今月の読本「科学者はなぜ神を信じるのか」(三田一郎 講談社ブルーバックス)物理学史で綴る、数学が描く神の法則と残された摂理への想い

今月の読本「科学者はなぜ神を信じるのか」(三田一郎 講談社ブルーバックス)物理学史で綴る、数学が描く神の法則と残された摂理への想い

1963年創刊の新書シリーズ、講談社のブルーバックスは、科学が大好きな方にとって、学生時代から常にその何冊かを手元に置き続けたシリーズだと思います。急速な進化を遂げる分野を扱うシリーズのため、扱われる内容も編集方針も大きく変化していく中、デザインを含めて、テーマ選定もリニューアルが頻繁になってきたブルーバックスとしても、ちょっと意外に思われる一冊をご紹介します。

科学者はなぜ神を信じるのか」(三田一郎 講談社ブルーバックス)です。

著者の三田一郎先生は学生時代に両親と共にアメリカに居住し、そのままアメリカの大学、研究機関(フェルミ国立加速器研究所に在籍されていた事もあります)を経て、日本の大学での教職に就かれた方。日本でも有数の素粒子物理学者ですが、もう一つの顔として、クリスチャンとして教会の協力助祭(終身助祭)を務められている方でもあります。

本書は、もう一つの顔としての側面、クリスチャンとしての視点からみた、自らの業績にも繋がる、連綿と続く数学と物理学の歴史を人物史として読み解きながら、その発見に至る経緯の中で、彼らがどのように神の存在と向き合っていたのかを描いていきます。同じようなテーマの本は人文書にも何冊かあるかと思いますし、その著者がクリスチャンでる事も珍しくはないかとは思いますが、本書は日本人の物理学者、しかも聖職にある方による一冊と言う点が極めて珍しいかと思います。

ブルーバックスと言うフォーマットを考慮して、科学的視点は充分に盛り込みながらも極力平易に説かれる、コペルニクスから始める物理学の推移を綴っていく本書。日本人には判りにくいクリスチャンとしてのキリスト教の教義について冒頭の一章を割いて解説されますが、この内容から、本書はある重要な視点で貫かれている事が判ります。章末に死海文書の発見と修復の経緯を敢えて採り上げて、聖書の写本に対する異常なまでの正確さから説き起こしていく、信仰心としての神の存在と、その姿が綴られた聖書は、教会という組織や宗教という人が為した存在とは峻別して扱わなければならないという点。これらを渾然と扱ったり、両者を取り違えて扱うと、これまで多く述べられてきた科学者と信仰と言うテーマそのものを読み誤ってしまうという事が、本文中で繰り返し見出されていきます。

聖書に描かれていた内容から出発して自然法則を見出していく中、彼らは決して神の存在やその業を否定はしていません。むしろ、聖書を鵜呑みし、誤った理解に基づいた、人の集まりである教会や宗教者達がその想いを歪めてしまった事を指摘します。ギリシャ哲学による極めて科学的な視点で捉えられていた内容が、ローマ文化による変質と低迷を迎えた先に誤った理解へと導かれてしまったことを、ガリレオ裁判の経緯から明確にしていきます。その先にある、自然法則を神の言葉である数学としての方程式で表していくニュートンと、観測によってその姿を捉えようとしていくケプラー。測定、観測技術の進歩と共に、その事象へと繋がる原理を描く数学と、目の前に捕えた事象を表現するための数学という二つのアプローチが出てきますが、物事の根源へ至る想いは変わりません。其処には彼らの想いの側に常に神の存在が意識され続けた事を示していきます。そして、聖書に描かれた内容と実際との違いに触れる一方で、聖書としての神から与えられた啓示の捉え方が変わっていく、その過程で聖書の説く倫理観自体には何ら変わりはない事を明示していきます。

此処までは古典物理の上でのお話。丁寧に描かれる物理学的な記述も高校卒業程度の理解力で付いていく事が出来ますが、大きな曲がり角であるアインシュタインを扱う章からは、扱われる事象も、そのテーマに挑んだ科学者たちの神に対する認識も大きく変わっていく事になります。神の業ともいうべき、聖書に描かれた数々の説話を一つ一つ乗り越えていく過程から、神の摂理そのものに触れ、更には神の否定へと突き動かされる姿に迫っていく事になります。

この先の内容について、一応、物理学的な事象について理解できなくても読み進められるように配慮はされていますが、極力易しく表現されているにしても、直近のテーマについては第一人者の一人である著者ですら難解なとコメントせざるを得ない領域まで物理学的な議論を進めていく本書。ちょっと敷居が高くなっていく後半、本文は著者の専門でもある素粒子物理学の展開とアインシュタインや彼に続く科学者たちの理論展開と言うテーマに譲って、本書のテーマとなる科学者と神と言う内容はコラム的に取り纏められていきます。中でも本書の白眉と言える、著者の訳による物理学の巨星たちが語る神と物理学が葛藤する相克の断片を綴る「ソルベイ会議の夜」と呼べるであろう妙録と、晩年のディラックの変心。神の業を表現する手法である数学を用いて解き明かした先に、この宇宙における物理法則と言う形でその為し得た全容を描けるというスキームを受容していく姿を採り上げていきます。

ディラックの変心を採り上げた著者の想い。その想いは著者自身が50代に差し掛かってから改めて信仰に立ち返ったと述べている転機に繋がるもの。著者の研究における転機にある、ディラックの反粒子と、反物質に対してほんの僅か多く存在した物質から全てが生まれたとする仮定に対する、その僅かさの中に神の摂理を見出したことへの感慨を述べていきます。本書の帯にはノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊先生の一言が添えられていますが、著者が信仰への想いを告げた際に小柴先生が応じた懸念に対する回答として綴られた内容とも思える、科学者としての著者が神の差配を感じた瞬間。

歴代の科学者たちの最後に登場する、無神論者として評されるホーキングの態度とその研究成果について、専門家である著者が検証を加えながら(想定される読者が理解できるぎりぎりの範疇で)、過剰なまでの神を否定する思考に対する裏返しとして、強い神の存在への意識があったのではないかと評する、素粒子物理学者、クリスチャンとしての著者。最後に綴る、神の存在が思考停止と盲従を生む源泉であるという議論に対して、自ら学び、理解する事を旨として掲げた科学者として、そのような事は決してありえないと強い否定を述べた上で、むしろ何処までも手の届かない神の存在こそが、謙虚にその摂理を一つ一つ自然現象として解き明かしていく原動力となり得ると記して筆を置きます。

神の言葉である数学を操り、同じく神の啓示である聖書の忠実な注釈者、伝達者である事を願う助祭としての著者が、科学者たちが捉えようとしていた内容と、其処に込められた神の存在への想いとを綴る、少し前のブルーバックスのフォーマットを思わせる、より科学的な読み物としての側面にフォーカスした一冊。

後半を読みこなすのはちょっと大変ですが、優しく丁寧に書かれた宇宙物理学の歴史としても楽しく読める一冊の行間に込めた、著者の神への想いに触れながら夏の夜空に広がる星空に思いを馳せると、科学者達が追い求めたその姿が今までとは違って見えて来るかもしれません。

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