今月の読本「踏絵を踏んだキリシタン」(安高啓明 吉川弘文館)聖具から道具へ、 行政史が示す踏ませることの意味

今月の読本「踏絵を踏んだキリシタン」(安高啓明 吉川弘文館)聖具から道具へ、 行政史が示す踏ませることの意味

今年は長崎のキリスト教関連史跡が2度目の挑戦となる世界遺産登録を目前としている事もあり、各社から多数の関連書籍が刊行されています。

特に、歴史的な悲劇としての迫害と弾圧、奇跡と復興と言うイメージを強く印象付ける作品や、それらの視点の根底にあるカトリックとしてのキリスト教受容を問う内容に関する書籍は既に一部で採り上げられるようになってきましたが、その素地となる史学としての研究成果については、あまり言及されていないのが実情のようにも感じられます。

そのような中で、禁教期の象徴として捉えられる遺物に纏わるテーマを史学として正面から捉えようという一冊が登場しました。

今回ご紹介するのは、何時も新刊を楽しみにしている、吉川弘文館さんの歴史文化ライブラリー最新刊から、「踏絵を踏んだキリシタン」(安高啓明 吉川弘文館)をご紹介します。

本作の著者は熊本大学で教職に就かれている近世史の研究者、特に江戸時代の長崎を中心とした行政、法制史を専門とされている方です。従って、昨今多く刊行されている関連書籍の著者や登場される方々とは逆の立場、禁教を推進した側、当時の江戸幕府や長崎奉行、九州各地の藩や天領支配からみた禁教政策を描くことになります。

一時期、カトリック系の大学に籍を置かれていた事をあとがきに記されていますが、本書では中立的な著述を踏まえると敢えて述べており、心情的な筆致は最後に述べられる遠藤周作の『沈黙』が描く踏絵の姿を評する際に、僅かに添えられるに過ぎません。

長崎に生まれ、九州をフィールドとする近世史の研究者である著者が綴る「踏絵」のストーリー。冒頭では教科書記述の錯誤を正し、読者の歴史認識を整理する為に、ザビエルによるキリスト教の伝来から禁教に至る経緯から述べる本書。禁教期の幕府や各藩の政策やキリシタンの露見、そして開国後の禁教政策の段階を追った解除に至るまでの概要を示しますが、まずは多く流布しているこれらに関するお話や認識が、あまりにも誤謬と誤解に塗れている事に改めて気づかされます。前述のように総論の記述は高等学校の日本史教科書レベルの筈なのですが、江戸時代の禁教政策がどのような形で始まり、開国後も最終的には大日本帝国憲法の発布を待つまで(ほぼ)解除されなかったのかを、史学、特に法制史や外交史として再認識する必要がある事を指摘します。其処には、江戸幕府から明治新政府における文書行政による法秩序、対外的な施策を含む政策の継承性、一貫性と言う近世国家が作り上げていった規範の推移が、禁教政策を事例として示されていきます。

史学としての理解を前提とした上で述べられる各論。長崎奉行、代官の成立から職務範囲、その中で踏絵の発祥と成立から議論が始められますが、ここで判っているようで全く判っていなかった事実に突き当たります。踏絵が何処までの範囲でどのように実施されていたのか。本書の中核となる、九州各地における踏絵の実態に追っていきます。「絵踏」(「踏絵」と、この呼び方の検証は本書の冒頭にて議論されています)と呼ばれる行為自体が九州でも限られた地域、そして踏まれた遺物の分布をみても、長崎奉行と九州の極僅かな藩が所有する以外には会津に存在したことが判っているだけで、極めて限られた地域での実施であった事を示します。また、各地で鋳造や絵で描かれた踏絵が作られたとされていますが、その殆どが明治以降のキリシタンブームによって捏造、模造された物であると指摘します。現在東京国立博物館に収蔵されている、長崎県令から明治政府の教部省を経て、最終的には時の太政大臣、三条実美の決裁により国が管理する事になったこれらの踏絵や江戸時代に長崎奉行が管理していたキリスト教関連遺物。外交問題としても捉えられるほどに重要な物品として取り扱われる踏絵の管理は幕末まで厳重を極め、その管理や連年繰り返される各藩への貸与自体が、九州における幕府、特に出先機関である長崎奉行の権威と統制を示す行為の一環であったことを認めます。

そして、絵踏みを行う行為について、著者は行政史の専門家としてその実態を各地の記録から丹念に拾い上げていきます。その中で著者が繰り返し述べていく事、「踏絵」という行為の変質。本来はカクレキリシタンをしらみつぶしに探し出すために、メダイやプラケット、宗教画をモチーフにした「聖具」を踏ませることによる、信仰心を突き、宗教的良心の圧迫と背徳感をもたらせるための異端探索であった絵踏みが、寺請制度と組み合わされた、人別帳確認としての行政行為の一環、制度が守られている事を確認する作業を遂行するための「道具」へと、長崎奉行所が主導して造られた、現在残されている鋳造品の踏絵を用い始めた時点で変質していったと指摘します。

為政者によってコピーされ、聖具としての魂の込められていない「道具」としての踏絵。それでも、連年九州各地(ここで薩摩や福岡、佐賀といった大藩や薩摩の属領を含む日向では行われていなかった点にも注目)、後に天領となった五箇荘にまで長崎代官所の役人を送り込んで行われる絵踏み。その行為は、前述のように長崎奉行所を軸に九州各地の藩や天領における住民に対する支配体制や法令順守の再確認の場であったことを示していきます。その結果、人別確認的な指向の強い非常に厳密に行われていた制度自体が、江戸後期になると藩によっては名誉的な名字帯刀を与えるのと同じような形で免除を与えたり、絵を踏む側の住民達にとっても、大勢が集まり、並んで絵踏みを待つ人を目当てにした屋台などが並ぶ「ハレの場」へと変容を遂げていた事を記録から認めていきます。

では、踏絵の本質であったキリシタンの詮索という目的が失われてしまったのか。此処で、著者は思いがけない見解を示します。禁教が続いてからも断続的に発覚した「崩れ」と呼ばれる潜伏キリシタン(この表現にしておきます)の発覚。しかしながら、江戸後期に至ると、発覚者自体を「キリシタン」とは認めず、別の理由を付けた処置を行う事になります。法制史が専門の著者の見解が存分に示される部分。天草崩れや浦上三番崩れ処置の過程から、為政者にとって「踏絵」を行っている以上、キリシタンは存在しないものという行政にとっての一貫性に対する誤謬を認める事は出来ず、類似した行為が発覚したとしても、それを「キリシタン」であると証明する手段が踏絵以外に存在しなければ、「キリシタン」ではない別の異端者である(この辺りは江戸時代の本山制度の理解も。処罰の対象は檀家寺側に)と定義づけられることになります。

隠れでもカクレでもない、もちろん(潜伏)でもない。そもそも「幕府が公認する」キリシタンではない。踏絵を踏み続け、先祖伝来の「異宗」を守り唱え続けた「心得違い」の者たち。

更には、天草崩れ発覚の経緯から、これらの前提がむしろ支配体制の弛緩をカクレキリシタン探索として幕府に暗示された先に発覚(島原藩が自ら長崎奉行に届け出る形に)した可能性すら匂わせていきます。本書でも述べられるように、余りの発覚者の多さに地域社会が崩壊することを懸念した長崎奉行を始めとした幕閣が敢えてカクレキリシタンとしての認定を回避したとも謂われる、江戸後期に起こった一連の崩れの処分(一方で、浦上四番崩れは自ら教会に駆け込みキリシタンであることを明確にしており、開国後の対外的な禁教維持の姿勢を示す必要性からも処罰に至ったと)。穿った見方をすれば、この本質の変容が、カクレキリシタンをしてカトリックとしての信仰継承性を有しないという一部にある論に対する、近世史からの暗喩にも思えてきます

その延長として、一部で喧伝される「出島のオランダ人も毎年踏絵を行った」という記述に対しても、その後のペリーによる回顧通り、唐人屋敷に集住する清から往来した貿易従事者達や漂流者(帰還した日本人を含む)と異なり、オランダ人には外交上の配慮から踏絵を課される事が無かったと改めて指摘します。

内政だけではなく、貿易や外交なども包括する時の政府(幕府)としての政策の一環であった、九州地方における絵踏という行為と、その継続性を示す道具である「踏絵」。

幕府のお膝元から遠く離れた地における支配体制の強化の一環とも捉えられるその制度の本質が変化していく過程を、行政としての「絵踏」から捉えた本作。表題にある「キリシタン」の部分は巻末の僅かな記述に留められていますが、その道具に秘められた歴史的な位置づけを史学として冷静に捉える。歴史と文化、其処に残された文物を学問的背景に基づいて綴る事をテーマにした本シリーズらしい一冊。

折角の機会ですので、豊富になってきたこれらのテーマを扱った書籍を手に取って、色々と読み比べてみるのも面白いかもしれませんね。

 

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今月の読本『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』(宮崎賢太郎 KADOKAWA)日本人とキリスト教を巡るすれ違う二つの想い

今月の読本『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』(宮崎賢太郎 KADOKAWA)日本人とキリスト教を巡るすれ違う二つの想い

New!(2018.4.7) : 本書の著者、宮崎賢太郎先生(現:長崎純心大学客員教授)のインタビューが、版元であるKADOKAWAの文芸書紹介サイト「カドブン」に掲載されています。

ご自身の出自から、研究へ踏み出した経緯とカクレの皆さんとの交流、そして本書並びに一連のカクレキリシタンに関する執筆への想いを述べられています。

 

<本文此処から>

今年、長崎のキリスト教伝教関連の歴史遺産が世界遺産として登録される運びとなっています。

このユネスコの世界遺産登録。同じユネスコが関与する世界ジオパークでも同じような事が生じていますが、本来の趣旨と若干異なる点で指摘を受けることにより審査を受けなおす、内容を見直す事例が散見されています。

今回の登録の経緯に際しても、その受容から現在までの過程を俯瞰で捉えるのではなく、より禁教期を重視した内容に変更するようにとの指摘を受けて修正を経た上での申請となりました。

この指摘、ある程度事情をご存知の方であれば、キリスト教の奇跡としての側面を強く重視した指摘である点はご理解されているかと思いますが、この点について以前から敢然と誤った理解であるとの意見を述べ続けられる、地元長崎で長く研究を続けている方がいらっしゃいます。

今回ご紹介するのは、その方が所属される大学を離れられた後で初めて上梓する、これまでの研究成果を通じて、長崎における伝道と禁教、復活から今に至る歴史を、キリスト者(クリスチャン)として一般の方に伝える為に書かれた一冊です。

潜伏キリシタンは何を信じていたのか』(宮崎賢太郎 KADOKAWA角川書店)のご紹介です。

著者は長崎純心大学で隠れキリシタンの研究を30年に渡って続けられていた方。主に天草および島嶼地区を丹念に回り、現在でも信仰を維持されている方々の元へ繰り返し訪れてインタビューを行い、詳細にその信仰の全容を解明する研究を続けていらっしゃいました。

依然としてその全容を解明出来た訳ではなく、更には現在まで信仰を維持されてる方は著者の認識では僅かに80軒程度(厳密な形でとの前提)まで激減しており、もはや全容を把握する事は不可能になりつつあるという認識を示しています。そのような状況の中でフィールドワークを続けた記録は、本ページでもご紹介している前著「カクレキリシタンの実像」(吉川弘文館)で詳述されているように、その信仰は一神教(クリスチャンなので正確には三位一体)とはかけ離れた、先祖崇拝をベースに、シャーマニズムによる隠蔽性を秘匿と置き換えた、多神教の集合崇拝における一つの神としての「カクレ」であるとの認識を、キリスト者でもある著者は繰り返し示しています。

本書では、上記の認識に基づき、より一般の読者に向けて、隠れキリシタン(本書では著者の認識に従い、潜伏期はカクレキリシタン、教義としてはカクレ、一般名称としての現在の信者の方々を含むその信仰形態全般を、昨今の事情を鑑みて潜伏キリシタンと称します)の現在の信仰や生活と、禁教期における記録に残る信仰の姿を述べると共に、ザビエルの伝教から長崎における布教期、禁教に至るまでの経緯といった、日本におけるキリスト教の伝教を理解するために必須となる基本的な内容と、現在の信仰、特にカトリックとの関わり合いについて述べていきます。

伝教期に於いて、その大多数は集団改宗であり、満足な宗教的知識を持ち得なかった点。禁教期において伝え続けられた内容は、式文などには僅かにその面影が残るものの、内容は全く理解されずに唱えられていた点。一神教ではあり得ない、他の神仏と並べられて祀られるカクレの神。その延長で述べられる、現在の長崎におけるカトリック信者(全国でも最多の人口比)に含まれる禁教期を経てカトリックへ戻って来た方々の一部に対して、神父の方が指摘される「第三のキリスト教」と表現される「カトリックの檀家」との衝撃の発言。

本書の内容を初めて読まれた方は少し奇妙に思われるかもしれません。著者は明らかにクリスチャンの方なのですが、その著述内容は明らかに隠れキリシタンの信仰を自身の信仰と同じと見做される事を忌避されているように見えてきます。更には海外、特に同じクリスチャンを中心に、カクレの間で受け継がれてきた信仰を奇跡として捉える事に対して、その理解は浦上四番崩れに際して、それ以前の開国時にフランスから上陸した宣教師たちにより再改宗された際に捏造された印象であると、敢然と否定の意思を示します。カトリック教義との整合性に対する否定的な見解の先に、著者は隠れキリシタンの解説を大きく逸脱して、自らの信仰、教会を戒める数々の指摘を文中で繰り返し述べていきます。

カクレキリシタンが受け継いできた、そして今も潜伏キリシタンとして、更にはカトリックに復帰された方々の信仰すらも、本質的なカトリックとは異なると述べる著者。その一方で、奇妙なことに同じ文脈を用いてまったく逆の議論を始めます。これほどまでにキリスト教による教育環境の恩恵に浴し、キリスト教の風習に親しみ、国の象徴たる一族すらその宗旨と深い関わり合いを持っているこの国は、キリスト教(≒クリスチャン)に一番好感を持っているのではないかと。著者はその認識に基づいて、本論と同じくらいの力を注いで、なぜ日本人にキリスト教が受け入れられないのかを綴ります。

本書を表題や帯のように、隠れキリシタンの歴史とその姿を伝える本として捉える場合に、これ以降の内容はあまりにも本論と噛み合わなくなってきますので割愛させて頂きますが、著者が憂い、新宗教まで引き合いに出して議論される、僅かに人口比の1%にも満たない現在の教勢を語るに際して述べられる要因(即ち、カクレキリシタンが現代まで受け継いできた信仰心そのもの)。その指摘は肯定できる内容ですが、決定的に欠落していると思われる事、それは指摘されている内容(これは日本人であれば多かれ少なかれ自意識の中に潜在している事では)ではなく、それを「憂い」という視点で捉え続ける限りは、決して交わることは出来ないという事ではないでしょうか(完全に個人的な見解です)。

その豊富なフィールドワークによる研究成果から導き出された、世界遺産としての長崎のキリスト教伝教と今に至る受容の姿が正しく認識されることを願って綴られた本書。世界遺産登録を目前にした今、ロマンや奇跡という喧伝を離れて、改めてその歴史的な経緯に触れてみてはいかがでしょうか。

追記(2018.6.6) : 本書の著者及び著作の内容に直接言及して、カトリックとしての視点に対して疑問を投げかける著作が6月初旬に刊行されました。

フリーランスのライターの方が書かれた、第24回小学館ノンフィクション大賞の受賞を経て刊行に至った一冊「消された信仰」(広野真嗣 小学館)です。主に行月島の学芸員の方との間で持ち上がった、カクレの信仰がキリスト的かとの論点と、世界遺産登録に至る間に起った行月島の扱いへの疑念を辿ったルポルタージュ。既に本屋さんに並んでいますが、ご興味のある方へ(私は現状、立ち読みレベルなのでこれ以上は言及できません)。