今月の読本「赤米のたどった道」(福嶋紀子 吉川弘文館)信州の畔に根付くその赤い籾への疑問を追って

今月の読本「赤米のたどった道」(福嶋紀子 吉川弘文館)信州の畔に根付くその赤い籾への疑問を追って

眼前一杯に水田が広がる、豊葦原の瑞穂の国。日本を象徴するように使われる言葉ですが、その情景が僅か200年ほどの歴史しか有さない事に思いを巡らせる方はいらっしゃるでしょうか。

水田越しに甲斐駒をブランド米と呼ばれるモチモチの白米、特定の名称でお米の品種が広く呼ばれるようになる前にお店の真ん中に並んでいた、「標準価格米」が片隅に追いやられてから僅か数十年しかたっていない事を思い出される方はもう少ないかもしれません。

そして、黄金色の籾に真っ白な粒といったお米とちょっと様相の異なる、長い禾に少し赤みを帯びた籾と小粒のお米をご存知の方はもはや希少なのかもしれません。

ブランド米の品質を全国で争う現在、丁寧に丁寧に育て上げられる稲たちが穂を伸ばすその田圃の畔で、誰にも気が付かれずに、いいえ今やその品質を脅かす駆除すべき雑草として信州の畔から駆逐されつつある、同じ稲なのに余りにも扱いの異なる「赤い米」への疑問を解く旅へ誘ってくれる一冊の紹介です。

赤米のたどった道今月の読本「赤米のたどった道」(福嶋紀子 吉川弘文館)です。

著者は長野県内の複数の大学で教鞭を執られる、主に中世史を専攻される研究者。大学を卒業後、数十年を経て取得された学位請求に関連すると思われる主著で論じられる二つのテーマを、「大唐米」というキーワードで結びつけ編んだ一冊となっています。大唐米自体を論じる前半と、溢籾と呼ばれるようになったそのお米が引き起こした騒動の経緯を語る後半に、南北朝期の播磨国矢野荘における年貢収納の史料研究を挟み込んでいるため、読んでいると前後の繋がりがちょっと希薄になる事があります。著者があえてこのような構成と論考を用いて明確化したい点は、なぜ赤米(大唐米)だけが別扱いされてきたのか、そして次の時代にはしっかりと農村に根を下ろしたそのお米たちの元となった籾を誰が普及させる事になったのかを想定することにあります。

赤米の歴史を辿るように思える本書ですが、冒頭で語られるように著者の疑問の大前提は、ここで採り上げられる大唐米、そして現在に残る赤米が、中国宋代に発祥を持つインディカ系に属する占城米ではなく、ジャポニカ系の一種ではないかという点にあります。しかしながら、著者による大唐米の遺伝的な考察や、地域的な広がり、形状から見た判断等の農学的なアプローチは冒頭で早々に放棄されてしまいます。一方で、著者は一貫してこれらの赤米が白米と異なる扱いを受けてきたという、史料上の事実を梃に、専門の歴史学的視点で白米とは違う、赤い米たちの歴史をとらえていきます。

水田で耕作される「白米」に対する疑問を、班田収授の絶対的な水田不足から問い始め、その穴埋めたる「陸稲」そして、「赤」の札書きが残る米の種類の記載へと興味を広げていきます。集水、貯水、湛水、排水技術が未熟な近世以前において、現在のような安定した水量を確保できる水田は、安定した流量と穏やかな流れを有する河川に対して僅かに低い土地に限られ、微高地や扇状地には水は届きにくく、湛水地は深田や沼地、果てには洪水の常襲地帯となるはず。そのような限られた水田で作られた「白米」は、既に近世史でも語られるように、食糧として日常の食生活を維持できるほどの大きな収量を期待できなかったことを見出していきます。

厳しい耕作条件の「白米」に対して、熱帯に比べて気温も低く、決して水田農耕に適しているとはいない日本の農耕環境でもしっかりと実りをもたらす(但し、脱粒性は強い)お米。食味は悪くても、早生でいち早く収穫できるため、秋口に襲ってくる風雨にやられる前に実収をもたらす貴重な赤いお米。農民たちにとって主たる収穫物である「白いお米」は口に出来なくても、田圃の畔を取り囲むように植えるという隙間農耕でも実りをもたらしてくれるありがたいそのお米は、一方でその籾を持ち込んだ荘園領主たちの切実な収量確保という一面も持っていたようです。

鎌倉から南北朝、そして室町期と在地おける実権と実収(実際の所領も)を徐々に衰退させていった荘園領主たちにとって、その減収を少しでも補う方策として、例え売価が低くても、勧農が行き届かず放置気味の荒田の状態になってでも収量が望める赤米(ここで大唐米という言葉が史料として出て来ます)を積極的に導入したのではないかとの暗示を述べていきます。

更に時代が進んで江戸時代。大阪に蔵屋敷が立ち並び、各国の米が市場で比較される段階に至ると、今度は収量は優れても食味に劣る赤米たちは駆逐の対象となっていきます。江戸患いと呼ばれた脚気が顕著に表れてくる程に白米が都市部に集中し始め、漸く庶民の日常にも「白いお米」が上るようになった時代。それでも、著者のフィールドである信州、松本藩の事例では、その不利な条件(籾が落ちてしまい禾が長いので、籾で収納した場合目減りが激しい)にも拘わらず農民たちが赤米での収納を続け、藩庁側も容認せざるを得なかったことを見出していきます。そこには、高地冷涼で扇状地故に水に恵まれなかった信州、そして松本平の厳しい条件があったことを認めていきます(信州の他藩でも、収納した赤米たちは廻米せずに地元での消費に充てていたという貴重な知見も)。水の町とも呼ばれる安曇野に張り巡らされた用水網が整備されたのは、漸く近代の足音が聞こえ始めた江戸末期。水の便は解消しても気候の厳しさゆえ、確実な収穫と生活を守るためでしょうか、その後も昭和の初期に至るまで、これら溢籾と呼ばれた品種が信州では作りつづけられたことを明らかにしていきます。

領主には嫌われつつもしっかりとその土地と農民たちに育まれた赤い米たち。その歴史は亀ノ尾に始まる寒冷に強い白米の登場と、今に続く、その系譜を継ぐ品種たちの粘り強い改良の中で、今や逆に圃場を埋める優良品種の単一性を阻害する雑種として駆逐される運命にあるようです。

著者が傍証として語る、神前としての白米の神聖視、日本人の優越性と白米至上主義といった論点はここでは置いておきたいと思いますが、美しく整備された水田に広がる見渡す限りの稲穂たちと、美味しい白米という、もはや共有感ともいえる幻想に対して、もう少し歴史的に見直す必要がある事を問う一冊。

黄金色の景色1その広がる圃場と稲穂が、どのように今日まで受け継がれてきたのか、本書を読みながら、今一度想いを馳せてみては如何でしょうか。

赤米のたどった道と類書たち本書と一緒に読んでいた本たち。

本書と特に関連が深い本として、農学としての稲にご興味のある方には「イネの歴史」(佐藤洋一郎 京都大学学術出版会)、江戸時代の農耕については、同じ史料から豊富に引用された「江戸日本の転換点」(武井弘一 NHKブックス)、同じ東寺の荘園である、備中国新見荘における室町中期の在地支配を史料から丁寧に掘り起こした「戦乱の中の情報伝達」(酒井紀美 吉川弘文館)、そして、本書の巻末でも繰り返し言及される「稲の大東亜共栄圏」(藤原辰史 吉川弘文館)は近代日本に於ける稲の品種改良と東アジア圏への展開に関して要領良く纏められた一冊、特にお勧めです。

 

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今月の読本「敗者の日本史8 享徳の乱と太田道灌」(山田邦明 吉川弘文館)自身の存在を賭した二人と、流れと繋がりが読める室町期の関東広域圏政治史を

今月の読本「敗者の日本史8 享徳の乱と太田道灌」(山田邦明 吉川弘文館)自身の存在を賭した二人と、流れと繋がりが読める室町期の関東広域圏政治史を

横浜で育った私にとって、本書の主役である太田道灌は畠山重忠と並ぶ歴史上のヒーロー。

居城である江戸城や、最後の地となった粕谷の館。合戦があった場所などはすらすらと言えるのですが、太田道灌が活躍した時代の関東の状況を説明せよといわれると…ちょっと言葉に詰まってしまいます。

鎌倉府や享徳の乱を扱った本は複数ありますが、どちらも主題の部分に注力して描かれているため、前後の時代背景や登場人物が繋がって来ない。鎌倉府成立の理由と、どうして鎌倉公方が古河に動座する必要があったのか、そしてどのような結末を迎えてしまったのか。関東管領家がなぜあのような形でばらばらになってしまったのか。なぜ関東だけがあれ程までに長く混乱が続いたのか。更には、どのような形で北条早雲が関東に付け入る隙を見出したのか。個別の事柄については類書もありますし、結果は判っているのですが、室町時代の関東の状況を俯瞰で読み解く本はなかなか見当たりませんでした。

本書は、敗者の日本史シリーズとして、主家に謀殺される結果となった太田道灌を扱った一冊ですが、そのような枠組みに囚われずに読みたい、これまで登場を願ってやまなかった、室町時代の関東の通史をとても判りやすい形で実現した一冊です。

享徳の乱と太田道灌敗者の日本史8 享徳の乱と太田道灌」(山田邦明 吉川弘文館)です。

本書は表題の通り、太田道灌が主人公として取り上げられており、道灌の活躍と和歌の繋がりから江戸城の様子を紹介する為に一章を割いていますが、本書の全体のボリュームから見ると、道灌の動きを描いている部分は半分を大きく割り込んでいます(それでも、道灌と弟である資忠の疾風の活躍ぶりや、道灌謀殺の首謀者の検証と、最後の言葉である「当方滅亡!」の意味合いといった面白い考察も述べられています)。

本書は、太田道灌の治績に留まらず、鎌倉幕府滅亡から既に戦国期に入っている鎌倉公方家の事実上の傀儡化、関東管領家の越後長尾家の継承までの室町時代全般を通した関東広域圏(越後から伊豆、駿河まで)での政治状況を俯瞰していきます。

関東在住者以外には判りにくい地名と地理的状況。そして同姓同士で複雑に入り組んだ名跡の継承を少しでも判りやすくするため、養子入りの線図を書き入れた多数の系図と、重複を厭わず戦乱毎に用意された拠点地名、城郭、戦場を書き入れた略図が、複雑な動きを見せる登場人物たちを追いかける大きな手助けとなってくれます。登場人物たちの紹介も、表舞台に立った事柄から舞台を去ったその後まで、時間軸に合わせてフォローし続けることで、その後の展開にどのように影響を与えたのかが明確に判るように文中に配置されています。

享徳の乱と太田道灌合戦場地図例享徳の乱と太田道灌系図例そして、長い時間軸を扱うために配慮された、重複な説明を避け、時間軸の前後移動を極力抑えた筆致が、通読性の良さを確保してくれます(その代わり、一気読みが大前提となりますが)。

室町時代の関東の歴史を貫く二つの柱、鎌倉公方家と関東管領家。成立の時点から激しく牽制しあう二つの権能。観応の擾乱から続く関東の名族たちと、鎌倉府を中心に集まってくる一揆を中心とした勢力のつばぜり合い。そして、永享の乱から結城合戦への流れ。これらの流れを理解するためには、遥か鎌倉幕府滅亡の時まで遡らないと見えてこないことを、本書は明確化していきます。

その流れの水脈となるのが、名跡。家職制度が成立しつつあった時代において、公方家、管領家、そして家宰家と、本人の能力に関わらず、職能としての家を引き継いでいく事が、一族、家臣を含めた安定をもたらし、ひいては収入(領地)を維持する為に必須であった事が見えてきます。従って、後継者の欠落は死活問題。養子に絡んだ家の継承に関わる混乱が、一族全般、そして双方を支援する他家へと広範に広がっていく事になります。

その中で生まれた、永享の乱で父を殺されたあと、寸でのところで助けられて鎌倉公方に擁立された足利成氏。そして、父親の死により山内家の家宰職を継げるはずが、一族からの横やりで継ぐことが叶わなかった長尾景春。自らの地位に確固たる自信の持てない鎌倉公方と、自らが望んだ地位を寸でのところで失ってしまった家宰家の跡継ぎ。

本書の後半は、失ったものを取り戻そうとする二人の活躍を軸に、両者と対峙するもう一方の軸として道灌の動きが描かれていきます。

父の敵でもある、管領上杉憲忠を討った余勢で歴代の鎌倉公方が辿った高安寺を経たルートを北上して古河に入った事で、空白化した鎌倉と相模。その結果、長く続いた関東の中心としての鎌倉の衰退(都市の盛衰は必然と著者が捉えている点が少し引っかかりましたが)と、間隙を埋めるかのように勢力を伸ばす、扇谷家と家宰である太田道灌。鎌倉公方が古河に動座した影響で、公方方、管領方の両勢力が利根川周辺に集結したことによって生じた、戦線の小規模化と長々と繰り返される攻防。戦力の均衡による戦線の膠着化。

そんな膠着状態になると忽然と現れては、まるで自身の存在を証明するかのように戦場を掻き回していく景春。実力を買ってか、それとも同類の憐れみを見たのか、味方に引き入れる成氏(そのうち煩くなって、道灌に牽制を頼む羽目に)。その都度撃破しては取り逃してしまう道灌。更には、膠着した両者の戦力の均衡を破らんが為に、関東の勢力圏外である今川、そして伊勢(北条)を関東の戦いに引き込もうとする景春。

一方で、劣勢だった管領方の勢力を奮迅の活躍で公方方と勢力均衡まで持っていき、関東の各勢力の安定に大きく寄与した道灌。しかしながら、戦国の香りが漂い始める最中に起きた、家宰にも拘らず、主家をも上回る勢力と名望を集めたが故に疑いを掛けられた末の道灌の横死。

本拠である鎌倉を捨ててまでも、自身の父親を支えてくれた北関東の名族との提携により公方権力の再構築を図っていく成氏と、主家も根拠も失い、どう見ても凋落の淵に立ち続けているにも関わらず、何処かから現れては合戦場を疾駆して、再び遁走を続ける景春。関東の混乱の中で、三十年以上に渡って一際粘り強く自らの存在を賭して戦い続ける二人への著者の眼差しは、主役である道灌に対する筆致以上に想いがこもっています。

戦国前夜の関東でいぶし銀の輝きを魅せた三人がこの世を去った後、五十年を超える関東の騒乱は漸く終結を見る事になりますが、彼らの活躍の結果が皮肉にも著者曰く「全員敗者」となる結果を生んでしまいます。

成氏の古河動座と道灌の横死によって生じた南関東の空白を突かんと、景春の手引きによってきっかけを得た、西からの北条早雲よる侵攻。景春の動きを見ながら、外部の戦力を引き入れない限り、関東の覇権確立はおぼつかないと悟った管領上杉顕定は北上政策を採って越後に攻め入りますが、逆に間隙を突かれて南関東を失ったばかりが、自身も越後で敗死し、両上杉家自体滅亡の引き金を引いてしまうことになります。管領家を失えば、表裏の関係ともいえる主家である公方家もその存在意義を消失。そして、太田道灌が心血を注いで築城した江戸城は、皮肉なことに徳川家康の手に渡った後に、幕府の首府、そして現在の日本の首都へと引き継がれていく事になるのはご承知の通りかと思います。

太田道灌をテーマに掲げて描かれる本書ですが、貴重な室町時代の関東の通史として、そしてマイナーなため語られることの少ないこの時代ですが、これだけ魅力的な人物達が広大な関東平野を縦横に活躍していたことを知るためのきっかけとして、とても良い一冊かと思います。

もっと室町時代の関東の歴史に光を!

<おまけ>

本ページでご紹介している、本書と関連する書籍を。