列島の要衝たるこの場所で過去から未来へと時を刻み繋げて(諏訪湖時の科学館儀象堂と下諏訪町埋蔵文化財センターは「しもすわ今昔館おいでや」へ)

列島の要衝たるこの場所で過去から未来へと時を刻み繋げて(諏訪湖時の科学館儀象堂と下諏訪町埋蔵文化財センターは「しもすわ今昔館おいでや」へ)

縄文文化の故郷とも呼ばれる八ヶ岳西麓。

エリア内の各自治体には、それぞれに工夫を凝らした考古館が整備されていますが、これまで独立した施設を有しなかった下諏訪町にも新たな考古博物館「下諏訪町埋蔵文化財センター」が昨年開設されました。

ところが、開館から僅か1年後のこの春、敷地を共有する、下諏訪町の名所でもある時計の組み立てが体験できる博物館「諏訪湖時の科学館儀象堂」が、下諏訪町の観光情報発信拠点として改装される事になり、三つの施設を統合して新たに「しもすわ今昔館 おいでや」として再出発、傘下の二つの体験型施設としてリニューアルを受けることになりました。

  • 諏訪湖時の科学館儀象堂 から「 時計工房 儀象堂」
  • 下諏訪町埋蔵文化財センター から「星ヶ塔ミュージアム 矢の根や」

リニューアルを迎えた4月14日、無料開放となった両施設を訪ねてみました(普段から辺りをウロウロしているくせに、無料に事付けてのこのこ見学に来る小悪人を、どうかお許しください…)。

ここ数年で綺麗に街路が整備された大社参道と平行に伸びる、一本左側に入った細い路地の中にある時計台が目印。エントランスには足湯が用意されています。

中庭には諏訪湖時の科学館時代からのシンボル、古代中国で実際に作られたとされている水車を動力にした天球儀と時計が一つのからくりに収まっている巨大な水運儀象台。中に入って実際に水車と歯車が動いている様子を見る事も出来ますし、毎正時にはスタッフの方(セイコーエプソンOBの方でしょうか)による、動作についての解説を聞く事が出来ます。

儀象堂の方は、組み立て工房が2階から1階に移されてウィンドウ越しに眺める事が出来るようになり、博物館としての位置付けから体験施設としての位置付けがより強くなったためでしょうか、展示内容にはあまり変更がないようですので、ここでは割愛させて頂き、裏側に廻ってみる事にします。

なお、此処ではIEEEマイルストーンに認定された、世界初のクォーツ式腕時計であるセイコークオーツアストロンSQ35の実物を始め、歴代の諏訪精工舎、セイコーエプソンが手掛けた時計たちも見る事が出来ます。

以前には設けられていた塀が完全に撤去されて、儀象堂と一体の施設となった、星ヶ塔ミュージアム 矢の根や。黒曜石をイメージした建物外観はそのままですが、表の看板は新たに架け替えられたようです。

儀象堂と一体運営になった影響でしょうか、受け付けはあるもののカーテンが掛けられ完全無人運用となった館内(20席ある地下シアターで上映される下諏訪町の歴史を紹介する、岩波映画社制作のPV(12分)もオートリピートに)。

な・の・で…。

係の者へお申し出ください書かれているミニ解説書が買えないじゃないですか!!!

まぁ、このパターンは観光案内所と管理を統合した開田高原の木曽馬資料館でも同じだったので今更驚きませんが、せっかくの無料開放の日で多くの見学者の方がお越しになっているのに、これは残念でなりません(やっぱり鷹山に行かないとダメなのかなぁ)。

気を取り直して…小さなエントランスの床には下諏訪を中心に置いた衛星写真の上に、このミュージアムのテーマでもある霧ヶ峰から産出された黒曜石が何処まで広がっていたのかを示す、発掘場所のプロットが示されています。

縄文文化、いえ当時の日本の中心がこの地であったことを雄弁に示す、実にシンボリックな地図です。

エントランスに並ぶ、星ヶ塔の解説。現在の名前で呼ばれる前から「星糞峠」とまで呼ばれた、黒曜石を豊富に産出する霧ヶ峰山麓。現在も土壌改質剤となるパーライト(その場所を称してビーナスライトとも)鉱山が稼働しています。

他の考古博物館であれば、大事そうに飾られるであろう黒曜石の原石。

でも、ここは今も鉱山のお膝元。ごっそりと黒曜石の原石が山盛りで飾られています。

下諏訪町における考古学の歩みを綴った年表。地味な展示ではありますが、町にとっては国指定史跡となり、このミュージアムを整備するきっかけとなった大切な足取の記録。

そして、このミュージアム最大の見せ物である、黒曜石鉱脈と縄文人たちが採鉱した跡をそのまま体感できるジオラマ。横には、剥ぎ取り標本もありますが、採掘跡どころか選鉱して捨てた黒曜石スラグの跡だというのですから、驚きです。

2階に上る階段からもジオラマを俯瞰で眺める事が出来ます。建物1階分を掘り進んで黒曜石の鉱脈を掘り当てた跡と考えられているこの遺跡。当時の非力な道具でここまで掘り進める熱意を実感できる展示です。

2階に上がると遺跡からの発掘物の紹介コーナーへと誘われます。

流石にこの地で発掘、加工までされていた訳ですから、豊富な黒曜石の発掘物とその時間軸の長さに圧倒されます。

そして、このミュージアムのビューポイント。実は、裏手には青塚古墳と言う、長野県内では珍しく、諏訪地域では唯一と言われている、確実に中央の影響を受けていたと見做せる前方後円墳。その石室をテラスから直接眺める事が出来るという、アイデア賞の展示。実は、入館する前に古墳の周囲を掃除中だった地元役員の方に事前に教えて頂いていたのでした(ありがとうございます)。こんな展示、古墳ファンじゃなくてもちょっと盛り上がりますよね。

古墳を望むベランダの反対側は、星ヶ搭遺跡以外の発掘物を紹介するコーナー。

平安時代までの町内からの発掘物が展示されています。

本館のお宝ともいえる展示物。有名な亀ヶ岡式の土器が遥か中部高地のこの場所から発掘されたという事実、この地が縄文時代には既に日本中と繋がっていた事を雄弁に示す証拠です。

そして本館で最も印象的な展示は館内の一番隅にあります。

多くの書籍で語られるように、縄文時代と弥生時代を分かつものは稲作と、青銅器の導入。

しかしながら、黒曜石を豊富に産出するこの場所では、弥生時代中期になっても黒曜石による道具を大量に使用していた事を示す発掘成果が残されています。

弥生時代に入ると八ヶ岳を中心にした中部高地は忽然と無人の広野に戻ってしまったかのような印象を完全に払しょくするこの発掘物たち。

その先には、これら展示物の背後に今も姿を残す古墳の埋葬者達やそれを支えた人々、更にはその発祥すらいまだ解明できない、諏訪の神々を祀る人々が、日本中、更には北東アジア全般に繋がりながら営々とこの地に住み続けていた事を、発掘物たちが教えてくれます。

今回の改修で、観光案内施設の一アトラクションに堕ちてしまったかのような印象もありますが、その溢れるばかりの発掘物が語りかけてくる無言の言葉は些かも変わりはない筈。

歴史と人が交わり合う、縄文の中心地から諏訪信仰の中核へ。諏訪湖を眼前に控え、四方の峠を越えて街道が交わる一大ジャンクションは今、世界の精密機械工業を牽引する場所へ。列島の要衝に位置し続けてきた下諏訪町の歴史を、時計の針の刻へと委ねて、未来へと繋げるこの場所。

綺麗に整備された展示環境を得て、新たに多くの方々の目に触れられるようになった貴重な発掘成果が、より深い歴史理解に繋がる事を願って。

 

猛暑の午後は縄文から中世までの歴史を一括りに(北杜市考古資料館)

猛暑の午後は縄文から中世までの歴史を一括りに(北杜市考古資料館)

猛暑が続く八ヶ岳南麓。

日曜日の今日も厳しい暑さが続きます。

外での作業に躊躇してしまう午後のひと時。ちょっと涼しい所に逃げ込んでしまいました。

北杜市考古資料館外観旧大泉村の役場から少し下がった場所にある谷戸城跡。

桜の名所でもある谷戸城跡。その大手正面に建つのが、こちらの北杜市考古資料館。同じ市内長坂町の清春芸術村にある北杜市郷土資料館(旧長坂町郷土資料館)の分館扱いとして設立された、国史跡である谷戸城と二つの縄文遺跡(梅乃木、金生の両遺跡)のに関する発掘成果や市内の発掘物の展示に特化した、小さな博物館です。

北杜市考古資料館のエントランス土器平成16年に竣工した新しく綺麗な建物の内部は、木をふんだんに使った吹き抜けのエントランスから直接2階の展示室に上がっていくという、最近では良くあるレイアウト。

エントランスの左右や裏側には、豊富な発掘成果を誇るように、台の上やガラスケースに多くの縄文土器が並べられています。

北杜市考古資料館2階通路の土器2階の展示室に向かう通路にもたくさんの縄文土器や石器が。

北杜市考古資料館2階通路の水煙渦巻文土器八ヶ岳山麓の縄文遺跡ではおなじみ、素晴らしい造形の水煙渦巻文土器もあります。

北杜市考古資料館第一展示室全景展示室に入る前に既にお腹いっぱいですが、通路を抜けると、金生遺跡のジオラマを中央に置いたメインの第一展示室に到着です。

北杜市考古資料館の縄文土器壁際にはセミオープンで出土した土器が並べられています。

このような土器の雰囲気を直に味わえる展示方法は、釈迦堂、そして尖石でもお馴染みです。

北杜市考古資料館の復元環状列石センターのジオラマの向こうには、遺跡のパノラマ写真と復元された環状列石が迎えてくれます。

正に八ヶ岳を正面にした遺跡。八ヶ岳への信仰心すら窺える展示内容です。

北杜市考古資料館の粘土耳飾りそして、こちらの展示物で珍しいのが装飾品。

中でも出色なのは粘土で出来た耳飾りと考えられている出土品。

細かな細工が施されているのが判るでしょうか。

北杜市考古資料館の中空土偶1そして、この資料館を代表する展示物の一つ目。金生遺跡から発掘された珍しい中空土偶。

北杜市考古資料館の中空土偶2まるでタコの口のような尖った口を持った中空土偶。最近人気急上昇中らしいのですが…如何でしょうか。

北杜市考古資料館の顔面把手付深鉢1更にもう一つ、お隣の津金(須玉町、御所前遺跡)で出土した、こちらの資料館が誇る縄文期随一の造形を魅せる、顔面把手付土器。

出産を表すと考えられる、観る者に強い印象を与える土器です。

北杜市考古資料館の顔面把手付深鉢2こちらの土器、背面にも注目しましょう。顔面の裏側にも施された造形と、表面と対になるように、土器本体には顔が描かれています。そのデザインの本当の理由は判らないのですが、豊かな想像力を感じさせる逸品です。

北杜市考古資料館第二展示室八ヶ岳山麓にある他の考古館であれば、ここでおしまい(or別館へ)。

ですが、こちらの資料館は小粒ながらも旧石器時代から中世までのロングスパンで出土物の展示を取り揃えています。こちらは弥生時代から平安時代にかけての出土物を展示している第二展示室。

正面には、発掘された古墳の石室の様子が描かれたタペストリーが掲げられています。

北杜市考古資料館の三口台付壺こちらも珍しい出土物。弥生時代の刀剣と古墳時代の奇妙な形をした土器。

八ヶ岳西麓の縄文遺跡が一旦は人の生活跡を失う一方で、この地にはその後も人が住み続けた証拠の数々。

北杜市考古資料館の谷戸城跡ジオラマそして、1階のフロアーに降りていくと、この資料館が立つ谷戸城の解説と中世の八ヶ岳南麓に誘われていきます。

北杜市考古資料館の指銭と経筒珍しい出土品(差金や経筒)も見える、中世の八ヶ岳南麓。既に相応の実力を有した武家が育っていたであろうこの地から、のちの武田一族が飛躍することになります。

北杜市考古資料館の天正壬午の戦い解説パネルこの資料館の最後は、谷戸城の発掘成果の解説と、こちらを舞台に展開される、武田一族が滅亡した後の北条、そして徳川の騒乱である天正壬午の戦いに関する説明ボード。この戦いの結果、秀吉時代の僅かな期間を除き、明治まで続くこの地の支配体制が確立。八ヶ岳南麓の歴史は考古史から郷土史へと移っていきます。

谷戸城跡大手口資料館の裏側は谷戸城の大手口に繋がっています。桜の木に覆われた小さな丘は綺麗に整備され、周囲に巡らされた堀や土塁を観察しながら中世城郭の跡を散策する事が出来ます。

金生遺跡全景谷戸城跡から車でほんの数分(谷戸城の搦め手を下り、水田の中を抜ける、丁度いい散策コースなのですが…季節を選べば)。

水田の中に浮かぶように存在する公園に金生遺跡があります。

綺麗に整備された遺跡の跡からは、発掘当時の様子を窺う事は困難ですが、この地に繁栄した縄文文化の中心地のひとつとして、出土物と共に現在にその想いを伝えてくれます。

北杜市考古資料館より望む夏の八ヶ岳資料館から望む夏の八ヶ岳。

八ヶ岳山麓にある縄文時代の発掘物を扱った博物館の中でも、綺麗で丁寧な展示が光る本館(但し、夏休み中の日曜日の午後にも拘らず独り占めって…春にはNHK(Eテレ)で採り上げられた筈なのに、これでいいのかなぁ)。

日が西に傾いて、漸く凌ぎ易くなった夕暮れまでしっかりとお邪魔させて頂きました。

北杜市考古資料館のパンフ類館内で配布しているパンフレットと有償のブックレット。なんで縄文史跡を観に行ったのに、山城なんだよ…というツッコミはご勘弁を。

<おまけ>

本ページでご紹介した内容に関連するページを。

中央道の休憩は縄文の想いに触れるひと時(釈迦堂P.Aと釈迦堂遺跡博物館)

中央道の休憩は縄文の想いに触れるひと時(釈迦堂P.Aと釈迦堂遺跡博物館)

中央高速を東京から西に向かうと、笹子トンネルを抜けた後、急坂を転げ降りるようにして甲府盆地に下っていきます。

緊張を強いられる運転から、少し傾斜が緩くなってほっと一息つける場所にある釈迦堂P.A。

車をパーキングに入れて、丘を見上げると、ちょっと不思議な案内板を見かけます。

釈迦堂P.Aと釈迦堂遺跡博物館丘の上に立つ、大きく「博物館」と書かれた建物と、行き先を示す案内板。

パーキングエリアから博物館?、と首を捻ってしまいますが、とりあえず行ってみましょう。

釈迦堂遺跡博物館外観階段を上り詰めると、一般道。

道を渡った正面に博物館の入口が見えてきます。

ここが、日本でも珍しい「高速道路から直接訪問(も)出来る博物館」、釈迦堂遺跡博物館です。

こちらの博物館、 そのものズバリ、中央道を建設中に発見された縄文遺跡である釈迦堂遺跡の発掘成果を展示する為に建てられた、珍しい施設なのです(同じようなシチュエーションで、もっと大規模な遺跡であった、長野県諏訪郡原村の阿久遺跡には、残念ながら併設の博物館は存在しません。遺跡の脇に立つ収蔵庫内の一部の収蔵品が、遥か山懐に立地する、村立八ヶ岳美術館に展示されています)。

釈迦堂遺跡博物館から中央道を俯瞰館内の喫茶室や展望室からは、このように釈迦堂P.Aの様子や笛吹の市街地を望む事が出来ます。

釈迦堂遺跡博物館内部1では、さっそく見学してみましょう。

縄文土偶にお詳しい方ならご存知の、この博物館の名物が出迎えてくれます。

何と、こちらの博物館はカメラOKなので、お好みの写真を撮る事も出来ます。但し、フラッシュ厳禁ですのでスマホ撮りの際にはご注意を。

釈迦堂遺跡博物館内部2奥の陳列棚にずらっと並ぶこの名物、さあ近づいて観てみましょう。

釈迦堂遺跡博物館内部3目の前を埋め尽くす、顔、顔、顔…。

この博物館の名物、それは国内で発掘された出土数の1割近くを占める、膨大な土偶たち。

目の前にびっしりと並べられた、土偶の顔を始めとしたパーツ類が見学者の皆様に向かって一斉にご挨拶です。

釈迦堂遺跡博物館内部4個性豊かな土偶たち。ちょっとおかしかったのが、真ん中の土偶にカメラの顔認識がばっちり反応した事(大笑)。縄文人の感性は、現代のエンジニアリングにも共鳴してくれるようです。

釈迦堂遺跡博物館内部5豊富な顔のバリエーション。どんな想いでこれらの顔を生み出していたのでしょうか。

釈迦堂遺跡博物館内部7土器の縁につけられていたと考えられる人面たち。

ちょっとお気に入りが左の2つ。どこかで見た事がある様な顔つきではありませんか…?

釈迦堂遺跡博物館内部6宇宙人のような土偶の顔達。こちらの遺跡では多数の土偶が出土していますが、これらのように破壊されたり、一部のパーツだけの状態の土偶が殆どで、国宝土偶が2つも揃う、尖石のような華やかさはありません。

釈迦堂遺跡博物館内部8華やかさが無いと言いましたが、特徴的な出土物には事欠かない釈迦堂遺跡。

こちらのような、出産シーンをそのまま土偶にしたと考えられる、極めて貴重な出土物もあります(江戸時代までの出産同様、中腰の姿勢で出産していたと考えられています)。

釈迦堂遺跡博物館内部9そして、館内を奥に進んでいくと、この博物館のもう一つのお宝が見えてきます。

釈迦堂遺跡博物館内部10ガラスケースの中で、周りを威圧するように静かに佇む、この博物館でも大物、縄文土器としても大きな逸品中の逸品、水煙文土器。土偶には興味があるけど、土器はちょっと…という方でも、納得の迫力を持った芸術作品と言いたくなる土器です。

釈迦堂遺跡博物館内部11水煙文土器の後ろには、同時に発掘された土器たちがオープンスペースに展示されています。

もちろん、手に取る事は出来ませんが、ガラス越しではなく、縄文土器の肌合いを直に感じる事が出来ます(この展示方法は、尖石でも実施されています)。

釈迦堂遺跡博物館内部12これらの土器を作った際に余った粘土を序に焼き上げたのでしょうか、指跡が残る粘土や、粘土を入れていたと思われる、編んだ網の跡が残る粘土も出土されています。大量に土器、土偶が生産されていた事を示す、貴重な発掘物です。

釈迦堂遺跡博物館内部13そして、こちらも貴重な土鈴。

生活に汲々としていたわけではなく、豊かな文化性を持ち合わせていた証拠。このような出土品は極めて珍しく、こちらの博物館では、名物の「桃の箱」にこの土鈴のレプリカを入れたノベルティも用意されています(土偶の顔が入っているバージョンも…欲しいですか?)。

釈迦堂遺跡博物館内部14縄文の世界から、ちょっと薄暗いエントランスを通って現代へと。

中央道のドライブに少し疲れた時にちょっと寄り道して、ひと時のタイムトリップなど如何でしょうか。

釈迦堂Jomonコレクションパンフタイミングが悪かったのが悔やまれますが、夏休みを前にした7/15から、発掘35周年、重文指定10周年を記念した特別展示が開催されるそうです(第一期、9/7まで。普段は閉鎖している特別展示室が使われるはずです)。メインは大型土器。縄文土器ファンの皆様には必見の展示になりそうですね。

<おまけ>

似たようなテーマを扱ったページをご紹介。

標高1300mの小さな美術館に縄文への想いが集う(八ヶ岳美術館・原村歴史民俗資料館とハイウェイの沿線遺跡群展)

標高1300mの小さな美術館に縄文への想いが集う(八ヶ岳美術館・原村歴史民俗資料館とハイウェイの沿線遺跡群展)

冷え込む日の少ない今シーズンの冬。

その代わり、立て続けに降る雪のおかげて、八ヶ岳の山々は真っ白な状態が続きます。

南麓の方は気温も高く、降雪量も少なかったのでそれほどではありませんが、西麓の方は繰り返される降雪のため、八ヶ岳の白さも一際です。あいにくお天気が優れないのですが、それでもたっぷりと雪を戴く雪山を眺めるのは格別なものです。

曇り空の雪原と八ヶ岳八ヶ岳エコーラインから望む、八ヶ岳。

曇り空の雪原と蓼科山同じく、真っ白な蓼科山と北横岳。

曇り空の雪原と車山比較的標高の低い車山も山腹まで白い雪に覆われています。

八ヶ岳を愛でながら、更に標高を上げていくと、道路も一面雪だらけ。

圧雪の中をそろそろと上がっていきながら、本日の目的地に向かいます。

雪の八ヶ岳美術館庭園1車を駐車場に止めると、雪の中にブロンズ像が立ち並んでいるのが見えてきます。

雪の八ヶ岳美術館庭園2辛うじて除雪された庭園内の小路を登っていくと、ブロンズ像たちの先に、かわいらしい建物が見えてきます。

雪の八ヶ岳美術館庭園3サイロのようなアーチ構造の屋根が連なる、不思議な造形を持った建屋。村野藤吾の設計による独創的なデザインも、雪景色の中では、北欧を思わせるしっとりと落ち着いた感じを漂わせます。

雪の八ヶ岳美術館庭園と、みどりのリズム雪に覆われた建物の正面には、この施設を代表する逸品が屋外に展示されています。

長野県諏訪郡原村出身の美術家、ブロンズ彫刻家の清水多嘉示の代表作でもある「みどりのリズム」です。

ここは、原村に寄贈された氏の作品と、村が所蔵する考古資料を収蔵するために標高1300mという高地に設けられた村営の美術館兼、郷土資料館。八ヶ岳美術館(原村歴史民俗資料館)です。

八ヶ岳美術館玄関今日はこちらで催されている企画展「ハイウェイの沿線遺跡群」開催を記念して行われる講演会を聴講する為に訪れたのでした。

こちらの八ヶ岳美術館。美術館なら当然なのですが、八ヶ岳西麓にある縄文遺跡を扱った展示施設のうち、唯一館内の写真撮影が全面的に禁止されています。従いまして、館内の雰囲気を写真でお伝えすることは残念ながら出来ません(館長さんの目の前で、一眼レフを振り回しながら全力で撮影し続けられていた方もいらっしゃったので、許可は得られるのかと…)。

八ヶ岳美術館パンフレット1八ヶ岳美術館パンフレット2と、いう訳でパンフレットでお茶を濁すわけですが、レースが吊られたドーム天井から注ぐ柔らかな間接光と、スリット状に切られた欄間から真っ直ぐに射し込む西日に照らし出されるブロンズ像のコントラストが非常に印象的な空間であったことを述べておきたいと思います。館長さんのお話にもあった、天空をイメージさせる空間的広がりと、筒状に区切られた展示室の包まれ感が同居する、ちょっと不思議な展示室です。

そして、展示される縄文土器たちも、参加者の方が口にされていた、小粒だが良い物が揃っているという見解そのままに、他の2か所の考古館と比較すると展示数は圧倒的に少ないのですが、現代アートと言っても全く引けを取らない、独創的で高度な装飾を持った土器が揃えられています。

ハイウェイの沿線遺跡群講演会パンフそして、本日のメインイベント。期間中に4回設けられる講演会のオープニングを務める、当時実際に遺跡の発掘作業に携わった方による回想講演です。

講演会の参加者には写真にありますように、今回の為に新たに書き起こした発掘調査の記録一覧と、今では貴重な発掘調査終了後の1982年に開催された出土品展で配布された、遺跡及び出土物の解説資料がプレゼントされました。

講演会は美術館の展示スペースの一部を用いて行われたため決して広くはなく、座席も20名程度の参加者を想定されていたようですが、実際にはその倍に当たる、40名近くの参加者が集まりました。

参加されていた方の殆どは、地元の住民の方というより、縄文遺跡について非常に良くご存知の方ばかり(村野藤吾の建築に喜んでいるような私は、完全にアウェイです)。館長さんからの提案もあり(八ヶ岳美術館ルール)、講演中も自由に質問、そして講演後も展示物を廻りながら、存分に話し合いましょうというということで、この手の講演会としては、極めて活発な質問のやり取りが続き、和やかな雰囲気の講演は予定の2時間があっという間に過ぎてしまいました。

演者の方は何しろ40年前の発掘の時を思い出しながらの事ですので、全般的なお話というより、当時の記憶の強かったことを拾いながらのお話となったような気がします。実際に発掘に携わられた方でなければ知りえない、発掘時の御苦労や、発掘物の処理方法、そして、やはり自分で掘って見つけたいよとの想い。その中でも、阿久遺跡の特異性と、そこに展開された縄文文化への好奇心は、参加者の皆さんがいずれも強く惹かれるところであり、積極的な質問が繰り返されていたようです。依然としてここでしか発見されない環状集石群や、八ヶ岳を望む柱状列石の謎。他の遺跡を圧倒する芸術性の高い土器の数々(もちろん尖石も井戸尻も観ていますが、ここの土器の造形は素晴らしいです)。そして、この展示会のテーマとなってしまった「ハイウェイの下に眠る遺跡たち」への想い。現在ならば、強烈な保存運動が展開されたであろうこのような貴重な遺跡ですが、当時を知る方々の言葉を借りると、始めは保存されるとは思っていなかった、と。何しろ緊急を要する調査であり、僅か1年で原村村内全ての遺跡を調査せよという指示であったと述べられており、当時の緊迫感と、それでも余りに貴重な遺跡であったために埋戻しという選択肢が採られた事への感慨が述べられていました(同時に、もう少し時間があれば、もっと遺跡に対する知識があれば、良い発掘が出来たかもしれない。更には、全体が保存できればという想いも)

阿久遺跡1遠くに中央道を望む阿久遺跡の現在の様子。

右手に雑木林があるだけで、遺跡本体は遠くに望む中央道(水平に伸びる森に沿って走っています)の下に埋められており、二度と望む事は出来ません。館長さんも、もう一度発掘すれば判る事もあるのではないでしょうかと質問されていましたが、大分破壊が進んだ後に埋め戻された事もあり、列石などは取り除かれてしまっているため、もはや旧態を望む事は永遠に不可能となってしまったようです。

阿久遺跡2阿久遺跡の説明看板その1。

阿久遺跡3阿久遺跡の説明看板その2。

この看板が設置されてから既に20年が経過していますが、ここで述べられている整備事業は、残念ながら未だに実施されていません。今回、僅かに発掘された品々が県から地元に移管されたに過ぎません。

阿久遺跡望む冬の八ヶ岳連峰阿久遺跡から望む八ヶ岳の峰々。

縄文時代の人々も同じような景色を望んでいたのでしょうか。

八ヶ岳美術館前より遠望夕暮れの八ヶ岳美術館前より。

高く広がる空の下、雄大な八ヶ岳の麓に広がった縄文遺跡と、その発掘に苦心された方々の想いを考えながら。

豊富な体験施設と国宝土偶が迎えてくれる縄文文化の発信地としての尖石。小さく少々古びているが、藤森縄文文化論の根拠地としての独自性を見せる井戸尻。これら八ヶ岳の縄文文化を象徴するふたつの考古館と比べると、美術館との併設で規模も小さく、場所も不便な八ヶ岳美術館には、なかなか足を運ぶことは難しいかもしれません。しかしながら、原村に存在する縄文遺跡たちは縄文文化を語る上で、決して欠かせないもの。たとえ高速道路の下にその存在が埋められてしまったとしても、発掘成果と発掘に携わった方々、そして、その成果を引き継ぐ方々によって語り継がれる限り、この美術館(史料館)と貴重な遺跡は、縄文文化を語る上で欠かせない位置付けを成し続けるはずだと強く願いながら。

<おまけ>

本ページで紹介している他の博物館、資料館を。

桜の後は井戸尻考古館へ(縄文土器の集う里)

桜の後は井戸尻考古館へ(縄文土器の集う里)

New!(2015.9.21):井戸尻考古館に収蔵される、坂上遺跡から出土した土偶が、この度、国の重要文化財に指定されました。この指定を記念した展示会「女神たちの山麓 -坂上遺跡出土土偶展-」が9/29から11/29まで開催されます。10/11(日)には富士見町コミュニティ・プラザ(JR中央本線、富士見駅下車すぐ)で、記念講演会も開催されます。詳しくは、井戸尻考古館の開催関連情報ページへ

New!(2015.4.26):春のNHK Eテレ新番組「趣味どきっ!」火曜日に放送中の橋本麻里さんがナビゲーターの「国宝に会いに行く」第6回“国宝一年生”縄文土器「縄文のビーナス」と「仮面の女神」 で、茅野市の尖石縄文考古館と富士見町の井戸尻考古館が採り上げられます。放送は5/5(火)21:30~より。

New!(2015.1.16):昨年末にNHK Eテレで放送された、「日曜美術館特別編 巡る、触れる、感じる ~井浦新”にっぽん”美の旅~」で井浦新さんが旅した八ヶ岳山麓。放送では茅野市の尖石縄文考古館と国宝土偶たちが採り上げられていましたが、他にも八ヶ岳山麓に広がる縄文遺跡を散策していたようです。その取材の番外編が日曜美術館のアートシーンで放送決定「特別編 井浦新“にっぽん”美の旅 謎多き縄文の世界へ1/18(日)午前9時45分から(再放送は同日20時45分から)。今回は諏訪郡富士見町の井戸尻考古館と和田峠(正確には小県郡長和町鷹山)の黒曜石ミュージアムが登場します。

New!(2014.12.14):この度、昭和30年代に札沢遺跡より発掘され、国立博物館寄託から長野県立歴史館に収蔵されていた、長野県宝「動物装飾付釣手土器」が出土後初めて、地元、井戸尻考古館に里帰り展示されることになりました。併せて2011年12年に発掘調査が行われた際の出土物が特別に展示されます。

展示期間は12/2から翌2/1まで。同期間中の12/14(日)、1/10(土)、1/11(日)には、学芸員の方による展示解説が行われます。時間はいずれも14時から。

信濃境の桜達を満喫した後は、徒歩20分ほどで到着できる、史跡、井戸尻遺跡に付属する縄文遺跡の博物館、井戸尻考古館へ。

井戸尻考古館入り口正門ではきれいな桜の花が迎えてくれます。

井戸尻考古館の収蔵物ちょっと古風な井戸尻考古館。陳列棚には縄文土器が所狭しと並べられています(一部の土器、土偶は撮影禁止の札が出ています。くれぐれもルールは守りましょう)。スマートフォンお持ちですと、解説を聞くことが出来るようです。

こちらの博物館、メインは土器ですので、そちらの方に興味が無い方にはちょっと厳しいかもしれません。もちろん、学芸員の方のガイドを聞けば、きっと興味を持たれることになるかと思いますよ。

当日は若い学芸員の方が、団体さんを相手に説明をされていました(ちょこっとそば耳を立てて、解説、聴かせて頂きました)。

四方神面文深鉢複雑な造形美、なぜそこまでして土器を装飾したのでしょうか。

ここにある土器の多くは複雑な文様な施されています。解説板には呪術的なお話が続きますが、果たして本当のところは作った当人達に聴いてみなければ判らないという点が、考古学の醍醐味でもあり、その文様達の奔放さのままに、想像の羽を思いっきり伸ばせる素地なのかもしれません。

水煙渦巻紋深鉢土器と水煙文土器達そして、この博物館一の名品。長野県宝にも指定され、郵便切手の意匠にも用いられたことがある、縄文土器の中でも最も有名な出土物、水煙渦巻文深鉢です。

長野県宝・水煙渦巻紋深鉢土器驚異的に複雑な文様。そして左右非対称のデザインにも関わらず、それを感じさせない全体のバランス。

学芸員さんの説明によれば、何と、取っての部分は中空だそうで、装飾性ももちろん、高い成形、焼成技術を有していたことが判ります。

そして、この博物館の解説には非常にユニークな点があります。本博物館の収蔵品を多く発掘した在野の考古学者(この点は尖石遺跡も同じですが)、藤森栄一氏による論説「縄文農耕論」を下地にした、記紀の物語と縄文土器の文様を結びつける論考による、それぞれの縄文土器に、対応するであろう記紀の神々の名前を添えた札が付けられている点です。

この論考は、決して学会の主流となっている訳でもなく、むしろ否定的に捉えられている論説でもあります。それでもこの博物館が藤森氏の論考に従った資料を掲げ続けているのは、此所が藤森縄文論の発祥地であるが故。そして彼にとって、決定的な証拠が出土されている点です。

井戸尻考古館の炭化麦出土品展示物にある、炭化した麦と、粉食を行ったと思われる炭化物、土器の底に残る炭化物の出土品です。

彼は、これらの粉食の一部に栽培種が混ざっている可能性があることを早くから指摘しており、出土物に含まれる石斧や、石鎌、粉摺りの発掘を通じて、縄文人は教科書に記載されているような狩猟採取生活だけではなく、小規模ながら栽培を手がけていたと結論づけています。

この説自体も、決して主流の説とはなっていませんが、その後の全国の縄文時代遺跡発掘の進展により、弥生時代より遙かに遡る、縄文晩期から後期にかけて、農耕に類する作業が行われていた可能性が高いことが、明らかとなっています。

彼の論考が早すぎたのか、それともごく一部のケースを捉えただけなのか判りませんが、この小さな博物館の中には、その東アジア全体をカバーせんとする雄大な文化圏論と共に、縄文文化を語る際のおおらかな発想力と、発掘に込めた氏の情熱が今も息づいているようです。

井戸尻考古館中庭と桜の木中庭にある、向原遺跡のストーンサークルを模した石柱列を前に桜の木を。

井戸尻遺跡の復元縄文竪穴式住居考古館の正面は井戸尻遺跡。このように復元された住居跡もあります(これは梅雨時に撮影した写真です)。

井戸尻史跡公園の案内板史跡内には蓮の花が名物になっている公園として整備されています。見頃は梅雨時から7月にかけてです。

<おまけ>

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