今月の読本「興亡の世界史 東インド会社とアジアの海」(羽田正 講談社学術文庫)快活に冷静に描く、刺激的な人々が貿易で結ぶ3つの海

今月の読本「興亡の世界史 東インド会社とアジアの海」(羽田正 講談社学術文庫)快活に冷静に描く、刺激的な人々が貿易で結ぶ3つの海

実は昨年中に読み終わっていたのですが、文庫なのでこちらでのご紹介が後回しになってしまった一冊。

昨年読んだ本の中でも、一番のお気に入り。ここ数年来でも、個人的には好著の筆頭に挙げたい一冊を、年の初めにご紹介いたします。

今月の読本、年初の一冊は「興亡の世界史 東インド会社とアジアの海」(羽田正 講談社学術文庫)のご紹介です。

本書は同じ版元から10年前に刊行されたシリーズ「興亡の世界史」の15巻目として刊行された本の文庫への収蔵版。今回の収蔵に当たっての大きな補記等はなく、著者のあとがきと、新出の参考文献が追加されている程度です。

しかしながら、著者が今でも十分に通用すると明言するように、本書の内容は今でも極めて特徴的かつ刺激的です。

原著刊行時点の編纂でも議論を呼び、版元自体もシリーズ屈指の異色作と評した、多様な時代と世界のテーマを扱う本シリーズを以てしても白眉な「会社」を軸に描くテーマ設定。更には、まるで往年の「世界歴史百科」をめくる時の喜びを、スケールはそのままに、文庫サイズにまで凝縮してしまったような、広範でダイナミックな内容。

そこにみえるのは、陸上と海のアジア史双方を全部カバーしてしまいそうな勢いで描く、広範で旺盛な視点。政治体制がそれぞれ全く異なるアジア側の各国の事情を綴ると同時に、その中庭たるアジアの海に乗り込んできた各国の東インド会社の資産形成や役員形態、運営、指揮系統といった特徴の裏に、国政の事情や経済的な問題点を読み解くといった内容を平然と織り込んでしまう、圧倒される著者の見識(あっさりと、アダム・スミスまで登場させてしまいます)。通史だけでは面白みに欠けてしまうかもしれませんが、著者は『冒険商人シャルダン』という著作を有するほどに個人史にも長けていらっしゃる方。バックボーンに潜むアルメニア人商人が切り開いてきたルートに乗るように行き交う、アジアを渡り歩いた冒険商人や、商人崩れの政治家、軍人。本国の投資家たちの目を盗んで海域内貿易で稼ぎ過ぎて、総督まで上り詰める名声は得たけれど、追及を恐れて帰国するのが困難になってしまった、エリフ・イェールといった新大陸生まれのコスモポリタン(名字をご覧頂ければ判りますよね)。更には、再婚した夫との資産争いの末、老年になって本国オランダにまで乗り込んで裁判を続け、死後になって勝訴を勝ち取った、日本人の血を受け継ぐ一人の勇猛な女性、おてんば(ontembaar)コルネリアといった、個々人をテーマにした内容を同時に織り込む事で、華やかに、時には悲惨に、アジアの海で繰り広げられた物語を「歴史ストーリーの一ページ」として描き出していきます。

広範な内容を綴る本書。その中で、本筋となるアジアの海の歴史について、著者はある一点について、本文中で繰り返し見識を改める事を読者に求めてきます。

ヴァスコ・ダ・ガマの喜望峰廻りによるインドへの航海から、イギリスによるインドの保護領化と東インド会社体制の終焉までの約200年を綴る本書。その後のアジア史をご承知の方にとって、前時代は「植民地」としてのアジアの前駆のような、素朴で平和的に暮らしていた人々に対する、軍事力による蹂躙の先に行われた暴力的な収奪といった、アフリカや南北アメリカと同じようなイメージの延長で、ポルトガルが築き上げ、列強がその道筋の上に続いた姿を描く、「海の帝国」といった歴史描写への嫌悪感をもたれるかもしれません。しかしながら、イスラーム建築史が専攻の著者はそのような認識、描写について、断固として異なるという点を提示し続けます。

著者が断言する根拠となる考え方。そこにはアジアの海と商業に関わる際に、3つの海に3つの政体が存在したことを示していきます。蒸気機関発明前の風力による航海が前提となる時代。貿易風と地域内の海流に添った航海を求められるその海に於いて、どのような戦力を有していても、どれだけ大きな船舶を擁していても、その環境に立脚した航海と、拠点となる商館の設営=貿易港の設定、季節的な周期航海のルールからは逃れられない点をしっかり認識することを求めます。

その上で、3つの海を目の前にする陸の帝国の姿を提示します。一つ目は、著者の専門分野でもあるペルシャ湾及びアラビア半島周辺の海域。この地域では王国の首都たる場所は内陸に位置しており、海沿いの交易地は、目の前の海を往く商人たちの貿易における中継点として、税収が望める都市の一つとしての認識しかなかったとします。各国の東インド会社の居館が立ち並ぶその場所。徴税を司り、西ヨーロッパ諸国同士がその場所で紛争を越した場合に制すべき立場にあるのは、その港を押さえている王国側にある事を明確にします。一方で、貿易拠点としての西側の海に対して、東端の海は著者が「政治の海」と称する、陸上の王国が海上の支配権も御する場所。倭寇や鄭成功の事例を用いて、域内における自由な航行は望めない点を示し、その海では陸上の王権(これは豊臣政権や徳川幕府にしても同じ)に対して、へりくだる事で貿易を認めてもらう立場に過ぎない点を明確化します。国家を代表して貿易を行う一方、共同出資者達による私営としての側面も持つ東インド会社という特殊な形態ゆえの限界。その地では、収奪はおろか、自らの生死与奪の権限すら、陸上の王国に握られていた事は、日本に於ける当時の貿易体制と、インドのそれが、同じ「東インド会社」を通じて行われていたという点に於いて、余りの違いを説明する明快な事例ではないかと思われます。それ故に、賃料を払って出島に押し込められるという屈辱的な待遇に甘んじてでも、バタビアと長崎の間で中継貿易を継続し続けた、オランダの東インド会社が如何に稼いでいたのかが判りますし(時に本国ベースの純利益が200%に達する事も。域内貿易ではどれだけ荒稼ぎしていた事か)、利益を追求する株主資本会社としての側面があったからこそ、そのような扱いがあっても貿易を続けられたともいえます。

そして、西の交易としての海と、東の政治の海に挟まれた、中央部に突きだしたインド亜大陸の沿岸地域。著者はここにもう一つの海の姿を見出します。「迎え入れる海」、貿易がもたらす利益を喜び、その繁栄こそが支配する王としての懐の深さを示すものだという価値観が生んだ貿易。それが、国家を代表する形での貿易を望んだ東インド会社に対して便宜を与え、貿易を行うための居館の建築を認め、更には要塞を築き、居留地や域内での徴税権を与える事すら憚らなかったインド諸王に共通するスタイルだと看破します。日本人にはイメージしにくいこの事実、著者は最も近い事例として、戦国時代の大村氏によるイエズス会への長崎の割譲を持ち出して、貿易による利益と提供される武力を求める権力が、有利な形で取引が望める宗教を受容、時には自ら改宗し、その便宜を図るために土地を割譲する動きと、その後の歴史で展開される軍事的な侵略とは異なると指摘します(陸の帝国に楔を打ち込んだように見えるマカオにしても、実体は租借であった点もここで再確認します)。

最初の接触から戦闘的な態度で臨み、持ち込んだ産物の余りの価値のなさに憐れまれるほどの屈辱を味わったが故に、かの地に於いて、何処ででも暴力的な制圧と搾取を行ったかのように見られる、西ヨーロッパ諸国の東インド会社による貿易。しかしながら、著者はそのような見方は偏見であり、彼ら自身も香辛料や綿製品貿易に代表される西ヨーロッパとアジア間の貿易に匹敵するほどに、資産運用と貿易物資を獲得する為に、アジアの海の中で現地の商人を相手にして、傭船すら行いつつ大規模な中継貿易を行っていた事を見出していきます(もちろん、日本と南米が生み出した、交易を飛躍的に伸ばす結果となった銀バブルのお話も出て来ます)。その上で、彼らは数多くの商人たちが行き交ったアジアの海における、数多の「外国人」集団の一つに過ぎなかったという点を見失ってはならないと、繰り返し指摘します。なお、南アジアにおける収奪的なプランテーション経営とイギリスとオランダの武力を以ての争奪戦については一通りの記述がありますが、著者は限定的であるとの認識に立っています。

最後に述べられる、インド亜大陸におけるイギリスの植民地化への歩み。その背景として、フランスとイギリスの東インド会社における国家の関与の違いを見出した上で、東インド会社の影響力を背景に対立するインド諸王に関与する際の軍事力への「国家」の関与こそが、「東インド会社」というシステムの限界点であり、その限界点の先に、近代となって誕生する国民国家が東インド会社という商業資本が遠隔地で期せずして獲得し、ある種、野放図にされてきた権益に対して、政治、軍事的に直接掌握する、次の時代である「植民地帝国」へ至る姿を見出していきます。

冒険的商人と高い資産運用を目指した初期の資本家、そして国王の特許やフランスのように国家からの金銭的な後押しを受けて設立された株式会社の端緒となる「東インド会社」がアジアの海を縦横に行き交った時代を綴る本書。ダイナミックに行き交う人物模様を描く一方で、その中で刻々と進む時代背景や経済、政治状況まで克明に拾い込む見事な筆致が、この著述範囲では僅かと言わざるを得ない400ページ程の紙面を一杯に使って、存分に展開されます。

本書の執筆後、著者は本務校の東洋文化研究所所長と副学長を兼ねるという激務から、一般読者向けの単著を殆ど執筆されなくなってしまいました。しかしながら、刊行時から10年を経て、アジアのグローバル化が次のステージに向かう中、今こそ本書のような多角的で広い視点を持ったアジア史が求められる筈。著者の手による、本書に続く作品を是非読んでみたいと強く願う次第です。

 

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今月の読本「セルデンの中国地図」(ティモシー・ブルック 藤井美佐子:訳 太田出版)訳書の魅力が存分に詰まった、東洋で作られた地図を介して東西文化の歴史地理学の幕が上がる

今月の読本「セルデンの中国地図」(ティモシー・ブルック 藤井美佐子:訳 太田出版)訳書の魅力が存分に詰まった、東洋で作られた地図を介して東西文化の歴史地理学の幕が上がる

豊富な訳書のラインナップを誇る、太田出版。

中でも、現在シリーズとして刊行を続けている「ヒストリカル・スタディーズ」には、地理や歴史が好きな方には興味深いテーマを扱った作品が多くラインナップされています。新刊本として面陳されやすいこともあって、比較的目にすることも多いこのシリーズは、読みやすい内容の作品が多いのですが、今回は価格面を含めて少々歯ごたえのある一冊のご紹介です。

セルデンの中国地図セルデンの中国地図」(ティモシー・ブルック 藤井美佐子:訳 太田出版)です。

既に表題の「セルデン」という単語でまごついてしまうこの一冊。16世紀末から17世紀初頭にかけてイギリスで活躍した法律家にして政治家。海洋法や航海に関する歴史に詳しい方、またはオランダの東インド会社の貿易史にご興味のある方なら聞いたことがある名前かもしれません。オランダの自由貿易推進の根拠として論考された、グロティウスの「自由海論」に対抗するように用意された、現在の航海法の基礎ともいえる「閉鎖海論」(国土に隣接する海域においては、海洋航行に於いても国家による管轄権が認められるという、領海法の基礎となった考え方)を提唱した当時のイギリス(訳者の正確な表記に従うと、イングランド)を代表する法律家です。

彼の遺言によりオックスフォードのボドリアン図書館に収められた17世紀初頭に作られたとみられる中国地図。2011年に行われた修復作業の結果、美しい姿を取り戻したこの地図を巡る物語を、同じオックスフォードで教授を務め、現在はカナダのブリティッシュ・コロンビア大学で東アジア史の教鞭を執る著者が描いていきます。

著者が最初にこの地図に興味を抱いたのは、セルデンの著作である「閉鎖海論」の理論的傍証、即ちオランダの東インド(香辛諸島)における、自由貿易の根拠としてのかの地の占有性の有無を検証するための素材として見做していたようです(ちなみに現代のそれに対しては、きっちりと釘をさしていますので、あしからず)。その延長として、冒頭では著者の体験に基づいた地図にまつわる国際関係の話が続きますが、本書の中盤を待たずして、早くもその考えは崩れてしまいます。その代りに著者が引き込まれていったのは、この地図の成立と、ボドリアンに収められるまでのストーリーそのものへの興味。

漢字で地名が書かれ、中国大陸を中央に置いた地図は明らかに東アジアの何処かで作成されたもの。しかしながら、その図法は当時の東アジアで一般的であった図法とはかなり異なり、海図に用いられる方位線が書き込まれ、コンパスローズの代わりに羅針盤、そして縮尺スケールまで描かれるヨーロッパ的なもの。最も特徴的な点は、アカプルコへ至るルートへの注記と、カルカッタと思われる点で途切れる地図のその先に至る、アデン、ドファール、ホルムズまでの航程が方位と日数で記されている、明らかにヨーロッパ方面への航海を意識した標記。そして、驚くほどに正確に描かれた航路に対して、かなりあやふやな陸上の表記。

本書の後半では、これらの記述の秘密について、著者の調査結果(まだまだ知りえない事が沢山あると述べていますが)と見解が述べられていますが、その結果は本書を彩るほんの一部分に過ぎません。

本書の最大の魅力は、その結果に至るまでの著者のアプローチ。単に地図の記述の謎を解くだけであれば、これだけの著述は必要ではなかったはず。それでも、著者は描かれた事の本質に迫るために、余りに迂遠とも思えるアプローチを仕掛けていきます。

其処には、入手者であるセルデン自身の物語だけでなく、親友であったベン・ジョンソンと彼の仮面劇に秘められた、イギリス特有の洒脱と皮肉の物語が語られていきます。そして、彼の東洋の文物に対する収集(東洋学の始まりといってもいいかもしれません)に興味を持って、当時の文壇に花を添えたパーチャスの「パーチャス廻国記」と、ジョン・スピードやメルカトルといった地図製作者たちの物語も散りばめられていきます。その記述は、16世紀末のスチュワート朝イギリス史、更には文化史をある程度理解している事を読者に求めてきます。

セルデンの研究上の遺産を引きついだ、ポドリアン図書館の初代館長であるトマス・ハイドと、数奇な運命の末に彼の元にやって来た中国人の沈福宗。セルデン地図の上で、彼らが交わしたであろう言葉が、ヨーロッパにおける東洋学の息吹を見せ始めますが、彼が研究を纏める頃には、時代の変遷による文化の多様性を相対化するための東洋史から、パーチャスに見られるような所謂東洋趣味の波に呑まれていく悲哀さすら述べていきます。

ヨーロッパをベースに著述している本であれば、此処までの著述で終わっていたかもしれませんが、著者は東洋史の専門家。セルデン地図の内容を追うその筆致は、ヨーロッパを飛び出して同時期、更にはそれ以前の東洋における航海史を跋渉する世界に漕ぎ出していきます。当時のあやふやなヨーロッパ諸語と中国語表記の変換の先にある、羅針盤の動きをベースに中国語で著述された航海録を読み解くことで、この地図に描かれた東アジア、東南アジアの航路が極めて正確であった事を、それこそ推理小説のように突き止めていきます。更には、これらの中国語書籍の成立した理由と、その著作の根底にある官僚制(科挙)や、文化の担い手としての重厚な士人層への眼差しが語られていきます。著者の研究者としての視野の広さは、本書を単なる地図をテーマにした地理史に留めることなく、東西の文化、思想が共演する文化史へと大きく広げていきます。

ヨーロッパを飛び出した地図を巡る物語は、更に紙の地図と書籍を飛び出して、東アジアを巡る航海と地図の物語へと進路を取っていきます。羅針盤の方位記述の読み解きや媽祖や火長といった中国由来の民俗学的な航海術を語りながら、イギリス東インド会社の貿易についての物語が編み込まれていきます。

ウィリアム・アダムスと平戸と徳川将軍という、我々にとっても馴染みのお話も語られていきますが、メインは中国、そして東南アジア貿易(北洋航路だけでは貿易が成り立たない事をはっきりと明記しています。オランダが長くアジアで貿易を続けられたのも、南方の物資拠点を抑えていたことによる、アジア航路内における南北貿易を成立させられたが故)。平戸をベースにしたイギリス東インド会社の交易における中国ルート開拓にまつわる悲喜こもごもの物語と、スペインそしてオランダとの香辛諸島での貿易競合の物語も語られていきますが、この部分は少し前後と脈絡なく登場してきます。実は、セルデン地図の最後の謎に迫る重要な秘密がここに隠されているのですが、その答えは本書をお読み頂いて、納得して頂ければと思います。

イギリスと中国の文化が交差する本書。それは歴史と文化を地勢の上で語るという地理学の本質が、それこそ大陸を越えて、ダイナミックに展開していきます。片方の知識だけでは決して読み解けない、文化の交差点としてのセルデン地図の特異性と、秘められたストーリーが存分に語られていきます。イギリス、そしてヨーロッパで刊行される作品におけるセオリーに従った、豊富な文化的、歴史的バックボーンに基づいて本題を解き明かしていく記述は、ちょっと迂遠な感じもするかもしれませんが、著者の驚異的な知識力、学術成果を丁寧な翻訳によって誘ってくれる、知的探究の面白さが存分に味わえる、訳本ならではの面白さが詰まった一冊。

イギリスの作品らしい、強烈な皮肉を込めた序文のヴァルトミューゼラーの「アメリカ」が初めて記述された地図と、海南島事件に関する話題から始まり、王子ジローとセルデンの墓所の物語(このオチには、更に何かを伏してるのですが、私の知識力では追い付きません)で終わる本書。著者の熱心な研究成果に耳を傾けながら、ある意味営々と築き上げてきた慣例法を規範に持つイギリスという国のしたたかな思考法の上に立つ、少し醒めた歴史感をじっくりと味わうかのような一冊です。

<おまけ>

本ページでご紹介している、本書に関連する書籍を。