今月の読本「奇妙な孤島の物語(原題:ATLAS OF REMOTE ISLANDS)」(ユーディット・シャランスキー:著 鈴木仁子:訳 河出書房新社)地図の片隅で波間に揺れる、人が刻んだ白昼夢の欠片

今月の読本「奇妙な孤島の物語(原題:ATLAS OF REMOTE ISLANDS)」(ユーディット・シャランスキー:著 鈴木仁子:訳 河出書房新社)地図の片隅で波間に揺れる、人が刻んだ白昼夢の欠片

余りにも不思議な本。

本書と同じフォーマットを持つ、同じ版元の新刊「呪われた土地の物語」と多分一緒に本屋さんに入ってきた、2016年刊行のこの一冊。綺麗な水色の装丁に誘われてページを開き始めると…、読者は見知らぬ物語へといきなり旅立たされることになります。

今回ご紹介するのは「奇妙な孤島の物語(原題:ATLAS OF REMOTE ISLANDS)」(ユーディット・シャランスキー:著 鈴木仁子:訳 河出書房新社)です。

まず、2009年にドイツで原書が刊行された本書を、フランスの書籍見本市で発掘して日本語訳を与えて刊行するという、殆ど蛮勇ともいえる英断を下した版元さんと編集者さん(あとがきで訳者の方が紹介しています)に深い敬意を表します。このようなマイナーを超越した、それもとびっきりに不思議な内容の一冊。部数が出るとは到底思えませんが、本書の刊行1年前に送り出した「秘島図鑑」が余程好調だったのでしょうか、「何故か」出てしまったと評したくなる一冊です。

但し、本書は前述の書籍とは全くフォーマットが異なります。世界の秘境の果てとも言える絶海の孤島の概要をお手軽に紹介するガイドブックや孤島の写真集、wikiまがいのトリビア本だと思って本書を手に取ると、瞬時に振り落とされます。また、地理好き、地図好きの方にとっては、ページの左側に描かれた、ドットパターンで陰影が描かれ、人が刻み込んだ跡を蛍光オレンジの眩しい色で記す地図に興味を持たれるかもしれませんが、右のページに綴られる文章には一貫した記述もなく、その内容には首を傾げっぱなしになるかもしれません(嗚呼、これをにやけながら読んでいる私はどうしようもない人間かも…)。

地理の本でも歴史の本でもない、もちろん旅行ガイド(そもそも「冒険家」でも辿り着けるかどうかすら怪しい島も数多)な訳もありません。更に言えば、日本語の副題にあるように、著者はこれらの島に一カ所も訪れた事が無く、今後も多分訪れないであろうと表明されています。

旧東ドイツ生まれのブックデザイナーが手掛けたこの一冊。冒頭のはじめにと、巻末の訳者あとがきには、流石に内容を気にされたのか、どちらも細々とその経緯が書かれていますが、更には文学かもしれないなど言い出す始末。その内容に振り回されるといたずらに混乱を招くだけで、多くの方には依然としてその経緯も筆致も、意図すらも判然としないかもしれません。

地図に惚れ込んでしまったデザイナーでもある著者がその片隅に描かれた、巨大な地球儀の中にポツンと描かれた離島を見た時のインスピレーション。そのインスピレーションのままに、一つの島に一つのストーリーを捧げて描く本書。

発見し、訪れ、領土とした人々の複数の言語で示される島の名前や、山や川、岬の名前。各島から三方位で示される近隣の島/大陸までの距離と、人が辿った跡を示す月日を示す線表。

ドライでシンプルすぎる程の表記ですが、左のページに描かれる海を示す水色と点描による陰影、そして蛍光オレンジと言う僅か3色で示す、絶海の孤島を印象付ける絶望的な程の寒々しさがデザインからも確かに伝わってくるその構成に、ページを開く毎に戦慄が走ります。

そして、右のページに描かれる、各島に添ったストーリーには一貫性はありませんが、一つだけはっきりしている事があります。そこに「人が居たらしいという事」。もはや無人島になってしまった島も、元々無人島だった島も、多くの人がひしめき合う島も、独り取り残されてしまった島も。ユートピアと称される島も、人の手で住めない場所に仕向けてしまった島も。全ては「人がなし得た物語」が添えられていきます。

人なしでは地図は生まれず、人が辿り着いた証として地図が描かれ、地名が付され、道が切り開かれ、住み、そして去る。地図が描かれるという行為自体、人のみが為し得る事である本質を、地図の片隅にそっと添えられる離島に見出した著者は、その愛おしい程の場所にそっと付された物語へと視線を向けていきます。その著述の裏側にある膨大なバックグラウンドとしての物語の中で、著者の意図が敢えてそうしたのか、はたまた偶然か。ページをめくる度に、左のページの寒々しい孤島の地図に呼応するように、絶海の孤島への悲壮な旅路を思わせるように、寒々しい余韻を残す物語ばかりが綴られていきます。

著者のインスピレーションによって選び取られた絶海の孤島、最果ての地図に添えられた人々の物語。その物語は本当に起きた事なのか、単なる絵空事なのか。その姿を見たものは、その物語を伝えたのは、僅かにかの地に「辿り着いたはず」の人々だけ。著者が地図の片隅から掬い上げた、波間の向こうに見え隠れする島影のように、波濤に消える白昼夢のように、浮かんでは消えていく物語。

波間に揺れるその島影に何が見えましたか。

 

今月の読本「イチョウ 奇跡の2億年史」(ピーター・クレイン/矢野真千子訳 河出書房新社)人の手によって世界中に広められた最古の樹木と日本の深い関わりを

今月の読本「イチョウ 奇跡の2億年史」(ピーター・クレイン/矢野真千子訳 河出書房新社)人の手によって世界中に広められた最古の樹木と日本の深い関わりを

秋も深まってくると、街路を黄色に染めるイチョウの黄葉は都市部に住んでいる方にはお馴染みの風景。

何処にでもある、ありふれた街路樹に思えるイチョウですが、実は野生種は殆ど存在せず、人為的に広められた樹木である事をご存知でしょうか。そして、英語での名称「ginkgo」。ギンコーと読ませるらしいのですが、どこかで聞いたようなフレーズではないでしょうか。「銀杏」=「ぎんなん」≒「ぎんこー」なのです。日本語の名称から英語名に伝わったことからも判るように、この樹木が世界中の街路を埋め尽くすようになった起源は日本にあったのです。

そんな、日本ともきわめて深い関係にある印象的な樹木の物語を、一般読者向けに大ボリュームの一冊に纏めたのが今回ご紹介する「イチョウ 奇跡の2億年史」(ピーター・クレイン/矢野真千子訳 河出書房新社)です。

ginkgo

著者のピーター・クレインは、現在イェール大学の林学・環境科学学部長を務めていますが、以前はイギリスの著名な植物園である王立キュー植物園の園長を務めており、学術的な貢献によってサーの称号を受ける、イギリスを代表する著名な研究者の方です。そんな著名な研究者による著作の訳書に相応しく、全文438ページのうち、実に1/4近くに相当する90ページ程が原文訳注、引用文献一覧(もちろん英文)、ラテン語学名との対照一覧、そして索引に費やされています。本書を読まれて、その内容に深く興味を抱かれた方であれば、原文訳注だけを読んでも大満足になるかもしれません。そして、引用文献の幅広さと量の膨大さから、著名研究家と呼ばれる方々の業績の一端と、その広範な知的素養を垣間見られるようです。

こう書いてしまうと、極めて敷居が高そうな本に見えますが(価格は相応ですのであしからず…)、そこは一般向けの書籍。丁寧に丁寧に書かれたその著述からは、著者のイチョウに対する深い愛情が、訳本にも拘らず文章全体からあふれ出ているかのようです。

そして、文中に散らばる鶴岡八幡宮に青森、長崎、屋久島といった日本各地での紀行。ケンペルにシーボルトといった、日本人にも馴染みのある名前に平瀬作五郎の業績と日本人の琴線を揺さぶる物語がたっぷりと、しかもなぜ、日本にこのような類書が無いのだろうかと悩ませるほど豊富に語られていきます。その著述範囲の広さは、著者の専門分野である化石植物学から始まり、中国の古典、アジアの歴史、言語学、銀杏料理に都市工学(日本の街路樹のうち、55万本余りとなる最多の11%を占めるのがイチョウだったと訳本で知らしめられるとは)までもカバーします。もちろん、この手の訳本の定番通り、各章の始めには著名な作家や研究者の言葉や、古の言い伝えが添えられており、著者の素養の深さと幅広さが垣間見られます。このような研究者の方が書かれた著作でも、研究を進めていくストーリーや研究環境の著述にかなり特化した日本の作品と、文化的な部分まで広く包括する著述に意を砕く海外の作品との力点の置き方の違いは、毎度の事ながらきわめて興味深い所です(研究者の方にすれば、色々とご意見もあるかと思いますが)。

本書はこのように極めて広い分野をカバーする、イチョウに関する物語が語られていきますが、あくまでもメインは二つの物語で展開されていきます。一つは、著者の専門分野である化石植物学から見たイチョウの過去と現在の繋がりの物語。そして、もう一つはこの物語に繋がる、イチョウと日本との深い関わり合い。日本無くしては世界にイチョウが広まることが無かったことを、著者のもう一つの大事な業績であるキュー植物園園長時代の話を交えながら語っていきます。

他の樹木と殆ど系統的に孤立している、雌雄異株のイチョウ(網のレベルで一種類しか存在しない)。その孤立の由来は、他の樹木より圧倒的に古い2億年以上前の化石に辿り着くことから理由付けられます。同時代の植物の多くは、その後の地球環境の変動(著者によれば、それはあくまでも偶然の結果)と、それに伴う種の拡散が上手くいかなくなったことにより絶滅してしまいます。そんな中で、イチョウだけはしぶとく生き残り、世界中の温帯に生息していました。しかしながら約500万年前を境に急激に減少を続け、遺伝的追跡の結果に基づけは、有史初期は中国南部の極めて限られた場所で細々と自生していたに過ぎなくなってしまいます。この減少の大きな原因は、前述のように環境変化(寒冷化)のようですが、著者は銀杏に着目して、それ自体に拡散能力が無い故に必要となる、媒介となる動物が環境変化によって先に失われたことが減少の一因ではないかという説に注目しています。

この説を敷衍するかのように、イチョウの物語は細々と自生する状態から再び世界中への拡散へと向かっていきます。媒介となったのはヒト。それも極東の果てに辿り着いたヨーロッパ人によって世界へと再び送り出されることになります。前述のように、中国南部で細々と自生する状態であったイチョウが再び人の手によって拡散を始めますが、そのきっかけは既に分からなくなっています。史料によれば数千年単位の物語が語られていますし、国内にも鶴岡八幡宮の倒れてしまった大銀杏を始め、1000年以上の歴史を有するといわれるイチョウが存在しますが、その点は科学者らしく明確に否定します。年輪による把握は難しくとも、それ以外の手法で推定される樹齢はそれ程長くなく、日本にあるイチョウの古木は殆ど人の住居に近い場所に生育している点から見ても、日本にはイチョウは自生しておらず、やはり遣唐使船ないしは、宋との交易によってもたらされたと判断しています(ここで吾妻鏡や愚管抄にイチョウの記載がなく、鎌倉物語には記述がある事まで言及する点は、もはや恐ろしいほど)。

中国から東アジアに留まっていたイチョウが再び拡散を始めるきっかけとなったのは、鎖国時の日本。それ以前にも中国経由でヨーロッパにもたらされた可能性があるはずなのですが本書では言及されません。何故なら、この先の物語は博物学との関わり合いで語られるため。ケンペル、そしてシーボルトによって紹介され、リンネによって「ginkgo」として記載され、キュー植物園のオールド・ライオン(イギリス最古と目されるイチョウの木)に続く物語が語られます。この間の経緯はイチョウの移植やリンネによる集録に至る物語ばかりに目を奪われがちですが、著者の筆致はそれを上回ります。何と、新安船の積載物と中国での呼び名の由来(鴨脚)から、日本とヨーロッパの関わり合いの始まり、ウィリアム・アダムスによるオランダとの貿易の開始、日本の鎖国と二人の日本での活動、所謂シーボルト事件にまで、次々と触れられていきます。自然科学の本でありながら、歴史書としての体裁も有する点は、この手の訳本では当たり前かもしれませんが、その範囲の広さに驚かされれるばかりです。

元々、繰り返し訪れた厳しい環境の中でもしぶとく生き残ってきたイチョウ。温帯から亜寒帯までの広い温度域と十分な水が得られれば長寿を誇る特性を有していますが、前述のように如何としても拡散する手段を持っていなかったこの樹木は、食料として(あの匂いゆえ、東アジア人が主に)、未だ解明しきれていない薬効を期待して(こちらはドイツで最大の処方生薬という点も面白い)、そして黄金色に輝きながら、あるとき一気に葉を散らす、その神秘的な美しさに惹かれたヒトとう名の媒介によって、ヨーロッパに解き放たれた後は、瞬く間に世界中の街路を埋め尽くすようになっていきます。時に公害(匂いですね)の原因にもされることがありますが、それでも排気ガスに痛めつけられ、コンクリートとアスファルトに埋め尽くされた街路でも生育し、秋の一瞬には街を黄金色に彩るイチョウの木に人々は魅せられ、更に新たな街へと移植され続けています。

著者は最後の一節を以て、イチョウ拡散の物語と対比させるように、現在絶滅に瀕している樹木の人手による保護と、植物園を通した世界中への「リスク分散」を説いています。自然環境を復元するという発想が希薄な日本人には判りにくいのですが、現生の植物種が僅かに1400種(日本の場合、高尾山に存在する植物種だけでも1600種)と極端に減少するほどに自然環境が失われているイギリスにとって、これらの発想はもはや当たり前の事なのかもしれません。

そんな危機感を抱えながらも、著者は世界各地のイチョウの木々を見て廻り、日本や中国にある古木の根元に置かれる祠や、古木への信仰心に心を打たれ、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れたニュースの後、速やかに増殖処置が執られたことに安どし、古巣のキュー植物園のオールド・ライオンへ想いを馳せる。

長寿を誇る樹木への敬意の念は誰でも持ち合わせるもの。その敬意の心が失われない限り、同じようにきっと人々は、あまたある危機に瀕した動植物の未来に気を掛けてくれるはず。そんな想いを、人の手によって救われ、人の手によって世界中に広められた最古の樹木の物語に託して。

<おまけ>

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