長野県立歴史館の企画展「君は河童を見たか! -水辺の出会い-」とオープニング講演会「妖物の誕生」(2018.6.16)

長野県立歴史館の企画展「君は河童を見たか! -水辺の出会い-」とオープニング講演会「妖物の誕生」(2018.6.16)

2016年に信州大学副学長から転じた、中世史に関する多くの著作を有する笹本正治氏が館長を務める長野県立歴史館

就任以降、県内各地の博物館、美術館を巡っての講演を始め、今年からは信州学をテーマにして、歴史館の職員を執筆陣にした書籍シリーズの刊行を始めるなど、積極的な活動を繰り広げられていますが、この夏、それらの活動の決定版とも言うべき企画展を仕掛ける事になったようです。

長野電鉄屋代線廃線の時以来で訪れた屋代。

実は初めての訪問となる、森将軍塚古墳の麓に位置する、長野県立歴史館です。

本館内の展示内容は建物のサイズ通りで(右側は体育館のような大屋根で柱のないプレーンな展示エリア)スケールは大きいのですが、その内容は各時代ごとに設けられた撮影セットのような摸擬建築物の展示に、添えられるケース内の展示物もその殆どが模造や複製品(但し、富士見町の札沢遺跡から出土した動物装飾付釣手土器は長野県宝としてこちらに実物が展示されています…)と、実際の出土物、史料だけが有する無言の説得力を前面に掲げた博物館や考古館が増えてきた中ではちょっと寂しい内容。故にこの場所が「歴史館」である理由を暗示させる展示内容でもあるのですが、今回の企画展は果たして如何でしょうか。

通常展示とは別扱いとなる今回の企画展「君は河童を見たか! -水辺の出会い-」。残念ながら著作権の関係で、全ての展示物の撮影が禁止となっていました(歴史館の常設展示は撮影OKです)。

何でかなぁと思って、配布されていた展示物一覧の所蔵先を見れば一目瞭然。当館の収蔵品は半数にも満たず、更にその殆どが「河童」との直接的な関係が薄い、奈良時代までの出土物にほぼ限られる事が判ります。

館長自らが講演会の冒頭で指摘するように、この企画展、妖怪や文芸としての河童だけをテーマにするのではなく、人と水辺の関わり合いをテーマとして歴史的な背景を学んでもらおうという企画意図に立ったもの。その中で、最も身近な存在である「河童」にテーマを仮託した(その結果、多様な展示物を各所から掻き集める結果に、芥川龍之介の作品などは山梨県立文学館の所蔵なので…嗚呼)と捉えられるかと思います。縄文土器の蛙状の文様から、本展のメインキャラクターを担う、松代の銅鑵子、そして文学の中に生きる芥川龍之介の河童とそのインスピレーションを与えた上高地。水辺に生きる人々の触れ合い方、畏敬から絵画としての親しみへと変化する中で、その想いを重ねる存在としての河童を見出していきます。

水を治める為の祈りを捧げる物から、妖怪としての河童の登場、そして南信に伝わる、河童からの恩返しとして製法を伝えられたとされる痛風薬としての加減湯。水を恐れ、御し、使いこなした先に親しみながらも、なおも畏敬の念を持ち続け、時に自らをその姿に仮託する様をじっくりと見せてくれる展示内容です。

そして、企画展のオープニングとして催された、笹本館長の信州大学での一年先輩という、関西学院大学の西山克教授による講演(開演前の紹介で、今回の企画担当の方の出身大学と西山先生の所属大学で妙なスクラム話が盛り上がるという小ネタ付き。笹本館長、ネタ振り過ぎです)。実は前述の展示内容同様に、今回のテーマを妖怪としての河童だと捉えて掛かるとちょっと拍子外れな講演内容になってしまったかもしれません。

定員220席に対して、7割以上の入りとなった講演会。年齢層がかなり高めな中で明らかにそちら系にご興味を持たれてお越しになられた方も散見されましたが、1時間半に渡る講演内容の過半は、河童とは少し離れた「百鬼夜行図」の読み解きから「妖物」が生み出された背景を探っていくというテーマ。最近、中世史の研究で非常に活発な絵図からの解釈を織り込んだ研究の一端を紹介される内容には期待外れだった方もいらっしゃったかもしれません。もっとも、民俗学ベースの妖怪、怪異系のお話があまり得意でない私にとっては、大陸由来の白話から説き起こしていく今回の内容には大満足。むしろ、絵解きの神髄でもある、其処に付された比喩から制作者を読み解いていく西山先生の解説は目から鱗で、そこで真珠庵から一休宗純に繋ぎこむのか!と思わず膝を打ってしまいました(判っている方はほくそえんでいらっしゃったようですが、前フリがまた憎いです)。

その上で、如何にも民衆の伝承の中から生まれたように見える河童の「名付け」自体も、大陸からの白話に由来する物語に当てはめられて、逆にその名を付けられた(カワタロウからカワ・ワッパ)。子供の姿で描かれるようになったのも、童(本来は髷を結ばない状態)の字面から逆にイメージされたものだとの認識を示していきます。

民俗学的な素朴なイメージで捉えようとすると完全に足元を掬われる、知識人層の機知を含ませたイメージの延長にあったとする妖怪(妖物)自体が、当時の激しい飢饉に対する施餓鬼としてのイメージに、痛烈な諷刺を重ねた先に生み出された物であることを暗示させる講演内容。

歴史館と言う多面的な歴史の捉え方を念頭に置く施設が送り出すテーマに相応しい、ここから広がっていくテーマの起点として「河童」を採り上げた企画の面白さ。そして、文献史学と美術史(図像学)の交点を絶妙に織り交ぜた、実に興味深いお話を聞かせて頂いた西山先生の講演に大満足だった一日。

長野県立歴史館の企画展では毎回、このような形で豪華な図録が制作されます(今回はずっしりと重たいグラビア用紙を用いたA4版オールカラーで100ページ。撮禁でしたが、図録で大満足。ここでも笹本館長、売り込みに躍起でした)。

左右の二冊はどうしても欲しかった、国立博物館と上野動物園を生み出した、飯田出身で博物学者の祖、田中芳男の企画展の図録と、観光地図というジャンルを成立させた、鳥瞰図絵師、吉田初三郎をサブテーマに扱ったパノラマ図と観光地絵図の企画展の図録。どちらも二度と出てこないと思われる貴重な図録なのです)。

じっくり企画展を眺めて、タップリお話も聴けて、只今、お家に帰ってゆっくり図録で楽しんでおります。

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今月の読本『信州を学ぶ 日常生活からひもとく信州』(長野県立歴史館編 信濃毎日新聞社)信州学のスタートは郷土史を越えて広がる視点を添えて

今月の読本『信州を学ぶ 日常生活からひもとく信州』(長野県立歴史館編 信濃毎日新聞社)信州学のスタートは郷土史を越えて広がる視点を添えて

New!(2019.9.4):こちらでの紹介が遅くなってしまいましたが、長野県立歴史館による信州学シリーズ。全3巻が完結しました。2巻目の「広い世界とつながる信州」はちょっと発散気味でしたが、執筆者の皆様の現状を見据えた視線と、歴史を扱う研究者として未来へとその想いを伝えたいという願いが込められた3巻目「新たな時代にはばたく信州」。大きな歴史の小さな断片としてではなく、地域史、地方史が大きな歴史へと映し出す姿を追ったシリーズ、是非ご一読ください。

本書とほぼ同じ執筆陣が手掛けて、シリーズ完結のすぐ後に刊行された「古地図で楽しむ信州」(笹本正治:編著 風媒社)内容的にも本書の地図解説版という位置付けになる一冊です。

なお、本シリーズにも関連する内容ですが、あとがきで笹本先生が書かれているように、地方の教育委員会に所属する博物館職員は一方で教員としての側面も有しており、定期の配置転換による執筆陣の離散によって安定した執筆環境と論述内容を確保できなかった点を述べられています。お読みいただく際には、そのような背景もあるという事を頭の片隅に置いて頂ければと思います。

<本文此処から>

連年オリジナル企画を送り出してくる、長野県を代表する新聞社であり出版も手掛ける信濃毎日新聞社。

今年の新企画は、新たに「信州学」をテーマに据えたシリーズを刊行するようです。

シリーズの概要は明らかにされていませんが、スタートとなる本書は、その入口となる「衣食住」をテーマにした一冊。

今月の読本『信州を学ぶ・足元を探る編 日常生活からひもとく信州』をご紹介します。

本書の編者は長野県立歴史館。前の信州大学副学長で館長を務める笹本正治先生は数多くの中世史に関する著作で知られる方ですが、館長として着任して以来、積極的に県内各地の博物館や美術館での公演を行ったり、これまでの歴史館としては初めての、収集品以外に武田信玄直筆の書状を県の予算で古書店から購入するなど、積極的な歴史普及活動を続けられています。

今回の一冊も、はじめにで書かれているように、大きな歴史の流れに対する単なるパーツとしての地方史、郷土史ではなく、信州の地に生きた人々を主人公とした歴史を記したいとの強い想いを述べられています。

笹本館長率いる歴史館のスタッフ総勢20名を擁して三つのテーマに振り分けて描く本書。流石にこれだけの人数が手掛けますと、内容や記述についてかなりばらつきが出ますが、その中でも一貫した執筆方針を採られているようです。

一つ目には、その記述がどんな時代、テーマであれ、身近な生活と密着した内容であること、二つ目として、特定の時代、専門分野の叙述に留めず、時間的、空間的な俯瞰性を持たせることを意図していることがはっきりと見えてきます。

「衣」であれば、今の地名に繋がる、律令時代の麻の生産から始まり、女子高生の埴輪ルックと寒冷地信州における衣服の特徴へと繋いでいく。「食」であれば、もちろんジビエと諏訪信仰における鹿免食を繋げますが、遥か長崎の卓袱料理と諏訪神社へと着目する。そして本書で出色なのは「住」の項目。古代から近代まで、居住空間や生活拠点に関する内容の中でも、特に近世初頭から近代に着目した部分の筆致は実に魅力的。流石に主編者となる笹本先生が書かれた項は一発で判りましたが、それ以外にも、佐久平を起点に全国に広まった踊念仏と善光寺から始まる信州の芸能と建築の伝統や、山への信仰と街路の方角、雪国における特異な建築条件、特産の菜種油と照明のテーマでは日本で初めての商業油田が長野で成立したことから繋げるなど、歴史的な経緯を近現代に延長させることで見えてくる意外なテーマが目白押し。そこには、人は何故其処を住居としたのかという着目点を突き詰めた先に、雪と山間に閉じ込められたどん詰まりに生きる貧しい人々という、近代までの信州に対するステレオタイプをどんどん打ち消していく様な内容が綴られていきます。

更には、本書が「歴史館」という、博物館や考古館、文学館、歴史民俗館とは異なるスタンスを持った、すべての歴史時代から現代までの時代背景を通貫して描けるスタッフが著述を手掛けたという事を明確に示す点が、要所に織り込まれたコラム。発掘土器は現代の会食のマナーにまで繋がり、信州ならではの塩イカの歴史も現在の製造(実は福井県の三社ですべて生産)や販売傾向といった現代の食文化に直結。そして、信州と長野の呼称に対する微妙な使い分けを歴史的な経緯から探り出すといった、県民の皆様ならちょっと冷や汗が出てくるような小論考まで。

歴史館という、ち密に細分化された現代の歴史研究環境に於いて、ちょっと中途半端にも思える位置付けにある、その場所で活動を続ける方々が思いを込めて綴る、信州を軸に時間と空間を広げていくオムニバスストーリー。本書の性格故に本格的な議論がなされる訳ではありませんが、この一冊をきっかけに信州のことをもっと知ってほしい、その先に広がる世界、時代と必ず繋がっているという事をはっきりと教えてくれる一冊です。

雑学もたっぷりの「信州学」を標榜するに相応しい、次回以降のシリーズも楽しみにしながら。本書が好評の暁には、県立歴史館だけではなく、他の研究機関、博物館、美術館、山岳や観光、技術や工業、スポーツの団体など、信州の歴史/文化全般に渡るシリーズになる事を期待してしまいます。