がりも腐ってしまうのに…」言葉を操る作家と呼ばれる方々の言葉に対する強い想いと、言葉にしない事がどれだけ心を頑なにしてしまう事になるのかを思わせる台詞でした
  • 「コンビニたそがれ堂」紹介のページでも書いていますが、キリスト教説話的だと思わせる例として、こちらは非常に古い作品となってしまいますが「雪のたらか」という童話があります。1970年代から90年代にかけて制作された日本アニメーションの「世界名作劇場」の第9作品目(アルプス物語・わたしのアンネット。現在ドラえもんの総監督を務める楠葉宏三さんの初監督作品)にもなったお話ですが、読むのが辛くなるほどの登場人物たちは徹底的に苛まれていきます。そして、ペギンじいさんとルシエンの邂逅は「魔法の夜 竜宮ホテル」で語られる佐伯老人とキャシーの巡り合いそのものです(この辺りのレトリックが意味する本質は、更に原典である旧約聖書などを読んでいただければと)
  • 村山早紀さんを知る事となった作品については、素人の私ではなく、プロの方の紹介記事があります。こちらへどうぞ(漫画研究家/ライターの泉信行さんによる『アニメ脚本家・島田満さんのお仕事と、イマジナリーフレンドの関係』ピアノ・ファイア)
  • 私自身、喋る事は嫌いではありませんが、元々吃音持ちにも拘らず、頭のてっぺんから出しているようなトーンの高い声と、江戸言葉の血筋を引くせっついたような語り口のため、今でも色々な誤解を受けることがあります。それでも話さない事には何も伝わりませんし、場所も立場も離れた人から理解を得ようとすれば苦手であっても文章の力を借りざるを得ません。そうやって、自分で苦しみながらも何かを伝えていく事自体が、生きて行く事と同義なのかもしれませんね
  • 村山早紀さんはかなりのデジタルガジェット好きで、作中に何度も最新型の製品の名称が出てきます。女性作家の作品では珍しい事ですよね。ルリユールにenchantMOONが出て来たときは正直、びっくりしましたが、ライブ感を大切にしているのかもしれませんね。今年あたりの作品にはウェラブルガジェットを使用しているシーンなどが出て来るかもしれませんね
  • こちらのページで紹介した、村山早紀さんの著作は以下のリンクより
今月の読本「竜宮ホテル」(村山早紀 徳間文庫)貴方がそこに居る意味

今月の読本「竜宮ホテル」(村山早紀 徳間文庫)貴方がそこに居る意味

年々老いてくる両親の顔を見る度に心が痛み、姪たちの成長が眩しく感じられる、久しぶりの帰郷。

どんなに遠く離れて住んでいても、普段は完全に忘れようとしていても、会ってしまえば、家族である事は容易く切り離せるものではないと痛感してしまう年末年始。

普段はなるべく考えないようにしている、「家族の繋がり」などを再認識する為に年末年始があるのだろうか等と自問自答しながら手に取った今回の本。

前回ご紹介した「ルリユール」の著者である村山早紀さんが、私とは全く異なる20~30代前半の女性層をターゲットに執筆された文庫作品が、版元を改めて、より一般的な読者向けとして収蔵された一冊「竜宮ホテル」(徳間文庫)です。

竜宮ホテルターゲット年代の女性が喜ぶというより、むしろあっち系の男子が喜んでしまいそうな意匠の表紙(色遣いなどはきっちり女性向けなんですけど…猫耳しっぽですね)にちょっと驚かされながら、すわ恋愛物かと言えば差に非ず、著者お得意のファンタジーを下敷きにした大人のお伽噺が繰り広げられます。

では、お伽噺なのだからどんなシナリオが展開でも許されるのかと言いますと、そこは著者の矜持が為せる業。シナリオの奥底には他の作品と同じ旋律が流れています。

主人公にも登場人物にも著者特有の決まり事が当て嵌められています。心に幾ばくかの苦しみを抱えている事、それでも誠意のある事、他者の為に在りたいと願う事、信じる事…。近親者との微妙な関係や、物語に通底する死の影等が更に積み重なれていきます。

そんな登場人物たちが抱えている困難に僅かばかりの光を当て、「魔法」でも良いでしょう、「妖術」かもしません、「SF」という調味料を使う場合もあります、「奇跡」という単語を用いる場合もあります。どのような手法にせよ、人の力が及ばない何かによって苦しみの想いをほんの少しだけ癒していく…。

著者が一貫して用いている表現手法。つまり、著作を通じて普遍的に述べたいと願っている根底に通じる想いがそこにあります(私自身は「赦し」ではないかと思っています)。

今回の作品では、大戦によって崩壊しかかって再建途上のホテルが舞台。ホテルが存在する街はお約束の場所ですが、主人公たちの心象描写として用いられる程度、殆どがホテルや部屋の中、カフェなどの閉じられた空間で物語が進んでいきます。代わりに、書き下ろしの番外編を含めて回想シーンに出て来る山野や見知らぬ国の物語には著者の本分でもある児童文学者としてのファンタジー性が色濃く反映されています。

冒頭から、再建途上で居住も認めている竜宮ホテルに逗留することになる事情までの導入部はちょっと長め。その間に回想を繰り返すことで、家族、周囲に対する自己否定の想いを積み重ねていきます。まるで自分を責め立てていくように、私の存在が不幸を呼ぶものだと問い詰めさせていきます。その想いが行き着く先には、最後の「避難場所」たる居住していたビルの崩壊。否応無に物語の舞台に引き出されていきます(いや、誘われていきます)。

そんな自己否定の想いを解きほぐしていくために用意された舞台である竜宮ホテル。主人公である女性作家を舞台にいざなってくれるのは、若い編集者とその父であるホテルオーナー、そして彼女にある事を伝えるためにやって来た妖怪の少女(表紙絵ですね)。

彼ら(彼女ら)は彼女の存在する本当の意味を諭していきます。決して存在しなくていいなんてことはない、あなたの存在がどれだけの人の心を動かしてるのかを彼女に対して伝えていきます。

本作中では竜宮ホテルが再建途上であるように、彼女の心の鎖も未だ解き放たれている訳ではありません。しかしながら、竜宮ホテルに集う不思議な人々の力を借りながら、少しずつ否定し続けてきた想いを昇華していきます。

過去の自分を、今を生きている自分を、未来の自分を、そして誰かを否定してしまった自分を。

頼る事は恥じゃないんだよ。所詮は頼りあって生きていくものなのだから…。

彼女を想う周囲の気持ちを、彼女がちゃんと受け止めることができるようになった時、舞台である竜宮ホテルも再建が叶うとき。不思議な住人達も彼女も竜宮ホテルからいなくなっている筈です。本当の居場所を得て、ひとりひとり次のステップへと進んでいく。

ホテルとは、次の1ページをめくるための、ほんのひと時の休息場所なのですから。

<おまけ>

  • 研究生活から社会人へと進んでいた頃、研究室や会社に泊まりっ放しになるのは日常茶飯事。一旦社外に出れば現場の近くのホテルでビザが切れるまで粘り続ける日々を送っていた私にとって、本作の舞台やシチュエーションはちょっと美し過ぎるにせよ(いや非常に美しい)、今や懐かしさで語れる思い出の琴線に触れる一瞬でした
  • 本作には12月に続編となる「竜宮ホテル 魔法の夜」が刊行されています。物語の続きに興味がおありの方は是非
  • 本ページでご紹介している村山早紀さんの著作についてはこちらにて