今月の読本「白神山地マタギ伝」(根深誠 ヤマケイ文庫)変わり続ける自然遺産の中を生きる過去と今を結ぶ一頁

今月の読本「白神山地マタギ伝」(根深誠 ヤマケイ文庫)変わり続ける自然遺産の中を生きる過去と今を結ぶ一頁

日本における世界自然遺産登録の先駆となった白神山地。そこは古くから山を生活の糧として生きてきた「マタギ」と呼ばれる人々が暮らす場所でもありました。

白神山地の北側、青森県の目屋に暮らしていたマタギ、故・鈴木忠勝氏は最後の伝承マタギとも称されますが、彼を死の直前まで取材し続けた、同じ弘前に生まれたアルピニストの著者による一冊の本がこの度、文庫に収蔵されて広く刊行されることになりました。

今回ご紹介するのは「白神山地マタギ伝」(根深誠 ヤマケイ文庫)です。略歴をご覧頂ければ分かりますように、著者は著名なアルピニストにして白神山地の自然保護運動の先頭に立って活躍された方。数多くの山岳関係の著作も有されています。

その中で今回、この作品が文庫化されたのは、ちょっとしたブームになっている山の伝承や怪異関係の本でヒットを飛ばした版元さん方針の一環だったのかもしれません。本書にもそのような物語が数多く語られていますし、特に白神山地の秋田側で聞き伝えられた内容については前述のシリーズとなる一作「マタギ奇談」と直接内容が重複する部分も含まれます。

では、本書がそのような「マタギ」の伝承を守り続けた方が炉端で語るような物語が淡々と綴られているのかといいますと、かなり様相が異なります。氏と同じ津軽出身者で、山歩きを熟知した著者に通じる思いがあったのでしょうか、著者の弁によると、兄弟や息子(マタギではありません)にすら語らなかったと称する、今は完全に失われた、山での生活や猟の姿を語る言葉を克明に汲み取っていきますが、本書のもう半分はそれとは異なる思いが綴られていきます。

全国的に見ても極めて稀な、2度にわたるダム水没に直面した地元の姿に対して、暗側面を突くルポルタージュが綴られる冒頭。マタギの伝承物語が始まるであろうと思う読者のややもすればファンタジーな想いを即座に挫くような内容から始まる本書ですが、表題と写真から手に取った、マタギ達に伝えられてきた山で暮らす人々の姿を彼らの言葉で語られると考えていた読者に対して、著者の経歴は単純にはそれを許さず、随所にこのような切り口の筆致を加えていきます。特に本書の冒頭と後半は、その表題とは異なる、別の一冊にも思えるほどに著者の白神山地そして、地元の山々やそこに暮らす人々への表裏を併せた想いを綴ります。

自然保護活動の先にやって来た、山での生活自体を否定する、保護という名のもとに行われる入山規制と彼らが残してきた山での暮らしの痕跡、杣小屋の消滅。「マタギ奇談」においても最後で語られる内容と同じことが、かの地を歩き慣れた著者によってより克明に、実態感を以て描かれていきます。山で暮らす人々が行き交うことで維持されてきた杣道の脇に立つ木々に刻まれた、自らが歩いた跡を示す痕跡。当たり前のように語られる、魚止めの滝の上流に彼らによって放たれ、その場所を新たな生きる場所として代を重ねて育まれ続けるイワナたち。山と麓の人々を繋ぎ現金収入の糧ともなった、正に「山師」たちと鉱山の存在を菅江真澄の踏破した足取と事績に乗せて綴る。メインのテーマになるであろう、クマを狩り、山に生きる姿自体にも、現在の我々が考える「狩猟」「ハンター」とは全く別の世界、流儀の中に生きていたと述べていきます。

ここで、著者は現在の「マタギ」という言葉自体への疑問を投げかけていきますが、本書で語られる鈴木忠勝氏自身も一時期サハリンに出稼ぎに出ており、著者はマタギの世界に入ったと綴る熊撃ちも、本来であれば父親のように何れかのマタギに弟子入りして伝えられるものを、自ら覚えたとされています。そのような意味では、本書で語られる彼自身の生き様も、刻々と変わっていく時代の中の一ページであり、著者が訴えかけ、帯に冠される「伝承マタギ」とはまた別の姿なのかもしれません。

白神山地を愛し、守ることに情熱を傾け続ける著者による、最後のマタギが残した言葉を借りて綴られる、奥深い奥羽の山々に生きる人の記憶を、そのままの形で今に繋げようと願う一冊。その想いと現実を伝える事は決して簡単な事ではないかもしれませんが、本書を手に取られる方にとって、さまざまに伝えられる自然遺産と其処に暮らす人々の姿に、もう一つの見方を与えてくれる一冊です。

 

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今月の読本「マタギ奇談」(工藤隆雄 山と渓谷社)最後に伝えられる森と山々への畏敬の物語

今月の読本「マタギ奇談」(工藤隆雄 山と渓谷社)最後に伝えられる森と山々への畏敬の物語

インプレスグループに買収後、暫くは大人しい状況が続いていましたが、昨今の登山ブームの影響でしょうか、文庫、新書の創刊に続き、最近積極的に新刊を送り出すようになった山と渓谷社。

そんな元気を取り戻した名門出版社が、より一般の方に向けて送り出した近刊には山に纏わる奇談、珍談を集めた本が何冊か揃っています(ヤマケイの黒本というそうです)。その中でも「新編 山のミステリー」という、ちょっとおどろおどろしい装丁とキワモノとも取られかねないテーマの一冊がありましたが、山岳ミステリーという一風変わったテーマが好評だったのでしょうか、同じ著者による続編が登場しました。

マタギ奇談マタギ奇談」(工藤隆雄 山と渓谷社)のご紹介です。

著者は登山関係で多数の著作を有される方。本書も同じ山と渓谷社から1991年に上梓された「マタギに学ぶ登山技術」執筆の際に得た知見をベースに、その後も繰り返し東北に訪れて取材をした内容からピックアップして一冊に纏められたものです。

数頁から十数ページに纏められた物語風の「奇談」がぎっしりと詰まっていますが、取材対象がマタギであるという一点を除いて、章分けはなされているものの一貫したテーマがある訳ではありません。

冒頭の八甲田山雪中行軍における忘れられた「案内人」達の悲惨な末路に戦慄が走り、マタギたちの因習に首を傾げながらも「奇談」にじっと聞き入り、それを守らなかった事による厳しいしっぺ返しにも、まさかと思いながらも思わず身を乗り出してしまう著者の巧みな筆さばき。クマの驚くような能力と向き合いながら、生身でのぎりぎりの駆け引きをして来た彼らが伝え聞いた話を読んでいくと、軽妙さの中にも、体感した者だから言える言葉の重みを感じます。

山での掟や数字に秘める因習、そして強い印象を与える、因習を破ったある猟での出来事とその後。その一つ一つに、ある共通点がある事が見えてきます。

人間の存在をちっぽけなものに相対化してしまう東北の雄大な山々と深々とした森。そこに生きる植物、動物たちへの謙虚で繊細な眼差しと、その中から糧を与えられているという素朴な感謝の念。普段は完全に忘れてしまっている、自然と直接向き合い続けるという厳しさの裏返しとしての因習や伝承の姿が見えてきます。

少し長めに語られる、山津波で消滅してしまった集落で辛うじて生き残ったマタギが語る、遭難状況を克明に記憶する冷徹な観察眼と、それでもその地で生きていこうと決心する山に対する強い想い。最終章でじっくりと語られる、白神山地の奥深くにマタギ小屋を構える老齢のマタギが残した言葉の数々から汲み取る、マタギが山と森を守って来たという自負と、その後を予見するかのような冷静な視点と実際。山を相手に真剣に向き合ってきた人々故の鋭い着眼点に圧倒されます。

既に語れる人も少なくなり、猟場だった山と森は荒廃の進行と保護区の設定によりマタギの手が届かない世界になろうとしています。その地に住み着いた歴史と同じだけの時を刻んだであろうマタギの歴史とその想いを、本書に最後の記憶として残して。

シリーズ展開上、少し怪奇談的な面が強く出ている本書ですが、その行間に潜む、山と森を敬服するマタギ達の最後の言葉にじっと耳を傾けてみるのは如何でしょうか。

<おまけ>

本ページより、類似テーマの書籍のご紹介を。