今月の読本「大江戸商い白書」大江戸版ビックデータが紐解く庶民の経済事情とある幻想

今月の読本「大江戸商い白書」大江戸版ビックデータが紐解く庶民の経済事情とある幻想

梅雨明けを迎えて、暑い夏を迎えた連休。

一大観光地でもある八ヶ岳の山麓は、どこもかしこも観光客の方でひしめいている(何と、今日は霧ヶ峰で渋滞が発生していたとか…)ので、出かけるのはどうしても控えたくなってしまいます。

そんなときは、少し日陰を作って涼を取れるようにした午後の居室でじっくり読書に浸ってみます。

今日は、今月の新刊から面白いテーマを掲げた一冊をご紹介です。

大江戸商い白書大江戸商い白書」(山室恭子 講談社選書メチエ)です。

著者の山室氏は既に「江戸の小判ゲーム」や「黄門さまと犬公方」といった一般向けの同時代に関する書籍を複数執筆されていますが、最も著名な作品は、同じ講談社の学術文庫に収められている「中世の中に生まれた近世」でしょうか。

一方、今回の一冊は現在の所属されている組織がテーマに色濃く反映されているかのようです。日本近世史の専攻にして東工大大学院の教授という異色のポジション。そして本書のテーマは統計データに基づく江戸時代の経済実態を検証する事。

この分野の先駆者ともいえる磯田道史氏の大ヒット著作「武士の家計簿」が、一人の武家の経済状況をつぶさに拾い込んでいく事に対して、著者のアプローチは全く異なる、幕府や当時の町役人たちが残した史料を再編成、データ化することで、特徴点を導き出そうとする統計的手法。その狙いは、著者がいうところの「三井史観」(今年は三井350年を記念して複数の書籍が上梓されるようです)に対するアンチテーゼ。単一ないしは同一提供元による資料を丹念に積み上げていく事で、特定の事象に対して本質に迫ろうという前者のアプローチとは相反する、所謂ビックデータ的なデータ処理手法(但し、集計はExcelである事が本文中に記されています)を用いる事で、より均質化を図った、普遍的な傾向を導き出そうとしていきます。

そのために著者が選んだ基礎データは「江戸商家・商人名データ総覧」(田中康雄編 柊風舎)。この大著の中から、著者は特定の条件に従って抽出したデータを用いて、その他の史料を交差させながら議論を進めていきます。

ここで母集団妥当性の議論を始めると、その選択自体に疑問を挟まざるを得なくなりますので、まずは著者の議論に耳を傾けていきます。そこにはインパクト重視で、狙ったようなキッチュな表現(著者の年齢を考慮するとちょっと驚くところでも)が続く、学生がデータ分析の準備、検討を進めていく過程の呟きを拾い込んだような、やや読みづらい文体(口語体の参考書とでも言いましょうか)を用いて、極めて予定調和的な結論へ導こうとしていきます。

その結論は、著者が文面の端々で繰り返し述べているように、従来の江戸時代の商人像とは異なる、競争が激しく、出入りも頻繁な、極めてドライで非伝統的な経営であるという点を、生活に最も密接に関わる米搗き屋と炭薪屋の業容データ(地域性や市場規模、仮定としての収益力)から導き出していきます。そして、これまでの江戸時代の商人研究において、日本橋界隈の華やかな業種にのみ着目(氏の謂う三井史観)し、これらの庶民に密接に関わる業容への視点が欠落していた事を指摘します。

この視点は確かに慧眼なのですが、既に湯屋(本書でも最終章で扱われます)や蕎麦屋を題材にした書籍でもこれらの傾向は指摘されており、著者が声高に叫ぶほどの指摘点ではないのかもしれません。

そして、本書の後半にかけて、著者のデータ分析上でも重要となる、天保期の株仲間解散と、再結成に関する経緯が語られていきます。前半以上に丁寧に解説された株仲間再結成へ至る合意形成の経緯と、今回用いたデータとの関連性について検討を加えていきますが、そこには、ある議論に対して決定的な疑問点が生まれてしまいます。

著者は前述の結論に対して、生活必需品の販売と購入に関して、従前の株仲間の成立以降、極めて低位な水準で需要と供給におけるある種の経済的バランスが成立していたとしており、その需給バランスの調整弁が購入する側に購入先の選択権があり、販売する側には株仲間の規制により積極的な拡販は許されず、株による参入調整と、自由な市場撤退による需給調整により安定化していたと見做していきます。その結果は、価格競争が殆ど起きない、準公的な市場調整による低廉な生活コストが実現していたという事になります(これを評して「まことに稀有なうつくしい光景に江戸の街で立ち会う事が出来る」としています)。

一方で、天保期の株仲間解散そして再結成に於いて、従来の株仲間の範疇に囚われない商人たちの活躍を描き、最終的には彼らが旧来の株仲間の範疇を超越していく事も併せて示していくのですが、その事例と前述の調和的な低位の需給バランスの安定のキーとなる、購入側の選択というキーワードの効果が微妙に食い違っているようにも見受けられます。そこには価格の安定化の議論のほかにもう一つある、市場の占有性についての議論がすっぽりと抜けているかのようです。その結果、価格の低廉化と低利益率の議論が続く中、利潤の追求に関する検証が抜けてしまっており、まるでデフレスパイラルの議論を見ているかのようです。

そして、統計データを扱う時のマジック。集計ベースをあえて「店名」に依拠させる(意図はよく判りますが)、業種によって集計の時期が異なるなど、元となるデータが乏しい中、何とか整合性を合わせる努力を為されている事は理解できますが、近似の取り方や一致性への判断を含めて、結論への落とし込みについて多少大振りな感が否めないのも事実です(その際に、著者はまるで自分を言い聞かせる様な文体を用います)。

数少ないデータを駆使して、近世の経済活動を統計データで明らかにしていこうという、著者の新しい試み。

原典以外に引用論文等の出典が一切示されていないので、これらの検討成果がどのように導き出され、今後どのような展開を見せるのかを本書を読んだだけでは全く把握できませんが、これから新しい視点が生まれる事を予感させる面白いアプローチ。今後、是非更なる検討を加えた上で、巨視的な観点に立った江戸経済学という分野を見せて頂きたいと期待したいところです。

<おまけ>

本ページより、本書に関連する近世史の書籍をご紹介。

広告
今月の読本「人物叢書 二宮尊徳」(大藤修 吉川弘文館)その生き様と想いは、予が書簡を見よ、予が日記を見よ

今月の読本「人物叢書 二宮尊徳」(大藤修 吉川弘文館)その生き様と想いは、予が書簡を見よ、予が日記を見よ

歴史書専門の出版社でもある吉川弘文館。

各種の歴史書シリーズを手掛けていますが、中でも決して完結しないのではないかと思われるシリーズが、日本歴史学会の編集により刊行を続けている「人物叢書」。

歴史を学ぶ楽しさの一つでもある「人物」に特化した本シリーズは、インデックス付きの読みやすい文体の作品が多い事もあり、比較的手軽に読めるのですが、豊富な注釈と引用を含めて、多くの類似書籍に参考文献としても引用される、一線の研究者の方が丁寧に執筆された本格的な内容を備えたシリーズでもあります。

今回購入したのは、最新刊のうちの一冊(通巻281冊目)「二宮尊徳」(大藤修 吉川弘文館)です。

人物叢書 二宮尊徳流石に完結しないシリーズと呼ばれるだけあって、本作も著者のはしがきによると、執筆を依頼されてから実に30年近くの歳月を経て脱稿に至った事が述べられています。しかしながら、その間の研究成果が存分に反映されているとも考えられますので、この時期に読めるタイミングが得られた事をまずは喜びたいと思います。

本書は二宮尊徳の出生から死後の所謂報徳運動、更には「薪を担いだ金次郎」の伝説に至るまで、彼に関する広範なテーマについて検討を加えていきます。そのアプローチは冒頭に述べられる、尊徳が死期を前に語った一言

「予が足を開ケ、予が手を開ケ、予が書簡ヲ見よ、予が日記ヲ見よ、戦々恐々深淵に臨むが如く、薄氷を踏むが如し」

この言葉の通り、尊徳の残した書簡、日記などの膨大な資料を丹念に読み返すことで、虚構を排し、真に尊徳が語った言葉に迫ろうとしていきます。

著者の手によって、その筆まめを越えた尊徳自身、そして妻や娘によって代筆された帳簿や日記、思想を綴った筆跡、幕府や仕法を受けた武家に上申する為に作成された膨大な記録の数々を読み解かれる事によって、死後、そして明治以降に偉人として持ち上げた書物や記録に施された虚飾と真実が徐々に分かれていきます。

儒学を学べるようになったのは、武家奉公に出る頃であって、幼年時代ではなかった事。また、武家奉公時代以降は、所謂小作を使って農耕を行わせる地主階級にあり、その時代に学んだ儒学を武家奉公人たちに教えたり、短歌や俳句、晩年には書画をも学ぶくらい、実は学もあり、趣味をも嗜む立派な富農としての体裁を持っていた事を示していきます(もちろん、これには藩士として、そして御家人としての体裁を整えるという意味もあったはずです)。

その上で、余りにも著名な報徳仕法について、著者はその後に起きたある誤解を解く試みをします。それは、報徳仕法の大原則が「年貢を収納する側に最低限の「分度」を弁えさせた上で、その余剰を以て新たに農業へ投資することで全体の収益を向上させ、それ以上の差額が生じた場合には、更に別の投資に廻す事」である事を、仕法の各事例を通して示していきます。

明治維新後の報徳運動で欠落した点、それは収納する側(すなわち政府)が「分度」を弁えるという、仕法の最も重要な入口の議論を葬り去って、ただ協業と利益の相互還元だけを語る運動になってしまったことを明らかにしていきます。尊徳が仕法を受け入れる際に収納側に花押入りの念書を獲ってまで重視した点、それは収納する為政者への厳しい戒めが込められている点に着目していきます(更に、著者は尊徳自身が平等主義を掲げている訳ではなく、富農や為政者の存在自体を否定していない点に着目しています)。

その結果、仕法を受け入れた為政者側にも、仕法を受け入れる農村側にも(厳密に収量管理が行われる)多くの軋轢を生じさせる結果となり、多くの困難に向き合う事となった結果、遂には故郷小田原藩に戻る事が出来ず、遠く今市の地で最期を遂げる事となります。

この辺りの悲哀の物語は比較的知られていることかもしれませんが、著者はその背後にある尊徳のしたたかな計算を記録から読み解いていきます。桜町仕法の途中でサボタージュを遂げて成田山に参篭してみたり(わざわざ探させた上で呼び戻させるように仕向ける役者ぶり?も)、上司が気に食わないと辞表を片手に詰め寄ってみたり、幕府に登用されて勇んで仕事に打ち込んでみたが、そのうちお声が掛からなくなると、上司に愚痴をこぼしてみたりと、その姿は今時の困った社員にも見えてきてしまいます。また、意外なことに米相場や投機によって理財を行う事に長けており、それによって仕法の元手を増やすまでは良かったのですが、幕藩体制の悲しさか、資金不足を解消する為に、わざわざ他の仕法で蓄えた元手を投入しようとすると逆に阻止されるという、やるせない現実にも突き当たります。

そんなドンキホーテのような現実の中でも、自身の信念に基づいて粘り強く交渉を重ね、実績を上げていく尊徳の周りには徐々に協力者が集まっていく事を、著者は漏らさず記していきます。中には、当時の上司だったり、明らかに嫌がらせを行っていた人物も含まれていますが、尊徳の情熱と信念、そして少しずつではありますが成果を実らせる仕法の結果に惹かれて、彼の周りには多くの門人、支援者が集まる事になります。

大規模な新田開発に伴う高度成長期が過ぎ去った後に続いた、経済成長の停滞と、環境変化や開発の行き詰まりによる新田の荒廃。そのような成長の曲がり角に際して各地で用いられた、尊徳仕法の元となる、舫いや、講、そして無尽(この言葉、今や山梨しか通用しないでしょうが)といったマイクロファイナンスと呼ばれる相互扶助的な金融システム。今の日本には失われてしまった集落や同一地域を基盤とした相互扶助体制を、農村を基盤として永続的なシステムとして構築することに心血を注いだ二宮尊徳。その思想の原点は相互扶助の大前提となる一族の絆を守る事。彼が終生を賭して、そして小田原藩への出入りを差し止められても続けた仕事が、没落して継承者を失った二宮総本家の復興。

彼の生の声、生の想いを紐解き描いた本書。そこには、家族から一族へ、一族から地域へ、そして国へという、我々が忘れかけている儒教の徳目、その普遍的な想いが色濃く反映されているようです。

<おまけ>

本書に関係する書籍のページをご紹介

今月の読本「馬と人の江戸時代」(兼平賢治  吉川弘文館)南部という郷土を舞台に馬、獣そして人々の物語を集めて

今月の読本「馬と人の江戸時代」(兼平賢治 吉川弘文館)南部という郷土を舞台に馬、獣そして人々の物語を集めて

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館さんの歴史文化ライブラリー。

通巻400冊を来月に控えた3月の新刊から、シリーズに相応しいテーマを扱った、ちょっと気になる一冊をご紹介(本当はもう一冊の方を買うつもりだったのですが、次のタイミングで…)。

馬と人の江戸時代馬と人の江戸時代」(兼平賢治  吉川弘文館歴史文化ライブラリー)です。

岩手県出身で、東北大学で博士課程を修めた著者が選んだテーマは、故郷を代表する名産であった南部馬。

既に純血種は絶えており、現在では決して馬の生産が盛んな場所ではなくなってしまいましたが、それでもチャグチャグ馬コや、南部曲屋で知られるように、馬と人との繋がりが非常に強かった土地。著者は愛着ある地元の馬産の歴史を追う事で、近世、そして近代の馬と人との繋がり合いを描いていきます。

本書は大きく分けて2部に構成が分かれます。前半は徳川幕府による馬産制度と徳川綱吉の生類憐みの令、そして徳川吉宗の馬産振興を通じた幕府による馬を通じた統制を描いてきます。その中でも著者が着目するのはもちろん南部馬。仙台馬、そして南部馬の流通や幕府の買い上げに関する取引について丁寧な解説が述べられていきます。

優秀な戦闘道具としての馬から、天下泰平と戦国の気風を改めるための愛護精神による保護政策(所謂筋延ばしの規制)、そして弛緩した気風を再度改めるための馬産の見直しと、幕府御牧の再編成。そのいずれのシーンにも優秀な種牡馬として南部馬が登場していきます。その体格の大きさと、虚勢をしなくても穏やかな性格(冬の間も放牧をすると荒れてくるなどという、ちょっと面白いお話も)が好まれて全国に普及したであろう南部馬の流通をその中核に位置した幕府の政策から検討を加えます。

研究者らしく、藩と幕府に於ける馬産政策を系統立てて語る前半に対して、南部を舞台に其処に住む人々と南部馬の関わり合いを描いていく中盤以降、その筆致は少々雰囲気を変えていきます。

中盤以降の構成は、一応章立てで書かれていますが、その内容は特段に章ごとに区別されるものではなく、馬に関わる話題に関してかなりの広範囲のテーマが網羅的に描かれていきます。描かれる内容も、武家の組織や取引から、牡馬(駒)と雌馬(駄)の扱い、農耕馬としての農民とのかかわり、更には馬に限らず南部という土地で馬と関わって生きる人々や獣たち、更には彼らが暮らす環境にまで筆致は広がっていきます。

明治以前には耕馬としての活用が例外である点を関東以北の深耕田に見出す。火災の記録から農民の平均的な馬の所有数、そして馬の所有数と農民の所得階層の比較検討を行う。更には、一緒に飼われていたであろう牛の利用法や牛乳への言及、そして皮や毛といった材料としての活用(武具、細工)や流通、職人に関する話題へとテーマを推し広げていきます。

ややテーマが散漫となる後半、その中でも少し重点を置いて描かれるのが、食肉としての馬(桜肉)。著者はその契機と普及の過程を、江戸中期以降に頻発した飢饉における食糧事情、そして飼料すら食事に廻す必要性から餌を与える事も叶わず、処分するくらいなら食するという判断があった、その繰り返しが近代以降の肉食への抵抗感を既に引き下げていたのではないかという、興味深い見解を示していきます。

更には、広大な牧草地を要する放牧に伴う環境への負荷とそれに抗するように現れる狼たちと人間との抗争。その反動として現れる他の獣たちの増加、そして駆除といった、現在の中山間地での微妙な話題にま言及する点は、歴史文化ライブラリーの一冊としては検討の及ぶ範疇なのかもしれませんが、歴史書の領域としては少々逸脱するところもあるようです。

馬を中心に置きながら、広範なテーマを描く本書。著者があとがきで少し言及していますが、その想いは馬を通じて、郷土でもある南部という土地そのものを描こうとしているかのようにも思えます。

そして、既に在来種としての血脈が失われてしまった南部馬。その原因を、江戸時代以前には生息すらしていなかったにも拘わらず、現在の馬産の中心である、広大な牧草地が広がる北海道への南部馬の種牡馬と しての進出による馬産地としての地位の逆転と、明治以降の品種改良において、それこそ在来種でもっとも体格が良く、性格も温和だった南部馬が優先的に利用された結果ではなかったかと指摘 します。

歴史文化ライブラリーらしい楽しさがあり、更には歴史書としての既存の枠すら超えようとする本書。著者の研究分野とはちょっと離れてしまうのかもしれませんが、今度は郷土南部を中心に置いた、馬と南部の人々の物語の本が読みたくなる、そんな想いを持った一冊でした。

木曽馬の里と木曽馬たち7南部馬は絶えてしまいましたが、本州最後の在来馬と考えられる、木曽馬を(まだ噴火前の、開田高原木曽馬の里にて2014.05)

<おまけ>

本ページでご紹介している似たようなテーマの話題を。

今月の読本「将軍と側近」(福留真紀 新潮新書)老中制をブレーンたる儒者から眺める

今月の読本「将軍と側近」(福留真紀 新潮新書)老中制をブレーンたる儒者から眺める

纏まった時間が取れる年末は読む側も出版する側にとっても重要な時期。このシーズンになると本屋さんには面白そうな本が多数並ぶので、どれを買おうか迷ってしまいます。

発行部数も、入荷数も限られる新書版の新刊本は、チャンスを失うと二度と入手することが出来ないので優先的に買うのですが、文庫や新書は何処の本屋さんでも、多少タイミングがずれても購入できるので、ついつい後回しに。

今回の一冊も、そんな具合で年始過ぎまで後回しにされてしまった新書からご紹介です。

将軍と側近将軍と側近」(福留真紀 新潮新書)です。

本書の主役は室鳩巣。もうこの名前を出しただけで、読むのを手控えてしまう方も多いかもしれません。

日本史の中でも嫌われ者の代表格である儒学者たち。中でも新井白石は随一の嫌われ者かと思いますが、その新井白石の後釜として(そして、荻生徂徠との間を埋めるように)儒者として登用された室鳩巣。本書はその白石との関わり合いから、自ら儒者として諮問に与る身となった間に集められた書簡集である「兼山秘策」を下敷きに、鳩巣の視点で当時の政治状況を描いていく…という事になっています。

しかしながら、本書の内容は、前述の目論見とはちょっと異なっています。新書では良くあるのですが、本来の内容を読者に理解してもらうために、背景となる知識や組織の説明が必要となり、勢いその説明部分のボリュームが紙面の過半を占めてしまう。本書はそこまでは至りませんが、やはり周辺描写や解説に相応の力を注いでいます。その結果、室鳩巣の業績や人となりは殆ど語られることが無く(冒頭に僅かに4ページ。表題に相反して、室鳩巣の業績を相応に理解している方でないと、本文中の活躍を読んでもちんぷんかんぷんになる筈)、そして読者の中でも本書を敢えて手に取る方であれば最も興味があるであろう「兼山秘策」の内容が、ストーリーの中に散りばめられてしまっており、断片的に語られていくに過ぎません。

本書は、室鳩巣の目から見た江戸の政治といったテーマを掲げていますが、実際には「老中制」の実情を描くために、将軍の側近として使えるブレーン、それも最も批判的(これは良い意味でも)な視点を以て解釈に足りる学識を有する、儒者の視点を用いて描写した本と言ってよいかと思います。

従って、主人公である儒者たちの活躍自体はあまり描かれません。むしろ、元禄から享保期にかけて就任した老中たちの活動を通して、当時の幕府に於ける意思決定機構がどのように動いていたかを眺めていく事になります。所謂側用人政治に対する老中の気概や、反発、そして扈従。老中間の駆け引きや上司である将軍との関係、部下である幕閣とのやり取り。そして、最もやっかいな側用人や御側御用取次との関わり合いなどを取り上げていきます。この辺りの内容は、著者も述べていらっしゃるように、大石学氏や山本博文氏の著作をお読みになっていらっしゃる方であれば、既にご承知の内容も多いかと思います(登場する各老中の人物評も、ほぼ同じです)。

その中で、本書のハイライトとなるのが、室鳩巣の前任である新井白石とパートナーであった間部詮房が関わってくる吉宗の就任と、本人自身が関わることになる、参勤交代緩和に関する諮問のやり取りの部分です。

その中には、吉宗の就任に至る経緯を述べる部分で見せる、幼少将軍登場による大奥の表への影響拡大の阻止、それでも訴える天英院の間部詮房への配慮を願う言葉や、てんてん手毬の歌に対する、ヒゲの奴の話と吉宗の治績で謳われる話との関係への言及など、著者ならではの視点も伺えます。そして、参勤交代緩和に関する議論では、議論の中核を担っているように見えて、実は議論固めのアドバイスを求めているだけで、そこには実は求められない。あくまでもブレーンであって、その範疇を越えられない儒者としての切なさが伝わってきます。

白石とのやり取りでも見受けられる、儒者の想いを代弁する言葉の数々。そこには、ブレーンとしての切実な想い、仕えている上司が信頼し、理解を示してくれている限りは大丈夫という、一種の信頼感(片思い)を脆くも切ないと感じさせる、著者の微妙な視線が垣間見えます。

表題のように将軍の側近である側用人、御側御用取次、そして儒者の物語かと思わせる本書ですが、政権と共に命運を共にしていく彼らたちより、むしろ著者の躍動的な筆致からも窺えるように、ブレーン達には辛辣に評されながらも、奔放に、したたかに、自らの矜持を以て政権交代の荒波を潜り抜けて、時には官僚的に生き抜いていく、老中や幕閣たちに魅せられてしまうのは、ちょっと読み間違えてしまっているのでしょうか。

<おまけ>

本ページで採り上げている、江戸時代の歴史関係の本をご紹介

今月の読本「江戸時代の医師修行」(海原亮 吉川弘文館)江戸の列島を繋げる医者たちの医療知識ネットワークへの想い

今月の読本「江戸時代の医師修行」(海原亮 吉川弘文館)江戸の列島を繋げる医者たちの医療知識ネットワークへの想い

何時も楽しみに読まさせて頂いている吉川弘文館の歴史文化ライブラリー。

二か月連続での購入となった2冊目は、江戸時代ものでも珍しいお医者さんを扱った一冊。しかも、当時の医師の治療や診察に留まらず、医師自身の就学体系を俯瞰しようという意欲的なテーマを扱っています。

江戸時代の医師修行江戸時代の医師修行」(海原亮 吉川弘文館)です。

この手のテーマを扱った本ですと、現役のお医者さんが書かれた本をたまに見かけますが、本書はちょっと異なります。著者は住友史料館の研究員。ぱっと思い浮かべると、住友家及び家業であった別子銅山などの鉱山関係か、両替商、および貨幣鋳造関係の史料を扱われている史料館とイメージがあります。しかしながら、著者の研究分野は医療史の研究。尤も、道修町がある大阪ですし、金属と薬種業は近い間柄なので、遠からずだとは思いますが、それでも著者がプロローグで述べているように、本来のお仕事とはちょっと毛色の違った内容なのかもしれません。

そのせいかもしれませんが、本書の切り口も前述のように医師が書くであろう治療や診断の面に重きを置いていません。本書は大きく分けて3つの物語に分かれており一貫したストーリーを描くわけではありませんが、著者の伝えたい想いはすべてに通底しています。それは、江戸時代の医師たちがどのように医療技術を習得し、それを伝えていったかを示すこと。出典の異なる3つの物語は、それぞれに一定の関連性がありますが、直接的には繋がらなくても、著者の想いとしては、全て同じ視線で語られていきます。

家職としての医療技術の学問体系と伝授と血縁、地縁による職業集団化。修行の一環、三都を主として、師弟関係に基づく知的ネットワークへ繋がるための遊学と帰郷。各藩、幕府による官学の実際、そして当時の先端医療の実例としての種痘。これらの検討にあたって、著者の専門分野である史料検討を駆使して詳細に当時の状況の輪郭を明らかにしていきます。主に用いられるのは、学問体系の検証では、彦根藩河村家の史料、遊学の実例としては越前藩府中領における医療活動と遊学の実録。これに連なる種痘技術の福井藩への移植の史料。そして、全編を貫くのは当時最先端の蘭方医療技術を自らの知的好奇心と向上心で勝ち取った、杉田玄白や大槻玄沢の著作からの思想。

著者はそれぞれの章における議論で同じ感想を述べていきます。本来国家(当時であれば幕府)による統制や、強力な指導下に置かれるべきである医師の技量確保、保健衛生行政が皆無であったことへの憤り。所謂家職や学統という言葉を用いてますが、閨閥ないしは学閥に類する治療技術の伝承体系への少なからずの疑問。その疑問を解決するであろう、統一した学問体系の欠如。特に官学とも目される各藩、幕府の医療学問体系の掛け声とは裏腹に、早期に生じる形骸化に対する諦念。

これらの医療体系的なものは、学問分野(当時であれば儒学)でも幕府に於いて漸く途に就いた段階であり、呪術的な部分すら多分に残っていた医療関係の学問分野で、著者が述べるような体系的な教育課程の整備を望むのは少々酷な話なのかもしれません。実際に、最も教育が必要であったと思われる町医者や、在村医の技量や教育に関しは殆ど分かっておらず、これらの解明は依然として大きな課題であると述べています。

また、学統に関しても、一子相伝的な医療技法の伝承であったり、門外不出として「暖簾分け」的に技量や知識を伝えていく事によって、知識の体系化=学問化が阻まれていたと考えることもできますが、現代とは大きく違う、移動や情報伝達の限られた時代において、これらのネットワークを確保することがどれ程重要であったかを考えると、むしろ積極的にいずれかの学統に加わり、そこから広がりを求めていく事が要求されていたのかもしれません。

本書に於いても、著者の想いを越えていくように登場人物たちは地方から飛び出して、三都や長崎で医療技術を貪欲に学んでいきます。それは、自分自身の医療技術を向上されるための切迫感、領主や支援者に対する責任感だったかもしれません。それ以上に感じるのは、努力して勝ち得た医療技術、そして貴重な書籍や全国から集まる学統に繋がる医師たちのネットワークを通じて、自らの郷土に最新の知識と技術を伝えることだったように思えてきます。

本書で扱われる京都遊学の例は既に幕末期に掛かっていますので、三都では蘭方医が広まりつつある段階に入っています。そのような時期に於いても、医師たちの基本知識は儒学をベースとした学問体系が求められており、その上に蘭学や和漢方からの治療の技術を重ねていく事になります。そうすることで、従来からの学問体系や医療技術、知識を犠牲にすることなく、蘭学に基づいた医療技術を習得する、即ち町医者や在村医へ徐々にではあれ、浸透していったと考えられます。

著者はこれらの推移に対する中央政府=幕府や地方領主=藩の不在を嘆き、その裏返しとしての医師たちの自発的な活動が医療技術体系を大きく変貌させ、近代医療の素地を形作ったと繰り返し述べていきますが、当時の幕府にも藩にもその実力や行政能力はそもそも期待できるものなく、少々厳しめの議論を述べられているようです。

むしろ、本書に於いては著者が別の切り口で述べているように、そのような体制に依存しなくても、現代より遥かに情報の伝達が困難であった江戸時代においても、意欲ある医師たちとそれに連なる人々のネットワークを通じて、三都、長崎、そして全国へとその知的素地が広がっていく事に注目したいと思います。その中で語られる、学統と呼ばれるかもしれませんが、誰かと繋がり合い、知識と技量を共有し合える仲間と呼べる人々と、それを支援する人々が集う素地があった事実を大切に考えたいと思った次第です。その意欲と向上心が、誰かの支えであることを忘れないためにも。

<おまけ>

本書と同じ時代(江戸時代から明治維新)を扱ったテーマの本を、ページ内からご紹介。

今月の読本「敗者の日本史14 島原の乱とキリシタン」(五野井隆史 吉川弘文館)戦国末期に花開いたキリスト教王国誕生の物語と、拭えない終焉への疑問

今月の読本「敗者の日本史14 島原の乱とキリシタン」(五野井隆史 吉川弘文館)戦国末期に花開いたキリスト教王国誕生の物語と、拭えない終焉への疑問

普段からそれなりに書籍を買い求めて読んでいるにも関わらず、他人の書評を読んで本を買うことは意外と少ない。

書評が出回るのが刊行から数か月後というタイムラグの問題もあるかもしれません。書評が出てしまう前に買ってしまうので、後付解説になってしまう事も結構多かったりします。でも結局、自分で読んでみないと納得できないという点が最も大きいかもしれませんし。

そんな訳で、自分で本屋さんで見つけたり、刊行案内を見て買いに行くことが多いのですが、今回は、書評を見てから購入を決断した珍しい一冊をご紹介します。

島原の乱とキリシタン

島原の乱とキリシタン」(五野井隆史・吉川弘文館)です。

本書は数年前から続いているシリーズ「敗者の日本史」の一冊。刊行にあたっての言葉を眺めると、日本人が好きそうな「判官贔屓」がちらちらと見え隠れするようなコンセプトが書かれているので、これまで避けてきた経緯がありますが、何といっても数少ない「島原の乱」を扱った一冊。読んでみたい気持ちは大きかったのです。

しかしながら、地の利が効かない遠い九州の物語。しかも著者はどうもキリスト教関係の著書が多い方なので、内容にかなりの懸念があったのは正直なところで、刊行案内が出た後も、本屋さんでの平積みを見ても、何故か手出しできない状態が続いていました。

ところが、先般の朝日新聞に掲載された書評を見て考えを改めました、読むべきだと。内容的にこなれていない点、史実の見立てに偏りがあるであろう点は判ったのですが、何よりも史料を重んじた内容である点が興味を引きました。それも宣教師や船乗りたちの報告書を中核に置いている点がとても新鮮に映ったのです。

語られることの少ない(ルイス・フロイスは別格)宣教師たちの記録が読めると判った以上、難しいのを承知で手に取ってみた次第ですが、やはり読み切るにはそれなりに時間が必要でした。それは、本書がその特徴ある史料の引用と共に、それを表す表記には特有の表現が用いられているためでもあります。

文脈中では一見同じに見える、「教会」と「教界」と必ず書き分ける点。イエズス会とその他の会派を峻別する点。日本の姓名とクリスチャンネームが行き来し、そしてポルトガル人や宣教師の名前が混在する人名記述(ドン・エステヴァンなどと、全くの洗礼名で表記される例もあり)を用いる点は、読んでいてもかなり混乱を来します。特に、ラテン語由来による教会の叙階や司牧の表記には注記もありませんので、地名を含めてある程度これらの表記に慣れた方を想定した記述を採られているようです。

ところで、本書の題名から島原の乱を扱った本と思われますが、島原の乱自体を扱った内容は70ページほどと、全体の1/4程度(全275ページ)に過ぎません。また、冒頭から30ページ程は原城址の発掘成果の紹介に充てられており、このページと全体本文との連携も最後に僅かに見られるだけで、まるで別建ての書籍のようにも見受けられます。

そうなると、本書の中核を成す部分は何で占められているでしょうか。

プロローグやエピローグ、あとがきで著者が繰り返し述べているように、本書は島原の乱自体を詳述しようというコンセプトに立っていません。実際には二つのテーマ、一つ目は「原城は廃城であったか」という疑問に対する、史料から見た検討結果の解説と、その根本として利用された宣教師たち、船乗りたちの報告書から読み解く、島原半島と天草の伝教と禁教の歴史を叙述する一冊だという事です。

従って、乱自体の推移だけに興味がおありの方には、本書のかなりの部分は、乱とは直接的に関係のない、戦国末期から江戸初期の島原半島および天草の郷土史に対する、外国史料による対外的な視点による検討が続く、退屈な一冊になってしまうかもしれません。

しかしながら、原城が廃城であったかどうかについては、その後の乱における幕府軍の意外な苦戦と関連付けると、非常に興味深い論考であることが判ります。すなわ ち、廃城ではあったが「破壊された城跡」ではなかったとう点です。特にその後作られた島原城への石垣の転用が殆ど無かったという記述には、興味をそそられ ると共に、島原城の築城が住民にとって極めて重い負担であったことが示唆されます。

一方で、もっとも信者の人口密度が高かったと思われるこの地方へのキリスト教伝教史、迫害史として本書を捉えた場合、充実した史料検討と、乱へ突入する経緯、その後の結末に深い同意と共感が得られるのであろうと思われます。そこには、本書のテーマである敗者の歴史というテーマと共に、貿易の魅力に憑りつかれた権力者を巧みに誘導するイエズス会宣教師の活動と、それに呼応して権門として振る舞う宣教師たち。彼らの権謀とはかい離した形で描かれる住民へのキリスト教の受容と拡大。妨害する仏教徒に対する容赦ない迫害や、寺院の破壊、僧侶や住民の追放といった、むしろ「伝道の勝者」としての物語が多く語られていきます。

その記述が禁教以降、特に松倉氏入部以降に一転して迫害の歴史叙述に切り替わっていく様子は、読んでいる側に同じテーマを扱った一連の歴史叙述として奇妙な違和感を与えない訳でもありません。事の根源である、なぜ禁教に至ったのか。キリスト教の受容に関する議論は豊富に述べられていながら、それ以上に重要な筈の排除の理論が殆ど欠落しており、本書ではただ、禁教が始まったと述べるに過ぎません。

その上で、本書は島原の乱自体の発生原因を宗教的な問題より、前述のような築城や江戸城の手伝い普請に伴う過酷な収奪と、天候不順による干ばつから生じた暴発的一揆であると定義づけています。しかしながら、一方で柳生但馬守の言葉を借りて、この乱が農民蜂起などではなく、宗教一揆、すなわち一向一揆と同類のものであると語らせています。落城間際の駆け引きについても、この乱が明確に宗教上の意義であると登場人物たちには述べさせる一方、乱を起こすことは本来のキリスト的ではないと述べていきます。果たしてどちらなのでしょうか。

本書は前述の書評にあるように、史料を重視し、著者の検証を含めて詳説した資料を読者に提供することで、その意図を把握させようという記述を一貫して採っているため、本文中では、この疑問に対して明快な回答を得ることはできません。

しかしながら、本文とは一転して饒舌なエピローグをご覧頂ければ、著者の意図は明白だと思います。ただし、著者はその行動をして異端であり、魂はせめて煉獄を彷徨うであろうと断じてしまいます。

そんな著者の意図に少なからずの疑問を持ちながらも、戦国末期から鎖国に至る大きな歴史の流れを編む1ページとしての島原の乱と、その舞台となった、島原、天草地方の歴史にもっと興味と持つべきなんだろうという想いを強くした今回の一冊。本当の疑問の前には、解決しなければいけないもう一つの疑問に対して答えを見つけなければいけない事を、またも見つめ直させられたのでした。

<おまけ>

本書を読むにあたって、事前に読んでいた書籍のご紹介。

  • 本書にも頻繁に登場する宣教師たち。その頭目たるイエズス会の日本での活躍を、領土を有する一宗教勢力として捉え直して、経済面を中心として当時の日本の諸勢力への影響力を推し量ろうという、非常に興味深い論考の一冊「教会領長崎」(安野眞幸 講談社選書メチエ)
  • 乱後における長崎の国際関係と守備体制の変遷。幕末へかけての対外政策の変化を長崎奉行という職制を通して叙述する「江戸幕府と国防」(松尾晋一 講談社選書メチエ)こちらでも紹介させて頂いております
  • 長崎のみならず、九州全般に目を光らせていた長崎奉行という職種の特異性とその権能について、地元に残る豊富な資料を駆使して描く「長崎奉行」(鈴木康子 筑摩選書)
  • 乱を経て、禁教の時代を乗り越えたキリシタン達は、受容した初期の段階からクリスチャンとは異質の存在であったという衝撃的な論考を、地元長崎で四半世紀にも渡る綿密な実地調査の上に語る。クリスチャンでもある著者が世界文化遺産登録を目前に控えたこの時期に上梓した「カクレキリシタンの実像」(宮崎賢太郎 吉川弘文館)。こちらで紹介させて頂いておりますが、本書にご興味を持たれた方なら必読の一冊です
  • なぜ禁教に至ったのか、その疑問に明快に答えてくれる解答例は、その後の日本を大きく変える事になるきっかけを作った一人のアメリカ人の記録に綴られています。彼の見解がすべて正しいとは言えないかもしれませんが、鎖国に至った国を再び開国させるために、その原因の調査と方法論の構築に労を惜しまなかった彼の弁は傾聴に値すると思います「ペリー提督日本遠征記(上下巻)」(M・C・ペリー、F・L・ホークス編纂、宮崎壽子監訳 角川ソフィア文庫)

島原の乱とキリシタンと関連書籍

今月の読本「江戸幕府と儒学者」(揖斐高 中公新書)師傅たらんと欲した儒家三代の物語

今月の読本「江戸幕府と儒学者」(揖斐高 中公新書)師傅たらんと欲した儒家三代の物語

梅雨空が続く6月末の週末。

本来の梅雨らしい天候であることは、喜ばしくもありますが、週末の数少ない楽しみでもある、緑の山々を愛でながらのお散歩も遠ざかってしまいがちになります。

そんな天気の週末の午後に読んだ一冊は、新書シリーズの老舗、中公新書の今月の新刊からのご紹介です。

江戸幕府と儒学者江戸幕府と儒学者」(揖斐高 中公新書)です。

まず初めに、この「儒学者」という言葉だけで拒絶反応が出てしまう方も多いのかもしれません。かび臭い書庫の奥で、中国の古典を跋渉しつつ、役にも立たないうんちくを垂らす輩…、もしくは湯島の聖堂に祀られている「神様?」の宗教…。そんなイメージが強いのでしょうか。

実際に、生活のシーンで儒学者の方に逢うことは全くと言っていいほどありませんし、その近しさから比較されるお坊さん(寺院)と比較しても、親近感どころか、そんな人、居るの?といった反応の方が一般的かもしれません。

その一方で、書店のハウツー本のコーナーに一歩でも足を踏み入れれば、溢れるばかりの論語や老子による生き方マニュアルや、孫子と戦略経営といった解説書が積み上げられています。このギャップには何時も驚かされるのですが、そもそも儒学の発祥を考えれば、決して驚くに値しないのかもしれません。儒学ほど本当の実学、人の生き方を説くことに近い「学問」はないのですから。

本書は、そんな普段は余りにも遠いにも関わらず、最も身近にあるともいえる儒学の日本での位置づけを決定付けたといってもいい、林家の祖でもある林羅山から、息子鷲峰、孫鳳岡の三代に亘る物語を綴った一冊です。そして嬉しいことに、冒頭で著者が述べているように、儒学的な思想における林家及び一門の思想論を語ろうという、一般読者から見たら堅苦しくて退屈となってしまう話を本書はテーマにしていません。林家の勃興から、儒家の使命ともいうべき国史に相当する歴史編纂を主導した鷲峰、羅山の宿願でもあった「官儒」としての地位を示す大学頭叙任を果たした鳳岡、そして凋落の始まりまでの林家三代の「儒家」としてのドラマを描きたいという著者の想いが全面に展開されています。従って、本書は歴史的な事実をありのままに把握するための本として捉えるのではなく、著者の30年にも渡る研究成果の上に構築された歴史ドラマとして読むと、とても楽しめると思います。

まず、本書は林家の祖、羅山の物語を語る前に、所謂方広寺鐘銘事件と羅山の関わりを述べていきます。ここで著者は、一般的に謂われる御用学者としての羅山の立場を擁護しながら、その経緯を検討していきます。その検討過程は羅山がこの決定に関与したことを認める一方、最終的な決定権はなかったとしています。しかしながら、著者はこれによって羅山を擁護する一方、儒者とその位置づけから非常に近い坊官との立場の違いを明確にしてきます。

日本仏教は在家信者との境界が低く、葬送儀礼に深く関与していたために、社会的活動と切り離せない状態になっていたとはいえ、その根本には決して失うことがない修行者(隠者)としての社会的隠遁性が秘められています。一方、儒家の祖である孔子の想いは、本人自体は叶えられることがなかったとはいえ、自己修身の先に、実社会の中で礼に基づいた改革を思想的に押し広げていく事をテーマ置いています。その押し進め方は、為政者を支える立場、すなわち師傅として立身することを厭わない事を、羅山の思想から明確にしてきます。

羅山自身が青雲の志を以て学問に打ち込んでいったことは事実でしょうし、そのような羅山の素地を受け入れた徳川家康も、戦国大名の中ではかなりの学問好きであったことは既に文献研究等で理解されている事実だと思います。そこで、羅山の立場が決して阿諛追従ではなく、為政者を支えるためのものであったと著者は訴えていきます。更に儒者の本文こそが為政者の横でより妥当性、普遍性の高い献策を呈し続けることであることを羅山やその後継者たちの言葉を借りて、著者は述べていきます。それが一般的には凡庸かつ扈従だと捉えれれても…。

祖である羅山が抱いた、そのような想いを家訓に持ったであろう林家の物語は、そのまま徳川幕府内での地位向上、すなわち「儒者」として幕府の政策に関与し、最終的には為政者の師傅の地位に到達するまでを描いたストーリーになっています。羅山の時代には儒者としての地位は得られず、忸怩たる思いを抱えながら法体での勤めに甘んじることになりますし、儒学(ここでは朱子学)を国学とし、儒者が国師たるためには相応の待遇、即ち護願寺や祈祷所に相応するような幕府公認の殿堂、学舎がどうしても必要だったはずですが、羅山の時代にはあくまでも私塾にすぎません。それでも、儒学に一定の影響力をあることを知らしめ、統一的な学問体系として江戸時代に儒学(朱子学)が広まっていくきっかけを作ったことは、そのあとの歴史的展開を考えると、非常に意義があったことだと思います。

羅山の息子、鷲峰の時代となっても法体での勤めは変わらず、私塾のままではありますが国史(本朝通鑑)の編纂が命じられたことで、儒家としてのもう一つの立場である、公的な歴史を編纂する地位を得たことになります。公的な歴史を編纂すると聞くと眉をしかめられる方も多いかもしれませんが、事実としてどんな歴史書の著者も、著述しようとしている時代とは異なる時間を生きており、著述される内容は、著述者が置かれた社会的状況や地位に大きく影響を受けることは逃れられないことだと思います。その中で起こる葛藤や著述の一貫性への疑問、当然のように起きえる為政者への偏向について、本書では鷲峰と水戸光圀との交流を通じて述べていきます。もしかしたら、鷲峰から光圀に託された想いは、歴史家としての著者が過去の研究者から託された想いと重なるところがあるのかもしれません。

そして、儒者としての存在意義を語る鷲峰の口述筆記は、今の時代にも多く存在し、それを生活の糧としている(私自身もその列に連なる一人と評されることがありますが)所謂アドバイザー、補佐官職と呼ばれる職務に従事するときに陥るジレンマに対する矜持を見事に表していると思います。儒者は決して実務者ではないかもしれませんが、基盤となる幅広い学識を有することは絶対であり、その上で、実務に当たっては実務者と遜色のない能力と知見を有し、為政者の時々の諮問に的確に応える、許される限りの公平性と、柔軟さを兼ね備えていなければならない筈です。その全てを揃えることに努力を払った結果は、技量は一芸に秀でているわけでもなく、更には師傅として国政に関与できない身を嘆いていますが、そこまでの矜持が無ければ事に当たるに足らないという想いの強さと、裏打ちされる自負心に強く心を打たれます。

鷲峰の想いは、綱吉の将軍就任によって息子である鳳岡によって叶えられることになります。幕府の手による湯島聖堂の竣工と、羅山が求めて止まなかった儒者として為政者に仕える形式としては望むべき最も妥当な形である「大学頭」としての叙任。名実共に官儒としての地位を得たことになりますが、もう一つの望みであった師傅としての地位はどうにも手が届かなかったようです。

皮肉にも、林家が距離を保った家宣の将軍就任によって侍講となった、鳳岡のライバルでもある新井白石が江戸時代、いえ日本の歴史上唯一といっていい儒者として師傅たる地位を得たことは、歴史の皮肉かもしれません。しかしながら、為政者を支える立場として自己実現を図ることを使命とする儒者にとって、為政者の変遷によってその立場が大きく変わっていく事は必然かもしれませんし、それ故に儒学が嫌われる最も大きな原因になっているのかもしれません。

そして、白石を生んだ江戸時代を通じての儒学の浸透自体が、祖である羅山による儒学の復興(藤原惺窩を継承しての)に起源を持つというと更なる皮肉になってしまいますが、結果として羅山の時代では考えられなかった、同時代に多くの儒者を生む結果となったと思われます。時代が下がるごとに林家だけではない、多様な儒学が講じられ、相対的に林家の地位が下落する結果となったのは、羅山の望みとは異なったかもしれませんが、為政者を支える立場であれば、儒学(朱子学)を規範とした文教主義が浸透した証でもあり、喜ぶべき結果だったのかもしれません。

更に、羅山の幅広い学識や興味(明暦の大火の中を避難する時まで通読中の書物を離さなかった、そして蔵書焼亡のショックで亡くなったと伝えられる、無類の読書家)が生んだであろう、白文の知識や徒然草をはじめ、和文に対する強い興味が和学を含む、林家をして官学としての総合性を有することになります。そして、儒学同様、和学においても学塾を置くことによって生じる学問の広まりによる専門研究の深化、即ち荷田春満から始まる国学勃興の揺籃にも寄与したことになるかと思います(白文に関しては、化政時代の文人サロン仕掛け人達の経歴にしっかり現れていますよね)

そのような江戸時代の学問や文化に大きな影響を与えた林羅山から始まる林家の歴代当主たち。本書では儒者としての彼らの動きとともに、学者一族としての彼らの想いも伝えようとしています。戦国の気風漂う時代を生きた羅山の、高く掲げる青雲の志と他者に対する峻厳さ。少し時代が落ち着いてきた鷲峰の、早世した長男に対する深い想いと、細やかな心遣い。羅山をも凌ぐ硬骨さ。そして、地位を確立し祖廟を得た鳳岡の、弟としてのトラウマと数多く表れるライバルたちに対する葛藤。政治の中枢に近づくことで折らざるを得ないこともある儒者としての矜持をなんとか保とうとする想い。

著者の林家歴代に対する想いが投影された本書は、そのまま林家に対するオマージュ。そして、林家歴代が抱えた想いの通りに、処世術、経世術としてはもてはやされても、決して好まれることの少ない儒学、そして儒学者対するこれまでの見方に対する、著者のほんの僅かな抗弁の書なのかもしれません。

<おまけ>

本ページでご紹介している、近世をテーマにした本を。