今月の読本「金魚と日本人」(鈴木克美 講談社学術文庫)身近過ぎて忘れがちな「魚」に凝縮された自然を愛でる想い

今月の読本「金魚と日本人」(鈴木克美 講談社学術文庫)身近過ぎて忘れがちな「魚」に凝縮された自然を愛でる想い

夏になると縁日等で頻繁に見かける「金魚」

もう、金魚売りが家々を廻る事はないかと思いますが、それでも夏の風物詩として語り継がれる風景に重ねられる、赤金色に輝く魚が涼しげな桶の中を群泳する姿は、ちょっとした懐かしさも添えた一服の涼。

最近では綺麗な金魚鉢や江戸時代に回帰してしまったかのような小さな鉢の中で金魚を飼うのが静かなブームにもなっていますが、そもそもなぜ、日本人は金魚を飼育し、飼い続けたのでしょうか。

そんな疑問の一端に答える、真夏を迎えて文庫へ収蔵された一冊のご紹介です。

高原は既に秋空ですが、盛夏の最中に読み続けていた「金魚と日本人」(鈴木克美 講談社学術文庫)です。

著者の鈴木克美先生は、戦後最も早い時期にオープンした民間の水族館である(旧)江ノ島水族館開設当初のスタッフとして、その後、現在のテーマパークの先駆けとなった娯楽施設、金沢ヘルスセンターに併設された金沢水族館を立ち上げ、科学教育機関と本格的な水族館の融合を目指した東海大学海洋科学博物館の館長、東海大学海洋学部の教授を務められた方。同時にスキューバ(アクアラング)を使用した水中写真撮影の先駆者として数多くの写真集、書籍を著されている方です。

水族館学、魚類生態学が専門の著者作品群ではちょっと異色な文化史をテーマにした一冊。原著は1997年刊行とほんの少し古い作品ですが、唯一無二と言っていい、魚類学と文化史としての日本の金魚を同時に語る貴重なポジショニングが評価されたのでしょうか、この度、版元さんを超えての文庫収蔵となったようです(このようなポジショニングにある作品は、著者も「鯛」をテーマに一冊を執筆されている、法政大学出版局が刊行を続けている「ものと人間の文化史」というシリーズがあります)。

生物学、遺伝学的な好奇心から始まる日本への金魚伝来と在来魚種とのルーツを探る内容から始まる本書。今回の文庫化に当たって新たに用意された、金魚絵師(金魚養画)、深堀隆介氏による美しくも涼やかな表紙と帯の内容に惹かれて文化史の本だと思って手に取られると、少々面食らう内容も挿入されていきますが、魚類としての金魚、更には品種改良の歴史を理解するためには必須の内容。むしろ著者の専門分野である魚類生態学をある程度封印して、専門外とも思われる日本、更には中国における歴史的な金魚の扱われ方、江戸の文化史をそれこそ該博な知識を以て伝説から物語、実録を含めてふんだんに拾い上げていきます。

本書を読んでいて驚く点、それは日本人にとって最も馴染みが深い魚(今では鮪、サーモンの方かも…)、江戸の文化史ではあらゆるシーンで語られ、現在は何処でも簡単に手に入って見る事が出来る金魚ですが、意外な事に伝来のタイミングも、大流行した江戸時代における金魚生産の姿も、現在はある程度固定化されている品種固定の過程も、文化史の根底になくてはならない背景、そのほぼすべてが「判らない」という事実に突き当たります。

本書では一般的に流布しているこれらの言説について、著者が直接の教えを乞うた金魚研究の第一人者と呼ばれた故・松井佳一博士の説を含めて各種の書籍や言説を比較しながら検討を加えていきますが、特に江戸時代における江戸近郊での金魚の育成、供給の実態ついては全く判らないと述べています(上野、池之端の件については本文中で繰り返し検討を行っていますが結論には至らず)。名付けについても「りゅうきん」「おらんだししがしら」などの名称が直接琉球やオランダから渡って来た訳ではないとはっきり否定した上で、日本人特有の舶来指向(唐物指向)や長崎方面から伝わった事を示す表記であることを示唆します。また品種改良の歴史についても、江戸時代のそれは中国で営々と続けられてきた品種改良の歴史と比較して、珍しい物が偶然に現れる、単に飼育していたに過ぎないと、魚類学者としてやや厳しめの断定をしていきます。

更に著者は、中国における金魚の飼育史と好まれる品種の違いからその経緯を見出していきます。

赤い色、金色を尊ぶのは中国も日本も同じですが、中国で春節の際に貼られる金魚の切り絵のように目が上を向いた姿を珍重する、成長と上昇志向の現れ、珍奇な物を秘蔵する文士層の存在が素地にある中国における金魚の姿。一方で日本に於いては疱瘡除けとしての願いをその色に込める一方、生き物の美しさを小さな鉢の中で楽しむ、植木や朝顔と同じような、自然を矮小化して愛でる江戸の住人たち、特にそれらを広大な屋敷の中で飼育し、実際に副収入の糧としていたのではないかと推察する江戸の御家人層や、地方から転がり込むように都市に集住した欠落農民層が往時の姿を鉢植えや水鉢の中に見出していたのではないかと考えていきます。

第一線の水族館運営を長く続けた著者から見る、日本人と金魚を愛でるその姿。

用水の溜池や庭の池から、水鉢、金魚鉢から観魚室と水槽(紀伊国屋文左衛門の天井水槽は強度/防水構造上も有り得ず、フィクションだとも)そして水族館へ。日本人の群衆指向と見世物好き、舶来崇拝。その根底に伏流する厳しい自然と折り合う姿を美しくも矮小化した様式として昇華させた、箱庭の自然美を突き詰めた一つの姿としての金魚を愛でる日本人の嗜好。

その扱いが水族館では蔑まされ、学術的にも疎外されている感が長く続いてきた点に対して、当事者の一人として、魚が好きになった著者の原風景を回顧しながら贖罪の想いも込めて綴られた一冊。

実は近年の分子遺伝学の分野で、金魚の遺伝子系統分析が顕著に進んできている点を文庫版のあとがきで述べて、著者の想いが僅かながらも後継の研究者達に受け継がれている事に喝采を与える本書は、科学的な理解が飛躍的に進む中でも、生活のほんの片隅を捉えて自然を愛おしむ事を忘れられない、日本人が抱く心の原点を思い出させるきっかけとして、再び登場する機会が巡って来たようです。

著者である鈴木克美先生には多数の著作がありますが、その水族館人生を綴った自伝的な一冊「水族館日記 いつでも明日に夢があった」(東海大学出版部)も併せてご紹介させて頂きます。

今月の読本「海辺を行き交うお触れ書き」(水本邦彦 吉川弘文館)著者と全国を巡る古文書の蓄積から見出す情報ネットワークの変遷

今月の読本「海辺を行き交うお触れ書き」(水本邦彦 吉川弘文館)著者と全国を巡る古文書の蓄積から見出す情報ネットワークの変遷

近年、江戸時代の行政システムや市民生活に対する積極的な再評価が行われつつありますが、これら再評価の大前提となっているのが、各地に集積、翻刻されつつある古文書の蓄積、その分析にあるかと思います。

幕藩体制と呼ばれる江戸時代、統治機構は御領と私領、寺社領の縦割り的な分断、身分制度は武士を頂点とした垂直・固定的と評される事が多いですが、これらの認識も近年の研究により大分異なる様相が見えてきています。

今回ご紹介するのも、そのような旧来の視点に立脚した江戸時代の統治機構に対して、横断的な検討からその変化を読み解こうとする一冊です。

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館の歴史文化ライブラリー最新刊から「海辺を行き交うお触れ書き」(水本邦彦 吉川弘文館)のご紹介です。

著者の水本邦彦先生は近世幕藩体制下における村落行政史研究者の方。既に第一線の教壇から降りられた方ですが、一般向けの書籍を含めて、現在に至るまで多くの著作を有されています。

非常に手慣れた筆致で描かれる本作。本書で描かれる内容を手掛けるきっかけとなった伊予、大洲と三河、刈谷に残された古文書に書かれた、長崎へ渡航する筈が遥か銚子に流されてしまった清からの貿易船乗組員を帰帆させるために行われた長崎への回航と沿岸各集落に対してその航海への援護を求める一文。「浦触」と呼ばれたその書面の文面が全く同一であることに驚く一方、付けられた発送元と廻覧先に興味を抱いた著者はその送付ルートの変化に着目していきます。

この南京船の漂流と帰帆の物語については、別の書籍(書名失念)で読んだ際にその経緯や帰帆するまでの足取を追った記録に大いに興味を抱いたのですが、本書では事情を知らせる浦触、その文書自体に焦点を当てていきます。

流石に多数の著作を有する著者と版元さんの連携が産んだのでしょうか、ここで本書はその発送ルートや廻覧方法の時系列変化やイベントに対して章を設けるのではなく、著者自らがその変化を探るために全国の古文書の原本や翻刻、研究者達の元を訪ね巡るというスタイルを用いていきます。

愛媛大学に籍を置いていた著者にとって馴染みの深い伊予、大洲を旅立ち、四国を巡り南の九州からもう一つの文書と巡り合った刈谷を経て北へ。陸奥、津軽藩と松前との関わりを追った後は日本海を下って西へ廻り瀬戸内海へ至る。浦触を探し求める旅を著者と共に続けることで、浦触のはじまりやその目的、廻覧されるパターンの変化を辿る事になります。各地に数多残る古文書、それらを翻刻する地元の教育委員会や研究者達が積み重ねてきた研究成果、著者と同世代の研究者達による古文書研究の過程で見出された浦触に関する情報を集めながら、事例を重ねながら全国を通じて行われた文書行政の変化を丁寧に紐解いていきます。

著者が見出したその変化、所謂幕藩体制の中核をなす、幕府、老中から各藩(留守居などを通じて)、所領に対して下達という形で伝えられ、各藩が有する藩内の伝達ルートを伝わっていく垂直型の伝達ルートに対して、特定の幕府職制、又はその業務を請け負った大商人や特定の藩が発信元となり、指定された廻覧ルートを辿り連判状のように各集落毎に印をおしていく(時には印を集めておいて藩庁や郡奉行所で一括押印、到着時刻表記の捏造?いえいえ、ISO運用にも見える日本の文書システムらしい形式主義を端から見透かす現場主義が掲げるルーズさまで…)姿が出来上がっていく事を見出していきます。

本来であれば支配違いの領地を跨ぐ行政文書の受け渡しなど想定しにくい江戸時代の支配制度ですが、多い時には年に数回と言う頻度で昼夜を問わずこれらの文書を所領を越えて隣り合う集落間で受け渡し、藩庁側の確認が後手に回る事すらあったことを古文書から見出していきます。浦々を伝わってそれこそ全国の海岸線を巡った文書行政の通達システム、浦触。徐々に完成を見た、浦々を継ぎながら繋ぎ合わされて押印された膨大な請印帳を見ると、その貫徹振りに、幕藩体制のもう一方の側面、全国政権であった徳川幕府の支配領域を超えて発揮、駆使された行政能力(実際に受け持つのは末端の各名主層と郡奉行たち)に感嘆させられます。

最後に著者は浦触の類似の姿としての広域行政文書の伝達例として、街道を継がれた伝達や海陸を含めた好事例である伊能忠敬の全国測量に伴う伝馬証文に続く先触の文書を示すことで、海陸を含むこのような文書行政による所領支配を越えて地域を水平に繋いでいく全国的な指示系統が存在した点を認めていきます。また、最後の指摘として、幕末の長州征伐中に発送された浦触に添えられた文書と配送結果から、その後の中央集権的な近代国家に脱し得ない幕藩体制の限界も併せて示していきます。

幕府による全国的な行政システムの実例を示す「浦触」の推移を著者と一緒に海岸線を巡りながら理解を深めていく本書。実例を理解しつつ網羅的に変遷を追いかけたいと願う読者にとって非常に楽しく、興味深く読む事が出来る内容なのですが、ひとつ、とても残念な点があります。

浦触れの伝達形態が各領地の行政権に委ねられる下達型から直接住民が携わる著者曰くの横断型へ、発信元が老中から勘定奉行や各地の代官所、大阪船手等の実務部門、現地部門へと移っていく点は、正に権限と運用が実情に合わせて現場へと委譲されている姿を明確に示しているのですが、惜しい事にその移譲の経緯や該当する幕府内での議論の推移に対して、本書では殆ど言及が為されていない事です。

著者には主著として「近世の村社会と国家」(東京大学出版会)があるので、前述のような疑問であればそちらを参照せよという事なのかもしれませんが、本書の帯にも描かれた、副題にも掲げられた「徳川の情報網、国家統治システム」を描くにあって、上位の為政者である幕府の動きをほぼスポイルしてしまった上で、終盤で「公儀」が与る情報伝達への言及がなされても、その背景が見えてこないようにも思われます。

主題である浦触の姿を著者と一緒に全国を追いかけるという文意に沿った内容としては素晴らしいと思いますが、掲げられた表題からみると、ちょっと片手落ちの感が否めなかったのは致し方ないのでしょうか。

 

今月の読本「江戸の科学者」(新戸雅章 平凡社新書)江戸の科学技術を育んだ技巧者ネットワーク列伝

今月の読本「江戸の科学者」(新戸雅章 平凡社新書)江戸の科学技術を育んだ技巧者ネットワーク列伝

実質的には長く鎖国状態にあった江戸時代の日本。それにもかかわらず、幕府も各藩も、更には民衆ですらも開国後の急速な海外から流入する言語や文化、道具や技術に柔軟に対応したように見えます。享保の改革以降に禁書政策が弛められた成果が大きい事には論を待ちませんが、それらの書籍を使いこなし、実際に自らの力に変えていった多くの人々によって、その素地が培われていたはずです。

今回ご紹介するのは、珍しい切り口でその伏流の一端を伝記として語る一冊「江戸の科学者」(新戸雅章 平凡社新書)です。

まず、著者の珍しい経歴に驚かされます。ニコラ・テスラ(エジソンと直流/交流送電で争った人物、磁束密度の単位Tの元になった)の日本における顕彰活動を続けている方、およそ本書の執筆内容と異なるような感覚もありますが、時代背景的には同じ産業革命から近代工業が勃興する時代に生きた人物。チャールズ・バベッジ(階差機関の発明者)を扱った著作もある、近代初頭の工業技術に関して、造詣が深い方です。魅惑の付録が発売の度に大きなおともだちの心(とお財布)を鷲掴みにするシリーズのWeb版、学研が主宰する「大人の科学.net」に連載した記事に、登場人物を大幅に増やして書籍化した一冊。その人物選定には、前述の経歴がいかんなく発揮されています。

  • 関孝和
  • 平賀源内
  • 司馬江漢
  • 志筑忠雄
  • 橋本宗吉
  • 高橋至時
  • 国友一貫斎
  • 宇田川榕菴
  • 田中久重
  • 緒方洪庵
  • 川本幸民

出生年別に並べてみましたが(冒頭に年譜が付いています)、知らない人ばかりで、なんで有名なこの人が居ないのと首をかしげる方が多いのではないでしょうか。一方で、著者の略歴を踏まえ、その連載元のテーマをご存知の方であれば、納得の人選がラインナップされています。

その選定には学者や文人というより、むしろ技巧派揃いの職人列伝といった雰囲気が濃厚に漂います。内容のほうも人物伝と言うより「学研 おとな偉人伝」といった筆致で綴られており、時折称揚が過ぎたり、筆が上ずり気味なくらいにのめり込んで綴られる内容に、少し微笑ましくなってしまう事もあります。特に田中久重、国友一貫斎といった技巧派(からくり師)を扱った部分は特にそのような感触が強いですし、平賀源内や司馬江漢に対する技巧者を越えて先取りしすぎたプロモーター的な人物への強い情景、橋本宗吉の紹介に至っては、完全に著者によるオマージュで綴られます。

個々の人物像に惚れ込んでいないとなかなか描けない熱のこもった筆致。それ故に、要所では突っ込んだ内容も描かれますが、全体としては読物風な内容に留まる点は致し方なところもありますし、表題だけを見て手に取られた方にはその人物選定を含めて物足りなさが感じられるかもしれません。

しかしながら、本書を通して読んでいくとある点に気が付かれるはずです。本文中ではテーマごとに並べられていますが、時代ごとに彼らを並べ、その書かれている内容、繋いできた知識、著作、人物関係を俯瞰していくと、幕末から明治に至るまで、綺麗に彼らの系譜が繋がっていく事になります。登場する彼ら一人一人が直接的に出逢っていた訳ではありません。現代より遥かに交通事情が悪く、情報伝達や出版事情に至っては雲泥の差があった江戸時代。僅かな伝手や人と人を繋ぐネットワーク、表現が良くないかもしれませんが「徒弟制度、学閥、閨閥」といった人の繋がりの中で脈々と受け継がれてきた技術や知識が、当時の学問的共通基盤、儒学をベースに普く彼らの中で行き渡っていった先に、明治以降の海外からの文化、技術の受け皿としての素養が育まれていた事がはっきりと判るかと思います。

彼らが活躍する源泉となる情報と文物のネットワークを構築し、先進的な思考を伝えるプロモーターとしての役割を果たした源内と、そのネットワークに学問と言う重み付を与えて、現代の大学制度に至る教育を通して技術者を生み出す基盤を作り上げた洪庵。その中を埋めていく、特異な技量と旺盛な好奇心、不断の努力で技術水準を上げていった江漢、宗吉、一貫斎、久重。学問的な素地を高めて、鎖国や言語といったハンデを乗り越える足場を築き上げていった孝和、忠雄、至時、榕菴。そして、現代の科学技術への橋渡し役を務めた幸民。

江戸時代を通じた、彼らが培った技術とネットワークの蓄積に思いを馳せるとき、どんな情報でも瞬時に集められる現代の我々が見失ってしまった本当の価値が見えて来る。本書の元となった「大人の科学」シリーズが標榜するテーマとも交差する、その原点を見つめ直す一冊です。

 

今月の読本『勘定奉行の江戸時代』(藤田覚 ちくま新書)幕府270年を実力と出目で支えたノンキャリアの「山師」たち

今月の読本『勘定奉行の江戸時代』(藤田覚 ちくま新書)幕府270年を実力と出目で支えたノンキャリアの「山師」たち

江戸の三奉行といえば寺社奉行を筆頭に町奉行、最後に連なるのが勘定奉行であることはご存知かと思います。

大名役の寺社奉行は確かに影の薄い存在ですが、やはり一番有名で、取り上げられる機会も多いのは町奉行。江戸の町民たちと密接に接していると感じられる彼らですが、そのキャリアパスは名門旗本でも最上位に位置付けられる両番からの出身者でほとんどが占められ、実際には江戸の町民たちとかなり距離がある、当時のスーパーエリート達だったことはよく知られているところです。

では、町奉行と対比するように扱われる勘定奉行のキャリアパス。格式では町奉行に僅かに劣りますが、万石以上の大名と並ぶ五位の諸大夫にして旗本が務める最高職の一つである、幕臣中でも最高位に位置付けられる彼らの約1割が、出自もあやふやなお目見え以下の御家人や、御家人株を買った、または御家人株を買った上で、旗本家等に養子で入った武士とも言えない人物やその子供たちが務めたと聞くと、少々驚かれるかもしれません。

今月の読本は、そんな彼らの姿を近世史の大家が興味深く解説してくれる一冊をご紹介します。

今月のちくま新書新刊より『勘定奉行の江戸時代』(藤田覚)のご紹介です。

著者の藤田覚先生は、日本の近世史、特に江戸後期の幕府、朝廷関連の政治史の専門家で、一般向けにも数多くの著作を著されています(現在は東京大学の名誉教授です)。すでに大家と呼ぶべき研究者の方が改めて新書として送り出す一冊は、研究者向けの書籍とは異なる、著者の研究上で抱いた好奇心を広く知って欲しいという思いで綴られています。

それは、最後の武士の時代である江戸幕府において、そのトップにまで上り詰めた人物への興味と特異なキャリアパス、彼らが行った施策がどんな内容であったかという点。この二つを幕府の財政政策と結び付ける事で、270年も続いた幕府におけるターニングポイントには、常にノンキャリアの勘定奉行が存在していたことを浮かび上がらせていきます。

前半で述べられる、幕臣の昇進ルートの解説と勘定所の構成。ご承知のように町奉行所の構成は、大枠で与力、同心の2段階しかなく、御家人役である与力の石高は200石と高くても、転属や昇格は殆どなく、彼らの中から町奉行となった人物は一人もいません。一方で、勘定奉行のオフィスである勘定所の構成はより複雑であり、後期には勘定方と公事方の2系統に分かれ、道中奉行を兼帯し、その人員は運用や調査業務も担っていた評定所への出役や、郡代に代官、更には金銀銅座、長崎会所へも出役をするなど、全国にその組織は広がっていました。

格式では町奉行や寺社奉行に劣るものの、業務規模では圧倒的に広大な勘定所を所轄する勘定奉行。広範な業務を遂行するためには多彩な人材を擁することが求められ、それ故に勘定所への採用は、いわゆる番方のような、出自や家格、人物を以て番入りするというスタイルではなく、早くから算筆吟味で採用されるという、科挙を否定した近世までの日本の行政としては異例の、選抜主義が採用されていたことを示していきます。

そして、多彩な業務に携わるということは、新たに発生する業務に対して柔軟に対応できる人材の供給源でもあったという点。彼ら勘定所を振り出しに幕臣としての業務に就いた人々は、勘定所の中でステップを上り、さらには勘定所を離れ、出役や他の職場(普請系や御三卿の家老など財務に関わる職種が多い)へと広がっていくことになります。エリート旗本の昇進コース(この辺りの構造的な解説は山本博文先生の、家格については故・小川恭一先生の著作に詳しいです)である、番入りから目付を経て遠国奉行などへと昇格する、現在のキャリア職にもその影響が強くみられるルートとは異なる、勘定奉行特有の昇格ルート。勘定所の内部昇格から、または目付ルートへと乗り換えての昇格、更には多額の金銭と業務を扱うが故に、老中からの掣肘を本来の目的として設けられた勘定吟味役からの昇格(もう一つには金さんこと、遠山景元のように将軍家の側近である御納戸や小姓から下三奉行を経て送り込まれるパターンも)と多彩なルートを経て幕政のトップへと就任した彼らには、江戸時代を通じて常にある重要な目的が課せられることになります。

本書の中盤以降で5章に分けて時代ごとに語られる、歴代の勘定奉行の活躍と幕政。皆様がよくご存じの江戸時代における時代区分ごとに、ノンキャリアといえる勘定奉行が輩出され、彼らの手を通じて様々な施策が繰り広げられることになります。

その施策の中核となるのが、緊縮と改鋳による出目。特に本書は、その時々の勘定奉行の特異な出自や時代背景における、活躍した人物を紹介する内容と同じくらいに、出目による幕府への財政貢献と、その反動である通貨品位の下落の対比を綴ることに力を注いでいきます。

トップバッターとなる、もはやお約束の荻原重秀。ここで著者は新井白石とのし烈な反目を扱う一方、昨今特に言及されるようになった、元禄経済の繁栄をもたらしたのが、荻原重秀の通貨政策であり、そのインフレ誘導政策による物価上昇率(年率で3%程度)は、経済成長のためには、充分に穏便であるという論拠に疑問を挟みます。古典的な封建的重農主義者で経済音痴の学者に過ぎない白石に対して、実務家として、商業資本主義を見据えた、開明的で極めて有能な財政政策者であったとの経済系学者の皆様からの荻原重秀に対する評価に対して、あえてその著作を指名して、近世史の専門家としての反論を述べていきます。

いわく、現在の水準における経済成長率と当時の低成長社会における経済成長率を同じ視点で述べること自体着眼点がずれており、その意味では幕末の開港直後の物価上昇率(これも出目でカバーすることになるのですが)は、ハイパーインフレと称すべき水準であったとします。また、改鋳率と物価上昇率を比較すると、比較的類似の数値が得られる点を指摘して、通貨供給量を増やしたことで経済の循環がよくなったわけではなく、単純に改鋳によって、インフレが誘発されたに過ぎない(特に銀使いの西国を狙い撃ちにした点は従来から指摘されているとおりです)と指摘します(荻原重秀が残した瓦礫云々の口伝について、幕末には現実となるのですが、大局的にはこの時点や更には大恐慌を経て戦後のニクソンショックの頃まで、世界的にも貴金属本位制を志向していたはずです)。

その上で、著者は根本的には経済政策ではなく幕府の財政運営の問題として、全国政権としての国家規模での事業を賄う必要に迫られる一方で(本文中にもあるように、御手伝い普請という技も使うのですが)、武家政権に伝統的に期待される(と、儒者や歴史学者が抱く)矜持を離れて弛緩した将軍家の浪費と、そのことに極めて関心が薄い、大名出身者で占められる閣老に対して、実務官僚として、更にはノンキャリアの叩き上げである勘定奉行が最後の切り札として放つ、キャリア官僚では踏み込めない決断を迫る算段としての改鋳と、その絶大な効果である出目による膨大な財源補てんの推移を、ほかの施策と併せて捉えていきます。

元禄を起点に繰り返される倹約を主体とした緊縮財政と農業振興、特に新田開発を中心とした収穫量増長政策とそれに伴う課税体制の強化といった予算均衡、重農主義的な財政政策と、貨幣供給を源泉とする株仲間や冥加金、更には御用金といった商業資本からの徴収を基軸に置いた、拡大経済、重商主義的な財政政策が鋭く対立する江戸中期以降。著者は米本位制を軸に置いた新田開発が曲がり角を過ぎた享保以降に繰り返される「改革」も、結局としては、その後に展開される勘定奉行が主導する出目による収納補填に頼る財政政策に依存せざるを得なくなっていく過程を示していきます。

その過程で登場するのが、大型の干拓や蝦夷地開発、商人からの御用金を集めての国家による金融や財政投資の萌芽を見る、ノンキャリアである勘定奉行が主導する大規模な投資政策。著者が指摘するように、海防や学問、外国の技術取得に対しては極めて消極的な立場を採った一方で、自らの成果は何としても出すことを迫られ、それを自らに課したが故に山師とも取られるような危ない橋を渡る事も辞さない彼ら。これら勘定所が主導した政策も決して上手くいったわけではなく、政権の交代に伴って、かれらもその浮沈を共にすることになります。

経済政策としては上手くいった例が決して多くないため、彼らが巨額の賄賂を取ったとか、成り上がり故の身贔屓や閨閥作りなど負の側面が殊更に取り上げられることもありますが、著者はその一方で、彼らのような勘定所を入口としたノンキャリアたちという、能力主義のステップを経た血の入れ替えがあったからこそ、270年もの間、幕府が曲がりなりにも全国政権として維持し続けることができた点を忘れてはならないと指摘します。

開国前夜における外国との交渉の最前線にも立つことになった勘定奉行とその属僚たち。ここで、著者は彼らの業務に対する高い順応力を認める一方、内政と財務をベースとした人材の限界を暗示していきます。ノンキャリアの勘定奉行の掉尾を飾る存在として川路聖謨を取り上げて、開国前後から余多輩出されてくる、彼とまったく同じように小身から一気に駆け上がってきた幕末の幕臣たちに対して、川路の政策と視点の限界を示すことで、彼らノンキャリアの活躍する舞台としての幕府の終焉を見つめていきます(小栗上野介はバリバリの旗本ですので本書の扱い外で)。

昨今、歴史関係の研究から少し離れて盛んに唱えられるようになった、楽観的な江戸時代への懐古主義にも感じられる数多の書籍の内容に対して近世史の大家が示す、ノンキャリアの勘定奉行たちの姿から見た財政史としての江戸時代の実情を丁寧に綴る本書。

碩学の思いが込められた筆致に暫し思考を委ねていくと、歴史研究の狭間から、平板だった歴史著述の中にもう一つの展開が明確な輪郭を伴ってすっと浮かび上がってくる、そんな一冊です。

今月の読本「こころはどう捉えられてきたか」(田尻祐一郎 平凡社新書)儒学が語らないテーマの研鑽から独自の思想開花を見出して

今月の読本「こころはどう捉えられてきたか」(田尻祐一郎 平凡社新書)儒学が語らないテーマの研鑽から独自の思想開花を見出して

儒学、儒教と読まれる方もいらっしゃいますが、本屋さんに行くと溢れるほどに並んでいるビジネス本や処世術を扱った本と、誰も近づかない思想史の棚で埃をかぶっている研究書や解説書との扱いの差の大きさに、何時もながら驚かされれます。

どちらがどうこうというつもりは無いのですが、そもそも日本人にとって儒学とはハウツーの類に位置する(私もそうかも)、そんなものなのかもしれません。では、もう少し歴史を遡って儒学(朱子学)が正当学問として扱われていた江戸時代の場合はどうだったのでしょうか。大量に本屋さんに並べられたハウツー本が仰々しく問うテーマは、何時の時代も同じような悩みを持っていたはず。そんな疑問点に柔らかめに応えようという一冊をご紹介です。

こころはどう捉えられてきたか今月の読本、「こころはどう捉えられてきたか」(田尻祐一郎 平凡社新書)のご紹介です。

平凡社新書は、毎月のように膨大に送り出される新刊新書シリーズの中でも、ちょっと硬派であったり、思想、哲学系に強いといったイメージを持たれるシリーズだと思います。本書もそのシリーズのテーマに沿った内容、著者も東海大学で近世思想史の教鞭を執られている方です。本書もその延長で、優しく江戸時代の思想史を解きほぐしてみましょうというテーマ(平凡社の雑誌「こころ」の連載記事が底本)に基づいて執筆されています。

思想史と書かれていますが、江戸時代に当該分野を担ったのは儒者と呼ばれる人々であったり、前述のようにすべての学問(医療や農学すら)の根本が儒学であった時代ですので、本書には多くの儒者の方が登場します(本当は僧侶も含まれる筈なのですが、本書ではほとんど語られません)。かなり丁寧にその辺りの系譜は説明が加えられていますが、抵抗感のある方にとっては冒頭から読むのが結構辛い事になるかもしれません。特に後半の仁斎、徂徠、宣長を扱った章では、著者自身がハードルを上げていると述べている事もあり、江戸文化史程度の事前知識ですと、ちょっと戸惑うことになるかもしれません。

江戸の儒者が総登場する本書が語るテーマ「こころ」。このテーマと登場人物を比べておやっと感じられる方もいらっしゃるかもしれません。鬼神を語らずという言葉を残した孔子の系譜を継ぐ儒者たちにとって、それらは語るに足らない事であったはず。本書は敢えて、その語らない筈の内容を江戸の儒者たちがどのように理解していたのかを突き合わせていこうという主題を置いています。鬼神、鏡と虚といった老荘に始まり道教や禅に由来する思考、そして自由、恋、愛…。一般的な儒学の解説書でもやはり語られない内容に対して、江戸の儒者たちがどのような解釈で挑んだのか、そして学問上のライバルたちが彼らの理解をどのように批判(時に攻撃)していたのかを、学統を含めて解説を加えていきます。

大陸の儒学が語らない内容。でも実際の生活にとっては身近なそれらの問題を解釈するために、本来の儒学とは異なる禅の思想であったり、阿弥陀教の信仰心や、伝統的な神仏混交の信仰心、伝説に依拠した解説を組み入れて理解していこうとした江戸の儒学者たちの姿と、その姿勢に対して明らかに批判を唱える儒学者たちの衝突を描くことで、初めて日本に思想と呼べる研鑽が生まれた事を見出していきます。

後半に登場する、江戸文化を代表する3人の著名な人物。ここでは既に思想家という言葉を使ってよいのかもしれませんが、著者が用意したこれら儒学が語らないテーマに対して彼らがどのように解釈したのか、その個別のアプローチを捉えていきます。

形を有さず、常に人を惑わす「こころ」という存在。仁斎の現在の日本人にも内面的に求められ続ける他者を慮りながら適切な距離を作り続けるというスタイル(その後、神道に傾倒する起源も)。一方で徂徠はそんなものは社会性が規定するもので、個々人の問題ではないと切り捨てる(正当な儒学の受容を徹底的に追及し、その社会性を規範するのは為政者であるという儒者の根本は外さない)。更に宣長に至っては、そんなものは移ろいゆくものであり規定すらできないと突き放す(もちろん医師であった宣長にしても儒学を具えており、その先に古典、古事記を読みぬく際の思想を重ねた結果として)。まるで現代の議論を見ているように纏めてられてますが、それはやむを得ない事。更に、本書で語られる儒学を規範として日本人の思想であったり文化にどのように定着していったのかという議論を続けていくと、それは宗教であると、現在であれば加地伸行先生の議論に行ってしまいそうなので(正直に言うと加地先生の著作は苦手なのです)。

一方で、これらの思想の展開に対して、仁斎や宣長(実際には徂徠も影響を受けている)の延長に国学の勃興を重ねて、儒学を脱却して国学に着目したことにより、日本が初めて儒学に基づいた思想から脱却した新しい思想を得るに至ったように見える筋書きを匂わせている点は、ちょっときな臭い感じもしてきたのですが、どうもこの部分は山本七平氏の著作にみられる流れと同じ伏線で書かれているようにも見えてきます。

江戸の儒者たちが挑んだ人のこころに対する解釈の問答とその変遷を綴る本書。実は読んでいくうちに、そのような想いに対して、全てを突き放して自らと外界との繋がりに向き合い、更には儒学の規範にすら疑問を呈することを良しとし、本質をひたすら追い続けようとした佐藤直方の思考に強く惹かれてしまったことに、如何にも私も現代人だなぁと、正直に述べておきます(入手可能な纏まった本が無いのが残念)。

<おまけ>

本書に関連する書籍を本ページよりご紹介

今月の読本「犬と鷹の江戸時代」(根崎光男 吉川弘文館)江戸の地方支配から見る、御犬様と御鷹様の深い関わりを

今月の読本「犬と鷹の江戸時代」(根崎光男 吉川弘文館)江戸の地方支配から見る、御犬様と御鷹様の深い関わりを

15代を数える、江戸時代の将軍たち。創業の家康に始まり、終焉の慶喜に至るまでに、それぞれに特色のある人物像が語られますが、その中で愛称を込めて呼ばれた将軍は決して多くないと思います。

毀誉取り混ぜて名付けられる愛称、その中でも犬公方と鷹将軍(もしくは米公方)と呼ばれた、綱吉と吉宗は歴代の徳川将軍の中でも特に特色のある治世であった事で知られています。どちらも動物の愛称で呼ばれた二人の将軍、一見対照的に思われる二人の治世ですが、実は意外な共通点がある事をご存知でしょうか。

犬と鷹の江戸時代今回ご紹介するのは、二人の将軍に名づけられたその愛称に纏わる物語を描く一冊、吉川弘文館の歴史文化ライブラリー最新刊より「犬と鷹の江戸時代」(根崎光男:著)です。

著者はスペシャル版であった頃のブラタモリにも登場したことがある、江戸時代の鷹狩研究の第一人者(浜離宮のロケで、鷹狩のデモンストレーションに登場されていましたよね)。本書の一方のテーマである鷹将軍、吉宗を語るには相応しい方ですが、果たして犬公方を語るにはどうでしょうか。そんな想いで本書を読み始めると、著者にとって、どうしても犬公方たる綱吉の治世を解き明かさない事には、鷹狩の研究が進められない事情が浮かんできます。

表題だけを観ると、綱吉と吉宗の治世に伴う思想論の違いであったり、所謂文治政治と武断政治の相違を犬と鷹、公方と将軍という尊称の違いに仮託して話を進めていくように見えますが、内容は大きく異なります。綱吉が既に館林時代から鷹狩を行っていなかった事や、吉宗が旗本たちの綱紀引き締めのために鷹狩を用いた点については言及されていますが、本書ではその理由の核心や政治的な位置づけを探り出そうというテーマは掲げていないようです。

本書が着目する点、それは鷹狩を行うためには必須となる鷹狩の場所と、鷹たちを養う鷹役人たち。江戸時代の鷹役人たちの歩みを観ていくと、生類憐み政策に伴う大きな分断点が綱吉の時代に生じる訳ですが、彼らの家系はその後も続いて、吉宗の時代には規模は大幅に縮小されつつも、再び彼らは鷹役人として登場してくる。では、その間に彼らは何をしていたのかを追いかけた結果、意外な事実に突き当たる事になります。

江戸時代の旗本職制をある程度ご存知の方であれば、無役となった旗本達は寄合(大身ないしは布衣以上の役職を経た場合)ないしは、小普請に移る事はご承知の事かと思います。しかしながら、鷹匠や鳥見と呼ばれた鷹役人たちは、綱吉の将軍就任以降、殆ど一括して寄合番という、聞きなれない役職に振り分けられていきます。彼らの仕事、それこそが犬公方たる綱吉が推し進めた江戸市中に徘徊していた野犬たちの収容所、犬小屋の運営を監督する仕事。更には、元々の鷹狩場として、民衆の狩りが禁止されていた江戸郊外に広がる広範な地域における、生類憐れみという、意味を差し替えた上での狩猟禁止を維持するための仕事が待っている事になります。

犬公方たる綱吉の最大の政策である中野の犬小屋を始めとした犬の保護、隔離政策と、江戸近郊での鳥獣保護政策。その正反対に位置する吉宗の鷹狩再開と、鷹場の復活。どちらもその実務を担ったのは鷹役人たちであったという、冗談のようなお話の実際が語られていきます。

そして彼らの活躍した場所、鷹場における統治政策。吉宗の時代になると、鷹狩の獲物を確保する事を目的として、江戸から十里四方(約40km、西は相模川畔の高座、愛甲から北は高麗、入間、東は印旛から筑波に至るまで、更には海上も)にも及ぶ広大な狩猟禁止区域が設定される一方、深刻になる獣害に対応する為に、それ以外の場所における鉄砲の使用と所持の手続きは徐々に簡素化されていったことが明らかとなっていきます。筋という区域を分けて管轄ごとに狩猟場として地域を管理する鷹役人たちと、その他の地域を含めて広範な江戸近郊の農政を委ねられて、鷹狩の毎にその準備と馳走を受け持つ、歴代の伊那代官たち。獣害が発生しても銃を用いる事すらできない厳しい規制と、身元不明の浪人の排除や定期的な鳥見と網差による見回り(ここで、農民の前では御鷹様と呼びならわしてはいけないという、将軍の権威を振りかざして傍若無人の振る舞いがあった鳥見への掣肘の通達も述べられていきます)、鷹達の餌の確保を兼ねた水鳥問屋、岡鳥問屋の統制といった、将軍のおひざ元でもある江戸近郊特有の支配機構の一端を鷹役人の活動から垣間見る事が出来ます。

そして、本書ではこれら政策に直接恩恵を受ける、否、翻弄されたであろう江戸市中の民衆の負担についても検証していきます。隔離した犬たちの膨大な餌代(実に年間98,000両余り)、計画面積何と30万坪という広大な犬小屋を維持するための膨大な費用。更には、隔離しきれない犬たちを江戸近郊の農家に預けて養育した費用の全てが江戸市中の負担となっていました。

綱吉政権の末期、これらの政策は行き詰まりを見せており、中野の犬小屋は全面的な完成を見ぬまま、綱吉の死去によって終焉を迎える事は良く知られている事です。ここで、著者はどの時点で犬小屋の政策が縮小に至ったのかの検証を進めていきますが、これまで言われてきた家宣が将軍に就任した時点ではなく、それ以前から江戸市中の金銭面負担における不満を緩和する為に、大幅に囲い込み政策の規模縮小が図られていた事を見出していきます。此処でも最近顕著になってきた新井白石バッシング(もとい、正徳の治の再検証)が述べられていきますが、やはり無理のある政策であった事は、後世の我々にしても同じ見解に至るところです。更に廃止の余波は、なんと近郊の農家に委託して養育していた犬たちの養育費の返還というとんでもないしっぺ返しを生み出し、その返済が遥か享保の御世にまで至った事を資料から明らかにしていきます。

大きな負担を残した綱吉による生類憐み政策と鷹狩の全面停止から百八十度転換しての、吉宗の鷹狩再開。前述のようにその本意については本書では述べられませんが、治世上の効用については、吉宗時代に限らず、専門家らしく豊富な事例を述べていきます。天皇から大権を委ねられた武門の統治者としての儀礼の一環である鶴の献上と、大名、旗本たちへの振る舞い。儀礼を維持するために払われる鷹役人たちの涙ぐましい努力(鶴、半自然環境で飼い馴らしていたのですね)。鷹場を維持する為に鳥の巣(特に烏)を落として歩く農民たちと、江戸近郊故に鉄砲を持てない農民に代わって、わざわざ農村まで出張って鳥を撃つ鉄砲役人たち。その一方で、新田開発に伴う獣害に悩まされる農民たちの苦悩。生類憐みでも、鷹狩でも、結局のところ最後に大きな負担を強いられるのは、江戸市中の人々であり、近郊に在住する農民たちであった事が明確に述べられていきます。

翻弄される人々の苦悩に対して、ほんの少しの落穂ひろいとして語られる、享保期の犬事情と、享保の時代まで残った犬小屋、更には広大な敷地を誇った中野の犬小屋のその後。やや付け足しの感もありますが、ブラタモリにも通底する中野の今昔物語は、今や中央線随一の街並みを誇る場所となったそのきっかけが、実は広大な犬小屋の跡地にある。その変遷の上に現在の中野の街並みを重ね合わせて考えると、なかなかに興味がそそられるところです。

鷹役人と江戸近郊の地方支配から眺める、江戸時代の動物政策を語る本書は、通史に囚われず、ちょっと切り口を変えて歴史を眺める事で新たな発見を見出すことをテーマとしている本シリーズに相応しい一冊。たかが動物政策と切り捨てる事は出来ない、現代に通じる、当時の江戸近郊の景観を作り出していった根底には、個性的な将軍たちの治世と、翻弄された役人、そして人々がいた事を改めて見つめ直して。

犬と鷹の江戸時代と類書たち本書と併せてお読みいただきたい本。同じ歴史文化ライブラリーから「宮中のシェフ、鶴をさばく」(西村慎太郎)と、「馬と人の江戸時代」(兼平賢治)を。どちらも江戸時代における動物政策、前書は儀礼としての鶴包丁を中心にした公家の家職に纏わる伝承と、大切な収入源としての物語、更には彼らと関わる地下官人たちの姿を、軽快な筆致で実に闊達に描く。もう一冊は、江戸時代の一大馬産地である南部を故郷に持つ著者が、その想いを込めて南部の馬に限らず、江戸時代の馬産業、馬産政策から、飼育環境、農耕、馬具、桜肉…、に至るまでを網羅的に語る一冊。実は馬の物語にも、綱吉、そして吉宗の治世が深くかかわって来る事が冒頭で述べられていきます。本書で描かれる犬と鷹の政策と比較して読んでみるのも良いかと思います。本ページでは、こちらでご紹介しております

いずれも、本シリーズの特色が現れた、読んで楽しく、豊かな知見が広がる本だと思います。

今月の読本「江戸時代の通訳官」(片桐一男 吉川弘文館)江戸時代の異文化コミュニケーションを支えた阿蘭陀通詞の再評価とその学習法への熱い視線

今月の読本「江戸時代の通訳官」(片桐一男 吉川弘文館)江戸時代の異文化コミュニケーションを支えた阿蘭陀通詞の再評価とその学習法への熱い視線

現在においても日本語以外でのコミュニケーションを取る事は大変な事。

それでも、中学高校と大抵の皆様は6年間の英語の学習を経られる訳ですし、外来語が溢れている今日であれば、アルファベットが読めないなんてことはないと思います。

それでは、時代を200年ほど遡って江戸時代に戻ったら…どうでしょうか。

そんな著者自らの疑問に対しての回答と、そのベースとなる研究成果について、当該分野研究の第一人者が語る一冊が上梓されました。

江戸時代の通訳官今月の読本、「江戸時代の通訳官」(片桐一男 吉川弘文館)です。

本書は全体を4章に分けて語っていきますが、そのうち中間の2,3章については、既に著者の手による別の書籍で語られた内容と多くが重複しているようです。そのためでしょうか、当該章においては、まるで端折るような筆遣いで話を進めていく点は、本書を機会に阿蘭陀通詞の事を知りたいと思って手に取られた方にはやや残念な感もあります。それでも、描かれる内容は通詞の家柄であったり、職務、家職の継承といった通詞としての営みといった余り知られていない事柄であったり、カピタンとの僅かな会話でも手紙を用いて(殆ど筆談)やり取りをしているのですが、その内容が複雑な貿易処理や政治的な会話かと思いきや、ほんのささやかな事でも手紙がやり取りさせていた(しかもその書きつけが残っていた)点には驚かされるかと思います。

興味深い通詞という役職や長崎特有の貿易に関わる事情、実務の実態。江戸における通詞たちの職務や、本書以外では殆ど語られないであろう、カピタンの代参で江戸に上った際の段取り全容。さらには微笑ましく、時に緊迫感もある阿蘭陀人とのやり取りを読んでいるだけでもかなり楽しめるのですが、本書に於ける著者の狙いがそこではない事は明白です。著者が本書で述べたいと思っている事、それは冒頭の1章と末節の4章に集約されています。

その成果と業績に割には余りにも扱われる事が少ない、江戸時代の阿蘭陀通詞に対する再評価を促す事。そして、彼らがどのようにして触れる事すら難しかったオランダ語を習得していったかを探り出していく事。

多くの教科書や歴史書では、解体新書とそれを著した杉田玄白をはじめ蘭方医たちが江戸時代の蘭学の開花を促した、さもなければ青木昆陽が江戸の蘭学の揺籃を担ったと描かれていますが、その背後には当時の阿蘭陀通詞たちが陰となって活躍をしていた事が本書を読んでいくと明確になっていきます。更に遡って、新井白石がシドッチの尋問を行った際にも、白石自身は会話を続けていくうちに、通詞には頼らず、ある程度かの地の言葉を解したと自著で述べているようですが(自信家の白石らしい点でもあります)、実際には大通詞の解釈に多くの部分で拠っていた、その結果を著述していたに過ぎないと著者は看破していきます。

そして、幕末になってペリーが浦賀に初めて来訪した際に、阿蘭陀通詞であった堀辰之助が艦隊に向かって「I can speak Dutch!」と呼びかけた事でも知られるように、阿蘭陀通詞と言いながらも、既にオランダ人から英語の基礎的な会話すら会得しており、蝦夷地や関東周辺に出没していた外国船の応接の度に、長崎、そして江戸から度々にオランダ語のみならず、英語やロシア語の通訳として、更には重要な外交官として派遣されていた事が判ります。英語学習の先駆者的に謂われる福沢諭吉にしても、その初歩段階は阿蘭陀通詞の元に通って教え請うのが実情であった事からも判るように、英語学習についても、その先駆は阿蘭陀通詞たちであった事がはっきりと判ってきます。

江戸中期から幕末にかけて江戸、そして大阪で花開く蘭学。著者はそのような歴史著述に対して異を唱え、江戸時代の初期、まだポルトガルとの交易が続いていた頃から、平戸、そして長崎で活躍した通詞たちが営々と培ってきた家職制に基づいた蘭学の学習体系がその基礎にある事を指摘していきます。更には、本書を読んでいくと、入門から学問体系としてのオランダ語学を体系化していったのも彼ら阿蘭陀通詞だったことが判ります。

本書の冒頭から全体の約40%のページ(本文348頁に対して140頁)を注ぎ込ん展開していく、阿蘭陀通詞が如何にしてオランダ語を習得していったのか、その文献資料、実際に利用したと思われる書籍を追跡する一連の探究が本書の白眉。熱っぽく語る、導入で用いられた入門書と思われる「A-B BOEK」原著に辿り着くまでのいきさつと、そこで用いられたであろうオランダ語学習のシラバス。通詞たちが自らの学習、習得のために私的に纏めていった著作、言語学的知見と、その後に現れてくる蘭学者たちの著作との記述内容の高い一致性。

まるで、蘭学者たちの言語学的な研究成果の殆どが、阿蘭陀通詞たちの成果を援用するに過ぎないと言い出しかねない勢いで検証の筆致を進め、最後にはこれ以上、読者に忍耐を求めるのは忍びないと述べて、省略という名で一方的に議論を打ち切る。

他の箇所にも散見される、読者を置き去りにするかのような筆致には、一般向け類書の少ないこの分野第一人者の著作として、正直残念な点でもあるのですが、それだけ著者の阿蘭陀通詞への想いが現れているとも考えられるかもしれません。

4章で語られる、著名な歴代通詞の業績を纏めた「二十三名の通詞たち」。その筆致には、著者の通詞たちへの深い畏敬の念と、当時の為政者へのわだかまりすら感じさせるやるせない想い、その業績を何とかして称揚したいと願う、強い想いが滲み出ているかのようです。

海外との限られた窓口であった長崎、そして江戸の長崎屋を舞台に繰り広げられた貿易と外交という舞台の最前線で活躍を続けた阿蘭陀通詞たちの歩みと、その背景を俯瞰する本書を読んでいくと、他者、そして違う価値観、文化を持つ人々とのコミュニケーションにとって何が大事で、どのような積み重ねの上に実現していったのかという事を改めて思い返させる、現代にも通じるテーマが見えて来るようです。

江戸時代の通訳官と、それでも江戸は鎖国だったのか本書を通じて、通詞の学習や業績ではなく、2,3章で述べられる、通詞とカピタン達との異文化コミュニケーションやオランダ貿易自体にご興味を持たれた方は、同じ著者のこちらの本「それでも江戸は鎖国だったのか」(吉川弘文館 歴史文化ライブラリー)がお勧めです。江戸時代の蘭僻、西洋趣味の一端を味わいたい方にも良い本だと思います。

<おまけ>

本ページでご紹介している、関連する書籍を。